梅雨入りと自然の香り
おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
梅雨入りでございますね。こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
いやー、もう多分全国的に今、雨がフワンフワンフワンフワンと打ち付けて降ってきているような気がしておりますね。
ね、今日はですね、これから僕は、イベントに、とあるイベントに参加をするためのワークショップ、その準備のためのワークショップっていうのをね、受けていきたいと思っております。
今日はね、文章講座とか写真講座とか、どうすれば自分たちの思いっていうのを人に伝えられるんだろう、みたいなね、そういうイベントに参加をする。
でね、午前中はもうちょっとゆっくりができるかなーなんて思っていたんですけれどもね、急にですね、あっ、ラッキョウの下処理まだ終わってなかったなということでね、一生懸命このラッキョウを一個一個洗いってね、真っ白な状態にしたりとかですね、
あとグイの実っていうのがあるんですけど、知ってますかね、あのグミの実って関東地方では言うんですけど、あのグイの実っていうやつをですね、まあね、いっぱい取ってきたんですよ。
これね、市場には出回らないですね、やっぱりね、すぐに悪くなってしまうので、っていうのがよくわかったんですけど、
今回ですね、このグイの実を4日間ぐらいですね、ちょっと段ボールに入れっぱなしにしてあったら、もうすぐかびちゃってね、あー失敗したなーってね、もうちょっと早めにやっておけばいいなーって、よかったなーって思うんですね。
あのグイの実っていうのはグミの実っていう言い方もしまして、結構グミに似てる、グミのね、あのお菓子のグミに似てるんですけど、まあ食べるとかなり渋いんですよね。
でもなんかちょっとおやつにはいいかなーぐらいの感じで、一粒二粒三粒ぐらいまで食べたらですね、ちょっといいなーなんて思うようなものでですね、ご存知ですかね、グイの実ね。
それはね、もう鳥さんたちがいっぱい食べてくるわけですけどね、で、その中に入っている種がまたどっかに落ちてですね、新しい命が芽吹いていくなんていう、まあこういう仕組みのですね、グイの実、グミの実なんですけれども、シャセブなんていう言葉もあるみたいですね、これの呼び名としては。
で、これをですね、ジャムを作るかとか、シロップを作るかとかですね、思ってたんですけれども、まあそれがですね、ちょっとかびちゃって、なんか3分の2ぐらいダメになっちゃったなーなんていうところがあってさ、
ああ、自然に追われるってこういうことがあるなんてね、自然の時間の中で暮らしていく、生きていくっていうのはこういうことかなーなんてね、思ったりもしておりますが、
まあこのですね、雨、打ちつける雨にね、釣られてですね、ほのかにこの地面の香り、大地の香り、土の香りというのが漂ってきております。
三原ジャヤの魅力
今日はですね、朝、もーちゃんが一つですね、テレビ番組を見ていたんですね、それでなるほど、こんな番組があったんかーなんていうのはですね、今更ながらに思いまして、
そんなところから切り口にですね、お話をしてみたいと思っております。タイトルは、この道にほのかに残る香りをたどりながら、なんていうテーマでお話をさせていただきたいと思っております。
ぜひゆるいと楽しんで聞いていただけたら嬉しいです。まず本題に入る前にですね、この番組は、いろえんぴつ画家のですね、いろえんぴつで繊細な絵を描かれております、いろえんぴつ画家の松梨花さんを応援しております。
松梨花さんは先日、松梨花の彩りというですね、ポストカードブックを発売させてくださいまして、クリプト忍者というですね、忍者のキャラクターたちの二次創作をここでやらせてくださっているんですね、これを作品として届けてくださって、もじゃの石でも届きました。
本当におすすめでございますので、ぜひぜひ覗いてみてください。番組の概要欄にリンクを貼り付けておきますね。
そらさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。ゆっくりしていってくださいね。先ほどまでですね、ラッキョウの皮を剥きながら洗いながら、そらにゃんの収録を聞かせていただいておりました。アーカイブから聞かせていただいておりました。おかげんいかがでしょうか。ありがとうございます。
