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オスオス、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
4月2日、夜に収録しております。
いかがお過ごしでしょうか。
いや、もおちゃん結構今、立て込んでるんですね。
何をやっているのかと言いますと、
引っ越しなんですよ、引っ越し。
実はね、今月ね、2本の引っ越しを抱えております。
どういうこと?って言うとですね、
まず、もおちゃん自身の引っ越しが1つ目です。
もおちゃんは、今、2拠点生活をしています。
と言っても、高知県のとある街の中で、
2つの家を行き来しながら生活をしているということなんですが、
その片方は、いわゆる社宅なんですね。
寮みたいなものなんです。
で、もう1つが、これから僕が住む家。
で、この4月17日、あと2週間すないうちにですね、
僕はこの仕事の任を解かれるので、
今住んでいるこの家もですね、引き払わなければならないと。
それで、もう1つの家、地区150年の古民家に、
いよいよね、明日ともに移住をするというような感じになっております。
いや、なかなかですよね。
で、これは1つ目の引っ越しで、もう1つがですね、来週なんですけど、
来週はですね、実家の引っ越しなんですね。
何度かこのラジオでもお話しさせていただいております、
僕の父です。
父がですね、乱病を患っておりまして、今実家は2階建てなんですけれども、
1階と2階を行き来するのがもう厳しい、きついということで、
ワンフロアで全ての生活ができるような、そんな場所をですね、
何とか探して、そこに引っ越しをするということが決まったんです。
ということで、今からその引っ越しのお手伝いにも行かなくてはならないということで、
1週間後にまた引っ越しのお手伝いに行くんですよ。
引っ越しって大変だよね、本当に大変でさ。
何が大変なのかっていうと、その物の多さですよね。
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いや、本当にさ、ミニマリストなんていうふうに言われていてさ、
パソコンと自分の着るものが2着3着ぐらいしかないみたいな、そんな生活。
それでご飯は家では別に食べなくて、外食ばっかやってますみたいな感じだったら、
調理気分もないし、引っ越しって相当楽なんだろうなと思います。
僕のですね、すごく尊敬をしていた方、今もう連絡取れないんですけども、
僕をコーチングの世界に誘ってくださったそんな方はですね、
トランク一つで生活をしていたんですよね。
すごいですよね。
そのトランクを引きずって引っ越しをしつつ、
様々な人の家に住みつきながらですね、
暮らしをしていたなんていうことがありました。
そして彼はもう全部自分でですね、
頭の中から発想が閃いていくんでしょうかね。
いろんなものをデザインしながら、
それを販売したりして生きていましたね。
すごいよね。
あとは話すっていうことでね、
ここまで来ると究極、本当に何も、
人を頼って生活をしているわけですから、
自分で何か物を持たなくちゃいけないってことがない。
本当に自由っていうことがありますよね。
僕たちって本当に仕事にも縛られるだろうし、
時間にも縛られるだろうし、
それからお金にも縛られると思うんですけど、
実は物に縛られてるっていうことも結構あるんだろうなと思うんです。
それはね、家の中に様々な物があると、
そこに帰ってこなきゃいけないなって思ったりしません?
