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おっすおっす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
ブリコラのサラダ仕立ての時間がやってまいりました。
今日も、すぐには役に立たないんだけれども、無駄ではなさそうだから、
聞き流すくらいがちょうどいいエッセイを始めていきたいと思っております。
僕の名前は、森林インストラクターのもおちゃんと申します。
普段は、自然のこと、そして森のガイドをさせていただいております。
今日は、良いものを広めたい欲、そんなテーマでお話をさせていただきたいと思っております。
もしよろしければ、ゆっくり、くつろいで、お楽しみいただけたらと思います。
なんで、僕が山の中に住もうかと思ったかというと、
きっとそこに住む人たちは穏やかなんだろうなって思えたからなんです。
海の近くって選択肢ももちろんありました。
僕はもともと海での活動をしてきたんですが、そこで出会う人たちはとても大らかで、
そして、いつもちょっと豪快、自由奔放な感じがまた海に住む人たちの特徴なのかなって思います。
ちょっとゆっくり、のんびりしたいなって思った僕は、山の中を選んだんです。
こんなことを書くと、人は一人一人違う、決めつけないでよってなりそうですから、
これはあくまで僕が個人的に感じる印象です。
でも、なんとなくわかっていただけると思うのは、地域によって人の持つ雰囲気がなんか違うじゃないってことです。
都市と田舎はやっぱり違うし、都市の中でも東京と大阪ではやっぱり違いますよね。
東京にいた頃、僕はどうしても急がなきゃ、急がなきゃ、時間は無駄にはできないぞ。
どうしたらいい結果を出せるかなって、そんなことばかり考えていたような気がするんです。
それは周りの環境もそんな感じがしたんですよね。
常に結果を求められているように感じだし、実際に時間には限りがあって、その時間をどう有効活用していくかって思考になっていました。
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職場では自己評価シートを年に3回書かなくてはならなくて、自分で目標を立ててそれに向けてどんな努力をしたか、進捗状況はどうかってことを書いて提出するんですけど、
数字が苦手な僕がわざわざ数値化して書こうとするんですよね。別に数値で書くことが必須ではないのに、数値で書かなきゃって思ってしまうんです。なぜか。
学級の信頼関係構築のために何をしますかみたいな欄があったら、学級通信を100号書きますみたいなね。別に全然ですよ。
学級通信をいっぱい書くことは確かに信頼関係の一助になったりする。でもその数値化どうなのってこともいっぱいあります。わざわざ数値にする意味ある?
話が逸れてきました。言いたいのは、なんだか数値で語らなきゃいけない気がするってことでした。
僕たちはなんだかいつも外側の環境の影響を強く受けていそうですよね。気がつかないうちに。
フェイスブックやXやインスタグラムもまたそんなところがありそうです。
例えば、フェイスブックを眺めていると、何か有益な情報を発信しなきゃってなってる気がするんです。
Xはたった140字で端的にエモいことを言わなきゃいけなくて、ちょっとクールで攻撃的な感じの投稿も多い。
インスタグラムは有益な情報もたくさんありますが、映えなきゃダメだよってなってる気がするんですね。
必ず写真を入れなくてはならないですから、インパクトある一枚を撮ろうと苦心することはよくあることだと思います。
もちろん発信は個人の自由なので、どんなことを書いても良いのです。
ただ、自由に発信をしているように見えて、実はプラットフォームの影響を強く強く受けたりしているもんなんですね。
この前、なるほどなーってアカウントを見つけたんですが、あの映えが命のインスタグラムで、いかに映えないかを目指しているアカウントがあって、
フィードに出ている写真が全部、食事が終わった後の空っぽのお皿なんですよ。
もう何を伝えたいのかわからないです。本人はなかなか食事を完食できないから、最後まで食べきった記録をしているんだとも言ったりしています。
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それを見た人は、なんて芸術的なお皿なんだって反応したりもする。
映えを狙わないようにしているのに、見ている人は映えてるって思ったりするんです。
もう意味不明な世界です。でも、それが個性ある発信につながったりもする。
