1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. 【あんぱん最終回】「つくる」..
2025-09-26 50:20

【あんぱん最終回】「つくる」が失われた世界に「つくる」がとりもどされたなら

 🌅 朝ドラ『あんぱん』最終回 ― 物語の幕が降りるとき
 📖 柳瀬隆が遺した言葉と、時代を超えるメッセージ
 👐 「つくる」とは何か ― 人の営みの根源をたどる
 🔥 失われかけた「作る力」を再び灯す
 🎨 創作の喜びが心を解き放つ瞬間
 🌾 作物と近代化のはざまで見つめ直す暮らし
 🔍 「作る」を再発見する旅路へ
 ✂️ 子どもの造形遊びに宿る未来のまなざし
 🔶 形を生み出すことが心に刻む意味
 💡 クリエイターとして描く「わたし」の表現

【こだまこまちメルマガ】
https://242694207.hs-sites-na2.com/codacoma
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6507b36381469ca10d6df5c2

サマリー

朝ドラ『あんぱん』の最終回を迎え、柳瀬隆の人生や作品の影響が振り返られています。特に、作ることの重要性が再評価され、令和の時代においてもその価値が見直されていることが強調されています。このエピソードでは、作ることの重要性やそれが失われた時代を経て再発見されたことが語られています。柳瀬先生の教えを通じて、自らの生き方や創作活動に対する情熱が再燃される様子が描かれています。また、「作る」という行為が現代社会から失われた場合に、それを再び取り戻す重要性について考察されています。シュタイナー教育や手仕事にも焦点が当たり、手で何かを作り出すことの意味が語られています。このエピソードでは、「つくる」という行為の意義や形の重要性についても考察され、クリエイティビティが心の風景を形にするプロセスが探求されています。

朝ドラ『あんぱん』の終了
おっすおっす
おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
本日9月26日の夜にライブ配信にてお届けをしております。
いかがお過ごしでしょうか?
今朝ですね、僕がずっと追いかけ続けてきた
全130話の朝ドラあんぱんが最終回を迎えました。
本当にですね、これ見てよかったなって思いました。
あ、そらにゃんこんばんは。
ゆっくりしていってくださいね。
アイコンが前のになってる。
9月27日、28日、京都グループ展参加ということで、
そらにゃんは明日から京都の南端市のグループ展に参加をされるっていうことですよね。
ありがとうございます。
僕も見習って最後までちょっと読んでみました。
名前の後もね、読んでみました。
そうなんすよ。
今日ですね、全部見させていただいたんですよね。
お着替えしてなかっただけなのか。
ね、アイコンね。
いえいえ、ありがとうございます。
あの、そうなんすよ。
で、なんで今日朝ドラのあんぱんを追いかけ始めたのかなっていうのをね、
僕が思い返した時に2つの理由があったんですよ。
この朝ドラのあんぱんっていうのは、皆さんおなじみのアンパンマンの作者である柳瀬隆さんと、
それからのぶさん、奥さんののぶさんを追いかけたドラマなんですけれど、
なんでこれを見ようと思ったのかというとですね、
それは2つあるんですよ。
1つは、僕自身が今高知県に住んでいると。
柳瀬隆さんは高知県出身だということで、すごく親近感を持ってですね、
僕は高知県大好きなので、高知県が舞台のドラマといえば、
もう見なきゃいけないよねっていう感じで見させていただいたっていうことが1つありました。
柳瀬隆の影響とメッセージ
もう1つがですね、もうちゃんが前に勤めていた職場ですね。
小学校で教員をしていたんですけど、そこの校長先生がですね、
僕を雇ってくれた校長先生ですね。
校長は何回か変わってるんですけど、
僕が雇ってくれた時の校長先生がですね、柳瀬隆先生の大ファンだったんですね。
柳瀬隆先生はアンパンマンという作品を通じて子どもたちにその正義を伝えている。
そしてお腹が空いたらアンパンマンが顔をちぎってあげるとか、
こういうのをですね、とにかく伝えているということで、
そしてこれだけ子どもたちに大人気なのでね、
もうね、柳瀬先生はノーベル平和賞だとか、
それから天皇からの始寿宝賞っていうんでしょうかね。
そういうのを授けても良かったんじゃないかっていうくらいのことをおっしゃってました。
それくらい柳瀬隆先生のことを敬愛されていたんですね。
柳瀬隆先生のいつも僕に紹介してくれる詩があったんですよ。
この詩がすごく僕に残ってて、校長先生は断るごとにこの詩を子どもたちに送ってました。
