そうですね。
覚えておいていただけると嬉しいけど、別に何かいいことがあるわけではないかもしれないので。
猫の日ですよね。
そうですね。猫の日で。ステッカー作ったりもしましたもんね。
しましたね。猫のステッカーとか。
猫のステッカー。あれ結構人気で、ずっと携帯につけてくれてる人とか。
本当ですか。嬉しい。
あれまた再販というか、もう一回作ってもいいですね。あれね。せっかくだから。
ぜひ。
木星社の本を買ってくれた方にサプライズで時々一緒に封入して送られたりとかすることもあったんですけど。
今、在庫が多分無くなっちゃってないんですけど、結構あのステッカーは人気の人がいるので、またちょっと作ってもいいかもしれないですね。
うちの実家の冷蔵庫に貼ってあります。
貼ってあります。あれは春ちゃんがイラストを描いたやつですよね。
そうですね。描かせてもらいました。
懐かしいですよね。21年に木星社が設立されて、4年まるまる経って、5年目に今入ってるっていう感じ。
だいぶあっという間ですね。やっぱりね。
そうですね。でも私、2月22日に決めましたっていう連絡をもらった時のことまだ覚えてます。
本当ですか。
私、地下鉄に乗ってて、夜だったんですけど、地下鉄に乗っててパッとメールを開いたら、猫の日に決めましたっていうのを読んで猫の日かって思ったのはまだ覚えてます。
本当ですか。
もうそれだけですけど。
よく覚えてますね。
そうですか。そんな感じで。
そうですね。
懐かしいですね。皆さんに本と雑誌を買ってもらって、ポッドキャストを聞いてもらって、いろんなクライアントの方もいっぱいサポートしてくれて、みんなでいろいろと成り立ってるという感じで何とかやっておりますので。
でも素晴らしいですね。5年目って。
支えられてやってまいりましたので、これからもよろしくお願いしますと。
皆さんよろしくお願いいたします。
自分たち的に嬉しいニュースっていう感じですかね。
嬉しいですよね。
どうでしたか?その4年間。
4年間。
ちょっと一言で言えないかもしれないけど。
そうですね。やっぱり本を作りながら、いろんな人に会ってっていうのも繰り返しでいろいろ広がってきたという感じがすごくするので、やっぱりやってていいなと思いますね。
感想をもらったりとか、本を一人で読みたいときも僕もあるし、一人でいたいときもすごくあるんだけど、逆に本を通してしか繋がらないことってやっぱりあるので、本のこのページのこの感想が良かったっていうのは同じだったら嬉しいし、普段は一緒にいたこともない人と本の話ができたりとかっていうので、
それでしか繋がり得ないことっていうのもあったりするので、逆にすごくそれも嬉しいなと思いながらやってますね。
結構いろんな国の方と繋がりましたもんね。
そうですね。日本だけじゃなくて、著者がやっぱり海外の人だったりとか、翻訳書籍も多いですし、日本の翻訳の方にもいつもやってもらったりしているので、
いろんな国内外含めて面白いですよね。
いろいろと会えるということで、そんな感触はありますね。
どうですか?
本を作るというか、一緒にホットキャスやったり、朗読やったりとか。
そうですね。私はインタビューに行かせてもらったりだとか、実際のイベントの現場で本を読ませてもらったりだとか、ステッカー書かせてもらったり。
そういうコミュニケーション周りのことをやらせてもらうことが多かったんですけど、変わっている方たちにたくさん会えて幸せでした。
本当にインタビューさせてもらった人もそうですし、動画も結構作らせてもらってて初期の頃。
ランナーの方に私はすごく会わせてもらう機会が多かったので、みんな独特で楽しかったです。世界が明るく見えました。
なるほど。いいですね。
そんな印象ですね。
はい。そんな感じで、引き続きこれからも同じペースで進みながら、新たに何かできるといいですね。
