1. Thursday | Mokusei News&Stories Podcast
  2. Mar 2025 | Mokusei News&Stor..
2025-03-30 1:15:42

Mar 2025 | Mokusei News&Stories Podcast | Season04 Ep.03

木星社のポッドキャスト『Thursday』の最新エピソードです

◉Mutual | 読書の時間@THE NORTH FACE SPHEREのあと、みんなのコメントが少し入ってます。(矢崎智也さん・エリカ&マイキーさん、そして鵜野さん)

読書会楽しかったですね。またやりましょう!

◉そして今回のゲストは、松島倫明さん(『WIRED』日本版編集長)が来てくれました。

瞑想・ラン・読書セッションのあと、松島さんの最近の様子、考えていること、沢山話してくれています。

面白かった!

松島さんがメディテーションに興味を持ったきっかけ/都市/演劇/日常の共感/ロングフォーム/『WIRED』日本版「量子コンピューター」の特集/宇多田ヒカルさんとのエピソード/「わからないこと」/ユヴァル・ノア・ハラリ/一番大切なことは「好奇心」/どこ走ってもいい/共走/『BORN TO RUN』&『BTR2』/コミュニティ/『NATURAL BORN HEROS』、そして『Running with Sherman』/漫画、妖怪/人間と異なる知性・AI/環世界/理解する、あるいは共存する/そこを裸足で走り抜けよう、ほか。


ぜひ最後まで聴いてくださいね。
感想もお気軽にお寄せください。

ではではまた。

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サマリー

今回のポッドキャストでは、North Face Sphereでの読書会の様子が紹介されており、参加者たちの多様な視点や感想が共有されています。また、松島さんが最近の意見や考え方について語る内容も含まれています。このエピソードでは、木星社のポッドキャストに町島道明氏をゲストとして迎え、メディテーションやランニング、東京の街についての話題が展開されています。特に、サウスカロライナの文化と日本のトレイルカルチャーの関係が考察され、リスナーに新たな視点を提供しています。都市とトレールの対立や代々木公園におけるチルアウトの文化についても語られ、演劇や映画の観賞体験を通じて日常生活と非日常を行き来する感覚が深く掘り下げられています。このエピソードでは、宇多田ヒカルが特集された『ワイヤード』の新しい号の裏側や、難解な量子コンピューターの世界への取材を通じて、科学と人間の好奇心についての深い洞察が語られています。未知のものに対する向き合い方や、ケアの思想との関連についても触れられています。マインドフルランニングの自由さや好奇心の重要性について語られ、特にトレイルランニングとコミュニティの役割が強調されています。また、AI技術の進化が社会に与える影響についても考察されています。このエピソードでは、クリストファー・マクドゥーガルの著作「Born to Learn」と「Natural Born Heroes」が紹介されており、西洋近代の価値観を越えるための自然の知恵や運動の意味が探求されています。さらに、AIや他の知性との共存が持つ文化的な影響についても触れられています。このエピソードでは、異なる環世界に住む生物たちの認識の違いや、AI技術が動物のコミュニケーションを解明しようとする試みに焦点が当てられています。また、鳥や海藻などの視点から認知の多様性を探る興味深い議論が展開されています。

North Face Sphereでの読書会
はい、こんにちは。
こんにちは。
Podcast、今月もやりますか?
やりましょう。
今日はちょっと外で、室内だけど外で収録をしておりまして、
いろんな人に見られながらやっております。
今日はもう本当にちょうど、North Face Sphereというお店で、
かっこいいビル。
かっこいいですよね。
ここで何をやっていたかというと、我々は、
何だっけ?
読書会。
読書会やりましたね。
2日間。
2日間ですね。
2回とも結構いろんな人に来てくれて、
1日目はワイヤードの松島さんが来て、
2日目はヤングガンズとか、2日目というか1日目から言ったけど、
秋山桃子さんと青井さんとヤングガンズといろんな話をして、
コーヒーはヤザキさんが、ボアダムのヤザキさんがコーヒーを入れてくれて。
おいしいコーヒーとスイーツも素敵なの用意してくれましたね。
2日間別の。
1日目と2日目で違うという感じで、
なんかいい休日の午後でしたね。
本当にあったかいですしね、ポカポカで。
朝走って仕事して、午後はコーヒーを飲んで本の話をして、
素晴らしい時間でしたね。
お礼とともに紹介をしたいんですが、
ノースフェイススフィアの宇野さんが、
いろいろと今回はこういう場所、機会をいただきまして、
ありがとうございました、宇野さん。
はい、こちらこそありがとうございました。
ありがとうございました。
読書会はここでやるのは初めてですか?
初めてですね。
この3階のフロアは非常に日が入って気持ちいい空間なんですけど、
こういうイベントとして稼働したのは初めてで、
なので非常に私たちとしてもいい経験になりました。
ありがとうございました。
参加者の感想と交流
本当にいろんな世代も幅広く、
いろんな国、地域、それからお子さんもいたりとか、
かなりいろんな方に来ていただいて楽しかったですね。
そうですね。
非常にハッピーな気持ちになりました。
そういう場を提供できてというか、
そういう場に慣れてよかったなというふうに思っています。
これからもこういうお店の場所としていろんなことをやっていくとか、
そういうこともこれからまたいろいろとやられる感じで。
そうですね。
このスフィアっていう店舗自体がコミュニティベースになればいいなというふうに思っておりまして、
それは機会を、ことを提供することもそうなんですけど、
場所として物理的に人が集まる、人が工作する、
そういった場所になれればいいなというのは思っております。
ありがとうございます。
じゃあこれからも走るとか本とかノースフェイスのウェアとかギアを含めて、
いろんな人がいろんな形で来ると。
そうですね。
いろんな人にお越しいただいて、いろんな話をして、いろんな価値観があって、
いろんな楽しみ、いろんなハッピーをいただけたらなと思います。
いいですね。
はい。
ありがとうございました。
またよろしくお願いします。
またよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
で、もう一人、今日は昨日からですかね。
横で今日も座ってくれているんですけども、
コーヒーを入れてくださった方がおりまして、初めまして。
初めましてでしたっけ?
そうでもないですよね。
何度かお会いして、瀬戸田でもお会いしたりなんかして。
そうですね。
はい、ポッドキャストにも出ていただいて、
今日はコーヒーをいろいろと入れていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
矢崎です。
矢崎智也さんですね。
お名前をお聞きするのを忘れておりましたが、
感想とかご覧になっててどうでしたか?
普段お店の場所が人が集まって、いつもと全然雰囲気で、
それがコーヒーを入れながら見ていて面白かったなっていうのと、
清さんに今日、味についてなんか喋ってくれと。
はいはい。
いつも通り結構アバウトなボールを投げられて、
結局喋る機会がなかったですね。
そうですね。
Like the Windでもいろんな話を書いていただいてると思うんですけど、
またちょっと味とコーヒーの味の話はまたじっくり。
今からじゃなく。
今からじゃなく、ここもスキップするという。
じっくりまたじゃあやりましょう。
やりましょうか。
じゃあ2日間ありがとうございました。
ありがとうございました。
オーバービューコーヒーというか、
オーバービューコーヒーの豆もありますが、
ボアダムというコーヒーをタカオでみんな飲んで知ってるかもしれないですけども、
またおいしいコーヒーもお待ちしております。
こちらこそ。
ありがとうございます。
いろんな方が本当に今日はたくさんいろんなところから来てくれていて、
だいぶ本当にみんな帰っていって、
あと片付けるだけなんですけど、
お久しぶりです。
お久しぶりです。
ですか?
