原稿執筆の奮闘
おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
高知県は朝から雨が降っておりまして、
今日は雨が降ったらね、もう外での仕事はできないということで、
もおちゃんも今日は午前中、のんびりさせていただいています。
のんびりというのはですね、もしかしたら違うかもしれないのが、
これから僕ね、本の執筆にやっていかなきゃいけないんですよね。
今、本を書かせていただいているんですけども、
なんと、原稿が明日締め切り。やべー。やべーってなってるわけですよ。
いやー、無理っしょ。無理なのかな。いけるのかなって。
もうその自分の中のですね、いける、いける、やれる、やれるっていうそんな自分と、
いやー、難しいでしょっていう自分が攻め切りやっております。
そらにゃん、こんにちは。ありがとうございます。
連日連日お越しいただいてとっても嬉しいです。ありがとうございます。
今日はですね、朝から雨模様なので、のんびりしつつですね、
僕、夜からまた仕事があるのでね、夕方からはですね、ちょっと行かなきゃいけないんですけれども、
そう、のんびりしたいなと思いつつ、実はちょっと今日からですね、
本を書かなきゃいけないと、原稿を書かなきゃいけないと。
その原稿の締め切りが明日なんですよね。
なんと、それが叶うのかどうなのか、ちょっと微妙なところになってきました。
2万字から2万5千字の原稿を仕上げる。
だけど、それが明日まで、明日の23時59分まで。
いけんのか、もーちゃん、ということでね。
まあ、底力の見せどころですよ。
このね、やっぱ出版ということを一つ考えたときに、
企画書なんかをですね、やっぱ仕上げていく。
多分ね、いろんなタイプの人がいると思うんですよね。
あなたはどっちですか?
夏休みの宿題を先に片付けるのか、均等に割っていくのか、
それとも最後に片付けるのか。
これさ、最後に片付ける人たちって、
あ、そらにゃん、8月31日スタートです。
これ、大丈夫?
そらにゃんの宿題の、いやいや、そらにゃんの学校、
9月1日スタートですよね。
いやー、すごいね。
でも、それでも一日でできてしまうという、この爆発力ですよね。
そらにゃん、すごいんだろうな。
なんかやるぞってなったときの、この爆発力。
いや、ほんとにこれね、
僕もいつもいつも反省しっぱなしなんですけど、
でもさ、こう追い詰められたときに、
発動する不思議な力ってありませんか?
なんかこう創作意欲がワッと湧いてきたりとか、
こう締め切りがあって、あ、どうしようっていったときに、
なんかこう本腰やおやく据えられるみたいなことがあって、
カジバの馬鹿力って言葉がありますよね。
カジバの馬鹿力。
だからさ、やっぱりこう人って追い詰められると、
ねえ、急走、猫を噛む、ねえ、
猫を噛む、猫を噛む、猫を噛む、猫を噛む。
そうやって追い詰められると、ねえ、急走、猫を噛む、ねえ、
追い詰められたネズミも猫を噛んでいく、
なんていうのはソラニャンに言ったら、
お、って拒定するかもしれませんけれど。
ねえ、僕も今猫をひとしきり見てきた、
そんな心境で語るのもアレなんですけども、
でもまあそういうことだってあるということでね。
ああ、そうかそうか、ソラニャン、
たぶん一生この性分は治りません。
僕もそうです。
いやあ、結構前々からね、やってるんですけどね。
やろうと思ってて、
頭の中ではいろいろ思い描いているんだけど、
こうね、形にするのが最後になってしまうなんていうことは、
結構あるような気がしています。
さて、この2万字から2万5千字の、
その原稿をどう仕上げていくかっていうのを、
メールマガジンの開始
今日お話をしていきたいと思っております。
で、今日ね、その本題に入る前にですよ。
えー、ちょっとお話しさせていただきたいのが、