その詩をちょっと読ませていただきますね。
生きているからには辛いこともある。
照る日、曇る日、色々さ。
雨降り、風吹き、そして晴れ。
これが人生、それが人生。
そういうですね、詩があって、卒業生に必ずこの詩を送るんですね。
いやー、しみるなーと思っていた。
僕はこの2つの理由。
高知県にいること、そして校長先生が柳瀬先生の大ファンだったというこの2つの理由からこのドラマを追いかけました。
そしたらね、柳瀬先生の人生を追いかけていくと
この詩の意味、すごく分かった。
戦争に行った、出征したっていうんですよね。
柳瀬先生がそこでどんな経験をされてきたのか、そして何を持ち帰ってきたのか、なんていうことがね、すごい染み込んできたんですよね。
そんな彼はアンパンマンを作るために本当に寝かせたんだよね。
アンパンマンって最初はあの可愛いチャーミングなフォルムではなく太ったおじさんだったんですよね。
その太ったおじさんが今のチャーミングなアンパンマンに変わってきて、そして今アニメにもなっていくんだけれども。
こういってね、アニメにもなるっていうのは本当に晩年の頃だったんですよね。
ずっとずっと作り続けて作り続けてっていうこと。
それでいろんな人にさ、アンパンマンってヒーローっぽくないよねとか、顔をちぎって人に食べさせるとか、顔が濡れて力が出なくなっちゃうとか、
ヒーローとしてカッコ悪いよ、全然強くないじゃん、こんなんでいいのかっていうのをいろんな人から言われて、
言われてもなお自分の中でこの表現というか、自分が伝えたいメッセージっていうのをずっとずっと磨き続けていって、それを伝え続けた。
諦めないでいろんな人の力を借りて、とにかく伝え続けてきた。
アンパンマンのミュージカルがあったりとかしたらしいですね。
作ることの意義
すごいことだなと思ったんだよね。
今日この放送が全部終わって、僕はもうめちゃくちゃいいラストだったなって思ってですね。
僕、このアンパンの脚本家さん、中園さんというんですけども、この方の書く脚本にもすごく嫉妬して、
いやめちゃくちゃ面白いじゃんかって言ってね。
僕がそこで嫉妬したっていうことは、なんかね、僕の中にも、いやこれ書きたいよとか、
これ僕、表現したかったよっていうのがね、すごいあったんだよね。
また思いつかなかったんだけど、うわやられたぜっていうようなところとかね、いっぱいあって、
そりゃプロとアマチュアでね、全然土俵が違うでしょって言われてしまいそうなもんだけど、
しかし、ももちゃんはそこを、なんかすっごくですね、なんでしょうかね、悔しさを感じたんですよね。
お、なっちゃんママさん、こんばんは、ゆっくりしていってくださいね。
スタエフでもカウンセラー始めましたということで、お、そうなんですね。
なっちゃんママさんといえば、これですよね。
あの、アンパンをね、ずっとずっとこう見てくださっていて、
結構ね、配信でも感想をお届けしてくださったなと思ってますね。
ぜひぜひ、今日はね、本当に最終回をですね、迎えてですね、
本当になっちゃんママさんも130話全部見てきたんでしょっていう感じでね、
いやー、本当にここまでよく来ましたね、僕たちね、お互いね。
26週間ですか?あれ、わかんないですけど、確かそれぐらいでしたっけね。
130話、本当によくここまでやってきましたよね。
明日収録配信日です。
あ、なっちゃんママさんのサイクルでは土曜日でしたっけね。
1週間のアンパンの感想を配信されてましたよね、確かね。
ということでね、本当にアンパンの感想配信ということで。
いやー、いいっすね。
ということは今日はアンパンの最終回ということでね、
このタイトルで入ってきてくださったのかなと思うんですけど、
いや、すっごくよかった。本当によかったです。
だけどね、僕本当にこれを見ていて、
たかしとかのぶとか、この登場人物たちの人生模様とかっていうこと以上に、
自分のことがですね、すごく浮き彫りになったというか、
感じ取ることがいっぱいあった、そんなですね、
配信だったというか、ドラマだったんですよ。
まず、この中園美穂さんですね、
脚本家の方にすごく嫉妬したっていうのがまず一つあるんですけど、
この柳瀬先生がなぜこのタイミングで、このタイミングですよ。
令和のこのタイミングで僕たちの前に再びこうやって、
他の役者さんではありますけど、
現れてくれたのかっていう、この意味をですね、僕はすごく感じた。
僕たちですね、もともとはご先祖様たちは、
作る人たちだったはずなんですねって言ったら、
ちょっと何の話?ってちょっと固い話だなって思われるかもしれません。
僕はですね、今子どもたちにですね、
勉強を教えるというか、一緒に勉強するという時間を取っているんですね。
それは学校に行くことを、行かないことを選んだ、
