過去の全能性について
いただきました。はい。ちょっと、この話、聞いてみていただけますか。かつて、人は万能だった。しかし、今は翼はなく、空を自由に抜ける脚力も失ってしまった。
そんな世界線があるんだということです。この世界線はですね、とある自然哲学者の方が語っている、そんな世界観なんですね。
あなた、僕とあなたの間には全く違う世界観があって、だけど重なり合う部分もあって、お互いがお互いの世界観を分かち合うことによって、自分の世界観がちょっと深まったり、また広がったりしていくものなのかなって思うんですよね。
だから僕たちは、面白がって映画を見たり、本を読んだり、漫画を読んだり、こうして人の話を聞いていただいたり、そして話をして分かち合ったり、
そうやって自分自身の懐っていうものを大きく深く海のように様々なものを受け入れることができる、受け止めるようなことができるよっていう、そんな世界観、度量っていうものを身につけていく。
そういう意気込みなのかなって思うんですね。これは僕の世界観です。なので、押し付けでは決してないんですよ。はい、というようなところから世界観をちょっと語らせていただこうと思うんですが、その自然哲学者の方の世界観がまあ面白くってね、紹介させてください。
正確に言うならば、人が人になる、もっともっともっともっと太古の昔の話。
人はかつて海の中の、また今の人間とは似ても似つかぬような姿形をした生き物だった。
海の中にいたその生き物は、あるものは地上と水の中を両方を生きていくことができるような両生類になり、またあるものは陸上で生きていく、それようなことを選んだ爬虫類となり、
そしてあるものは翼を持ち、この大空をどこまでも自由に駆け巡る鳥になり、またあるものは哺乳類になり、二足歩行するものが現れ、なんていう感じですよね。
こうやってあらゆる種族に僕たちは派生をしていく、そのもっともっともっともっと前の段階、その生き物っていうのはありとあらゆる可能性っていうものを秘めていたんですよね。
空を飛ぶことだってできるかもしれない、陸上で生き抜くことだってできるかもしれない、二足歩行することだってできるかもしれないし、こうして言葉を使うっていうことだってできる、そんな存在だったはずなんですね。
そういった生き物があって、僕たちはあたかも進化の過程でありとあらゆる能力を身につけてきたんだっていうふうに思っているかもしれないんだけど、最初の生き物っていうのは、本当に最初の種族っていうのは、もともと声を発することだって、空を飛ぶことだって、
さまざまな能力の可能性を秘めていたんだよ、もともとっていうことです。なので、その力を外に押し出すことによって、あたかも姿形の見つかぬ新しい種族というものを生み出していったんじゃないかっていう、こんな説があるんですよね。
生物との関係
めっちゃ面白くないですか、これ。
あ、そらにゃん、こんばんは。ありがとうございます。夜遅くに来てくださってありがとうございます。嬉しいです。先ほどもサムネイル作っていただいてありがとうございました。本当に嬉しかったです。
5月7日にそらにゃんと一緒にライブ配信、朝の10時からさせていただくんですよね。もしよろしければ聞いていただけたら嬉しいです。夜遅いのでですね、心ゆくまで、気の済む場所までで結構ですので、お付き合いいただけたらなと。
色々びっくりしました。ありがとうございました。そらさんが作ってくださった素敵なサムネイル、山桃という植物が使われてたんですけど、まさか僕が住む高知県の県牧を使ってくださったということでね、すごくびっくりしましたね。こんなことがあるんですね。
そういう意味で言うと、そらさんの持っている世界観っていうのは、僕にとってはとっても心地よくてですね、多分重なる部分もありながら、なんかすごく新鮮味があるというか、なるほどなーって思えるようなことがいっぱいあってですね、なんか嬉しいんですよね。好きなんですよね。ありがとうございます。
今日もそらさんのラジオを結構聞かせていただいておりました。仕事をしながら、掃除をしながら。そんな世界観のお話をさせていただいております。ありとあらゆるものが押し出されていった。
つまりですね、人っていうものは万能じゃない、今ないですよね。あたかも万能のようにいうに古いいるし、人よりもはるかに地面を掘り進むことが得意な生き物たちだっているし、空だって飛べる生き物だっているし、ということなんですよね。
