おお・・・・
9月か7月に、2回ぐらいやってる月があるんですよね。
はい。
だから、ちょうどなんとか、
なんとか行けましたね。
fert iciがありましたので、はい。
はい。
今日も最後まで聴いてくださいと、はい。
うん
はい。
でちょっとプレイリストをかけながら行き ましょうかそうですねいつも通りで
ライクザウィンドの日本版の07号が出まして 大変いろんな方々に
助けていただいてと予約でたんですけど いつもの通りなぎらさんの音楽ライターの
なぎらさんのプレイリストが載ってるんです けどそれをかけながら spotify で
やりましょうで雑誌買うとプレイリストがあの qr コードがあるのでみんなも聞きながら
年末年始過ごせるといいかなという感じですねで秋と冬をテーマに曲を選んで くれているので
えっと季節ごとにまた過去のプレイリストも季節ごとにこう 聞けるようになっていると思うのではい今回のプレイリストのテーマが秋と冬ですか
そうですねで17曲あって えっとトータルだと
1時間ぐらいなのかなあの聞いてもらえるといいですかね僕もね ちゃんと聞くのが実は初めてではい
どんな曲が流れるんだろうと思いながらあの 今日は話しましょうそうですねちょっとこう家にこもりたくなるような曲ですね
そうですね家の主催にこもりたくなる感じの そうですね
なんかいつも穏やかな曲が多くて 裏さんのプレイリストってでランニングとか
夏とか秋とか季節のテーマで選んでくださいってお願いをしてるんですけど あのあんまりこうすごい
えっとテンションが上がりすぎるようなものとかではなくて あのすごく実は穏やかな曲がすごく多いのであの
それがなぜなのかっていうのはなぎださんご自身がコラムに書いてくれてるんです けどあの
結構ねいつも新しい発見があって いいなぁと思って聞いてますね
ということで今日はどうしましょうどっからいきましょうか どこからいきましょうか今日は
まず 1年簡単に振り返りますか年末なので
年末なので1年分 どっからいくかちょっと回数まで話さないと長くなっちゃうねそうですねあの本当にいろんな人に助けていただいて
雑誌は本当にいくつも3つ 出していてで本は来年に向けていくつかすでに取り掛かっているものがあるんです
けどあの 大変大変いろんな人に助けてもらって今作ってきましたし
で作るだけじゃなくて今年は特にあの 実際にみんなに会う機会が多かったっていうのはすごく
いつもより増して思いますねそうですねイベントというかトークセッションとか あの読書とランニングの会というのもかなり定期的に今年は池尻大橋の
ネーバーズスポーツクラブでもやりましたし あとは三島のヨットですね行ったりとかまぁ京都の成功者もいつものごとく
あのやりましたし本当に数えるとどれぐらいだろう あとノースフェイスの京都店でザックミラーのトークセッションとか
あとは 自然観察書店でトークセッションとか
はいあの本当にいろんなところで やってですね
なんだろうな数えると なんか20回ぐらい行ったのかな
感じですねだから毎月毎月本当にいろんなところに あの
行ってはい みんなに会ったり喋ったりっていうのは特に多かったですね確かに楽しかったって
楽しかったですねあの実際にこう読書とランニングの会でも いつもポッドキャスト聞いてますみたいな声をもらう機会がすごく多かったです
実際にお会いしてですよねポッドキャストやられてたんですねみたいな なんか本当に聞いてくれてるとか
読んでくれてるとかライクザウィンド知ってるとか読んだことあるとか 読んでみたいとかあのそういうふうに言ってくれる人もすごく多かったので
あの良かったですねそうですね初めて皆さんのお顔をたくさん見れた 年っていう感じがしますねそうですね
であとは えっと大会松田屋書店でえっと
スタンダードっていうコーヒーの雑誌とあとはえっとみんな知ってるブルータスと ライクザウィンドで全然違うそれぞれ雑誌なんですけど
全然違う雑誌なんですけど その雑誌を見ることができるようになったりとか
集まって話をしたりとかっていう全然あのランニングに関わらず あのいろんな
横断的にというとよくある言葉ですけど そんなようなお話をする機会もあったりしてすごく楽しかったですね
あのどういうところに行ったんですかそうですねあの昔は結構日本の中 まあ海外も行ったりしてたんですけど日本のレースいろんなとこ行きたいと思っていろんな
ところに行ってた時期もあるんですけど あの
今年は例えばグランカナリア諸島とか グランカナリア諸島アフリカのすぐ横のアフリカ大陸にまだ相変わらず上陸できてないんですけど
アフリカ大陸のすぐ横にあるスペイン寮の島があるんですけど そこに行ったりとかまあ毎年のそのフランスのシャモニーとか行ったりとかパリに行ったりとか
えっと台湾ですね台湾に行ったりとか台湾はね結局3回今年は3回
日本に行って台北のアートブックフェアに出て本屋さんとか台北のラーニングクルーと走ったりとかっていうことをやったりとかして結構ね実は海外も含めて本当にいろんな人に会うっていうのが多かったですね
良かったなと思います
実際にこう会う機会が多かった年は実際に会ってみてこう思うこととかこれが違ったなぁみたいなことってあったんですか
なんかやっぱりこう実際に話ができるっていうのはすごくあのどこ行ってもいいなっていうのは思いましたね
一人で読書するっていうのも大好きなんですけど小説読んだりとかだけどそれについてどう思ったっていう違う感想を言ってくれる人がいたりとか
同じ感想だったらそうだよねって共感もするし
違う感想だったらそうだったのかって思うしっていうそのある一つの言葉をめぐっていろんな言葉がさらに交わされていくっていう
対話は対話というか
ダイアログですよねっていうのはもうずっと続いていくっていうことなんだなっていうのを結構身をもって
わかりましたね改めて
あと東北に行ったりLike the Windの集会で
なのですごく言葉に言葉が重なっていくという
実感を持ってやるというのは非常にありましたね
なんかニュースレターとか
ソーシャルとかいろんなことももちろんやってるんですけど
ある時点で自分の実感を超えた
効果が出てしまうというと語弊があるんですけど
例えばボタンを一つ押すと
一気に自分がやってないんだけど一気に広まるっていうことってその自分のサイズっていうのをある意味ものすごく
テクノロジーを介して超えていくっていういい面悪い面はあると思うんですけど
っていうそのドキドキ感とか迫力っていうのはもちろんありつつも
自分の手がかりになるものを手繰り寄せながらやっていく実感っていうのも
改めてすごく思う1年だったかなと思いますね
でも実感って言葉がすごくピンときますよね
自分サイズってこともそうですけど
実際に手で触れるもの感覚があるものっていうものって
そうですねやっぱりごまかしようがないというのはすごくありますね
何というか忘れない体験にもなるし
ただ自分のサイズを超えたことだとやっぱり覚えきれない忘れちゃうっていうこともあると思うんですけど