なんだか堂々巡りをしているようですが、発信する人がいて、受け取り手がいて、それで発信は何らかの意味を持つものなので、
結論は、どんな発信もあなたらしいよ、自分らしいよってことです。
自分が面白いと思ったことを、自分が大切だと思ったことを発信したらいいじゃないですか。
ただ、覚えておいてほしいのは、僕たちは知らず知らずのうちに発信するプラットフォームの影響を受けて、社会の影響を受けて発信していることが多いのです。
特に、自分の思いを発言して否定されたらどうしよう、だから当たり障りない投稿をしておこう、キラキラした投稿をしておこう。
僕なんかはとてもそうで、自分の腹の思いを公に出して、それにイチャモンつけられたらどうしようって、いつも発信ボタンを押す指が震えるんですね。
それは、友達が増えれば増えるほどそうなってしまいます。
繋がりをどこまでも広げられるのが、現代社会のいいところ。
江戸時代や明治時代は、繋がりを広げるために歩きましたからね、新幹線もトンネルもない時代に。
こんなにも繋がることが簡単な世の中なのに、広がれば広がるほど不安が増します。
これは、現代の病とも言えるかもしれません。
プラットフォームの影響を受けて、自由な発言が難しくなることは多々あることなのだと思います。
でも、それに気が付くことって、なかなか難しいとも思います。
僕も東京にいた時は、東京食の強い発信をしていたように思います。
高知県に移住をして、しばらくしてからやっとそのことに気が付けました。
でも、きっと今度は田舎とか高知県の環境の影響を濃く受けた発信になっているかなとも思うのですね。
こうしてグループを作って、胸の内を語るエッセイにしているのは、できる限りプラットフォームの影響を受けないようにしたいという思いからなのかもしれません。
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で、ここでよく言われることなのですが、僕もよく言われたことなのですが、
それって過去にトラウマがあるからじゃないの?とか、そのマインドに、あなたのマインドに問題があるよ、という言説です。
確かにそう言える一面もあるかもしれない。
ただ、そんな言説も人を傷つけることがあって、そんな人を何人も見てきました。
僕のところに相談に来る人が絶えませんでした。
顔が直接見えない、距離感がないようである。
インターネット上での繋がりは、歴史的に見たらまだ始まったばかりで、人の心は追いついていないのかもしれません。
追いつく必要があることもあれば、追いつく必要なんてないこともありそうです。
もしかしたら、このメッセージだって、ちょっと嫌だなーって思われているかもしれないです。
大切なのは、発信者としてそれに自覚的になることだと思います。
そして、それぞれに策を講じること。
実は、濃い影響力を持つ人ほど、既存のSNSに頼っていない気もします。
会社の社長とか、地域のリーダーとか、町の議員さんとか、お医者さんなんかもそうかもしれません。
そういった人は、自分でプラットフォームを作っているんですね。
そこに参加するのも自由、参加しないのも自由、選択する場を何重にも設けるんですね。
僕のこんな拙いメッセージも、受け取りやたいよ、読みたいよっておっしゃってくださる方に、読んでいただいたり、聞いていただけたらいいなって思ってます。
だから、多く広く伝える形ではなくて、僕はクローズドな場所も大切にしております。
また、内容によって受け取りたいかどうかを選択できる機会を随時作っていこうと考えています。
いかがだったでしょうか?
最後まで聞いてくださったあなた、ぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日は、いいものを広めたい欲というテーマでお話をさせていただきました。
いいものを伝えたい、伝えればいいんです。
いいものを広めたい、広めればいいんです。
ただ、それを発信するときに、僕たちはプラットフォームの影響を色濃く受けているよねっていうことを感じることもまた一つ、
自然思考、そして自然感覚を身につけるために大切なことなのかなって思います。
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僕たちはどんな場所にいるのか、どんな環境に包まれて抱かれて生きているのか、
それをぜひ、自覚的に察して日々の発信につなげていきたいものですよね。
お時間が来てしまいましたら、今日はこの辺でお会いでは心理ストラクターのモーちゃんがお送りいたしました。
またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。