そうですね。ブレイクショットの奇跡っていうのは、実はこの内容を語るのが意外と難しい小説でもあって、
書店でデカいポスターをご覧になった方はわかるかと思うんですけど、大絶賛のコメントをいただいてるんだけど、よーく読むと何言ってるのかよくわかんないって思われた方がいると思います。
結局どういう話なんだっていう。
簡単に説明すると、冒頭からある車を製造してる場面から始まる。
そして1台の車があっち行ったりこっち行ったりするのと同時に小説の内容も変わっていく。
描かれる人物たちというのは車に関わる人たちなんですけれども、それを通じてある1台の車の変遷を人生のように捉えることによって、
社会の、それは日本にとどまらないわけですけれども、様々な断面を見ていく。そういったようなものだと捉えていただければいいかと思います。
ありがとうございます。本編に入る前に、まずこの想定がね、今回の想定家の河野淳さんにデザインしていただいていると思うんですけど、
河野淳さんといえば、あいさかさんも交流がある佐藤貴山さんがね、やっぱり河野さんの想定をされていて、
こないだこの番組でゲストに出てた時もその辺の話も伺っていたんですけども、ぜひ聞きたいんですけども、
貴山さんは想定を河野さんに渡す時にプレイリストを渡すと。
彼はね、結構音からって言っていたんですけど、あいさかさんの場合どういう感じでオーダーをされたんでしょう?
今回河野さんとお仕事するのは初めてだったんですけれども、基本的にはオーダーを受け付けるタイプではないというふうに伺ったんですね。
ユキシタさんの時はいろんな打ち合わせを経てだったんですけど、私の方から特に何も申し上げずにお願いするってなってから、
ゲラが河野さんのところへ行って、そして出てきたデータが基本的にはこれっていう、そういったところでした。
じゃあ、あいさかさんの原稿というか、それを読んでいただいて、割と自由にやってみてくださいっていう感じ?
そうですね。ラフの案が出てきた時に若干2、3意見を申し述べたことがありますけども、それ以外は基本的には河野さんにお任せするという形。
2、3意見をお出しした時に既に基本的なイメージはこの調子だった。少しコントラストが違ったんで、そこだけ変わりました。
上がってきたもの、そして今完成している河野さんの想定ありますけど、これに関して何て言うんでしょう。河野さんとあいさかさんに直接やり取りがあったかわかりませんけど、
何て言うんでしょう。これはこういうものなんですよって言語で彼から説明とかそういうものは特にはやっぱりない?
一度もなかったですね。でもなかったんだけど、何を言わんとしているのかがすぐにわかったので、写っている人物のようなものは何者であるのかとか、
なんでこういう構図ってこういう色なのかっていうのがすぐわかったんで、そこはやっぱりお任せしてよかったなと思ったんですね。
表面にいるのが、これ人間じゃないんですけど実は、
羽がありますよね。
ほぼ見た人は多分何であるかっていうのがわかるんですけど、
それが中頃にこの人というか、人じゃないものに対する言及があって、
終わっていく。で、なんでちょっと虹色っぽいカラーが表面に出ているのかっていうのがすごくテーマに関わっている。
だからこれは受け取った時に思ったんですけど、
多分、初見でですね、パッと目に止まりやすくて、見ただけで多分かっこいいデザインだなというふうに思っていただけると思うんですね。
で、読んだ後にもう一回こうじーっと細部まで見ると、本当に隅々まで小説の内容に関わるものがデザインされている。
そういうものだなと思いましたね。だから本当にいいぞ、想定が。
ありがとうございます。実際にこの想定をまた、想画を撮ってもまたこの本の紙自体にも印刷されている。
非常にさすがカーネさんだなというふうに個人的にもちょっと思ったんですけども。
さあここで実際いよいよ本題に入っていきたいんですけど、このブレイクショットの奇跡について、冒頭でもご感想を述べさせていただいたんですけど、
とにかく緻密だなっていうところで、そこに迫りたいんですが、その前にやっぱりこのブレイクショットの奇跡の着想、
いつ何がきっかけでどんな形で生まれたのかっていうのを、プロット構成、キャラクター、設定、社会の状況とかいろいろあると思うんですけど、何から来たんでしょうね。
最初はですね、打ち合わせから始まりました。今まで過去2作本当に自由にやらせていただいて、それは本当にありがたかったんですけど、