能力が押し出されたっていうことは何を意味するのかっていうと、自分にはその能力をなくなってしまった、失ってしまったっていうことなんですね。ってことはですね、自分にはできないことがあるっていうことなんです。
自分よりも優れた生き物っていうものを、他の生き物たちを優れてるなっていうふうに見ることができた瞬間にですね、自分にできないことが彼らはできるものなんだなっていうことをですね、そんなふうに解釈をすることができるんですよね。
こうしたところから自然の見方っていうのががらって変わってくるような気がします。
例えば、そうですね、あの今ですね、僕車の中でこの放送撮ってるんですけど、目の前をですね、猫がうろちょろしてるんですよね。すごくないですか。こんな真っ暗なんですよ。
もう本当に街灯もない場所の中でですね、僕車の中で話をしてるんですけど、猫って暗闇でも目が見えるんでしょうかね。すごいなと思いますよ本当に。
だからね、猫が僕この家の中にいるからです。家の中というか敷地内にいるから畑の作物っていうものを守ってくれるんですよね。
これ人間には無理です。夜やっぱライト使わないと見えないしさ、夜中こんなに活動的に動くなんていうことも僕には無理だしさ、猫がいてくれてすごくこう力を貸してくれてるんだなっていうのをさ、もう泣き笑い。そうですよ。
そうなんですよ本当に。なんかね、もう助かっちゃってんなーっていうことをね、思ってるんですよね。
まあその他にもいろいろね、ありますよ。人がすべての植物の樹粉っていうんですかね、花粉を取ってさ、別のさ、おしべ、めしべみたいなところにくっつけていくなんていうことはできないけど、
虫たちがそれをやってのけてくれてるんだなっていうふうに思うと、これもまたある時点からですね、押し出された能力だったんですよね。
人はかつてそんな能力も持ってたかもしれません。太古の昔、人とはにつかぬような形、姿形をしていたその太古の昔っていうのは、そういう能力持ってたかもしれない可能性を秘めていたかもしれないけれど、虫たちがそれをやってのけてくれているっていうことは僕たちはできないっていうことなんですよね。
だからさ、虫にも感謝だなとかありがたいなって思ったんですよ。猫もありがたいなって思ったんですよ。本当にね。
イノシシっていうのがさ、僕の住んでいる家の裏山には住んでいるらしいんですね、どうも。夜になると彼ら夜行性なんでね、山を降りてきて川に行って水を飲んだりするらしいんですよね。
現代の役割
彼らはですね、山を歩いていって泥温の中をですね、泥浴びして自分の体の中についたのみとか虫とかを泥にまみれて落とすんだそうですね。そしたらその落とした泥を木にこすりつけたりとかするらしいんです。
また彼らはですね、穴を掘るんですね。地面の中にいるミミズとかを食べるためとかっていうふうに言うんですけど、このイノシシが掘った穴ってすごくって、まあ人はですね、それをもうこんなところに穴開けやがってみたいなふうに言う人もいるんですけど、これね、見方がガラッと変わる瞬間がやっぱりあるんですよね。
イノシシが掘ってくれた穴ってすごくね、ふかふか柔らかいんですよ。そして、穴を掘ってくれたところから、実はですね、大地は呼吸をし始めるんですよね。
これが面白いところなんです。人も実は地面をふかふかさせたい、土壌改良って言うんですけど、なのでイノシシのことをですね、悪く言う人もいっぱいいるし、イノシシのことを害虫っていうふうに言う人もいるんだけど、
まあ僕もですね、お米をなぎ倒されてですね、田んぼの稲がね、全部台無しになってしまったなんていうこともあって、くそーって思ったこともあるんですけど、でも地球にとってはですね、このイノシシの穴を掘るっていうことはすごく大切なものらしいんですね、どうも。
そしてそれは人にはできないことで、人から押し出された能力だと言っても過言ではない。人ができないことをイノシシがやってくれていると言っても過言ではないんだっていうことを思いました。
そう思うとですね、僕たち何のためにこの世の中に生きているのかなっていうことがちょっと見えてきまして、僕たちって一つ上のレイヤーの中で生きているよなと、僕たちは何かに包まれて生きているよなっていうことを思うんですね、これは本当によく思います。