そこにはある確信と手触りが確実にあって
それを一回体験するとなかなかそれってやっぱり記憶にもなるし消えないし
繋がり続けていくっていうそれがずっと続いていくってことはやっぱりその一瞬だけではなくて
ずっと時代の中にその感触が残り続けるっていうことだと思うので
割と今の世の中でリアルな体験が必要とかいろんなそういうことはもちろんあるんですけど
それを本当に実際にやってみるっていうのはやっぱりだいぶ違うことだなっていうのは思いましたね
パリのパンがおいしかったとかそういうところまで
そういうところまで含めてですね
読書会で一緒に食べたカレーとかそういうことも含めて
そうですね
だから本当にどっかに行って体験をするっていうことは非常にあるなっていうのは思いましたね
ただ逆にどっかに行けない場合とか
例えば夏のレースでちょっと怪我したんですけど
その後あんまり走れなくて
なかなかどっかにランニングしてどっかに行くっていうことがままならなかったんですけど
逆にそれはそれでできないことっていう
止まってなきゃいけないことっていう時間も世の中にあるんだなっていうのもよくわかりましたし
ただ物理的に止まっててもやっぱり頭はずっと考え続けてたりとか
物理的には止まってるけど何かは絶対動き続けてるんだなということもちょっとわかったりとかして
完全に止まることってあるのかどうかっていうのもちょっと考えたりはしましたけどね
だからどこにも物理的に別にどこにも行ってなくても何か動き続けてることっていうのもきっと
本読んでたりするとあるし
考えたり思考を巡らせてるっていうこと自体がきっとそういうことかもしれないなと思ったりとかして
そうですね
たとえば動きっていうのって本当に止まってても動いてるし物理的に動いてても動いてるしっていう
何かが常に動き続けてるっていう中にいるのかもしれないというまた抽象的な話
結構抽象的な話になっちゃいましたけど
そんなようなことをつらつらと考えたりして
そういうタイミングイベントも通していろいろ考えさせられますね
なのでいろいろ言葉を通してダイアログを通していろんなことが分かったり分かんなかったり
いろいろうまくいかないことももちろんいっぱいあったんですけどね
そっちの思い出しちゃうとそっちの分量多くなりそうですね
それはありますよね
大変なこととかちょっとつらいなみたいな時間とか怪我したりとかね
しながらもあるという
みんなよくあるかもしれないので
うまくいかないことって終わったら生産できてますか
それともこの今の年末にまで残り続けてますか
時間ってすごいなとは思いましたね
何かあってそれが例えばいいことつらいことだったとしても
その瞬間っていいかつらいかって感じると思うんですけど
ずっと時間が経っていくと良かったと思ってたはずのことも
実は何か物足りないと思い始めちゃったりとか
あとは辛かったなって思ったりしてたことも
実は何か次はそうじゃないふうにやってみようっていうふうに
何か違う次につながっていったりするとか
そうすると別に悪いことだったんじゃないなって
だんだん思い始められるようになったりとか
結構変わっていくというか変容していくこと
そういうのはあるんだなっていうのはまた改めて思いましたね
結局いいふうに何かしていきたいっていう風な
エネルギーがきっとあるんじゃないかなって思いましたね
だから何かあっても時間とともに思い直していくと
あれはあれで良かったんだって思いながら
思えて次につながっていったりすることもきっとあるんだなっていうのは
思いましたね
抽象的な話を一生懸命白筆してるけど
年末だからかな
まとめようとすると
無理矢理まとめようとするといかんなと
そうなりますよね
そんなような感じでしたけどどうでしたか1年は
1年ですか
1年改めて振り返ってみると何があったっけっていうのはまず覚えてないんで
一生懸命携帯の画像フォルダを遡って
写真から私は思い返したんですけど
今年に関しては結構いろんな場所に行ったりだとか
違う場所とか業界国の方と関わることが多かったとしたなって思って
個人的にも日本国内に例えば香川に行ったりだとか
強制的に自分を休みにして海辺に旅に出てみるとか
バスの旅に出てみるみたいなこともしたんですけど
自分のやってる今その映像の業界でもインドの監督と
お仕事することがあったりだとかインド映画に出たりだとか
あとその生配信を通して
言葉で生放送で
言葉を伝えていくそれでそれがエンターテインメントになる業界っていうのに深く入ったんで
今までやったことをスキルを高めますとかこれを貫いていきますよりも
いろんな場所業界に触れた年でした
なるほど
インドの県にもなんかやってたんですね
インド出身でアメリカの映画を撮られてる監督とかと出会う機会があったり
それもなんかひょんなことなんですけど
自分が頑張って出したオーディション動画とかではなくて
たまたまYouTubeに上がってた塩ヒガリで一生懸命会話を撮ってる動画を見て君いいねってなってくれるみたいな
そういう自分が意図しないところからの繋がりがあって
それはなかなか面白い繋がりですね
思いましただから自分がコントロールできる範囲で起こったことが意外と何かに繋がっていくということがあった年でしたね
当たり前かもしれないですけどなんかやってると次に繋がるということは何かとありますもんね
そうですねでも今までってこれのためにこれを繋げるとか
自分で私は考えている範囲で繋げようとしてきたんで
なるほどなそういうのも何か意図してないけどっていう瞬間はありますね
今年すごくよく思うのはもう半分以上はコントロールできない感覚
狙っていろんな準備をしてその通りに行くことの方がむしろ難しくて
半分以上ぐらいはうまく繋がっていけないというか
中途半端というと語弊があるんですけどそういう存在のような感覚はすごく何かありましたね
そういう存在ってどういうことですかちょっと分かってないかも
例えば本を読んでくれた人が全然違うわけですよね
作り手の意図と相手が受け取った解釈とを足して初めてひとつ
そうですね両方それはあるんだなと思いましたけどね
そんな感覚でおりますが
今年いろいろそんなことを考えつつずっとやってきて
今年の観光物の一番最新というかがLike the Windの075日本版ということで
2人で走ろうということで
12月24日発売で作りまして
これもちょっとまた不思議なというかね
1人でもなく大勢でもなく2人で走ろうっていうキーワードのもと
いろんな人のお話を集めてるんですけど今の話にすごく近くて
1人だと事故の探求みたいなのはそれでいいんですけど
1人じゃない世界っていうのがすぐ横にあるっていう
それが大勢になりすぎると大きすぎてわかんない
自分のサイズを超えてってしまって
例えば日本国民はとかって言った瞬間に
なかなかそれ言葉では言えるけどっていうね
大勢を表現する難しさっていうのがやっぱあると思うんですけど
なんか誰かのこと好きになったりとか
誰か亡くなった人のことを思ったりとか
おばあちゃんって昔ああだったなと思ったりとかって
