療養と内なる衝動
おすおす、おはようございます。こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
いかがお過ごしでしょうか?っていうのは、そっちのセリフやねんみたいな、こっちのセリフやねんみたいな、そんな感じでしょうか。
もおちゃん、8月1日に救急車で緊急搬送、そして今10日目を迎えておりますね。
緊急搬送されてから、入院も手術もなく、自宅療養ということでね。
僕の病気は、今回自然に治りますというものだったんですね。
しかも徐々に治るのではなく、ある日突然良くなりますっていう病なんだそうです。
病名は伏せておきますけれども、もし興味のある人は、メンバーシップでは話をしてますけれどもね。
変てこな病だったのですが、その境目っていうのは、自分自身で自覚ができるような、そんな症状が訪れますと言われたんですね。
自覚がなくて、でも自分自身の体調は良くなってるよねっていうことだけがあって。
なんとも、あれこれ感知してるの?みたいな、よくわからないようなところになっておりますけど。
感知と根治って違うと思うんですよね。
完全に治ると、あと根っこから治るっていうのは、ちょっと違うようなニュアンスを僕は感じております。
感知っていうのは、自分の症状というものが見えなくなって、自分が困らなくなったっていうところが感知なんだと僕は思ってます。
一方で根治っていうのは、根っこから治るっていうことを書きますので、
自分自身が見えていなかったその地面の奥底に生えている根っこの傷んでいる部分、ここまで見ていって修復をしていくっていうことだと僕は思っております。
ので、感知はせども根治はしておらずって、僕は今自分の自身の体調をそんな風に考えているんですね。
完全に違和感がないわけじゃないんですよ。自分の体なんですけれどもね。
なんかちょっといつもと違ったかなとか、実はもしかしたら違和感というものはずっとあったにもかかわらず、でもなんかこうね、アドレナリンをドルンドルン出したりとかしていたりとか、
あとやっぱりこうわからないところで知らないところで自分の体に負荷がかかり続けていて痛いことに気がつかなかったり、なんかこう無視してしまっていたり、自分の体の声に耳を傾けなかったりなんていうことってあると思うんですよね。
僕のパートナーはピラティスっていう運動というかストレッチをやっているインストラクターなんですけれども、彼女曰くですね、硬すぎる人、硬すぎる人っていうのは痛みにも気がつかないんだと、そしてそれがほぐれているっていうその感覚にすら気がつけないんだということなんです。
なんかそれを聞くとですね、僕自身もなんかこうわかってくるのは感覚とか感情っていうものも摩耗すると、それが麻痺しているのか何なのか嫌なことなのに嫌だと思わなくなったりとか、嬉しいことなのにテンションが上がらないというかね、そこに幸せを見出せなくなったりとか、多分そんなことないですかね。
あると思うんですよね。誰しもが経験をどこかでしたことがあるような気がするんですけども。そんな状況がありますよね。
今だからこそですね、僕は無理をせずとにかく徹底的に療養をしてみる。療養をしながらも自分の内なる衝動ですよね。
衝動というとすごく強い言葉になるんですけれども、なぜかこれやりたいなとか、やらざるを得ないというか、そこに自分が行ってしまうみたいな、そんなことがきっとあるような気がしていて、そのですね、なんか衝動を待っていたり、ちょっと来ているそのセンサーに引っかかったものをですね、拾って疾行に移しているという感じです。
自然栽培の収穫
自分の中にはその外発的動機づけと内発的動機づけがあるなんていうことを言われます。僕、教育心理学っていうのをね、学んだ時にそういうことを言われていまして、外発的動機づけっていうのは外からの報酬ですよね。
だからそれがなくなった途端にやる気がなくなるみたいなことはよくあると。内発的動機づけっていうのはその自分の中から出てくるやりたいとか、なんかその自分自身のモチベーションですよね。そういうのが内発的動機づけなんですけれども、多分この外発的、内発的にも両方にも何かこう言い表せないような、そんなものって多分あるんですよ。
