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おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
4月21日、月曜日の夕方に収録をしております。
いかがお過ごしでしょうか。
今日も外から収録をしています。
いや、高知県ね、もう今日夏ですよ。
本当にめちゃくちゃ暑くて、いつもだったら車の中で収録をしようかなとか。
ちょっとね、室内やるんですけど。
今日も無理無理無理。暑すぎてもうね、ゆだっちゃう。
そんな中ですね、今日は引っ越しの作業をさせていただいていたんですね。
いやもう本当に今月引っ越しだらけなんですよ。
実家も引っ越しをしたし、僕もうちゃんもですね、同じ街の中なんですけど、引っ越し作業をしています。
と言いますのも、もうちゃんはですね、3年前に東京からこの高知県へ移住をしてきました。
その時に家族と一緒に来たはずだったんですけれども、
家族5人で住めるような物件がなかったんですね。
なので、僕以外の家族は同じ街の中でほど近い場所ではあるんですけれども、別の3階建ての物件に住んでもらっていて、
そしてもうちゃんは、街がね、役場が借り上げてくださった、そんな家にですね、住まわせていただいておりました。
まあね、たまにはさ、ほら、どんなに家族で仲良くってもさ、1人になりたい時ってあるじゃないですか。
僕にとってすごくありがたい場所であったんですね。
1人でその暮らしが営むことができるっていうことだったり、またこういったオンラインの会議だったりですね、
またこういう配信だったり、そういうのを落ち着いてできる場所っていうのがあるのがすごく僕にはありがたかった。
一番ありがたいなって思ったのはですね、自分専用のキッチンがあるってことですよ。
いや僕ね、東京にいた時、もう笑っちゃうんですけど、一応1Kという間取りだったので、キッチンはあったんですよ。
そのキッチンがですね、もう笑い事なんですけど、まな板を置くスペースがないんですよね。
まな板をね、コンロとそれから流しの間のちょっとしたこのスペースに置こうものならですね、まな板を縦に置くしかないんですよ。
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そして縦に置いてもなお、はみ出てしまうんですよね。
だからさ、切ってるうちにそのはみ出た部分がさ、流しの方にあったりとかするとさ、
もうガコンとか言ってまな板がひっくり返っちゃうみたいなことがあると怖いじゃないですか。
僕は料理が大好きだったし、料理教室にも通いまくってね、料理のインストラクターの資格を取るぐらいにまでなりました。
なんですけど、家で料理をするっていうことがもう無理だったんですよね。
無理というかまあしづらい。料理をしたいと思えるようなそんなキッチンではなかったんですね。
っていうようなこともありまして、もうちゃんはですね、この高知県に来た途端にそういった一人暮らしのキッチンが広々としたそんな家をあてがっていただいたんです。
その家というのはですね、もう一軒家だったんですよね。
だからね、僕ねすごく嬉しかったの平屋の一軒家で。
もうちゃんはですね、これまで集合住宅みたいなところにずっと住んでいたので、一人暮らしで一軒家スタートかよみたいな。
そんなのにですね、すごくワクワクドキドキしちゃったっていうことがありました。
で、その生活も明日でおしまいです。
明日の午後、対居に伴う立合があって、それをもってこの家に来ることはもうなくなるんだなというようなことでございます。
いろいろありましたね、この3年間ね。
本当に考え深いなぁと思ったんですけど、
今日のね、この配信ではもうちゃんが移住をするときに何を大事にして場所を選んだのかっていうそんなお話をさせていただきたいと思っております。
これから移住を考えているよという方だったり、なんだか今の暮らしでいいのかなぁともやもやしている方だったりね。
その方もね、結果的に今住んでいる場所が住めば都と言ってもいいかもしれませんが、
今住んでいる場所が本当に自分にとっての人生で一番いいところっていうこともあると思うんですよね。
なのでそれを再確認するためにもですね、ぜひぜひこの放送を聞いていただけたらなと思っております。
ということで始めていきましょう。
この番組は4月27日に自然あふれる高尾山でCNPトレカ交流会を無料で開催する。
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そのためのクラウドファンディング、先日満員オンレー完売オンレーで見事達成いたしました。
木の名刺サポートコミュニティの木下さんを応援しております。
木下さん、いつもいつもありがとうございます。
さて3年前、さまざまに聞かれたことがあります。
なんで高知県なんだい?なんでこの町なんだい?