行くことをやめて、行かないことを選んだ、
そういう子どもたちが僕の家族です。
その子たちが勉強をしたいと言ったので、
僕はですね、週に3回から4回ぐらい朝とかの時間を使って、
子どもたちと勉強をしているんですよ。
そこで今日ね、社会科で江戸時代の話になったんですよ。
江戸時代ってどういう身分というか、暮らしをしていたのかなっていうと、
なんとね、85%くらいの人たちが農民だったって言うんですね。
たった15%ぐらいの人たちが武士であったり、商人であったり、
また刀鍛冶とかね、職人さんたちであるということなんですよね。
職人さんたちっていうのは、また作る人たちなんだろうと思うんですけど、
百姓たちもですね、漏れなく作る人たちで、僕たちの先祖様っていうのは、
とにかく毎日何かを作る人たちだった。
それは決して裕福だから作っていたわけではなくて、
貧しいから作るしかなかったっていう、
そういう時代に本当に包まれていた人たちなんですよね。
藁地を自分で作る。
傘は自分で編んで作る。
肩から掛ける実とかも自分で作る。
家も自分で作ったでしょうね、おそらくね。
それから縄なんかも自分で縄し、
それから食べるものですね、こういった農作物っていうのも全部自分たちで作ったでしょう。
こうやって作るっていうことを日常的にやっていた人たちで、
それは確かに貧しさからであったかもしれないけれども、
彼らは作るということが暮らしの中に溶け込んでいた人たちなんですよね。
そして四郎甲将の甲職人さんたちもまた刀を作るとかね、
それからお茶碗を作るとか茶器を作るとか、
そういう人たちがいたことでしょう。
そういう作るということがすごく身近にあった時代があったんだよなって思うんです。
それで現代の方に進んでいきますけど、
近代に入ったあたりから様子がちょっと変わってくるんですよね。
なんかこう世界が機械化されていったような感じがあって、
効率とか出来栄えがいいものっていうのを見ていくようになった。
そうなってきた時に、作るというものが一気に自分たちの暮らしの中からなくなってしまう。
作るということをやる人たちが暮らしなくなってきたので少なくなってくるっていう時代がありました。
これはもうね、機械で作ればみんな同じようにきっちり作ることができるし、
服なんかもバッチリと縫われているわけですし、
そういうのを考えると一人一人が自分の手作業で作るっていうことへの価値っていうのが低くなっていってしまった時代があったんですよ。
だからこんなの自分で作るよりも買った方が安いよとか早いよとかいいよとか、
そういう時代がね、あったでしょ。
そこからまた僕たちは作るっていうことを楽しめる時代が、
この令和の7年からこの時代にまたやってきたんだよっていうことを教えてくれるために、
やなせたかし先生はもう一回この朝ドラというところで僕たちの前に現れてくれたんじゃないかなっていうのがすごく思ったんですよ。
それがすごくね、今日僕が思ったことなんですよね。
それはモウちゃんの人生のタイミングなのかもしれないけれども、ずっと私は作ってきたよ、僕は作ってきたよっていう人たちもいるかもしれないけれども、
本当に作るっていうことの意味とか意義ってすごく広くて、作るものって多くて、絵を描くとかも作るですよね。
それから何かこう椅子を作るとかもそうですよね。
料理をすることも作るですよね。
あとはお話を作るっていうことも作るですよね。
作ることの重要性
意味を見出したりするっていうのも作るだと思うんですよ。
だからここにね、自分のことを深めていくとかそういうことをやってきているそらにゃんや、それからなっちゃままさんはカウンセラーさんでもあられますけれども、
そうやって自分の心の中にダイブしてですね、そしてそこで意味を紡いでいくっていうこと、これも実は作るの一端なのかなっていうことを思うんですよね。
しかしそうやって作るっていうことの意味とか幅ってすごく広いんだけど、
本当に僕たちが作るに没頭してきたのかっていうと、実はそうでもなかった時代はやっぱりあった。
だって自分の人生でもエスカレーターに乗っかっていけば何とかいいでしょうっていう時代もあったしさ。
それからやっぱり学校に通うっていうことの中に、子供たち、僕一度こたちは通っていませんけれども、何だかここに通っていればいいでしょうみたいなこととかさ。
僕、大学を作ったことがあるんですけど、市民大学なんですけれど、その時にですね、そのいわゆる一般の大学ではなくて、その市民大学に入りたいって言ってくる人たちがいた。
その人たちはどうしてなのかっていうと、大学を行くということに今のところ意味が見出せなかったから、こちらの市民大学に通うことにしましたって言ってくれたんですよ。
