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2024-07-24 11:05

#59 「悲しみ」からはじまるもの

にしじーさんのポッドキャスト番組のゲスト回にて紹介させていただいた若松英輔さんの『悲しみの秘義』20章「一対一」より、私がコーチングで大切にしている価値について考えてみました。
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みなさんこんにちは、もんざえもんです。
今日は、一緒のコミュニティで活動している西路さんのポッドキャスト番組で、昨日お話しさせていただいた若松英介さんの「悲しみの日記」から一つ深掘って、こっち側の方ではお話しさせていただければいいなと思っております。
本ジャーニーは、本を通じて感じたことを一人で語られていたりとか、人と対話しながら深めていくポッドキャスト番組になっていて、
こちらの方でお話しさせていただいたこと、やっぱりすごく良かったなと思ったので、今日はこちらの方でこの時間を作ってみました。
私がそこでも紹介させていただいたんですけれども、若松英介さんの「悲しみの日記」26号のエッセイから様々なテーマが持ち出されているんですけれども、
この中で1対1というテーマのエッセイがあります。その中の一部をまずは紹介させていただきたいなと思っております。
真相心理学者の河合はやおさんのことも紹介できる良い機会だなと思ったので、少し長くはあるんですけれども、途中を中落しながらご紹介したいと思います。
もともとは数学の教師だった河合が心理学を学び、ユングの思想に出会い、真相心理学者となっていく。
これは、彼の個人史史上の事件でもあるが、近代日本精神史上の分水嶺となる出来事でもあった。
分水嶺というのは別れ道ですね。
この時、日本の心理学は意識の学から魂の学へと進化した。
彼は意識の奥に魂と呼ぶべき何かがあるとしばしば語る。
中略です。
魂の働きに触れ、彼は次のように書いている。
人間関係を個人的な水準のみではなく、非個人的な水準にまで広げて持つようになると、
その底に流れている感情は感情とさえ呼べないものではありますが、悲しみというのが適切と感じられます。
最も日本語の古語では、悲しに愛しいという意味があり、そのような感情も混じったものと言うべきでしょう。
こちらもう一度読み上げます。
人間関係を個人的な水準のみではなく、非個人的な水準にまで広げて持つようになると、
その底に流れている感情は感情とさえ呼べないものではありますが、悲しみというのが適切と感じられます。
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最も日本語の古語では、悲しに愛しいという意味があり、そのような感情も混じったものと言うべきでしょう。
同じ著作で彼は、悲しみは悲嘆に人間を縛り付けるのではなく、
かえってそれまで感じることのできなかった隠れた喜びや楽しみを見出すためのかけがえのないケーキになるとも語った。
ここでの非個人的とは、個人の心情の否定ではない、むしろ語られているのは個人の重要性だ。
この経験を深めることこそが、他者と触れ合う場所へと私たちを導くというのである。
悲しみが人間の心をつなぐ、それが可愛いの確信だった。
いかがでしたでしょうか。
さらにここからまた中略をさせていただいて、心理学者でありカウンセラーとしての可愛さのお話につながっていく部分を最後にご紹介させていただきます。
治療者はクライアントと一対一で会う。
眼前にいる人は日常生活の中である試練に直面している。
現代社会には同様の日々を送っている人物は少なくない。
この人物もそのうちの一人だと考えることもできる。
しかし自分にはそう思えない。
どのクライアントに向き合うときも、必死に今を生き抜こうとする人類の代表者として会う。
そう彼は語ったのである。
いかがでしたでしょうか。
私はここまで読んで、自分がコーチングをやっている意味みたいなものが少し見出せたような気がしました。
やっぱり悲しいことであったり、辛いことであったりというお話を聞くということは、もちろんその方の心に寄り添いたいなという気持ちももちろんあるんですけれども、
コーチングの先というのは必ずその先にその方の光が見えるような気がするんですよね。
光っていうと中傷的だったり宗教的な要素もイメージしてしまうというところでいうと、
希望的な要素が見出されるななんてことを感じることがすごく多いんですよね。
その中でその方が喜ぶことはもちろんなんですけど、私自身も学ばされていることがすごく多いなというのが今の活動の原点だったりも特にします。
そんなことを詳しく解説してくださっていたりとか、若松英介さんがしばしばこの悲しみというものには愛しいと書いて愛しい、それを悲しみとも呼べる。
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その悲しみっていうものがいろんな意味が含まれているんだよっていう一端を教えてくださったような気がしました。
なので本当にこの本に出会えてよかったなとも思いますし、きっとこれからも何度も読むんじゃないかななんてすごく思います。
最後にちょっと少し脱線してしまうんですけれども、
その本ジャーニーのゲストの回でも少しお話しさせていただいた23個目のエッセイ、彼女という内容に関して少しご紹介させていただきたいなと思うんですけれども、
若松さんの著作を読んでいると奥様が過去に亡くなられたお話がよく挙げられています。
その詳細に関してわかる内容というのは今までなかったんですけれども、この23の彼女という題名の内容というのがそのことの背景がわかる内容になっています。
これは一部を紹介するとすごくもったいないものになるなぁと思っていますので、ちょっと今日それを詳細を伝えるのは野暮というかもったいないというか、ちゃんと魅力を伝えることができないなぁなんて思ったんですね。
だけど最後の最後に神谷美恵子さんという方の一節を紹介している部分があるので、そこだけは紹介させていただきたいなぁと思っております。
特に文庫版に関して今回は私は読んだんですけれども、最後に田原町さんの紹介文があったりとか、この文庫版に関しての解説文の後書きがあったりするので、もし何か金銭に触れるような方がいらっしゃったらぜひ読んでみていただきたいなぁと思い願い祈りをここでシェアさせていただきます。
愛しそして失ったということは一度も愛したことがないよりも良いことなのだ。
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いやもう本当にこの23の彼女を呼んだ時にちょっとなんかすごくちっぽけな表現になりますけど、本当にちょっと泣いてしまいまして、その涙の質もちょっと違うものというか、
辛さというよりかは不思議で重たい感情になったなぁなんて思います。
私は若松恵介さんの本をすごくお勧めしたりとか、絶対読んでほしいという思いで言っているわけでは実はなくてですね、本当に自分の中で今大切にしたいことと並行するというか、自分の中にすごく大切にしたいなというのがたくさん書かれていることが多いんですよね。
なので今回本ジャーニーに出るにあたってこの今回悲しみの悲儀というのを読ませていただきたいというふうに素直に思えた理由というのも若松さんのボイシーでも紹介してくださっているという背景はもちろんあるんですけれども、かなりロングセラーで売れているという事実もあったからなんですよね。
それも知っていたからこそ最初に手を出すのはちょっとという気持ちにも少しなってしまったところがあり、今回すごくいいきっかけだったなぁなんて思いますし、まだまだいろんな本が若松さんの本はあるのでこれからもいろんな本に触れていきたいなというふうに思っていますし、きっとこの私のスタンドFMの方で紹介させていただくこともあるんじゃないかななんて思っています。
もし今日のお話がどなたかの参考になれば、何かの心の金星に触れれば嬉しいなと思います。
今日はこの辺で、ではまた明日。
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