やっぱり自分と誰かもう1人2人っていうことって結構実はすごく多いし
多いんだけどあんまりちゃんと語られてることってなさそうな気もしなくはないということで
ちょっと今回こういうテーマでやってみたんですけどね
このテーマにしようと思ったきっかけとかはあったんですか
きっかけはねやっぱり自分がシャイなので
あんまり大勢のことを一気に語れないというのはなんとなくあって
例えばコミュニティとかってそれはそれでわかるし
とても大切だしよくあるんですけど
それをパッと語るにはなかなか難しいことがいっぱいあるなって思ったんですね
パッと横の人のことを考えて語るっていうのはやりやすいし
具体的だしということで今回いろんな人にそういう言語をお願いしてやってみたっていう
その集積からある一つの今のコミュニティというか
ある層のことがわかればいいかなぐらいでちょっとやってみたっていう感じですかね
なるほどでもこのテーマを聞いて思ったのは
意外と自分のことは考えるし大きい単位でも考えるけど
二人って言ったとき二人っていう単位で考えること少なかったので
二人って考えたときに自分にとってのそのもう一人が意外と自分が想像してなかった
この人出てくるんだとかこの人のこと思い出すんだって
今いる人かもしれないし記憶の中にある人かもしれないんですけど
結構自分が選ぶもう一人がいろんな場所においても結構意外だったんで
なんか照れくさいです
その人を考えることが改めて近すぎて考えないかもしれないし
改めて語るにしては少し気恥ずかしいけどもっていう
そうですねだから意外と難しいし
ちゃんと考えることってもしかしたらあんまなかったかもなということはありますよね
というどっちかと言うと自分がっていう風になっちゃいがちじゃないですか
いろんなことが
なりがちです
反省を込めて
反省の意を込めて
でそれって結局割とこう
自分ファーストとか何とかファーストって多いんですけど最近世の中でも
だけどそういう風なことってやっぱりこうみんながどんどんそこだけになり始めるとやっぱり
それを多様と言っていいのかどうかもちょっと分かんなくなってくるというか
なので一旦その自分じゃなくて世界を見たときに
世界って広すぎるしよくわかんないし複雑すぎるし広大すぎるということがあるとしたら
パッともう一人のことを考えると全然違う風な視点が持てるんじゃないかというのはすごく思ったりして
2人だから喧嘩しちゃうっていうのもあるかもしれないですけどね
3人いた方が仲裁できるということがあるかもしれないんですけど
もうちょっとこう世界の側に立つというと言い過ぎなんだけど
別の場所に一歩立ってみるっていうことがやれるっていうのはいろんな意味で面白いかなということですね
でもこれで結構怖くてその自分とか一人の自分っていう人の存在なんか大したことないって言ってるのと一緒だから
結構勇気のいることでは実はあると思うんですよね
そうですよね両方正解ですもんね
自分という存在ちっぽけでありながら自分という存在は大切ですよね
そうなんですよだけどなんかこう個性的にならなきゃとか
自分は何をしたいんだとかって問い詰め始めちゃうと結構しんどくなるじゃないですか
個性とか言い始めすぎると
皆さん一度は通るんじゃないですか
一度は通りますね
なんかそれ言い始めると本当にこうなんかね一生懸命頑張って個性出してるつもりなんだけど別にそんなつきなみだしね
っていうその罠にはまってて大変なことになる
そこでこう一生懸命やり続けるっていうようなよくわかんない話になるのはそういうゲームから降りるってことですね
ゲームから降りるって言葉面白いですね
そうじゃない場所にいるんだっていう天の尺なのかな
天の尺だと思います
キヨさんがとかではなくてこういうことを考えることが好き考えたいと思う時点で
一回その今自分が乗ってるゲームを疑わなきゃいけないじゃないですか
その性格が悪いとかそういう意味ではなくて
今の乗ってるゲームを疑ってみるとか止まってみる降りてみるっていうのは
天の尺っていう意味でもあり自分が好きなものを本当に発見するっていう手かなと思いますけど
何かしらこう本当はこうありたいんだけどなって思ってる人にとっては
そういう視点もあると参考になるかもしれないなと思って
この表紙が印象的ですよね
一人の女性ランナーですか
海に向かって走ってる歩いてる絵ですけど
二人で走ろうっていう言葉が書いてあるんだけど写真は一人で
フィエルド・ハナさんっていう方なんですけど
海の方に向かってちょっと歩いてるような走り出しそうな姿のような写真になっていて
山田明さんが撮った写真で震災で流された地域の浜辺というかですね
東北の三陸の方のそこで撮った写真なんですが
これも一人で走ってるようでいて実はいろんな人の
ここで亡くなった方もいるし
まだここで暮らしてる人もいるんだけど何をもう一人として思い浮かべるかという意味で
ちょっと象徴的な写真だなということでこういう表紙に今回はしてみましたね
今回は内容としても震災のこととかそういったことも含まれているということですよね
そうですね結構いろいろ含まれているので
2026年で東日本の地震と津波から15年になるということで
そこを走るということはどういうことかとか
何を考えるのかっていうのは非常にある意味大きなことなので
SRS311っていう長いステージレースのプロデューサーの中尾さんですね
話を聞いたりとかそういう記憶をたどってその土地を進んでいくっていうことがどういう意味を持つかとか
いろんな話をここはここで聞いてきたんですけど
それもある意味2人で走ろうというテーマにも通じるということで今回表紙になってますね
あえてもう一人がいないからそのもう一人が物なのか人なのか出来事なのかって象徴的でいいですね
人によって違いますね
そうですねなんかね中尾さんプロデューサーの中尾さんとこのランナーの花さんと
あとは同じくランナーで救急隊員だった松村さんという3人お話を聞いたんですけど
それぞれやっぱり印象に残るお話をしてくれて本文にも出てくるんですけど
中尾さんの言葉で結構印象に残ったのが
震災が15年経って復興もある程度物理的には終わってるし
当時震災があった直後にボランティアとかで特に行ったことなくて今から何ができるんだろうって思ったりとか
今から例えば現地に行って意味があるのかとかって思う人もやっぱり多いと
僕もそれはそうで震災の時って僕東京にいてすごく揺れて帰るの大変だったんですけど
そこから長らくボランティアに行かなかったんですよね
なんとなく後ろめたい気持ちもあったりとか実際にその時の現場も見てないし
なんとなくそういう感覚もあったんですけど中尾さん曰く
だから今からやるんだっていうのをすごく言ってる人で
これだけ物理的なところが整って今から何をやるかっていうのが面白いし大事だし
それに尽きるんじゃないかっていうようなことで中尾さんは今からレースをやるっていう
いくつか何回かもちろんやってるんですけど
フルコースではこれからやるっていうのを今からやることに意味があるっていう