そうですね。
はい。そんな感じのニュースでしょうか。
あとはですね、いくつかこのタイミングで木星社のことを聞いてくれる人がいてですね、取材を逆にいつもする側なんですけど、受けることもあって。
改めて木星社のことについて、まとまりなく思ってたことを何とかまとめながら話すという機会がいくつかあって。
それはそれで客観的にわかるように話すとこうなるのかって、自分でも新鮮な思いで取材を受けたりしてたんですけど。
2つありまして、1つはログブックっていう雑誌ですかね、ニセコのコミュニティの方々がいて、キャンプ&ゴーっていう場所があるんですけど、
キャンプ&ゴーにはトレイルランニングショップとスプラウトっていうコーヒー屋さんと、あとギャラリースペースという好きなものが全部詰まったような。
宝箱みたいな。
ログブックっていうのを1年に1回、半年に1回出してて、そこでスキーをやってる方とか、アーティストの方とか、毎回いろんなインタビューをして、それを雑誌にするっていうのがあるんですけど、
峠義孝さんとか、豊島秀樹さんとかっていう方々が中心になって、みんなで作られてるんですけど、そこでお話を聞いてくれる機会があって、そこに載ってますね。
で、木星社を始めるまでにどんなことを考えてたのかとか、学生時代の話とか。
そこまでですか。すごい遡って。
そういう話が結構書いてあるので、スプラウトとかキャンプ&ゴーのインスタグラムとか、ウェブサイトに行くと入手方法とかが多分あると思われるので、ぜひ興味ある方はチラッと見てもらえると。
過去がいろいろと書いてあるので、いいかなと思いますし、またニセコにも行きたいなと思いますね。
ニセコでもトークセッションやったり、一昨年かもう一昨年なのか、やったりしたんですけど、本当にいいコミュニティーがあって、コーヒーもおいしくて、いいところだなと思ったので、ニセコトレイルもすごくよくて、
なるほど。じゃあ楽しみですね。舞台はいつまでやってるとか、そういうのは発表されてるんですか?
数日間なんですよね。4日間ぐらいかな。3日間。
じゃあまた終わったらどうだったかとか、来月また感想聞けるといいですね。
終わってから気づくことの方が多そうなんで、本番ってあっという間に過ぎちゃいますよね。
今日は本番をこれからやって、今度舞台裏をここでまたやると。
舞台裏話をぜひ聞いてください。
楽しみです。
こんな感じです私の方は。
ありがとうございます。本作ったり、いろいろ演じたり、バタバタと引き続きいろいろやってみるという感じですね。
バタバタできる幸せをかめしめております。
というのが昨今のニュースですかね。
そうですね。
今日はあとはなんだ?
あとスペインが残ってるじゃないですか。
スペイン、そうですね。
今回の本も。
そうですね。本の話にもつながるんですけど、
昨今のニュースの大物としては、スペインにしばらく行ってまして、
しばらくと言ってもそんなに別に何ヶ月もじゃないんですけど、
2月の後半、しばらく行っていて、
トランスグランカナリアっていうトレールランニングのレースがあったのと、
あとはマドリードに行って本屋さんに行きたくて、
いろんな人に会ったりとか、そんなことをやってましたね。
トランスグランカナリアのレースは、
ノースフェイスのアスリートの土井隆さんとか、
株垣剛さんとかレジェンドがいるんですけど、
彼らのお手伝いがてら自分も走るっていう感じで、
行ってきまして、カナリア諸島ってアフリカ大陸のすぐ横で、
スペインからすごい離れてるんですよね。
ヨーロッパのいわゆるスペインとかドイツとかで乗り換えて、
カナリア諸島に行くんですけど、4時間くらいかかるのかな。
どうやって行くんですか?
僕は行きは、日本からだとフランクフルト行って、ベルリン行って、
そこからカナリア諸島まで行った。
フライトで?