えー、こだまこまちプロジェクトの、
初の公式情報誌っていうんですかね。
えー、こだまこまちメールマガジンっていうのを始めました。
で、これね、今コメント欄にも付けておりまして、
ソラニャン、もう本当に昨日から応援していただいてありがとうございます。
今これね、えー、興味を持ってくださっている方や、
待ってくださっていた方がいらっしゃったんですね。
本当にありがたいことでございます。
えー、第1話の配信を、
来週の金曜日あたりにしたいなと思っておりますので、
まだまだ、あ、第1話の配信は、
参加していただくことができますのでね。
ぜひぜひ、お受け取りいただけたらなと思っております。
もう全部無料なので。
このこだまこまちメールマガジンはですね、
何かを売りつけようとするメールマガジンではないということなんですね。
よくありますよね。
なんかこう、口座を売りたいとかさ、
なんかこう、情報商材を売りたい。
だから、このメールマガジンをするんだっていうようなことがあって、
結構そのメールマガジンを読むだけでも、
学びになったりとかするのでね、
その無料の範囲内で満足です、
なんていうことが結構あったりすると思うんですが、
僕たちのですね、このキャッシュポイントっていうんでしょうかね、
このお金が発生するとこってどこなのかなっていうところなんですよ。
別にこの口座を売るわけじゃないんですよ、
このキャラクターのことっていうのはね。
なんかそのグッズだとかさ、本だとかさ、
そういうのを手に取っていただけたら嬉しいなと思ってるので、
そんなベラボーな金額になるわけでもないんですよ。
でもね、僕が今ね、
その一番、僕にとって
こうなってくれたらありがたいなっていうことがあるのが、
仲間なんですよね。
おっと、こだまこまちプロジェクト、ちょっと面白いんじゃないのとか、
これからのこのなんか、
日本の森っていうものに可能性をもたらしてくれるような、
光みたいな存在なんじゃないのって、
もしかしたら思ってくださる方がいらっしゃるかもしれない。
そうした時に、
一緒に何かこうやっていけるような
仲間を作りたいというか、
あなたはもうほんと仲間です。
本当にこれを聞いてくださっているだけでも仲間なんですが、
さらにですね、僕たちがどんなところを目指してやっているのか
っていうことも感じ取っていただきたいし、
メールマガジンってすごいんですよね。
届いたらさ、それでメールに返信をすると、
また僕に届くんですよね。
このやり取りっていうこともできるので、
やらせていただけたらなと思って、
このメールマガジンっていうのを始めてみました。
始まってね、
まだ1日1晩なんですけれども、
ちょっとこれ面白いなと思ってくださったら、
手に取っていただけたら嬉しいです。
解約もいつでもしていただいて全然大丈夫ですのでね、
よろしくお願いします。解約というか解除ですね。
契約は交わしているわけではないのでね。
ということでございます。
高橋久美子の影響
送信できるんですよ。
返信できるんですよ。
メールマガジンってそういうものなんですよね。
もしかしたらね、1000人も2000人も1万人も読者がいる人たちもいてさ、
返信しても全部にまたこっちから返すってことはできないっていう人もいると思うんですけど、
僕は今のところはね、それが可能な規模感でございますというのと、
やっぱりいただいたものは全員に対して返すっていうこともできると思うのでね、
質問だとか感想だとかそういうものを寄せていただくっていうのは、
発信者に対してすごく嬉しいことになっていくんじゃないかなと思っております。
メールマガジンっていいよね。一方通行じゃないんですよね。
実は双方向っていうことがあるんですよね。
SNSじゃなくてなんでメールマガジンなのかっていう話は