ですね。
エリカさんという方も今日は来てくれて、
ノンスペーススピアではあれですね、
Like the Windのローンチパーティーをやった時に一緒にやりましたね。
そうですね、あの時はたくさん人に来ていただいて、すごい盛り上がりましたね。
そうですね、懐かしいですね。
懐かしいですね。
それが秋で今回は春ということで、
春です。
たまに出てくると。
貴重なキャラクターですね。
そうですね、たまにになりますね。
本当これから。
LAにも行かれて。
はい、LAに移住をするために、
ぼちぼち行ったり来たりをしております。
いう感じですね。
LAダイヤリーということで、
Like the Windにもその模様が、
リアルなLAの今がまた綴られていくと思うので、
またみんな読んでもらえるといいですね。
生活しながら、
生活密着の話題をお送りできたらと思っています。
社会派ドキュメンタリーでまた引き続き、
よろしくお願いします。
はい、楽しんでいただけるように頑張ります。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
あとマイキーさんという人が、
今横でおやつを食べてて、
おやつを食べてるんですけども、
ドヨクラブでよく走ってますよね。
はい。
はい、お久しぶりです。
すいません、もぐもぐしたまま。
いいえ、ドヨクラブのポッドキャストを昔撮った時に、
一瞬実は出てくれたことがあって。
おそらく1回目の時に。
そうですね、1回目か2回目ぐらいに出てくれて、
たびたびランニングでお会いして、
今日どうでしたか、読書会は。
すごいいろいろ皆さんの考えとかを、
共有いただけて刺激になりました。
よかったです。
私自身、ランニングテーマにした本って、
まだ読んだことがなくて、
でもこれからちょっと興味を持ったので、
読んでいきたいなというふうには思いました。
ありがとうございます。
マイキーさんの写真は実は集合写真なんですけど、
山田明さんが撮るフォトグラフィーシリーズというのがありまして、
そこの集合写真にも実は、
ディグトリオのグループランニングの時の写真で写ってくれたりしている方ですね。
そんな感じでみんな引き続き来てくれて。
なんか本当に人が交差すればっていう、
そんな感じの日でしたね。
ね、よかったですね。
昨日、松島さんのお話も含めてみんなで読書会をやって、
松島さんのその後、止まらぬ、
松島さんの最近の様子ということで、ゲストの回として。
最近の様子で収まる内容じゃないですけどね。
やっぱりご人類100年とか。
なんか地球規模で考えたり、自分の庭の規模で考えたり。
いろんなダイナミックな。
一番なんかやっぱり好奇心とかね。
そういうおっしゃってたのはすごくやっぱり印象に残りましたけどね。
楽しそうにその話をされてる感じが、やっぱりね。
好奇心ってことなんですかね。
そういう感じで、この後その模様はじっくりと、
1時間にわたって後半聞けると思うので。
広大な松島さんワールド。
そうですね。
ユニバース。
ユニバース。
ぜひ聞いていただいて。
読書会はあれですね。
久々に朗読もやって。
そうでしたね。
ランボイズ、ランガールズで読書とランニング会とかよくやって。
そうですね。そのときぶり。
そのときもね、朗読したりしてましたけども。
久々にやってどうでしたか。
私の感想ですか。
なんか自分がどうだったとかあんまりわからないですけど、読んでるだけなんで。
でもなんかその、この読んだ瞬間を皆さんと共有できるってことがやっぱり一番嬉しいなとは思っていて、
その内容がどれだけ伝わったかとか、みんながどう感じたかっていうのはわからないけども、
なんかこの場に一緒にいれて幸せだったなとかっていう感じが今すごくしてます。
そうですね。なんかその場で一緒にいるっていうのってなかなかやっぱりそういうふうにしないとできないこともありますもんね。
そうなんですよね。
普段一緒にいる友達の言い方とはちょっと違うじゃないですか。
初めましてでいきなりなんかこの人音読し始めたけど静かにして聞いてくれている時間って結構珍しい時間だとは思っていて。
なかなか不思議な。
不思議だけどなんか共通したものはみんな持ってるというか、
一つつながるような軸をみんなと共有している感覚はあったので、
なんかランニングであれ、表現の仕方であれ、日常の生活の仕方であれそれぞれですけど、
ちょっと魔法のような時間でした。
そうですね。素晴らしい。
大げさに言ってみました。
いい魔法。
いい魔法。ありがとうございます。
なので昨日はちょっと松島さんのなるほどっていうようなお話を聞いて、
今日はどっちかというとみんなで話すふうに近いような時間になりましたね。
それぞれの視点で思っていることを話していただいたみたいな感じですね。
松島さんの最近の様子
木製ブッククラブのグッズもみんな買っていただいて。
黄色いトートバッグ。
そうですね。
赤いトートバッグ。
トートバッグ一番人気でしたね。
また多少残りがあるので、どっかで手に入るかもしれません。
ご期待くださいということで。
本はノースペーススフィアにしばらく我々が選書した本がずっと置かれていると思うので、
ランニングの話をするために来るも良し、本を見たいなと思って来るも良し、
みんな本を手に取って話のネタにしに来るのもいいかもしれないですね。
テンポが空いている時間帯はここでこの本を手に取れることですか?
そういうことになってますね。
なのでぜひぜひ読んでいただいて、
例えば宇野さんへのリクエストとか、もっとこんな本が欲しいとか、こんなセッションやってほしいとかあれば、
ぜひ宇野さんにみんな伝えてもらって、
本の感想とか引き続きうちの木製社にDMでも何でもいいですし、
コーヒーがどこで飲めるのかと、豆は買えるのかと、
そういうコーヒーに関するお問い合わせは矢崎さんの方にぜひみんな送っていただけるといいかなと思いますので、
言いたいことみんな言うと。
春だし、季節が良くなって、そんな感じで過ぎて。
そうですね。いつも自分に秘めてることちょっとだけ言ってみるみたいな春になったら、ちょっと楽しいこと増えるかもしれないですね。
そうですね。出会いの季節ということで。
そうですね。
だんだんいい話になってきました。
じゃあ松島さんの話がこの後流れるんですか?
そうですね。この後聞いてもらって、我々はまた来月のPodcastで、またゲストもちょっと来てくれるといいですね。
市場読書会もまた、Podcast読書会もまたやりましょう。
はい。
じゃあそんな感じで、あと何かありますか?最後に一言は。
最後の一言ですか?
ポッドキャストのイントロダクション
まあだいぶ話しましたかね。
だいぶ話し尽くしちゃってあれですけど、最後に木星社へのお便り待ってます。
はい。待っております。お便りいただいたらいつもですけど紹介してね。
そうなんですよね。
今日ちょっと持ってくるの忘れちゃったんで。
あら。
お便り紹介コーナーは今日ないんですけど、いただければ春ちゃんが読みますと。
はい。何でもね。一文でも嬉しいのでね。何かあればいただけると嬉しいです。
はい。じゃあお待ちしてます。ということで、またね。
始まってますね。
じゃあ行きますか。はい。こんにちは。
こんにちは。
今日も木星社のポッドキャストが始まりました。
はい。
いつものごとく今月もゲストが来てくれておりまして、お名前を教えてください。
町島道明と申します。
こんにちは。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
今日ゲストの回は僕が単独でインタビューに行くこともあるんですけど、
はい。
いつも一緒にやってる春ちゃんも今日はいて、3人で。
よろしくお願いします。
メディテーションとランニングのセッション
という感じで気軽なお話をできればと思います。
今日は東京の神宮前というところにいて、読書会のイベント。
やりましたね。
やりまして、ノースフェイススフィアで。
その前に松島さんはメディテーションとランニングのセッションも朝からやられて。
ノースフェイスの宇野さんプロデュースの。
宇野さんプロデュースの。
はい。
宇野さんも横でちょっとこのお話を聞いてるんですけども、
どうでしたか?楽しかったですね。
楽しかったです。天気がめちゃくちゃ最高だったっていう。
これ多分宇野さんが徳を積んでたおかげなんじゃないかと思うんですけど。
今週って雪降ってましたよね。
そうですね。3月珍しくすごく寒くて先週京都にもいたりしたんですけど、
突然氷が降ったりとか。
そうですよね。
ものすごい各地雪が積もったりしてましたけど、急にようやく春に。
今日は最高で、今回のポイントはとにかく外でランニングとメディテーションとやるっていうマインドフルランニングっていうの。
結構やってたんですよ前は鎌倉で。
ワイヤードとか来る前とかは多分鎌倉トレイルランニング協議会とかと一緒に毎シーズンだか年2回だかやって。
お寺とかでもやられたりとか。
お寺とかでも県庁寺とかに行って、これ公にしていいのかわからないですけど、マイナーなトレイルで地獄谷っていうところがあるんですよ。
そこからだと県庁寺の中腹のお寺の池にそのまま繋がってるところがあって、その池の周りでやるのが観光客全然来ないし、あそこ最高なんですよ。
なるほどなるほど。
松島さんとしてはもう長らく瞑想とランニングっていうのはもうライフワーク?
