移住のきっかけ
おっすおっす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは、こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
今日はですね、うわ、すごいな、蜂が家の中にいてブンブンブンブン言っておりますけれども
どんな家なんやって感じですけれどもね
いや、今日ですね、ぼくのところにメッセージがポンと飛んできたんですね。
で、何のメッセージだったのかなっていうと
移住を考えてますとね。
そういえば、もおちゃんって移住した人だったよねっていうことで
思い出したんだって言うんですね。ありがたいですよね、こうやってね。
ああ、そうだ、あの人そうだったよねって思い出してくれるんですから
すんごいありがたいことだなと思って。
で、今ですね、その方とズームでお話をさせていただいたんですよ。
いや、まあね、本当に久しぶりでお会いすることができてズームなんですけれども
その方とは以前ですね、学校を作ろうって言って一緒にプロジェクトを立ち上げてですよ。
しかもですね、こんな学校は前代未聞で今までどこにもないという
日本を旅しながら学んでいくという学校を作ったんですよ。
その学校はですね、結局1年間やって、それからまた法人化をする、会社にするというところで止まったんですけれど
この構想はものすごく良くて賞も受賞したんですよね。
僕がですね、それで表彰させていただいたなんていう過去もあって
これからすごくいい事業になるだろうなってなったんですけど
みんなそれぞれがですね、それぞれのやりたい事業を他に持っていたので
なかなかみんなの力を合わせてこの学校を作るっていうのはね、そこまで至らなかった。
学校を作る、学び屋を作るっていうのは本当に大変なことなんですけど
でもモーチャーの中でそのですね、みんなとですね、こうやって学びながら、旅をしながら学んでいく
そして宿り泊まりながらっていうのはすごく自分の中に何かを残したんですよ。
それがあったから、モーチャーは暮らしを大切にするという生き方に行き着いたし
それから移住をするという生き方に行き着いたんですよね。
さっきその時のね、学校一緒に作っていたスタッフの方が
モーチャーに対してですね、いろいろ聞いていただいたので
今日はですね、まあじゃあこういうご縁だなと思って移住について話してみたいなと思います。
教育現場と暮らし
あ、そらにゃんこんばんは。今そらにゃんのラジオをポチッと聞いて
あ、そうだ聞く前に自分も配信しなきゃって思って一回止めてこちらに来ております。
はい、よろしければ聞いてみてください。ありがとうございます。
そうそう、でね、その移住を僕はね、3年前にね、したんですよ。
もう丸3年ですね。今年4年目になるんですけれどね。
それまでは東京におりました。
東京で僕は小学校教員を11年間やらせていただいていたんですね。
そこから今は高知県の堅い中に引っ込んでですよ。
引っ込むっていうか出てってっていう感じがもうありますけれどね。
そこでモーちゃん自身、地区150年の古民家に家族5人で住んでいる。
そして東京から連れてきた愛犬1匹。
それからですね、今なんと家にですね、居付いている猫が全部で4匹いるのかな。
急に急に王女体になったみたいな感じがありまして。
まあそんな感じでですね、暮らしを営んでおりますのがこのモーちゃんでございます。
で、どうやってこうやって移住に至ったのかとか、そのストーリーをね、今日お話ししてみたいと思うんですよ。
で、雑談会です。
いつもなんかね、ちょっとパッケージング化してね、話をしっかりと届けようかと思っているんですけれども、
今日はね、そんなものではなくて、ちょっと雑談めいた感じで、
モーちゃんに雑談ができるのかっていうね、雑談って何話したらいいかわかんなくなっちゃうんですけども、
一応ね、ゆるっと移住というテーマを持ってね、どこに飛んでいくかわからないですけれども、
ゆるっと30分くらいまで話してみたい、30分以内から話してみたいなと思いますね。
よろしくお願いいたします。
はい、まずですね、モーちゃんは小学校教員を11年間やっておりました。
で、小学校教員というものはモーちゃんにとってはすごく天職だったと思います。
もう誰に聞いてもですね、いやいい仕事ついたねって、すごく合ってるよというふうに言われましたし、
モーちゃんね、こんなんですけれども、結構ですね、小学校教員の小学校界隈ではですね、