どこかでしたような気もするし、また別の機会を作ってやりたいと思っておりますが、
今ですね、2万時間、2万5千時の原稿を追われてきて、
本当に明日できるのかなっていうことをチェックをちょっと厳しいんですよね。
ようやく雨が降ってくれた感じになりましてね、なかなかきついですよね。
今までさ、今日から雨が降るっていうことだったから、
今日からやろうと思ってた農作業を全部前倒しにしちゃったんですよね。
前倒しにしたがゆえにですね、もうカツカツになってしまって、
今日までほとんど原稿を書いていないというか、
もう原稿をちょっと書き進めていたんだけども、
考えていると全部ボツにしようって思っちゃったりとかして、
また初めから作ろうかっていう形になっております。
で、今ですね、僕一冊手元に本を置きながらお話をちょっとしているんですけど、
いい音がする文章という一冊の本があるんですね。
これね、高橋久美子さんという方が書かれている、
ダイヤモンド社から出ている本なんですけど、この本ご存知でしょうか。
高橋久美子さんって思われる方がいらっしゃるかもしれませんね。
まさかあの人が本を出しているなんて、僕めちゃくちゃ好きなんですけど、
チャットモンチーっていうバンドがありますよね。
あのドラマーだったんですよね。
ドラムを叩いている高橋久美子さんが、実は本を出しているんです。
彼女は作詞もしていて、独特のドラムのリズム、
そしてチャットモンチーの醸し出す世界観って、
やっぱりリズム感というものがすごく素敵だなと思うんですよね。
そこから紡ぎ出される曲感、曲調というものがある気がします。
僕めっちゃ好きで、チャットモンチーの歌を聴くと、
すごい疾走感があるんだけど、切ない気分にもなるっていうことがあって、
めちゃくちゃ好きでね。
恋の煙っていう曲だったっけね。
それがすごく好きで、シャングリラだけじゃないんですよ。
本当にいいんですよね。
書籍と音の重要性
そのチャットモンチー愛っていうのもあるんですけど、
チャットモンチーの高橋さんがいい音がする文章っていう本を出したっていうので、
すごくずっと気になっていて、
僕先週これを手元に届いたんですけど、
なんと置いといたら、先週から1週間泊まってきたお客さんが、
それを部屋に持ち込んでしまってずっと読んでて、
この本面白いとか言って、
そうだよねとか言って、面白いんだよねとか言ってるけど、
僕まだ読んでないという、
僕が読む前にそのお客さんが読破しちゃったみたいな、
そんな感じなんですが、
いい音がする文章、
これね、まず表紙に書かれている帯からちょっと読ませてくださいね。
言葉のビートを響かせろ。
いい音がする文章はあなたにしか書けない文章。
AIには書けない人間の証。
今井むつみさん、認知心理学者の方が寄せてくださってます。
あとね、この方も寄せてくださってるよね、帯に言葉。
草野正宗さん、あのスピッツのボーカリストですよ。
そうそう、言葉はもともと音なんだよね。
それを再認識すればコミュニケーションも創作もさらに楽しくなるはず。
高橋さんと作詞談議をしたいなと思いました。
っていう、そういう帯の言葉が寄せられてるんですよね。
良くないですか?すごい良くないですか?
確かにこの本をまだちょっと2章ぐらいまでしか読んでないんですけど、
読ませていただいていると、まず音ありきなんだよねっていうことです。
なんだかすごくいいことが書かれているはずの文章なのに、
なかなか最後まで読むことができないとか、
大して中身がない文章かもしれないけど、
最後まで読むことが退屈せずにできちゃったとか、
そういう矛盾っていうのがやっぱりあって、
どうしたらそういう文章を書くことができるのかなっていうことが結構あったりします。
自分的には良くなかったなって思った文章が、
なんだか人の心に届いてしまったりとかしません?
