1. もおちゃんの「なぜなに?」樹木図鑑📗
  2. 生成りを手渡す経験が、ぼくに..
2025-11-03 34:15

生成りを手渡す経験が、ぼくに届けてくれたことは

文化祭で自然界からいただいたものに、値段をつけて手渡す経験をさせていただきました。
自然界と人間界。これは、自然界の中に人間界があるんだけど、そこには確実に境界線めいたものが、現代にはあります。人間界のルールは、人間界の外で通用しないことがあって。外のものを中に持ち込むときには、人間界のルールに載せる必要があるよね。けど、人は、境界線をつくることで、自然界へのリスペクトもすることができたんだ。
手を加えていないものを、人の世界に持ち込んだ瞬間の感覚をお話しました。

【森のかけらワークショップ】
https://x.com/codacoma2024/status/1985162572157640919?s=46&t=wB_wZGyXCCEfKRrk-X0zKQ

 文化祭の朝――木と人が語りはじめるとき
 木なりのアクセサリー――手のひらで芽吹く小さな森
 自然とつながる瞬間――息づく素材と心の対話
 恩恵のかたち――経済の外にある豊かさ
 価値が変わるとき――受け取ること、手渡すこと
 境界をほどく――人と自然のあわいで
 光をつくる手――発電という新しい生命の循環
 自然栽培の祈り――生きることの源へ


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サマリー

このエピソードでは、こだまこまちプロジェクトの文化祭を通じて、木材を使用したアクセサリー作りのワークショップが行われ、参加者が自然の素材に触れながら創造性を広げる様子が描かれています。また、大人たちが少人数でも楽しむ姿や、自然のものを手渡す経験の重要性についても触れられています。日本における自然と人間の関わりが語られ、自然から得られる恩恵を無償で受け取ることの重要性が強調されています。自然のものを手渡す経験が、経済活動と価値の形成に対する新たな理解をもたらしました。このエピソードでは、発電の方法や自然栽培の理念についても言及され、特に生の木を手渡す経験がもたらす感動と価値について掘り下げています。このような経験が人間界での価値をどう形作っていくのかが考察されています。

文化祭の開催と展示
おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
11月3日でございますね。
今日も連休ということで、お休みでしょうか。
いかがお過ごしでしょうか。
今日はですね、おちちょう文化祭3日目ということで、
もおちゃんたちはですね、
あ、さらにゃんこんにちは。ゆっくりしていってくださいね。
11月7日、えりかちゃんとコラボ21時。
おっとととと、バイクの音がすごい。
かんちゃんだものということでね、
11月7日にコラボ配信をされるということですね。
ありがとうございます。ゆっくりしていってください。
えっと、今ですね、おちちょう文化祭、
ぼくが住んでいる町の文化祭の開期中で、
明日まで、明日の3時まで開催されているということで、
今日はですね、ぼくは会場にはいかないんですけれど、
一応開催されているというような感じです。
こだまこまちプロジェクトの展示が、
そこにですね、所狭しと並べられているという感じなんですけどもね、
昨日行ってね、結構ね驚いたことがあって、
やっぱり過疎ですね。
もうね、人が本当に少ないんだな、減ってんだなっていうのをね、
すごく実感をしたんだよね。
っていうのはさ、ぼくが移住してきた4年前、
初めてこの文化祭っていうところに足を踏み入れました。
その時ね、ぼくはね、何を展示したのかっていうと、
地域おこし協力隊として地域の活動、こんなことやってますよ、
自分の自己紹介がてらですね、そこにですね、掲示をさせていただいたんですよ。
それは、まあ大した掲示ではなかったんですけれども、
一応ね、貼ることで地域との関わりをっていうような感じだったんだよね。
その時に、展示会場、ここはですね、運動場なんですけど、
地面が砂地になっている、なんていうんですかね、
オムニバスコートっていうのかな、多分、
テニスコートってハードコートとか、コンクリートの固いやつがあるよね、
ハードコートとか、あとクレイコート、土のコートですよね、
あとグラスコート、芝生のコートがあるんだけど、
短い、本当に短い芝生みたいなところに砂が巻かれているっていうのをね、
多分オムニバスコートって言うと思うんですけど、