自分がこれやらないと生きていけないって思うようなこととかさ、これやるために生まれてきたんだみたいなこととかさ、そういうのってなんか内発的動機づけっていう言葉だけでは尽くせないものがあるような気がしておりまして。
で、もうちゃん今日ね、朝、なんか雨がね、今日雨なんですよ。高知県もド雨でですね、ド雨ですよ本当。で、今日から3日間かな2日間かな、今日明日が本番なのか。
良さ恋祭っていうのがね、あるんですよ。高知市内で。で、ものすごくたくさんの観光客の方が集まって、日本中からこの良さ恋の連っていうんですかね、集団が集まってきて、そこでもう1晩踊り明かすとか2日2晩踊り明かすというか、もう昨日の前夜祭から始まっているから3日3晩踊り明かすみたいな、そんなイベントがあるんですよね。
だけど今日ド雨でですね、良さ恋の人たち大丈夫かなとね、雨の中でも笑顔いっぱい踊ってくださいねって思ってるんですけども、そんな高知県ですが、ちょっとね、昇降っていうんでしょうかね、雨の晴れ間があるんですよ。
で、その時に僕ちょっと畑に出て行って、まあね、長い時間の作業は結局やらなかったんですけれども、なんか最近どうかなーって、ちょっと最近雨が降ったからどうかなーと思って見に行ってね、釜一つ持ってですね、草をどけながら、草を除去とかね、しながらですね、一つ一つの作物を見て行ったんですよね。
まあそしたら、かぼちゃが2玉取れたっていうのが、今回僕初めてのかぼちゃの栽培だったので、やったーって思ってるんですけど、多分でもかぼちゃまだまだ取るには早かったかなーって思ってるんですけど、ちょっと痛み始めていたので早めに取ろうかなと思って。
あとパプリカとかピーマンとかシシット、甘唐辛子なんかが取れていったかな、あとトマトがちょこっと取れたかなーっていうところか、あとキュウリが1本が、なかなかの大量でした。
今僕はですね、自然栽培っていうのをさせていただいているんですけれど、この自然栽培っていうのはね、無肥料無農薬はもちろんのこと、自分で耕さないっていうことですよね。耕すことによって土をふかふかにして、それで作物を植えていくんだーっていうことではなくて、そうじゃない。
そこに作物、自然な形で植えていくというかですね、育てていく。それで他の作物たちというか、他の植物たちですよね。いわゆる雑草という名前の草はないんですけど、雑草と思われるね、自分たちの生活にはなかなか役に立てることができないような、そんな草たちも役立てながら一緒に育てていく。
そうするとね、なんかね、宝探しのようになるんですよ。今日もう本当に草ぼうぼう生えたですね、その畑の中に行ってみると、草をかき分けると、あ、カボチャがあると。これね、宝石かなと思ったんですけど、なんか赤くきらめくものがね、あって、いや、何だろうと思って見てみたら、ミニトマトが転がってました。
ラッキーとかって収穫させていただいたんですけど、まあそんな感じでですね、自然栽培っていうのは面白いんですね。宝探しをしているようで、そしてここに何が生まれるのかとか、何が生えてくるのかってことが予想がつかないことが多い。
ある程度予想しながら、期待をしながら整備はしていくんですけど、それでもうまく育つかどうかっていうものの可能性っていうのを自然の側に委ねてしまうので、うまく育たないことも結構あるんですよね。
それで去年の8月を思い返すと、ももちゃんはですね、もうウハン派だったんですよね。うまくいきすぎた栽培が。もうナスはボコボコとれるし、トマトもブチブチとれるし、キュウリもですね、もうね、いっぱいとれるんですよ。ゴリゴリとれて。
それでもうね、8月のエンゲル係数はものすごく低くて、野菜を一度も買わなかったんじゃないかっていうくらい、そう言っても過言ではないくらい野菜が収穫ができたっていうのが、昨年の8月でした。
自然からの学び
今年はですね、さらに面積を広げて、しかも自然農法、自然栽培っていうものをね、心出してやっていこうと思ったので、いけるかなと思ったんですけど、これがですね、順調だって思っていたんですよ。思っていたんですけど、急にですね、やっぱりこの暑さとかが強くなったりとかしていて、水が不足したりとかしていて、