さまざまに聞かれたことがありました。
僕は東京でこれから生涯共に歩んでいこうと決めた、そんな人に出会うんですね。
その方と僕はこれから生きていくにあたってじゃあどんな暮らしをしていこうかっていうことを夢を語り合ったような気がしています。
記憶は定かではないです。
その時にですね、まあ馬があった馬がありましたよ。
本当に東京でお互いにそこそこの暮らしはしていたと思うんですよ。
食べたいものはいつでも食べることができたし、それからそこそこお金をいただいているお仕事だったので、
住みたい場所に住むことも住もうと思えばできた。
そんな僕たち2人だったんですが、子供たちがですね、今回学校にちょっと行きにくいというか、行けないというか、そういうことが分かっていたんですよね。
そうなった時に、僕たちってもしかしてこれ考え方によってはすごくラッキーなんじゃないっていうことを僕が言ったような気がします。
それはですね、子供たちが学校に行っていないということは、学校のそばに住むという縛りから外れたんだっていうことなんです。
どんだけポジティブやねんって感じですよね。
学校に行くそんな年齢のお子さんを持っているご家庭はですね、とにかく学校という場所に縛られます。
学校のそばに住まなきゃいけない。
だから引っ越しをしたとしても、やはり町の中であったり学校のそばっていうことが必ずこれは大事になってくることなんですよね。
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なんですが、学校に行かないので、はい。
いやー、どこでも住めるじゃんってなったんですよね。
あとは僕たちが今やっている仕事を手放すその覚悟があるかどうかでした。
モーちゃんはその時、東京で小学校教員をしていました。
もう11年間やっていたんですね。
これはすごく僕はやりがいがあって楽しい仕事でもありました。
もちろん大変なこともいっぱいあったし、僕は上司からですね、君は人格が欠落しているなんていうふうに言われたりもしましたので、すごく心に傷を負ったっていうことがありました。
人格の欠落っていうのはですね、一言で言うと子供を叱ることができないということだったんです。
僕は一人一人の言葉をよくよく聞いて対応していきたいと思っていたので、
頭ごなしに叱るとかしつける、これはルールです、守りなさいっていうことがどうしても言うことができなかったんですね。
一つ一つなぜこの決まりがあるのかとか、どうしたらみんなが気持ちよく過ごすことができるのか、これを話し合いそしてルールを作っていきたいっていう思いがあったんですよね。
どうせルールというものがあるのであれば。
学級とかそういうものってコミュニティだと思うんですよ。
一つのコミュニティです。
それは最低限のルールはありますけど、そこから一つ一つみんなで作り上げていくものじゃないですか。
僕はそれをしていたんですが、そしたらですね、自由なクラスができました。
みんな本当に生き生きと楽しい、そんなクラスができたんですが、
もうちゃんのクラスは授業がやりにくい、なんていう評価を他の先生たちからいただきまくったんですね。
もうちゃんは授業がやりにくいなんていうことを思ったことは一度もないんですけどね。
ただそのなんていうかですね、自由に発言をしてしまうとかコミュニケーションを取り合ってしまうということが当時その学校では認められなかったんですね。
もちろん授業を受けるときは受けていますけど、でもそれがね難しかったんですよね。
じゃあ僕がやってたことはですね、本当に正しくなかったのかと言いますと、
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まあこれ話していくと長くなっちゃうんだけれど、僕はね一つの信念を持ってやってたんですよ。
それからそれはね数字にもちゃんと現れたんですよね。
僕がですね、勤めていた学校は学力がもうこれ以上上がることはないっていうぐらいの頭打ちしているような学校でした。
だから全国平均の中をもう群を抜いて学力はトップレベルだったんですね。
ただその反面何が起こっていたのかっていうと、一人一人が自分自身の中で自分を大切にしたいと思う気持ちだとか、人を大切にしたいと思う心だとか、
はたまた勉強が好きっていう、この教科が好き、国語が好き、算数が好きと、このね成績はいくらでも高いんだけど、この勉強が好きっていうことがね不思議なことに低い学校だったんですよね。
これね面白いですよね。できるのに別に好きじゃないよっていうことです。
めっちゃお金稼いでてるのに全然仕事楽しくないんだよねって言ってるのとすごく似てますよね。こういうことがですね本当に起こっている学校だったんです。
一つの課題だったんですね。でもそれは仕方がないよ。