全く遅くないっていうのは中尾さんも言っててそうかってそれはちょっと新しいお話だなと思って聞いてましたけどね
松村さんが言ってたのは本当に救助活動とか例えばその後の復興の時期もずっと東北にいたりとかして
本当にいろんなことがあったと思うんですけどやっぱり海が綺麗って言うんですよね
明け方のその朝焼けそれはやっぱり綺麗だっていうようなことを言ってたりとかそれもやっぱり印象に残りましたし
結構思うところはいっぱいありましたね
ぜひ読んでもらいたい
そうですね皆さんに読んでもらいたいですね
花さんは当時香港に住んでて日本に移住してきて今日本に住まれてるんですけど
実際に後で震災の時は東北にはもちろんいなくて今日本にいて130キロのレースを走られたことがあるんですけど
やっぱり走ってるとすごくリアルにそれをわかる
なぜかっていうと走っててちょっと道の高いところに行くとそこからある地点から上は新しい家である地点から下は古かったりとか
要はそこまで津波が来たっていうのがその未だにわかるその場所の風景とか景色によって
それやっぱり行って走らないとわからないと思うんですけど
そういうことも含めていろんなことがやっぱり印象に残るっていうのはすごく言ってましたね
なので2人で走るっていうこと以上の本当にまだまだまだつかみきれないことがいっぱいあるんですけど
その一辺だけでもちょっと形にできてよかったかなと思いますので
これを読んでさらに皆さんがどういうふうに感じるのかとかどういうふうに走るのかっていうのが
これからつながっていくといいかなというその一つの石杖というと大げさですけど
ちょっと考えるきっかけになるといいなと思って
ある側面だけではあるんですけど
そんなようなストーリーから始まるGOですね
おー面白いですねきっとその3人の捉え方もそれぞれ違いますもんね
今どう見るかとかも
その3人のことを読んでどう思うですかね
他にも東北だけじゃなくて2人で走ろうっていうキーワードで本当にいろんな話がいっぱいいっぱい出てくるので
ぜひ目次も見ていただいて
アフリカとかニューヨークとか含めてたくさんあるので読んでほしいなと思いますが
東北の拍子に関連していると今の話はありますね
アフリカとニューヨークと一緒に行ったときに
自分の記憶と感触が一緒になっていくと思うので
15年経って集団的な記憶としてはああいうことあったよねとか
原発のことがあったよねとかいろんなことがあるんですけど
その中でもパッと2人っていうことを考えたときにそこのビーチを誰が走ってるんだろう
どういう人なんだろうって考えると
これはどうやって書けるかというのが
アフリカとニューヨークといったところで
作りましたので
全国の書店およびいろんなところでぜひ見てください
ナイクサウィンドゥ07ですね
07
各記事の個別の紹介はまたインスタグラムとかで
順番に出していきたいと思いますので
私の話はって思ってる人も 書いてくれた人の中にいるかもしれないですけど
ちゃんと覚えてますよ
ちゃんと覚えてますよ いろんな話が詰まってますね
順番に個別に紹介していくので
詳しくは皆さんもぜひ引き続き見てほしいですね
ということです
なんだっけ 長くなって話がいろいろなところに
一応1年振り返りましたけど
いろいろありすぎてちょっと
そうですね まだまだ振り返ると
ちょっと他にもいろんなことはあったんですけど
三島のヨットの読書会は
夜読書会で次の日の朝グループランニングだったんですけど
夜の雰囲気がすごく良くて
お店の中がオレンジ色の光で
ちょっと外から見ると
暗い中にお店が浮かんでるような
宇宙船のような
なんか灯台みたいな感じですね
そんなちょっとみんながそこにいて
そこで時間が過ぎてるっていう
雰囲気がすごく良かったですね
会いたい人にもいっぱいお会いできましたし
またやりたいですね
京都の成功者では
トークセッションいつもよくやってるんですけど
今回は上坊由紀さんのイラストレーションの作品も含めて
エキシビジョンということで
エキシビジョンやったのは初めてで
2週間にわたってずっとやったんですけど
そういう新しいことをやったりとか
本当にいろんなことがあって
良かったですね
なるほど
初めて
どうでしたか
他には
はるちゃんの方は
そんな感じですか
他にですか
ちょっとこれもしかしたら
後で話しようかもしれないですけど
映画作りを始めて
来年撮影予定なんですけど
初めて脚本を書いてみるとか
映画を見るんじゃなくて
映画の脚本を読んでみる
脚本から見てみるみたいなことを
結構やった年だったので
何ですかね
初めてだからこそ
結構強気にできる
初めてすぎるし
事前に情報も入れないようにしたんですよ
一度自分が書く前に
もちろんシナリオの教室とか
コースに通ってる監督さんとか
私の周りでもいらっしゃるんですけど
俳優から監督やりたい
脚本書きたいっていう人は
そういうコースに通う人もいるんですけど
ちょっと私は
変えちゃうかっていう
20%ぐらいの準備で
いっちゃおうかなと思ったんで
取っ掛かりだけ
そうです 取っ掛かり始めないと
すごくいろんなことが前に進んでいかないし
始まっちゃったら始まるんで
と思って書いてみたりだったんで
新しいことを
すごく何が怖いのか
何が間違ってるのかも分からずやるっていう経験ができて
それが脚本書くだったんですけど
すごく楽しかったです
それがうまくいくかどうかはね
まだわかんないですけど
じゃあまずは今年は脚本までまずはちょっとやって
脚本ですね
ショートドラマのチームとかも自分でやり始めたりしてるので
そっちの脚本も書いたりしてて
でも書けば書くほど
やっぱあの人こんなやっぱりうまい物語書いてたんだ
みたいなこともすごく分かるので
何が面白いのか何が具体的にすごいのかが
具体的に分かる年でした
そっかそっか
じゃあやってみるとやっぱり具体的に分かってくるっていうことなんですね
そうですね
なんか見てるだけってやっぱこう
面白いけど
あまり具体的になっていかないじゃないですか
距離が縮まらなかったり捉えられなかったり
やってみたら悔しいほど差が分かります
本当そうですね
なんか簡単そうに見えることの方が
実は難しいっていうのはありますよね
写真とかも本当に
例えば凝った写真とか色をものすごく反転させたりとかって
一見すごく煌びやかに見えたりする写真とかってすごく多いんですけど
それはそれでインパクトはあるし
そういうふうに撮っていくっていう効果も
もちろん場合によってはぴったりきたらあると思うんですけど
本当に例えばポートレートをきちっと撮るっていうのって
見る方はポートレートだなってパッと見て
それしか最初思わないかもしれないんですけど
実はそれを撮る技術とか撮ること自体も
実はものすごく本当に難しいし
その一瞬を何事もなかったように捉えきるっていうこと自体が
ものすごく実は難しいことなんだなっていうのもあるのと同じで
多分脚本とかもきっとあるんでしょうね
熟成させるかもしれないですけど
時間はやっぱりさっきも話してた通りで
パッと送ったりするときもあるんですよね
そういうときもあるんですか?