オムニバスのですね、そういう地面をしていて、
下に荷物を置くとめちゃくちゃ汚れるっていうね、そんなところなんですけれど、
そこが全部展示会場になっているわけですよ。
それをね、ぐるーっと見てたら、たくさんの展示作品が並んでたんだよね。
写真なんていうのも飾りきれないくらい、
こんなにもたくさんの人たちが芸術を楽しんでいるんだっていうのをね、
僕はね、感動したんだよ。油絵、優雅なんていうのもさ、
A4サイズとか、なんかA3サイズとかそんなんじゃないんだよね。
本当にでっかくてでっかくて、え、こんな、こんなんですか、みたいな。
何サイズって言うんですか、これみたいな。
二つ切りとか三つ切りとか、なんか四つ切りとかそういうやつですかね。
三つ切りなんかないか。なんかそういうサイズなんですかね。
すごいのがいっぱいあって、キャンバスが並べられているんだけど、
そういうのももう少なくなってて、陶芸とかの教室もなんかなくなってるし、
なんかね、お花の教室もなくなってしまったみたいでね、
どんどんこう少なくなっているんだなっていうのを感じています。
で、もうあまりもうなんかね、展示物も少なくなっているところでね、
間もね、パネルの間もいろいろスカスカなんですよ。
そんなところで僕は、こだまこまちプロジェクト、
パネル4枚をお借りして、ババババーンと、
掲示をさせていただいているっていう感じなんですけれど。
木なりアクセサリー作り
昨日ですね、もーちゃん、ワークショップをさせていただいたんです。
で、この文化祭において、そうですね、
こういう形でワークショップさせていただくのは初めてのことでした。
どんなワークショップをしたのかというとですね、
木のアクセサリー、森のかけらアクセサリーを作ろうというものだったんですね。
それはこの町で切られた木、杉の木なんですけど、
その杉の木の丸太をものすごく薄く切るんですよね。
バウムクーヘンという言葉があるけど、
バウムクーヘンよりももっともっと薄く切るんですね。
そうするとフリスビーができるようなお皿みたいな、
そんな丸太1枚できます。
その丸太を今度はですね、ゴムハンマーでパンパンと叩いていくんですね。
そうするとそれがパリパリパリと割れてくの。
その割れてった木のいびつな形っていうのは、
ワンオフっていうらしいんですけど、
これ一度きりのもので、もう二度と同じものを作ることはできないということでね、
その形を今度は紙ヤスリで磨いていって、
ちょっとずつこうザラザラした表面をスベスベ、
そしてスルスル、そしてピカピカっていうような感じでね、
どんどん磨いていけば磨いていくほど手触りが変わっていく。
そんなのをね、味わってもらうと。
それでさらにそれを穴を開けてビーズをつけて、
そして紐を通してネックレスにしたりストラップにしたりするというような活動をさせていただきました。
この背景写真をね、それにすればよかったですね。
失敗失敗。
まあそうやってネックレスを作らせていただいたんですよ。
もしね、そのネックレスどんな感じであったのかなーっていうこと気になってくださる方がおりましたら、
今コメント欄に貼り付けますのでそちら見に行っていただけたらと思います。
僕のですね、Xのアカウント、これを貼り付けさせていただきますのでね、
どうぞよろしければご覧いただけたら嬉しいです。
でですね、この活動を通して僕が得たことを今日ね、お話ししたいなと思っております。
昨日はですね、6人の方がこれを楽しんでくださったんですね。
もうね、会場に来てくれる人たちもそんなに多くなくって、
子どもたち向けに用意したプログラムだったんですけど、
子どもたちがまず少ないという感じでね、
6人のうち4人が大人、2人が子どもということで、
大人と子どもが逆転したなという感じだったんです。
なんですけど、このプログラムは結構だから大人たちもやりたいっていうことを言ってくださったんですね。
だからこれ良かったと思いました。
大人たちにも受けるんだっていうことを思ったんです。
なんてことはないんですね。
この木材さえ手に入れば、いつでもどこでもやることができるようなワークショップなんですね。
1回500円ということで、キットをお渡しして、材料を渡しさせていただいて、
そこで作るということをさせていただいたんですけど、
今日のテーマはね、木なりを手渡す経験が僕に届けてくれたことというテーマなんです。
自然とのつながり
木なりっていうのは自然のもの、手を加えていないものっていうそういう意味ですよね。