だけどね数字の面では進学実績もいいし、もう抜群にいいし、これ以上何か求めるものってないんじゃないのっていうくらいのことをやっぱり言われていた学校でもありましたので、そこにアグラを書いてですね、あまり子どもたちの一人一人の内面っていうものをサポートするっていうことをしてなかったわけじゃないです。
それは言ったら語弊があるのでね。だけど僕の目から見るとですね、それよりも大事なことは規律をビシッと守ることっていうそういうことだったんですね。
もうちゃんはそれがすごく息苦しくってそれをやりたくなかったんです。そしたら人格が欠落してるって言われた。
もうちゃんはそれをやってたら一人一人の勉強への興味関心というものがぐんと上がったし、それから自分自身で調べていこうとか学習を深めていこうと思うような子たちがどんどん現れたし、自分自身は大切な存在なんだっていうふうに思える子たちがいっぱい増えたんですよ。
これも本当にこの学校始まって以来なんじゃないかっていうくらいのですね、ここ数年例を見なかったよねっていうくらい、そういったアンケートですけども、子どもたちがいいというかね、一つの結果が出たんですよね。
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だったんですけど、もうちゃんはそんな中ですね、君は人格が欠落しているって言われたりとか、他の先生にあのクラスは授業がやりにくいんだっていうふうに言われたりとかですね、先生の仕事っていうのはそういったどんなクラスであってもやり遂げるっていうのが仕事、プロだと僕は思うんだけどね。
なんかそういうふうに言われてしまってですね、その子どもたちの個性っていうものを大切になかなかできないなって思ってた。そしたら自分の個性っていうものもわかんなくなってきちゃったんですよね。なんていうことがあって、ここで一つ自分のこれまでのキャリア、あつまり小学校教員の人生っていうのを一回区切りをつけてみようかなって思う気持ちが出てきておりました。
もうとにかく僕はそれで疲れ果ててしまっていたんですね。そんな時にそのパートナーと出会い、これからどんな暮らしをしていきたいかって思った時に僕はですね、仕事よりも暮らしっていうものを大切にしてみたくなったんですよね。
僕たちの人生は暮らしが一番大きいものです。その次に仕事というものがあるんです。いや、次にかな、その次の次の次の次の次ぐらいに仕事というものがある。確かに日本人、仕事に捧げる時間がめちゃくちゃ大きいですよね。
だからどうしてもこの仕事というものがですね、メインに出てきてしまうんですけど、僕はなぜ東京に住んでいるんだろうっていうことをですね、振り返ったんですよね、その時にね。
そしたら恐ろしいことがですね、分かっちゃったというか気づいちゃったんですよね。なんで東京の学校に勤めていたんだろうと。別に東京の学校でよかったんですよ。よかったんですけどなんでなんだろうって。そしたらですね、分かっちゃったことはですね、これだったんです。それは東京の大学を卒業したからです。
実家はですね、神奈川県だったんですよ。だけど東京に大学に行って卒業したから就職は東京でしていくっていうことがですね、なんか自分の中にあったんですよね。
それでなんか何の違和感も感じず東京の学校に就職をしました。そしたら住まいもまあじゃあ職場の近くがいいよねってなって、その学校からほど近い自転車で5分か6分ぐらいのですね、そんな都会のど真ん中に住むことになったんです。
ほんと都会のど真ん中ですよ。隣の駅が新宿だからね。もうそんなですね、都会の中心に日本の中心ですかね。首都ですよね首都。首都ですよね。そんなところに住むことになったんですよね。
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だけどそれをすごく違和感を感じちゃった。僕、住む場所ってすごく大事なことだなって思った。やはり教育のことを志していたときに環境っていうものはすごく大切なんだっていうことに気がついたんですね。
自分自身が置かれている環境っていうのはまあそうですね、自分で選んだというよりも成り行きでなっているっていう導かれたっていう、そういう場所に住んでいたんだなっていうことに気づかされましてね、それでこの学校に勤められたことをこの場所に住めたこともすごく嬉しかったんですが、今回じゃあ自分たちで住む場所を決めようよっていうことになりました。
で、その時にですね、よくあるのは実家が近い場所とかですね、自分のゆかりがある場所とか、そんな風に決めると思うんですが、僕たちが最初に考えたことはこれでした。
