畑作業と地域のつながり
おっすおっす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは、こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
今、畑仕事を終えて、ライブ配信をさせていただいております。
今日の畑仕事はですね、カボチャを植えた、あとモロヘイヤを植え付けたとか、
まあ、そうやってね、苗をこうやって植え付けるっていうことをやってたんですけれども、
自分自身の畑は庭なんですよね。
この庭をさ、どう作っていくかっていうことで、
まあね、ここはさ、あんまり高い草を生やしたくないよねっていうところ、
ここには、地を這うような植物、たとえばカボチャだとか、
あとキュウリなんかも、地培キュウリって言って地面を這うようにしてですね、
育っていくキュウリがあったりとかして、
こういうのをですね、散りばめて、自分のこの庭っていうのを作っていくというような感じでさせていただきました。
あ、佐々木優さん、こんにちは。お礼が遅くなってすいません。ありがとうございます。
感謝ですということで、ほんとごちゃごちゃありがとうございます。
よろしければゆっくりしていってくださいね。ありがとうございます。
はい、ということでですね、
今日は、僕には鳥の言葉はわからないけれどってね、なら、そんな話をね、させていただこうと思っているんですね。
この話は何でしようかと思ったかというと、
昨日、僕ね、夜会食に出かけたんですね。
この会食は、このね、地域の方にお招きされて、いわゆるホームパーティーってやつですね。
一人一人がお料理を持ち寄ってね、それで一つの食卓を作り上げていくなんていう会の席だったんですけど、
そこでね、その地域の方が昔ね、様々な場所に住んでいたんですね。
例えば徳島県に住んでたとか、本当に山の奥に住んでいたとか、
様々にですね、そうやってありまして、
いやすごい、すごいことだなと思いましたね。
その方がされていた、その暮らしっていうのが、まさに僕今、学ばせていただくことがあったなーっていうことがあって、
その方のね、生き方が、できる限り、自分が育てた作物、荒らせて欲しくないんだけど、
そこに網を張ったり、また電柵、電気柵ね、こういうものを張るっていうのがすごく抵抗感があるんだよ。
だからどんなことをしてきたか、なんていう話だったんですね。
いやーこれ、ももちゃん的にはものすごく染み入る話でして、
一晩ちょっと寝かせてですね、ももちゃんちょっといろいろ考えることがありまして、
思うこと、思ったことがいっぱいあってね、
今日はそれをお話しさせていただこうと思っております。
イノシシとの戦い
あ、そらにゃんこんにちは。ゆっくりしていってくださいね。
スクールさんありがとうございます。今日のお昼発見しました。
たぶん初めてお会いしたときのことですよね。書いてくださってありがとうございます。
ありがとうございます。こちらこそ読んでくださってありがとうございました。
はい、ということで皆さんゆっくりしていってください。
本当に何の役に立つかわからないような話、今日もしていきたいと思いますからね。
本題に入る前に一つお知らせさせてください。
この番組ではですね、機能名刺サポートコミュニティに所属をしておりまして、
それでですね、そこで毎月一人応援をする方を決めて、
毎回このスポンサーボールしていこうっていうような取り組みがあるんですけれども、
今回はね、色鉛筆画家のまつりかさんを応援させていただいております。
まつりかさんはですね、この前クリプト忍者という忍者のキャラクターがありまして、
それを自分自身で二次創作ということでね、やらせてやっていただいて、
色鉛筆で絵を描いてたんですけど、すごく光を取り込んだような、光を切り取ったような、
すごいな、こんな表現が色鉛筆できるんだなっていうのをすごく感動させてしましてね、
そういった中で応援を今年、今月させていただこうと思っておりますので、