僕たちって、結構今日真面目な話です。
肩の力抜いて聞いていただけたらと思うんですけど、
僕たちって木なり、つまり自然のものを誰かに手渡すっていう経験、
それって実はあんまり多くの人がしてない経験なのかなって思いました。
もうちゃん自身も農家をやってます、なんていうことを言ってますけど、農業をやってるわけじゃないんだよね。
つまり自分たちで食べる分を自分たちで作るっていうことはするけれども、
それを値段をつけて販売をすることはしてない。
農家さんは木なりを手渡す経験をされてるんですよ。
しかもそれに値段をつけて手渡す経験をしているんですよね。
ネックレス出来上がり、大人が喜びそうな感じでした。
本当ですか?それはめちゃくちゃ嬉しいです。
写真を撮らせてもらったのが大人、子供、子供かな、子供2人と大人2人だったんですね。
子供たちはそれをあまり磨かずに持って帰りました。
磨くのにも結構時間がかかるし根気がいるので、弾力がいるのでなかなかっていうところなんですけど、
大人は一生懸命磨いた人も中にはいて、そうするとちょっと丸みを帯びた形になっていって、
それが自分が作ったぞっていうような経験になっていくんだと思うんですけど、
すごく触り心地がいいんですよね。ツルツルしてて、まるで木とは思えないようなツルツル感っていうのがあります。
でもこれ人工物ではないツルツル感っていうのも同時にそこに違いとして感じられるんですけどね。
ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。
今度はビーズを例えば天然物にするとか、
あと紐ですね。ストラップになる紐のところを牛革にするとかですね。
ヘンプを編んでいくとかですね。
そういう天然物っていうものにしていくともっともっと高級感が出ていくのかなと思うんだけど、
今回はですね、手に入るものでやらせていただきました。
そうなんだよ。
モチーフっていうのかな、ペンダントの一番大事な部分、飾りの部分。
あの部分を天然物にするっていうことは本当によくあることなんですね。
どこでもワークショップとしては繰り広げられているものだと思うんだけど、
そっかくそこを天然物として作ったのに、
例えばビーズとか、ビーズの塗料として科学的なものが使われてたりとか、
あと紐のストラップの部分が科学的なものが編み込まれていたり、
また染料が使われていたりとかするとちょっと残念な感じがありますよね。
今回できる限り天然由来のものっぽいものを選んだんですけど、
でももっともっとそれを突き詰めていくことはできて、
本当にワンオフ、世界に1点しかないものを自分で作ることができると思うんだよね。
世界に1点のものっていうのはやっぱり天然のもの、自然由来のもの、
つまり木なりのものだからこそなせる技なんだろうなと思うんです。
自然のものを使うってことはすごくいいことっていうのは何かあるかっていうとですね、
一から絵を描くとか、一から粘土で作っていくとか、
そうすると自分に苦手意識とかがどうしても働いてしまう人っていると思うんですよ。
これ学校教育のことなのかなとか思ったりもするんだけどね。
何もないところから自分で作り上げるっていうことって結構ハードルが高いんだけど、
僕がよくこの自然の工作、自然関係の工作をしたときによく感じることがあって、
それは自然のものってもうそれだけで完成されてんだよね。
何も手を加えなくてもそれがそこにあるだけで、
何かいいよねっていう感覚が感じがあって、
それをただちょっと磨くとか、
あと少し穴を開けて紐を通すとか、
それをするだけで立派なアクセサリーになりうる。
あとは葉っぱを集めて染め物をするとかそういうこともやるんだけど、
たたき染めっていうのがあるんですよ。
トートバッグとか布生地があって、
その上に葉っぱを置くのね。
葉っぱは何でもいいの。もみじでもいいし、紅葉したもみじでもいいし、
緑色の葉っぱとかでもいいし、そういうのを置く。
そしてその上に養生テープでビーッと貼り付けて、
あとはハンマーで叩くのね。
ハンマーで叩くとその下に何が映るかっていうと、
葉っぱとかそういうものの色素がジワッと染み出て、
葉っぱの形のスタンプみたいな、葉っぱの染め物だよね。
トートバッグにぺたって貼り付くんだよね。
それを終わった時にそーっと剥がすとね、
まあ不思議なことにね、その葉っぱの形の、葉っぱの色が映った、
そんなトートバッグができると。
ちっちゃい時にさ、芝生の上をゴロゴロしたらさ、
白いTシャツが緑血球みたいな風になったこととかってないですか?