僕なんかはですね、思っちゃうんですよね。
どうしてもね、そこに物があるから、
そこが自分の居場所だみたいなふうに思っちゃうんですよね。
でもまあ世界広いからさ、
どこだって自分の居場所にすることができるはずなのに、
物があるからこそそこに帰ってきたいな、
帰ってこなきゃなって思うんですよ。
ただね、物がいっぱいあるっていうことは、
嬉しいことでもあるなと思いました。
今、引っ越しをね、本当に作業真っ只中で、
僕は今、荷物に埋もれながら、
このラジオの収録をしているんですけども、
本当にね、思い出の品がいっぱいある。
本当に思い出の品がいっぱいある。
一つ一つの物はただの物ではなくて、
全てなんか自分にとっての意味があるんですよね。
やっぱりその物が自分の元へやってきたのは、
それは自分が選び取って買った物だったりするかもしれませんけど、
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全ての物が、
ああ、あの時、あの人からもらった物だよな、とか、
あの時、欲しくて買った物だよな、みたいな感じで、
本当にその物一つ一つとの語弁っていうものをですね、
思い返されちゃうんですよね。
だからね、全然仕事が、作業が進まないの、本当に。
ああ、懐かしいな、とか言ってね。
よくこれあるあるですよね。
本当あるあるだと思います。
ただね、もーちゃんも今度からですね、
完全に家族と一緒に生活をするということになるので、
そうなるとさ、
自分の荷物全部持っていけないなっていうことに気がついたんですよね。
ただでさ、やっぱ子供たちの荷物っていっぱいあるじゃないですか。
それは学用品とかで、
どうしてもね、それって手元にないといけない物だったりするじゃないですか。
そうなると、物理的にスペースがなくなる。
僕自身もやっぱり、
どんどん自分の物って減らしていかないといけないな、
なんていうことを思ってましてね。
いやーもう仕方がないよね。
で、写真だとか、
それからそうですね、
メダルいっぱい持ってるんですよ。
僕いろんなスポーツの大会に出て行って、
なんてことないですよ。
入賞したからもらえるメダルもあるけど、
入賞じゃなくて、
ただ参加したらその記念メダルみたいなのとかね。
それから大会に出ると無料でもらえるね。
無料じゃないんだけど、大会の参加費払ってるから。
大会記念オリジナルTシャツみたいな。
そういうものもたくさんたくさん出てきてさ、
あー懐かしいなーとか言って。
もう開くまで何にも思い出しもしなかったものに、
あーとか言って心またときめいちゃってね。
捨てられないみたいになってるんですよね。
いやーもうしょうもないよね。
で、今それを心を鬼にしてですね。
それらを断捨離するっていうことをしているところなんですよ。
本当にね。
写真とかさ、年賀状だとかそんなの全部撮ってあったものを、
もう本当に心を鬼にしてですね。
心を鬼にする必要もないんだかもしれないけど、
まあものに感謝をしてね。
ありがとうって言って、
それを手放していくっていうことを今やっているわけです。
今日はですね、
その手放そうと思ったものたちをトラックに乗せ、
そして清掃センターっていうところがありましてね。
この清掃センターに行くと、
ゴミを引き取ってくれるんですよね。
まあなんか思い出の品をゴミなんて呼ぶのは、
なんか浅はかな感じがするし、
嫌なんですけど、
でもこの不要なものを引き取ってくれて、
一気にそこで燃やしてくれたりとか、
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してくれる場所があるんですよ。
これね、東京に行った時なかったね。
近くにはね。
なのですごくありがたい。
しかも値段はめちゃくちゃ格安でやってくれるんですよ。
めちゃくちゃ楽なんですけど、
それをね、やらせていただいてきました。
その清掃センターに僕は本当によく行くんです。
自分自身のゴミもそうなんだけど、
それだけじゃなくってですね、
河原とかキャンプ場を歩いていて、
そこで見つかったゴミとかを拾って、
そのキャンプ場の清掃活動というのを結構してきたんですよね。
そのたんびにですね、清掃センターに行って、
ゴミを引き取ってもらうみたいなことをしてきたんですけど、
その場所には本当にたくさんのものが集まってくる。
本当にすごいよ。
本当にすごいよ。
もうね、何なんだろうと思っちゃうぐらいね。
なんでこんなにも人少ない、人口の少ないこの街に、
こんなにもたくさんのものが溢れてるんだろうみたいなことを思ってね、
今日はその清掃センターで感じたことというか、
考えたことをお伝えできたらなと思っております。
ということで始めていきましょう。
本日からスポンサーコールの名前が変わります。
今回から応援させていただくのは、