例えばですね、僕は今家族の中にいるわけなんですけど、その家族の中で役割を持っているんですよね。外で働いてお金を持ってくるなんていうことはさ、まあ一つのものかもしれませんけれども、あとは今日はね、いっぱいこうお料理をさせていただいて家族に提供する、提供する言い方どうかな、まあね、一緒にいただくとかですね、そういう役割を持っていたりとか、
それから何かな、自分の役割、家族の中でのもしかしたらちょっと面白いこと言ってくれるなーとか、ちょっと安心するなーって言ってくれるだけで嬉しいなって思ってくれたら嬉しいなって思うんだけど、どう思ってるかはちょっとわかんないけどね、でも本当に一人一人その役割っていうものが一つ上のレイヤーの中にはあるんですよね。
僕たちその包んでいる地球っていうところの中で言ったら、それぞれがやっぱりこの地球というものをうまくこのシステムというかですね、地球の循環というか地球が地球であるための何かその仕事っていうものをそれぞれが役割として与えられているんじゃないかなっていうすごく大きな話をして、
蜘蛛を使うような話かもしれないけれども、そんなように思うんですよね。そう思った時に、何か草花たちもですね、役割を持っているように僕は思うことができるようになってきたんですね。
本当にこれはね、ここ1年2年の話なんですよ。今、自然農っていう方法で、自然栽培っていう方法で畑でいろんな作物を作らせていただいているんですね。
茄子やピーマンやトマトやキュウリやオクラ、そしてシシトなどなど様々なものをですね、草を抜かずに、本当だったら畑をたがやしたりとかするじゃないですか。
でも雑草にも一つ一つにやっぱり役割があってそこにいるんだからっていうことで、そういった草を除去することなくね、できる限りですよ。できる限り除去することなく、そこに苗を植えてあげて作物を育てるっていうことに挑戦をしているんですよね。
でもね、そのやっぱり、例えば茄子の苗、茄子ってね、木みたいに少しずつ太って座っていくんですけれども、その茄子の苗ってね、最初本当にちっちゃいんですよ。10センチとかさ、そういうところから始まっていくんですよね。
草と茄子の共生
10センチとか15センチしかないそんな茄子の苗の周りに30センチも40センチもあるような背の高い草が取り囲んでいたら、茄子の苗に日の光が当たらなくなるじゃないですか。そうするとですね、何が起こるのかっていうと、これここから僕のオリジナルの表現なんです。譲るんですよ。
茄子が、あ、僕ここにいる必要ないかなって言って、周りに譲っていくんですよね。そう、場所を。その方がいいじゃないですか。僕が根っこを生やしているよりも周りの子たちが、周りの草たちが根っこを生やしてくれた方が、遥かに地球にとっていいんじゃないかなんていうことを言っていくんですね。
ちなみにそこに草があることによってどんな効果があるかっていうのは、人にはもう計り知れません。計り知れないんだけど一般的に言うのことは、草がなくなった大地っていうのは乾いていくんですね。
乾いていくと栄養がなくなっていくし、作物たちが育つことが難しくなっていくんですよね。作物だけじゃないですね。草が育つことがすごく難しくなっていくんですよね。だから保湿ですね。保湿。僕たちももしかしたら化粧水を塗ったりね、美容液を塗ったり乳液を塗ったりとかしてるかもしれませんけど、そのカバーなんですよ。
草っていうのは大地のカバーであって、やっぱりそこに緑があってくれるっていうことがその大地にとっては自然な形なんですね。だからそれを大きく掘り返すことによって地面を乾かしてしまうっていうことは良くないことだと僕は思うんですよね。
なんですけれども、もしそこに作物を植えたいと思ったときには、周りの草を抜きはしなかったとしてもちょっとね、刈らないといけません。刈らないといけないっていうことはやっぱりあるんですよね。そして茄子の方が他の草よりもちょっと背丈が高いっていうのを維持していかなくてはならないんですよ。そうしないと日の光が当たらないからね。