そういうときもあるんです
時間があることによって何かがちょっと変わっていって伝わるっていうことはありますよねきっとね
ちょっと時間が経って
時間が経つってことは絶対相手もこっち側も何かしらその時間の間
多少はちょっと考えたり思い返したりすることが何かしら意識の中にあるかもしれない
なんかちょっと気持ちにちょっと変化は多少は絶対生じるんだろうなと思いますけどね
あとあれな気がします
凝縮させなきゃいけない気がします
時間が空いたほうが
時間が空いたほうが
時間が空いたほうが
時間が空いたほうが
時間が空いたほうが
時間が空いたほうが
時間が空いたほうが
凝縮させなきゃいけない気がします
時間が空いたほうが
ずっとつながっているというときすぐに返すものっていつでも遅れるという意識の中での会話だから
結構その表層に浮かんでいるものでも遅れるんだけど
時間を空けたからこそ
本当にその分の自分の思いとか言葉の中でどれが自分の言いたいことなのかとか
どう受け取ってほしいのかを結構凝縮する気がするので
結構尊敬するんですよね
短い言葉でゆっくりなスピードの中でも思いを伝えることができる人の書き方
あれに憧れます
なるほどね
でも時間が乗っかっているというのはあるかもしれないですね
短くてももしかしたら長くてもそうかもしれないけど
間が空くもの
あえて言うけど遅いものには
時間の断片がいっぱい乗っかっているっていうのはありそうですよね
だからそれがちゃんと乗っかっていれば乗っかるほど重力があって
100年読み継がれたりする死になったりとか
そういうことはあるかもしれないですね
そうですね
ふわふわっと
なんだろうな
水やりするみたいに巻くようにあえてやる言葉もあるかもしれないですけど
時間が乗っかっていてある重力になっていることで
ずっと残るものはありそうですね
そういうのを考えると今思いました
昔の小説とかもまだに読まれているってことは
ずっと乗っかっているわけでしょ
それはすごいですよね
なるほど
なんだっけ
その本を作るときにどういうことを
言葉に関して本を作るときにどういうことを意識しているのか
意識しているかという
どう言えばいいんだろう
気をつけて
難しい
意識していることはきっとたぶんたくさんあるんですよね
本当に
例えば文字の大きさとか
そういう読みやすさとか
どれぐらい何ページになるんだろうかとかっていう
そういう技術的な物理的なことももちろんありますし
だけど一番思うのはやっぱり
対話になるだろうなって思うっていうのはすごくありますね
その本とか小説とかもそうですし
例えば本を翻訳していただいて作るときもそうですし
その対話っていうのはすごくやっぱり
言葉に関しては発生しやすいものかなっていうのは
すごく思っていて
翻訳の人がある言語のものを日本語にするっていうときに
著者はその本を例えば1年ぐらいかけて
もしくは10年とかかけて
原文で書いたとすると
それを翻訳するときにその翻訳の方って
同じぐらい時間おそらくかけるんですよね
1年かけて同じような著者と同じような体験をしながら
書き表そうとしたことを深い海の底に潜ってて
何かをつかむようにして日本語にしていくっていう作業を
ずっと繰り返すんですね
そうすると多分1年とか3年とかすぐ経っちゃう
そうするとそれってその翻訳の方が
著者の声をずっと聞いてるっていうことで
ずっと声を聞きながら
それを日本語に変換しようとしてるっていう作業っていうことになると思うんですけど
そうするとそれって結局
言葉が一つそこにあるっていうよりは
著者と翻訳家の間の対話がずっと続いてるっていうことだと思うので
言葉にするときに
それってやっぱり対話性と言うとちょっと大げさですけど
そういうことっていうのはすごく大きい
ずっと起き続けるんだろうなと思いますね
それが作品になって日本語で読んだときに
日本語で読んでる人が今度また
その世界の中に入ってくるっていうことになるので
またそのストーリーとか言葉の上に
別の人っていうのがそこに乗ってきて
その物語とか著者の書いてることと対話をすることになるので
そうするとやっぱり
作品とかっていうのはその固定的なものではなくて
言葉に何かしたっていうのがどんどん動いていくっていう前提で
本を作るっていう感覚はあって
雑誌の記事もそうかもしれないし
あらゆる言葉はそうかもしれないんですけど
そういうちょっと対話をしてるような感覚っていうのは
ずっとありますね
なるほど
きっとこの質問してくださった方は
どうしたら伝わるのかなって書いてるんで
伝えやすくなるためにっていう風な意味で
きっといろいろ考えられると思うんですけど
そうですね
さっきの話から言うとやっぱり受け取り
作り手が届けられるのっていうのが半分で
もう半分が相手で対話していくものだから
そうですね
本当にそのいろんな工夫はもちろんすごくあって
そういう文字の大きさとか見やすさとか
技術的なこともありますし
例えば言葉の選び方とか使い方とか漢字なのかとか
ひらがなとか
そういうのも例えば昔の翻訳ってやっぱりちょっと固くて
漢字が多くてっていうようなものはあったと思うんですけど
例えば現代語訳で新訳でいろんなものが出てる
もうちょっとやっぱり柔らかい言葉で書いてあったりとか
そういう言葉の選び方の技術とかやり方もあると思うんですけど
なのでいろんなすごくそういうものが
組み合わさった上で
そういう言葉の選び方とか
すごくそういうものが組み合わさった上で
そういう対話が続いていくっていうことなんだろうなと思いますけどね
なのですごくいろんな要素が絡むので
伝わったかもとか伝わったって思う時ってやっぱり
その対話が起こってるっていう時だろうなと思います
その対話を通してそのまま伝わることもあれば
その人が受け取って違う解釈をしていくっていうことも含めて
伝わっていくっていうようなことだろうなと思うので
ちがう解釈イコール伝わってはないってことですね
そうですねそこはすごく思いますね
理論的にもいろいろそういうのはあると思うんですけど
そういうところは非常に思ったりしますね
大西さんのお手紙紹介も結構深いところまでいきますね
そうですねこういうことを聞いてくださるのは嬉しいですね
興味を持ってくださって
ありがとうございます
引き続きいろんな形でお手紙もいただければ
我々も反応しますし
とても喜びます
そうですねやっぱり何か投げかけたり投げかけられたりっていう時に
それにどう応答するかっていうことは非常にあるなと思うので
これも対話ですもんね
これ答え方間違えたなとかも聞いてありますもんね
後から聞いてて
なので何かしら言ったり来たりしましょう
はいということで
お手紙ありがとうございました
前半一旦ここまでにちょっと休憩しましょうか
そうですね
喉が渇いてきた
飲みましょう
じゃあ後半この後すぐ続きますので
前半一旦ここまでですぐお会いしましょう
はいということで戻りました後半