ヒカさんというこのスタンドFMのパーソナリティの方です。
ヒカさんは僕にとってすごくお世話になっている方でございます。
僕が愛用している木の名刺、
この木の名刺を作ってくださったのがヒカさんで、
そしてこの木の名刺、
僕はですね、こだまこまちプロジェクトのメンバー全員に、
木の名刺作ったらほうがいいよって言ってですね、
なんとこの福利厚生という感じで、
僕の方が経費としてお金をお支払いして、
そしてみんなに名刺をですね、
1枚ずつ手渡しているというような感じでございます。
でもそれくらいですね、木の名刺とかすごくいいアイディアと、
そしていい製品、商品を作ってくださるんですよ作品をね。
こんな大好きな大好きでお世話になっているヒカさん、
僕はヒカさんのラジオも大好きなんですが、
ヒカさんが今月いっぱい応援をされる人として選ばれまして、
僕はヒカさんの応援をしたいと思っております。
ヒカさんは今回ですね、
4月にイベントを開きたいということをおっしゃっておりました。
そのイベントを成功するためにですね、
皆さんでクラウドファンディングをするというような形になっておりまして、
またこの話は詳しく話をさせていただきますが、
このクラウドファンディングをぜひ広めていきたいと思っております。
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ヒカさんがやろうとしているイベントっていうのは、
子どもも大人も楽しめるようなイベントです。
そしてテクノロジーの最先端がいっている、
それが絡んでいるようなイベントでございますので、
ぜひぜひですね、これ成功してほしいなぁなんて思うんです。
ということで、僕は今回ヒカさんを応援する、
この4月いっぱいを過ごしていきたいと思いますので、
よろしくお願いいたします。
ヒカさん、よろしくね。
はい、ということで、
とにかく物が集まってくる、
その清掃センターでした。
スピッツの曲で、
ゴミできらめく世界がっていう曲の歌詞がありますけど、
まさになんかこう、
僕は物一つ一つに縁を感じていたのでね、
ここに集まってくる何か家電だったりね、
またそれから何か本だったりとか雑誌だったりとか、
ダンボール一つ取ったみたいなもんですね、
誰かとのご縁があって、
そしてここに流れ着いてきたんだなぁ、
ということを思いました。
僕はそれを見て、
ちょっとだけ切ない気持ちになりました。
僕、古民家に住んでいて、
この前ですね、
サッシってわかりますかね、窓ですね。
窓をですね、捨てに行ったんですよ。
それはなぜか古民家の中にあって、
どこで使われてたのかわからないような、
そんなサッシだったんですよね。
そのサッシをですね、持ってったら、
なんて言われたかというと、
あちらでガラスを割って、
そのフレーム、アルミのサッシだったので、
アルミの枠は向こうに、
ガラスはこちらに、ということで、
分別して捨ててください、
というふうに言われたんですよ。
僕ね、すごく心が痛んだんですよ。
そのアルミのサッシ、まだ使えるんです。
まだ使えるにもかかわらず、
ガラス置き場のところに持って行って、
その窓を割るんですよ。
割り方はね、
そのここに金属バットが置いてあったんですよ。
その金属バットで、
その窓ガラスをバンと打ち付けるんですよね。
バリバリバリバリバリって割れるわけですね。
何度もバン、バン、バンって、
バリン、バリン、バリンって割れていって、
それで、そのガラスだけ、
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ガラス破片だけを抜き取っていって、
そしてアルミサッシもアルミサッシで、
不燃物の方に持って行くという、
こういう作業をしたんですよね。
何かを破壊する、壊すって、
心がすごく痛むね。
まだ使えるものだからね、
なおなおのことですよね。
なんで僕こんなことしてんだろうって、
すごい思いましたよ。
だけど仕方がないよね。
そうしないとさ、
僕住む場所なくなっちゃうから。
だから心を鬼にしてです。
これは本当にもう感謝してって言ってるけど、
口ではね。
でも本当に心を鬼にしてそれを、
もうなんか涙が出てきそうだったけどね。
それを割るんですよ。
ガラスを割るんですよ。
やはりあの破壊的、暴力的な、
なんだろうね、ことね。
人を殴るとかってしないよね。
物を乱雑に扱うなんてこともないじゃないですか。
でも最後捨てる時って、
そうやってその物の命を終わらせていくんだよね。
こういった物って全てに、
やっぱりお金が使われて生み出された物であって、
お金を使って買った物であって、
その役目が終わって、
ここに流れ着いてくるんですけれども、
流れ着いてきた後のその物たちの行方っていうのは、
もう活躍の場所はないし、
リサイクルされるものもあるのかなと思うんですけども、