結構名前を知ってくださっている方々がいらっしゃるんですよ。
先ほどもですね、そのご縁でこんな仕事がね、依頼が飛んできました。
これはね、もう申し訳ないんですけれども、辞退しようと思うんですけれど、
マインクラフトっていうゲームご存知でしょうか。
四角いブロックを積み上げていくマインクラフトですよ。
あのマインクラフトの全国大会っていうのがね、今開かれてて、今年確か4年目だったかなと思うんですけど、
あれのですね、全国大会の審査員やってくれませんか?なんていうのがね、未だに来るんですよね。
モーちゃん結構そういう審査員とか、マインクラフトを使ったワークショップだとか、そういうのも実は学校の教員としてやってたんですよね。
新しい生活スタイル
ゲームと教育がこう融合するなんていうのは、なかなか当時受け入れられなかったんですけど、今となってはですね、かなり浸透してきて、ゲームとそれから学びっていうもののこの融合というか、
学びの中にゲーム性があるとか、ゲームの中に学びが組み込まれているとか、そういうのがよく言われています。
あ、そらにゃん、よく仕事中にこっそりやってました。マインクラフトですか?マジっすか?すごいね、いいね。
あとさ、ゲームといえばですよ。そらにゃんもやったことあるかな。
桃太郎伝説っていう、すごろくのゲームあるじゃないですか。あれ今ね、教育の世界に入ってきてるんですよ。
これね、去年あたりかな、本当に本格的に入ってきていて、あれいいですよね。めっちゃいいですよね。
日本の地理を学ぶことができたり、物件をどんどん買っていくんだけど、物件を買っていく中で、その場所が何が有名なのか、特産品なのか、みたいなことがわかってくると。
会社の経営もちょっとなんとなくわかっちゃうのかな。わかんないけど、投資をして利益を得ていくみたいな、マネー的なものも学べるみたいなところがあるのかなと思うんですけどもね。
最新の桃太郎伝説って面白くって、貧乏神が取り付くじゃないですか。何の話してんの。
貧乏神が取り付いて、それでこんなのが出るんですよね。クイズが出るんですよ。
このクイズが結構地理的なクイズで、日本の三大何とか滝はどことどことどこにあるでしょうみたいなことで、三択で選ぶみたいなものがあったりとかして、結構この貧乏神の問題に答えていく。
答えていくだけで、なんかすごく知識が得たりね。ちゃんと正解すると貧乏神悪さをしないっていうね。そんなこともですね、実は今の桃太郎伝説あったりとかして、学びの要素っていうものがどんどん詰め込まれているなぁと思うんですけれども。
桃太郎ちゃんも結構ですね、尖った教育感を持ってたというか、教員人生生活やってたので、そういうものもですね、何でも来い来いっていう感じで、子供たちと楽しくやってたんですよね。っていうのがまずありました。
なんですけど、やっぱりね、こうやって尖った実践をしたりとかするとですね、穴を見つけられるんですよね。で、桃ちゃんのクラスはあそこが良くない、ここが良くないみたいなことをめちゃくちゃ言われるようになっていて、それがですね、桃ちゃんに直接言ってくるんじゃなくて、これね、上司に言うんですね。校長先生に告げ口みたいにしてポンってあるだけですね。
そしたら桃ちゃんはね、校長室にですね、呼ばれるんですよ。それでね、桃ちゃんのクラスは何をやってるのかね、みたいなことに言われて。それでですよ、なかなかですね、これが結構きついものがあったんですよね。
学校の外に出るとすごく様々な人がですね、実践を見せてください。授業を見せてください。今度話を聞かせてください。そんなことを言われて、日本全国本当に毎週のようにですね、講演活動とかに行っていたんですけれども、学校の中にいるとなかなかそれがですね、受け入れられないという方々もいたんですね。全員じゃないですよね。すごいね、面白いねとか言ってくださる方もいらっしゃるんですけど。
なんかそういったこともあって、桃ちゃんにとってはすごく素敵ないい職業だったんですけど、ちょっともうなんか別のことやろうかなって思ったんですよね。その時にふと思ったのが、その今まで桃ちゃん自身、暮らしよりも仕事、仕事何が一番したいのかっていうことで、自分の住む場所とか暮らしを選んでました。
というのは、小学校教員になりたいって思って勉強してきたわけですよ。日本全国どこでも小学校あるのでね、どこにだって行っていいはずだったんですけど、桃ちゃんの頭の中には全くもって東京以外の選択肢がなかったんです。なぜならば、桃ちゃん自身がその東京の大学に通っていたからなんですね。