そうですね。行くっていう感じで、
結構いろんな乗り換えのルートあるみたいなんですけど、
だいたい2回くらいは乗り換えないといけないみたいで、
ドバイ、バルセロナ、カナリア諸島とか。
ルートも楽しみですね、選ぶの。
いろいろあるみたいですね。
帰りはカナリア諸島、マドリド、ロンドン、東京っていう感じで、
帰りも2回乗り換えて行きましたね。
1回目はフランクフルト、ベルリンに行って、
ベルリンからカナリア諸島に行くときの、ベルリンの乗り換えが1時間しかなくて、
しかも、ルフトハンザからイベリア航空に乗り換えるっていう、
スターアライアンスとかのグループが違う飛行機になっちゃって、
1時間しかなくて、1回荷物を取って外に出て、
もう1回チェックインしてってやらなきゃいけなくて、
見事に全てクローズド、シャットダウンされましたって言われて、
イベリア航空乗れないじゃんって思ったんだけど、そこは海外よくある話で、
ごねると、ルフトハンザが遅れたと、
1時間以内で乗り換えなきゃいけないけど、ルフトハンザの人に聞いたら大丈夫だって言われたんだけど、
みたいなごねて、無理矢理開けてもらって、
ちょまど シャットダウンを開けたんです。
ゲートを開けてもらってチェックインして、またセキュリティ通って、
行ったらまんまとイベリア航空自体が1時間ぐらい遅れてて、そんなに焦らなくてよかったっていうか、
そういうよくあるバタバタしながら、カナリア諸島について、
いろいろと向こうのレースを走ったという、そんな感じが前半ですね。
カナリア諸島のレースはトレールラーニング好きな方だとよく知っている人もいるレースなんですけど、
カナリアのラスパルマスというとこからスタートして、
北からスタートして、島をずっと横断して南に行ってゴールするっていう、126キロぐらいですかね。
そういうレースで、カナリア諸島で面白いなと思ったのが、やっぱりフランスとかだと、
日本のアルプスとかもそうだと思うんですけど、ほんと山っていう感じなんですけど、
カナリア諸島だとやっぱり島なので、すごく山の絶景の先にずっと海が見えるとか、
あの海の先はアフリカ大陸なんだなってちょっと想像できたりとかして、
すごくちょっとなかなか他にはない景色とか、ルートを通れるっていうのがまずすごく面白かったですね。
あとやっぱりすごくスペインってやっぱりスペインの、政治的にスペインなんだけど、
例えばバルセロナとかカタルニア地方とか、あとガリシアとかってやっぱりスペインの中でも、
いくつか言葉も違ったりとかっていうことがいっぱいあるんだけど、
やっぱりカナリア諸島は一つまた別のカルチャーというか、
そういうのがすごくあるなっていうのをすごく感じて、
例えばエイドステーションでハムとかがあるんですけど、チーズとかで大好きで食べてたんですけど、
やっぱりスペインのハムっておいしいよねってそこのおばちゃんたちに言うと、
スペインじゃなくてカナリアのハム、ここカナリアよっていうようなことを、
カナリアプライドみたいなものが、
言ってくれたりとかして、やっぱりすごくその土地で獲れるものとか、
気候はやっぱ暑いし、乾いてるし、ワインが美味しくて、チーズ大好きなので、チーズばっかり食べてたんですけど。
またワインが進んじゃう。
チーズを食べ過ぎて帰ってきましたね。
やっぱり自分の足で行ってみて分かることとか言葉とか、人の様子とか含めて、面白かったなと思いながらレースは走ってきて。
去年の夏のTDSっていうレースを走って以来、ちゃんとまともにあんまり走ってなかったので、そういう一末の不安はあったんですけど、
ちょっと特幹工事でトレーニングをしていきまして、一応ちゃんと走れたので、今年もまた頑張って走ろうかなという、頑張らなきゃなという、そんなようなことも思い新たに。
今年初レースですもんね。
そうですね、今年の初レースということで、いいですね。楽しかったですね。
レース初めっていうんですか、初レースですね。
その後にマドリードに行って、いくつか本屋さんを回って面白かったんですけど、ニューズ&コーヒーっていうポップアップの本屋さんみたいなものがあって、バルセロナが発祥だと思うんですけど、いくつかヨーロッパというかスペインなのかなメインは展開していて、すごくいい雑誌とコーヒーと、
ビールを売り歩いている、移動する本屋さんみたいなやつに遭遇しまして、Like the Windの英語版のチームが、バレンシアマラソンの時かな、ニューズ&コーヒーとコラボして、ジーンを作って、ランニングのセッションをやったりしてたんですけど、たまたまマドリードで、同じ人じゃないんですけど、