まつりかさん応援しております。
よろしければ番組の概要欄、アーカイブにはですね、
まつりかさんの作品を購入できたり予約できるようなところを付けておきたいと思いますので、
よろしければご覧くださいませ。
はい、ということでやっていきたいと思います。
もーちゃんですね、今田んぼをやっているわけですね。
田んぼが毎回毎回、猪に入られちゃうんですよ。
このね、猪に入られてしまうのが何とも口惜しくてね、
せっかく半年ぐらいかけて家族みんなでね、
手入れをし続けてきた田んぼを収穫、あと1週間で収穫っていう時のね、
このタイミングでいつも猪さんたちが田んぼの中に入ってくるんですよね。
そしてその田んぼの中でね、たまわに育ったそのですね、稲穂、
これをですね、全部なぎ倒していくんですよ。踏み倒していくんですよね。
一度踏み倒されてしまった稲って、もうね、ここで成長をやめますって言って、
育たなくなっちゃうんですよね。
そしてどちらかというと新しい方の命に切り替えていくというか、
新しく芽を出していくなんてことがあるんですけど、
もうそれじゃ遅いんですね。
だから本当に一番の収穫のタイミングを逃してしまうなんていうことがあって、
今年、猛ちゃんの田んぼは今までもうやらないでおいたんですけれども、
なくなくですね、柵を張るっていうことはしたいなって思ったんですね。
そうしないと猛ちゃんたちが食べるお米って取れないし、
今お米がもう値上がりしちゃってね、
これだけ労力かけてやってて、ただでさえ赤字でやってんのに、
全くお米が取れなかったらちょっと厳しいよねみたいなことがあってさ。
だからできる限り僕たちが食べる分残したいなと思って柵をしようと思ってます。
でも電気柵をするかどうかって言われたら、
ちょっとそれはまだ抵抗感があるんですよね。
だってその電気柵に触ったらビリビリってきて痛いんですもん。
それ人間が触ってもパチッときて痛いわけですけど、
それが致命傷になるような柵じゃないんですよ。
致命傷だったら困りますよね。
自然に動物の亡骸がバンバンバンバンできるみたいなことがあったら困るので、
そんなことはないんですけれど、
でもこのパチッと当たってちょっと痛い、痛みを感じてしまうようなね、
そういうような獣たちへの啓発っていうのは嫌だなーなんていうことをね思いまして、
さあいかがするかなーっていうのが、
今もおちゃんたちと抱えている直近の課題なんですよね。
鹿との交流
その時に昨日会食をした方がいまして、
ヤヌシさんだったんですけどね、ホストだったんですけど、
その方が徳島県の本当に山奥の中に住んでいた時に、
こんな話をしてくれたんですね。
その方がしてたのが、
シカと話すことって言ってました。
シカさんってね、ものすごく食欲旺盛で、
その辺に生えている草をもう根こそぎ食べてしまうんですよね。
もう根っこも残らないんじゃないかっていうくらい、
もう全部食べてしまってですね。
それで今ね、山の中がハゲ山になっちゃう。
今まで木がいっぱいあった山だったり、草がいっぱいあった山だったんだけど、
シカさんが全部食べてしまって、
そこがもう根っこが張ってない状態になっちゃうので、
ハゲ山になっちゃって、
そこで雨とかが降って土砂災害が起こる。
シカがいることで土砂災害が起こるみたいなことがあってね。
まあその話はいいんですけど、
このシカさんが畑の中に入ってくると、
全部食べちゃうんですって。
これをどうしていくかっていう話があってね。
でさ、その人は柵を張るっていうのが嫌だったんですって。
僕ね、もーちゃん大事なことを思い出しましたよ。
もーちゃんもなんで柵を張ることが嫌だったのかなって。
面倒だからっていうのはもちろんあるんだけど、
でもこの精神があったからだよねっていうことを思い出させてくれたんですね。
それはね、しかも話せばわかってくれると思うんだ。
柵を張るっていうことは、
ここから内側は人間のフィールドなんだって。
そこには入ってきてもらっては困る。
君たちはよそ者だろ?