雪が大変じゃない場所がいいよねって。僕ね、ウィンタースポーツとかね、結構やってきたつもりではあるんですけれど、仕事でも何度かあったしね、スキーとかスノボとかさ、なんですが、なんかね、僕ね、雪の中で過ごすっていうのが結構ハードできつかったんですよね。
なので、どうしても暖かいところが良かった。だから東京よりも南、もしくは西側に住もうっていう話になったんですね。で、TikTokで2人でですね、いろんなショート動画を見ていきました。
で、ずっとずっと見ていくと、だんだんこうアルゴリズムがですね、学習をしていきますよね。僕は、僕たちは、なんかこう、高知県というところにどうも惹かれてるらしいぞってなった。海もあれば、山もある、川もある、食べ物も美味しいらしいぞ。
そんな場所にですね、思いを馳せたんですね。一度も行ったことがないのにね。ということで、僕たちは2人で、高知県にまず行って見学をしてみようってなったんです。
ただ、その前に、じゃあ高知県のどこに住もうかっていう話になっていて、高知市、つまり県庁所在地で、よく都会ですよね。都心部に住もうかとかですね。それからもっと田舎の方なのかとか、田舎すぎて大丈夫かとかですね。いろんなことをですね、僕たちは話し合いました。
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イベントにも出たんですね。当時はね、コロナが真っ只中だったんですよね。だから、現地でのですね、イベントとかってものも開催をされなかったし、それから東京でのですね、イベント、なんか移住イベント、相談イベントみたいなものも少なかったんですよ。
なので、オンラインのイベントがどんどん立っていってですね、まず最初に僕が出たのは、高知県の中心部、市ですね。市、なんとか市っていう市ですね。市内のですね、暮らしっていうもののイベントに参加をしました。
そしたら、まあね、都会なわけですよ。チェーン店は少ないんだけど、高知県は。なんですけど、まあオフィスに行って働いて、また帰ってきて、スーパーに寄ってご飯を買って帰ってきて、食べて、またオフィスに行ってっていう毎日が繰り返される。
これ東京でやってるのと変わんないじゃんって、なんかなってて、そうじゃない人もいると思いますけどね。で、僕はじゃあもっと違うところがいいね、山かな、海かなっていう風になりました。
で、そこでもう1回ですね、イベントに参加をした時に、どうもこの山々に惹かれてるらしいぞ、この立体的な景色超面白いじゃんみたいな風になって、で、行くことになったんです。
で、その時にですね、山と川を抱いている町はいくつもあったんですよね。
4つぐらいかな、この川の流域にはですね、町があるんですけど、なんで僕は今住んでいる御地町という町にしたのかということなんですね。
で、これはですね、ここは一番伝えたいことなんです、今日は。
それは何もなかったからなんです。何もなかったからこの町を選んだんです。
他の町はね、もうね、PRがめちゃくちゃ上手でした。
うちの町にはこんな施設があります。
例えばですね、こんなスカルストがあります。景色がいいんです。すごくいいんです。花もいっぱい咲きますよ。
いいですね。図書館だってありますよ。素敵だね。
それから何でしょうかね、あとはですね、林業やるならうちの町です、なんていうのもありましたしね。
本当に様々ですね、その自分の町のPRをしまくってたんですよ。
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そんな中、一つだけ、僕が今決めたこの町だけですね、PRするものがなかったんですよ。
強いて言うならば、この町で一番アピールできるのは病院が多いですっていうPRでした。
本当にそう言われたんですよ。どういうことですかって。いや、高齢者の町だからね、病院はいっぱいあるよとか言うんですね。
就職口はどうなんですかって言ったら、あ、病院なら働けるんじゃないとか、そんなこと言われるんですよね。
いや、ちょちょちょちょ待てよ、それしかないんですかって言ったら、はい、ないですとか言うんですね。
で、すごく気になったんですよ。すごく気になったんですよね、この町のことがね。
何もないって言われてると、一番元気がなさそうだなって思ったんですよね。
元気がないって言ったら語弊がありますけど、なんか落ち着いちゃってる町なんだろうなって思ったんですよね。
で、僕はこの町にすごく興味を持ったんです。
この町を含めたいくつかの町を回る、そんな実地の現場の見学ツアーっていうものを組むことにしました。
パートナーと一緒に。それで高知県に初めて入ったんですね。
僕たちはすぐに移住をしたいと思っていました。
移住ってね、人生のやっぱり大きな節目なので、いやー3年後か5年後ぐらいにはしたいですねみたいな人たちが多い中、