そうずっと結構やってたんですけど、実はワイヤード始めてからもなぜか当初は新刊出すたびに。
やってましたよね。
やってました。
そうですよね。
雑誌出ましたって言って鎌倉に編集部の文室あるんですけど、そこでみんなで走って、鎌倉野菜とかの弁当食べて、みんなでなんかディスカッションする。
迷子をやってましたよね。
コロナまではやってました。
そっかそっか。
コロナになってからは一旦は。
そうなんですよ。
僕実はコロナ以来初めてです。
本当ですか。
じゃあ久々の。
久々に。
ランニングの回という。
宇野さんが復活させてくれたっていう。
宇野さんも長い間やりたいやりたいってずっとおっしゃってたということで。
今日は実現して。
それが嬉しかったです。
良かったですね実現してね。
春ちゃんは普段瞑想とかそういうのはしたりするんですか。
正直な答えでもいいんですか。
私普段今してるわけではないんですけど、瞑想じゃなくて思ったことを朝イラストにするみたいな。
吐き出す系をやってます。
やっぱり目閉じちゃうと寝ちゃうので。
私は寝ちゃうんですよ。
寝るのが得意で。
だから瞑想できないなったけど自分の吐き出したいとか整えたいというので落書きします。
起きた瞬間に。
朝がいいので。
夢とかって忘れちゃいますもんね。
そうなんですよ。
ちょっと油断すると。
話したいと思った瞬間にはもうあれなんだったっけあの夢みたいな。
あと夢とその後普通に日中にも整えたいなみたいな。
今余分なものがあるなの時は私はこれ自分なりの方法ですけど書き出し瞑想。
書き出し瞑想です。
書き出し瞑想っていうのがあるんですね。
ちょっとジャーナリングみたいな。
そういう感じの。
美術家の尾竹新郎さんとかも起きた瞬間のスケッチをずっと書いていてそれを作品にしたりとかしてる人もいますけどね。
そういうこととかにももしかしたら近いのかもしれないですね。
松島さんが一番最初にその瞑想をやってみようとかここまでずっと長らくやり続けてこられたと思うんですけど
一番最初のきっかけって僕ら松島さんといえば瞑想とかそういうイメージが元々あって僕らはそっかそっかって知ったんですけど
一番最初のきっかけってあんまりお聞きしたことないなと思って改めてどういうところがきっかけで。
サウスカロライナと東京の文化
そうですねそれで言うと
何だろうな多分2010年代ぐらいとかってわりとシリコンバレー初の本とかを翻訳書ずっと本やってたんで作ってて
それこそワイヤードの当時の編集長だったクリス・アンダーソンのフリーとかメーカーとかそういうのも作ってて
その当時西海岸でいわゆるマインドフルネスみたいなものがすごく前傾化してたんですよね。
ある種それって西海岸のヒッピーカルチャーみたいなものがもう50年代のビートから60年代カウンターカルチャーから連綿と続くものがあって
アメリカ仏教って今すごいアクティブなんですけどっていう伝統もある中で気軽にみんな座ってマインドフルに整えましょうみたいな
そのカルチャーがやっぱり西海岸のカルチャー見てるときにあってそれで興味を持ったっていうのが
実はその本とかもそれで判件取って出したりとかそういうのをやっていて
でもこれもあんまり公に言うのもあれなんですけれどもいわゆる宗教的なものって僕そんなに得意じゃなくて
でもやっぱり座禅っていうと仏教みたいなお寺で座ってちょっと体を動かすと警察でビシッて叩かれるみたいなイメージあるじゃないですか
そういうのはもう一切興味がなかったんですけど
あらゆる西海岸的なカルチャーと一緒で
例えばいわゆる瞑想メディテーションというものを非宗教的なメディテーションで
しかも民主化された日常のものって何だろうみたいな
それ結構いいなと思ったんですよね
そこら辺が始まりだったと思います
本を作ったりしている中でそういうのが響いてきて始まったということなんですね
NHK出版時代の手掛けられた本の流れとかいろいろ拝見していると
なんとなく今おっしゃったような西海岸系のものとかそういうのが多い印象が
テクノロジーのものも含めてあるんですけど
その辺はやっぱりご自身のスタイルとしてそういうふうな翻訳書のラインナップというのをやられて
その時から割と珍しがられたのが
例えばフリーとかそういうテク系の本とかをやっていると
実はボーントゥーランとかもやってるんですみたいなことを言うと
すごい意外がられるんですよね意外だっていう
でもその当時から言っていたのが
例えばアメリカの西海岸ってシリコンバレーはあるけれども
例えばパシックレストトレイルがあってトレイルカルチャーもあるし
もちろんオーガニックとかビーガンとかもそうかもしれないけど
美味しいワインもあるし美味しい食べ物もあるしサーフィンができるし
これ全部あそこに住んでる人たちはそこのミックスで生きてるわけであって
別にシリコンバレーだけで生きてるわけでもないし
別にトレイルだけ一生歩いてるわけでもないし
やっぱりカルチャーって日本に持ってきちゃうと
どうしてもぶつ切りになって縦割りになってくるんだけど
そこ繋がってるから別に
だからそれこそわからないですけど
Googleで働いてる人が100マイル走ってるかもしれないし
Facebookで働いてる人がサーファーだって全然おかしくないわけじゃないですか
そこをミックスするっていうのは割と常に今でもね
WIREDではそこをすごく気にしてるし
多分そういう意味で
例えばメディテーションみたいなのって多分もうちょっと
BORN TO RUNとかあっち側の
BORN TO RUNとかもね
それこそケルアックのダルマバムズとか愛読書ですっていう
ちょっと狂ったランナーとかいっぱい出てきたりして
そこら辺のカルチャー引っ張ってる中にあったと思うんですけど
これ2010年ぐらいになると
じゃあGoogleでSearch Inside Yourselfっていう
そういうメディテーションのプログラムが始まってますみたいな
そこもやっぱ目に見えて融合し始めていて
そこら辺がすごい面白いなって思ったんですよね
日本でどうしても見ると
西海岸はこれだとかあれだとかって割と断片的に見えるけど
実はでもそこはもう自然にそういうものとして繋がってるっていう
ことの方が逆に多いっていうところなんですよね
なんかサウスカロライナにさっき住んでたのが
もしかしたら千間さんが西海岸の
そういうカルチャーを見ながら本を作ってた時期と
もしかしたら重なるかもしれないんですけど
春ちゃんがサウスカロライナに住んでて
なんかそういう風な
総合的に何かを感じることとかって結構あったんですか
総合的に感じること
それに結び付けて言うと
私はサウスカロライナ州の中のチャールストンっていう町に住んでて
結構映画の舞台になったりするぐらい
白人のリタイアした人が観光で来る町
ダウンタウンっていう感じになってるんですけど
ダウンタウンの中
何マイルの半径かわからないですけど
ダウンタウンの中とその外の景色が全然違うんですよね
だからダウンタウンの中で全ての生活が住んでしまうんですけど
そこにいるときとそこからちょっとこう
プールに行ってみようとかちょっと走り行ってみよう
そこに出たときの景色が全然違うっていう意味では
なんていうんですかね
この中と外を合わせてみたときに初めて
サウスカロライナってこういうところなんだなっていうことが
すごくわかりました
やっぱり町を感じるとか
そういうのもいろんなつながりが見えてきたときに
あるシーンとしてようやくわかるっていうことなのかもしれないですけど
なんかそういう無意識には思ってたけど
それが意識的にわかるようになる瞬間みたいなことが
いろんな意味であるのかもしれないですよね
今日はそういうわけで東京のど真ん中にいるんですけど
東京を走るの結構久しぶりでした
お仕事でもワイヤード日本版ということで
一応勤務地としては東京にある会社で
今日は東京で走って
天気が良くて良い公園にも行き
ビルの谷間を抜けながら時間を過ごして
ビルの一角でトークセッションをやったりなんかも
したと思うんですけど
松島さんからご覧になって
例えば今の東京の街をどういうふうに感じるかとか
東京のシーンとかっていうのって
サンフランシスコとまた違うとすると
どういうダイナミズムを感じるところがあるのかとか
そういうのって何か思われることでありますか
東京にいないかもしれないですよね松島さん
でもそうですね
本当にワイヤーたちがボーントゥーランやってた
2010年代の始めくらい
10年以上前ですけど
結構初期の頃に
それこそ株楽器さんと一緒に