だから卒業したら、大学を出たらそのまんま東京のどこかに就職をするんだろうなっていうことを思ってました。実家は神奈川なんですけどね。でも実家に戻るっていうことはもうなんか嫌だなとか嫌だなというか、実家を出たいなとか、実家からできる限り離れたところがいいななんていうことを思ったんですね。
そんなことがあって、東京に出たわけですね。神奈川からね。教員を11年間やってきたっていうことなんです。なんですけど、これって結構怖いことだなと後で思ったのが、全くもって自分の暮らしのことを考えてなかったんですよ。
自分がどんな風にして生きていくのかとか、自分がどんな景色を見ながら生きていきたいのかとか、どんな食べ物を自分の体の中にいただきながら生きていくのかとか、そういうことも全く考えず、ただただ学校の教員がやりたいという、もう本当にその一方の熱意やりだけで突き進んだっていう時代があったんです。
もうちゃんはね、初任者研修会っていうのをやるんですね。小学校の中で教員の研修会をこしらえるような係、分担をやってて、研究主任、研究部っていうのがあってね、どこの学校にも。
それでその学校の研究部では、とにかく新しい実践とか学びが深まっていくような実践を研究していくんですよ。その中でね、僕は初任者、新しくその学校に赴任してきた人たちに対してですね、何か研修を打つということをしてたんですね。
教員研修の意義
その時に、今となっては当たり前なことなのかなと思うんですけど、もうちゃんたちの時代にとってはですね、こんな研修会はあるのかっていうことを言われました。それはですね、まず一番最初に教員の皆さんがね、成り立ての皆さんが集まった時にやった研修これだったんですよね。
それはどんな教員人生を送りたいのかっていうことだったんですよ。あのね、教員の研修ってこんなのことやらないからね、まずね、黒板ってどのように使うのかっていう版書のことだとか、どうやって子どもたちとやり取りをしていくのかっていうこのね授業のことだとか、そういうスキル的なことを結構やっていくんですけど、
もうちゃんはそのマインド的教員はこうあるべきだみたいなことも言わず、ただあなたという一人の人がこれから教員という世界に足を踏み入れるわけだけど、人生これでどうなるのっていうことを皆さんで考えましょうっていうことをやったんです。
価値観ゲームとかって言ってカードがですね、カード1枚1枚にいろんな価値観が書かれてるんですよ。例えばお金とか仕事とかね、パートナーシップとかリーダーシップとかね、様々なですね価値観が書かれていて、それを7枚手札にしてね、山札から1枚ずつ引いて自分の手札と見比べて新しい価値観が入ってくるけど、じゃあこの新しい価値観手に入れていらない価値観を1個捨てますっていうような。
最終的に手札7枚の中に残った価値観が自分が大事にしたい価値観なんだよねみたいな、そういうゲームを結構やってたんですよ。
そしたらもうね、みんな出てくる。そこにはね、教頭先生とかも入ってくれて、いい上司ですよね。こんな遊びみたいなですね、初人者研修一緒に付き合ってやってくれる。
そしたらですよ、教頭先生がね、手札からね、仕事っていうカードを捨てるんですよ。
いやーすごいよね、面白いよね。なんかこういうのがどんどんボロボロ見えてくるんですね。
え、教頭、マジっすか?仕事捨てるんすか?いいんすか?みたいな感じなんですけど、そうやってですね、集めていくんですよ。
私は仕事を大事にしたいわけじゃないんだ。仕事の中で得られる学びを大事にしたいんだとかですね、仕事の中で得られる成長を大事にしたいんだとか、そういうことをどんどんどんどんこうね、言えるようになっていくんですよね。
そう、すごい研修だな、ありがとうございます。そう言っていただいて。今となってはそんなもの珍しいことじゃないと思います。どこでもやってることかなと思うんですけど。
で、自分の中にある価値観と周りの人が持っている価値観っていうのを見比べるんですよね。
で、そうしていくとですよ、あれ、自分が大事にしてると思ってた価値観って人にとってはそうでもないのかみたいなことが分かったり、
あ、同じだね、みたいな話合いそうだね、みたいなことが分かったりとかして、初人者同士がですね、一気にこう仲良くなったり、またそこに参加してくれた先輩教員ですね、僕も含めてですけど、教頭先生も含めてですけど、みんなで和気和々となっていくんですよ。
これが一番最初の研修だったんですよ。どうです?
