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2025-04-14 12:55

95. 存在しない記憶、知識は人の為ならず?

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※『閃光少女』が大学卒業から4年後にリリースと書きましたがそれは収録されたアルバムの発売だったようで、楽曲としては卒業1年後にはリリースされていました🙇‍♂️


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#声活
 

サマリー

このエピソードでは、音楽に関する存在しない記憶について考察し、親子間のコミュニケーションの問題に焦点を当てています。特に、『その一言が子どもをダメにする』という本を通じて、言葉の重要性や知識の共有がどのような影響を与えるかについて議論しています。また、記憶や知識の存在について探求し、他者に知識を強要することの危険性についても論じています。さらに、知識は自己成長のために活用すべきだという視点が示されています。

存在しない記憶の考察
はい、じゃあ収録を始めていきます。
モックアップラジオ、略してモックラです。
よろしくお願いします。
いや、今これ収録しているのが日曜の早朝なんですけど、
日曜日の朝といえば、ジャンププラスで連載している
普通の剣音部が更新されるのが日曜日なんですよね。
普通の剣音部は、このモックアップラジオでも
もう何度も、というか多分一番多く言及している漫画の作品で、
いや、僕大好きなんですけど、前回かな?前回、前々回っちゃわ。
前回、今回と、いやすごい良い曲が出てきていて、
もう最高な展開になっておりまして、
前回の最後で、東京事変の先行少女っていう曲が出てきまして、
いや、先行少女僕めっちゃ好きなんですよね。
だから、もうちょうどテンション上がっちゃって、最高でした。
で、今回もその途中から話が続いていて、
かなり神回っていう感じだったんですけど、
先行少女って、僕なんか勝手に思い違いをしていて、
なんか僕、大学生の頃にもう聴いていたような記憶が、
なんか存在しない記憶があったんですけど、厳密には、厳密じゃなくて正しくは、
僕が卒業してから4年後とかに発表されていた曲で、
あれなんか全然僕、記憶の時系列おかしくなってるなと思ったんですけど、
なんかね、大学の時にサークルの後輩が歌ってた気がして、
なんか東京事変のめっちゃいい曲あるやんみたいな、思ってたんですけど、
なんか違ったんですよね。
それで、いろいろと記憶を掘り返していったら、
その時にいいなと思ってたのは、
透明人間っていう曲で、これも東京事変の曲ですけど、
確かそれを歌ってたんだよな。
で、それを思い出して、なんかちょっと記憶が混ざって、
先行少女のことを、大学生の時の記憶としてなんか蘇らしていたっていう、
なんかちょっとこう、おかしなことになってたんですけど、
結構音楽ってそういうことあって、
まあそうなると思うけど、年を取ってきた証拠というか、
あの何なのかなって思うんですけど、
あの、僕キノコ帝国っていうバンド、
もうね、解散、解散してないか、活動休止?
とにかく今はもう活動されてなくて、すごい残念なんですけど、
キノコ帝国っていうバンドをめちゃくちゃ好きなんですけど、
キノコ帝国も、なんかね、僕なんとなく大学生の時というか、
まあその時住んでいた場所との、こう記憶の結びつきがあるので、
まあ社会人になってからも何年か住んでたから、
そこの辺でちょっと記憶が混ざっちゃってると思うんですけど、
キノコ帝国も、なんか大学生の時に、
こう一人で歩いてる帰り道とかに聞いたような思い出が、
あったような気がしたんですけど、
まあそれは間違っていて、存在しない記憶を持っているっていう感じなんですけど、
クロノスタシスっていう曲ですかね、
うん、あれもめっちゃいい曲なんだよな、
なんかね、僕映画見てないけど、花束みたいな恋をした?
っていう映画で結構出てくるシーンがあるらしくて、
なんか最近はそれと結びつけられて、ネットとかで探すと、
そこのシーンと結びつけられて出てくるんですけど、
まあ僕そっちは見てないんですけど、
クロノスタシスっていう曲すごい好きで、
はい、それもなんか、
なぜか大学生の時、一人で家に帰っていた時のことを思い出すっていう感じなんですけど、
まあなんか面白いですよね、
音楽とか、あと匂いとか、
なんかそういう互換に訴えかけてくるものって、
ちょっとこうフワーッと記憶が蘇ってくることはあると思うんですけど、
