1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. 松の林をわたる風に耳を澄ませ..
2025-06-17 34:15

松の林をわたる風に耳を澄ませば-日本人が音をこう捉えてきた-

音の中に、誰も見たことのない世界があってね。

【6月は、色鉛筆画家のまつりかさんを応援してます!@ポストカードブック「まつりかの彩り」】
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⏰タイムスタンプ⏰
 音に触れるということ──静けさに敏感な心
 シスリズム──日常にひそむ音の秩序
 松のそばで聞こえるもの──風が語る存在
 音は関係でできている──響きあうものたち
 日本の音風景──消えゆく音に耳をあずけて
 音が文化を織り上げる──暮らしに宿る旋律
 松風の神秘──誰にも見えない神のささやき

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ザックスレストランを営む主人公ユウは、
謎の少女の声を聞き、
森の中へと入っていった。

森には異変が起こっていた。
次々に倒れる樹。
襲ってくるかずら。

森の精霊、
エノキとイロハモミジに出会ったユウは、
自身が伝説の存在「杜人」の末裔であることを知り、森の奥へと歩みを進めた。

迫り来る怪異たちを振り払い、
見事、大精霊アカガシを救ったユウたち一行は、
旅の疲れを癒すため、「昴宿よこぐら」を目指すのであった・・・・・・。

これは、もしかしたらこれから人類が経験してしまうかもしれない
今からちょっと未来の話。

人は、自然から離れ、そして、自然もまた人から離れてしまった。
都市で起こっている異変、自然界で起こっている異変。
世界の秘密とは。

旅立ち。別れ。そして、森の精霊たちとの不思議な出会い。

自然界は人間を、人間は自然を取り戻すことができるのか。

近未来のオーガニックファンタジー冒険活劇。
森をめぐる冒険が今はじまる。

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サマリー

松の林を通る風に耳を傾けると、日本人が音に対してどれほど敏感であるかが語られます。自然の音や四季の変化を受け入れる日本文化が紹介され、特に松の木との関連性が重要視されています。このエピソードでは、日本文化における音の捉え方、特に松の風の重要性について語られています。松は神聖視され、茶道や瞑想の中で特別な音として認識されており、自然音の価値についても探求されています。また、日本人は自然の音や松風を神聖視し、音風景と耳の文化を育んできた民族であることが語られます。さらに、本から得られるノイズが情景を豊かにし、物の声を聞く感覚の重要性も強調されています。