僕の作った大学は、暮らしの芸術大学という大学だったんですけど、日本中を旅をしながら自分の暮らしを作っていく、自分の暮らしを学んでいくっていうそういう大学で、私はここに学んでいきたいんだって言ってですね、来てくれる人たちもいました。
こういうふうにようやく最近になって、最近って言ったらちょっともっと幅が広いんですけども、久しいと思うんですけど、自分の生きることとかの暮らしを作っていくとか、人生を作っていくとか、その幅がすごく広がっていったのかなっていうのがあるんですよ。
そんな中でですね、実はこの近代のあたりから作らずに買ったらいいよっていう作ることが失われてしまった多分数十年っていうのがあって、そして今令和の時代に来て、もう一度こうね、自分で生きる生き方を作っていきたいっていうところから始まって、何かこう作品を作っていきたいとか、
そういうことが始まっていったんじゃないかなっていうのを思ったんですよ。だから柳瀬先生が僕に今回教えてくれたのはね、本当にいろんなことを教えてくれたんだけど、その中の作るということに関して言うと、いくつになってもね、いくつになっても何歳だって構わないんだけど構わないと。
創作の楽しさ
でも自分が作りたいって思うものを作りなさいって、そんなことをね、言われたような気がした。で、それはそのあなたが作りたいって思うものを作ってくれたら、それが人を喜ばせることにつながるからって、そういうふうに言ってくれたような気がするんだよね。そうなんですよ。
はい、それでね、今。
そう、なっちゃママさんありがとうございます。創作活動の大切さを学びました。
なっちゃママさんもそうですか。今回のね、アンパン柳瀬先生、柳井隆先生からですね、学んだこと、やっぱりこう創作活動ってこんなにも大切で、そして人を惹きつけて夢中にさせてっていうものがあるんだよねっていうことをすごく思ったよね。
でね、あの僕もさあすごくそれ思ったんですよ。で、もーちゃん自身のことを言うとすごく消費者だったんですよね。こういったドラマとかコンテンツ、ゲーム、アニメ、映画、ドラマ、こういうものは。
あ、ういさんこんばんは。ありがとうございます。パタパタということでお待ちしておりました。時間の許す限りゆっくりしていってくださいね。ありがとうございます。
えーと今日は朝ドラアンパンが最終回だったよねっていう話から発展をしております。えー、もーちゃんはですね、とにかくこういったコンテンツを消費する立場だったんですよね。もう本当に大好きで大好きで。
で、東京にいた頃はね、もう最高でしたね。その映画館が近かったからさ、ほんと近かったからさ、仕事が終わってからさ、ちょっと映画見に行こうかっていうこともやってたしね。
とにかくこう行って、あの映画を貪るように見させてもらったりとかもしてたしね。もう本当にこれも消費だよね。あとは動画とかもいっぱい見たし、アニメ、漫画とかもいっぱいいっぱいこう消費してたんだよね。
あ、お互いにご挨拶いただいてありがとうございます。嬉しいです。ありがとうございます。そう、こうやってこういう関係を作っていくっていうのも作ることだと思うんですよね。そう、そうなんです。僕は本当に消費者一変等の生き方をしてきたんだなぁということだったんです。
で、まあ昨今になって、何だろうな、いろんなことがこう自分でできるようになってきたのかなぁと思うんですよね。あの例えば今僕はアニメを作っているんですけれど、このアニメが僕たち一般人が作ることができるような技術が今ここにもう降りてきてるんだと。なんか市民化、民主化されたんだと。
一般大衆向けになったんだっていうことがすごくて、あの憧れだったね。本当消費者になるしかなかった。そうやって評論家になるしかなかったって言ったらいいのかな。あれは面白かった、あれは面白くなかったみたいな風に。
ともすれば評論家になってしまいそうなこの消費者であったモーちゃんを今回この令和の時代にね、こう作る側に、生産者側に回してくれたんだって思うんですよね。で、柳瀬先生のこのね、作るということに人生を捧げた彼の生き様っていうのを学ばせていただいて。
モーちゃんやっぱこう作るっていうことをずっとしたかったんだなあっていうことを改めて思いました。
モーちゃんは実はコーチングでずっと継続で受けていたことがあって、それはモーちゃんのお師匠様なんですよね。僕がコーチになるためにですね、いろんなことを教えてくれたお師匠様がいて、そのお師匠様と継続のセッションをずっとしてきたっていうことがありました。
この継続のセッションをしてきた時に、モーちゃんはこれからどんな人生を送っていきたいのって言われました。その時に僕が答えた言葉があって、それはね、これだったんですよね。
作るっていうことをやりたいって言ったんですよ。1年後、どんな感じでその今年1年を締めくくりたいですかみたいなことを聞かれた時に、ああ今年は作ったなあっていうね、この締めくくりをしたいって言ってたんですよ。