いやもう3ヶ月後にはしたいですみたいなことを言う、そんな僕たちだったわけですよ。
だから、ですから、もうね、向こうも本気で真剣にですね、ぜひうちに来てくださいっていろいろ言ってくださるんですよね。
PRがすごい。で、そんな中、うちには何もないけどもまあゆっくりしていきやよって言ってくれた、そんな町が今僕が住んでいる町なんです。
確かにここに来てみてわかったことはですね、観光地と呼べるものがないんですよね。
ゼロということではないんですけれども、別にそれをPRしようとしてないんです。
ていうかですね、宿が少なくて、いやなくはないんですけど、宿がほぼゼロというかですね、当時本当にいくつかしかなくって、
しかもそこが繁盛しているわけでもなかったのでね、ここが観光地としてなんか栄えたとしてですよ。
泊まる場所がないということでですね、なんか観光のPRできるようなものがないと。
よくあるのは移住相談とかであるのは、ここはどんな町なんですかとかって聞かれたときに言われるのがですね、観光地を言われるんですよ。
例えば東京だったら、うちは東京タワーがありますよとかね、あと富士山とか見えちゃいますよとかですね、こういうPRをされるわけですね。
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ああそうか、東京タワーがある麓に住めるのかとかですね、そんないろんなこと言うんですけど、実際住んでみて東京タワーには行かないですよね。
それと同じようなことが実はこの町というか、この僕たちが住んでいる場所では起こりまくっているんだろうなと思いました。
つまり暮らしを営むために何か特別なものが必要だろうかということなんですね。
必要、僕たちはないと思いました。これは人それぞれなんでいいんですよ。
で、いまだにですね、やっぱり言われます。僕たちは絶対に田舎には住むことができません。都会に一生住み続けたいですとかっていう人たちがおります。
じゃあ何がいいんですか都会のっていうふうに聞くと、映画館があるじゃないですかとかですね、ゲームセンターがあるとかですね、カラオケボックスがあるとかですね。
そういうこと言うんですよ。あとは便利だよねみたいなこと言うんですね。便利って何が便利なのかっていうことを聞いてみるとですよ。
あの服を買うお店がすぐ近くにあるとかですね。渋谷にすぐ出られるとか新宿にすぐ出られるとかそういうことを言うんですね。
そこに行ってやることや買うものっていうものはそんなにね、まあないですよね。いっぱいないですよね。
で、おしゃれが好きだったら確かにそういった洋服屋さんが近くにあるのがいいんだとかね。ご飯食べるのが好きだったら外食する場所がいっぱいあるっていうのがいいんだっていうことになりそうですけれどもね。
ただ暮らすっていうこと?この暮らしを楽しむっていうことになっていった時にですね、僕たちはどんなにお金があったとしてもです。
これね、この間めちゃくちゃ先輩にね言われたことなんですけど、なるほどなと思った。
あの当時ですね、テレビでこんなのあったんですよ。長者番付けっていうんでしょうかね。
とにかくこう資産額が多い人たちは誰なのかとかって言って、アーノルド・シュワルズ・ネッカーがなんか確か17位とかそんなんだったっていう。
なんかそんな、そういうような感じのですね、イーロンマスクがいくらだとかいろんなものがあったんですけど。
まあこれだけのお金があったとして、でも僕たちができることってやっぱりこう、食べて寝ること、これが生きていくことなんだよねっていうことを先輩と話していました。
確かにたくさんのお金があれば救える人たちが多かったりとかできる景色、こととか見える景色って多いのかもしれないけど、
まあ人間というものは、3食食べて、そして寝て、また起きて、それの繰り返しだ。
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それができればいいんだっていうことをおっしゃるわけです。確かになって思いました。
そう思った時に、じゃあカラオケボックスが必要だろうかとか、映画館、僕も映画大好きなんですけど、映画館というものが絶対近くになきゃいけないだろうかとかですね。
まあ様々なことを思ったわけですね。いや、そうじゃないかもしれないなっていうことがようやく気づけた。来てみてですね。
それで、じゃあ暮らしに必要なもの、暮らしを楽しむって何なんだろうっていうことから始まったのが、僕のこの移住の物語の始まりだったんです。
結局、僕がやりたかった暮らしっていうものは、今、叶えつつあります。
でも、もう少しだなって思ってるんですね。それは何かっていうと、僕は木のように生きたいっていう気持ちがあります。木のように生きたい。