あと、そんな中、その作物よりも強い草っていっぱいあってですね、どんどんどんどんそれらが生えていって伸びていって、その作物を覆いかぶしてしまってですね、結局その作物枯れてしまったり、うまくいかなかったりとか、もうね、最後の灯火ですよね。
一つか二つなんとか実をつけて、そこに種を宿して、自分は枯れていく、なんていう現場をいくつも見てきました。
で、今年の作物は良くなかったなーって、また来年再チャレンジだなーなんていうことをね、思っていたんですけど、今日ね、久しぶりにその畑をガーッと見てね、体調が悪かったのでね、一週間ぶりだったんですけど、ガーッと見てですね、釜一つ持ってやってたら、なんかいろんな景色を見ることができました。
僕たちってさ、自然から自分の生き方を学ぶといいよ、みたいなことよく言われますよね。昔々のさ、中国の偉い人、老子さんでしたっけね、もう水のように生きなさいとかっていうことをよく言ったものですけれども、そのね、感覚ってなかなかわかんないよね。
だから頭ではわかるよね、朝前水の如しとか言ってね、水は高いところを嫌って低いところへ流れていくんだとかさ、それから水って決まった形は持ってないから、その入れ物の中に自分の形を作り変えてというか、自由自在にそこの入れ物の中にフィットしていくんだとかね、だからもう流れるように生きていくとか、権力を持たないとか、見栄を張らないとか、
できる限り低いところ、低いところへ行くとか、あと流れていれば腐らないからねとか、なんかそんないろんなことがね、この水のように生きるっていう言葉の中にあるんですけど、それを聞いてどうですかね、そのように生きられますっていう人ってなかなかいらっしゃらないかなって僕なんかは思うし、
それから自然のように生きなさい、木のように生きようとか、花のように生きようとか、置かれた場所で咲きなさいとか、いろんなこと言われてもね、僕はなんですけど、これはもーちゃん個人的な考えなんですけどドライなのかな、なんかね、わかんないんですよ、その言葉が自分の頭には入ってくるけど腹落ちしないというかですね、
そんな感じがあって、いつもラジオとかでね、こういった配信とかでは口では言うんです、人には言うんですけど、自分自身できてねーよなーなんていうことでね、結構へこむこともいっぱい実はあったんですね。
今日そんな中、もうちゃんは病床に伏しておりましたので、自然からの受け取るメッセージっていうのがちょっと深いところまで入るようになったような気がしたんですね。
もう本当にこう落ちて落ちて仕方がない、気分がめいってめいって仕方がない、そんな時にはね、もしかしたら海に行けば解決するかもしれません。
川にボチャンと入って流されたら、なんか解決するかもしれないよってもうちゃんなんかは思うんですよ。
っていうのは、今ですね、僕には僕の家族ですけど、子供たち3人いるんですけど、子供たちね、学校に行けなかったりとかしたりとか、引きこもったりとかしていてですね、
都会に住んでいた時って全然もう日も札幌も行かない、夜しか外に出られない、人目につくところには行きたくない。
だから、だけど公園は大好き、だから夜の公園に遊びに行くなんていうことをやってたんですよね。
夜の公園に遊びに行くってなんとなく健全ではないような気が僕はその時していたんですけれども、それこそが彼らにとっては自然だったというか、
人の目につかないように人がすごく少ない時間帯にこっそりと公園に行って自分のやりたいことをするっていうのはね、実はそれが彼らにとっての喜びだったわけですけどね。
こんなことをやってきておりました。
そんな彼らが自然の中にね、ポンと飛び込んで高知県に移住を果たしてから少しずつ自分自身のペースっていうのを取り戻したように思います。
自分自身、本来の自分を取り戻したなんていうことはね、僕は言えないです。それはもう本人にしかわからないことなのでね。
だけど、なんかこうギガを落としてですね、集団生活、学校とかそういった現場からちょっと離れて、それから人混みというところから離れて、