なんですが、モーちゃんが本気で作り出すっていうことはほとんどしてこなかったよね。僕作ってたものっていうのは多分授業だったんですよね。学校教員をしてたから毎日本当に授業を作ってたんだけど、この授業っていうことじゃないなんかこう芸術というか文芸というかなんかこういうもので、僕これすごく楽しんで作ったんですって。
このやっぱり楽しく作っている人たちへの憧れみたいなものがすごくあったんですね。すごくあった。これをね、僕はずっとずっと追いかけ続けてきたんですよ。だって作っている人の表情って真剣でかっこいいじゃん。楽しそうでかっこいいじゃん。悩んでいる時もだってかっこいいじゃんって思ってたんだよ。
それでその人が世界観を持っているって素晴らしいなって思ってて、モーちゃんはその世界を自分でも作ってみたいってここまで思い続けてきたんだよね。
それでこだまこまちプロジェクトというものが立ち上がって、少しずつ少しずつキャラクターができて、仲間ができて、そしてキャラクターができてきて、そしてこれが話もできてきて物語もできて、世界観が整ってきたところでアニメっていうものを作れるようになったということでね。
この時代だからこそ僕は柳瀬先生っていう人すごく思った次第なんです。今日の7時、もう19時ですよ。先ほどだったんですけどね。
アマチュアの人がアニメを作ってみました。一本AIでアニメを作ってみました。そのアニメが僕たちにですね一般向けに公開をされるっていうことがあって6分7分ないぐらいのね6分ちょっとの映画だったんですけどアニメだったんですけど。
作物づくりと近代化
それをねずっと楽しみにしてました。僕はね内心悔しいなって思ってたんですよね。いやーそれ僕がやりたかったよって思ってて今僕もやってるからいやーと思ったんですけどやっぱりその彼の方が早くてさ。
先行されたなーってで見たらさやっぱすごいクオリティであのすごい勉強されたんだなっていうことが道筋がすごくわかった。
基本というかそういうのに本当に忠実にしていって素敵な一本のアニメっていうのが出来上がっているっていうこの現状を目の当たりにしていやー悔しいなって思ってでも僕だってやるよって僕だって作るよっていうのをねすごくこれをね固く胸に誓ったそんなですね今日の夜だったんです。
だから朝アンパンで柳瀬先生からあたかしさんからとのぶさんから勲童を授けていただいてそして夜まあね本当に勝手ながらですねもう全然日にもなんないぐらい相手はすごい人なんですけどももうクリエイターさんのですねあの作品を見てぐぬぬぬぬってなってそして今もーちゃんは今日ですねすごいですね。
あのね思ったんですよねこれだってやってやるぞ俺だってやってやるって思いました。
はいうわぁ嬉しいなぁ本当にありがとうございますそう本当にできるだからねあのね僕ちゃんとこのスタイフで報告しますから
そらにゃんなっちゃままさんそしてういさんあの僕一本作りたいものができたらちゃんと報告をするのでぜひ手に取っていただけたら嬉しいなって思います
はいそうですね
なっちゃままさんは今本書いてんですね
すげーういさんみんなすげーってすごいですね
なっちゃままさんは何について書かれているんだろうね
いやー僕も手に取りたいですいいなぁ
あのなっちゃままさんぜひぜひねエイルを交換しましょうよ
もうちゃんも今アニメを書きながら本を一冊書いているところなんです
もうちゃんが書いているのは物語ですファンタジーの物語なんです
この物語を書き上げたら今度この物語をアニメ化したいっていう思いがねあって
お互い本を書くっていうのはねなかなか体力勝負だなと思うんですけどもどうですかなっちゃままさんは執筆は進まれてますか
これさ本を書くっていうのはまあねどうしても机に向かない向き合わないといけない時間があったりとか
ちょっとね多めに時間を余白を作らないといけなかったりとか
あとさあなっちゃままさん今検証演ですよって大丈夫ですかっていうかあれペンで書いてる鉛筆で書いてる
ちゃんとタイピングしてますどうやってるのどういうこと検証演相当書いてますね
パソコンで書いてるパソコンで書くのもタイピングもなんかね検証演になるって言いますよね
すげーってことは止まらずにダダダダダダダダダダダダダって北斗の剣の剣士郎並みの速度で打ってるってことですかね
モモちゃんはね今ちょっとお休みをしちゃってるところなんですけどそろそろまた筆を取るよ筆を取ると言ってもパソコンを開くっていう感じなんですけどね
お互いやりましょうよ本当になっちゃままさん応援してますからぜひ僕のことも応援してください
ういさんものを生み出せる人尊敬しかないキラキラキラキラキラキラキラってね