そういうことって結構あると思うんですよね。
これはバズらせるための文章ではなくて、
それから何か人に行動を起こさせるっていうような文章でもなくて、
そういう方法論っていっぱいあるじゃないですか。
そうではない、
その人の心にスッと入っていくような文章があるんだと。
高橋久美子さんはこんなことを言ってるんですよね。
文章のリズムと描写
文章っていうものを読んだときに、
まずその音がその人の心のドアをノックするんだっていうことなんですね。
言葉を読んでいくときに、
まず音で感じる人たちがいるんだっていうことです。
さっきちょっと読んだところのコラムの中に、
らしょうもんという言葉がありまして、
結構土曜日の朝からどぎつい文章ではあるんですけど、
どんな音がするかっていうことを紹介させていただけたらと思うんですよね。
ソラニャンからですね。
文章を書くときってリズムとか見た目が、自分が気持ちよいかが大事にしてますよ。
ソラニャンもそうなんですね。
ソラニャンって猫の作品を書かれていらっしゃるじゃないですか。
ああいう作品を書くときにって、
その人の心のドアをノックするんですよね。
ああいう作品を書くときにって、
その文章での説明書き、キャプションっていうのってつけるんですか?
美術館とか博物館とかを見ていると、
結構僕これ読むの苦手なことがあるんですよね。
めちゃくちゃ硬いな、この説明はみたいな。
文字の壁がドーンと出てくるような感じがある。
ですけど、最後まで読みたくなってしまうような、
そういう博物館というか展示を見たこともあって、
何なんだろうこの人の文章は?ってすごく引き付けられて、
それからその人の本をむさぼるように読み始めた、なんていうことがありました。
ソラニャン、猫絵にはつけないですね。
ありがとうございます。
なぜなら猫ちゃんが語ってくれますもんね。
そうだよね。
すごいな、そうかそうか。
あえてつけないで、でも絵から受け取って、
猫が自分に語りかけてくるようだとか、
泣き声が聞こえてくるようだとか、
歩いている音が聞こえてくるようだとか、
なんかそういうのも結構あるような気がしますよね。
だからその人の心の中で鳴り響く音っていうのがあるんだろうなと思います。
ちょっと読んでみましょうかね。
羅生門からの一節、芥川龍之介さんです。
下人は老婆を突き放すと、いきなり太刀の鞘を払って、
白い鋼の色をその目の前へ突きつけた。
けれども老婆は黙っている。
両手をわなわな震わせて、肩で息を切りながら、
目を目玉がまぶたの外へ出そうになるほど見開いて、
推しのように執拗く黙っている。
これを見ると下人は初めて明白に、
この老婆の精子が全然自分の意思に支配されているということを意識した。
そうしてこの意識は今まで険しく燃えていた憎悪の心をいつの間にか覚ましてしまった。
後に残ったのはただある仕事をして、
それが円満に成就した時の安らかな得意と満足とがあるばかりである。
いかがでしょうか。どんな音がしましたか。
これね、高橋久美子さんはこんなふうに言っているんですけど、
改めて読んでみて残忍な現場を表現しているのに、
音はとても静かなことに驚く。
というふうに言っているんですね。
その文章がすごく動きがあるように見えるんだけど、
すごく静かに感じる。静寂を感じる。
僕ね、今度の書く本は静寂っていうのは何も音がないわけじゃないんだよっていうことを
一つのテーマにして書きたいと思っているんですね。
一つ、ソラニャンともお話をさせていただきました。
というか、この本を書くことを見据えて、
ソラニャンと最初のコラボレーションをさせていただいたんですけれども、
場面感目というね、とある場面に出くわすと言葉が発すことができなくなったり、
執筆の試み
体に力が入らなくなるという症状があります。
こういうことを付き合っている自分の家族がおりまして、
そんな子たちに向けて書きたいなと思っているのが、
僕が今紡ぎ出る本なんですね。
このテーマは、確かにその静寂っていうのは、
静寂というものは何ですかね、
無音ではないということをテーマにしたいと思っているんですけれども、
とにかくですね、今から2万5千字かって思った時に、