あんな感じなことが起こるんだけれど、
それもすごくて、その辺にある自然のものをただ拾ってきて、
そこに置いていくだけ。
なんかすごく完成とか洗練されたものになってると。
それだけですごく見ごたえのあるものになってるということで、
自然の恩恵と経済活動
自然のものを組み合わせるだけで、
っていうのがすごく初めから完成されてるな、
みたいな感覚を僕は持っているんだね。
ちょっとこれ余談だったんですけど。
今日はお金の話にもなっていくんだけど、
僕たちって経済活動をしようとしてる時に、
確かにありがとうございます。
木の枝とかをどっかからちょきんと切ってきて、
玄関に花瓶に差しとくだけで、すごく絵になる。
そんな感じってありますよね。
花一輪、その辺にちょきんと切ってさ、
一輪挿しにポンと飾っとくだけでさ、それだけでいいと。
こういう感じだったりしますよね。
自然ってすごいなと僕は思うんですよ。
それだけで完成されてるんだなって思うんですけど。
僕たちは自然の恩恵を誰もが受けているし、
経済活動だよね。日々の営み。
いろんな生活の中で、
自然由来じゃないものなんていうものは
一つとしてないんだよね。
電気もそうだし、絵の具の染料も顔料もそうだし、
服だってそうだし、食べ物だってそうだし、
建物だってそうだし、
どんなに科学的なものであっても、
元を正せばすべて自然のものからできているということなんだよね。
そういったものを売ったことありますか?
っていうことです。
僕は農家ではあるけど農業はしてないので、
実はまだあまり売ってないんですけど、
売ってないんですけど、
僕は農家ではあるけど農業はしてないので、
実はまだその経験ってほとんどないんだよね。
実はね。
価値の変化を実感する
分担取れたものを送らせてもらった時にお金払います
みたいなことを言ってくれた方はいらっしゃったんですけど、
僕自身が値段を付けてそれを
お渡ししたことってなくって、
これって結構尊い経験だったなと思いました。
昨日は街で切られた木を
ただそれを割って渡しただけだったんだよね。
そこに値段を付けさせてもらったんだけど、
これってすごいよね。
本当に価値がゼロのものが
値段になった瞬間?
値段になった瞬間?
値段になった瞬間?
その瞬間を見たなっていう感じがありました。
その瞬間を見たなっていう感じがありました。
もともと価値のあるものとかっていうものを組み合わせて
さらに付加価値を付けて
世に送り出すとかっていうことじゃないんだよね。
だから料理をするっていうことも
実は自然のものなんだけど、
それにすごく手を加えて
それで渡すということなので、
一つちょっと二次産業的な動きになるのかなと思うんだけど、
一つちょっと二次産業的な動きになるのかなと思うんだけど、
昨日僕は、たぶんワークショップだからサービス産業で
第三次産業なんだと思うんだけど、
すごく一次産業的な動きをさせてもらったなと思ったんだよね。
すごく一次産業的な動きをさせてもらったなと思ったんだよね。
その時に感じたことがあって、
自然ってマジですげえなっていうことの実感だった。
自然ってマジですげえなっていうことの実感だった。
これはよく言われることなんだけど、
実感を持って感じたってことなんだよね
自然は僕たちに一円も見返りを求めることなく
全てを無償で提供してくれるよね
で、そのことへのありがたみっていうのを感じましょうみたいな話がすごくあって
そんなことはわかってるよみたいな感じが僕にはあったんだけど
やっぱり人間ってそのねお金の経済の社会の上で生きてんだなっていうことを
昨日思っちゃったんだけど感覚的に
はぁ、この木片だよね
木の破片、これを渡すことでお金をいただくんだっていうこと
昨日は6名だったので
3000円ですかね
3000円をいただくんですけど6名の方から
一人一人500円でねいただくんですけど
何なんだろうこの気持ちはっていう感覚になって
すごく不思議な思いを抱きました
すごくこれ貴重な経験だと思うんだよね
農家さんは多分何気なくされていることだと思う
けどそれに準じたことを僕は昨日させてもらったなぁと思って
なんかすごくこうフルフルっと震える思いがありました
