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オスオス、おはようございます。こんにちは、こんばんは。地球元気食堂、開店でございます。
僕の名前は、もおちゃりと申します。薬前師をしたり、森林インストラクターとして活動をしております。
本日もよろしくお願いいたします。
蜂蜜が、蜂蜜ってすごく高級な食材なんですよね。
これからの季節、非常に乾燥をしてきます。乾燥して風邪をひくと、薬をもらいに病院へ行く、薬局へ行く、などなど、そのようなことをすることがありますが、
実は異食同源で、食事とそれから医療というものは、同じ源があります。薬食同源とも言うかな。
薬と食べ物というものは、もともと口に入れるというもので、同じ意味なのですね。
ですから、日々の食事、食習慣、食生活を変えていくことで、それが自分の治療にもなっていく。
蜂蜜はその最たる霊です。
蜂蜜のあのとろっとした粘り気が喉を包み込み、そして癒してくれる。
炎症を抑えてくれる。だから蜂蜜というものは、非常に高価で高級なものになっていくんですね。
なんせ、あの人間にとって天敵である蜂たちが作っているものですからね。
ただ、蜂蜜にも様々なランク付けがあります。
蜂蜜は作られた当時ですね、当初ですね、それを火入れするんですね。
火で殺菌をして、そして生だった蜂蜜を一回消毒というか、加工してしまいます。
すると、それで値段がちょっと下がっていくんですね。
また、一つの花からとった蜂蜜、これを集めていくのと、
複数の花から集めてきた蜜で蜂蜜を作るのか、これでも値段が変わってきます。
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純粋に一種類の植物、花から集めていった蜜は、純度が高く高いと言われております。
一方で、百花蜜と言われるような、いくつもの花、百の花を集めてきて、それをミックスさせて蜜にしたようなものはですね、価値がちょっと下がっていくんですね。
スーパーに行けば、一瓶1万円以上する蜂蜜から、一瓶数千円、いえ数百円で買えてしまうものまで様々あります。
僕はこの蜂蜜の世界というものは、とっても自然にかなった価値をつけていると思うんです。
つまり、純度が高いもの、人が手を加えていないものほど値段が高い。
しかし、僕たちの世界では逆のことが起こっています。
それは、人が手を加えれば加えるほど価値が取引がなされている。
そんな商品が多く目立ちませんか?
例えば、高知県はカツオが有名です。
カツオ一匹丸々、これでも相当な値段がつきます。
これを刺身にして細かく切り刻んでお皿に乗せれば、単価は高くなります。
さらに、高知県の名産であるカツオのたたき。
これは、お刺身であるカツオを炙るんですね。
この炙るものも色々あって、わらで焼く。
わら焼き、これが高知県の伝統的な調理法なんです。
わらの火でカツオを炙る。
すると、これはもう絶品なわけですよ。
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美味しくて美味しくて、もう仕方がない。
まるで牛肉を食べているんじゃないかと錯覚するほど、味が濃くてジューシーで。
そこに塩をかけたり、タレをかけたりします。
なんと、高知県で取引されているのは、たった6切れで1600円ぐらい。
ここまで価値が跳ね上がるんですね。
人の手が加われば、加わっただけ価値が高くなる。
それは、多くの人がそこにコストをかけ、手間をかけ、時間をかけ、
そうして出来上がったものであるから、値段が上がっていくということは、
一つの今の常識なのかもしれません。
これが農業の世界では深刻な問題となっています。
消費者、つまり僕たちがスーパーや八百屋さんや果物屋さんに行ってお買い物をする。
毎日の食事ですので、そんなに高いお金をお財布から出すことはできないです。
ですから、出来る限り値段を安くしてほしい。
それを叶えているのがお店です。
でも、お店側も自分たちの取り分が欲しいわけです。
農家さんと契約をしたり、卸業者と契約をしたりする。
自分は売ったら儲かる分だけ、それは利益は残しておきたいと思う。
だから価格は抑えつつも、やはり自分の利益が確保されるだけの料金設定をします。
卸業者さんもそうです。
すると、この中で一番料金が安く働かなくてはならないのは農家さんたちなんですね。
食料を生産してくれている、そういった人たちが一番安く働かねばならない。
しかし、これって価値がひっくり返っているように思いませんか?