さてさて、本題に入ります。今日はこの道にほのかに残る香りをたどりながらということでお話ししていきますね。そらにゃんこちらこそありがとうございます。
朝ですよ。もーちゃんですね、いつもアンパンっていう朝ドラを見ているんですね。今ね、高知県が舞台になっていてさ、アンパンマンの作者である柳瀬隆さんをモデルにしたね、そんな話なんですけれども、まあこれがですね、面白いなあと思っているんですが、そのですね、ドラマを見るのが、もーちゃんですね、テレビを見るのではなく、スマホでNHKプラスっていうものにですね、入って、それで見るんですね。
だからアプリで見ているって感じなんですけど、そこにはですね、NHKプラスの中にはまあ様々なNHKの番組がですね、ドゥワーッとあって、それをいくらでも見られると、まあTVerみたいなものですよね。見られるというような感じになっているんですよね。でですね、このですね、中にもーちゃんずっと気になってたんだけど、見てなかったなあっていうね番組があってさ、で今回それを思わず手に取ったんですよね。
その番組とは、ブラタモリです。おいブラタモリかよ、今さらかよ、みたいな感じですけどね。いや、このブラタモリっていうのは噂には聞いていたんですよね。なんとなくこうね、横目で見ていたことはあったんですけど、あ、ソラニアも知ってますか?ご存知ですか?ブラタモリ、ああ、ということでね、なんか横目に見ていたなあなんていう感じはあったんですけれども、まあ今となってはこんなに面白い番組があったのかと、すごく思うんですね。
で、今回の舞台は東京の三原ジャヤなんですよね。あ、たまに録画してます。本当ですか?嬉しいです。今度ソラニアが両丸さんのマルシェin東京、ここでね開かれる場所っていうのは多分大使堂だったので、洋画という駅なのかなと思うんですけど、そこから3駅ぐらい隣に行ったところ、三原ジャヤというところがですね、舞台になっております。
何を隠そう、もーちゃんの高校時代はこの三原ジャヤ渋谷に挟まれた池尻大橋というところがですね、もーちゃんの高校時代の青春の舞台だったんですよね。あ、リラさんこんにちは。ゆっくりしていってくださいね。なのでですね、思わずこの三原ジャヤ三茶というですね、略して言うんですけれども、これにですね飛びついてしまったんですよね。
で、見ていたらですね、ああこういう番組なのかということがよくわかりました。田森さんがですね、その土地の専門家と一緒にその街を練り歩くというか、まあブラブラブラブラ散歩するんですけど、それがですね、よくあるようなグルメリポートの番組ではないんですよね。なぜここがそういう街並みになったのかと。
三原ジャヤといえばですね、三原ジャヤの三にちなんだのかわかんないですけども、三原ジャヤ三角地帯っていうのがあって、まあ駅から出るとですね、よくあるの三狭路があって、そこに挟まれたですね、この一区画っていうのがあって、まあその場所は何があってこんなものができたのかとかってね、あって、そこは戦後の闇市から発展していったものなんですよね、みたいな話があるわけですよ。
はーなるほどなぁと、その戦後の闇市のそのですね名残っていうのが今もなお残っていて、すごくこうごっちゃとか雑多な感じの一区画があるんですね。結構東京って表向きはしっかりと整ったようなですね、感じがあってビルがバンバンバンバンって立ってね、大きな会社がどんどんどんどんって入っているような、そんな感じがあるんですけど、実はその一つ後ろの路地に入るとよくあるのが、
さまざまなちっちゃなお店がガガガガガーンと立っているっていうことです。ちっちゃなお店がいっぱいあるってことは何を意味するのかというとですね、ここはもーちゃんの見解なんですけれども、昔からそこにはたくさんの人が集まっていて、たくさんの知見者、その土地の所有者たちがいたんだっていうことですね。
その土地がもともと区画がたくさん分かれていて、それが今にもなって、今もなおそれが受け継がれていて、そこに異聞なお店が立ち並んでいるっていうことなんですね。昔は三原茶屋っていうのはね、3つのお茶屋さん、三原の茶屋があったと、そういうところから始まっているなんていうことなんですよね。
古い道と地域活動