そうするとですね、何が起こっていくかっていうと、茄子がどんどん大きくなっていくにつれてですね、他の草が今度は譲り始めてくるんですよね。茄子が大きくなるから、あ、茄子さんよろしくねって言って、そこを覆っていた草たちが少しずつ少しずつ別のものに変わっていったり、場所をですね、ちょっとずつずらして移動するというか、また新しい草が生えていくんですけど、そこにいた草は一旦なくなって、
そしてどんどんまた周りにずれていくっていうことがね、範囲が変わってくるっていうことがあるんですよね。そうした時に、なんかその茄子に周りの草たちがやっていた役割っていうものも、なんかこう継承されるような感じがあるなと思いますね。
そこに茄子がいてくれるっていうことは、地球にとっては非常に大切なことなんだ。なぜならば、そこに茄子がいてくれるっていうことはですよ、水分を吸い上げてくれるわけですよ。水分を吸い上げてくれるっていうことは、周りの土たちが湿った状態で居続けることができるってことなんですよね。
なんていうふうに、やっぱり生き物たちと同じようにですね、なんだかこう草の中にも植物界の中にも譲り受けたりとか、外に押し出される能力って先ほど言いましたけれども、それと同じようにですね、なんだかこう支え合って譲り合って生きているような感じが僕にはとって見えました。
さらにこんな話もさせてみたいと思うんですけど、実はですね、これね、草たちっていうのはなんか競争し合うっていう見方が一つあったと思うんです。かつてなんですけど、ある時からこうやって支え合って生きているみたいなふうに言われるようになりました。
で、またある時からですね、今度これは僕が譲り合って生きているっていうことも言っておりますけど、こんなふうに言う人もいるんですね。植物たちは自分たちが苦労を引き受け合ってるんだよっていうことなんです。引き受けですね。
なんかこう自分の能力、自分は力があるから周りの草よりも、周りの草にはできないことが自分にはできるなんていうものがもしあったとしたら、なんかそこでやることを引き受けるっていうことをしているようにも思うんですよね。
例えばですね、今僕は自然栽培をしておりますけれども、木陰に作物を植えるっていうことをちょっとしてみているんですね。木陰というか木の近くにです。そうすると何が起こるのかっていうと、強い風が吹いた時に木がですね、その風をドンとまず受け止めてくれるんですよね。
そしてその弱まった風をサラサラサラーと他の植物たちに分け与えていくようなことがあって、もうね、こんな強い風っていうのは植物たちにとってはすっごくストレスなんですよ。
根っこももっともっと深くしなきゃ太くしなきゃって言って、自分の体を支えるためにですね、地面の下にですね、どんどん成長をさせようさせようっていう風になっていったりするんですよね。もちろん上もどんどん育っていきたいんだけれど、下を下を育てていこうという風になっていったりもして、ちょっとストレスがかかってくるものだと思います。
でもそのストレスがかかる役割を実は木がですね、引き受けてくれてるんだなーっていうことを思うわけですね。この引き受けっていうものがすごく僕の中にはですね、クッときた言葉なんですよね。浮かんできた言葉なんですよね。実は苦労を引き受けあっているんだっていうことです。
ありがとうの重要性
だから僕たちって感謝をする。ありがとうっていうことができるのかなーって思ったんですね。
僕たちは何気なく使っているこのありがとうという言葉。ご飯作ってくれてありがとう。ご馳走してくれてありがとう。教えてくれてありがとう。買ってくれてありがとう。いろんなことあったらありがとうっていう風に言う。これはありがたいからありがとうって言うんだよって当たり前じゃないからなんだよっていうことは、月並みな言葉でよく言われるんだけどさ。
もっともっと深いところでは、やってくれたありがとうっていうよりも、自分にできないかったこと、できない苦労、自分が引き受けることが到底できない苦労を引き受けてくれてありがとうっていうのが、実はありがとうの前に省略されている言葉なんじゃないかなーっていうことをちょっと思ったんですよね。
ってことを今日話をしたくって、このライブ配信をさせてみました。いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなたは是非、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