あるものはですね、動物たちと自然たちっていう、そういう場所に環境を置くことによって、何か自分の中の流れっていうものが穏やかになったのかなーなんて思っているところなんですね。
だからさ、こうどうしようもなくなった時とかっていう時に自然の中にピョンと行ってみるとね、すごく心ほぐれる時間になる可能性がありますよと思います。
なんかその時に、何でしょうかね、ちょっと贅沢しようとか言って、僕なんかはずっと映画館に行ってたりとかしたんですよ。
わー疲れたなーとか言って、映画館で2時間というね時間を買って、そうするとさ、その時間はさ、もう携帯もマナーモードにできるしさ、すりゃいいのにね日常からね、マナーモードにできるしさ、もう完全に自分とその映画だけの一対一のそんな世界っていう感じでした。
なんですけど、そこってやっぱり映画館って人混みの中じゃないですか。
隣に人がいるよっていうねところもあるので、もうちゃん的には自然の中にポンと入ればそれで住むこともいっぱいあったんだろうなーなんていうことを今思うとですよ、今思うとあります。
自然栽培の挑戦
それでね、今僕は病床に伏していました。8月1日からね、ちょっとね、自宅療養をずっとしていましたので、久しぶりに畑に出て行ったよという話でしたね。
そしたらさ、その畑の中で見る景色、光景っていうのがすごく入ってくるんですね。
僕が今受けたメッセージを今からお話ししますけど、それがもしかしたらあなたの中に入っていくとは限らないと思っています。
っていうのは本当にこう、もうちゃんはそうだったんですけどね、あなたの力を見くびっているとかってことでは全然なくて、受け取っていただけたらすごく嬉しいありがたいことなんですけど。
なんか、そうですね、なんかこうやって体が悪くなってようやく気がつけたことってあったなーっていうことを思ってね。
それは逆に多分皆様一人一人の中に、あなたの一人一人の中にも多分何かしらのその学びとかっていうのがあって、その話を僕にしてくれたとしても共感は僕はしたいと思っているけど、
同じレイヤー、同じ深さまで到達することができるかって言ったら、多分できないんですね。
っていうかできるなんていうことを自信を持って言うっていうのもどうかなって思うくらい、おこがましいんじゃないかなって思うくらいすごく深い深淵なる部分だと思います。
今日はそんなところを共有しようと思っているんですけども、自然栽培って最初ね、すごく調子がいいなって思ったんですよ。
よし、これでなんかもう楽園ができるぞってぐらい僕は思って、未来に胸を馳せて、胸を踊らせて一つ一つの作物を仕込んでいったんですね。
で、ちょっと手を入れながら作物見ていたんですけど、途中でね、もーちゃんがすごく忙しくなっていったんですよね。
作物を植え始めたのが5月ぐらいだったんですけど、5月はですね、もーちゃんにとっては本当に大変な1ヶ月って、米作りも始まってね、田植えもあってさ、
それから山椒の仕事も始まったりとかして、とにかくやることが目白推しだったんですよ、本当に。
そんな中、確か出版スクールにも通ってたしね、本当にやることが多くって多くってどうしようと。
あと確かね、原稿も抱えていた気がしますよね、本の執筆の原稿も抱えていた気がするので、とにかくやることが多かった、そんな1ヶ月でした。
そんな時、もーちゃんはですね、仕事を辞めてまだ1ヶ月目だったので、動かなきゃ、動かなきゃ、あの仕事をやってきた時と同じくらい動かなきゃってずっと思い続けてですね、
すごく休みなく、土曜日も日曜日もなく働き続けていたように思います。
働くっていうのは職場に行くだけではなくて、ただただもう本当に畑やって、米やって、力仕事やってっていうのをずっと続けてきていたように思いますね。
もう本当にこれでヘトヘトで動けないよっていう風なところがあったにも関わらず、6月以降もずっと動き続けていたのが、実はもーちゃんだったんだろうなと思いますね。
そうなってくるとですね、わかるんですね、畑がどんどん荒れてくんですよね。
荒れてくっていうのは何をもって荒れてるっていう風に見るのかっていうと、手が入っていかないんですよ。手入れが行き届かないんですよね。
簡単に言うと、もう草がどんどん生い茂っていったりします。