いやー面白かったなぁと思ったんです。で、もーちゃんがなんでこんなことに興味を持ち始めたのかと言いますとですね、今もーちゃんが住んでいるこの高知県ですよ。高知県ってですね、面白くて、昔の道がまだまだ残っているんですね。昔の道って何かっていうと、山の中の道なんですよ。もう誰も通っていないようなところに道がまだあるんですよね。
で、この道っていうのは一応ですね、年に数回道作りっていう作業の時間があって、有意作業ですよね。これはもうボランティアみたいなもんなんですけど、地域の活動としてその辺を一斉に掃除をしたりとか、あと草を刈ったりとかして、その道、誰も通らない道であったとしても、誰も訪れない公園であったとしても、その山奥の中をですね、景観を保つためにみんなに草刈りをしたり、ゴミ拾いをしたり、
さまざまなことをして保っているっていうことがあるんですよ。でもこれはね、地図に載っているんだか載っていないのか、もうわからないような道になっているんですけれども、そこは昔の人が大きな荷物を背負ってね、徐々に歩いていった道なんだよって。
今は道路をぐんと通れば隣の町まで行けるけど、その道路は結構山を迂回するように作られているでしょって。その隣町までね、速攻で行くならば、この山を越えていくんだよみたいなことがあってさ。
いやー、こんな道通ってたんですか。しかもこの険しい山を1個隣町に行くのに通ってたんですね、みたいなことを思うとさ、すごくロマンを感じてしまうんですよね、もーちゃんはね。
で、こういった古い街並みっていうのがすごくたまらなく面白くて好きでですね、そこに通っていた人たちの思いとか暮らしっていうものに思いを馳せるとめっちゃ面白いなと思っておりまして。
あ、ういさーん、こんにちはー。ゆっくりしていってください。ありがとうございます。はい、今日はね、道についてちょっとお話をしてみたいなと思っているんですね。
でですよ、でですよ、で、もーちゃんが今住んでいるこの小民家ですね、地区150年の小民家をリフォームして住ませていただいているんですけどね、ここのリフォームする前にこの家をね、とにかく掃除するところから始めたんですよね。
で、掃除をするときにですね、たくさんの荷物が出てくるんだ。本当にたくさんの荷物が出てくるんだ。あ、そらにゃん、気をつけてね、これから運転などで潜りますねーって。ありがとうございます。ういさん、昼休みにお耳だけお邪魔しますということで。
わー貴重なお昼休みにありがとうございます。ちょっとでもね、和むような放送になればいいなと思ってるんですけど、こんな早口ですみません。この後、もーちゃんもですね、イベントのワークショップに参加をしなくてはいけなくて。いやいやいやいや、まあ行きますよ。このままどんどん行きますね。
はい、まあそんな感じですね。この小民家をですね、まず掃除するところから始めたんだっていうことですね。そしたらですよ、まあ様々な荷物が出てくるんです。その中に織りなす我が家というふうなタイトルがついた1枚の写真が出てくるんですね。この写真はこの家の航空写真なんですね。
確かですね昭和、いや平成かな?平成に入って間もなくの頃に撮られた。上空から撮られた。多分ヘリコプターで撮ったんでしょうね。今みたいなドローンはないからさ。ヘリコプターで撮った写真だったんですよ。こういった織りなす我が家という名打たれたですね、写真がこのですね、集落、まあ家々には結構残っているんだそうですね。
その当時の風景を残そうというような取り組みだったんでしょうか。この地区150年の小民家ですね、その当時まあ30年、40年くらい前、30年は前ですね、の話なので、まあそうですね120年くらい経ったところの写真だったんでしょうかね。いやー立派ですよ。その当時もすごく立派だったんですけれども、当時と面影が今も残りつつあるんですけれども、
家の前を通っている道が全然違うんですよね。いやーなんかのどかなんですよ。道路がですね、もっと細くって、今ものすごく広い道路になっちゃってるんですけど、細くって、それで車がですね、まあそうですね、まあ過労死で通れるかなっていうくらいで、それでですね、畑がもっと広かったんだなぁみたいなことが分かってきたんですね。