音についての敏感さ
おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
夕方、もう夕ご飯の支度時でしょうかね。
ライブ配信にてお届けをしております。いかがお過ごしいでしょうか。
今日はですね、音について話をしてみたいなと思うんですよね。
僕たち日本人が音をどう捉えてきたのかっていうのをですね、
今、もおちゃんが書いている小説なんかではですね、非常に大切になってくるテーマなので、
もおちゃん自身が取材をしたり調査をしたりしてですね、
こう掴んできた、そんな取材の情報をお伝えしたいと思っております。
ファンタジー作家のもおちゃんがお送りするのは、今日は音の話でございます。よろしくお願いいたします。
さて、この番組はですね、今月は色鉛筆画家のまつりかさんを応援させていただいております。
まつりかさんは先日、クリプト忍者のですね、モチーフにした、
今日、声が、言葉が出てこないな。
いやいや、まつりかさんはですね、まつりかの彩りというポストカードブックをですね、作品を出されておりまして、それをですね、お届けしてくださいました。
6月20日朝9時より、まつりかさんとのコラボ配信あります。このチャンネルで行いますので、よろしければ聞いてください。
そらにゃん、こんばんは。ゆっくりしていってくださいね。東京からお帰りなさい。
いい旅でしたね、本当に。今日、配信も聞かせていただきましたよ。
そらにゃんの配信にもすごくこう、僕は引っ張られてというか、インスパイアをされて、今日の話をするのかな、なんていうことをちょっと思ってるんですよね。
っていうのは、そらにゃんの配信の中でですよ、東京に降り立った時に、今までとちょっと見え方が違ったんだと、感じ方が違ったんだっていう話がありましたよね。
これはね、自分が言語化をしてもなかなか伝わらないと思うけどっていうことだったけれども、言語化をしてくださった、言葉にしてくださったっていうのがすごく嬉しかったんですね。
東京が無機質な建物の集まりではなく、その建物が生きているように感じたりとか、また建物たちの息遣いが聞こえてくるようだったみたいな話があったような気がしました。
もうちゃん自身、なるほどと、これ思ったんですね。まさにもうちゃんが今手がけております物語にもすごく通廷するというかですね、繋がってくる、そこの方で繋がっているような話にも感じましたので、もうちゃんが持っている音の情報、取材をした結果というか、それをですね、今日は共有させていただきたいなと思っているんですね。
そうやって受け取っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。もうちゃんの受け取り方なんて本当浅はかで、上積みをすくっているような感じでね、かもしれませんけれども、聞いていただけたら嬉しいなと思うんですよね。よろしくお願いいたします。
今日はですね、日本人は結構音っていうものにですね、敏感に生きてきたんだっていうところをまずお伝えしたいんですね。日本は四季があります。雨があったり晴れ間があったり大風が吹いたりね、雷がなったり様々するんですけど、そんな些細な音から次気候がどのように変化をするのかっていうのをですね、
まあものすごく敏感に繊細に感じてきた民族なんですよ。これがですね、僕たち日本人の古来から持っていたそういう種も遺伝子にもすり込まれているようなですね、そういう不思議な力だったんじゃないかなともうちゃんは思っているんですね。というか調査の結果そうなんですよね。
海外どうだったかっていうと、海外でね、やっぱりこんな四季が豊かにあるみたいな感じではないわけですよね。雨季と寒季しかないとか、雨が降るときにはぶわーっと降るし、晴れるときにはカラッと晴れるし、その雨の中に晴れがあって、晴れの中に雨があるみたいな、そういうことがなかなかないんですね。
もうちゃんが今ですね、住んでいる高知県もしかりなんですけども、まあびっくりしましたよ。今天気予報ね、晴れのち雨みたいな、そういう天気が1週間続くんですよね。いや何じゃこりゃと、曇りないのかみたいな感じがするんですけど、晴れのち雨とか晴れ時々雨って一体どういうことなのかというとですね、晴れているんだけど雨が降っているっていう状況だったり、
雨が降っているんだけど、どこか日差しが感じられるという、こういう状況が天気予報の中で表現されると、晴れ雨っていうね、こういった2つのマークがバーンと登場しているような感じがしたんですよね。なので、まあ今ね異常気象だと言われて久しいですけれどもね、
晴れと雨が交互にやってきている、本当に不安定な天気に入りつつあるのかなと思っているんですけれども、そんな時にもやっぱり日本の中にはきめ細やかな、繊細な気候の移り変わりっていうのがあるように思います。