アーバントレールランっていうイベント
だから松田さんとかと一緒にやってたのかな
今ヒアネスやってる
でもそのトレールカルチャーっていうのが
都市とトレールの対立
意識的にですけど
やっぱりある種都市に対する
カウンターカルチャーだったわけじゃないですか
それってコンクリート走るんじゃなくて
土の上走ろうぜ
だから都市を走ることと
トレールを走ることが
ある種二項対立になる
でもそれはその時代はちょっと意識的にやってた
カウンターとして
なんだけどでももう一回都市っていうのを
トレールに読み換えれば
例えばその上り下りとかいっぱいあるし
歩道橋とかいっぱいあるじゃないですか
だから都市の中で
そのトレールスピリット
都市の中で要するにカウンターである
走り方ってなんだろうみたいなのを
ちょっと考えたくて
株楽器さんと一緒にそれこそ代々木公園で
イベントやったことがあります
っていうのを今思い出しました
だから別になんだろうな
でもまあ今自由ですよねみんなね
すごい
僕代々木公園で思い出すのは
学生の頃とかに本当に
六本木とか多分
あざぶとかクラブで
朝まで踊って
最後明け方明るくなって
そのアフターワーズ終わって
6時とか7時ぐらいにみんなで歩いて
代々木公園での体験
代々木公園に来るんですよ
そうすると誰もいないわけですね
日曜の朝6時7時
そこでちょっと音鳴らして
みんなでチルアウトするみたいな
でもその頃ってやっぱり
ちょっと僕の記憶がどこまで正しいか
わかんないですけど
まず公園でこれだけみんなで
チルアウトするカルチャーがなかったし
結構来るのが外国の方ばっか
外国の方々はやっぱりすごく
公園でそうやってチルアウトしながら
楽しむっていうアクティビティーを
その時から文化としてあって
あったなっていう感じが僕はするんです
でももう今代々木公園に来て
ほんとみんな楽しんでるのが
すごいいいなと思いました
なるほどな
なんか公園とかある場所に集まる
っていう中で言うと
ハルちゃん演劇とかで
公園じゃないけどある空間の中で
何かを行われてるっていう体験を
結構してると思うんですけど
そういうある意味非日常なのかもしれないし
チルアウトなのかもしれないですけど
日常とそういう自分が演じる
その舞台のそういう場所みたいな
切り替わりとか
そういうのって結構意識したりは
することもあるんですか
その自分自身で感じることと
私がやってる周りの俳優仲間が
感じることとかで言うと
結構演劇だったり
映画って何かから逃避したいとか
今自分がいる現在地から
ちょっと遠いところの空間に
一瞬で行きたい
っていうために結構演劇とか
映画見てる人が多いなっていう風に
思っていて
だからその同じ自分の部屋にいるけども
その映画をつけた瞬間に
その空間自体が
この自分がいる世界自体が
ちょっと遠いところに行く
みたいなのはすごく
自分も感じているし
演劇を見てくれる人とか
演じる俳優側もそういう世界を
好きだからやってるっていうのは
あると思うんですけど
その公演でも演劇をやったりだとか
路上パフォーマーの人だとか
私はすごいなって思うんですけど
まずあれができることが
そのもうみんな映画館があったり
自分でネットフリックスっていうものがあったり
区切られた空間がたくさんあるからこそ
今その空間が区切られてない場所で
やりたいとかやる意味っていうのも
逆にすごくあるんだろうなっていうことは
演劇と映画の観賞
自分としては感じていますね
ちょっとうまく言えたかわかんないですけど
なるほどな
あえてそういうふうに演じるってことと
チルアウトするっていうことの違いとかも
深く考えてみると面白そうですね
その都市の中で朝なのか
チルアウトしてるっていう状態と
演じるっていうこととまた
どういう意味があるのかとかね
なんか面白いかもしれないですけどね
考えるとね
なんかちょうど
ちょうど2日前ぐらいに演劇見に行ったんですよ
それなんか下北の
下北亭っていうところなんですけど
めちゃくちゃ狭い場所で
観客たぶん40人3、40人で
もう舞台とかもすごいちっちゃいんですけど
面白かったのが
僕が思ったのが
なんていうか日常劇なんですね
どちらかというと会話を楽しむみたいな
普段の
ちょっとだけ不条理なんだけど
基本的にはあるよねこういうシーンみたいな
こういうシーンの時本当はこういう風に考えてるよね
みんなみたいなのを
だからコミュニケーションがどちらかというと
笑いながらあるあるみたいに
全員が思うような
最近
結構そういうドラマとかでも
Netflixのドラマって特に日本なんですけど
そういうの多いなと
会話劇っていうか
その言葉でみんなが
ちょっと気の利いた
ちょっとクスッといけるような
でもすごい本音を語ってるように
みんな演じてるわけですよね
だからその入れ子構造が面白いなと
すごいこう全然
なんていうんですか
オーバーに言ってない
本当に日常の演唱みたいに
演じているみたいな
演じてるわけですね
それをすべて演じてるっていうところが
なんか一回転してて面白いなと思ったんですよね
そういうこう
演じる時の手法とかもきっとあるんですかね
多分ね
なんか手法とかは多分あると
それぞれいろんな方が
自分の演技論ってこうだとか
持たれてると思うんですけど
今松島さんがおっしゃったように
代弁してほしい
リスナーとか観客が
本当はこう思ってるし
言いたい
でそういうことは裏赤で
Xには吐き出せるんだけど
それをもっと他の人もいるって思いたい
自分の人がいるって思いたい
だからあの空間っていう
複数人が入ったところで
多分それを見たいんだろうなっていうのは
すごく感じてます
特に多分日本人の
国民性も影響してるのかもしれないですけど
本音っていうことが
出しにくい場所だからこそ
そのちょっと
バカリズムさんの脚本とかも
すごい流行ってたりするじゃないですか
ホットスポットとかと
割とそういう系だったんですよ
今回見た演技もやっぱり
まさにあの感じっていうのが
すごい今
日本人で
なんか日常なんだけど
ちょっとやっぱり
宇宙人だったりとか
そういうひねりは入ってる
中での
でもすごい今お話聞いてて
思ったのが
別に強引に結びつけるわけじゃないんですけど
だから昔は演劇っていうと
わかんないですシェイクスピアとかでもいいんですけど
そうもうちょっとこう
ドラマ性があるわけじゃないですか
まさに劇的な何かがあって
なんかこう
満たされる最後比練で終わる
なんかこう一大ロマンスものとか
なんかそういうものにこっち側が
感情移入して
日常生活では決してないけれども
王様とお姫様とか
そういうのってないけれども
そのフィクションの中では
そこに自分が感情移入するっていうものだったとすると
今ってやっぱり日常の中にあることで
自分がしかも思ってることを
これこれあるある
わかるわかるみたいなところになるのが
なんかまさに
スポーツで言うと
スポーツ観戦なのか
ドゥスポーツなのかみたいな
結局この何十年か
やっぱり観戦するスポーツだけじゃなくて
自分がやるスポーツみたいなものに
どんどんどんどん変わってきてるってことと
この演劇の
みんなが見たいものが変わってきてるってものは
結構パラレルなのかなって
今ちょっと思いました
なるほど確かにそういうとこもありそうですね
日常を再確認していくようなことが
無意識にこう
増えてる
そうなんですよね
自分が主役っていうか
自分が
だから別にそれはね
トルデジアン走るでもいいんですけれども
でもそれはトルデジアン走ってる人
すげーっつって見るんじゃなくて
自分が走んなきゃみたいな
そこに行くってことですね
誰かのすごく
気象転結のある物語っていうよりも
自分のその足跡とか
足取りっていうのをすごく
再確認していきたいっていう
流れがあるのかもしれないですよね
逆に言うとそういう
すごく些細なことなんだけど
自分のそういう日常っていうのが
どっかで何か無かったんじゃないか
みたいな不安感とかも逆に
あるのかもしれないですね
それはまあいろんな
要因で
いろんな意味でもしかしたら
無かったかもって不安に思う瞬間が
多分あるとすると
みんなそういう風になっていくんですかね
面白いですね
その場合にさらにちょっと話を
繋げるとLike the Windも
でもそれもやっぱり
個人視点のストーリーじゃないですか
基本が
自分をちゃんと語れる場が
ある種さっきの
読書会のテーマでもあるんですけど
ランギングってランギングでみんな語るから
改めてそれを言葉にするとか
文字にするとか
ストーリーにするとかって
