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2021-07-09 13:46

父を看取った時の話し

収録した日付が前後してしまっていますが💦
基本、毎朝息子を保育園に送った後、職場に行くまでの間にとって、後日聞き直してアップできそうなものからアップしてます。
日々の記録といいますか…将来子供たちに聞かせたい話なんかも交えながらとってます💦
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00:12
こんにちは、harumamaです。4歳の男性の男の子と、小学校1年数の女の子を育てています。
今日は2021年7月1日です、にとってます。
私の仕事ってすごく恵まれていて、週に19時間働いて、やるべきことをやっていれば、自由に時間配分できるんですよ。
月曜日は必ず、週に19時間だから、月曜日お休みとかそういうわけじゃなくて、
今日は用事があるから月曜日はお休みだけど、その分火曜日いっぱい働くよ、みたいな感じで、
自分の好きなように時間配分して働くことができるのがすごく恵まれた環境だなって思ってます。
今日はお昼に自分軸手帳部のイベントがあるので、ゆっくり参加したいなと思ったので、
週の前半ちょっと頑張って、今日はお休みいただいてますね。
明日は午前中、母親の精神監督に付き合って、午後からまた仕事に行こうかなと思って、
今日は何の話をしようかなと思ったんですけれども、
今朝の本本先生のライブ配信、息子保育園に送っていくまでの間、
スタッフから保育園まで大体40分くらいかかるんですけれども、
ずっと聞いていて、いろいろ考えさせられましたね。
まず6月はどんな6月だったかという反省をされていたので、
自分の6月はどんな6月だったかなというふうに振り返るきっかけにもなったし、
あとは患者さんのお見取りをされた経験を話されていて、
自分のお父さんとおじいちゃんを見取ったときのことを思い出しましたね。
お父さんとおじいちゃんの見取りの経験はすごく衝撃的で、
03:06
特にお父さんのときなんかは初めての見取りの経験で、
しかもすごい身内だからとても印象的でしたね。
時間で亡くなったんですけれども、ガンガン見つかって、
あれよあれよと言われるようになって、
最終的には脳のほうに転移してしまって、
うまくしゃべれないというか、
意思疎通ができないような状態になって亡くなっていたんですけれども、
本当の心はどうだったのか。
意思疎通はできないような感じにはなっていたんですけれども、
舌が下がってきてタンが溜まってくるそうだから、
お父さんを呼んでタンを取ってもらうようにしたんですけれども、
細い管みたいなのを喉に突っ込んで、
タンを吸引して除去をするんですけれども、
結構苦しみらしくて、
意思疎通ができない状態になっていたんですけれども、
少ない力を絞って、
血を動波で噛んで寂しく抵抗していましたね。
嬉しそうだからタンを呼んでタンを取ってもらったんですけれども、
果たして母親お父さんに呼びかけられるのか、
思い出した時は。
時々記憶がよみがえるのか、
意思疎通ができないから喋れなくて、
でもずっと良い章、良い章って言ってたんですよ。
頑張って生きようとしてたのかなと思うんですけれども、
良い章、良い章って言ってた中で時々ね、
母さんと一緒に行ったたずら子のことを思い出して、
たずら子って言っていたり、
当時私が会社さんで仕事をしてたんですけれども、
お父さん既読だからと思って無理って休ませてもらってたのか、
06:02
気にやがってしょうね。
良い章、良い章って言ってる中で時々、
会社、会社って言ってみたり、
母さんとお父さんとお姉ちゃんは仕事休んでるけど、
仕事行ってくるよって言ってみたり、
亡くなるときの人の最後の思考ってどうなってるのかは、
他人には分からないから、もしかしたら、
喋れないけれども、本当のところは、
頭の中で思考が巡ってたのかもしれないし、
そこはね、自分の中でもよく分からないね。
意思みたいなのがあってそういう言葉をついてきたりしてたのかな、
最後はお父さんらしくて、
家族がいるところで息を引き取るのが恥ずかしいって思ったのか、
その日はね、お母さんと妹が近くに来たんですけれども、
いつもは寮室でお昼ご飯を取ってたんですけど、
たまたまね、その時は食堂に行ってご飯を食べてこようかって話があって、
お部屋を離れた隙に休園して、
息を引き取ったみたいです。
その時は私仕事に行ってたんだけれども、
食堂の前に電話がかかってきて、
妹はね、ちょっと寂しくしてないって言うから、
お部屋から出て、出てる夜に、
寝たらね、
もう体は冷たくなってきて、
60、ちょっと前でした、58、59かな、
まだ結婚する前に、もちろん子供も生まれる前に、
09:03
なんでしょうね、亡くなってもう12年くらい経ったんですけど、
身柄に思い出すと苦しくなりますね。
何だろうな、お父さんが亡くなってから結構ね、
親戚っていうかみんな周りの大人たちが次々というか毎年っていうか、
3年ごとくらい亡くなっていたんですよね。
お父さんが亡くなってから3年後くらいにおじいちゃんが亡くなって、
おじいちゃんが亡くなって、おじいちゃんの感慨気がかなーって思うくらいのときに、
父方のおばあちゃんが亡くなって、その間にもレイさんとリカイリュウさんがいて、
父方のおばあちゃんの感慨気があるかなーって思うくらいのときに、
小さいときに面倒を見てもらう子たちがどんどん年をとっていって、
シャキッとしてた体が回っていって、だんだんだんだんと意思疎通が取れなくなっていって、
亡くなる姿を見るっていうのはね、
結構苦しいなーと思いつつ、
そういう世代交代のはたまりに生きてるんだろうなーと思いながら、
子供じゃないんだよ、自分なしで立ちなさいって言われてるような気になりながら、
いろんな人を見送ってきましたね。
そういう身内が亡くなるたびに思うのは、やっぱり生かされてるなーっていう実感と言いますか、
12:00
やっぱり命は限りあるものだから、自分は生かされてるのだから、
今ある生をね、大事に生きていきたいなって思いますね。
苦しいって思うのも生きてるからだし、嬉しいって思うのも生きてるからだし、
そのうちやりたいなって思ってることが、もしかしたらそのうちのときにはなくなってるかもしれないし、
できない体になってるかもしれないし、
そのときやりたいって思ったことをなるべくそのときにできるような環境を作りながら生きていきたいなって思います。
今日はこんな森本先生の朝の配信から、お父さんとおじいちゃんが亡くなったときのことを思い出してしまったよというお話でした。
最後までお聞きくださいましてありがとうございました。
それではまた。
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