あと収穫しどころだよっていうような作物があるにも関わらず、それを収穫のタイミングを逃しちゃうなんてこともね、ありました。
そうするとね、何が起こるのかっていうと、作物がね、新しい実をつけないんですよ、本当に。
作物って、ここだったら大切な大切な、一番エネルギーを使うと言っても過言ではない、そんな栄養がたっぷり含まれている果実ですよね。
トマトの実だとかさ、あとピーマンだとかさ、そういうのをさ、ぐーっと作っていっても、安心、安全だっていう場所まで自分の目を伸ばしていくんですよね。
そしてそこでようやく実を作っていくなんていうことをします。
で、僕たちは作物を作る上で何を狙っているのかっていうと、この実をつけるのをできる限り早くしてほしいとか、あとできる限り多くしてほしいとか、あとできる限り長く実をつけてほしいという、なんかそういうことが狙いとしてあるんですよね。
だから人が作物、食べ物として食べるために植える作物っていうのはこの3つですよね。
多く摂りたい、早く摂りたい、長く摂りたいっていう、この3つをですね、すごく心待ちにしながら期待しながら、あの手この手でやっていくんですね。
だけど、もーちゃんの畑は今回ですね、すごく実をつけるのが遅かったんですよね。
そして実をつけるのが少なかったんですよね。
そして、もう早くも枯れてしまっている、そんな作物たちもいるということで、短命で終わっちゃっているものもいっぱいあります。
カズラと茄子の関係
まだまだだなーって、修行はまだまだだなーなんていうことをね、思っているんですけれども。
今日、久しぶりに行ったらですね、そんな作物たちが実はまだ終わってなくて、もう1回やり直してたんですよ。
なんかこう枯れてしまってダメになっちゃったところとかが、新しい芽が出ていてね、途中から脇芽って言うんですけど、脇にあるね、ちっちゃい芽からですね、新しい命というか人生をもう1回始めていて、
そこでですね、新たに元気な実をつけようとしていたりしたとかも見ましたね。
あとですね、こんなのも見たんですけど、僕たち農家はですね、すごく嫌うものがあります。
それはカズラというものなんですけど、カズラってツル植物の象徴なんですけどね。
あのくるくる巻きつくようなツル、わかりますよね。
あのツルってね、結構厄介で植物に巻きついてですね、そのうち、こういう用語があるので言いますけど、締め殺すんですよね。
締め殺してしまって、そしてその木とか、木でさえも枯れさせてしまうっていうことがあります。
そんなですね、作物まだまだ弱々しいところに、そういったカズラが巻きつくとですね、その作物が枯れてしまうから、
嫌だ、こんなものは全部取り払うんだって言って、切ったり抜いたりするっていうことをね、結構するんですけれど、
今日、もーちゃんが見た光景はね、まあね、びっくりしてましたよ。
うすうす気がついてはいたんですけれども、まあこんなことがあるのかと思いましたね。
それはですね、一応僕、茄子を植えたところに支柱を立ててあって、茄子ってぐんぐんぐんぐん上に育っていく作物なのですよ。
なので、支柱を立ててですね、ちょっと麻ひもとかでくるんくるんって巻いておくんですね。
そうすると、その茄子の茎がですね、茄子の茎がぐにゃって曲がらなかったり、
それから、実をたくさん付けてくれる可能性が高いということなんですけど、
巻き付けてあった、しかしもっと伸びるんですよね、茄子はね。
伸びでは伸びるほど、何が起こるかっていうと、上の方をですね、なんかぐにゃんと、
やっぱりこう支柱で結んだってはいるものの、結ばっていないその上から先はですね、ぐにゃんとへたるんですよね。
そのへたるとですね、やっぱりそこが茄子の成長の最高点だっていう風になって、
もうそれ以上上に行かなくなってしまうということがあるんですけども、なんとですね、今回カズラが助けてくれてましたね。
その細い細いふにゃんとなってしまうようなところをカズラがですね、ぐるんぐるんぐるんぐるん巻いて、
それをね、支柱と一緒に巻き込むようにしてくれて、茄子のですね、てっぺんっていうものがしっかりとピンと上を向いていたんですよね。