移住先の決定プロセス
毛ちゃんが研修するとこういうことになるんですね。で、毛ちゃんが言った言葉がこれだったんです。今でも僕はこの言葉を大事にして生きてるんですけどもね。
人生っていうのは仕事よりも大きいんだっていう言葉です。人生は仕事よりも大きいんです。仕事をするために生きているような人生になりがちだし、教員っていうのは休みの日も先生と呼ばれる仕事です。
外でね、買い物しててよ、誰かに会ったらさ、あら、先生って言われちゃうんですから、もう生き方がもう教員になっちゃうんですよ、先生になっちゃうんですよ、全部が先生になっちゃうんですよ。
でも、そうであったとしても仕事よりも人生というものの方が大きいから。人生というものの中に結婚とか、それから子育てとか、食事だとか、なんか住むところとかね、あと趣味だとか、様々なものがある中の一つに仕事があるに過ぎないんだからっていうことを言いました。
そうしたら、最初からこんな研修やってくれるんですか?みたいな感じになって、よかったんですけど、手前ミスの話も入ってるんですけど、これでね、もーちゃんは思ったのが、やっぱりせっかく生きているから、人として教員というものを楽しんでいこうよっていうことを伝えたかったわけですよ。
自分もそうやって初心者たちに伝えている一方で、自分自身も自分の暮らし、自分の人生ってなんやねんって思うようになってきたんですよね。
僕が思う暮らしの4要素っていうのがあって、まず暮らしって衣食住。これは衣食住はね、そりゃそうですよね。暮らしですよね。家庭家でもやりますよね。着るもの、食べるもの、住むところ。
これね、何を着るのか、何を身につけるのかね、何を食べるのか、それからどんな場所に住むのか、これはとても大事なことだなと思いました。
そして4つ目が遊びだったんですよね。この暮らしの4要素、衣食住、遊び、これがですね、もーちゃんの思う掲げるものだったんですよ。
で、その中でさ、この優先順位っていろいろ決められると思うんですよね。
で、もーちゃんはその子で仕事の上に置いたものがあって、そこで初めて暮らしというものを置いた。暮らしっていうのはどこに住むか、何を食べるか、何を身につけるか、そして何して遊ぶかっていうことだったんですよね。
で、そこでパートナーに出会うわけです。パートナーもですね、これから子供たちがですね、いるわけですけども、みんな学校行ってなかったので、今も行ってないんですけど、学校に縛られる必要がないと、どこに住んでも自由だねってなったんですね。
移住をするとか引っ越しをするってなったら、どうしてもその学校の近くに住まなきゃいけないっていう制約がつきまとうものなんですけれども、あれ、学校に行ってないってことは、学校に縛られることないぞっていう超前向きなことでですね、で、もーちゃんたちは山奥に住むことにしたということなんですね。
で、今、高知県に住んでいるんですけども、ここがですね、先ほどアドバイスさせていただいたんです。移住ってどうやって決めたの?っていうことで質問いただいたのアドバイスをしたことなんですけど、そこで話をしたんですけどね。
まず僕たちはTikTokを見たんですよ。パートナーとですね、どこに住みたい?っていう、どこでもよかったんですよね。一緒に暮らすことができれば。ただ、選択肢から除外したものがありました。それは都会なところです。東京のど真ん中に住んでたから、もう都会生活はいいよねっていうことです。
それから雪がめちゃくちゃ降り積もる寒い場所はちょっと苦しいねということになって、どちらかというと東京よりも南とか西に行きましょうということになりました。で、TikTokを見ていたらですね。
そこで行き着いたのがこれだったんですよ。高知県だったんですよね。なんとなんかそのTikTokの中に有名な高知のですね景色をいっぱいいっぱい映してくれている人がいるんですね。レペゼン高知っていうね、そういう発信者さんがいるんですよ。