そんな風に線、境界を引くなんていうことになると。
でもよくよく考えてみると、
人間の方がその山に入ってきたのは遅いはずなんだと。
だから人生の先輩たち、もうパイセンです、シカさんたちは。
そのパイセンたちをこの柵を張ることによって隔離してしまうっていうことはどうなのかと。
むしろ僕たち側がここに住まわせてもらっているんじゃないかと。
そのように語ってくれたんですね。
だから夜な夜な、シカさんたちは動いてお腹いっぱいになるわけですけど。
夜な夜なですね、そのシカさんたちの中に行って、畑に行って、
シカさんたちと話すことをしたって言うんですよ。
面白えなこの人って思ったけど。
そういえばモーちゃんもそういう思いがあって柵を張りたくなかったんだよねって。
僕たちが後から住まわせていただいているよねっていうことだよねって。
それってさ、日本古来の文化っていうのがあるんですよ。
日本人は森の民でさ、森とか山っていうのを中心にして、
その周りに村とか町とか集落っていうものを築いてきたんですね。
山の中にある家だったとしても、
さらにその山の奥、奥山と言われているフィールドがあって、
そこは人が容易に立ち入ることができない獣たちの倉屈なんだということで、
線を引いていたっていう歴史があります。
でもその中に入らせていただくと、
僕たちは何かこうね、恵みをいただくことができる、
獣を獲らせていただくことができるとかね、
そんなことがありますよねということなんですよね。
だからこの森の民である僕たちは忘れちゃいけないことは、
森っていうものの中に僕たちが入らせてもらってきたんだっていう、
猿との共生
こういう歴史営みが脈々と受け継がれてきたよねっていうことなんですね。
それでね、僕が住んでいるこの町はですね、
様々な集落があるんですけど、
その集落の一つ素敵な考えだったなって思っていることがあるんです。
それはね、お猿さんたちなんです。
お猿さんたちがさ、猫そぎ芋とかを掘るんですって。
その町はね、その集落ではとある品種のお芋をいっぱい育ててます。
そのお芋の名前をね、東山って言うんですけど、
この東山っていうお芋はそのままなんか煮たりして食べるのではなくて、
よくよく乾かして干すんですね。
干して干して干しまくると、
その中のお芋の甘さだけが残っていってですね、
いいお菓子になるんだそうです。
そうなんです。東山っていうのは東の山って書くんですけど、
この東山っていうのはつまりはですね、
干したお菓子っていう意味なんだそうですね。
その芋は芋を干してお菓子のように甘くして食べるから、
東山っていう名前がついたんだそうです。
こういうものなんですけど、
この東山をもうどんどんどんどん取ってね、
それで食べちゃうんですって、
もう何事かってことです。
あ、そうそうそうそうそらさん。
東干した菓子で東です。
今ね、漢字で書くとね、
本当にイーストの東、方角の東でね、
山ってイーストマウンテンって書くようなところもあるらしいんですけど、
もともとはそういう干したお菓子っていう意味なんですよ。
ありがとうございます。コメント打っていただきました。
それもね、貴重なわけですよね。
ちょっと干して数枚に切り下ろしたような東山って、
もう1パック500円とか700円とかで、
もうバーンとした値段で売られるようなことがあって、
芋1個が700円って考えるとめちゃくちゃすごくないですか。
そこに至るのにはね、すごくね、
乾燥させるっていう工程とか、
洗ったり皮を剥くっていう工程がすごく大変なんですけど、
それをね、もうね、村の人たちの、
集落の人たちの一つの成り場になっているものたちを、
お猿さんたちはどんどん寝こそぎ食べていくっていうことがあるんですよね。
だから、すごくもうこれ大変だっていうことで、
で、猿をね、僕たちの集落というか、
僕たちの住んでいる町は打ち取ると報償金がもらえるんですね。
動物を仕留めると、
いわゆる害獣と言われているものになっちゃうんですけど、
この呼び方僕は嫌なんですけども、
お猿さんだったり猪さんだったり鹿さんだったり、
こういうのをですね、打ち取ると、
さあさんこんにちは、ゆっくりしていってください。
ありがとうございます。
こういうのを打ち取るとですね、
その報償金がもらえるというようなことがあるんですよね。
で、お猿さんは7、8千円だったかな、
確かそんな感じだったと思うんですけど、
イノシシさんに至っては1等2万円いただけるみたいなことがあって、
猿をですね、とにかく寝こそぎ捕まえて、
もう打ち取っていこうなんていうことがあったんだそうですね。
さあさん運転中聞いてます。
ごゆっくりしていってください。
気をつけてね。