ちょっとその3本目はですね、現代日本という大まかな方向だけを決めていて、
あとはちょっと人の意見を聞いてみるターンが欲しいなと思ったんですね。
そうでないとやっぱり自分が描きたいものっていうのが潜在的にもっといろいろあるのに、
自分の気持ちだけで描いちゃうとそれを見失ってしまうんじゃないかっていう。
それで今人に期待されているものっていうものを聞いてみようというところで、
お話を伺った早川職の皆さんの話を伺ったのが、2024年の2月の末頃であったかと思います。
その時にまさにここに今実はいらっしゃるんですけど、
塩沢さんと千代さんと、それからもう早川職にはいらっしゃらないんですけど、
別のプロモーション担当としてくれた方も参加だからですね、いろんなアイディアを聞いて、
それは例えば外国の戦争にある形で日本が関わっているっていうことを示せるような小説っていうようなお話。
それから短編連作風にそれぞれがつながっていく話はどうだっていう話。
それからもう一つは善悪の淡いをいくものっていうような、そういうようなお話だったんです。
それっていうのは多分それぞれ別々の成果物のようなものを想定されてお話しされたのかもしれないんですけど、
これ全部できるんじゃないかなっていうふうにふと思った。
全部できるっていうからには何かその中心を貫くガジェットが必要だ。
あるこの日本の社会構造というか改装化された現代日本みたいなものから始まって、
ついに日本って国境も越えてどっかへ行く何かっていうのが必要だっていうふうに考えたときに、
それはたぶん日本の場合は車だっていうふうにその日の夜ぐらいに考えたんですね。
家に持ち帰っていろいろプロットを組んでいって、
ストーリーという意味では物事の最初から最後まで、
小説で描かれる時間の最初から最後までっていうものは大体1ヶ月ぐらいかけて考えていた。
最後に残ったのはいかにして語るかっていうことなんですね。
普通に順番通りに話していくっていうこともできるし、少しあちこち入れ替えるっていうこともできる。
ただあちこち入れ替えていくと読んでるほうが混乱するかもしれないなって思ってた。
最後に決めたのは、きっかけとして決まったのはですね、
どういう具合だったか忘れたんですけど、早川諸法がオッペンハイマーの原作の本を出してるからか。
それでマスコミ向け先行試写会に僕も行けたんですね。
で、見たときにシャッフルしようというふうに最後の方で思った。
クリストファー・ノーランがここまであちこちを入れ替えてくれるんであれば大丈夫だと。
特に最初に読んだ方、この小説について読んだ方はですね、
突然出てくる中央アフリカ共和国の話は一体これはなんだっていうふうに思われるかもしれない。
でもなんだって思われたとしても、最後まで読んでいった時にちゃんとわかればそれでいいと思った。
あれを普通に時間の順番に語っていくとだいぶ浮いたパートが突然出てくるのも、それはそれで違和感があるはずだっていう。
それにもっと言えば、中央アフリカの内戦状態の地域に生きてる少年兵であれ、
あれは日本の冬装であれ、サッカー少年であれ、同じ一つの世界に生きてるってことを示すっていう時に、
やっぱり単に車の変遷によってどっかに行くっていうだけじゃなくて、
差し込まれるようにして、他の主人公たちが生きているのと同じように断証化されて差し込まれている方が、
同じ世界を生きているんだけれども、全く違う前提で生きている人たちの話がむしろ先列に伝わるんじゃないかなと思って、最後にこういう構成になった。
なるほどね。ありがとうございます。今、中央アフリカの話もありましたけど、
その会議があり、そしてそのシャッフルがありっていうのはやっぱり裏話で非常に面白かったんですけど、
なんか率直に僕、今回思ったのはですね、前回のインタビューを改めて自分で拝聴させていただいて、
やっぱり当時はやっぱり同志少女へと行けるというのは、現実が追っかけてきたというか、
それで藍坂さん自身が寝込んだっておっしゃってて、やっぱり相当心を痛めていたっていうのはやっぱり言わずの罠だと思うんですけど、
その後、歌われなかった海賊への時はあえて少しフィクションというか、話したみたいに何かのインタビューであったと思うんですけど、
まさき現代日本、そして当然ね、現実っていうのはあると思うんですけど、でもそういう意味ではさらに3作目では現実を離れさせるようにちょっとさらに考えられたのかな、
でもとはいえさっきの話でやはり紛争があったと思うんで、その辺のバランスと感覚というのはどういう感じだったの?