どうするのかというと、まず喋るということかなと思っています。
僕はやっぱりリズム良く調子良く話していく中で、
自分がやっぱり心地よいなって思うそのリズム感とか表現というものが、
きっと言葉から出てくる人なんだろうなって思うんですよね。
声からね。
モーちゃんはですよ。
モーちゃんね、本名もあんまり言ってもあれなんですけど、
加藤って言うんですね。
加藤の加って加えるって書くんですけど、
その加えるっていう字って、力に口って書くじゃないですか。
僕ね、その加藤っていう名前のこの加えるっていう字を結構研究をして、
自分自身の生き方の一つなのかなって思ったりもしているんですけれど、
この加えるっていうのは、
口、声、言葉からその力っていうものを生み出していくっていう意味が、
そこにあるんだそうです。
三里さん、モーちゃんということで呼びかけてくださいました。
ハートマーク付きでありがとうございます。
めっちゃ嬉しいです。
そうですね。
久しぶりです。
ありがとうございます。
三里さん、その説は本当に、
こだまこまちプロジェクトの設定資料集などをお求めいただいて、
応援していただいてありがとうございました。
ありがとうございました。お久しぶりです。
今日からなんですけど、昨晩からですね、
こだまこまちプロジェクトのメールマガジンっていうのをリリースさせていただきまして、
今ですね、文章というものをこうやって紡いでいるよというお話から、
今、本も一冊、執筆をやらせていただいておりまして、
明日が締め切り原稿の、
でもこんな風にライブ配信しちゃってるみたいなところがありまして、
でもね、どうやってその2万字から2万5千字の原稿を作っていくのかということをね、
やっております。
そうそう、執筆ですか。そうなんですよ。
今ね、物語を書いているんですよね。
っていうようなお話を今しております。
やっぱりこう話して、その言葉を速記していくというか、
文字起こしをしていって、そこから紡いでいく。
またね、その文章を遂行するということはやっていくんですけれども、
話し言葉と書き言葉って微妙に違うからね。
なんだけど、やっぱりこう話すっていうところから始めていって、
2万字から2万5千字やっていこうかなって思っています。
もうそれしかないよねって思うんですけど、
それが実は今回の自分なりの正解なのかなって思うんですよね。
だからできる限り立って、
それから歩きながら言葉を紡いでいくっていうのをやろうかなってちょっと思っております。
もうちゃん、頭から書く派ですか?
なるほど。
なるほど。
そらにゃん、それめっちゃいい質問ですね。広がりますね。
僕ね、まずその質問に答えるなら、
頭から書いちゃうかもしれない。
でも、頭の中でとか、自分の中でどこから作り上げていくのかっていうと、
最初と最後があるような。
どうなんだろう?クライマックスから思いつくこともあるな。
どうなんだろうな。
背景から僕作っていくんですよね。
どんな場所が舞台でとか、そこにはどんな人がいてとかっていうことを作っていくような気もするんだけど、
確かに頭から書く派かもしれない。
そらにゃんはどうですか?
これ面白いね。すごい面白いですね。
書き方のアプローチ
芸術家さんたち、アーティストの人たちはもしかしたら全然違うところから書いていくのかもしれないね。
なるほど。それいいかもしれない。
そらにゃん、僕もチャレンジしてみたくなります。
そらにゃんがどう書いてるかわからないけど。
この文章って、最初から紡いでいく。
順次って言いますけど、並べていくっていうこと。
これが大切というか、それいう書き方もあるし、
それからどこから読んでもいいよっていう選択的なアットランダムに読んで、
そこで今の自分にぴったりくるようなところっていうこともあるし、
それからあと循環型っていうのもあるんですよね。
最初から最後まで読むと、また最初に戻っていきたくなるような、そんなこともあるよねっていうことでね。
もーちゃんは最初に戻りたくなるようなこの循環っていうのをやってみたいなって思っているんですけど、
それを小説でやるってどうなのかな?難しいのかな?わからないなって思ってるんですけど。