マドリードのニューズ&コーヒーの移動する本屋さんに出会って、ストーリーズにも載せたんですけど、格好のいい雑誌をちゃんと売ってたので、面白いなと思って、日本でもなんかやろうねって言って帰ってきたりしたのと、あとは本屋さんにいくつか行きたい本屋さんに行って、いろんな人と話せたのは良かったですね。
京都の成功者みたいな、ああいういい本屋さんがマドリードにもいっぱいあって、リブロとかですね、文学好きのおじさんが始めたお店で、15年くらいやってるって言ってましたけど、いろんな本を売るのもそうだけど、自分たちで本を作って出版するっていうのもやったりとかしてるところで、主に小説とか詩が多いですかね。
詩が多いんですね。
スペイン語が読めないので、トートバッグを買ってきましたけど。
何か思い出を。
日本の、例えばエルアルド・ガリアーノのうちがやってる本とかも、日本語版も置いてくれるといいよねっていうようなお話をしたりとかしながらして帰ってきたというのがリブロで、あともう一つ、これはたまたまいろんな本屋さんを巡ろうと思ってうろうろしてたんですけど、たまたまそこで本当にいい本屋さんがあって、名前はちょっと今すぐ出てこないな。
入ると3コーナーっていうんですか、その本の分類の。日本でも分類があると思うんですけど、そこに入って壁に書いてあったのが小説、詩、エッセイっていう3ジャンルがあって、それだけの本屋さんがあって、結構そこがすごくいっぱいそれぞれある本屋さんで、それをやってるのが
フェデリコ・ガバーリっていうお兄ちゃんが。
フェデリコ・ガバーリさん。
ガバーリっていう人がやってて、ラ・ミストラルっていう本屋さんですかね。今店の名前が。
かっこいいですね、それも。
結構若い方がやってて、大分のバレー書店って外国文学専門の本屋さんがあるんですけど、それに近いような文学だけ取り扱うっていう、ラ・ミストラルっていう本屋さんがありまして。
どういう意味なんだろう。
ミストラルってスペイン語でどういう意味なんだろうな。ラって女性名詞の漢詩。
ラ・ボンボネーラってあるんですけど、お菓子箱っていうスタジアムの名前があるんですけど、ラ・ミストラルっていう、なんかそういう名前の本屋さん。
日本文学のコーナーもあって、それが結構面白いなと思ったんですけど、川上博美さんとか三島由紀夫とか、いろんな本当にもう日本の作家の翻訳の小説が専門に置いてあるコーナーとかがあったりとかして、
それは結構意外でしたね。で、だいたいどこの本屋さん行っても、日本語の小説の翻訳が置いてあるコーナーっていうのがすごくあって、それはやっぱり日本の小説って結構読みたい人が多いんだなと思って、村上春樹だけじゃなくて。
で、漫画でもなく小説の翻訳、しかも現代作家のっていうのが、結構みんなやってる人はやってるんだなって思って。
そうですね。そうやって実際に書店で見かけるってね。
面白い発見でしたね。で、このフェデリコと話してたら、フェデリコさんが日本語の小説の翻訳をやってたんですけど、
で、フェデリコさんが日本語の小説の翻訳をやってたんですけど、
フェデリコさんが日本語の小説の翻訳をやってたんですけど、
日本の本屋さんを巡りたいと。で、本屋さんに関する映像のドキュメンタリーを撮るんだと。
で、東京と京都に行きたいと。で、いくつか行きたい書店もあるし、他にも何かないのかみたいなこと言うから、来なよと。
ということで、これからまたお互いに連絡し合いながら、日本で。
彼らが書店の本屋さんのドキュメンタリーを撮るっていうのは一緒にできるといいかなという感じなので、ちょっと楽しみですね。
6月だともうすぐですね。
そうですね。で、あとスペインとか南米とかもそうだっていうのはよく聞いたことあるんですけど、
本屋さん実際そうだなと思ったんですけど、他にもいくつか行った本屋さん。
だいたい書店のスペースが当然あるんですけど、ギャラリーとかトークセッションできるスペースが必ずあって、
そこで週末とか平日の夜とかもそうだと思うんですけど、書店の人とか読書好きな人とかが来て、
例えば朗読をしたりとか、あと小説家が来て自分の作品を読んだりとか、ちょっとワインをみんなちょっと飲んで帰るとかっていうのが結構盛んにやっぱりあるみたいで、
気軽に飲み屋に行く文化もすごくあると思うんですけど、飲み屋じゃなくて本屋さんに行って、
ちょっと本を夕方楽しんでいっぱいアピリティフを飲んで、そこから夜ご飯食べに行くっていうような、そういう流れっていうのもすごくあるみたいで、なんかいいなっていうのはすごく。
そうですね、あれなんですね。本を一人で読むものっていうよりも結構交流するものみたいな捉え方も強いんですかね。
そうですね、意見を交わすとか。