なんかそれが、ちょっと勘違いによって、
ちょっと別の記憶と結びついて、
みたいなことが起こっていて面白いなぁなんて思いました。
親子のコミュニケーション
っていうのと、今日は、
知識は人のためならず、みたいな話をしたいなと思ってます。
前回だったかな、
娘が学童が終わって、結構家で退屈をする時間があったりするので、
自分の、僕の本棚にちょっと本とかをこそっと置いておいて、
なんかそれを読んでもらえたらいいなぁみたいな話をしたんですけど、
その時に、娘に読ませる想定ではなくて、
僕が自分で読もうと思って買っている本、
その一言が子供の脳をダメにするっていう本があって、
それをなんか娘が読んでいて、
なんか結構面白いなぁみたいな話をしたんですけど、
なんかね、その話でちょっと続きというか、
また別の話が出てきたので、
ちょっとその話をしたいなというふうに思ってます。
その一言が子供の脳をダメにするっていうのは、
タイトルの通り、何気なく子育てをしていたりとか、
親が何気なく言う一言っていうのが、
実は子供にはこういうふうに伝わったりするから、
ちょっとその言葉の言い回しだったりとか、
伝え方っていうのは気をつけましょうねみたいなことを伝えるための本で、
あのすごい面白くて、パラパラと読んだりしてるんですけど、
それを娘が結構読んでいて、僕に教えてくれるんですよね。
ねえねえねえ、こういう時ってこういう風に言っちゃダメらしいよとか言って、
で、僕としてはすみません気をつけますみたいなふうに言うんですけど、
なんかね、それが結構あって、
これなかなか内容をぼかして言うのも難しいので、
ある程度言っちゃうんですけど、
家族内でいろいろ話してる時に、
突然娘がその本を引っ張り出してきて、
今の言い方は良くないみたいなことを言ってきたんですよね。
で、僕というか妻の方で、
いやなんかそういう、これを言っちゃダメ、あれを言っちゃダメって言われると、
なんかこうすごい話せなくなっちゃうみたいなことがあって、
なかなかこう、なんか難しいなって思ったんですよね。
その時に思ったのは、娘としてはその本のことを、
なんて言うんでしょうね、唯一の正解みたいな感じで、
こういう発言をしてはいけないみたいなことを結構素直に受け止めて、
それを僕ら親に教えてくれたっていう感じだと思うんですよね。
なんかその意識自体は別に何も問題ないっていうか、
すごく純粋な知識の共有みたいなところで良いのかなと思っていて、
で、別のシーンで結構娘、本読んだりとか図鑑とか見たりして、
それを僕らに教えてくれるんですよね。
それすごい良いなと思ってて、
なんか結構毒キノコとか好きで、図鑑とか見てるんですけど、
このキノコはこういう毒があるからダメとか、
なんかそういうの調べるの素晴らしいと思うし、
それを教えてくれるっていうのはすごい嬉しいなって思うし、
あと例えば災害の時とか、こういう風に行動した方がいいとか、
あと雷、雷が落ちる恐れがある時にはこういう場所に行っちゃダメとか、
こういう風に待機した方がいいとか、
なんかそういうのすごい見ていて教えてくれるんですよ。
それもすごい良いことだなと思って、
だからどんどん教えてみたいな風に言っているんですね。
知識の重要性の対比
娘としてはそういった、何て言うんでしょうね、
理科とか生物とか、暮らしていくにあたってすごい大事な知識っていう話と、
今回のその一言、その一言が子どものためにするっていう本に出てきた知識っていうのは、
すごい同列にこういうことが本に書かれていて、
これがいいらしいよみたいなことを教えてくれたと思うんですよね。
でもなんか難しいなって思うのは、
そのコミュニケーションに関することっていうのかな、
人間関係とか、発言とか、気持ちとかっていうのとは、
まあその何て言うのかな、これは毒キノコですとか、
カメネウルの時はこうしましょうっていうそのノウハウとは、
ちょっとまた別物な気がするんですよね。
まあ何て言うんでしょう、正解がないとは言わないけれども、
人によって感じ方が違ったりとか、
それこそ道徳とかって答えは、
僕は結構ある程度の一般的な答えというか、
大体こうだよねっていうのはあるかなって思ってる方なんですけど、
知識の活用
人によってはそんなのね、感じ方は人それぞれじゃんみたいなふうに考える人もいるわけじゃないですか。
でそれももちろん僕は否定したいとは思ってないし、
だからそういう考え持つことはいいなと思ってるんですけど、
なんかその人の考えとか、