そんなですね、その片鱗っていうんでしょうかね、天の気分の片鱗ですね。天候というのはね、天気っていうのは天の気分でございますから、雨が降るっていうのも晴れるっていうのも天の神様の言う通り、神様の気分次第なんていう感じなんでしょうかね。
その気分をですね、少しでも察しようとして、音に敏感だったのが日本という、日本人という民族だったのではないかということなんですね。
シスリズムの意味
海外にシスリズムという言葉があるんです。聞いたことはありますかね、シスリズム。英語で発音すると多分シスリズムって言うんですね。シスリズム、アクセントは多分最初につくんだよね。シスリズムって言うと思うんですけど、多分日本語読みするとシスリズム。
これはね、どういう意味なのかというと、英語でですね、「木の葉が擦れる音」みたいな、そんなような感じなんですよね。風が吹いて木の葉が擦れる音、これをシスリズムっていう風に言うらしいんですよ。
いい言葉だなぁと思うんですよね。海外の方が、じゃあどのようにしてこのシスリズム、木の葉が囁く音をですね、捉えていたのか。今ね、囁くっていう表現を使ったんですけど、このシスリズムは元々ギリシャ語だったかな。
このギリシャ語のですね、語源になってて、囁くっていう言葉がこのシスリズムになっているということなんですよね。
このギリシャ語のね、囁くっていうのはなんかすごく素敵だなぁなんて思いつつですね、お話をするんですけれども、こんな話聞いたことないですか。
日本人って虫の声、虫の鳴き声すらもなんか心地よく感じることのできる民族なんですよ、なんていうことを言われているのって聞いたことないですか。
もうちゃんこれ聞いたのはですね、松原さんというペンキ画家さんがYouTubeで言ってたんですよ。
松原さんっていうね、すごく民族の中に入っててペンキのですね、そこで民族と一緒に暮らしをしながらペンキでの画家生活をしていたという方で、今は日本に帰って来られているらしいんですけれどね。
よく聞きますよね、そらにゃん。そうですよね。
このですね、日本人はそうやって虫の声を何か心地よく感じることができて、それを雑音というふうには感じないんですって。
でも海外の方々はそれを雑音だというふうに感じてしまうというものの裏側には何があるのかっていうと、こんな話をするとちょっと凶ざめるというかロマンスがなくなるなぁなんていう感じも僕は思っちゃうんですけども、
日本人は音をですね、こういったシスリズムですね、木の葉のささやきとか、それから虫たちの声っていうのを左脳で処理をしていると、左脳で聞いているっていうんですね。
一方で海外の人たち、雑音に聞こえる人たちはそれを右脳で処理をしているということなんですね。
もうちゃんこれを知った時に、逆なんじゃないの?って思ったんですけども、こういうことなんですね。
つまりですね、もうちゃんはびっくりしたんですけど、日本人ってこの左脳でやってるってことは、なんか言語を司る部位なわけですよ、左脳っていうのはね。
厳密に言うと右脳でも処理をしているんです。これ、ネオン神経科学者の方と僕お話をしたことがあって、右脳と左脳でカッチリ分けるっていうのは、これはですね、ナンセンスなんだって。
両方が補い合いながら処理をしているっていう話はしているんですけれども、でもまあ俗に言う右脳派、左脳派っていうのがあるじゃないですか。
日本人はそれを左脳で処理をする。つまり何か意味があると思って受け取るというのを日本人はしてきているんだそうです。
一方で海外の方々は右脳派なので、そこに何か意味めいたものがなくてですね、まあ絵だとか、なんか漠然としたその芸術みたいなもののまとまりとして捉えてくると。
さらにそれが音っていうのはまあ透き通っているものじゃないと。まあそういったシスリズムっていうのは様々な音がごちゃごちゃになっているっていうのがあって、すっきりしてないからノイズ雑音のように聞こえてしまうっていうのがこのカラクリなんだそうですね。
それにありがとうございます。生体を通さないのに声ですしね。ほんとそうですよね。虫の声ってさ、虫が羽をこすりつけて出している音とかがあって、全然声、生体を通して出している音ではない必ずしもっていうものなのに、なんかこう虫の声とかって聞こえたりとかするとか。
松の重要性
あとね、それから木のささやき声とかね、森の声だとか、そういうことを日本語では言いますよね。なんか日本人の感性ってすごく豊かなんだなあって、モーちゃん的にはそれはすごく芸術肌なのかな、感覚が研ぎ澄まされているのかなって思ってたんですが、実はその逆のことが日本人には起こってて、様々なものがメッセージとして受け取ることができるっていうことがあるんだそうですね。