はい。
そうそうそう、そういうのがあってさ。
でも猿を打ち取るっていうのは、
やっぱり集落の方々にとってもすごく心が痛むことなんだそうですね。
やっぱりなんかこう人間と通じるところがすごくあるんじゃないかっていうことがあって、
同胞を打ち取るなんていう感じがあるようなんですよね。
兄弟を倒すみたいなね。
イノシシさんたちとかは、鹿さんとかは、
打ち取ったらジビゲとかって言って近くに行ってね、
さばいてもらうなってことができます。
お猿さんだってそういうことできなくはないんだけど、
近くにそういう文化がない。
だからね、お猿さんたちとどうしたらいいのかってことを考えて、
なんとね、その集落の人たちはお猿さん用の畑を作ったんですね。
ここが芋作っといてやるよ、作っといてやるから、
だからここでお猿さんたちはできたら食べてねって、
でも僕たちの大切な畑の方にはやってこないでねっていうことをしたんですって。
そしたらどうなったかっていうとね、
お猿さんたちはそのお芋が出来上がる前にね、
種芋っていうんでしょうかね、
ちょっとしたちっちゃいお芋をね、
どんどんどんどん取ってね、食べちゃったんだそうですね。
もうちょっと待ってくれれば太ったのにね、
その犬、犬じゃない、芋をね、
なんで今食べちゃうんやねっていう感じだったらしいんですけど、
本当にこういうことがいっぱいあってもう無理だと。
猿はいくらでも集落に降りてきて、
いくらでも食べていくと、
家の仲間が入ってくるみたいな、
これダメだなっていう話もありました。
人間と動物の言葉
でね、それ昨日の食卓の話に戻るんですけど、
そういったお猿さんとも心を通わせようと頑張ったっていうね、
話はあったんですね。
でね、何度も何度も、
これくらいは取ってもいいよってね、
これくらい作物取ってもいいけど、
でもここから先は取らないでくれっていうのを、
何年も何年も続けたんだそうです。
そしたらそのある一頭の猿とは、
なんとなく心が通ったような気がしてですね。
何年も何年もそんなことを続けた結果、
その猿が必要以上に取らなくなった、
なんていうことがあったんだそうですね。
お猿さんだって賢いからさ、
そういうことできると思うんですけど、
でもすごい忍耐強いことだなって思いました。
今さ、僕今日のタイトル、
僕には鳥の言葉はわからないけどって、
そういうタイトルつけたんですけど、
本があるんですよね。
僕には鳥の言葉がわかるっていう、
鈴木俊孝先生という動物の生態学者の方がいらして、
鳥の声、子獣からの声をさまざまに聞き分けて、
いくつかのパターン、二重のパターンが鳴き声にあって、
その二重のパターンを組み合わせることによって、
お互いに言葉を交わしているんだっていうことを言っておりました。
これすげーことだなと、
歴史的な関係性
しかもすごい科学的にそれを解明していって、
僕たちが動物の言葉を交わせているように感じているけれど、
それって人間の文脈の中で話をしていることじゃないですかっていうことをね、
インタビューで言ってくださったことがあったんですね。
例えば猛チャーなんかはですね、家に犬がいますけど、
その犬とね、お腹空いたの?
うん、そっか、お腹空いたんだねとか言ってご飯を出すけど、
ご飯出したらぷいってしてさ、食べないとかそういうこといっぱいあるんですよね。
なんだかそのご飯を食べたいんだろうなっていうのを、
なんか自分の中の文脈で考えちゃって言うんですけど、
だけどそうじゃなかったみたいなこととかって結構あったりして、
構ってほしいのかなーって言って、
こっちを見つめてるなーって言ってさ、構いに行ってさ、
よしよしよしよしってやるとさ、
ちょっとその場所からさ、ぽんと離れて、ぴゅいって離れていっちゃうみたいなとかさ、
そういうことがあったりとかして、いやーあるなーなんて思いまして、
あ、そらちゃんさすがですね、うちの子ならアテレコできます。さすがです。
すごいですねー。
あのやっぱり近くにいるね、ずっと一緒にいるその子であれば、
なんかこの子の言っていることがわかるっていうようなことありますよね。
猛ちゃんはそれわかるって思いながらも外すことも結構あるんですけど、
この話の中で、人類学、民族学、歴史学などなどからちょっとひも解いていくっていうのが一つのテーマでもあるので、
見ていくとね、人間と犬とか人間と猫とのこのね、歴史ってすごく深くってさ、
犬、猫よりも犬の方がもっと歴史が深いんだそうですね。
犬との人間のこの歴史の始まったのは約15,000年くらい前なんていうふうに言われておりまして、
これはですね、エジプトとかの遺跡を発掘するとですね、犬と一緒に埋葬されていた人なんていうのが発掘されたりするんですね。