いや本当ねこのものっていう形のあるものっていうこともあるしあとやっぱこの時間とかさあと食べ物とかさお料理を作り出すっていうこともあると思うんですよね
なっちゃままさん応援しておりますということでありがとうございます嬉しいです
元気100倍です
あの今僕は自然の力を借りて今日もですね畑をやってですね作物を作ろうっていうことをしてたんですけど
その作物1個とってもですねやっぱりこの近代化した以降の話は企画がバッチリ決まってて自然のものなのにも関わらずなんだかみんな同じ大きさの人参だったりみんな同じ大きさのピーマンだったりね
作ることの再発見
それはね同じ大きさにならなかったものもいっぱいあってそういうものは省かれているんですけれども同じものが全部整ってスーパーに並んでいるなって思っていましてそういうことの作るっていうこともあるかもしれませんが
大きさも形も全部不揃いです不揃いなんだけど無農薬無肥料無農薬であってますよということでね自然栽培自然のそれから有機栽培みたいな形でやらせていただいているんですけれども
まあまあこういうものも実は自然の力を借りて作っているっていうことなんだと思います
野菜を作るっていうことも作るだと思うしね意味を作るっていうこともあるし時間を作るっていうこともあると思うんですよだから作るってすごく幅広いことなんですけど
僕たち今令和の時代でもちろん生活がね物価高とかで苦しいとかいろんなことがあるかもしれないけれども昔の江戸時代のですね貧しさとかと比べたらそうでもない時代に今生きているよねっていうことこういう時代にもう1回この作るということが僕たちの暮らしの中に入り込んできているんですよね
で僕たちはその作るっていうことをどこの多分自分の人生において作るっていうことがない人なんていないと思うんですよねすべてがやっぱり消費だけで進んでいるわけじゃなくって何かしらをやっぱり作り出してると思うし何かしらを作りたいと思って生きている人たちは多いんじゃないかなって思うんですよ
ちょっと最後綺麗にまとめようとしちゃってますけれどもね何かこう何かをこう作る作る作る作る作るっていうことが僕たちの暮らしの中の一端にでも入ってくるとなんかこう僕たちの毎日って一つ彩られるのかなっていうのをね思っている次第でございます
なっちゃママさんそうですか不揃い野菜大好きです嬉しいなぁ
亡き父と畑してましたなっちゃママさんそうなんですねお父様と畑をされてたんですね
いやこれさ自分で畑を一度でもしたことがある人だったら分かっていただけると思うんですけどあんなさスーパーで売っているような形の野菜なんて難しいよね本当に何であんな形になるのって今日僕人参ちょっとスーパーで買いましたけど嘘でしょって何でこんな形になるのって
いや僕のに畑で取れた人参って足が生えてますよ
二股になってますこれ何で二股になるのかっていうと土の中にですね石とかがあるんですよねずっと人参が二手に分かれてその石をまたぐようにしてですね
足がですね伸びていったりするんですけどこの石とかも全て取り除くっていうことでねまあなんか工業製品じゃないんだからみたいな感じで思ってしまうこともあるんですけれども本当に不揃いの野菜っていうのも一つ一つ形が違って何かそれに出会うのも楽しいなって思ってねおりまして
はいそうそうなんかそんな感じを思っております
はい本当ですよねこのスーパーのね何なんだろうあの人参の綺麗さっていうか揃い感何なんだろうなって思ってね
今日5本入りの人参の一パック買ったんだけど全部同じ大きさでびっくりした
そんなバカなって思いましたけどね
はいということでね今日はアンパン最終回ということに寄せて作るが失われた世界に作るが取り戻されたらっていうね話をお話しさせていただきました
いかがだったでしょうか本当にね今日はねアンパン最終回ということで役者さんの皆様そして僕自身もですね nhk の朝ドラの撮影に加わったことがあるので狂うとしてあるのでわかるんですけど本当にたくさんのですね人たちの手がそこに関わっておりましてその人たちのですねまあ苦労というものが一つ実った瞬間だったよねと
そういうことだよね
ういさんありがとうございます
シュタイナーの手仕事を体験するとき手は一番役に立つ道具って言葉が出てきます
はいはい手で触れること手によってものは生み出されるのかなと今思いました
そうですね
シュタイナー教育とかねありますけども
手仕事っていうことをその教育の中に取り入れているんですよね
教育と言っていいのかわからないですけれどもその中でねこの手は一番役に立つ道具
手はいろんなものを作ることができるよっていうことなんですよね
本当に本当に手がこう指が5本あって手先が器用に使えるっていうことの人たちだけじゃないと思うんですけれども
そんなこういろんな意味を込めてだからその人にとっての手っていうのはきっと手じゃない可能性もあるんですよね