そんな報告なんです今日は
木なりのものなるべく手を加えないもの加工をしないもの
それを手渡してそしてそれが何か人の中の価値として
お金として何か回ってくるっていうことって何か不思議だなと思って
その瞬間を垣間見ました
自然と人間界の境界線
そんな感じです
やっぱりこう思うとお金ってことを批判してるわけでは全くないんだけど
お金というものを返すということで
僕たち人って自然界と一歩離れた部分にいるんだなっていうことはすごく感じました
本当は無償でやり取りができるものなはずなんだけど
そこをお金をいただいて
そしてそれを人間の世界の中に持ってきて
その人間の世界の中のルールで流通やり取りをしていくっていうね
この境界線だよね
この境界線ということの中にやっぱりあるような気がしたんだけど
これねすごくネガティブな話では決してないんですよ
ネガティブな話では決してないんですよ
それにありがとうございます
体験したことないです
おそらく本当に経験しないとわからない感覚なんだろうな
ニッコリマークありがとうございます
僕も昨日ほぼ初めてこれ経験したんだよね
お金をいただいて
今まで無償でのワークショップはいくらでもしてたんだよ
トラムさんこんにちは
今日もありがとうございます
ゆっくりしていってください
無償でのワークショップの経験はいくらでもしてきたんですけど
自然のものを使って値段をつけた経験
これってすごかったですね
これは自然界と人間界が切り離されてる
一歩違うところにあるっていうようなことを
今僕は話をしたんだけれども
だからこそリスペクトできるものでもあるんだろうなと思うんでね
僕山の中に住んでるんだけど
谷合に住んでるんだけど
山の中にもこれ以上は入れない場所があります
入ってはいけないっていう風に言われてるわけでは
決してないんだけれども
ここよりも先っていうのが道がない
つまり昔の人もそこには足を踏み入れてないから
道がない
そこから上は動物たちの世界だったり
植物たちの世界だったり
また神様の世界だったり
そこは手をつけない場所っていう場所があります
ここは僕たちは神聖な場所として
その手前のところに鳥居を建てたり
祠を建てたりとかして
ここから先は神様たちがいる世界ですよ
っていう風に区切ったりするんだよね
これを奥山って言います
いろはにほへとの歌の中に
宇位の奥山境を越えてっていう一節がありますけど
この奥山
奥の山と書いて奥山って言うんだね
ここはやっぱり立ち入ることができない
立ち入る時にはそれ相応の儀式とか
式たり習わしっていうものをしながら
生きていくんですよね
その中でもし動物を仕留めたりとかするのであれば
その代わりに穀物
何かお米とか麦とかそういうものを持って
その森の中に置いてくる
一刀仕留めさせていただいたので
命をいただいたので
その代わり人間界で取れたものをお供えします
ということで今度下山をしてくる
というような習わしがあったり
またその奥山の部分は決して傷つけてはいけない
木をむやみに切り倒してはいけないし
それからあそこに間違っても
ソーラーパネルを建てようとか
風力発電の風車を建てようとか
そういうことはしてはならないというような神聖な場所
そこが削られていくと山の形が変わってしまい
風の流れが変わってしまい
水の流れが変わってしまい
そしてそれが麓に住んでいる人間たちの暮らしを
脅かしていくということがあるので
高知県では今どんどん風力発電をしていこう
という動きがあるんですよ
いろんな町3幹部では山を切り開いて
風力発電の風車を建てようなんていうことをやるんだけど
これをしてしまうと何が起こるのか
っていうことをこわだかに叫んで
それをとにかく見直してほしい
計画を見直してほしいという
そういう署名運動とかもすごくたくさん起こっているところなんです
こんなところが人と自然界の分ける
そして人が自然をリスペクトできなくなってしまった
そんな理由でもあるけども原因でもあるけど
でも元来分けることによってリスペクトをしてきたっていう
そういうことも
いきさつも僕たちは持っているということなんですよ
日本ってすごい国でですね
僕は薬膳を作らせていただく
お料理をさせていただくことが多いんですけど