ちょっと水分もとってビールも開けまして後半に行きましょう
前半も結構あっという間に過ぎましたね
そうなんですよ年末とか言うともっといつもより長くなっちゃって
そうですよね
行きましょうか後半
行きましょう
どっから行きましょうか後半は
じゃあ後半はいつも通り最近見たもの聞いたもの読んだものでも
これ面白かったってものいきますか
そうですね前半はライクザウインドの東北の話でライクザウインドの話をしちゃったので
いいんですけどそれはそれでぜひ読んでもらいたいので
じゃあ見たもの読んだもの聞いたもので
相変わらず私の方は読んだものにしましょう
ちょっと紹介したこともあるんですけどトークセッションで
自然観察書店のトークセッションでも紹介したし
あとニュースレターでもちょっと書こうかなと思ってるんですけど
短編小説で物の物語というものを柴田基行さんが
編集翻訳をしているシリーズがありまして
ラビットっていう個人レーベル出版プロジェクトみたいなやつなんですかね
これ柴田さんが翻訳家の英文学のやられていて
物をテーマに4つとか5つぐらい短編小説を集めたやつを
1冊ずつ作って今一気に5冊出てるんですけど
これから10か12ぐらいまでどうやら出るらしいんですけど
それの物の物語ということで1冊ごとにテーマがあって
植物とかレンズとか石とかテーマが1冊ごとにあるんですね
それの最初に出てたやつを見つけまして
江戸の銀座というところがあって
江戸の銀座にスタイル書店があるんですね
本当のランニングを出した時に一番最初に木星社のフェアをやってくれた本屋さんで
すごい銀座のど真ん中の大都会のところでやってくれたんですけど
そこにこの間寄る機会があって寄ったんですけど
その時に見つけた本がこれで
それの紹介ですねちょっと
西畑本幸さんはもうずっと本当に
翻訳もすごいたくさんされていて
知ってる人もすごく多いと思うんですけど
ポールオースターの翻訳もそうだし
アメリカの作家がすごく多いですね
名だたるいろんな作家の翻訳をしてて
あとモンキーっていう
昔に2年前ぐらいに春ちゃんとポッドキャストで
もしかしたらラジオの時間で
文芸雑誌翻訳の文芸雑誌も作られている方
ラジオの脚本が載ってたやつですね
ラジオドラマの
あれ面白かったですよね
レベッカ・ブラウンは今どれくらいなんだろう
70か80くらいにもしかしたら年齢的にはなるかもしれないんですけど
同性愛の方をテーマにした小説
すごくいっぱい書かれてる方で
そういう賞もいっぱい取ってるんですけど
これも今回の汗の贈り物っていうタイトルの小説もそうなんですけど
おそらくこれ本当に明確にすごく詳しく描いてあるわけじゃないんですけど
登場人物の名前からするとおそらく男性のカップルだろうっていう話
男性のカップルの片方の方が一人で住んでいて
もう片方はおそらく亡くなったっていう設定なんですね
その片方の残っている方も何かしらの病気にかかっていて
それを毎週1回通ってその人の元に通うソーシャルワーカーの方の視点で書かれてるお話
シナモンロールを買っていくんですけど
その方のお家に週1回行くときに
そのシナモンロールをなぜ買っていくことになったのかっていうのが
すごくこの話のキーポイントになっていて
それが食べ物なんですけど
食べ物っていうテーマの一つの小説に選ばれているテーマになってるんですけど
そういうちょっとものですね
ソーシャルワーカーがある方の家に通うときに電話するんですね
今から行くよとか
買ってきてほしいものあるとかって毎回聞くんだけど
いつもは何もいらないっていうと
ただあるときに何かのタイミングでお昼ご飯かな
自分の買っていこうと思ってシナモンロール屋有名な美味しいお店があるから
それ買っていくけどって言ったらそれいいねって初めて言ったと
それでシナモンロールを買って行って食べたりっていうことが続いて
だんだんなぜシナモンロールの時は反応してくれたのかっていうのは最後に分かるんですけど
それがすごく強烈な印象を残す物語で
平たくネタバレにちょっとなるんですけど
一人で今残っている方のもう一人が亡くなる前に
毎週日曜日に一緒に朝ご飯を食べるっていうのがカップルの習わしだったんですね
だけどその方が一人が亡くなって残された方は
日曜日が来ると非常に寂しい切ない憂鬱な気持ちになると
だから一緒に彼と一緒に食べてた朝の食卓っていうのは
自分はもう見れなくなって日曜日だけ外出するようになった
その時に買いに行ってたのがシナモンロールで
それがソーシャルワーカーが買ってきてくれるようになって
またソーシャルワーカーの方とそのシナモンロールを食べるっていうのが
再びそういう時間が始まったんだけどっていう物語の結末は
どうなるかっていうのはここでは言わないんですけど
それがちょっとキーポイントになっている小説で
本当に鮮烈な印象というかを持ちましたね
おそらくこれが書かれたのが90年代か80年代か
ちょっと詳しく調べてないんですけど
男性のカップルにとって脅威だった病気って
その当時ってHIVのことがあって
それはいろんな意味で脅威だったかもしれないんですけど
おそらくその時の社会時代背景の中で
そういうことを書かれてるっていう
具体的にはそういうシチュエーションとしては
そういうことで書かれてるんですけど
それ以上にやっぱり人と何かを一緒に食べることによって
紡がれてきたものがなくなってしまう寂しさとか
それが逆に別の人とソーシャルワーカーが支えてくれるっていう中で
またそのシナモンロールを食べながら
何かがちょっと回復していくような時間があったりとか
それが結末ではまたちょっと違うふうになるんですけど
こちら側の製作者側の作為が何もできるだけ入れないように動かさないようにしてるっていうことによって
現実が動かないように見えてるけど実は現実の世界は何かと進んでいってるっていうのを
映し出そうとしてるとかってすごいことをやってるんだなと思ったこともあったので
何も起こらないってやっぱりすごいですよね
そうですよね
ちっちゃいことはいろいろ日常の中で起こってるんですけど
平成初期に流行ったドラマだったらやっぱり何かドラマチックなものを
ドラマで見せてみんながそこに憧れるからやっぱりみんなそこに共感してたわけじゃないですか
今この平休みにみんなが共感するっていうのがすごく今の
一括りにはできないですけど皆さんが感じてる風潮なんだろうなって思って
現実で日常なんだけども
でもちょっとそのキャラクターが可愛いから
例えば子犬をYouTubeで見てるような気持ちだったり
違うゆるキャラっていうかゆるキャラを見てるような気持ちだったり
現実とゆるキャラっていう空想の世界のすごく狭間にいると思うんですよね
それであって自分たちの物語で自分たちに似てるっていうのが受け取りやすいんだなと思って
本当にそれは興味深いですね
私もよくあるんですけど
7日間のうち6日間詰めて仕事してきたときにすごく現実っぽい映画を見る気になれないんですよ
