今日はね、ちょっとあの近藤さんのリッスンのね、
近藤さんの朝の散歩という声日記のエピソード、
10月15日、声日記はシェアハウスというエピソードの中で、
ちょっと近藤さんが、僕がこの間のLISTENトークのですね、
3次会というのか、残れる人で残ってワイワイ喋ってた時に、
僕が喋ってたことをちょっと引用してくれてですね、
ちょっとこう、それについて僕の方でもう1回ちょっとお話を、
お話というのか説明というのかした方が良さそうかなと思うことがあったので、
ちょっとこう、他にももしかしたらその場にいた方々とかで、
誤解されてしまっているケースもあるかなと思ったので、
ちょっと改めて喋ろうかなと思います。
近藤さんの今日のエピソードの中で、
3次会の時に、声日記なんでやってるかっていうのは、
そういう話の中で、僕がそんなに楽しくてやってるわけじゃないみたいな、
そんな話が僕の方からあってみたいな、
で、近藤さんはすごい楽しくてやってるから続いてるっていうことでコメントをされていて、
これね、確か参加してくださってたヒロさんかな、
ヒロヒロシさんかな、
ポッドキャストというかその「声日記って楽しいですか?」っていう、
確かそういう質問をしてくれたんですよね。
私の記憶だと。
で、楽しいですかっていう風に言われていて、
僕は確かに声日記を録って配信するっていうことそのものを、
あんまり楽しいと思ってやってるわけじゃないですねっていう、
多分そういう言い方をしたんですよね。
で、例えば皆さんから反応が来たりとか、
そのトラックバック、言及か、しあったりとか、
お互いのエピソードの中で紹介しあったりとか、
そういうやりとりがあるのを生まれるのは楽しいですよねみたいな。
そんな感じでしゃべったんですよ。
で、これに関しては、
僕は今ですね、毎日やってるんですよね。
毎日1エピソードを声日記として配信してまして、
で、この、多分他の皆さん、毎日やってる方って結構少ないんじゃないかと思うんですよ。
で、僕は毎日やるって決めたタイミングで、
毎日やるっていうのはもう空気を吸うようなもんなんですよ。
朝ごはんとか昼ごはんとか夜ごはんとか、ご飯食べるようなもんなんですよね。
で、もう楽しいからやるとか、モチベーションがあるからやるとかっていうふうに思って、
毎日やるのって結構実は難しくて、
これは僕自身以前ですね、ブログを毎日書き続けるっていうことにチャレンジして、
あれ2年かな?3年かな?毎日書き続けてたことが実はありまして、
その時に実は毎日書き続けるっていうことを、
もちろん書いて面白い記事書けたとか、書いた記事にコメントくれたとか、反応があったとか、
自己満的にいいのできて嬉しいとか、反応があって楽しいみたいなそういうのがもちろん結果としてはあったんですけど、
でもそもそもよし今日も書くぞって思うその瞬間を楽しいからやろうとか、
よしやる気があるからやろうっていうふうに思っちゃうと、書けなくなっちゃうんですよね実は。
それはね、僕自身経験してわかったことで、
人間誰しも毎日一定のモチベーションとかずっと同じバイオリズムでいられるわけじゃないので、
落ち込む時とか調子悪い時とかやる気出ない時とかって絶対あると思うんですね皆さん。
少なくとも僕はあるんですよ。元気ない時とか体調悪い時とかっていうこともそうだし、
メンタル的に落ち込んでる?嫌なことがあったとかそういうことでも人間は落ち込むので、
僕は特にそういう結構ネガティブな思考を持っているので、なんか嫌なことがあるとすごい引きずられちゃうんですよね。
落ち込んじゃうんですよ。すごい一人でうつうつと考えちゃうんですよね。
そうするとそういう状態になっちゃうと、やる気を出してやろうとかって思うとやれなくなっちゃうんですよね。
なのでブログを書いてた時も、当時は通勤電車で朝とか行きの電車の中ではてなのページを出して、
ブログの管理画面というか自分のブログを書く画面を出して、そこにとにかく書くと。
思うままに書くと。それを日常のルーティンとして、電車に乗ったらはてなを書く。ブログを書く。
そういう習慣にしてたんですよ。そうしないと書けないんですよ。書けなかったんですよ。
やる気に任せてやろうとすると。それは本当に体験してみて自分がわかったことで、
毎日やるためには空気を吸うようにやるしかないと。楽しいからやるとかそういうことじゃないんだと。
そういう考え方を僕は持っていて、今回も一日一配っていうタイトルを決めた時点で、毎日やるって決めてたので、
そういう意味では、毎日やるっていうことを楽しいからやるとか、モチベーションが何かあるからやるっていうふうには、
基本的には考えてないっていうのが、僕が楽しいですかって聞かれた時に、
声日記を別に楽しいと思ってやってるわけじゃないですって言ったのは、実はそういう意図がありました。
ちょっと言葉足らずだったなと思ったので、改めて今こうして説明をしてみました。
もちろんなんですけど、例えば、マイクを買ってきて、新しいマイクで収録するぞ!ワクワク!とかね。
なんか、ちょっと今日イヤホン落としちゃって、面白いネタできたぞ!フフフ!とかね。
そういう意味で、声日記を録る瞬間を楽しめてる時ももちろんあります。
間違いなくそれはありますね。
喋ってる時に楽しいなって思いながらやってる時ももちろんありますね。
ただ、それはたまたまその日がそうだったっていう感じ。
だから、自分でも聞き返してわかりますけど、
この日テンション高いなーとか、この日乗って喋ってるなーとか、
多分今日は結構、近藤さんの声日記を聞いて、
今日はちゃんと説明しなきゃなーとかって思って今録ってるんで、
そういう意味では多分今日はね、やる気があってやってるというか、