きっとねなんかその人の例えば足かもしれないし何だろうこの胸かもしれないしお腹かもしれないし
なんかねこう目だとかはねその鼻とか口とかそういうことなのかもしれない
何だろうその何を使って作り出していくのかっていうことは本当にこのね
シュタイナーの時代から今の時代にいろんなことがコンプライアンスとかいろいろありそうなんですけれども
本当にねその人にとっての手っていうもの手っていうのがやっぱり鍵かっこで手っていう感じが僕はなんか最近しているんですよね
造形遊びと教育
だから何ですかね今世界陸上をやっててさ100メートルを走り抜けて記録を作り出す人にとって何か生み出す何か記録を作るのは足が手だったりするということもあるのかななんて思ったりもしたりね
するんですよね
アウィさんなるほどということでありがとうございます
共感いただいてその人にとっての手っていうのがなんかすごいいろいろですよね
本当に手工業っていうね手のそのねなんか使っていろいろ作っていくというものがありますけども
本当にもう体全部で作っていくっていう時代が今本当にあるんだろうなーっていうことを体感していますよね
音楽を作る人は耳で作っているかもしれないしね
なんかそんな感じが思いました
私の手は何だろうなということで
ありがとうございます
本当そうですよね
これでもうちゃんにもその質問返ってくるんですけど
もうちゃんにとっての手は何なんだろうなーってすごく思いますよ
俺は手は心とかっていう言葉もありますから
これは心はどこにあるのかっていう話にもなってくるのかもしれませんね
心は自分の本当に体の中にあるのかわからないしね
もしかしたらちょっとそのなんていうか
この空気が心なのかもしれないとかよくわかんないこと言ってますけども
なんかねそういった方が哲学になっちゃいますけども
その人にとっての手っていうものがあるよなーって思いました
今日ですねお客さんが一人家に来てくださって
パートナーのピラティスのレッスンを受けてくださったんですよ
その方がねその僕がね薬膳料理薬膳をやってるってことを知ってて
薬膳すごくモーチャー流行ってますよねって
幸せは食べて寝て待てみたいなドラマありましたよね
僕は見てないんですけど
あれがものすごく皆さんの価値観を変えたようで
やっぱ食事って大事だよねっていう話から
薬膳の本を買ってね
食事を気をつけてます改善取り組んでますみたいな人たちが
私の物にいっぱいいるのよみたいなことを言ってくださいました
本当にすごいなと思いましたね
その時にそうかと僕は今ね
その料理を提供するっていうことは許可的にまだ難しいんですよね
例えば厨房を作らないといけないとか
そういうことの保健所の許可とかですね
そういうのが難しいんだけど
もしかしたら薬膳教室だったらすぐにできるのかなと
これね人と一緒に作ると
いろんな許可を吸っ飛ばせるっていう裏技があってですね
料理教室とかっていう風になると
許可がすごく軽くなるんだって言うんですね
そんなことを考えると
あれ僕が今実はできることって
薬膳の作り方を一緒にやっていくことなのかな
なんてことをちょっとふと
さっきそんな未来がパッと見えたというか
そんな話題になってね
あるのかこれの未来はみたいなことがですね
ちょっと見えたところもありました
本当に今日は作るというところが
こんなところまで話が飛んできましたけれどもですね
作るっていうのはですね
すごく意味は広くって
僕の友人というか一緒の仕事仲間だった人がですね
学校の先生やってた人なんですけども図工の
その人が本を最近出しまして
作るをほぐすっていう本を書かれたんですね
その方がやられてきたこれまでの授業とかが
いろんなことが書かれておりまして
作るってすごく単純なことなんですよって
例えばここにある新聞紙
この新聞紙をできる限り長くしてください
って言われた時にどうしますかって
その時に人は作ることを始めるんですって
新聞をとにかく細く細く細く細く
千切りながらでも切れないように千切りながらですね
やっていく
一本の紐みたいにしていって
それをテープでいろんなところにね
ちょんちょんちょんちょんと貼り付けていって
時にはまっすぐ時にはカーブさせて
時には天井に貼り付けて
時には床に貼り付けてみたいな感じで
その教室中を新聞紙の糸で張り巡らす
これは何をやってるんだろうと
本当に図工の時間なのかなみたいなことだったんだけど
それってすごく意味のあることで
実はその学校でね
このことを教えましょうって言われている
学習指導要領の中にも
こういう遊びをしましょうねっていうことが言われているんですって
この新聞紙1枚で創意工夫をして
遊びをしていく
何とか遊びですね
ちぎって遊んでいくとか
そういうことをしましょうねって言われてるんだけど