また現実に向き合うのかっていう
空想世界に行こうとしてるのにまた現実を見させられるのかっていうので
でもアニメもちろん見たりもするんですけど
アニメを見てすごく興味深い映画を見る気になって
アニメを見てすごく違う世界の見え方のところに行くっていうこともできるけど
そこのちょうど間にいる物ってすごく心地が良くて
でも現実ででもちょっとゆるくてキャラクターみたいで
でもすごく共感できるっていう
この癒しの存在っていうこの伝え方
物語の作り方はめちゃくちゃ面白いなって思いました
本当に何か起こそうとせずに何も起こらないことを見てみる方が広いというね
時間も空間も広いかもしれないというのが何となく感じますね
そうですね
なんかすごい興味が出ました見てみたいなと
いやめちゃくちゃおすすめです
そうですか
はい
でもあれか放送が
見れなくても漫画の原作の方も読めるってことですもんね
そうです原作とまだドラマも本も多分描き方とか
やっぱり実写になると全然違ったりはすると思うんですけど
さっきの食べ物話で言うとこの物語の中のひろとくんも
一つだけ悩むことがあって
それは毎晩の夜のメニューこんだてを何にしようかだけ考えるんですよ
なるほど
でもそれがすごくひろとくんにとっては大切なことっていう
ちゃんとなんか食べたいってことですね
はい
でそのひろとくんは基本何も悩まない性格なんだけど
こんだてについて一生懸命考えてて
いつもレシピ本をスーパーにまで持ってくるような感じの男の子なんですけど
だからこのやっぱドラマの中でも食べるっていう行為だとか
食べ物の中でも食べるっていう行為だとか
さっき清さんの紹介してくれたその食べ物の物の物語の話じゃないですけど
そこと関連してやっぱりこう人間どれだけ時代が変わっても場所が変わっても
共通していることってすごく食べること
住むことは絶対共通しているから
なんかそこが大切だと思うんですよ
はい
でそのひろとくんはね
すごく食べること住むことは絶対共通しているから
なんかそこも前は違うレシピメニュー
じゃあ今日はレバニラ
今日は肉なしの野菜炒めとかそういう小さなことですけど
全人類なんかこう共感できるポイントがあるんだろうなと思いましたね
そうですね
なんかねなかなかそれが一番好きで楽しいとするとやっぱりそれは省略できない
その時に取り替えがきかない時間ですもんね
そこに性格も現れますしね
簡単にしようと思うとできてしまうけれども
それを簡単に簡単にしてしまうと逆に何が楽しいのだということになりますもんね
だから好きなことはわざわざやってみるっていうのがやっぱり充実するっていうことかもしれないですね
何も起こらない日常でもですかね
一方でものすごく最初のLike the Windの話じゃないですけど
地震が起こったりとか戦争が起きてたりとかいろんなことが起きてるという現実もありつつも
何も起こっていないかのような現実もありっていう
何ていうのか時間が複数というか世界が複数同時進行で流れているような感じもあるかもしれないですね
まあそうですよね
その辺はちょっとまたいろいろと見てみるといいな
でもその何も起こらないっていうことの方が現実だっていう感覚もすごくやっぱりそうだなと思いました
私はインタビューで言ってた報われないっていう言葉が結構私にとっては響いてて
もちろん自分の中で毎日小さな喜びとか小さな悔しさとかいろいろアップダウンはあるんですけど
じゃあいつ報われたかって考えるとなかなか難しいじゃないですか
好きなことをやってるとしてもそこの旅に終わりが来るっていうこともあんまりないし続いていくし
区切りがなかったりするしもちろん何かの賞を取ったとかってなればそれは一つの分かりやすい指標なのかもしれないんですけど
何かいつ自分が報われたって考えるのかっていうポイントってあまりないから
たぶんずっと時間が報われたと感じずに流れていく時間を過ごしている人も多いと思うんですよね
だけど明日が来ちゃうみたいなそういう子に考えがいく前に明日が来ちゃうっていう日常もあったりするから
そこは今の私たちにぴったりの言葉かなともちょっと思いました
確かにそうですね本当にね
ある瞬間には報われないことの方が多いんじゃないかとかって悲観的になったりとか感じたりすることもきっとあることもあるかもしれないですけどね
一歩立ち止まって何も起こらない何も実は起きてなかったよって思うと
実は悲観することも起きてなかったかもしれないし
ふと立ち止まればなんかもうちょっとこういうふうに
初めての経験になるのでそこに関しては直接届けられる方も配信で届けられる方もワクワクしてます
楽しみですね
なんか本当に配信とか映画祭とか映画祭じゃなくてもコミュニティでスクリーニングしてるとかいろんなことが
映像の世界もきっとおそらくあるようですし楽しみですね
本の方もランニングとか例えば単行本も来年出そうと思ってるんですけど
それが一つのものではないはずで世界の方が広いっていう風なところで考えていくと
別の人が例えばランニングの雑誌を作ったり別の人が別の小説短編集をいっぱい作ったりとかって
どんどんどんどんみんなが良かれと思うことをやった方が全体として良いものが増えるとすると
もっとみんなが作るものも増えればきっといいですし
世の中に賑やかにしたいっていうことでは別にないんですけど
静かな方がいいなと思う時もあるから
だけどこれが正解というある部分においてはこれが正解だと信じて作っているものもいっぱい当然あるんですけど
これが正解というある部分においてはこれが正解だと信じて作っているものもいっぱい当然あるんですけど
そうじゃなくて別のこういうのもあったのかっていうのもいっぱい増えた方が面白いかなと思うので
なんかやりたい人がいれば一緒に作ったりとかもできるかもしれないし
いいですねまた皆さんのやりたいこともぜひ知りたいですね
あとは他にはどうですかまずは春ちゃんの方は
来年の抱負ですか
作品を作るっていうところで
作品を作るっていうことをやりたいのとあとなんか全然違うことであるかな
話し方を変えたいですね
話し方を変えるどういう感じ
すごい急に言っちゃったんですけど
自分が使っている言葉とか話す速度とかトーンで
私はその自分自身の内面も変わっていくとは思っているんですよね
なので今使っている言葉じゃない言葉で話してみたらとか
今使っているトーンとか速さじゃない言葉で話してみたら
きっとその自分がもっと変わるからいろんな人ともつながれるだろうしっていうのは思うので
今29年私今生きてきてますけど29年生きてきた春っていう人以外の春でも
接しられるようになったらすごくいいかなと思ってます
なるほど面白いですねその感覚も
それは配信始めて気づきましたね
いろんな人が切り抜いてくれるんですよ自分のでそれが動画として回ったときに
改めて客観的に自分を見るじゃないですか
その時のやっぱりそれってズレがあるんですよね
自分がやっている自分の人格とか話し方とかと伝わり方と改めて見た時にあるんで