どういうふうに語ったとしても、たぶん世の中に戦争があるっていうこと、現実から自分の問題意識っていうのは乖離できない、
こういうふうにある程度の厚さを持って、特に今申し上げたように世界を横断してみていくっていうテーマを持ったならば、
たぶんそれは戦争を行っていない国だけで完結するものじゃないっていうテーマが出てくるわけですね。
ただとはいえ今までのテイストとちょっと違うのは、明確に少しいろんなタッチを変えてみたいって思ったんですね。
それはただ素材の取り方を変えるというだけじゃなくて、語る温度みたいなものを変えてみたい。
ある企画があって歌われなかった海賊へっていうのを、自分の構成がどうなってるのかっていうのをちょっとパラパラ見返してみたんです。
あの小説って自分でももちろん気に入ってるし、ありがたいことに山田風太郎賞のノミネートにもなったし、
出してよかったなって思ってるんだけど、なんかね、今振り返ってみるとものすごく悲壮感が漂ってるんですね。
必要以上に。たぶん自分の、それは姿勢がそういうものになってたから。
なんでそうなってたかというと、結局その同志少女を出した後に本当の戦争が始まっちゃった。
それに対して自分は戦争を語りきれてないっていう問題意識から出発してたから。
そういう気持ちがすごくすごくいろんなところに前面に出てて、やっぱりやり残したこともいろいろあるなってことに気づいたんです。
エンターテイメントとして戦争を語るっていう温度として、もう一回ちょっと自分の作風ってものを捉え直してみよう。
だから今回は少し温度を上げてみたい。
そうでないと、今まで読んでくれた人以外のところにも届かなくなっちゃうかもしれないし、それより何より自分が楽しくない。
それでテイストも文体も、撮ってくる素材もだいぶ変えた。それが違いだと思います。
ありがとうございます。そしてね、先ほどプロットの話もありましたけど、もうちょっと伺いたいんですけど、やっぱり1万ピースか10万ピースかわかりませんけど、
本当に全部、すべて無駄がないなっていうところから考えると。
でもそれでいて当然エンターテイメントとしても最高っていう。
なんて言うんでしょう。
どれ一つも欠けても成立しないこの構成というか設計っていうのはどういう感じでできたのか。
つまり最初から100%1万ピースのパズル全部、
あいさかさんが出したのか、細かい抽象的なシフト。それから当然90%くらいあって、やりながら揃えて。
僕は常にプロット組んで書くタイプではあるんですけれども、
だいたいいつも最初から最後まで決めているものを提出してから最後に取り掛かるんですね。
今回プロットがだいぶ長くなっちゃって、確かプロットだけで2万字を超えていた。
これはもうこういう小説じゃないのって言われたんだけど、
そこに最初から最後まで構成も含めて全部ピシッと書いて終わったんです。
ただこれもやっぱり自分の小説によくあることなんだけど、その通りにいくことってあんまりないんです実は書いていくと。
今回はそのバランスが本当にいい具合に9対1ぐらいで、予定通りいくのが9割で、1割が脱線しまくり。
例えば冒頭も冒頭にバーレインボーの漁師の中でですね、ラッパーが出てくるんですけど、
あれプロットの中では普通にミュージシャンが出てきて、マイクパフォーマンスの時にちょっとひと揉めすることを言っちゃうっていうぐらいだったんです。
ところが書いてたらラッパーが出てきた。ラッパーが出るからにはラップをしてくんないといけないんだけど、僕はラップが作れないので、
前聴いてた曲とか色々聴いて、即興でやる時の韻の踏み方とか一生懸命勉強してからパパパッと書いてた。
あるいはまあ最大の脱線ポイントはそのブレイクショットっていう写真名およびそのビリヤード要素が全てアドリブで出てきたっていうところ。
このタイトル本当にこれで良かったなというふうに思ったけど、実はそれに関わる部分は全て原稿に取り組んだ出てきちゃったんです。
じゃあ意外とそういう意味での根幹っていうのは後からみたいなところがあるってことですね、結果的に。
そうですね、ストーリー何を根幹と捉えるかによるんですけど、ストーリーラインは何も変わってないんですね、ある意味で。
ただまあそれが結局一体自分は何のテーマを書いてるのかっていうのを原稿に入った段階で発見するっていう瞬間があった。
よく覚えてるんですけども、書いてる最中に、僕はもう最初から最後まで、頭から最後までっていう順番で書くんですけど、こういう断章化されたものがあったとしても。
この場合は、ある二人がね、バーに向かったところにビリヤードの台が出てきて、で、なんか違くありげなマスターが出てきたって。
これも予定になかったんですね。で、なんでここでビリヤード出したんだっけなっていうことを考えた。
ていうか、ビリヤードが出てきちゃったんだけどこれなんだっけって思っていろいろ考えてたら、最初にスパーンって打つやつをブレイクショットって言ったような気がするっていうふうにふと思い出して。
で、そこからあれこれ考えてみればブレイクショットが写真名の方がいいし、なかったらテーマもブレイクショットなんじゃないかっていう。
最初何か一つのきっかけから連鎖していろんな物事が動いていく。その動きを果たして追うことはできるのか。
そしてブレイクショットという車種が車がどこへ行ったのかっていうことを追っていく物語でもある。
だから車種名、タイトルが決まると同時にですね、テーマがもう一回再発見された。