だから2時から4時がシエスタの時間と呼ばれていて、なんとなく昼寝して夕方起きて、最後仕事していっぱい行くかっていう時に本屋さんに寄ってからバルに行くっていう、そんなような流れがあるんだったらなんかいいなと思って。
ちょっと混ざりたい。
あとギャラリースペースにはやっぱり絵とか写真とか常にいろんなアーティストの人が展示をしてたりとかして、なかなかやっぱりすごくいいなと思いましたね。
なので長くなったんですけど、木星社の本も英語でも作れるものは英語で作って、スペインだったりとか台湾だったりとか日本国内でも展開してるんですけど、海外のそういうところとも連動しながら今年はまた引き続きやっていけるといいかなと思って。
特徴としてはヘミングウェイってものすごくシンプル、英語で読んでもすごくシンプルな英語で、クリスプと呼ばれている、クリスプな英語というシンプルで無駄のない削ぎ落とされた文体だということで、割と英語の教材になったりとかしてますね。
小島 クリスプってクリスピーとかのクリスプですか? 山本 そうですね。乾いた。小島 乾いたの。ピザのクリスプ生地みたいな、もちもちの方じゃなくてみたいなことですよね。チーズが入ったやつじゃない。
山本 これもすごく有名な話なんですけど、一回書いたものをどんどん削っていくっていうスタイルで、形容詞もどんどん削っていったりとか、丸ごと段落ごともなくちゃったりとか。
山本 それを削ぎ落として凝縮した文章を作っていくという、そういうスタイルがすごく有名かなと思いますね。研究者の方とか本人も言ってたのかもわからないですけど、氷だけ海に出てて、2割ぐらいだけ氷河が海の上に出ているとすると、
その下8割はもっと大きな氷河があって、全体像はそっち側になるんだけど、上2割しか見えてないっていうような。だけどヘミング絵はその素行として2割のところを凝縮して書くことによって、それを読んだ人がどういうふうにそれを想像してさらに大きなものが眠っているかっていうのを、
山本 読者が発掘していくような、読書のスタイルを求めるような、そういう小説が多いということがよく言われてますね。なので本当に作家によってスタイルが全然違うなって思うんですけど、例えば全然違う例えですけど、石川潤って昔日本の作家がいたんですけど、
一行が始まってからまるでピリオドで終わるまでの一文が何ページも続くようなぐらい、あることを書くのに食らいついて、書き連ねてやっと一行が終わるっていうような書き方をする作家もいますし、ヘミング絵みたいに本当にシンプルな言葉で凝縮して書いて、素行として書いていくっていう人もいるし、いろいろだなと思ったんですけど。
そうですね。
そういうスタイルですね。
本当に読んでても難しい言葉が出てこないですよね。
そんな感じですね。
お話としてはネタバレにならないように話しつつなんですけど、主人公のヘミング絵と応募式、作家というか新聞の特派員なんですかね。
パリに住んでるジェイクバーンズという人と、女性のブレットという人と、男友達が何人か出てくるんですよね。
みんなでパリで飲んで遊んで、釣りをしに行って、スペインのマドリード、パンプローナーに行って、闘牛を見てという、そういう一連の群像というか、数日間のお祭りの盛り上がりの中で、
いろんな思いがすれ違ったりしながら物語が進んでいくという話ですね。
1912年代とかの、1900年代前半の第一次世界大戦が終わって、経済的にはアメリカとかヨーロッパって戦争が終わって豊かになり始めた時代の中で、青春時代を過ごした人たちが、逆にどうしていいかわからない時代と呼ばれて、
有名な話で失われた世代ということで言われてて、とにかく遊んでるんだか、苦しんでるんだか、仕事してるんだか、どういうふうにこれから過ごしていっていいのやらというような、ちょっと途方に暮れているような、そんな時代感の中で描かれているという、そういう表現で、何となく今に似ているかもしれないですけどね。
それはすごく思いましたけど、やっぱりこの時代っていうのがすごくこの本にとっては重要ですよね。
何が規範になって、どういう秩序があってっていう、何か寄るすべのない状況の中で、どういう日々を過ごしていくのかっていうようなことは、今にも通じることかもしれないですけど、
特にこの話の中では、若者たちが、若者と言ってもある程度大人だと思いますけど、どうしていくのかというのが概略ですね。
そうですね。主人公のジェイクも戦争に参加してて、戻ってきたんですよね。
なので、場所的にはパリとかスペインとか、最後マドリードとか、サンセバスチャンとか、いろんな本当に土地とかが出てきて、そこの土地の風景とか食べ物の様子とともに、いろんなストーリーが紡がれていくという感じでしたけど、どうでしたか?