なるほどと、この道路をもっと太くするために畑のところをまあ国に、国とか県とかまあ街に売ったんだなということが、なんかだんだん分かってきました。そうやってですね、昔のその名残っていうものが分かっていく風景がいっぱいあってですね、今この街はですね、時代から取り残されたようなところがあるんですね。
田舎の方の風景って、時代から取り残された風景というか、時代によって侵食されなかったというか、あえて残したというような、そんな風に思えてしまうような風景が今もなお残り続けているなというのをよく感じるところがあるんですね。
経済の変化と影響
それはですね、東京なんかは本当に早いよね。どんどんどんどんスクラップ&ビルドですよね。壊しては立てて、壊しては立てて、壊しては立てて、どんどんどんどんそれでですね、大きな街に発展をしていくわけですけれども、それが手付かずのまま残っているっていうのがこの田舎でですね、田舎はあの時の時代の時の流れっていうのがまだ残っている場所なんだなっていうのを坊ちゃんは感じるんですよ。
で、その名残がありつつも、でもやはりですね、この経済の波っていうのは少しずつ少しずつここにも押し寄せてくるんですね。昔から住んでいる人たちが亡くなっていったりとか、高齢化によってですね、自分たちが動くことができなくなったから何をやろうかと思ったかというと、お金とかに頼る生活になっていくわけですね。
つまりですね、自分たちで畑で作物を作って摂って食べていたっていうのが自分が体動かなくなったから、スーパーに行ってそのまま野菜を買って自分で食べようっていう、こういうことが行われてくるようになるんですね。
12時のチャイムだ。12時になるとこのね、ふるさとっていう曲が流れるんですよ。聞こえます?時報みたいなものですよね。一斉にみんなね、仕事辞めるんですよ。ここから1時間はみんな仕事をしないっていう時間です。
そんなところでございまして、のどかな風景が残りつつもですね、あるんですよね。で、最近大きなトンネルが通りました。トンネルが通ったんですね。これまでは迂回しないといけなかったその道が通らなくて良くなって。
山にですね、どてっぱらに穴を開けて、どーんとですね、町中へ、この僕、もーちゃんが住んでいる山の中なんですけど、そこから町中へすっこうで行けるようなですね、そんな道がですね、できたんですね。これができたことによって、まあね、短縮がされると多分10分から15分間ぐらい、なんかこう町に行くのが短縮されますようなんていうのがありました。
これはね、結構田舎あるあるだと思います。迂回しなきゃいけなかったというか、もともとはそれが普通の経路だったのが、道路がバツンと通ることによって、またトンネルがどーんと通ることによってですね、そんなトンネル通さなくても今までの道使えば大丈夫だったのに、さまざまな理由をつけてね、土砂崩れがあるとか道がよく塞がるとか、洪水になるとここは通れなくなるとかですね、さまざまな理由があって、それでトンネルをどーんと通していくんですけれども、
それによってですね、まあ10分とか15分とかそういうのが短縮されていくんですよね。これはですね、便利になったって思うじゃないですか。そうするとですよ、もともとの道のところに立っていたお店がなくなるんですよ。
そこにはですね、以前焼き鳥屋さんが1軒あったんですね。もっと前はですね、喫茶店とかレストランとかそういうものもどんどんどんどん山のですね、この山路っていうんですか、麓のラインに沿ってですね、いっぱい立ち並んでいたようなんですけど、そういうお店が1軒また1軒となくなっていき、最後焼き鳥屋さんが1軒だけあった。
しかしその焼き鳥屋さんはですね、このトンネルが通ったことによって、この道路、今まであった道路はもしかしたらですね、下手すると1日に1台も車が通らないなんていう日もあるんじゃないかと。まあ通ったとしても工事車両だと工事現場に行くためのそういう作業の車両しか通らないと。そんなことがあってお店がなくなっちゃったんですよね。
で、これはももちゃんの住んでいる街中でも結構起こってまして、街中はですね、ももちゃん山の中に住んでるんですけど、ももちゃんの山の中からちょっと出てったところの街中にも起こってまして、国道が通るんですよね。今まで商店街が大にぎわいしてたんですけど、その隣にすぐ隣に国道が通る。国道が通るって言うとですね、やっぱりその国道って明るい。国道って国が管理しているからなのか、街灯がですね、しっかりと立つんですね。