すごく貴重で素晴らしいことだと思うんですけど
その時に
そこって
等身大のストーリーなのか
もっとドラマ性のある
ストーリーなのか
清さんはどこら辺を狙ってるっていうか
どっちかというと
割とそこまで
ドラマ性のあるものがあると面白いな
っていうのももちろんすごくあるんですけど
例えば
例えばナイキの真似問題みたいな
ああいうのを暴くみたいな
そういう割と
本当のドキュメンタリーとか
リズムっぽいものってやっぱり発見があって
面白いっていうのは当然あるんですけど
ただストーリーって
何かを暴くためのものでもなくて
やっぱりその人の
日常とか一歩が
本当に楽しかったとかっていう
割とその人自身がその状況の中にいる
っていうことをどういう風に語っていくか
っていうのが
の方が割と本当のところのような
気がしてるので
あんまりLike the windで何かの
性を暴きますみたいなことよりは
そういうこう
どういう風に一歩一歩踏み出していって
何が感じられたのかっていう手触りの方は
結構
そっちの方がいっぱいストーリーがあるなっていう
思ってるので
そういうのが多い気はしますね
自分では
なんかすごくそうですよね
SNS的なんだけど
それをロングリードにした時に
何が生まれてくるのか
みたいなことでもあるんですか
いい意味で
誰もが語れる時代じゃないですか
だから誰もが語れて
誰もが共感できて
その共感できるところに人が集まってくる
みたいなものがあるときに
もう一度でもそれを
紙にしてみるとか
その言葉に
本当に少し長くそれを言葉にしてみるとか
そこの
でも多分やっぱり
同じですよね
共感系ってことですよね
自分がロングリードを
ロングフォームで作るっていうことを
やってるんだろうなっていうのは思いますね
割と共感系ではあるんだけど
SNSではなくて
『ワイヤード』の新号
ロングフォームを作るのは
それが残っていくから
というのをなんとなく
思ってるっていうところは多分ある
気はしてるので
あとはやっぱりいろんな意味で
ポジショントークは入るんですけど
紙にしとくとやっぱり
一番持つかなっていうのは
使ったフォームがなくなったらやっぱり
そこの言葉は消えてしまうものの
紙にしとけば
持つしみたいなところもありつつ
あとは再生紙で
作ればいいしとか
そういうことも含めて
なんとなくそういうのは
ありますね
物を作ってる感覚に近い気はします
物体を作ってるっていう
そうですね
なんとなく感じてはいますね
今日はこの前は
読書会だったんですよね
読書会の話の
リキャップではなくて
都市とか
手触りの話
みたいになって
読書会に来てくれた人はこれを聞くとまた
違った話がここで展開されてて
後編として聞いてくれると
面白いですねきっとね
何か最近の
ワイヤードもそうかもしれないんですけど
いわゆるニュース
ジャーナリズムとか
ロングフォームの話も出たんですけど
今直近でワイヤードでそういう風に
考えられてる
ことっていうのは
何かありますか
割と大きな物語を
追っかけていくみたいな話
ではないような気も当然してるんですけど
ワイヤードも
ロングフォームがきちんとまとめられて
画面的に紙になって出ていくということの中で
どういう風な
松島さんから見た
作り方というか
編集方針みたいなこと言うと
ちょっと大げさかもしれないですけど
こんな風に考えて
作ってるよとか
そういうお考えみたいなことって
あるんですか
ありがとうございます
でもそういう意味で言うと
これ聞かれてる時にはもう
発売されてると思うんですけど
新しいGOで
拍子コンピューターが
特集なんですけど
初めて
宇多田ヒカルさんがカバーストーリーなんですよ
表紙に出ていて
それって
少なくともコンデナストで
ワイヤードが再創刊された
2011年以来
前編集長の若林さんも
僕も
有名人をカバーに出すってやってこなかったんですよ
今までずっとやってこなかった
量子コンピューターの取材
13、14年
初めてなんですね
だからそれ結構
皆さんちょっとびっくりされるかもしれないんですけれども
でもだからといって
どこの
何とは言わないんですけど
いわゆる週刊誌とかって言っちゃった
いわゆる
どっかの事務所のタレントを表紙に出しときゃ
すげー売れるみたいな
ことでやってるのとは全く逆で
今回
漁師コンピューターってめちゃくちゃ難しいんですよ
漁師コンピューター自体は
コンピューターなんですけど
その仕組みである漁師って何ですかってやると
めちゃくちゃ難しいんですよ
漁師コンピューターの方式とか
でもそれ今回やろうと
去年からずっと決めて
準備してたんですけど
いわゆる
スイスにある
セルンっていう漁師をですね
直径30キロぐらいの
施設で
超高速で漁師同士ぶつけて
なんか新しい
物質を発見するみたいな
セルンっていうところがあるんですけど
そこに取材に行けることになって
スイス大使館と一緒に
行いに行けるときになったときに
宇多田さんに
宇多田さんって
サイエンスとか興味あるって知ったんで
編集部の方が声かけたら
行きますって
2週間前ぐらいなんですよ
絶対に1年ぐらいは
予定埋まってるはずじゃないですか
ほとんど
記念受験と同じような
感じの
聞いてみるのはただだから
聞いてみようかみたいな
すごい行きたいです
最後取材終わった後
これなんならコーチェラの舞台
立つよりも貴重な機会でした
ぐらい
でもめちゃくちゃ宇多田さんって
そういう
そういうものを何とか分かろうとする
サイエンスの営みってそういうことじゃないですか
世の中の仕組みとか
成り立ちってどうやってできてるんだろうってことを
科学者の人たちって
もしかしたら自分が一生
キャリア50年とかのキャリアを
かけても
最後分かんないかもしれないっていうものに対して
それでもそれを研究して続けていく
っていう態度があって
それが連綿と何百年続いてきたのが
今の僕らのサイエンスだとすると
そこに対する尽きせぬ
っていうのがあるんですよね
結局
宇多田さんもご一緒に来ていただいて
セルンに行って
取材してます日本人の東大の先生とか
解説してくれて
その話が
今僕らが量子とか量子コンピューター
ってものに向き合うのに
それが何かっていうよりも
どういうマインドセットで向き合えばいいんだろう
っていうところを
ものすごく代弁してくれたんですよね
だから
あるからこそ
この量子コンピューター特集って
できたな完成したな
っていう風に思っているっていうのの
入り口としての
宇多田さんみたいなのがいるときに
好奇心の重要性
まさに今日の
ストーリーの話っていうんで言うと
そういうストーリーテリングって
すごい大切だなと思っていて
今僕は
編集長として
全部のゲラに
最後はOKってやって
印刷終わってるわけなんですけど
だからって言って
量子コンピューターとか
量子力学100%理解したのかって
ちょっと理解できてない
理解はできてないけれども
これは例えば自然っていうものを
これから人間が自然と
対峙するときに
どういうマインドセットで行けばいいのかとか
わからないことに対して
どういう風に向き合えばいいのかとか
そういうものには
すごく深く切り込めた
いつもちょっと
メルクマールになる業だなと
思ってます
そういうわからないことにどう向き合うか
というのがやっぱり
それが今回のカバーでは
宇多田さんが
ある意味象徴的に
すごくインパクトのある形で
出るということですね
最近読んでて
確かにそうかなって今お聞きして
思ったんですけど
心理学の遠畑海人さんとかの本を読んでると
やっぱり分かろうとするけど
分かんないとか困ってる人のこと
分かろうとするんだけど
絶対分かり合えないとか
だけど分かろうとするっていう
そのあり方みたいなことが
すごくやっぱり印象に残った本があって
自然とかテクノロジーも含めて
分かんないかもしれないけど
それをどういう風に
理解しようとするのかっていう
そこの
差事加減みたいなところがきっと
すごくやろうとされてることなのかな
っていう風に今お聞きして
思いましたけどね
ちょうど今週は
先ほど読書会来てくれた
マイキオさんと一緒に
ユバルノア・ハラルにインタビューしたんですよ
彼が新しい
ネクサスっていう本を書いて
サピエンス書いて
ホモデウス書いて
書き下ろし久しぶりなんですけど
情報の未来についての本なんですけど
要するにAIなんですね
AIっていうものが
いわゆるAIって
アーティフィシャルインテリジェンスっていうよりも
エイリアンインテリジェンスだと