そらにゃんはどこから書く派ですか?教えてください。
とにかく話しながらやっていくっていうことかなってちょっと思っております。
そらにゃん、ありがとうございます。
はっきりとした書きたいところを書いて、それがいくつかできたらその間を書いていく感じです。
なるほど。まず自分がパンと明確に頭の中とか心の中に移ったことを書いていくっていうような感じでしょうかね。
それってさ、そらにゃん、なんかあれみたいじゃないですか。
ツレズレ草みたいですね。
ツレズレ草は随筆なのでね、健康法師が書いた随筆ですけれども、
心に移りゆく押し出し事をそこはかとなく書いていくっていうことですけれど、
本当に心に移ったことをまずポンポンポンと書いていって、その間を埋めていくね。
いや、これさ、そらにゃん、めっちゃいい書き方ですね。
いや、これ自由でいいわ。
文章は最初から書かねばならない。
本のテーマ
それってさ、原稿用紙の作文の時ってそうだったかもしれないよね。
僕はついそのイメージを自分の中で持っちゃってたな。ありがとうございます。
原稿用紙の作文って途中で切り張りすることって結構難しいもんね。
紙ではそうはいかないですけどね、確かにそうですよね。
ありがとうございます。大ヒントをいただきました。
これによって、もーちゃん、2万5千字、48時間、もうないんですけど、行けそうな気がしてきました。
ありがとうございます。嬉しいです。
最後にどんな本を書いていくかっていうことをお話ししようと思うんですけれども、いいでしょうか。
この物語っていうのは、実は今やっているこだまこまちプロジェクトの一環でもあるんですよね。
この登場人物はこだまこまちプロジェクトの物語にも登場をするというか、そこに繋がっていくような、
そんなスピンオフ作品として作っているっていう、そういうたてつけが実は裏テーマとしてあります。
が、表向きに出していくにあたっては、どんな人に読んでいただきたいなというとですね、
実は学校に行くことができないというか、行かないという選択をした、
そんな子ども、そしてその親、親子に向けた、そんな本になっていくといいなと思っているんですね。
うちもそうなんですけど、学校にどうしても行かなきゃいけないような気がするっていう、そういうフェーズがあるんですよね。
だから、学校に行けなくなるっていうのは、すごくそれもどかしさとつらさっていうのが、苦しさっていうものがあるんですね。
焦りみたいなのがあるんですね。周りの人たちは行っているのにさっていうところの、このギャップ感ってめっちゃあるんですよね。
でね、自分はダメなんだろうとかね、なんでこんなことができないんだろう、みんなが普通にできることができないんだろうって言って、自分で自分を責めていくっていうことがあるんです。
思い切ってお休みをしてみると、その不安っていうものがですね、ますます大きくなっていくんですよね。
沈黙の重要性
どうして、どうして自分はここにいるんだろうみたいな感じですね。ますます外とのつながりっていうものを遮断していく。
一言で言うならば、ふさぎこもっているように、ふさぎ込んでいるようにも見えてしまうということです。
ただ、ふさぎ込んでいるだけではない、外から見たらそう見えるかもしれないし、本人もそう思っているかもしれないけど、実は僕はこう思っていて、本当に自分の中での対話っていうものをめちゃくちゃしてるんですよね。
この対話をめちゃくちゃしている沈黙をすごく耐えているというか、自分の中の沈黙反数っていうのを結構しているっていうのは、僕はこれすごい尊敬することだなって思っています。
僕が小学校教員をしていた時に、こういうことがあるんですね。沈黙に耐えることができない子っていうのがめちゃくちゃいるんですよね。これはね、本当に年々増えてきたように思っています。
なんかこう、沈思黙考っていうんでしょうかね。黙って考えていくとか、自分に問いかけるなんていう、このやりとりをすることが結構大変難しいっていう子たちが増えていて、もうパンと思ったらすぐ行動する、パンと思ったらすぐ口が出てしまうっていう子たちがすごく増えていたなって思っています。