おそらくほとんどがされないんじゃないかなって思いますね。
っていうのは、高知県のですね、
そのごみ収集事情って、
すごくってプラスチックも、
全部燃えるごみに出すんですよ。
分別がされてるようでされてなくって、
もうね、金属製品以外は全部燃えるみたいな感じになってます。
すごくない?すごくないですかこれ。
だからもうリサイクルとかそういう次元じゃないんですよね。
でももうそれしかないんですよ。
なんか切なくなったんですね。
なんか物に感謝して、
それで供養をして捨てればいいんだ、
そうするしかないんだっていうことがよく言われます。
なんかそれって、でも僕ちょっと思うのが、
なんていうかこう資本主義社会の、
なんかこうこの世界で生きているからこその、
少しの諦めみたいなこともあるのかなって思いました。
なんかすごく物に囚われた考え方かもしれないね。
ミニマリストみたいにさ、
でもどうなのかな、
人を頼って生きていけばそうじゃないのかもしれませんけれどもね。
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でもどうしてもやっぱり物って必要だからね、
人が生きていく上でね、
どう整理していいのかわからないですけども、
なんかここに物があって、
使ってそれを捨てるとか、
なんかそれって本当にそれでいいのかなっていうことが、
すごくもやもやした、
そんな数日間だったんですよね。
気持ちわかっていただけますかね。
だからなんかこう買えばいい、
それで分別して捨てればいいみたいなことではない、
何かが僕の中にふつふつと芽生えてきたような気がしまして、
やっぱりなんか物って一回買ったら、
本当に末永く修理してでもずっとずっと使い続けるとかですね。
そんなことが大事かなってちょっと思いましたね。
できればその物って買わないで、
自分でその辺の自然なものかの恵みで作り出した方がいいんじゃないかって思ったりしたぐらいです。
物に感謝しろよとかそういうこと言われますけど、
わかってますからね。
わかってます。
本当に僕らって今日だってね、
なんか道具買ってきたし、
本当に買えばいいやとか、
捨ててまた新しく買えばいいやなんていうことは、
断じて思っていないんですよ。
感謝してますよ。
作ってくださった方にも何もかもです。
けど何なんだろうこの人の営みってってちょっと思っちゃったっていうのが、
今日のお話でございました。
まあでも僕たちそうやって生きてきてるんだろうなって思うじゃないですか。
けどね、
けど、
その小民家に行きました。
僕は。
小民家をこれまでもいくつか掃除をさせていただきました。
田舎の小民家ってめちゃくちゃ物が多いのね。
その中の物の中で、
もちろん何か買ってね、
なんかその済ませたっていうものもあるんだけど、
半分ぐらいのものはね、
道具なんですよ。
道具です。
手道具っていうんでしょうかね。
自分で作品を作り出したり、
自分で畑をするためのものの道具なんですよ。
で、さらにその道具は修理した跡があるんですよ。
もう何か壊れたから、
いいや、捨てて新しいのを買えばいいやとかではなく、
クワとかシャベルとかスキとかね、
そういったものの修理された跡があるんですよ。
すごいよねこれね。
いやーびっくりですよ。
大事に使ってきたんだなって思いました。
そしてこの道具をまた活かして、
何かを作り出してきたんだなっていうことも感じました。
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それは食料なのかもしれないし、
また他の何か別のものなのかもしれないし、
なんかね、道具っていうものをすごく大事に使っていらしたんだなっていうことを感じましてね。
いやなんか、
そうでね複雑ですけども、
僕なんかハサミがね、
例えばハサミが切れ味が悪くなったら、
歯を研ぐなんてことしませんよ。
ハサミポンと捨てて、
また新しいハサミ買ってくるよ。
だけどさ、昔の人が万年筆を何度も何度もね、
インクが切れてもインクを補充して使い続けたようなものですよ。
僕はボールペンとかサインペンとか書けなくなったらポンと捨てて、
本当はね、また芯とか買えばいいんですけど、
でもそうじゃない。
もう新しいものを全部買えばいいや。
買い直せばいいやみたいな感じで過ごしていた。
むしろ修理する時間なんかない。
それよりも仕事に追われていた。
そして生み出す余裕すらない。
それを大事に扱う余裕すらないという世界に生きてきたんだなっていうことを、
改めて思い知らされたのが、
実はその田舎に来てからだったんですよね。
お金でね、物を買って経済を回していくんだ。
どんどんなんていう話が、
正義のように語られてしまうことがありますけど、
そこに僕はちょっとクエスチョンマークを持っているんです。
分かる?分かるけどさ。