これがね、一体じゃあどうしてなのかっていう話なんですけど、古来日本人はアニミズム、精霊信仰があって、様々なものに精霊が宿り、神様が宿り、そしてそれらは僕たちに恵みも与えてくれるし、また試練も与えてくれるということがあって。
そういったね、様々な虫たちもそうだし、木たちもそうだし、天候もそうだし、すべてに意志があって、意識があって、ということが生き物のように捉えているから、すべてが僕たちと同じように捉えているから、というか僕たちよりも高次元な存在だと捉えているから、だからメッセージとして受け取ることができるんじゃないかななんていうことがあります。
ソラニャン、ぜひぜひアーカイブにコメントお願いします。ありがとうございます。長くなるんですね。楽しみにしております。
はい、ということがまずあるということですね。日本人は何が起こっているのかというと、例えばですね、一つのこの風の音とかをとっても、ソヨソヨとかサラサラとか、あとササササとか、いろんなオノマトペっていうんでしょうかね、擬音語を持っていてさ、
一つの音でも様々に表現をできるような、そんな感性を本当に僕たちは持っているじゃないですか。これもすごく類稀なる能力なんですよね。で、こういうことに僕たちはですね、裏付けがあります。やっぱり何かやっぱり聞き分けることができるんですよね、自然の音をね。
で、これをさらにですね、深めていくと、やっぱりね、神様とか精霊とかそういうことに行ってしまうんですけれどもね、でも元々はもう本当にこう自分たちの住むこのね、生活、日常生活というものを転がしていくためにも本当に耳をすませて、様々な環境音というものを聞いて察知して予測していかなきゃ生きていけなかったってことがまずあるんですよね。
で、獣の声が聞こえてきたら、うわ、逃げなきゃとかね、罠を張らなきゃとかね、そういうことをやらなきゃいけないわけですよ。ここまでいかがでしょうかね。日本人っていうのは類稀なる存在なんだということです。
それでですよ、木っていうものはすごくその中でもですね、僕たちにとって重要なものなんです。これ、こだまこまちプロジェクトでもありますけれどもね。こだまこまちプロジェクトはさ、木の精霊を擬人化した物語なわけですけれども、木にはですね、やっぱり神様や精霊が宿るというふうに言われていると。
その中でも特にですね、代表的なのが松なんですよね。松っていう木って何で松のかっていうと、神様が植えたっていうような逸話が残っていたり、また神様を待つ木というふうに言ったりもします。
だから松の木は本当に大きい松の木だったり、ぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃ伸びるんですよね、松って。そういう変わった形をした松、すごい形をした松はですね、人間のこの予想像を超えたような松は神のよりしろになると。神様がそこに宿るということになり、その松の木そのものが神様として崇められるようなこともあるんだそうです。
日本には古来から松風っていう言葉がありますね。松の風と書いて松風と言うんですけど、これね、能の世界でも松風という舞台があったりもする、演目があったりもするぐらいなんですけれど、あれですよ、茶道の世界でお茶の入れるための釜でですね、お湯を沸かすと。
お湯を沸かすときにそこから湯気が出て、シッシッシッっていう音がするんですよね。このシッシッという音を松風と呼ぶんだそうです。めっちゃ風流ですね。
このお茶の世界でも、この松の、なんか沸騰して湯気が出ていくその音を松風と、松の間を葉っぱがですね、葉っぱの間を隙間を風がスーッと吹き抜けていって、葉っぱが擦れ合うような音がする。この音がすごく風流なんだということで、茶道の世界でもその湯気のことを松風と呼ばれているくらい。
僕たちにとってはすごく馴染みの深いものになっているんですよね。松っていうものは神様です。神様の出す音というのは、やっぱり僕たちに何か啓示、与えてくれているものがある、メッセージがあるんじゃないかということがやっぱり言われるようになりまして、信じられるようになりまして、僕たちはもうあんまりね、文化の中に残りってないのかもしれないけど、
松風っていうのはすごく特別なものとして捉えているんです。そう思うと松風だけでなくですね、瞑想をするときにね、外で川の音を聞きながら瞑想するだとか、滝の音を聞きながら瞑想するだとか、そういうような僕たち文化あるじゃないですか。なんとなく今あるじゃないですか。
音の関係性
それって、瞑想って本当に無音の中でするもんじゃないのって思うけれど、なんだかその音が心地よくしているその空間っていうのは、まさにこの神様の音であったり、精霊の醸し出す音であると、そのような音たちのことを僕たちの中に迎え入れたり、また僕たちがその音の中に溶け込むようなことをしていって、僕たちはその宇宙と一体になるみたいな、なんかすごい話になってきた。