これネタバレしないように話すのめちゃめちゃ難しいですね。
難しいですね。ネタバレしてもいいかもしれないですね。その感想が実際に読むとみんな違いそうだから。
感想がね。
このジェイクっていうのが、第一次世界大戦で傷を負って、いわゆる身体的に男性としての機能が失われているんですよね。
ブレットっていう女性と両思いなんですよね。たぶんずっと。
そうですね。
だけどブレットは、ジェイクといろんな意味で繋がることができないということに絶望していると。
気持ちは好きなんだけど、絶望している2人っていう。
ブレットはいろんな男の人と遊ぶということで、登場人物一言で言うとみんなどっかなんか欠落してますよね。
そうですね。ブレットも看護師として戦争に参加していて。
その時にすごく自分にとって大切な男性を失くしてっていう過去があって。
今はね、この物語で登場してくる時はすごく綺麗で、いろんな男の人と遊んでて一見華やかに見えるけど、満足できないですよね。
そうですよね。そういう傷があって。お金持ちで一回結婚したのかな。それでレディ・アシュリーって呼ばれるようになって。
だけどその相手もひどいやつだったんですよね。そこから何か満たされなくてっていうところがあって。
ジェイクのこと好きなんだけど、ジェイクも男性としては機能不全というと語弊があるかもしれないですけど、そういうところもあって。
別のマイクっていうやつと結婚する予定になってるんですよね。マイクはマイクで破産してる人で。
そうですね。
やたら人に絡みまくるっていうようなお酒を飲んでっていう。みんな何か当てどない世代というふうに訳されてたんですけど、
みんな何かを失ってたりとか、傷がある状態で、だけどちょっと虚勢を張ったりしてるようなところもありつつ過ごしてるという感じですよね。
あとロバート・コーンという。
私その登場人物すごい好きなんですけど。
彼も一回離婚して、結婚する予定の女性の方が力が強いんだけど、それが嫌でなんとなくアメリカからパリに来て、この一団に加わって、ブレッドのことを好きになっちゃって。
つきまとっちゃうっていう。
ちょっと不器用な。ボクシングして、ユダヤ人でしたっけね。小さい頃からボクシングして強くはなったんだけど、うまくアプローチできなくて、みんなに嫌がられてしまう。
怒ってみんなと喧嘩してっていうようなエピソードが出てきたりっていう、基本的にはなので、登場人物みんな何かどっかうまくいってないっていう人たちがずっと出てくるっていう、基本的にはそういう話ですよね。
そうですね。何かが変わるっていうよりも。
だから、やっぱり読んでると、完璧な人はいないっていう言葉で言ってしまうと簡単になっちゃうんですけど、やっぱりその人得意の時間の中で、精神的になのか身体的になのか、いろんな意味で何かを傷つくこととか失うっていうことが前提となってるっていう。
そういうのはすごくリアリティはありますよね。
ちょっとしたことでも落ち込むしとか、そういうのは誰しもあることなので、そういうことが延々と書かれてるっていう。
あとすごく思ったのは、みんなすごいお酒飲むんですよね。
何かあるたびにすぐちょっとお酒飲みに行こう。
そうそう。何かすごく、何だろうな、そういう文化とか、そういうおいしいものがいっぱいあるとか、そういうこともあったりするんだろうけど、とにかく大酒飲みですよね。
何かあったらすぐワイン飲んで、ウイスキーソーダを飲んで、マティーニを飲んで、何かあったらすぐご飯食べに行って、そこでいろんな話をしてまた喧嘩したりとかっていう繰り返しですよね。
だからワインもすごくいっぱい飲んでるし、そういう食べることで何かを満たそうとしてるようなところももしかしたらあるんですかね。
満たそうとだったと思います。だから私もよくありますよ。本当はお腹が空いてるわけじゃないのに、今このことを考えたくないことなのに、ずっと頭の中で考えちゃうから、
とりあえず一旦ご飯挟むとか言って、無駄に太ることすごいあるんですけど。でもありません。
そういうリズムを作るとか、何かを変化させるための無意識に食べるとか飲むとか、そういうことってあるのかもしれないですよね。
あとは見たくないものを見ないためにも逆にもありますよね。
なんかちょっと飲みすぎだろうと思うこともありますけど、この話の中では。だけどそういうことで何かのバランスとかリズムを取ろうとしていることはあるんだろうなと。
あとブレッドはよくお風呂入りたいって、小説の中でご飯食べに行く前に先にお風呂入りたいのっていうことを何度か結構言ってたりして、
ブレッド的にはそういうお風呂入る、さっぱりするっていうことが何か日常のアクセントになるっていうことを無意識に知ってる人なのかなって思いましたけどね。
確かに。私は自分がお風呂入りたいなっていうブレッドの立場に立ったら、多分ブレッドはすごく自分が美しいっていうことを知ってる人だから、
そこにすがりついてる思いはあって、ブレッド以外の登場人物の言葉で私がすごく印象に残っているのが、
私は2年前だったら誰か結婚してくれる人はたくさんいたけど、今はもうできないのって。このたった2年の差でこの人は今自分はもう時期を通り過ごしてしまったとか、一番美しい時期を通り過ごしてしまったみたいに言ってる描写があって、