こういう発言の時はこういうなっちゃうからよくない、みたいなことを唯一の正解として捉えてしまって、
それをこう人に対して説明するっていうのは結構モロハの剣だなと思っていて、
なんかこう自分自身が発言する時に、
こういうふうに捉えられちゃうから気をつけようっていう自戒するために、
そういった知識を活用したりとか吸収したりするっていうのはいいと思うんですけど、
それをこう人に強要したりとか、人に対して教えていくってなってくると、
ちょっとこう歪みが生まれるというか、
なんかすごい棘が出てきたりとか、
逆にそのことを伝えることによって人間関係がおかしくなっちゃうとか、
っていうことがある気がしていて、
だからこうコミュニケーションとか人間関係に関するこうそういう知識っていうのは、
もちろん人に伝えてもいいんですけれども、
どちらかっていうとこう自分自身が気をつけたりとか、
自分を痛めたりとか、
自制するために活用できていくといいのかなっていうふうに思ったんですよね。
うーん、なんか今ちょっとうまく言えてるかわかんないんだけど、
まあ今うまく言えてるかわかんないし、
このことをこの間娘にも伝えたんですけど、
なんか全然僕の伝え方がうまくなくて、
なんかあんまり説明できなかったなと思うので、
またチャンスがあれば話をしたいなと思うんですけど、
うーん、難しいよな。
なんかこう、過去のポッドキャスターよりも前に
アイメッセージとかゼイメッセージの話とかしたことがあると思うんですよね。
で、ちょっとエピソードを振り返ってみて、
あのこれだっていう回のエピソードがあったらまたリンクを貼っておこうと思うんですけど、
なんかその人の気持ちとかコミュニケーションっていう文脈で、
こう一般的な学説、
今回で言うとその一言が子供の脳をダメにするっていう本に書いてあったことを、
正解として相手に伝えるっていうのは結構ゼイメッセージに近いなと思ったんですよね。
なんかこう一般的にこう言われてるらしいよみたいなふうに言うのは、
まあなんて言うんでしょうね、
こうそうかもしれないけど、
あなたはどう思うのっていうふうになっちゃうかもしれないんですよね、相手としては。
うん、だからこうゼイ、つまりこう一般的にこうだよっていうよりは、
なんかこの時、この瞬間に私はこう思ったよっていうことを相手に伝えた方が、
まあなんて言うんでしょう、少なくとも嘘はないっていうか、
うん、直接的に伝わるんじゃないかなと思ったんですよね。
だからね、なんかその辺すごく難しいなと思ってちょっと僕も反省したっていうか、
なかなかこう僕が自分のために置いておいた本だし、
それを子供が読んでくれるってことも全然まあいいかなと思ってるんですけど、
やっぱりちょっとそういった前提がないまま、
こう言葉尻だけ読んで、
あ、これが正しいんだみたいなことを無邪気に人に伝えるっていう時に、
こうちょっとこう歪みが出ちゃうっていうこともあるかもしれないなと思ったんで、
まあでも難しいんだよな、
だからといってその本を読んじゃいけないのかっていうとそんなことはないと思うし、
本はどんな本でも何歳でも何でも読めばいいじゃんっていうのは僕はちょっと思ったりもするので、
まあそういうコミュニケーション的な部分で、
ちょっとこううまくいかないなっていうことを体験したっていうのも貴重な体験だと思うし、
なんかそういったことも含めて吸収していってくれたらいいなーなんていうのは、
勝手な親の願望として持ったっていう感じでした。
存在しない記憶
今日はそんな感じかな。
えーと今日は先行少女っていう東京時代の曲から蘇ってきた存在しない記憶についての話と、
知識は人のためならず、あそうそうだから知識は人のためならずっていうのは言わずもがな、
情けは人のためならずの言葉をちょっともじってるんですけど、
なんか知識っていうのはそうやってこう人に対してこうどんどん人に正解を教養していくものっていうよりは、
自分自身が気をつけたりとか自分自身の糧にするために使うっていう感じでいいんじゃないかなっていうのを思ったので、
ちょっとそういった言い方をしたんですけど、
知識は人のためならずっていう話をしてみました。
じゃあ今日はこれぐらいにしようと思います。
月曜日からまた頑張っていきましょう。
ご意見ご感想ご質問などある方は、
概要欄にあるお便りフォームにお寄せいただくか、
エックスやリスン、ミクシーツーなどでコメントをいただけると嬉しいです。
今回も聞いていただきありがとうございました。
ではではまた。
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