僕はこれまでですね、様々な場所に駆けつけて、そこで自分の力を発揮するっていうことに生き甲斐を感じていました。
なので、すごいね、移動しまくってたんですよね。移動距離っていうのは、イノベイティブな力と発想と比例するみたいなことをよく言われていたので、とにかく移動、移動、移動でした。
ただ、僕の生き方、僕の本質としては、実は頼られるっていうことだったり、寄りかかられるっていうことがすごく多いんですよね。
それを僕はこれまでその場所に行って、どうぞ寄りかかってください。どうぞ僕に力にならせてくださいって言って、やり続けていきました。
ただ、それは動く木だったわけです。木というものは、どっしりと構え、根を張り、天に向かって枝葉を広げ、
そして、そこに訪れた人を木陰でお休みさせてあげたり、はたまた果実を渡してあげたり、はたまた雨から守ってあげたり、恐怖の盾になったりするものなのかなと思うわけでございます。
とするならば、ももちゃんはここの場所がすごく気に入った。今も遠くで鳥が鳴いている、川が流れている、虫が鳴いている。
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こういった場所で、僕はあなたが、このラジオを聴いてくださっているあなたが訪れたいと思っていただけるような、そんな暮らしをし続けようじゃないかと思ったんです。
なので、来月もお客さんがいらっしゃるということなんですけれども、僕はこれをですね、一つ宿という形にして、そしてお客さんに泊まっていただきながら、様々なですね、この暮らしの体験のお手伝いということをさせていただけたら嬉しいなと思っています。
もちろん、川遊びお任せください。山登りお任せください。バーベキューも一緒に焼きますよ。お料理の仕方、サンサイ鳥などなども一緒にできるし、それからこの山のお手入れっていうのも一緒にさせていただくことができます。
動物たちにも会うことができます。そんな場所を整えてお客様をお待ちしようと、あなたをお待ちしようというふうに思っております。それがこれからもーちゃんが目指していきたい暮らしなんだろうなと思っております。
ということでですね、いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなた、ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日は、もーちゃん、引っ越しに際して、なぜ移住をしたのかっていうこと、移住の物語、ストーリーをお話しさせていただきました。
これが3年間様々なことがあったんですが、今日お話ししたのは、まず一番最初の導入の部分でございましたけれども。
この暮らしというものを考えたときにですね、なんか僕たちはどこかで諦めてしまうものがあるように思います。
今は子供が小さいから私は自由な時間がないんです。もちろん子育てってすごく大変だろうなっていうこととかやりがいはあるけれども、その分自分がですね、やりたいこととか自由な時間、一人の時間ではないんだろうなとか様々なことがわかります。
ただ暮らしの中でですね、やっぱり仕事が大きくなりすぎちゃって、それがですね、毎日の手応えっていうものを感じなくなってしまうなんていうこともあるんだろうなと思うんですね。
だから暮らしというものは何なのかっていうことを考えたい。暮らすというのは、日が暮れるっていうことと同じなんですよね。この日が暮れる景色を見ながら過ごしておりますかということです。
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もうちゃんは今外でこのラジオを収録しておりますので、空を見ながら太陽が暮れていく、沈んでいく、その姿を見ながらですね、僕は放送しておりますけれども、もしかしたら仕事を夢中になっていると、
いつの間にか夜になっていて、日が暮れたもの、日が暮れるっていうことも見ずに過ごしてしまっているのかもしれません。実はこれは暮らすということとはほど遠いのかもしれないですよね。
暮らすというのは、日が昇り日が沈むというものを眺めながら過ごすっていうことなのかなということも思っております。ということでいかがだったでしょうか。最後まで来てくださってありがとうございました。最後にお知らせです。
4月28日にこだまこまちプロジェクトは1周年を迎えます。その記念してメールマガジンをですね、やっていきたいなと思っておりますので、今しばらく準備お時間いただけたらと思います。ということでお時間が来たので今日はこの辺でお会いではこだまこまちプロジェクトのもうちゃんでございました。またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご加護が訪れますように。