今ちょっとやりたいなと思っているのが、
野菜の種ですね。
野菜の種って毎回毎回植えたらさ、
野菜を収穫して、野菜全部取り切って、
また新しい種を買ってきて、
そしてまたまくみたいなことをずっとずっとやり続けるんだけど、
本当にこれでいいのかなっていうことをちょっと思い始めてきまして、
できれば種まで全部取って、
そしてまたその種で植えてっていうことを繰り返していきたいよね。
何かもう種を買って、また植えて、また買って植えてっていう、
これじゃなくって、
やっぱりそこの中での循環というものを目指していきたいなって思ったし、
それからその辺にある板とかで机や椅子を作りたいなって思ったし、
理想論みたいなこと言ってるかもしれませんけど、
僕は今それができる場所にいるので、
極力お金で解決できそうなものもせずに経済回せよって言われるっていうことに、
ちょっと一旦僕はそれよりもまず自分で経済回すとか回さないとか、
そのよりも先に人として大切にできるものへの考え方、感じ方、
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接し方ってものがあるんじゃないかってことを感じながらね、
一つ一つのものと付き合っていけたらなって思いました。
今ね、メルカリとかあるって振り間とかあるからさ、
そういうものに出すっていうことはもちろん大事だけども、
今回もそんな振り間する余裕、ゆとりすらなかったんですよ、告白すると。
だから、もーちゃんはね、本当は本とか人に譲ったり、プレゼントしたり、
メルカリで出したりとかしたかったりですけど、
かなりの冊数の本、僕は手放しました、今回。
これもすごく心が痛むことでした。
ちょっといろいろ考え直さなきゃなと思ったところでございます。
いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださった方は是非、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日は物との付き合い方みたいな話をしてきましたけれどね、
一番捨てるので困ったのがですね、年賀状とか写真とかそういうものだったかなと思います。
でも、その年賀状とか写真とかも、実は自分自身とずっと一緒に付き合ってきてもらうものではないのかもしれない。
思い出も全て自分の中にあるだろうということで、
そういったものも供養することって大事なのかなっていうか、
供養せざるを得ないっていうことがあってね、
今回、泣く泣く半分ぐらいの思い出たちと寄せ書きとか、そういったものも供養させていただきました。
はい、もう結構辛かったな。辛かった。
一番猛ちゃんが手放すので、すごく迷って、迷った末に手放さなかったものがあるんですけど、
それはね、学位記です。学位記。
大学卒業した時にもらったその学士っていうね、称号をいただくことができるわけですけど、
そのね、学位の記録は僕はどうしても手放すことができなかった。
高校の卒業のね、あれとかさ、幼稚園の卒園証書とかそういうものも全部取ってあったから、
そういうものはもういいかって言ってね、手放しをしましたけれども、
それから様々な資格、資格証。資格証はあるけど、資格の認定証とかって言って、
なんか、あ、認定証があるのか。でもその証状みたいな感じで届いたりするじゃないですか。
僕、かなり資格ホルダーだったので、様々なもののこの資格の、なんかあれ取ってたんですよね。
それらを全て手放していきました。で、学位記一つだけあったらいいかとかね。
うん、なんかそんな感じで思ってね、もうたくさんの名誉をいただいてきました。
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本当に、トロフィーとか盾とか賞状とかいっぱいあったけど、そういうものもありがとうございましたということで、
もうモーちゃんはモーちゃんでしかないんです、みたいな感じでね。
本当に僕、ただのモーちゃんでいようって思ったのでね。
なんか資格とかそういったものもいいやと思って、ポンと手放しをしました。
けど、学位記だけは何でかね、手元に置いときたいなって思ったんですよね。
で、それ何でなのかっていうと、なんかね、大学に行かせていただいたことの恩っていうのが、
やっぱり僕、良心にあるんだなっていうことを感じました。
僕は浪人させていただいて、大学に合格させていただいたんだけど、
その大学4年間っていうこの期間もずっとずっと支えてくれた、経済的にも支えてくれてたんだなーなんていうことを思って、
まだまだその自分自身で恩を返しきれてないなーなんていうことがふと思ったんですよね。
返しきれるようなもんじゃないなーなんてことは思うし、
はたまたね、僕がそのお金をぐわっと、これ大学の時に出してもらったお金だからって返したところでですね、