そういう立場からちょっと話をすると
日本って中国かな
韓国とかとは少なくとも食器のカトラリーの奥
その何ですか
ムキというか
掃除機の音が聞こえる
ムキとかそういうのが違うんですよね
日本はお箸を自分と食べ物の間に
境界線のように渡すんですよね
その境界線は箸ですよね
これは自分と自然界の間に
箸渡しをするという意味があって
その境界線を越えて
僕たちは自然界のものに手を伸ばしていく
それを自分の体の中に取り込んでいく
こういうことが起こっています
なのでこの境界線というところを
箸とかと一緒にね
こういうことなんですね
だから日本人だけの
やっぱりこの自然と人間界の
この関わりっていうのがですね
すごくありますよねっていう話です
なんか今話をしてきたのが
人間界と自然界との
ちょっとこう隔たりが一歩ありますよね
っていう話なんだけど
これすごくネガティブなところで
語られることがすごく多いんだけど
いや元来そうしてきたよねって
人間は自然の一部でありながらも
やっぱり境界線というものも
大切にしてきたよねっていうことが
やっぱりあって
今まで大切にしてきたことっていうのを
思い出されるような経験が
昨日できたなぁなんて思ってます
気なりを手渡す経験でね
トアムさんありがとうございます
難しいですね
現代では電気必須ですから
そうですね
トアムさんそうなんですよ
電気必須なんですよね
もうちゃんはですね
実はね今電力会社を作るためのですね
動きもしてるんです
電気をどうやって作っていくか
っていうことをやってて
これは風力発電とか
それから太陽光の発電所とか
そういうことではない別の発電
つまり極力その自然界に負担をかけずに
自然界の力をただちょっと借りるだけっていうね
まあ風力もそうじゃそうなんですけど
風力発電を立てる時には
下に基礎工事をして
山の流れを止めるっていうことをするんですね
これは太陽光パネルもそうで
基礎工事は必要なのでね
ということでそんなことが必要ない
発電の方法っていうので
今電力会社をね
ちょっと作ろうということで
昨年おととしぐらいから
実はちょっとずつ動いているところなんですよ
これがうまくいくことができたら
これねすごいことだと思います
ほんとすごいことだと思います
松さんこんにちは
ゆっくりしていってください
ありがとうございます
あのすごいことだし
日本の発電の形が変わる
発電の新しい可能性
しかしこれは実はヨーロッパでは
もうよくやられている
みたいな感じなんですけれども
そんなことも少しずつお伝えできたら
いいなと思っておりまして
この日本の電力問題
どうやってこうですね
うまく自然界の中で
付き合っていくかっていうことに
今の中での最適解ですよね
これがね絶対に唯一の絶対解ってわけじゃないんですけど
本当はね
なんかもうこの空気から発電ができたりとか
なんか人間のちょっとした体温から発電ができたりとか
なんかそんなことになればいいなと思うんですけどね
いやいやいやちょっとね難しいです
まだまだそこそんなところにはならないけども
僕いいなって思った発電があって
これ普段使われてる発電なんですけど
人が歩くとその踏んだところが
発電されるっていう仕組みで
工事現場とかでここ危ないですよっていう箇所があって
でもそこって24時間ずっと光り続けている必要はなくって
人が通る時だけ光れば良いと
そこを人が歩くとそのマットを踏むと発電されて
ピカピカって光ってくれるみたいな
それすげーなって思いましたけど
なんかもうちょっといい方法があるんだろうなと思いますよね
まぁでもそんなことも発電の装置一つ一つもまたね
作っていくっていうのは自然のものをまた切り崩しながら
作っていくんだろうなということでね
いやいやトアムさんありがとうございます
そうなんです
現代では電気が必要なので
どうやってこのエネルギーというものと付き合っていくのか
ということをねやっております
そらにはモーちゃんはやっぱり先頭走る人ですね
そうであったら嬉しいんですけれどもね
この電力関係に関して言えば
今年調査が行われて本当にそれできるのかどうかっていうのを
自然の中の調査ですね
これはもう環境アセスメントという法的なものを超えた調査で