レペゼン高知っていうのがあるんですけど、レペゼン高知っていう人がですね、ずっとこの高知県の素敵な場所をいっぱい映すんですけど、レペゼン高知さんはね、どうもですね、この高知県の中でもとある川の一部の流域をお勧めしているのかなということを思わせるぐらいですね、多いんですよ。そこが。
毛ちゃんたちはその川に見せられちゃったんですよね。すごく青かったんです。もうこの今まで毛ちゃんが見てきたどんな海よりも青かった、そんな川に出会ったんですね。日本で水質が一番きれいな川というふうに言われてるんですけど、でも毛ちゃんたちはその川の名前をその時までは知りませんでした。
そして毛ちゃんは、毛ちゃんたちはその場所に行くことになるんですね。まず最初はイベントに参加をしました。その川沿いの移住イベントに参加をしました。当時は新型コロナウイルス真っ只中だったので、オンラインでの研修だったんですよね。
コーチの移住のオンラインセミナー、移住セミナーめちゃくちゃすごかったよ。本当にね、本当に力入ってましたよ。何がすごかったってお金かかってんのね。オンラインってお金かけないでできるでしょ。会場費もいらないでしょって思うじゃないですか。
そのお金を何に回したのかっていうと、毛ちゃんたちに大量の食材を送ってきたんですよ。この移住セミナーに参加をする皆様に送りますって言って。送られてきたのが鰹節だったり、卵だったりですね。
あと醤油だったりとかですね。野菜とかもいっぱい送られてきたんですよ。これ何しろって言ったのかっていうとレシピも入っててね。これを全部家で炊いたほかほかのご飯の上に乗っけてくださいって。そしてぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べてくださいっていう。
その名も高知県の真ん中四市。真ん中高知市とか、あと戸佐市とかですね、南国市とか、なんとか市っていう名前がつくのがあるんですけど上市とか。その4つの市がですね、集まってそういった食材を提供してくれたのでね。真ん中四市と言うんですけど、真ん中丼っていう名前でした。
これが段ボールでバーンって届くんですよ。ぜひこれを食べながらまた食べた後にこの移住のセミナーを受けてくださいなんていう話があって。えーいいんすかみたいな。もうこれだけですごく一人一人を大切にしてくれてるんだなっていう感覚がありました。
もうちゃんたちはその後、そのですね、もっともっと田舎の方のセミナーも受けていって、今の場所にあたるんですね。このですね、セミナーを受けた後に実際にそのこの日本一綺麗な青い川のですね、流域のまちまちを訪ねて一泊ずつですねしていって、それでもうちゃんたちはよしこの街に決めたとなります。
地域おこし協力隊の魅力
今もうちゃんはフリーランスをしていますけど、ついこの前までは地域おこし協力隊という活動をさせていただいてたんですね。もしこれから移住をしようと思っている方がいらっしゃいましたら、この地域おこし協力隊というのはとってもおすすめです。どんなもので何がおすすめなのかお話しさせていただきますね。
地域おこし協力隊というのは毎年募集があるんですけど、総務省という国の機関がですね、この人口が多いところから少ないところに人を分散させようという裏目的があります。
表形の目的は、あなたが都会で培った知識やスキルを田舎に行って活かしてくださいと、それで地域を活性化させてあげてくださいなんていう名目があるんです。
モーちゃんはですね、「よっしゃー!都会で培ったこのスキルを持って行くぜ!」なんて言うんですけど、町づくりっていうのは途方もなく大きな事業でしてね、自分ができることなんていうのは本当にね、ちょこっとなんですよ。
できることなんでないと言っても過言ではない。ただモーちゃんには11年間子どもたちと接してきたというこの経験だけはあるから、モーちゃんはこの町でですね、子どもたちの遊び場作りとか自然体験活動ということをね、やってきました。