実は僕たちほとんどの人たちが
学校の世界を通じて
これをやってきてないんですよね
やるようにと書かれているのに
やってきてないっていうのは
一体どういうことなのでしょう
というと実は先生たちも含めてなんだけど
そういった遊びの中で作り出すっていう経験を
僕たちはしてきてない
または忘れてしまった
または価値観が書き換わってしまった
みたいな
そんな時代に僕たちは生きていて
やっぱり綺麗に作品を作り出す
なんかこの子にね
一つのなんていうかですね
粘土だったら粘土で
いろんな人の人形とかさ
動物のさ形とかを作って
そこにタイトルをポンと付けて
そしてこれは私が作った作品ですと
名前を入れて出す
こういうパッケージング化された作品というものの
作るっていうことを
すごく価値を持ってやってきている
だから1年生の時からね
もう本当に絵を描くって言っても
タイトルを付けさせるんですよね
名前を書いてタイトルを付けさせて
そして皆さんが同じテーマで絵を描いていく
みたいなことになっていくんですけれど
そうではない
本当にこうね
なんかそうそう試験にも出ない
本当にお金とかね
そういう商売にも
もしかしたらならないかもしれない
そんな造形遊びだ
造形遊びって言うんですけど
こういうものっていうのを
実は作るっていうことの
本当に一番最初のことなんですよ
っていうことを言ってくれている
そんな本なんです
長かった
はいはいはい
そう作るですよ
ういさん作る
作るっていろんな言葉がありますよね
漢字がありますよね
そうそうそうそうそう
工作の作もそうだし
形を作ることの重要性
造船の造もそうだし
それからこのね
何ですかね
作るっていうね
この創造するっていうこともね
作るっていうこともそうですし
本当に作るっていうのはいろんなこと
意味合いがありますよね
僕がですね
最近ちょっとテーマにしているのが
これなんですよね
形なんですよね
形を作るっていうことなんですけど
その形はこの字を書きます
はい
造船の造っていう形ですね
これは造か
ごめんなさい
こっちだね
造船の造を書いて
これか
これですね
この人面に造船の造ですね
これをですね
僕はすごく形ということで
こだわっているということなんですけど
これはやっぱり印象とか
心象とか
そういうふうに言うと
心の中に映った風景とか
っていうことなんですけど
その自分の中にあるこの形
これも形って読むんだよね
形を外に出していく
造船の造だね
これで形って読むね
造形の造だもんね
だけど人面をつけると
意味がわかってくるよね
っていう話だ
そうですね
そんなことを思っているんですよ
だから本当にテクニック
小手先のことだけではなく
すごくここまで耕された
心のこととかっていうことが
何らかの形で
例えばなっちゃままさんの本という形で
世に送り出されるということも
あるかもしれませんし
その本の中身だって字なのかもしれないし
それから絵なのかもしれないし
写真なのかもしれないし
いろいろあると思うんですけど
もうちゃんはですね
以前写真を本に
載せていただいたことがありました
これですね
キャリアに役立つビタミンサプリ
っていう本だったんですけれど
その本の中で
僕は写真家として出たんですよね
特に別に僕写真の仕事を
してるわけじゃないんですけれど
自分が見てきた
田舎の風景の中でも
やっぱり飛びっきり
自分の心を明るくしてくれたな
ほぐしてくれたなというものを
写真に収めて
それを本に表させていただいた
っていうことがありました
やっぱりこういった風な
僕にとっての今の作ること
クリエイターとしての
ことっていうのは
自分の中にある心の風景
というものを
いろんな形に織り込んで
造形し直すというか
いろんな形に作り変えて
そして送り届けるという形なんですよね
ということでちょっと話が
長くなってきているので
クリエイターとしての表現
今日はこの辺にしたいと思いますけれども
それぞれの作るということ
そしてそれぞれにとっての手ということ
これは一体どういうことなのか
何なのかっていうことを
それぞれの持ち帰っていただいて
またお話しいただけたら
嬉しいなと教えていただけたら
嬉しいなと思いました
なっちゃんママさんありがとうございました
先ほどもお礼言っていただいたのに
長くなりました
ということでありがとうございました
今日コメントを送らせたのは
そらにゃん なっちゃんママさん
そしてういさんでございました
今日も素敵な一日になりますように
あなたとあなたの大切な人に
森の精霊のご学校が訪れますように
ぱたぱた ありがとうございました
こちゃこちゃ ありがとうございました
コメントできず全然大丈夫です
ありがとうございました
おやすみなさい
50:20

コメント

スクロール