こうやって世界観を分かち合うことができるっていうのが、このスタンドFMの面白いことかなーなんて思いました。
それぞれの配信ってすごいよね。
これは聞いてくださってるかな。
そらにゃんもさ、本当にそらにゃんはそらにゃんにしかできない発信をされてるなーと思ってね。
すごい僕はね尊敬をしています。
で、この僕が今話した発信内容も手前味噌な話かもしれないけれども、多分この話をしていることっていうのは、スタエフでも僕だけの話なんだろうなと自分でそうだろうと思ってやっているんですけど。
中にはやっぱりこのスタンドFMで何かこう喋るとか発信をするなんていうことはめっそうもありません。できませんなんていう方もいらっしゃると思うんですね。
僕FacebookとかXとかインスタグラムとかでもめちゃくちゃ発信するのをさ、趣味のようにやってきていたんですね。
すごくそれが感謝していただくことがあるんです。
ありがたいなーって。僕がやりたいから勝手にやってるだけなのになーって思うんですけれども。
そんなですねことも、なんか私にはできない苦労っていうことをやってくれているっていうことが実はその枕言葉として、だからこそその発信を見て励ましてもらってるよ。楽しませてもらってるよなんていうことがあるのかなーって思います。
あ、そらにゃんありがとうのパワーすごいです。最近ようやく気づきましたよ。
あ、そうなんですか。そらにゃんも最近ありがとうっていうこの言葉のパワーを感じることがあったんですか?
すごいねー。どんなことがあったんでしょうか。もしよかったら今でもいいですし、今度の7日のライブ配信で聞かせていただけたら嬉しいなって思います。
いやー、ありがとうっていう言葉をさ、とにかく唱え続けると何か不思議なことが起こるなんていう話ってよくあるんじゃないですか。
よくあるのかな。例えばこうありがとうを2万回唱えたところあたりからすごい世の中現実は変わっていくんだなんていうことがさあったりするんだけど、僕これやったことあるんですよね。2万回ありがとうを唱えたっていうことが実はあってね。
お、お、お、そらにゃんありがとうございます。真ん中のにゃんが体調を壊したときにひたすられんこしました。
なるほど。まだ最近収録していると思います。
あ、そうですか。そうですか。
このありがとうのことについて話をした回があるってことですか。後で聞きに行きます。ありがとうございます。教えていただいて。
あ、そう。このやっぱり体調が悪くなったときとかにありがとうってめっちゃ唱えたりとかすると、それで何か奇跡とも言えるような現象が起こるっていうことですよね。これすごいね。ほんとね。
なんか、ありがとうっていうものが持つ言霊っていうんでしょうかね。すごいなと思います。あ、そうそう。なんか話が膨らんできてしまいますけど、この日本語っていうものとか古代語っていうんでしょうかね。
この一つ一つのひらがなのあとかりとかがとかととかうとかこういうものにも実は意味がある。願いが込められているって言うんですね。だからこそ日本語っていうものはすごく強いパワーを秘めているんだそうですね。
ありがとうのあっていうのがなんかこうものの始まりを表すような意味合いは確かあったような気がしますね。そしてやっぱり明るさっていう意味があるらしいですね。もしこれがありがとうじゃなくてありがとうから始まったりとかするとさ、たぶん言霊の意味が変わってくるんですよね。
あ、そらにゃんありがとうございます。そうなんですよ。日本語には力があると聞いてたから試しに唱えたんです。
特にそらにゃんは放送でもおっしゃってましたけどって言いましたよね。だからやっぱりそらにゃんが唱えたっていうことはそらにゃん自身がなんかこう気持ちがすごく豊かになってそれがこの猫ちゃんにもきっと伝わったのかなあなんていうことも思いますね。
なんか一昨日だったかなんかに言ったような気がするんですけど言ってないかもしれませんけども、よく僕最近何かと何かの境目っていうねことをよく意識するんですよね。
例えば僕今ですね、地区150年の古民家に住んでるんですけど、つい横がですね神社なんですよね。鳥居があってさ、今日その神社の祝いみたいなものを話をしてくれるおじちゃんが来てさ、でもこの神社の祝いっていうものは全然わかんなくって、いつからあるのかがわかんなくって、
日本の神社文化