そういうところから犬と人の関係ってすごく深かったんだろうなっていうことがわかったりする。
それからエジプトでは神様の中にアヌビス神、アヌビスっていう神様がおりますよね。
あのアヌビスって顔が犬の格好をしてるんですよね。
で、アヌビスって死を司る神様なのかなっていうのがあって、
やっぱりこうアヌビス神っていうものと一緒に祀るというか感じで犬と一緒に埋葬されたっていうことはよくわかる話なのかなって思っています。
で、猫もですね、これはエジプトでもあるし、それからまたね、日本でも歴史が深いかったりもするんですけども、
まず日本でもですね、1万年くらい前ですかね、犬との歴史から始まっていくんですね。
で、これ何から始まっていくのかっていうと神話の中の世界に出てくるんですね。
この神話の中の世界で天皇の猫直径のこの王子様ですよね。
王子様がどこか出かけていくときに出会うのがやっぱり犬だったりするんですね。
そう言われてみればですよ、江戸時代にあった滝沢馬勤先生の南総里見八犬伝っていうのは犬がモチーフになった物語だったなっていうこともあってさ、
すごいファンタジーなんですけども、犬と人の関係性ってすごく深かったよねっていうことがわかります。
猫の歴史と役割
それでですね、確か平安時代だったかなぐらいになるとですね、その貴族かな、その天皇だったかながですね、黒猫を飼っていたっていう記述が残っておりまして、
それが日本のかなり古いところの確実にあったであろう人と猫との関わりの記述なんですね。
そこら辺から始まっていったんですけど、エジプトの方で猫を飼っていたとか猫をですね、一緒に暮らしてたっていうのは何でそんなことが始まったのかっていうと、
どうやらですね、家畜として猫を飼っていたっていうことがあるんですね。
今みたいにさ、ペットとかいうじゃなくて家畜だったんですね、あくまで。
この家畜って何をしてくれてたのかっていうと、なるほどなと思いました。
穀物を守るために猫を放しておくっていうことだったんですね。
穀物をですね、倉庫とかに蓄えておくと、どんどんネズミが食べに来るっていうんですね。
そのネズミを引っ取られて欲しいっていうことで、猫の力を借りていたっていうことがあったそうです。
昨日、食卓の上でもですね、会食の中でも猛ちゃんに話してくれた人がいて、まさに猛ちゃんがやってることは今これなんですけど、猫農法っていうのがあるよって言われたんですね。
猛ちゃんの今住んでいる集落は、地域猫がめちゃくちゃいてですね、猛ちゃんの畑の中にも住み込んでいる猫ちゃんたちがいると。
猛ちゃんたちもちょっと可愛がって面倒を見たりもする子たちなんですけど、ある時ね、ネズミのミイラをですね、献上してくれたんですよね。
玄関のところに置いといてくれたりとか、あとすごいカラフルな鳥をですね、献上してくれたりとか、もうお亡くなりになった形でね、玄関に置いといてくれたりとか。
あと蛇ですね、びっくりしたけど、マムシが体が真っ二つになって置かれていたりとかしていて、何してんねんって感じだったんですけど、そらにゃんプレゼントだったんですね。
これいつもお世話になってくるからあげるよっていうことを言ってくれたのかなって思ったりもするし、もしかしたらこれ褒めてって言ってくれてるのかもしれないなって。
これは僕の文脈です。僕の勝手な妄想なんですけど、褒めてって言ってくれてるのかなって思ったりもするんですけど、こうやって解釈ができるのが人ですよ。
だからお互いに感謝し合ってるのかなって思ったら、猫がここに、猫ちゃんたちがここの畑にいてくれるのはありがたいことかと。
そうやって実はネズミたちを取ってくれてるのかなと思うといいかなと思いました。
この間まで僕の家の屋根の裏側でなんかコトコト音がするなっていうのがあってね、どうやらネズミたちがいたんだなってことがわかるんですけど、それらも猫がなんとかやってくれたのかなってちょっと今思っているところがあります。
さあさあ泣き顔、泣き笑い顔、ほんとそんな感じですよ。
もうね、プレゼントいらんけどなって思うんだけど、でもまあ猫ちゃんたちからのプレゼントを僕たちにしてくれていることなんだなって思うんですよね。
これのね、猫農法っていうらしいんです、どうも。
他の畑たちは猿とかにやられているっていうことがあるらしいんですけど、どうも猫ちゃんたちの畑は守られている。
なんでかなと思ったかというと、たぶん猫ちゃんたちがそこを縄張りにしてくれてるから守ってくれてるんだろうなっていうことがわかってきました。
これまた日本の話に戻すとですね、日本でなんで猫が飼われるようになったか、大事にされるようになったかっていう、これ結構興味ありません?