明るいんですよね。明るいところにやっぱり人は集まってくるもんですね。そしたらですよ、そこがお店がどんどん立ち並んでいって栄えているように見えるんですけど、もともと街の中心地だったその商店街が錆びれていくなんていうことがあってね。
アイデンティティの探求
まあこれもまた寂しい話だなぁと思うんですよ。昔のその街並みっていうのが模型で残そうとか様々な取り組みがあるんですけども、こうやって街の中っていうのはどんどん変わっていくんだなぁと思うんですよね。
今日お伝えしたいことは何なのかって言うと、別に伝えたいことがあるわけじゃないんですけど、ももちゃんが感じたことをですね、こうしてですね、様々に街は移り変わっていくものなんですけれど、こういうふうに街が移り変わっていったその背景というか物語っていうのがやっぱりここの中にはあるんだなということを改めて感じたんですね。
タモさんの村タモリみたいなことを感じるわけですね。でですよ、ももちゃんがやっぱりこうやって昔の話だとか道とかそういう話をですね、結構させていただくのはですね、一体何でなのかなっていうことが、ふと自分を見つめ直すきっかけになったんですね。
それは一言で言うならば、自分自身を解体するため、解きほぐすため、そして解き放つためなんだろうなぁなんていうことを思うんですね。
もちろんですね、昔のことを知って、面白いな、楽しいな、興味深いなっていうことももちろんあります。本当にもうただただ単純にその歴史に興味がある、ロマンを感じる、面白い、楽しい、嬉しい、そんな感じももちろんあるんですけれども、それ以上にですね、それ以上にやっぱりそこに込められているものがあるような気がしましたね。
それはですね、自分自身はいつもどこかの世界に所属をしながら、この世界を眺めている、見つめているんだなっていうことを思うんですよね。
今さ、いろんなことを客観的に見ようだとかさ、それから主観を排除しようとかさ、ただそれはあるだけなんだよとかさ、自分の思想、宗教とか信仰とか、自分の生まれ持って受けてきたその教育によって培われてきたこの思想というもの、思い込みだったりとか、そういうものとか。
あと好き嫌いですよね。自分自身の好きや嫌いとかさ、あと習慣ですね。習慣っていうのは、なんとなくこれはこういうもんでしょうみたいなふうに、自分たちはさ、お金借りたら返すもんでしょうみたいな。
物っていうものは買うものでしょうとかさ、いつもいつも自分の中に巡っていた、そういった思考の習慣みたいなものがきっとあると思うんですね。こういったものから抜け出すっていうことがとっても大事なことのように思えてくるんですね。
やっぱり様々に時代は流れがぐっとね、本当にもう桁魂くらいの音を流れていますから、そこの時代の流れに飲み込まれてしまいそうな気がしていて、いつの日か自分自身、自分が何をしたいんだっけとか、自分自身のことがわからなくなることってあるだろうなぁなんて思うんですけども、そういったときって言うこときもですね、なお常に自分自身はどこかの世界に所属しながらそのことを見ているんですよ。
もうちゃんはですね、今、都会の中にいた自分を解体したんだな、解きほぐしたんだなっていうことを思うんですよね。都会の時に、中にいた時には自分は消費者として生きていくしかないと思っておりました。何かを生み出すとか何かをクリエイトしていくなんていうことはですね、もうあつい思っていなくって、とにかく自分自身はとにかくお金を得て、それで何かを買っていくことで経済を回す、そういったような文化の中にいたんですよね。
文化の中にいたんだっていうことだったんですね。だけどその文化っていうものを解き放ちたいと、放たれたいと思って、今田舎に移住をして4年目になりました。その田舎からですね、その都会を眺めているんですね。そうすると都会にいた時のですね、自分がどんどん解きほぐされて、そして解体されて、解き放たれていったような気がしているんですけど、そういったもうちゃんも今なおですね、田舎の中の世界の中にいると思うんですね。
そういったことがあってさ、何かを論じたり、何かをこうやって発信、配信するっていう時には、いつも常にどこかに所属をしてるんだなぁなんていうことを思うんですよね。本当に公事権の存在だとかね、宇宙だとかっていうこともいろいろ言われますけれどさ、だけどそういった時には、そういった世界観の中で語っているんだなぁっていうことをやっぱり思うわけですね。