そらにゃん、そうですか。知人たくも地域おこし協力隊やってました。そうですか。いいですね。そらにゃん、知人がやってましたということですけれども、多分この知人の方もね、地域おこし協力隊のメリット、このように答えるのではないかと思うんですね。
それはね、つながりを作りやすいんですよね。地域おこし協力隊ですって言って、その町の中でですね、言いふらしながら歩いていくとですね、すぐ顔を覚えてくれる。名前を覚えてくれる。そしていろんなお裾沸きをいただいたりとかしておもてなしをしてくれる。いっぱい可愛がってくれる。
そしてそのうちいろんなことを頼まれる。その頼まれることをね、全部ね、答えていくんですよね。クエストのように答えていくと、そこやってね、信用とか信頼が積み重なっていって、よっしゃ、あんたこの家使いや!とか、あんたこの土地いらんか!とかね、そんなことになってきます。
もうちゃんがこの町に来てね、いただいたものとか、巡り合った御縁って本当にたくさんあって数え切れないんですけど、今もうちゃんが住んでいる地区150年の古民家はですね、まあリフォームはさせていただいたんですけれども、すっごくいい眺めのね、日本一綺麗な川がドーンと見えるような川沿いの家なんですよね。
こんな良い場所、しかもこんな広い場所を巡り合えたか、なんていうことだったりとか、あと畑ですね。畑もここも使え、あそこも使え、倉庫もここ使え、みたいな感じで。
今こうやって暮らしている間も、もうちゃんあの畑やってみんかい?とか言ってですね、いっぱい話をいただきます。どんどん土地が広がっていきますね。山もいるか?みたいなことも言われたことがあります。
あと車をもらいました。車もですね、今1台はいただいていて、平成元年とか30年以上ですかね、もう経っている車なんですけど、手放そうと思うんだけどって言った時に、
くださいって言ったら、いいぞって言って、ミッション車、ガチャガチャやってますよギアをね、パジェロミニっていうやつなんですけど、パジェロくれるんですか?みたいな感じですごかったよね。軽自動車なんですけどね、くれたりとか、あと軽トラですね。
トラックがやっぱり農家さんやるには必要なんですけど、トラックも欲しいか?とか言って、まだ私たちも使うけど、いいぞ、いつ使っても、とか言ってですね、いつ使ってもいいことになってます、みたいな感じで、どんどんどんどんものが集まってきます。先日は草刈り機をいただきましたね。
そう、あと田んぼだな、田んぼをここ使っていいよ、とかやっていこうぜ、とか言って、一緒に田んぼをですね、作業をお手伝いしたりとか、田んぼの土とか苗のお金とかを切斑、苗とかも作ってるんですけど、いろんなものを切斑しながらですね、またお互いに労働力を貸し合いながら、田んぼをやらせていただいたりとかしてます。
そう、そらには山なんですよ。山いるかなんていうこと言われるんですよね。
で、こうやってね、もーちゃんたちは移住をしました。
移住の目的と選択
これがね、再現性がないんですよ。ないんですね。何がないっていうかっていうと、やっぱり人のご縁でつながっていくものが多いから、ある意味博打ギャンブルなんですよね。
こうすれば移住生活絶対うまくいくっていうのがないし、はたまた自分が思い描いていたその移住生活、移住暮らしができるかどうかっていうのも、本当に運次第と相性次第なんですよね。
だからなんか、再現性がある話はできないんですけれどね。
移住をする人には2種類の人がいます。
一つはですね、ここが好きっていうことで移住をしに来る人です。
もう一人は、やっぱり自分はこの仕事がしたいと言って来る人たちなんですね。
やっぱりね、このね、仕事を第一に置いて移住をする人もいます。
で、もーちゃんのように暮らしっていうものを第一にして移住をするっていう人もいます。