喋りたくて喋ってるっていう感じの声にもなってると思います。
なので、別に楽しい日がないわけじゃない。収録自体が。
それもまたそうなんですよ。
ただ、何のためにやってるかとか、モチベーションなんですかとか、
楽しいからやってるんですかとかって言われちゃうと、
なんか常にそうではないし、常にそれを求めてやろうとすると、
続かなくなっちゃうという風に僕は思っているので、
なので、ある意味自分に毎日続けるために自分に言い聞かせてるみたいなところはあるかもしれません。
別に楽しいとか、モチベーション何かあるからやってるってことじゃなくて、
これは習慣。空気を吸うのと変わらない。飯を食うのと変わらないっていう。
僕の場合は今、生活リズム的にはあんまり良くないんですけど、
この24時とか25時ぐらい、自分が寝る前に家で撮るというのが基本的なスタイルになっているかなと思います。
ちょっと変化をつけるために帰りがけとか、外で録ることとかもありますし、
散歩しながら録るみたいな変化をつける時もありますけど、
それもまた自分がこれを続けるために、自分自身が飽きないためにちょっと違うやり方をするみたいなことも入れないと、
やっぱり続かなくなっちゃうっていうのもこれも結構ブログを書いてた時の経験で、
ブログを書いた時も基本的にはその日にあったことをずっと書いてたんですけど、
なんか今日はこれをネタとしてちゃんと書いてみようとかね、
なんかこの話はきっと膨らまして書いたら読んでくれる人がいるんじゃないかなとか、
これはきっと誰かの役に立つそうだぞみたいな、なんかそういうのを思いついた時はちゃんと書くみたいな、
記事として成立するように書くみたいなことを実はやってたんですね。
それをやっぱり自分がそういうふうにただただなんかダラダラ書くだけじゃなくて、
上手い記事っていうのかな、ちゃんと記事を書けるようになりたいなみたいな、
いわゆる文章力というのか、記事を書く力、書くスキルを身につけたいなみたいなことを思っていたところがあったので、
時々そういうふうにチャレンジするときはありました。
でもそれも毎日それをやろうとするとすごく辛くなるというか苦しくなっちゃうので、
自分が今日はこういうのを書きたいなとか、
今日あったこの出来事をちゃんと記事にして書いてみようとかって思えた日はやってたっていう感じだったんですよね。
なので今の声日記も結構そのはてなブログを毎日書いていた時の経験が生きてるなと思いますね。
そういうふうに思いついて、これはちゃんとしゃべろうとかね、これはネタになるぞみたいなときは結構考えてしゃべっている日ももちろんあります。
でもそうじゃなくて、本当にその日にやったことをただ言って、
ああ、これが本当に大事なことだと思って、
そういう強弱は当然ありますね。毎日やってるとどうしてもそうなります。
そこは逆にそれでいいと思っているし、むしろそこはそれでいいと思えるようにしているのではなくて、
僕も分かりやすい性格で、皆さんから言及いただいたり、コメントいただいたり、星をいただいたりしたら、
シンプルに嬉しいです。
それも間違いないです。
自分の話したことに対してそういう反応をいただけるっていうのは、
僕はそういう反応を思い出させていると思うけども、
それが自分の高いところを見ることができるので、
そういう反応をいつでも、言うことを上げる可能性があります。
ほんとにきちんとね、
自分が話したことに対して、そういう反応をいただけるというのは、
僕はそういう反応をお伝えしています。
もらうことをすごく 喜びだと思っているし
逆に他の人にもそういう反応を返すことをしたいなと思って 返しているので
そういう意味ではそこはすごく嬉しいですし楽しいですし それはむしろ
もっと欲しいぐらいの気持ちでやってます
そこはすごく楽しいですね こうやって近藤さんが
僕のそういう発言を気にして それはどうだったんだろうなぁみたいに話してくれることも
そのなんか共感とかわかるわかるみたいなことを言うだけだと なんだろうなぁ
すごい内輪になっていっちゃうというか 個人的にはなんかその
共感も大事は大事なんですけどむしろそのなんでそんなこと言ったのとか どうしてそういうふうな感じで思っているのみたいに
僕が例えば何か言ったことに対して むしろ意を唱えるというかなんでそんなふうに思っているのみたいに
深掘りしようとしてきてくれる方が 結構僕としてはなんかありがたかったりしますね
あとなんか全然そこは自分は共感できないですねとか なんかodajinさんそう考えてやってるんですねみたいな
でもなんか自分をこう考えてやってますよみたいに 違う意見を持っている人っていうのももちろんいらっしゃると思うので
なんかそういうふうなことを言及いただいたりとか コメントいただけたりするとなるほどなぁと同じ声日記例えばやってる人でも
まあいろんなやり方とかいろんな考え方でやってる人がいるんだなぁみたいなことを 知っているのはなんだろうその自分にはないものをやっぱり
気づけるというか自分にはないものを見るとか知るっていうことは やっぱり誰かと関わり合いを持つからこそできることだと思いますし
もちろんその本読んだりとかねあの知らない場所行って何かを見てみるとかっていうことも まあその一つだと思うんですけど
この声日記界隈の今のこういうあの LISTENが今こういうねポッドキャストでコミュニティみたいなことをやっている中で言うと
やっぱり自分が普段触れない話題に触れることができるとか まあ自分と同じ話題でも違う考えの
ある人がいてその話をやっぱり聞けるっていうのが 自分としてはそこはすごい面白いなと思うところなので