本当にこのね必要最低限のものではなく
その場所にどんな生き物が住んでいるのかとかを
本当にこうね何ですか
細胞レベルで調べていくらしいんですね
遺伝子レベルかな
遺伝子を採取していく水の中からみたいな
そういうことをやってって
ここのね生態系を明らかにして
で大丈夫であれば発電できますねということで
そしたら発電の会社が立ち上がるというようなところでね
もうちゃんも魅力ながら
そんなことをさせていただいているところなんですけれども
はいこれをねやるには日本の中では
法の針の穴を通すような
そんな難しさがあるようで
できたらラッキーできなかったら
まあ仕方がないよね当然だよねぐらいの
それぐらいのガチガチに組まれた法律の中の抜け穴を
やっていくということなんだよね
これをやっているところは実際に日本の中にはいくつかあって
いくつもはないけどいくつかあって
そんなところにですね
まあ仲間入りできたらいいなっていうのが
今やっているところでございます
自然栽培とその価値
ということでね発電のことにも関してもしっかりだし
昨日のそのワークショップで
生の木を手渡してお金をいただくというその経験もそうだし
この木なりを手渡す経験というものが
僕に届けてくれたものっていうのはかなりあったなと思いました
これは何か言葉でいくら紡いでも全部伝え切ることができないくらいの
感動というか衝撃というものがあって
本当に人間界の中で価値がつく瞬間
みたいなものに触れることができました
これからもうちゃん的には自然栽培というですね
方法でお野菜を作っていきたいんですね
この自然栽培の理念の中にはですね
これ自分のところにやってくる分だけ自分で作るという
なんかこの小規模栽培っていうような理念が
ちょっとどこかにあるんですよね
だから必要以上に作らない
必要以上に作ってしまったとしたならば
これ生態系が崩れてしまって
その土地のエネルギーを余分にもらうことになってしまうから
みたいなそういう理念があるんですけれど
しかしですね
正直なところ自分の家で処理できないくらい
処理って言ったらあれですね
いただくことがいただき切ることができないくらい
収穫ができてしまう場面があります
すごく調子がいいときですよね
その土地がね
そんな時になんかやっぱり人に手渡していきたいなと思って
お裾分けでもいいんですけどね
そんな時にですね
まあ少しでもなんだろう
この人間界の中の価値に乗せていくことで
これは自然栽培という方法で作られたんですよっていうことが
人間のルールの中に流通していくといいな
なんていうことを少し思っておりまして
今日もですね
今畑やらせていただいて
自然栽培のお世話をさせていただいているところです
そんな休憩時間にこれを撮らせていただきました
いかがだったでしょうか
今日は木なりを手渡す経験が
僕に届けてくれたものというテーマでお話しさせていただきました
今日コメントをくださったのは
ソラニャン そして占い師トワムさん
マツさんでございました
そして今聞いてくださっているあなたも
そしてアーカイブで聞いてくださったあなたも
本当に本当にありがとうございます
ぜひですね
もし機会があったらで結構ですので
何かこのゼロ円のもの
自然界の中でちょっとなんか拾ったもの
自分の中に自分のところにこう巡ってきたものに
なんかこう値段がつく瞬間っていうのを
なんかこう味わっていただけたら
嬉しいなっていう気持ちがあります
またはそれを受け取る瞬間でもいいと思うんですけどね
そんなことを思いながら今日過ごしております
ということでお聞きいただきましてありがとうございました
お相手は児玉小町プロジェクトのモーちゃんでございました
またお会いできることを楽しみにしております
今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ
あなたとあなたの大切な人に
森の精錬のご家族が訪れますように
本当にありがとうございました
ありがとうございました
本当にありがとうございます
34:15

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