そんなようなことを僕たちは思っているんじゃないかということなんですよ。いかがだったでしょうか、ここまで。僕たちと、それから音の関係性っていうのを話していきました。
だからこそ、猛ちゃんたちはですね、なんだかこう無音になると寂しいなと思うんですけど、何かしらの音を探していくんですよね。
そこで何か喋らずに、音楽も聞かずに、無音の状態でその場にいると、遠くの方から様々な音が聞こえてくるんだけど、その中で気にも止めていなかったような鳥のさえずりだとか、葉っぱと葉っぱのそれこそ擦れ合う音などが自分の耳の中に飛び込んでくる。
その飛び込んできた音にまた自分なりの解釈を付け加えていくことができる。これが日本人の能力なんだろうなぁなんて思うんですよね。何か不思議な話をしておりますけれどもね。
最近ですよ。最近ではないかな。もう最近ですよっていうのは、僕はあんまり避けようかと思ってるんです。最近ね。
なんかね、最近スマホというものがあるじゃないですかとか、最近インターネットあるじゃないですかって、いやもうそれ出てきて何年経ってるみたいな話なのでね。最近という言葉を思いながら話をしているんですけれども。
ASMRってあるじゃないですか。いい音がする。咀嚼音があるとかさ、結構あるじゃないですか。ああいう音がやっぱり僕たち心地よいと思うのはなぜなんでしょうね。
今さ、その自然の音を楽しみに行くっていうことができないような状況にあっても、ASMRみたいなもので音を消費するっていう文化がありますよね。
コンテンツを覗きに行ってさ、誰かが飴とかをボリボリ噛んでいる音とかさ、そういうのをさ聞くのがすごく心地よかったりしますよね。
あとね、こんなのあるんですよ。僕ね、びっくりしたんですけど、このね取材を続けていく中で出会ったんですけど、日本の中にさ環境省ってあるじゃないですか。環境省。
あの環境省がですよ、残したい日本の音風景100選っていうのをやってるんですよ。やってたんですよ。
でね、それね見てみるとね、うわぁ面白いなぁと思いますよ。YouTubeとかでも聞くことができるんですけど、日本の様々な風景の中で僕たちはですね、その風景を見るものではなくて聞くものとしてね、聞いてなんかその風景を想像することができるような能力がやっぱり日本人にはあるんですよね。
それで、青森県のあの山の田んぼの川の音だとかね、なんかよくわかんないけど、そういうのは結構あるんですよ。
水の中、洞窟の中の水の音とか、そういうのが日本全国つつ裏裏にそういう名所があって、その音をですね、しっかりと録音をしてクリアな音質で聞くことができるっていうのが今のこの時代なんですよね。すげーなって思いません?
あ、ナオミさんこんばんは。ゆっくりしていってくださいね。ありがとうございます。
はい、すごくないですか。その中にはですね、こんなものもあって、項目もあって、青森県の例えばねぶた祭りとか、長崎県のからつくんちって言うんでしたっけ?
ああいうお祭りの音、日本人がですね、自分たちで紡ぎ出している音ですね。でも自然の中でやっている、外でやっているお祭りなので、自然音ももちろん入っているとは思うんですけども、そういうことで生まれてきた風景、日本の原風景になり得るような伝統的なお祭りの音も、そういうね、日本の残したい音風景、百選に選ばれているということなんですよね。
だからね、僕たちって音を音一つとして捉えているのではなく、様々な音をビックスして一つの映像を作り出すことができるっていう、そんな能力があるんだなと。
もうちゃんね、出張で北海道に行ったことがあるんですね。北海道に行った時にね、ユニバーサルツーリズムっていうのがあって、目が見えない方々、目の不自由な方々も観光です。光を見るとこに書いて観光ですからね。
この観光を楽しむことができるにはどうしたらよいかということで、音だとか、あと香りっていうので、その目の前の風景、情景を思い浮かべられるような、そんな旅行をですね、企てているんですよね。そんなのもすごいなと思いますね。
で、そらにゃん、ありがとうございますね。YouTubeで聞く自然音は、なんか苦手なんですよね。これなんですよ、そらにゃん。ありがとうございます。僕、最後にこれを皆さんに投げかけて終わろうと思っていたところなんですよね。まさにです。ありがとうございます。
このですね、苦手だなって思う人もいるでしょ。遥かにクリアなんですよ、音質は。たぶん、その現地に行って生で聞く音よりも、YouTubeだとかASMRっていうのを聞く音質の方が、まさに綺麗で雑音もなくて、すごくなんか受け取りやすい人たちもいるのかなと思う一方で、