これはね、驚きましたというか、知ってはいたんですけども、やはりこう知ってはいた。
そしてそういった光景も知ってはいたけれど、今僕が受け取るメッセージとしてはすごく深いところにありましたね。
でもね、これね、この茄子がこのカズラに依存し続けるとですね、何が起こるかというと、
そのカズラがですね、どんどんまた太っていって、そして茄子は結局育たないんですよね。
畑作業の成果
だからね、やっぱり自分の足で立つってことすごく大切でね、最終的にはね。
でもね、あるところまではね、やっぱり支え合って生きてるんだなっていうことも感じましたね。
だから本当にね、絶妙なバランスで自分の足で立つところは立ち、人に頼るところは頼りみたいなところで生きているんだなっていうことを感じましたね。
あと、そう、ようやくこの8月も半ばに差し掛かる、中旬に差し掛かるっていうところになって、作物が見え始めてきました。
茄子がですね、実を付け始めてきたとかですね、トマトが色づいてきたとかですね、ピーマンがボコボコできている、そんなところがあるぞとかね、そういうのが見えてきたんですね。
なので、すごく早熟ではなかった。すごく遅いです。本当に遅咲きだと思うんですけど、
あの時ダメだったと思った。もうぐちゃぐちゃになってカオスでダメだと思ったけど、上手くというか、必ず実は付くんだなっていうのをすごく思ったりもしましたね。
好きなみな言い方ですけどね。それを今回、本当に誰もがね、どこかで読んだことがあるし考えたことがあるような植物からのメッセージですけれども、
すごく深いところで、もーちゃんは今日は見ましたっていう感じです。
そのメッセージを受け取ったもーちゃんはですね、何をしようと思ったかというと、じゃあもう今日やめたって感じでした。
多分ね、今までのもーちゃんだったらね、まだまだ畑にいて、どんどん窯を振ってですね、雑草をどんどん取り除いたりとかしていたと思うんですけども、
まあまあ今日はもうこの辺でいいかなーみたいな感じでですね、やめてしまいました。
はい、もう無理をせず、本当に1時間やれたらもう上出来じゃないかと。
本来だったら朝10分間で上出来だと思うんですけどね、まあ1時間もやったぞというところでね、今日はね、終わりました。
まあそんなところですよ。
だから、何ですかね、すごく低浮上をしていたとしても、必ず何かね、自分の内なる衝動ですか、内発的動機づけよりももっと何か言い尽くせないところから、ふつふつとこうひらめくもの、はなめくもの、きっとあるよね、芽吹くものがあるよねって思います。
はい、ということでした。ありがとうございました。
盆踊りの練習
もうちゃんは午後は健康の執筆をさせていただきつつ、よさこいをですね、家のテレビから見させていただこうと思っております。
本日の夜はもうちゃんは、今回リハビリがてらですね、棒踊りの練習に参加をしに行こうかと思っています。
はい、地区のですね、来週に控えました棒踊りがあって、その棒踊り大会に僕はスタッフとして出るので、そのね、棒踊り大会の練習、昨日から始まっているんですけど、昨日はお休みをしたんです。
今日から徐々にですね、顔を出させていただこうかなと思っております。
というところまで復活をしました。全然経済活動ではないんですけれど、まあ地域の行事、そしてこれは、まあ何ですかね、ご先祖様を対象にする行事というところからですね、参加をさせていただこうかなって思っております。
今までだったら多分、給料とか収入とかそこが気になっちゃって、仕事に穴は開けないみたいなところから、仕事から始めていたと思うんですけど、そうじゃない、なんかその棒踊りの練習から始めていくという、なんかこのソフトランディングならぬ、ソフト何ですか、テイキングオフですよね。
なんかね、リリックをさせていただいています。
ということで、お時間をいただきましてありがとうございました。お相手は、こだまこまちプロジェクトのもーちゃんでございました。またお会いできることを楽しみにしております。
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ。あなたと、あなたの大切な人に森の精霊の子学が訪れますように。