なんていうことがあるのでね、どんな世界も否定するものではないし、ということは思うんです。
道の成り立ち
で、今もうちゃんはそんなことを思いましたので、やっぱりこう民族学とか人類学、歴史学、考古学みたいな昔の人たちが生きてきたっていうことをですね、結構大事にしながら、そこでどんなことが行われていたんだろうっていうのをね、眺めながらですね、見ていけたらなぁなんて思っております。
はい、じゃあ最後にはですね、今23分話したので、あとちょっと最後お話をしていきたいと思いますね。道ってどのようにして作られていったのかなんていう話をね、してみたいと思いますね。
つまりですね、道って最初は何もこう開拓が出されてなかった原っぱだったり森だったり、そういうところから始まっていくはずなんですよね。
自然界の中をじーっとじーっと見ているとですよ、これねもう草でいっぱい覆われているんですね。
もうちゃんは目の前に自然農をやっている畑があるんですけども、その畑はまあとにかくですね、草がボウボウ生えております。
その草はですね、ボウボウ生えている中もですね、よーく見るとですね、ちっちゃなちっちゃな道があるんですよ。
ちっちゃな道があるんです。これをですね、見つけられるか見つけられないかっていうことは、実はですね、地面とか大地に目を向けられるかどうかのこの瀬戸際に立っているんだなあっていうことを思うんですね。
もうちゃんはね、この自然界のところに来てから、まあ人がですね、まあ自分でこう大きな力をかけて道をここにドーンと通すんだっていうようなところを解体することができたんですね。
この考え方を知ってというか、この事実を知ってですね、よーく見るとですね、道があるんですね。草と草の間に何かほのかにクニャクニャクニャクニャ曲がっているような道が見えます。
この道はですね、実は風の通り道なんですね。草と草の間には必ず風の通り道があるというものなんですね。
草がですね、群生といってぐしゃーっとですね、もう一塊に生えていたとしても、そのぐしゃーっと一塊に生えているものと生えているもののその間の境界線というものが何となく見えてくるんですね。
草にとって風っていうものは必要なんですね。風がふーっと通ると、それってすごくね、草にとっても心地いいものであって、まあ空気が回るということは病気になりにくいっていうことがあります。
猛ちゃんたちもね、やっぱり部屋にずーっと塞ぎ込んで一つの部屋で換気もせずにずーっといるとさ、病気になってくるよね、具合が悪くなってくるよねっていうことが自然界でも外の世界でも実は起こっていてですね、外の世界はもっともっとデリケートなものなんだなぁなんて思いますね。
そういったちっちゃなちっちゃなこの風の通り道がとても大事なんです。そしてその風の通り道を今度は何者かが踏んでいくんですね。
そうです。獣です。獣がですね、その風の通り道を見つけて通っていくんですね。するとその通っていった道は草がどんどん倒されていったりとかしてですね、広げられていくんですね。するとそのとこに生えていた草たちにとっても嬉しいことです。
なんですよ。そしてその獣道っていうものを今度は人がですね、その獣道を利用してですね、道を作っていくんですよね。まあこういう風にして人は最初から全力を自分で全部自力でですね、自力をかけてですね、道を作っていったんではなく、なんとなくそこに道があったよね。
それが押し広げられていったよねっていうところを利用して移動していたっていうことなんですよね。これめっちゃ面白くないですか。で、そこからですよね。その道を通っていって人はいっぱいこう集まるようになっていって村ができ、集落ができ、村ができ、そして町ができていって市ができていって県ができていてみたいな風になっていくんですけれども。
こうやってどんどん人が集まっていくと、そこに集まるためのですね、道っていうものがどんどん通っていくんですね。で、これっていうのはちょっとね、海外の方の道の出来方とは違うのかなと思ってます。結構これ日本特有の出来方なのかなと思ってます。
自然との共生