要するに人間にとってはもはや
理解不能なある種の知能を
持っていて
そこから出てくるものもあるし
なんでこうなったのか理解不能だと
でもそのAIと
これから人間が一緒に
社会の中で暮らしていくときに
まさに必要なのが
そういったある種のネガティブ
ケイパビリティというか分からないことを
普通に感じるだけじゃなくて
その分からないことを受け入れながら
どうやってそこに相対していくのか
っていうことをやらなきゃいけなくて
そういうとすごいAIになって
新しい時代やってきたなと思うんですけど
結構人間的に要するに昔から
そういうことをやってきていて
それは自然もそうだし
例えば外国人みたいな
人たち 言葉が通じない人たちとか
でも突き詰めればもしかしたら
家族だって相手が何を考えているか
分からない中で
ある種でも
分からないことを
ある種受け止めながら
何とか人間をマネージしてきた
わけなんで
茨の原っていう人はすごく
形勢化というか
警鐘を鳴らす人なんで
もうやばいよ
みたいな話になるんですけど
それは危険性
っていうものを
理解しておくのはものすごく大切なんだけど
僕はもうちょっとそこを
まさに分からないものを
分からないから危険だとか
って考えちゃうと
その分からないものを排除していく方向に
すぐ行っちゃうんだけれども
分からないものをどうやって
そこと付き合っていくのか
みたいな意味で言うと
なんか普段のことにも通じるし
まさに科学とかってものも
人類は何百年も向き合ってきてるわけだから
そういうネガティブ
ケーパビリティ的なものは
すごく学べる
その時に
一番大切な資質の一つが
僕は好奇心だと思ってるんですよね
ワイヤードをやってると
本当にそのことを常に思うんですけれども
好奇心がなかったら
漁師コンピューターなんて別にやることない
読もうと思っても難しいし
これ今読まなくたって
自分には何の関係もないし
何の関係もないしと思ったら
でもやっぱりそこを知りたいと思う
でもそれってすごく
それこそケアの思想とか
東発さんとそうかもしれない
ケアの思想とかと繋がってて
やっぱり相手に対して
なんか好奇心を持たない限りはケアとかもできないし
分かんないから
いいやじゃなくて
分かんないけど
分かることはできないと
でも好奇心を持つことはできると
好奇心さえ持てれば
ちょっと優しくなれるとか
ちゃんと相手のことを受け入れられるとか
ケアできるとか
そこはすごい全部繋がってるなって
思うんですよね
そうですねやっぱり読書会でも
今日も出てたんですけど
何かとの関係性の間に出てくること
っていうのがすごくたぶんいっぱいあるような
気がしてて
それはネガティブなこといいこと悪いこといっぱいあると思うんですけど
それを好奇心っていう方向に
やっぱり振っていく
っていうのをやろうって思うのって
自分しかできないことだったりすると思うので
どうしてもすごく人文的な方の視点から
いろいろと見ちゃうんですけど
そこはやっぱり
好奇心の方に振っていくと
やっぱりいいんだろうなっていうのは
すごく思っているので
それをテクノロジーで言い換えると
ワイヤードみたいな好奇心とか
そういう方向なのかもしれないし
例えば演劇で言うと
マインドフルランニングの自由
いい物語を演じるとか
いうことに繋がることもあるのかもしれないし
なんかそういうことなのかもしれないですよね
今日そういう意味でよかったのが
午前中
マインドフルラインやってて
ノースのおじさんが
トレイルどこ走ってもいいです
踏み固められている外周はあるんですけど
そこにとられることないと
どこ走ってもいいですよ
全然自由ですよって言っているのが
すごいいいなと思って
やっぱりトレイルとか
知らない道行きたいとか
ちょっとトレイル踏み外したら
ここに何があるんだろうとか
それも好奇心じゃないですか
走るってすごい自由なことだし
でもその自由を満喫できるかどうかって
やっぱり好奇心を持てるかどうかなんです
だんだんルール化されて
制度化されて決まって
走るのはここみたいなのが決まっていった時に
もう一回そこから抜け出すために
だから走るってことも
多分今日の話にはすごい通じてくるな
そうですね
それ自体が
好意としての好奇心を体現するっていう
ものですよね ランニング
裸足で走るのとかもそうだし
昔それこそBorn to Run
出した頃に
Barefoot Tedが来日した時があって
Barefoot Tedと
小政公園の方でイベントやったんですよ
そしたら当日
Tedが
ジーンズで来たんです
最初みんな集まって
話して
そろそろ走りに行きましょうか
Tedそのまま走りに
行こうとするから
それで走るの?
別にジーンズでもいいじゃん
なんでいけないの?
自由でしょみたいなことを
言って彼は
小政公園も走るの周回コースが
あるんですけど
自由に越えてくるんですよ
岩とか乗り越えて向こうとか行っちゃったりとか
でも彼は結局
それで走ることが自由である
っていうのはどういうことかっていうのを
それで知らしめたかったんですよね
それもすごい自由になって
別に
ウェアがないからって
走らない理由にはならないとか
シューズがないからって
走らない理由にはならないっていう
そういう風に
自分の
ある種の決めを一個ずつ
解除していくって
すごい大切だなと思って
今日のイベントもそうだなって
すごく思ったんですけど
分からないこととかに対して好奇心を持つとか
もっと自由でいいんだよみたいなのを
ある種
競争
一緒に共に走ってくれる人がいるって
すごく素敵なことだなと思ってて
多分みんな個人レベルでは
恋愛だったり科学だったり
個人個人の分からないことに向き合ってはいるけども
それを
ある種こういうイベントだったり
一緒に走るっていうことだったり
一緒にそこに迎えること
っていうのが
すごく素敵な体験なんだなっていうのを
思いました
コミュニティの形成
今日の話も聞いて
なんか
今年Born to Run2
っていうのが出て
僕何も今回一切タッチしてないんですけど
改めて読んだんですけど
まさに今言ったような
一緒に走るってどういうことか
っていうことに
もう一度向き合った
一冊なんだなっていうのを
僕はすごい思ったんですね
まさに
前回のBorn to Run1が
出たのが
本国で出たのが2009年とかだから
15年ぐらい経って
何が変わったかっていうと
やっぱりラーニングコミュニティみたいなものが
明確に生まれたんですよね
そのコミュニティっていうの
だからそのコミュニティが
ローカル性を持ってる
都市みたいなところで
ここの町のコミュニティみたいなものが
すごく生まれてきて
そこに多様性もあるし
でも
一人で走るんじゃなくて
誰かと走ることによって生まれる
自分たちの気持ちもそうだし
コミュニケーションもそうだし
それによって
あるブリワリが
街の中心として
一つの
金目みたいになったりとか
スフィアみたいな場所が
都市の中で
一つの意味を持ち出したりとか
本当に都市の構造自体を
変えていくっていうパワーが
ラーニングコミュニティってものにあって
そこにフォーカスして
それってやっぱり
過去5年10年15年の
ラーニングが成熟してきて
ドゥスポーツになって
みんなでやりだしたことの
一番最良の変化の一つなんじゃないかな
そうですね
AI技術と未来
ワンツーランツーも
後半はそういうコミュニティとか
いろんなそういう話もいっぱい出てくるし
そういう流れを踏まえて
今出たっていうのは
また意味があることかもしれないですよね
10年15年経って
そうなんですよね
本当に今
ラーニングとか
レースに出たいからということ以外で
ラーニングを始める人って
すごく多いですし
おっしゃった通り
ビール飲みに行くとか
友達に会うとかっていう
割とそういう
春ちゃんが今言った誰かととか
そういう境地的に
同時に何かが起きるっていうこと自体が
リアリティっていうようなことが
すごくあると思うので
面白いですね
あとは松島さんがおっしゃったみたいに
やっぱりサイエンスもそうで
ずっと長い間っていう
そういう通時的な話
長い時間の中でっていう話と
両方見渡してみると
みんなが好奇心
こんなにもっていっぱいやってきたんだってことが
すごくわかると面白いですよね
そういうのを一個一個読んでいくと
って思いますね
なんか好奇心
というのはなんかいいですねやっぱり
なんか
いつもポッドキャストで
木星社のポッドキャスト読書会を
いつもやっていて
小説を読んだり
わいわいいろんなこと話して