それでもなお、僕たちにはその場所に行ってその音を聞きたいなとか、味わいたいなって思ったりとか、やっぱりこう川のせせらぎもYouTubeで聞く音よりも、川のそばに行って聞く音の方がなんか心地よさを感じたりとかしますよね。
日本の音風景
それって一体何なのかなっていうところが、最後の毛ちゃんからの投げかけですね。どんな差があるんだろうね、僕たちにとって。っていうのが、これからの毛ちゃんたちの生き方というか、自然との付き合い方のヒントになっていくんじゃないかなと思う次第なんです。
はい、いかがだったでしょうか。ありがとうございます。聞いていただいて、今日は音についてお話をさせていただきましたけれども、いかがだったでしょうか。
この前ね、昨日とか一昨日とかなんですけども、映画館に毛ちゃん行くわけですね。映画館はイオンシネマって言って、ショッピングボールのイオンなんですけど、そのイオンの中にあるわけです。
イオンのフードコートとかに行くと、ものすごい音なんですよね。もう処理しきれないぐらい、ウワーっていう人工的な音がワーッとあって、あと人の声とかもワーッとあって、そこには自然音というものはおそらく一切ない。
多分、人が歩いてコツコツと立てる足音ぐらいしか自然音ってないんじゃないかな。それを自然として捉えていいのかどうかわからないんですけども、もうそれくらいのウワーっていう音に包まれました。
毛ちゃん普段外を歩いてたりとか、山の中に暮らしているのでね、音がないんですよ。音がないっていうか、音いっぱい囲まれてるんですけど、すごく心地よくて、イオンに行くとちょっとここにいられないなっていうくらいの音の数がするぐらい、ちょっと敏感になりました。
僕が移住をするって決めた時に、この町に降り立った時、めちゃくちゃ静かだったんですよね。人が誰も外を歩いていない。それから、ちょうど冬だったので、生き物すらもいないと。葉っぱとかもあんまりそよそよしてなかったりとか、花もないとか、本当に静かで、なんじゃこりゃーって思ったことがありました。
東京に帰ってみると、空港降りた瞬間にウワーっていう音があったりとか、電車降りた瞬間に、駅のアナウンスでウワーと、自分の中の耳の取り巻く環境がすごかった気がします。言葉にならないぐらいすごかった気がします。
ただ、僕たちって、都会にいる時とか、音に包まれている時って、それにあんまり気がつかなかったりするんですよね。
ふと自然の中に入った時とかに、あれって、今自分が包まれていたその環境で何だったのかな?なんていうことに、ふと立ち返る機会が結構あるような気がしております。
それはやっぱり、YouTubeだとか、デジタルで聞くようなクリアな音質なんだけども、それとはまた違うものがありそうだなと思ったりもしているんですよね。
ありがとうございます。ナオミさん。都会が疲れるのは音も原因なのか?おーちゃんは結構それ思うんですよね。
とにかくね、入ってくる情報が多いなって思ってます。
本当に田舎に行くと、僕たちに投げかけてくるマーケティングがないんですよ。
マーケティングがないんです。本当にさ、東京歩いてると様々なものが看板だとか、チラシだとかフライヤー、様々なものがさ、僕たちにさ、買って買ってとか、これすごいんだよ、機能がすごいんだよ、心地よいんだよ、いろんなものがうわーっと押し寄せてくるように思っています。
けれど、ここ経済活動が本当にないような田舎の中は、そういうマーケティングがないんです。
もちろん目に飛び込んでくるものも、何かそういう人が作った文字とか奇抜な色とかっていうものはないし、本当に茶色と緑と青の世界です。
あと音もやっぱり全然違うよねって思います。
で、これねすごく思うのが、動画ってさ、動画ってさ、何か見ててさ、ちょっと疲れるなってありません?
ももちゃん結構あるんですよ。
で、対して、本って何か疲れる度合いが少ないなって思うんですよ。
まあ、確かにね、文字読んでくっていうのは体力いることだと思うんですけど、でも何か動画を見た時の疲れとは違うなって、ちょっとももちゃんは思うんだけどどうでしょうか。
本を読んでインプットする疲れと動画を見てインプットする疲れってちょっと違うような気がするんですね。
その差異って何なのかなっていうと、僕たちに直接バーンと語りかけてくるものと、それから僕たちが読み解こうとしないと情報として何か僕たちに何も与えてくれないような、そういったものの違いなのかなっていうこともね、ちょっと思っております。
あ、そらにゃん、そう、疲れの正体はそれか。
ナオミさん、確かに一度にとんでもない情報量ね。
求めてないものばかりが飛び込んでくるような。
確かにナオミさんその通りですね。
そんな感じがしますよね。