どちらのパターンもありです。
むしろですね、自分がやりたいことがある、仕事がしたいっていうことがあって来てくれる人の方がブレないですね。
なんかこう、いろいろ頼まれごともするんだけど、やっぱりその人が得意なことにまつわることでいろんな話が来たりとかするから、移住した後のキャリアをどう積み重ねていくのかっていうことは、それがね、結構おすすめだったかなと思うんですよね。
でもね、もーちゃんみたいにやりたいことは別に特にないし、何でもいい、ここに住めればっていうような人も一定数おります。
どちらもありだなと思いますけどね。あなたはどちら?って感じですね。
こだまこまちプロジェクトの誕生
もーちゃんは最初ね、木こりさんになる予定だったんですよ。林業家になる予定だったんですね。
本当にね、木に携わることがやりたいなって思ったんです。
でも経験はゼロです。ほんと皆無です。そんなもーちゃんが車も運転をできなかった。便器は持ってるけどペーパーゴールドな。
もーちゃんが山の中を運転するっていうこととか、あと木こりになって林業をやってですね、木を切って木を運び出して木を打ってとかっていうことをやるなんていうことも考えていたんですよ。
で、もうそれもね、面接試験のところまで行って、いよいよ合格かどうかっていうところまで行ったんですけど、でもね、途中でそのやっぱりね、僕はね、自然を保護するとか守るっていう仕事がしたいって思ったんですよね。
で、そのあったから環境保全という名前に惹かれて、まあ仕事をするようになりました。
環境保全という仕事を僕はいただいて、何をしてたのかというとですね、動物の保護とか生態系の保護保全だったらめちゃくちゃ良かったんですけど、何だったかというとですね、獣環境の保全だったんですよ。
獣環境ってどういうことかっていうと、本当に空き家が多くなっていったりとかして、そうすると空き家を片付けなきゃいけないっていうことがあったりとか、あと水とかっていうのは、都会に住んでると信じられないことが起こってるんですけど、山から水を引いてるパターンが結構あるんですよ。
それはもう浄水器とかかけてないの。ただ山から水が出てるの。それを蛇口をひねれば山の水が出るようになってるのっていうのがあって、そういったところって雨とか降ると詰まるんですよね。詰まったとかって言ったら、はいはいって言って水源地まで行って、そのホースをきれいにしたりとかしてですね、洗ったりとかしてっていうようなことをやったりとか。
あとは環境保全っていうのは、登山道という環境の保全ですね。木が倒れたとか言ったら、その倒木の撤去をするとか、結構雑用的な駒使いだったかなと思うんですけど、もうちゃんにとってはこれがですね、すごく楽しかった、面白かった。何にもかもが新鮮だったし、今日は一体どんな冒険が待ってるのかなって思っていたし、明日がワクワクして楽しみで仕方がなかった。
それで、夜眠ることができた。教員の時って、夜眠ったら明日が来ちゃうっていうことでね、眠れなかったんですよね。明日が来たらまた長い一日が始まるって。教員は好きだったし面白かったんですけど、自分の自由な時間っていうのがほっとりなかった。
朝7時半ぐらいに出勤をして、夜11時とかぐらいまではずっと何かしらがあったんですよ、もうちゃんは。ようやくそこから自分の時間、11時から12時、1時、2時、2時までは行かれませんね、1時半。
だから、1時間、2時間半ぐらいしか一日のうちに自分のほっとできる時間ってなくて、こんな毎日きついなって思ってたんだと思いますね。
ソラニャン、ありがとうございます。ペーパーからよくマニュアル車乗れましたね。ありがとうございます。ペーパーからマニュアル車乗るのはめっちゃ大変だったよ。本当に変な汗かくよね、車の運転って最初。