ゲストのコーナーがあって
今日そのゲストが松島さんなんですけど
結構いつも最近長くなりがちで
ポッドキャストが
ロングフォームポッドキャストみたいになってきて
1時間半とか2時間とかいつもやってる
そうやってて
結構聞いてくれてる人も多くて
感想くれたりとか
いろんなお手紙
いただいたりすることもあるんですけど
せっかくなんで
聞いてくれてるリスナーの
人々に向けて
松島さんからなんだろう
一言というか
ワイヤードに本番読んでねでもいいですし
あと逆に
例えば今まで
手がけた本で例えばBorn to Run以外に
思い出がある本
一冊
難しいと思いますけど選ぶとするととか
ワイヤード日本版で
いろいろと作られてきた中で
このテーマとか記事は
ちょっと面白かったとか
やばいそれ難しいですね
そういうのを
松島さんから
リスナーに紹介してもらうとか
そうですねこれかなりハードル上がりましたね
期待してます
そうですね
だから読書会でも
さっきまでやってたところでも
ちょっと話したんですけれども
ちょうどあそこで
3冊選ぶのの一冊を
ジェームズ・ブライドルの
Way of Beingにして
人間以外の
知性ってものとどう向き合うのか
っていうのって
だから一つは
今もうどうしたって
AIってものと
どうやって僕らは向き合っていくのか
っていう
なんかすごい
谷間の時代にいると思うんですね
それこそ僕
2007年に
シンギラリティーズ・ニアっていう
レイカー・ツワイルっていう
AI研究者の人の本を出して
それが
本としては
ポピュラーなものとしては初めて
シンギラリティーってものがありますと
それはもう超知能が生まれて
人間には理解できないような
ある種の次の時代へ到達する
時代がやってきます
2045年ですって
その時レイカー・ツワイルは
主張して
AI自体が
人間の知能を超えるのは
2029年です
っていう2007年に
要するに22年後です
去年彼新しい本を出して
シンギラリティーズ・ニアラー
っていうより近くなった
でも今の僕らは
人工知能が
人間よりも賢くなります
2029年っていうのを
多分そうかもみたいな
2007年時点では
お前何言ってんだぐらい
ちょっとチェスで勝ったぐらいで
そんな深すんじゃないぐらいに
しか思われてなかったんですけれども
逆に今レイカー・ツワイルは
ある種ドヤ顔じゃないけど
いや俺の計算通りみたいな
だから2029年も来るし
2030年も来るよ
みたいな話なんですよ
でもまあ
ひるがえって考えると
ワイヤードでよく言うのが
よく考える思考法が
2100年から見たらみたいな
考え方するんですね
僕よく言うのは
2100年に歴史の教科書があったら
多分その歴史の教科書には
人類がインターネットを使い始めたのは
パンデミックが起こってからだった
って書かれてるだろう
それはなぜかっていうと
僕らの世代だったら
インターネットって90年代からあって
ワイヤードってインターネット時代に
生まれたものなんだけれども
たぶん2100年に
暮らしてる人から見たら
いやでもなんかみんな
満員電車乗って通ってたりとか
その病原菌持ってるって
分かってながら
全員集まって病院に集まったりとか
なんか大切な意思決定を
物理的に集まれる人だけでやってたって
それインターネットなかったからですよね
って思う
だから昔
国死病があって
ルネッサンスが起こったみたいな
歴史の整理を僕らしてるのと同じように
未来の人は
2020年にパンデミックが起こって
それで人類はインターネットを
本当に使い始めたみたいな
要するに僕らはまだ助走の時代にしか生きてないんですよね
それAIも一緒で
たぶん2100年の人から見たら
俺らまだ多分
AIのことほぼ何も分かってない
使えてもないし分かってない
AIそんなもんじゃなかったっていう風に思えると思うんですけど
でもそこで大切なのが
そのAIってものを
ちゃんとエイリアンインテリジェンスとして
どう受け入れるのか
どういう風に僕ら人類として
それと相対していくのか
っていう問いが
今僕らにありますと
そう考えた時に
なんかさっきの話と
繋げていくと
クリストファー・マクドゥーガルの著作
その
ボーンティラン出たの2009年じゃないですか
ボーンティランも
じゃあメキシコの
コッパーキャニオンにタラウマラ族
っていう走る民族がいて
いわば僕らが
囲まれていたある種の
西洋近代社会っていうものの
外に出ることによって
外に目を向けることによって
その西洋近代社会の中にある
制度としてのランニングとか
制度としてのマラソンみたいなものを
壊して
一回自由になろうぜっていう
本だったんです
でもまあそれ
Like the Windの宮田さんが書いているように
それちょっとタラウマラ族利用しすぎ
だったんじゃないかっていうのは
あるにせよ
でもそれ多分西洋的な価値観と
常識に
凝り固まっていた自分たちにとっては
そういう
ある種のサウス的なものを
一回ぶち込まないと
その殻を破れないっていうのは
常に続いていて
でもそういう意味で言うと
Born to Learn クリストファー・マクドゥーガル
著者の人はそれで終わりじゃなくて
次に実はNatural Born Heroes
っていう本を書いていて
それも実は僕すごい好きで
それは
だからギリシャの
クレタ島っていうところに住んでいる人がいて
第二次世界大戦の時に
ヒトラーがクレタ島を
占領するぞと
イタリア同盟国か
いろいろちょっと占領したいんで
クレタ島に行くと
攻めると
3日間で占領できると思ってたんだけど
結局は3年経っても占領できてなかった
それはなぜかと言ったら
クレタにレジスタンスの人たちがいた
っていう話から始まるんですけど
根っこは一緒で
Born to Learn と
彼らは別に最新の器具も何もなかったのに
その
なんだろうな
元々の自然の知恵っていうもの
だから彼はメキシコから
今度は西洋のオリジンに戻ったわけですよね
ギリシャローマの
戻って
だから西洋近代が
おかしくて
西洋がおかしくて
カウンターパートの南がいいって話じゃなくて
西洋だって元はあったんだけど
お前ら忘れただけだろっていう話を
出すんですけれども
それがすごく
一つは深掘りしてるのもいいし
もう一つ良かったのは
ナチュラルムーブメントみたいなものを
そこでは出すんですよ
ただ走るとか食べるとかじゃなくて
パルクール
現代でいうパルクールみたいな
パルクール今度オリンピックで
種目になるのか分からないですけど
走るっていうのも
たぶん
ロードを走ってると
ほぼ規則的に
何なら左右のブレがほぼないフォームで
走ることが正しいし
笑顔をしないことの一番の近道だし
どっちか偏ってると
そっちに蓄積しちゃうから疲労とかが
だからめちゃくちゃ均等に
走りましょうっていうことをたぶん皆さん
ランギングクラブとか行くとやると思うんですけど
トレイルを走るとか
自然の中走るとか
パルクール全く逆で
目の前の岩を乗り越えるとか
木の枝が出てたらそこをくぐっていくとか
常に不規則で
決められたこともないし
誰にも習ったことのないムーブを
どんどんどんどんやっていくっていうのが
ナチュラルムーブメントだとすると
なんかそれを
もともとそれが染み付いてたのが
クレタのレジスタンスの人たちだったみたいな
話なんですね
僕すごい好きで
だからトレイル好きなんですけれども
全部
全身を使って走るっていうのは
でも
クリストファー・マクドゥーガルは
実は3作目っていうのを出していて
3部作なんですよ彼にとっては
なぜかというと翻訳が出てないからなんですね
僕も
抜けちゃった後に
本国で出たんですけど
それは翻訳されなかったんです
ドンキーと一緒に走るっていうテーマなんです
要するにロバ
ロバと一緒に走る話で
なんじゃそれって話なんです
なんじゃそれって話なんですけど
まさにロバって
意思疎通ができるようでできないんですよ
なんだけど
その
ドンキーと一緒に
走ってそこで
なんとかコミュニケーションを取って
そいつと一緒に走るって
どういうことかっていうことを
突き詰めた
それを綴った本なんですね
自然の知恵と運動
僕これこそが
ウェイズオブビーングそのものの話で
人間以外の知性と一緒に
生きるっていう意味では
一番大切な本
これなんじゃないかと思ってます
それが翻訳されなかったら
すごい残念なんですよね
英語だと2019年に出てるみたいですね
だからコロナの直前ぐらい
そうなんですよ
ワイヤード行っちゃってからなんですよ