っていうのがすごく疲れる。だから僕たちが求めているのか求めていないのかわからないけど、でも自分たちが読み解こうとしないと自分たちが手に入れることができないような、そういう情報ってなんだか疲れる度合いが少ないような気がしているんですね。
本ってそうじゃないですか。自分で読み進めないと自分で獲得できないじゃないですか。
で、多分自分が求めているものの情報をゲットできるんですよね。
で、またその中って結構ノイズがいっぱいあると思うんですね。
音と文化の重要性
いや話長くなるな。本とそれからウェブ記事とかの違いって何かっていうと、本はノイズがめちゃくちゃあるんだと思うんです。
自分がいらんなと思ってんだけど、でも自分が知りたいと思っていることの周辺知識みたいなものとかも結構あるのかなと思ったりとか。
あとなんかさ物語とか小説とかって都度のつまり会話文だけを読んでいけば話がなんとなくわかっていく作りになっていると思うんですけど、
それでも字の文っていうさ、なんか風が吹いたとかさ、なんかいい香りがしたとかさ、空が晴れてるとかさ、
なんか意味がわかんない、いらない情報というか、物語の筋書きには直接関わりにくいような情報みたいなものが散りばめられているような気がしません?
こういうものって結構ノイズだなぁと思うんですけど、このノイズこそが実は直接的でない、
ちょっとその何でしょうかね、ふっとストレートに飛んでくるものを和らげてくれる、まろやかにしてくれているのかなぁとも思うんですよね。
だから本ってめっちゃすげーな、いいなって思ったりしています。
はい、どうでしょうかね。
あ、そらにありがとうございます。
与えてかからない猫ですね。
本当にその通りですよね。
こちらが何か働きかけないと、あまり反応を返してくれないというか、これは猫に似ているのかもしれませんね。
猫さんに似ているのかもしれませんね。
本とか、また自然の音もそうですね。
だから僕たちっていうのは、ある意味自然音というものをノイズとしては捉えてはいないかもしれませんけど、
さまざまなそのですね、与えてくれているもので情景を浮かべることができるし、それっていうのはまあちょっと話が発展しましたけども、
本とかね、そういうものとも似ているものなのかなと。
あと生演奏とかね、やっぱりリアルで対面するとかね。
こういったここまで行くと月並みな話になっちゃうんですけども、そんなような気がしました。
いかがだったでしょうか。
松風の神秘
ということでですね、日本人は音風景というものを持っていて、それから耳の文化っていうものを育んできた民族でもあるんですよということを、
そらにゃんの配信から、ちょっとアンサー配信というか、もーちゃんなりに自分自身で今調べている音にまつわる取材をお話しさせていただきました。
いかがだったでしょうか。
最後まで聞いてくださったあなたぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
はい、ということでね、今日は松の林を渡る風に耳を澄ませばというね、テーマでお話しをさせていただきました。
本当に日本人古来から、松の風、松風、これは神様の言葉なんだ、みたいなことをね、言うわけですよ。
つまりもう本当に松だけじゃなくて木がですね、そよいだりとか、あと木が倒れてドシーンとか、ビリビリビョン、ミシミシミシ、バキバキバキとかっていう音とかっていうのも、
これは森の悲鳴だとかっていう風に捉えてきたという、そういう民族でございまして、だからこそ僕たちってさ、物の声が聞こえるんだと思うんですよね。
ビルを見ていてもなんかこう囁いてくれているような気がするし、そこにかかっているね、壁にかかっている時計も見てみるとですね、なんだかその時計が語ってくれているような、励ましてくれているような気もするし、
なんかこう擬人化とかね、そういうことになってくるのかなと思うんですよね。はい、こだまこまちプロジェクトは擬人化のプロジェクトでございます。
ということでお時間をいただきありがとうございました。お相手はこだまこまちプロジェクトのもーちゃんでございました。
本日コメントいただきましたのは、あ、なるほどということでありがとうございます。
ナオミさんとソラニャンでございました。最後まで聞いてくださったあなたも本当にありがとうございました。
僕からは分かってますよ、人数が分かってますので、最後まで聞いてくださった方々いらっしゃるんだなということわかっております。本当にありがとうございました。
では、もーちゃんはこれからお料理をしてきます。お料理も音のハーモニー、これ大事だよね。
行ってきます。あなたとあなたの大切な人に森の精錬のご加工が訪れますように。こちらこそありがとうございました。
34:15

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