ソラニャンも同じ。お勤め時代は、明日が来ちゃうのが嫌で、夜更かしばかりしてました。これこれ、その通りなんですよ。もうちゃん、やりたいことがいっぱいあったのと、やっぱり明日が来るのがすごく嫌だったんですよね。
仕事が嫌だったっていうよりも、自由な時間がないのが嫌だったっていうことで、すごく起きてやってたような気がします。同じ共感の嵐でございます。長くなってきましたので、そろそろやめようと思うんですけどもね。
そんなもうちゃんが林業家さんになろうと思ったんだけど、それをやっぱりやめて環境保全という名前に惹かれてやったのが、住環境の整備だったと。そういう感じでした。
その中でですね、もうちゃん自身が自分ができることとして、子どもたちが遊ぶ場所を整えるというのも、これ環境整備の一つでしょうみたいな感じになってですね、子どもたちの教育のことをやったりとか、あと皆さんが災害が起こった時とかに何か情報を手に入れることができるような環境を整備しましょうということで、スマートフォンの講座を開いたりとか、そういうことをしてきました。
そんなことをしてたら3年間終わっちゃったんですけど、3年目の一番最後の1年間にこだまこまちプロジェクトが生まれるんですよ。このこだまこまちプロジェクトを思いついたんですよね。
もうちゃんたちはですね、サブカルチャーのイベントに行って、移住のですね、相談とかふるさと納税のPRとかをしてたんですね。びっくりですよね。サブカルチャーのイベントに行って、ゲームとか音楽とか、そういう小説だとかね、漫画とかそういうのの祭典に出かけてきて、そこでですね、ふるさと納税どうですかとか、若者たちが集まるので移住どうですかなんていうPRに行ったんですよね。
その時の光景が僕はすごく忘れられなくて、うわ、これだと思った。その時にファッと浮かんだのがこだまこまちプロジェクトだったんですよね。
1年間やってきて、今2年目に入っていますね。2期目に入っているという形になったんですけど、それがこだまこまちプロジェクトが、実はその木の教育、木を学んでいくとか、人と自然をつなぐためのそのコンテンツになれるんじゃないかとか、そういう可能性がどんどん言われまして、それからさまざまなところとのコラボレーションが始まるんですね。
移住のテーマとこだまこまちプロジェクト
銀行とのコラボレーション、それから町とのコラボレーション、それから高知県知事にも見ていただくことができたり、町長、副町長もですね、すごく喜んでくださったりとか、さまざまなところで活躍の日の目を見ようとしつつあるのがこのこだまこまちプロジェクトということでございます。
いかがだったでしょうか。最後まで来てくださったあなた、ぜひいいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
今日は雑談会ということで、僕はこうして移住しましたというお話をさせていただきました。
先ほど移住をしたもうちゃんに話を聞きたいよという方がいらっしゃったので、ちょっとそんな話をさせていただいたんですけれど、いかがだったでしょうか。
もし、移住をテーマにしたそんな話をしたいよとか、それから暮らしって一体どういうものなのかなとか、あと幸せって何なのかなとか、そんなことを話したいよという人は、もうちゃんとぜひコラボしてください。
結構間口が広いそんなテーマだと思いますので、コーチだとかカウンセラーさんだとか、それからセラピストの方々とも話が合うのではないかなと思っております。
はい、ということでお時間をいただきありがとうございました。お相手はこだまこまちプロジェクトのもうちゃんでございました。またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。ソランにゃんコメントいただきありがとうございました。そして最後まで聞いてくださったあなたも本当にありがとうございました。あなたとあなたの大切な人に森の精霊のご家族が訪れますように。