これが何が起こるのかっていうと、いろんなトラブルとかになっていくんですね。やっぱり心ない一言がポンとつい出てしまったりとかですね、あと授業中に人の集中を妨げてしまうみたいなですね、そんなことが結構起こってしまったりとかして、僕はそれはそれでその子の表現なんだろうなって思いつつも結構大変だったんだろうなと思います。
その子はその子で、その学校という場所がやっぱりまたますます行きづらくなりっていうようなことがあったように思うんですけれど、そんな中でですね、今回は言葉を出すことが難しいとか、家の中にずっとこもってしまう、家の中でも部屋の中にこもっていくっていう、そういう子たちに向けて書きたいと思っているんですね。
やっぱり沈黙に耐えられるというか、沈黙の中に身を置けるっていうことってすごくこれは大切なことなんだよっていうこと。
それからさ、もうちゃんはなんですけど、もしもその人生におけるメンターというかさ、なんだろうね、この人から学びたいとか、この人から教えてもらいたいとか、この人の背中を追い続けたいなっていう人って、もうちゃんの場合はなんですけども、もの静かな人なんですね。
なんか有弁な人、すごいインフルエンサーの、毎日のようにたくさんの何万人という人たちが見るっていう人たちからも学ぶことはいっぱいあるし、その人の人生っていうのが、やっぱりいろんな大変なことがあったからこそそういう表現になっているとは僕は思うんですね。
その言葉の中にも、きっとその何というか静寂っていうものがあるはずなんですよね。
その何かこう静寂感というものを感じられる人から学びたいというか、背中を追いかけたいなって、ちょっと何かそんなふうに思っています。
だから、いつでもやっぱり僕自身はそうだと思うし、これは昔からあるインディアンの言葉でも伝わっているんですけれども、本当にこう人生というところに向き合っているとかいう人はですね、本当に自分の内面、内なる風に身を晒し続けるっていうことをしている人なんだよっていうことを伝えてくれています。
僕もそう思っています。
ということで、君はすごいんだぜっていうことを超簡単に言うと伝えたいと思っているんですけど、そういう感じです。
学校に行かないとなると、こう塞ぎ込むように見えるんですけど、ある時悟りを開くんですね。
いや、もういいかっていう感じ。
それで、なんかね、それ以外のことを頑張ろうという、頑張るというかですね、やっていけばいいかとか、別に何もしなくてもいいかとかっていうことだとか、学校だけが全てじゃないよねみたいなことになっていくんですよね。
本当、学校教員していた僕がそんなこと言って、どういうことなんだって感じですけれども、これはね、自分への過去を振り返っての、いろんなこともあるんですよね、この本には。
それで、学校に行かなくても何とかなるかなっていうことになっていった時にですね、やっぱりこう自分たちの人生を切り開くスタートラインに立つんですよね。
いろんな正解があるよねっていうことをわかっていくためのこのスタートラインに立つ、その時に、でもふとした瞬間にちょっと悩むことがあるんです。
だってその道にはロールモデルがない。その道でずっとやってって、社会になってて成功したよみたいな表だってそういう人たちが少ないというかね、成功って何なのって感じもありますけれども、そういうのがわからなかったり。
だからこそ自分の未来、将来にやっぱり不安になることだってあるわけですね。実はそれ、もうちゃんも今そんな感じでございまして、幼稚園の時からですね、つい先月までずっとどこかに通い続けるっていう生活をしてきたんですよね。
幼稚園、小学校、中学校、高校、そして老人をして予備校に通い大学、それから小学校に勤め、そしてですね、役場に勤めなんていうことをずっとしてきたもうちゃんが、今そういうところに行かないという選択肢を持ってですね、突き進もうとして。
そしてさあ、じゃあどうしようとなった時に、どこにも行かないっていうのがちょっと時折不安になることもある。でもそれはね、すごく自分自身の中にとって、新しくというか何にもないレールが敷かれてないところに何か敷いていく道を作っていくことなんだっていうふうにも思っております。
思ってるんですね。