っていうのは海外ってさ、今さ、僕もーちゃん家族と子供たちと勉強してるんですけど、今世界史勉強してるのね。世界史の勉強してるとさ、写真見ると本当に砂漠なんですよ。荒野なんですよね。本当にすごくてさ、そこによく文明が栄えたよねって思うくらいさ、すごい荒野なんですけど、どこに道通してもいいよねっていうような感じなんです。
だからローマ帝国ができた時に全ての道はローマに通ずっていう話がありますけども、ローマ帝国っていうものができた時にさ、そこに向かっていろんなとこから道が作られていったわけじゃないですかね。なんですけど、日本っていうものはさ、結構違って、自然の中で生きてきたから、自然の中っていうのはある意味森の中で生きてきたからっていう自然ですね。
本当に自然の作ってくれた道っていうのをうまく活用しながら生きてきたんだなぁなんて思うんですよね。っていうところが今のモージャの現在地です。ここまで行くと、今のですね、国道とか県道だとか、あと商店街だとかですね、アーケード街だとかですね、そういった道の解体っていうものができるようになってくると。
ちょっと思ってですね、そんなモージャも今自然の世界の中っていうところの田舎のね、とある街の中だけですけども、そういった街の中から眺めているので、そんなモージャ自身もまたいずれ自分で解きほぐしていって、そしてまた解き放たれていくという瞬間があるんだろうなぁなんていうことを思っておりました。
最後まで聞いてくださったあなた、ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。本日はですね、この道にほのかに残る香りをたどりながらというお話をさせていただきました。いかがだったでしょうか。
ブラタモリさんからね、始まっていって、道がどのようにしてできていくのかとか、その道を使ってどんな風に生活をなされていったのかなんていうこと、街が出来上がっていったのかなんていうことからですね、始まっていきましたけれども、最終的な着地点は自分自身をどう解体していくのか、そして解き放っていくのかなんていう、ちょっとそんな気持ちのお話にもね、つながっていきましたけれども。
はい、何かなんですよ。だから僕たちは何かの文化とか何かの世界に、中に所属しながら生きているんですよ。だからこそですね、様々なこの詩とか様々な物語とか映画だとかゲームだとか音楽だとか、こういった文化ってすごく必要なものだな、大切なものだなって何か思いますね。
何かのために、何か学ぶためにそういったものを享受するわけじゃないんだけどもさ、何だろう、その物語を読んだ時に自分が楽になったとかさ、この音楽を聞いた時に何か自分を励まされたとかさ、そういうことがある時って何か自分の心が解き放たれた時じゃないですか。
そういうものをいっぱいいっぱいさ、自分の中に心の栄養として、月並みな言葉ですけども、蓄えていくとですよ。まあいずれですね、その自分自身の違うと思うものは違うと言える。正しいと思うのは正しいと言えるって、そういうものになっていくのかななんて思っております。
もうちゃんも今ですね、そのこだまこまちプロジェクトということで物語作ったりとか、今本を一冊書いたりとかさせていただいているんですけれども、それって何かを伝えたいっていう思いももちろん去ることながらですね、去ることながら、何だろうね、そこにあるだけで、そこにあるだけで、あなたいてくれてよかったって、あなたのことが本当に探してたのって、まだ会ったことがなかったのにね、あなたに会いたかったような気がするみたいなね。
そういうのが何か巡り合いって素敵じゃないかなって思うんですよね。まださ、自分たちに見つけられたいけど見つけられてないっていうようなものがね、あるかもしれません。それはお店かもしれないしさ、何か作品かもしれないしさ、音楽とかそういうものかもしれないしさ、料理かもしれないしさ、わからんけれどもね、そういったものをいっぱいいっぱい知っておくと、自分自身が何か解体されていく、解き放たれていくような、そんな感じがしていきますよねと。
いうことです。なんだかその学校の教員だった時って何かを身につけるとか、毎回毎回授業ではね、何かができるようになるっていうような目当てを立てるんですよね。何ができる、何ができるってプラスプラスプラスでやっていくんですけれどもね。