犬はなんとなくわかるけど、なんか猫ってなんでなんだろうって。
猫はね、こういう理由があるんだそうですね。
中国の方から紙がどんどん入ってくる。
紙が入ってきて様々な文書がどんどん日本に蓄えられていくんですけど、その文書たちがネズミによって食べられてしまう。
紙を食べられてしまうなんてことがよく起こった。
その文書を守るために猫たちが活躍したっていうことがあるんですって。
これ面白いなって思いましたね。
これも僕すごく心当たりがあって、お米袋っていうのがあってね。
多分スーパーに行くとお米ってビニール袋に入ってて、ビニールの袋に貼ってパッケージングされてると思うんですけど、
農家さんたちで出荷するときってあんまそういうことじゃなくて、紙のお米の袋に入れるんですよね。結構丈夫なやつ。
そこに何キロも入れるんですけど、そのお米の袋を来年使おうと思ってしまっておいたらもう穴だらけになってたんですね。
間違いなくネズミの仕業だろうと。ネズミたちはそれを噛みちぎると。
しかもその米袋の中にちょっと残っていたお米数粒を狙っているというようなことがあってさ。
すごく僕も馴染みの深いことですよ。っていうようなことを守るために猫たちを飼っていた。利用していた。
猫農法の実践
なんていうのが人間と猫の日本人との始まりだったんじゃないかということなんですね。
面白いですよね。
こんな歴史があってさ、僕たちもまたその頃から動物たちと心を通わせようっていうか、
自分たちの役に立ってもらっているからこそ、その動物たちに報いていくっていうような文化っていうものは背景として持っていたんだろうなっていうことを思うんですね。
どういうことかっていうと、例えば猫ちゃんたちがやっているようにさ、猫ちゃんたちにご飯をあげるよって。
そしたら猫ちゃんたちが守ってくれるよ。守ってくれたらネズミとかヘビとかを献上してくれるよみたいな。
そんななんかこういう循環があってさ、うまくやってたんだろうなって思うわけですよ。
ちょっとだけ言ってた農家さん、ビニールハウスの中にたくさん猫がいましたよって、これあえてやってたんですかね。
あえて猫を放してたってことですか。
すげー、これビニールハウスの中で猫を放すってすごい勇気だなって僕は思っちゃったんですけど。
でも猫が守ってくれることもあるっていうことですかね。
すごい、あえて話してたのかな。すごいな、これ面白いですね。
ありがとうございます。ぜひもしよかったら教えてください。
農家さんはあえて話されていた、そういう農法をされていたっていうことなんですかね。
そういったことがあってさ。
山の中で獲物を獲ったりした時に獲物を獲らせていただいたら、ちゃんとそこに穀物を置いていくなんていう風習が昔はあったんだそうですね。
奥山に入っていって、鹿をゲットしたりしたらですね。
打ち取ったらそこに何か穀物を置いてって、ありがとうっていう気持ちを置いていって。
そしてその仕留めた獲物を引きずり出し下ろしていくと。
その穀物は残された鹿さんたちが食べていく。
鹿の子供とかが食べていくのかもしれませんね。
そしてまたやがて大きくなっていくなんていうような、こういうサイクルが営みというものがあったんだそうです。
これって何も動物たちだけではなくてですね。
こういう言葉が残ってるんですけど、お礼肥料っていう言葉が残ってるんです。
植物とかですね、作物、木とかですね。
こうやって果樹園、果物とかでいっぱい取った後、この間僕山椒の仕事をさせていただいてるんですけど。
山椒の実を取った後に、取った後にお礼肥料とかおかげ肥料っていうのかな。
そういうふうにして肥料を置いて、そのシーズンの仕事が終わるなんていう、こういう営みというか方法があるんですね。
もちろんこの肥料をあげるっていうことは、実をもがせていただいたお礼もあるし。
実を作るとか実を剥がれるとかもがれるっていうことは、きっと木にとってすごく疲れること、ダメージがあることなのかなっていうことでね。
だからこそ肥料を置いていくんだなんていう、そういうですね、人と植物との営みやりとりっていうのがあるなあっていうことを思うんです。
そこに何かこの言葉っていうものが介さなくてもですね、何かこの心遣いみたいなものがあってさ。
その肥料っていうものが、よくあるのは化学肥料だからさ、置いて思ったりとかすることもあるんだけど。
でもこのきめ細やかな心遣いっていうのは、人が木に対してやれることの一つなのかなあなんていうことも思ったりとかして。
無限にできるものじゃないなと、あんに否定できるものではないなあなんていうことも思ったりするんですよね。
動物とのコミュニケーション
はい、というようなことがありました。
毛ちゃんが、かつてですね、ある人に言われたんですよね。