AIとかいろんな
ランギングウィズシャーマン
シャーマンっていう名前の
ロバなんですよ
2019年でコロナの直前ぐらいで
コロナ終わって
AIの今こういう風になってますけど
それよりちょっと前ぐらいに
自分以外の知性と
共にいること
走ることはどういうことかっていうのを
実は書いていたという
翻訳をされてないけど
AIと一緒に走りたかったら
この本読むのが多分一番
一番いい
そこにレッスンがすべて収まってる
思ったことあったね
ちょっとこれ合ってるかわかんないんですけど
聞きたいんですけど
今流行ってるアニメ漫画で
ファンタジー漫画っていうのがあって
あれは人間と普通に
宇宙人とお化けも出てきて
一緒になって戦ったりするんですよ
普通にお化けと住むことが
当たり前の日常だし
宇宙人と住むことが当たり前の日常として
ファンタジーなんでアニメとか漫画なんで
書かれてて
でも結構今流行ってるじゃないですか
あれが流行ってるのを見たときに
私は
日本人として
この漫画私も好きなんですけど
普通にお化けがいること
普通にエイリアンと住むことが
より受け入れやすいんじゃないかなってずっと思ってて
今の
人間以外の知性を受け入れていく
っていう意味でいうと
私たちってそういうのを受け入れるの得意なんじゃない
とかって思ってるんですけど
どう思いますか
僕もそう思います
すごい思います
この前茨ノアハラリにインタビューしてたときも
彼は歴史家なんで
結構宗教を引っ張ってくるんですよ
彼は
イスラエルはユダヤ教なんで
やっぱりすごく
生活とかライフスタイルとか
資生観とか世界観が宗教にもともと
すごい根差してるところなんで
余計そうなんですけれども
だいたいその歴史を
今回情報の歴史とか
AIの歴史を書くときに
宗教を引っ張ってくる
それが一神教なんですね
ユダヤ教とかキリスト教とか
だから今回
話したときに
それに対して
日本とかアジアっていうのは
もっと自然崇拝があったりとか
アニミズムみたいな
ヤオロズの神みたいに
様々なところに神がいて
神社とかって
岩とか山とか
そもそも神様ですみたいな話だし
例えば
自分とは違う知性みたいなものが
あっても
違和感ないっていうか
全然受け入れちゃうっていう
もともとあって
自分には理解不能なものが
あったときに
昔だったらそれを妖怪みたいなものにして
理解しようとしたわけですね
妖怪ってまさに
凶悪な月子の世界だけど
あれって人間がなんとか認知できないものを
認知しようとすることの一つの形が
そういうものだったりとかするんで
そうなんですよ
いわれのアハエリ自体も
宗教の
宗教っていうものが
あなたの生活とか
人生観とかライフスタイルを
規定しているとすると
宗教の違いってきっと
AIをこれから受け止めていく違いにも
影響するって言っていて
だとすると
西洋ってどちらかというと
結構
ターミネーターとかそういう
感受性でAIを捉えて
AIに支配されるみたいな
すぐなるんですけど
僕らは基本的に機械的なものって
鉄腕アトムだとか
ドラえもんだとか
人間を
助けてくれたりとか
人間の友達だったりするっていう
AIとこれから
付き合っていく上では結構
逆にアドバンテージあるんじゃないかなっていうのは
思ってるんですよね
去年か
一昨年くらい映画で
クリエイターっていうのがあって
これは
イギリスの監督の方が作ってるんだけれども
西洋社会では
AIが
禁止されてるんですね
一回AIがちょっと暴走したかなんかで
核爆弾が落ちちゃって
やっぱりそのAI危険だから
AIロボットみたいなのは
やめよう禁止
でもアジアでは
AIロボットが
一族の一員になってるんですよ
農村とかでも別に人間とAIが
一緒に暮らしてるんですね
でも
アメリカとかの連合は
あれ危険だと
アジアの人たち
AIと一緒に暮らしちゃってるけど
いつ暴走したりとか
いつ何か人間を支配しちゃうか
わかんないから
あれやめさせなきゃいけないつって
最後ベトナム戦争みたいな話になって
もうガンガンアジアに
攻め込む話なんですけど
なんか
そのぐらい
それちょっと劇画調なんですけど
西欧とアジアでの
受け止め方の違い
だいぶ違うってことですね
確かに確かに
すごく強いロボットみたいな
イメージじゃないものが実は
日本とかアジアにはあるかもしれない
アイボとかも変え方ですもんね
まさにソニーだからね
ありますもんね
AIとの共存
もうひとひねりだけすると
でも
人間と
違う知性を理解するっていうときに
それが
理解するってことが
最終的には言葉を交わしたりして
理解しあえるっていう意味での
理解なのか
結局は分かり合えないけど共存する
っていうことを受け止めるのか
っていうのはまたちょっとレベル感が違うじゃないですか
これもちょっとうろ覚えで間違ってたら
ごめんなさいなんですけど
哲学者のビトゲンシュタインっていう人が
もし
ライオンの言葉を人間が理解できたとしても
ライオンが話している言葉を
理解できたとしても
何を言っているか分からないだろう
っていうことを言っているんです
どういうことかっていうと
環世界の理解
要するに僕らが生きている環世界みたいなものが
あって一人一人が
自分たちは今
同じ人間っていう人たちと相対していて
ここには机があって
太陽が昇っているから今明るいみたいに
こうやって世界を理解しているけれども
もしかしたらライオンの理解の仕方が
全く違うかもしれない
そもそも同じライオンのことをライオンと
思っていないかもしれないし
わからないですけど猫科のやつだけが
生命だと思っているかもしれないし
だからどういう風に
世界を了解しているかっていうこと自体が
全く違うときに
そもそも
違う環世界同士でどこまで
理解できるのかってこと自体も分かっていない
だから今それこそAIで
クジラの
言語を解読しようとか
これから人間だけじゃなくて
動物のペットと話せるようにする
みたいなすごい進んでいるけれども
もしかしたら表面的には
今うちの猫
ご機嫌ななめとかそういうことを
分かっても
どこまでその環世界みたいなものを
理解し合えているのかっていうのは
多分ちょっとまた
次元の違う話なのかな
そうですね
国立科学博物館で
ちょっと前までやってた鳥の
鳥展って面白かったのが
鳥のその視覚
鳥がどういう風に世界を
認知しているかっていう
我々パッと見たら俯瞰的に
見えて何となく
前景は記憶するんだけど
詳細分かんないじゃないですか
鳥って前景を見ているようで
全部分割してピクセルで全部覚えるんです
だから実は
覚えてるんだけど細部しか覚えてない
だから前景が実は
見てなくて
だからすごく記憶力が良くて何万キロも
飛んでいけるとかは
鳥の認知ってそういうことだったりするらしいので
やっぱり世界の
見るっていうことだけでもだいぶやっぱり違う
とすると今おっしゃったような
猫科
猫科の環世界と
虎同士も違うかもしれないし
とかっていうのはやっぱりもうだいぶ
初層入り乱れて
違いそうなことはありそうだな
っていうのはありますよねやっぱり
すみませんすごい人間の話ですけど
私わかめとか昆布大好きなんですよ
海藻が
で私はアメリカに
行った時に私わかめが好きなんだよね
って言ってそれ翻訳すると
シービードなんですよ
昆布が好きなんだよねって時も
シービードなんですよ
お刺身のみたいな
海藻は全部海藻だみたいな世界は
間違えて捕らわれちゃうかもしれないですけど
でも世界の味方だなっていうのは
すごい感じました
まさにまさに鋭いです
そういうこういろんな
レイヤーがすごくいっぱい
あるんだろうな
っていうことが
ちょっと今日話しただけでも想像でき
てしまうというなんと
広大な
そこを走り抜けようってことですかね
認知の多様性
裸足で
なるほど
改めて
今日はいろいろと
読書会から始まっていろんなお話を
していただいたんですけど
またなんか
じっくりと
連作で
松島さんの語る
漢世界を
教えていただいて
ぜひまた鎌倉にも遊びに来てください
みんなで突然行くと松島さん
家にいらっしゃると会えると思うので
突然行って会えたんで
これからが一番季節いいですからね
そうですねやっぱり天気も
良くなっていろんな
世界の彩りと言うと
モネの絵みたいだけど
いろいろと輝いていてほしいな
という願いとともに
いったん今日のゲストの
会でございました
ありがとうございました
ありがとうございます
01:15:42

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