何かそれを引き算しようって話じゃないんですよ。引き算しようって話じゃないんですけど、プラスがあるっていうことは、その先が実はあってプラスができてきたからこそ、つまりいろんなものを知ることができたとか、知識を蓄えることができたとかっていうことは、いっぱい知っていて何かができることが大事っていうことのその先がまだ多分あるような気がしております。
で、それっていうのが今の盲茶の現在地からするとですね、自分自身がこう世界が広がっていくような感じがするんですよね。今自分が正しいと思っていたこととか、知識これしかないと思っていたことがちょっと何か緩むというかですね、何かそんな感じがするな、ほぐれる感じがするな、なんていうことを思っておりまして。だからね、学校って卒業した後がすごく大事なのかなって思ったりもしています。
はい、ということで余談が長くなりましたけれども、いかがだったでしょうか?最後まで聞いてくださった方は是非いいねやフォローで足跡を残していてくださいね。はい、今日ですね、メールマガジンを最後にお知らせさせていただきたいと思うんですけど、今メールマガジン、こだまこまちのプロジェクトのメールマガジンが3号まで行ったのかな?次第4号だったと思うんですね。
もうちゃんたちって、今この団体というかプロジェクトをどんどん作って拡大していく、拡大というか何か皆さんにお届けできたらいいなぁなんて思っているんですけれども、人の輪が広がっていくということはとても大事なことだなと思っております。
メールマガジンを受け取ってくださる方やこのラジオを聞いてくださっている方々も、もちろんこのこだまこまちプロジェクトを応援してくださっている方々だと、そして一緒に作り上げてくださっているメンバーなんだということをすごく心の底から思っております。本当にありがとうございます。そんな中でですね、もうちゃんたちにキャラクターを作ってほしいという依頼をしてくださる方がいるんですね。
そういった方々がどういう方々かというと、農産物を作っているとか、そういう方々ですね、あと自然の中で生活をしたりとかなりわいにしているという方々が、木とか植物の擬人化をしてほしいというような感じで依頼をくださるんですよ。ありがたいことでね。
もうちゃんたちはですね、高知県、同じ高知県でお住いで活動されている黒潮町というですね、海の町があると。海の町ってさ、結構砂地がさ、砂じゃないですか。だから地面としてはそんなですね、肥沃な土地じゃない。でもその肥沃じゃない土地のところで育つ作物はいっぱいあるんですよね。その中の一つがラッキョウだとかって言ってました。
児玉小町プロジェクトの紹介
そのラッキョウ農家さんがですね、もうちゃんたちにラッキョウの養成を書いてほしいと言って、それをお仕事を受けさせていただいたっていうことがあったんですね。これをラッキョウの養成をいつかパッケージにしたいんだっていうことがあって、いいですね、いいですね、なんていうふうにおっしゃってくださったんですね。
その仕事をやらせていただいたんですが、そのラッキョウ農家さんにもですね、お声掛けをさせていただきました。このメールマガジンとかを使ってですね、つまり僕たち児玉小町プロジェクトがあなたのラッキョウをファンの方に、児玉小町ファンの方にお届けできるようにおつなぎしますよみたいなこともね、お話をさせていただいたんですよ。
そしたらすごく快楽いただけて、これがね、いつになるかわかりません。もうラッキョウのシーズンって今なので、今年の分はもう終わっちゃったというところがあるのでね、また来年とかの話になるのかなと思うんですけども、これからですね、さっき猛ちゃんたちをずっと追いかけ続けてくださったら、きっと児玉小町プロジェクトにゆかりのあるですね、農産物、もちろん猛ちゃんが作った果物やお野菜もしっかり、また大猛ちゃんたちのですね、仲間が作っているラッキョウだとか、
あと養殖しているお魚だとかですね、わからないですけどね、どこまでいけるかわからないんですけど、そういうものを皆様にお届けできるような橋渡しもできていくのかなーなんて思ってですね、いやーこの児玉小町プロジェクトすごい面白いじゃん、猛ちゃんでございました。またお会いできることを楽しみにしております。今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。あなたとあなたの大切な人に森の青年のご家族が訪れますように。