その人と比較してブレッドは多分今もすごく自分が美しいって知ってはいるみんなが追いかけてきてるから、
自分の中の心の欠落したものを見ないようにするために自分の美貌に頼っているところがある気がしてて、
常に自分は美しくいるんだっていうのにすがっている感じもしました。お風呂に入ってきれいな自分っていうことに。
そういうのはありそうですよね。本当にちょっとした自分のルーティンとかがあることってあるじゃないですか。
朝必ずコーヒーを飲む人がいたりとか、そういう何か具体的なことでリズムを作らざるを得ないことって、
多分その人にとっては無意識的に必要なことなんだろうなっていうのはあるなと思ったけど、
それがわりと象徴的にみんなで食事をするとか、お酒、ワインを飲むとか、
そういうことがどんどん過剰になっていく場面もあるんですけど、
そういうことも含めて何か忘れたいこととか、そういう装置として出てきているのかなというのはすごく思いましたね。
あとはでも本当に何よりもその描写がおいしそうという。おいしそうだなと思って。いいなと思いましたけどね。
食の最後の方にも出てくるんですけど、スペインの料理の分量とは異なって、
フランスで戻って食べた時ってやっぱりちょっと分量も計算されてて、やっぱりスペインとフランスは違う食事の出し方だっていうようなお話が書いてあったりとか、
わりと本当にディテールまで含めてすごくリアリティがあって面白いなって、そういうのも思いましたね。
なんでスペインだったんですかね。
なんですかね。やっぱり東牛のお祭りを見に行くっていうのがストーリーの後半のハイライトになっていて、
フランスにはおそらく東牛ってないんですかね。
フランスからスペインに観光というか、そういうことで行くっていうのがあったのかもしれないんですけど、
東牛のお祭りの1週間っていうのを物語のハイライトになっていて、みんなで旅をしていろんな事件が起こるという、
そういう装置として東牛っていうのが描かれていると思うんですけど、東牛ってやっぱりロメロって東牛師が出てきて、
美青年が出てきて、若くて力もあって東牛がすごくうまいんですよね。
東牛って命を落とすような東牛師にとってはリスクもあるし、牛にとっても自分が刺されちゃうので、お互いごまかしの効かない、
どっちかがやられちゃうっていう中でロメロがずっと死なずに勝っていくという、そういう本当シンプルに技と力でっていうのが描かれていると思うんですけど、
まあ強いばっかりじゃないという。
そうですね。
酔っ払って転んだりしてるしね、この人。
とか、そういう感じですかね。
あとは、だからこそ、例えば最後の方にも自転車レースの話とかサッカーの話とか、スポーツの話もいっぱい出てくるんですけど、なんかやっぱり体を動かして、そういうふうなことを通して何とか保ってるっていう、そういうところがあるのかもしれないですね。
という感じで。
あとは、小説自体のタイトルが日はまた昇るなんですよね。
だから、いろんなことがいろんな意味で失われたりとか、秩序がなくなっちゃってどうしていいかわかんないっていうこととか、好きな人と一緒にいられないとか、そういういろんな悲しいことっていうのがあるんだけど、小説のタイトルは日はまた昇るなんですよね。
英語だとThe Sun Also Risesって書いてあって、スペイン語だとフィエスタなのかな。
そうなんですか。
スペイン語だとまたちょっとお祭りっていうタイトルなんですかね。ちょっと違うみたいなのかもしれないんですけど、日はまた昇るっていうことで、日が沈まないんですよね。
なので、これはもしかしたらいろいろあったんだけど、最後なんとなくヘミング・エイじゃないや、この主人公のジェイクの様子もなんとなく落ち着いた様子になっていくっていうことも印象としてはあるんですけど、
そういう中でも希望を託してるんだろうなというのは、小説のタイトルも含めて読むと思いましたね。
最後の3章ぐらいはね、だいぶ落ち着いてるんですよね、ジェイクも。お祭りが終わるとともに。
お祭りの間は飲んで騒いでみんな喧嘩して、いろんなことが起こるんだけど、だんだん落ち着いて、ブレッドもいなくなっちゃうんだけど、もう一回会いに来てほしいっていうようなことがあったりして、
だけどもう一回一緒に会いに行くと、ちょっと2人の雰囲気も落ち着いた雰囲気になっていて、現実から逃げないというか、わりとシラフのシーンもいっぱい出てくるんですけど、後半。
現実を落ち着いてみると、やっぱり足りないんだけど、そうだよねって2人が思ってるとか、すごく落ち着いた様子になってたりするので、
ちょっと雰囲気がまた、同じ日々なんだけど雰囲気とか自分の捉え方が変わってきてるようなことがあるとすると、
その先どういう風にパリに帰っていったんだろうとか、そういうのを想像させるような終盤という感じで、いいなと思いましたね。
私逆に、ジェイクかっこよすぎる件について考えたいです。
主人公だからね。めちゃめちゃ一番かっこいいですよね、ジェイクがね。
スタイリッシュすぎてしまうことが本当にって思っちゃって、だから私さっきロバート・コーンでしたっけ?