あ、そらにゃん、それ今の私ですね。あ、もうちゃんもか。
そらにゃん、ありがたい。
そうなんですね、同志ですね、やはり。
そう、同じ志を持っているということですね。
別にさあ、生活はできていくんだろうなって思うんですけれどね。
どこからやってくるこのざわざわ感なのかなって思ったりもするんですけども。
でもそらにゃん、大丈夫ですよ。僕も大丈夫ですよ。こうやってつながってさ、少しでもね、地面とか表面だけではない、何かこの心を理解とか分かち合いたいなって思い合えるような関係の人たちっていうのがいるっていうのがさ、すごい素敵なことだなって思うんですよね。
そんな人たちに向けてエールを送りたいなと思いました。
教育と信仰の探求
ただですね、もうちゃん、ずっと学校教員をしてきて思ったのが、人に何かを教える、伝えるっていうことはすごく素敵なことでありながら、素敵な営みでありながら、正解は無数にあるなって思っていることも事実でしてね。
で、何かこう一つの拠り所を見つけて、例えば僕なんかは小学校教員の時、仏教校に勤めてたんですよね。だから仏様の教えっていうものを柱にしながら授業とかをしてきておりました。
家がキリスト教なんだけども、仏教の学校に入っているとかね、そういう人もいますから、もう本当によくわかんない感じではあったんですけれどもね。そういう一つの拠り所があればいいなと思うんですけど。
何か僕思うのが、そういった信仰とかっていうことも大事だと思うんですけど、それを言うならば僕の中の信仰って何なのかなっていうと、自然なんですよね。この自然の中でのことわり、営みっていうのを読み解いていくっていうことが僕にとっての一つの信仰であると思います。
その時にですね、本当にそれぞれがそれぞれの世界観でやってんだな、そして一つの世界観作ってんだななんていうことを思うのでね、何らかあまり押し付けがましくないものを書きたいなと思いまして、それでね物語を書いていこうかなと思っています。
この物語はフィクションではあるんですが、僕たち家族のことを書いています。家族の中で起こったことを書いているので、あながち全部がフィクションではないということなんです。
そういう意味において、僕がこの田舎に東京からやってきて3年間で経験をしてきたこと、自然から学んだこと、読み解いたこと、そして僕たち自身が少しずつ心がくにょくにょ形が変わっていったよなんていうことをね、書かせていただけたらと思っております。
はい、ということでお時間40分もお話をさせていただきました。お付き合いいただきありがとうございました。最後にもう一度お知らせさせてください。こだまこまちプロジェクトの初のオフィシャル公式情報誌。初のオフィシャル公式情報誌、同じこといっぱい言ったね。頭痛が痛いみたいな。
そんな感じのものがありまして、今日から始まっておりますので、もしよろしければ受け取りいただけたらと思います。番組の概要欄にもリンクを貼っておきます。そしてこれからももちゃんは執筆をしていきます。
あ、ミサトさんありがとうございます。もーちゃん最後の追い込み頑張ってくださいね。良い一日を。ありがとうございます。ミサトさんも良い一日を。
良かった。ミサトさんマルシェ行くんですね。リョーマルさんのマルシェですね。ソラニャンと会えるじゃないですか。やったー。嬉しいね。
はいはいはいはい。ぜひぜひお二人。初めてですよね。お会いするのはね。多分。違うのかな?会ったことあんのかな?オフ会とかで。巡り会えるといいですね。良かった。嬉しいです。僕も嬉しいです。
そのマルシェがある場所って僕も高校の近くなんですよね。母校のすぐ近くだったんですよね。だからすごく土地感がある場所で。いいなーって思ってます。すごく表現が思い浮かびます。ということでお時間をいただきありがとうございました。
お会いできることを楽しみにしております。今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。音から始まる文章を編んでいくという話をさせていただきました。あなたとあなたの大切な人に森の精霊の子が子が訪れますように。ミサトさん、ソラニャン、そして最後まで聞いてくださったあなた本当にありがとうございます。