来年はそこがいっぱい試されたらちょっと大きい人間になれるんじゃないかなという希望を込めて
やっていきたいなと思っています
でも演じる人とかってやっぱりいろんな人の人生を演じたり
それをある程度自分のものにしてそれを表現としても
翻訳と似てるのかもしれないですよ
その著者の声とか原作に描かれていること風景音声みたいなものを
作によって違うことを演じ分けていくっていうことであるかなって思うんですけど
そういう感覚にもちょっと近いんですかね
どうなんですかねその辺は
どれが自分なんだっていうのって
演劇は演劇をやろうと思ってやってるからそういうふうにやると思うんですけど
それとはちょっと対局の方で自分の言葉とか話し方を変えていくっていうのって
その自分をある意味こう演じながら違う自分を見つけていくような
作っていくような感覚なのかなと思ったんですけどね
演劇やってる人ってそういうのって結構意識的なんだなって聞いてて思いました
なんかその演劇やってる人ってその一括りにしていいかわからないんですけど
多分その表舞台に立つことが多い人は
自分が今表現しようと思って見せるものと受け取り手が受け取ってるものの差を結構埋めたがる人は多いと思うんですよね
本作りってさっきは全くちょっと違う話だったじゃないですか
こっちが意図されなくても面白いっていうのももちろんあるんですけど
作品としてそれは結構オッケーだと思うんですけど
自分自身が演じる時に関しては意図して伝わった方がきっといいってことは多かったりもすると思うんですよ
という意味で言うとそこの差を埋めるっていうことは一歩であったり
そのために伝えるためにいろんな手段手数を増やしたいっていうのはあると思うんですけど
演じるから離れて言うと
自分自身が慣れてない話し方に挑戦するときにそれを自分自身で
あえて演じてる嘘をついてるというよりも結構
新しい筋肉を動かしてるっていう感じ
新しい筋肉とかっていう感じに近いんじゃないですか
今やってる自分はただの癖だと思ってた
癖の集積だと思ってるのでこれが本当の自分ってよりも
今の癖 一番やりやすいものにやっぱ人間って
怠惰だから戻っていくじゃないですか
やりやすいところに離れたときに逆に新しいとか
本当と嘘があるかわからないんですけど
新しいものが見つかるのかなっていう希望的な感じかもしれないです
大田にならないように気をつけるっていう
慣れたものだけに戻ってこないように
絵として慣れたものが正解だと思いがちなんで
そうですね 意識的じゃないとだんだんそれだけになったりもしますもんね
意識的に違う 例えば作家とかもやっぱり
どんどんどんどん描けなくなっていくとかっていう人と
どんどんどんどん新しい文体になっていくっていう人もいますし
そういうところやっぱり似てるのかもしれないですね
そうですよね だから今のフェーズで言うと
私はこれだ これはこういうものだっていうのを
決めないっていう方向なのかもしれないですね
逆に決めるのも結構怖くないですか
例えば文章を書いて丸って最後打つのって
やっぱりある形に無理矢理してるところとかもある時あるじゃないですか
だから丸って書ききれないって書くのが怖いっていう
なぜならば決めきれないしもっとこういうふうに書きたいとか
こういうふうに書きたいとかって思うこともあるので
難しいですよね でもある瞬間にあるものとして
一つ形にしなきゃいけないっていう
そういう繰り返しなのかもしれないですけどね
そうですね 形にしたら分かりやすいですからね
なるほど そういうことをお考えなんですね
今のところです 来年はそれですかね
その2つはやってみたいなと思ってます
じゃあポッドキャストの喋り方のトーンも少しもしかしたら
多分違う人が出てきたなみたいになってるぐらい
なるほど でもそれも楽しみですね
全然変わってなかったら逆にネタにします
そうですね
2027年に向けて
そういうことで来年やってみたいことというのが
今の話でしたね
私のほう 大丈夫 清さんのほうはもうないですか
僕のほうはそうだな もうちょっと具体的なほうの話で
本は翻訳の本でもう一つ クライミングと写真家の話
メモアルを今翻訳してるので
もうちょっとしたら発表して出せると思いますので
お楽しみにというのと Like the Windは引き続き作ります
書籍はなのでそういう感じでもう一冊出るので
それもやっぱり写真とかを通して世界をどういうふうに見てるかっていう
世界との渡り合い方の話にも近いところがあるので
なおかつ8000メートル方とかを登っている
そういうクライマーでもある方の話なので
アメリカ人なんですけどね
そういう具体的なすごく見ることっていうところは非常にちょっと
今制作しながら楽しみにしているところですね
あともう一つは音楽 アート 建築 その他諸々の
インタビューだけじゃないんですけど あとファッションも含むか
いろんな方と今実は一緒に作っていて
日本語と英語で雑誌として出しますというのを
おそらく春までには
新しい雑誌
そのどういう人が出てくるかっていうラインナップは
またちょっと順番に発表したいと思うんですけど
ほぼ9割ぐらいインタビューとか撮影を終えていて
ウェブサイトぐらい作らんとねっていうことで
ちょっとその辺の準備が整い次第
来年早めにお知らせできると思うので
ぜひそういう新しいタイトルも含めて
読んでもらいたいですし
ポッドキャストもトークセッションも
みんなと会ったり走ったりする時間も
もっと増やしたいなと思います
あと読んだり話してるだけじゃなくて
ライティングクラス
ちょっと200文字ぐらい一緒に書いてみようとか
今度は読んだり話したりってもうちょっと一歩先に行って
今度それを形に言葉にしてみようっていう
プロジェクトもやってみたいなと思っているので
その辺りもお話しできると思います
おー楽しみ
書くって本当に難しいですけど楽しいですよね
そうですね
なのでいろんなことがまた
いろんな形で違った形でいろいろ
トライしてみたいなと思うこともあるので
200文字っておっしゃってました
そうですね
例えばその200文字っていうのがちょうど微妙ですね
そこに収めるっていうのは
微妙に難しい
微妙に難しそう
ということで読んでみたい本も本当にたくさんあるので
また読んだらここでも順番に紹介していきたいですね
そうですね
行ってみたい場所もいっぱいありますし
またどっか行ったらそういうお話もできればと
私もいっぱい読んだものも
全然まだいいなと思って紹介しきれてないのもあるので
また来年ぜひたくさんお伝えできれば嬉しいですね
そうですね
ということで
じゃあ来年に向けてというところで
だいぶ長くまたなりましたね
長いですね
年末スペシャルバージョン
そうですね
はい
なのでまたゲストも来年はたまに来てもらって
引き続きやりましょう
来年シーズン5になりますね
ポッドキャストも
おー
早いですね