そっちに共感するっていうね。
ロバート・コーンが、ロバートもマイクもジェイクもみんなブレッドが好きだけど、みんな実らないじゃないですか。
マイクは怒る、それに対して。
ロバート・コーンはすごいつきまとったりしちゃったり、僕の人生はこれじゃまだ終われないんだみたいなことを口に出したりしてしまう方。
ジェイクはみんなの話を聞いてあげるんですよ、自分も失恋してるのに。
そんなに失恋して、自分が好きな人を他の男に託した後に、他の人の話をよく聞けるなって思って。
それは思った。
その状態で。
落ち着いてますよね、ずっとなんかね。
それでベッドに一人で帰った後は泣くんですよ。
泣くんだよね、そう。
でもスタイリッシュすぎないかと思って。
いろいろ想像しちゃってね。
私はそれの件についてジェイクに聞きたいですけど。
実際どうなんだと。
実際どうなんだって思うんですけど。
でも自分の本当の思いよりも、自分がどう見えるかとか、自分がこうありたいっていう人物像に近づけてしまうっていうところにはすごい共感できるところはあって。
高校生の時に受験勉強してる時にすごくストレスがたまって、初めて家で大泣きしたことがあったんです。
それまで私全然泣かない子って思われてて、お利口な子って思われたんですけど。
その日、思春期なんで妹に眉毛の形を整えてって。
夜帰ってきたら私学校から眉毛の形を整えて欲しいのってお願いしてたのに。
帰ってきたら妹がやってくれなかったんですよ。今忙しい。
それでなぜか私はなんでって思ってすごく大泣きし切れて大泣きしたことがあったんですけど。
今、私はロバートコーンと自分の大泣きした状況を重ねてて、確かにあれはすごい姉として恥ずかしかった行為だけど、自分としては気持ちはすっきりしたんですよね。
いろいろ言えたから。
ってことを考えると、ロバートの方が完全に振られてあなた嫌いって言われたから新しい行為に進めるような気がするけど、
ジェイクっていうのはずっと自分の思いを持ったまま、実らないまま、沈み続けてしまうような気も私はしていて。
どこにも行けないっていうね。
そうですね。だからこその沈んだ船から見えるようなものも、やっちが太陽は昇ったりもするんだよっていう意味のThe Sun Also Risesっていう意味に聞こえました。
ジェイクが格好良すぎてしまって。
格好良すぎてどこにも行けなくなっちゃった人っていうね。
格好を見つける方の方がやっぱりジェイクにとっては優先されるんだろうなっていう。
でもブレッドにとってはそれがジェイクの会ってほしい姿でもあるかもしれないから、いつでも私が戻ってくるときあなたはそこにいてくれるよねっていう。
その補完関係でそういうふうになりたたざるを得ないのかとかね、いうこともあるのかもしれないですね。
なんか一個一個この人たちの、この人たちの視点でそれぞれもう一回読んでみるとまた見え方が変わるかもしれないですね。
あとなんかね、この人たち小説全編を通して何杯飲んだんだろうって数えたいなと思うんですよ。
普通に飲みすぎ。
っていうちょっとリストアップするとかね、そういうのも面白いかもしれないですね。