毛ちゃんって動物の声がわかるんだね、なんていう言葉を言われたことがありまして。
これね、僕が昔メンターと仰いでいた人だったんですけども、いなくなっちゃってね、お金だけ持って行っちゃったんですけども。
そういう人がおりまして、毛ちゃんにそんな言葉をかけてくれた。
俺は全くその動物の言葉はわからんよっていう話だったんですけど。
毛ちゃんがその動物の言葉がわかっているのかどうかって言ったらちょっとわかんない、本当に。
でも動物から好かれる体質ではあるなっていうことは毛ちゃんは思ってて、自分のことをね。
来てくれることが多くってすぐ懐いてくれたりとか、そばに来てくれるっていうことが結構あるなあなんていうことはあるんですけども。
だけどその時に言ってくれた言葉があってさ、でも毛ちゃんは多分その動物の言葉を本当に理解してるのかどうかって言ったらちょっとわかんないんだよね。
さっきも言ったように自分の都合のいいように解釈しちゃってたかなあなんていうことも結構あるからね。
あ、そらにゃん、わーっていうこのホームアローンのマコーレカルキンみたいな文句の叫びみたいなマークありがとうございます。
お金を持って行っちゃったってやつですか。
この話はまたね、いつかしたいと思いますけれども結構ね、高額なものを持ってどっか行っちゃいました。
でもね、その方から学ばせていただくことはかなりあったなあと思っておりまして。
いいんですけど別に、今となってはですけどね。
でですよ。
動物とのコミュニケーションの探求
僕がなりに都合のいいように解釈をしながらのコミュニケーションだったなって思ったりもするから、その動物にどれだけ寄り添えてたかなあなんていうことはあるんですけれど。
でもそんな自分は言葉がわからないと思っている、そんなふうに言うことができているというかですね、奢ってないっていうことですよね。
自分自身で過信をしてないっていう自分だからこそ、機能みたいな話、つまり話せばわかると思うからとか、動物とコミュニケーションとってみようと思うとか。
ここは動物たちに借りている場所であって、自分たちが動物たちに貸している場所ではないんだとか。
そういったきめ細やかなですね、心遣いっていうものが昨日感じられたかなあなんていうことがありましたよということでございました。
はい、いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださった方、ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
いかがだったでしょうか。
今日はね、鈴木俊隆先生の僕には鳥の言葉がわかるっていうね、有名な本の一節からちょっとパロディをさせていただきまして、僕には鳥の言葉はわからないならっていうね、わからないけど、わからないからか、そういう話をさせていただきました。
わからないからこそですね、何か心を通わせたいなとか、言葉を受け取りたいなとか、気持ちを何か分かりたいなとか、もう本当に人間にはわからないような感覚めいたものをいっぱい持っているんだと思うんですけれども、それをできる限り感謝しながら毎日を過ごしていきたいなっていう最後、月並みの言葉で終わっちゃうんですけど、そんなことを思った次第でございます。
ありがとうございました。
さてさて、このこだまこまちプロジェクトでは、今メールマガジンを大絶賛配信中でございます。
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こんなこだまこまちプロジェクトはですね、ファンタジー作家であるモーちゃんがこうやって配信をさせていただいておりますけれども、こういうね、こだまこまちの裏側が分かっていくと、もっと会議、何が話されているのかとか、どんなキャラクターが作られているのかっていう、結構そういった実際のところをね、見ていただくことができると思いますので、よろしければご覧いただけたらと思います。
すずさんこんにちは。ゆっくりしていってくださいと言いたいところなんですが、これにて配信を終わりたいと思います。またよろしければアーカイブ聞いていただけたら嬉しいです。ありがとうございました。
ということでお時間をいただきありがとうございました。お相手はこだまこまちプロジェクトのモーちゃんでございました。またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。あなたとあなたの大切な人に森の精錬のご学が訪れますように。あ、すずさん今熊野大社さんの境内にいるよ。お、いいところにいらっしゃいますね。いいことありますように。ありがとうございます。さあさんありがとうございました。そらにゃんもありがとうございました。