僕は思うんですね。
農家さんが一番大事でしょ。
というのは、生のお野菜ができなければ卸すこともできないし、売ることもできないし、それを料理屋さんが扱うことだってできないからです。
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しかし、農家の現状は非常に厳しくてね。
ほとんど、ただ同然と言ってもいいくらいの値段で自分が作った野菜が取引なされている。
しかも、スーパーやお店で売るときには形が不揃いであってはいけない。傷があってはいけない。
そして、土の上でできる作物については日焼けをしていてはいけない。
また、虫に食われていてはいけない、などなど厳しい厳しい基準があって、それをクリアしたものがようやくお店に並びます。
しかし、全てが同じように育つわけではないのです。畑は、田んぼは、工場ではないのです。
ですから、一つ一つがまちまち大きさが違う、形が違う、少し虫に食われてしまう。
そういう状況があって、当然なんです。
でも、僕たちはそれを跳ねて跳ねて跳ねて、きれいなものを買い物籠へと入れようとしますよね。
農家さんは、ますます生活が苦しくなっていきます。農家を続ける人もいなくなっていきます。
食料を生産する人が年々減ってきております。
僕たちがお金を出せば買えると思っているものを、お金を出しても買えなくなる時代はすぐそこまでやってきています。
僕たちは、自然にあるものは、ただで手に入ると思っている。安いものだと思っている。
しかし、現実は違うんです。価値はひっくり返っているんです。
本当は、自然のものこそ、最も大切にされるべきであるし、効果であるものだと思います。
それは、お金をそこに払うが払うにしても払わないにしても、感謝をもって、リスペクトをもって、その人たちを扱う、接するものを扱うことが大事だと僕は思うんですね。
蜂蜜のような料金設定というものが、すごくシンプルであり、本来の値段の付け方なのではないかと。
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人が手を加えれば加えるほど、純度は下がっていって、値段は下がっていく。
自然のものが、最も高価で価値のあるもの、ピュアなもの。
それが、いつの頃からか価値観が変わってしまっているんですね。
僕は、子どもたちの遊び場を作って、提供をさせていただくんです。
この遊び場というところは、子どもたちが一番興味を持てるものたちを置いています。
それは、自然遊び。自然で遊ぶためのグッズ。
例えば、虫眼鏡だったり、虫取り網だったり、それから虫かごだったり、木の枝だったり、木の実だったり、葉っぱだったり、こういったものを置いております。
そして、自然の中で目一杯遊べるような工夫をたくさんしています。
また、かつて行ったプロジェクトの中に、ダンボールというものがありました。
これは、限りある資源を有効活用して、子どもたちが楽しい思い出を作れるといいなと、そんな願いも込めて行った活動でした。
ただ、捨てられてしまうダンボール。これを子どもたちが工作をしたり、ダンボールで街を作ったりして、それで遊んでいく。
この、もう捨ててしまわれるだけの、自然に帰るだけの、そんなダンボールたちを有効活用したものなんですよ。
しかし、ここになかなか値段をつけることが難しい。入場料を取るということが難しい。
これは、僕たちの哲学もある。それは、貧富の差によって、経済格差によって、子どもたちの経験の差、体験の差があってはならない。
だから、誰もがそこに入ってくることができるようにするという、そういう願いが込められておりますが、
自然のもので遊ぶからこそ、そこに値段をつけるのってできないよね、と言われてしまうのです。
しかし、僕は思うのです。自然のもので遊ぶことができることほど、贅沢なものはありません。
お金を出せばできてしまうゲーム、遊園地、テーマパーク、これも人の工夫が存分に組み込まれているもので、と僕は思います。
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あるならば、自然の中で遊ぶということには、もっともっと価値がついたっていいじゃないかと。
自然の中で遊ぶことほど、子どもたちの興味・関心が引き付けられることはありません。
テーマパークは飽きたというふうになってしまったり、やがて終わりが来てしまうものだったりします。
ゲームもそうです。
常に常に新しい刺激、新しいものが生まれてこなければ、与えられなければ、遊び続けることが難しいのです。
しかし、自然の中で遊ぶとなれば、話は別です。
自分自身が自然を使って、どのようにして遊ぶのか。
どんな発見があるのか。
それは、今の自分の年齢だとか、精神レベルだとか、気持ちの状態だとか、そういったものに相応なものが発見されたり、作られたりする。
つまり、万人を受け入れることのできる度量を持っているのが、この自然です。
自然だからこそ、お金はいらない。誰もが享受できるもの。
ただ、本当に価値のあるものというものは、この自然に関わるものなんですよということ。
それを、僕は強く信じております。
いかがだったでしょうか。最後まで聞いてくださったあなた、ぜひ、いいねやフォローで足跡を残していってくださいね。
僕は、人が作ったものが偉大ではないとか、尊くないと思っているということは、これっぽっちもありません。
人が作ったものですら、それだけの値打ちがつくのであれば、自然、これを大事にするということは、もっともっと尊重されるべきであるのではないでしょうか。
なぜならば、僕たちのすべての活動は、この自然の上に成り立っているからです。
しかし、今も自然の変動、気候の変動、環境が破壊され、1分間に東京ドーム2つ分の森林が、毎分毎分なくなっていると言われています。
僕が、このラジオをここまで18分話をしてきましたが、ここまでで東京ドーム36個分が、森林がなくなっている、消滅をしているということなんです。
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昨日のラジオでも紹介をさせていただきました。
もう、僕たちは手遅れなところまで来ている。
いつか自然は元通りになるというところを思って、信じて、その前提の上に経済活動、暮らし、生活を営んでいた。
しかし、もう再生することはないというところまで来ている。
さあ、僕たちはどうしていくのか。
今日は、価値はひっくり返っているよね、という話をさせていただきました。
お時間が来たので、今日はこの辺で。
お相手は、薬膳師であり、森林活動ガイド、森林インストラクターである、もうちゃりがお送りいたしました。
また、お会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。