でも歴史に残ってないんだけど周りの神社の古さからしたらおそらくこの神社っていうのは豊臣秀吉の時代ぐらいからあるんじゃないかなって言うんですよ。びっくりしましたよ。豊臣秀吉の時代っていうことは1582年に確か大興建築が行われたみたいなそういう時代ですから、今から500年くらい前、400年くらい前の話なのかとか思うとね、
もうびっくりして仰天なんですけれども、その神社っていうのは坂木っていう木をですね、そこに建てるんですよね。坂木っていうのは神様と人の境目だから、境になる木、境木ということで坂木なんていうふうに言ったりするそうなんですね。
他にももちろんいろんな由来っていうのはありますけどね、栄える木という意味で坂木というふうに言うようになったとかね、よく神棚なんかにはお供えするんですけれども、この境目の差とかですね、あとそうですね、
岬、岬っていうのはさ、半島のことなんですけど、海と陸地の境目のことを岬なんていうふうに言いますよね。これはやっぱり陸地、そして海。海っていうのは人が生きていくことができない場所。恩恵を受けることはできるけど、海には海の神様が住んでいる。
そんな境目だから、差っていう文字がやっぱりそこにね、含まれているそうなんですね。なんていうことがあって、本当にひらがな一文字一文字には実は意味があって、漢字に意味があるんじゃなくって、実はひらがなに意味があるんだよっていうことなんですよね。
すごく話が膨らんでいきましたけれど、ありがとうっていう話でしたね。このね、ありがとうっていう言葉は本当に素晴らしいものなんだなーっていうことを思いますね。また唱え始めようかな。ありがとうって。
あ、そう。海、境、岬、面白い。ありがとうございます。そうなんですよ。で、この差っていう言葉がその古代語では、あのこの境目、何かの境界線を表すという意味なんだそうですね。
そうなんです。しかも日本人っていうのはこの境目っていうものをすごくゆるゆると、境目をあまり意識させないようなところがあって、この境目を設けるっていうことは繋がりを設けることにもなるような気がするんですよね。
ここにサカキという木を植えるということは、神様がこちらの世界にもやってくるし、こちらが神様の世界にも行くことができるっていうような、そんなトンネルを作っているような気もしておりましてね。
なんかその日本人の中のですね、すごく奥深くにある、なんか信じてこられたようなものがありますよね。僕そういうね、民族学みたいな、説話みたいなね、言い伝えみたいな話もすごく好きなんですよね。
ありがとうございます。はい、ということでですね、今日はちょっとこんな話をしてみました。かつて人は万能だった世界観に立ってみたらっていうような話をしてみました。ありがとうございました。いかがだったでしょうか。最後まで来てくださってありがとうございました。
そうですね、もし可能だったらちょっとタイムスタンプとかも作ってみたいなと思うのと、あと、今メールマガジンをね、ずっとやるやる詐欺してるんですけど。
あのですね、このメールマガジンをちょっと今買おうと思っていて、昨日準備をしていたらですね、なんか海外のメールスタンドだったんですよね。海外のやつがね、どうしてもこの英語が分かれなくって、なんか使い勝手がすごい良くなくて、ちょっと断念をしてしまって、やっぱり日本語の、日本語で使える、使いやすいものをやっぱり作ってみました。
日本語で使える、使いやすいものをやっぱり使っていこうっていうふうに思い立ってですね、もう1回、1から今準備をし始めておりますので、もうしばらくお時間をいただけたらと思います。ということで、いかがだったでしょうか。ありがとうございました。
今日最後まで聞いてくださったのはソラニャンでございました。ありがとうございました。また聞いてくださったら嬉しいです。ソラニャンとのライブ配信は5月7日朝10時からソラニャンのチャンネルで始めますのでよろしくお願いいたします。
聞いてくださってありがとうございました。お相手はこだまこまちプロジェクトのもうちゃんでございました。またお会いできることを楽しみにしております。今日も素敵な1日をお過ごしくださいませ。あなたとあなたの大切な人に森の千円のご学校が訪れますように。
あ、ソラニャンありがとうございました。こちらこそありがとうございました。