多分その時の恩には測り知れない返しきれないものがあると思うんですけども、
なんだかそれはなんだろうな、もしかしたらそうだな、
父が僕のことをここからは一人前だからなっていうふうに認めてくれたきっかけだったからなのかもしれないね、
もしかしたらね、大学に入学をした時に父の表情や父が僕への当たり方、接し方っていうのは変わったような気がしてね、
なんだかそんなものがぐわっと溢れてきて、今回学位記だけは持っていくことにしました。
伝えられないものありますか?皆様にも。
最後にね、ちょっとお話しさせていただきたいことがありました。
今日ね、僕聞かせていただいているパーソナリティの方がいて、
しゅうへいさんという方がいらっしゃるんですね。
しゅうへいさんという方はスタンドエフェのパーソナリティでもあるんですが、
その方のですね話の中で、今スタンドエフェとかこのラジオとかって外から見て何が話されているのかがわからないっていうものがやっぱり今魅力的になりつつあるよねみたいな話をねしてくださってたんですよ。
僕これはそうだろうなと思っていたので、ちょっと前の放送で話をさせていただいたことです。
本来であれば、タイトルっていうのは何を話しているかっていうことが一目瞭然でわかるようなこと。
例えば、成功する人がやっているたった一つのコツだったりとかですね。
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それからお金持ちがやらない3つのことだったりとかですね。
こういうことが多いんだろうなって思っていたし、そういうふうなタイトルをつけることが親切なんだろうなっていうことを思いつつですね。
しかし今そういうタイトルのものへの引きっていうのはどんどん弱くなってきている。
それは今本当にたくさんのSNSなどの投稿で、そういうことばっかりがあふれ返っているなっていうことを感じていて、僕は結構それに、すいませんちょっと言葉を選ばず言うとうんざりしていたんですよね。
自分自身は自分自身の面白いとか楽しいとか美しいとか心地よいと思うようなそんなタイトルをつけていこうって思っていましたし、中で話されることもエピソードトークですよね。
これを聞いたから成功するとか、これを聞いたから何かいいとか、そういうことは話をしてないよっていうつもりなんですけどもどうでしょうか。
全然これ否定しているわけでは全くなくって、もーちゃんはそういう気でつもりでやってたんですけど、なんと今日ね、しゅうへいさんが同じような話をしてくださっていて、
しゅうへいさんもまたずっとずっとそのね、成功する人がやっている3つのこととかそういう発信をずっと続けてきていらっしゃっていて、それを自分自身で聞き直すことができなくなっちゃったんだっておっしゃってました。
もう一度自分自身に自分の撮った放送を聞きたいって思わなくなっちゃったという話をしてました。
何が言いたいのかっていうと、スタンドFMはじめとする音声コンテンツって結構ね、自分自身で喋ったことや自分自身で伝えたことをもう一回自分自身で聞き直そうっていうことをやっている人結構いると思うんですよ。
僕もね、自分自身が一番のヘビーリスナーですよ。このブリクラのサバダ味立ての。で、そんな時に僕自身やっぱりもう一回自分で聞きたいなって思うような放送をずっとずっと作り続けてきたと思いますし、それからタイトルもまあ僕がずっとこう眺めていたいなって思うような言葉を並べ続けてきました。
で、結局こういった発信っていうものが僕たちにとってすごくなんていうか大事になってくるのかなぁなんていうことを改めて思いました。
はい、何の宣言なのか何のつぶやきなのかもしかしたらこの言葉にすごく気分を害されてしまった方もいらっしゃったかもしれませんが、決して否定しているわけではありません。ただその現在のなんだろうね、この音声配信界隈での起こっていることっていうのをそうやって配信をしてくださった方がいらっしゃった周平さんの発信に寄せてですね、ちょっと最後につぶやかせていただきました。
33:18
なので、僕すごくこれに勇気づけられたんですよ。あ、僕が今やってたことっていうのは唯一無理のことだと思ってたけど、やっぱりそうなんだと。これから先もこの放送を続けていきたいなと思ったし、さらに磨き続けていきたいなっていうことも思うことができました。
はい、なので何を喋っているのか分からないようなタイトルをやっぱりずっと付け続けるかもしれませんけれども、ぜひぜひもしよかったらですね、お付き合いいただけたらと思います。
はい、ということでお時間をいただきありがとうございました。お相手は、こだまこまちプロジェクトのもうちゃんでございました。またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。あなたとあなたの大切な人に森の精錬の広告が訪れますように。