では、まえださん、いかがですか?
えっと、ゴールデンウィークって、先週だったっけ?って、今、思いました。
先週でしたね。
いや、もう、3週間ぐらい経ったと思いました。記憶がなさすぎて。
そんな中で、悪は存在しないを 見てきたんですけど、
あ、もう? マジですか?
はい。でも、結構話されましたよね、きっともう。
いや、話してください。
えぇ、うるさい!
でも、私、濱口隆介監督の作品は、寝ても覚めてもしか見てなくて、
ドライブマイカーとかも、全然見てなかったんですよ。
長かったんで。
3時間ですもんね、あれね。
でも、なんか、今回は、結構短かったと思うんですけど、
あ、なんか、これが、濱口隆介監督か、っていう、私にとっては。
なんか、とにかく、なんか、会話がすごい面白いですよね。
なんか、何が面白いってわけでもないんですけど、ずっと聞いてられるし、
で、なんか、個人的には、結構、東京側の人、人たちが、本当にいるな、っていう。
本当にいるんですよね、めちゃくちゃ。
で、なんか、結構、コロナの助成金で、新しい事業をするっていう話も、
結構、身近で、実際に、そういうことが、何人かというか、あったんで、
なんか、すごくリアルだな、と思いながら見てて。
で、最後。
最後ね。
いや、もう、完全に油断してて、
こんな映画で人が死ぬわけないだろうって思ったんです、まず。
だから、なんか、そろそろ終わりか、みたいな感じで、
いや、それこそ、娘が鹿を幻想的な感じで眺めてるカットで終わるとか、そんな感じかな、と思ったんですよ。
だから、へぇーってなって。
いや、確かに、私1回しか見れてないんですけど、あれは、何回も見たくなるな、っていうのはありましたね。
だから、なんか全然、なんていうのかな、なんとなくわかったような気もするし、
全然わからないような気もするな、っていう感じだったんで、
結構今日、話聞きたいな、と思いながら、ちょっと入るのが遅くなってしまって。
でも、3人で話した時も、おおむねそんな話してましたけどね。
特に、東京側の人物、男性側の、男性のキャラクターについても、
あのタイミングで水飲むの、ほんとちょっと、絶妙にイラッとさせるよな、とかっていう話がしましたけど。
最高ですよね、あの水飲むタイミング。
あと、やっぱ、コンサルの人。
ほんとに、あの人、コンサルの人ちゃうかな、ほんとの。
いや、まず、話が平行線になった時の、社長はどう思いますか?っていう、
決定権のある人に話を振る動作というか、あの話の持って行き方とかが、すごいこう、既視感があるというか、
なんていうのかな、でも、正直、ちょっと違うんですけど、
自分の仕事柄、若干こう、なんか、近しい人たちを見たり、
まあ、もしかしたら自分もその中にいたりするなと思ったので、
いや、なんかほんとに、みんな自分の仕事してるだけなんだよな、っていう感じがあって。
わかるね、確かに。
そこが、あんまりこう、憎めないというか、
みんな、たぶんコンサルの人も、なんで俺がこんなんせなあかんねんって、みんな思ってるんだよな、みたいな。
まあ、そうですね。
その感じもすごいわかったんで、面白くて。
逆に、なんかその、私、主人公っていうんですかね、あの、お父さんと娘のことが全然わかんなくて、
なんか、あらすじでは、あの、お父さんと娘ってずっとあの町にいる人たちじゃないですか。
でも、なんかその、すみません、さっき同じ話したらマジで申し訳ないんですけど、
なんか、娘に全然友達がいなそうなのとかもすごい気になって、
なんか、あのあたりの町の人たちとの距離感っていうのも、ちょっとつかみきれなくて、
なんか、むしろ説明会では一人だけどっちかというと歩み寄る側の意見を言ってたと思うんですけど、
なんかそのあたりが、ちょっと不思議な感じ、つかみきれない感じでしたけど。
なんか、あれですよね、その、それこそ口裂け女の時みたいな閉塞感が田舎側にあんまりないというか、
あの、主人公が言ってたと思うんですけど、俺たちみんなよそ者なんだ、ここにいる人たちはっていう、
あの感じ、ちょっと独特だなって思ったんですけど。
いや、あのセリフすごい不思議だなと思ってて、
あれってそんなにコンセンサスとれてる意識じゃない気がするんですよね。
いや、そうなんですよ。
結構、あれですよね、他の人はそう思ってないってことですよね。
いや、あの、一般的に田舎に住んでる人は土地へのアイデンティティめちゃめちゃ強いので、
自分がよそ者なんて意識持ってる人はいないんですよ。どんなに歴が浅かろうが。
だって自分の主観ではその瞬間からその土地に生きてるんだから、
それはもう、過去も未来もずっとそこに自分はいるのだっていう意識めちゃめちゃありますよ、田舎の人って。
だから、やっぱ、もう一個、特に最後の方に立ち上がるテーマが、ある種の自然側だと思う。
この映画の多分、悪は存在しないって多分、自然の話もおそらく含められてるなって解釈してるんですけど。
要は、自然の立場から見たら人間だってそもそもよそ者じゃないかみたいな、多分意見だと思うんですよね、主人公が言ってることって。
いくらそこに長く住んでようが、少ししか住んでなかろうが、そもそも人間という存在自体がよそ者だぞっていう、
なんかちょっとめちゃくちゃ自然よりというか、人間じゃない意見な気がするんですよね、あれ。
だからこそ最後のラスト、あっち側に行くというか、なんかそこに行っちゃうのは、なんか理解はできなくはないかなって気もして。
まあでも、そのバランスもめちゃくちゃ不思議だなと思いながら見てました。
え、ちなみになんであの人のこと殺したんですか?
殺…死んでた?死んでない?それも分からんくて。
分かんないです。
死んだようにも見えるし、死んでないかもね、くらいの終わり方ですよね、あれってね。だから。
まあどっちにしても、なんであれをしたと思いますか?
そこがやっぱなんか僕もちょっと飲み込みにくいというか、
僕2回見たんですけど、2回見てもなんでってなるというか、はいってなるので、え?ってなるので。
まあそもそもなんなんでしょうね、僕はそんなに深い見方をしてるわけではないと思うんですけど、
なんか結局相入れないよなみたいな人はみたいなというか、ここはまあそもそもあったじゃないですか。
たぶんあのグランピングの説明会の下りからそのグランピングができるかどうかの話って延々とたぶん、
それこそハッピーアワーぐらいの5時間ぐらいの作品でやろうと思えばできると思うんですけど、会話だけの作品で。
確かに。
けどなんかそこを踏み込んでないっていうのは、まあ1個はたぶんその、まあそもそも成り立ちがそういう映画じゃないっていうこともあるし、
あと大井さんが言ったその自然側の論理みたいなのもこの中に映画に入ってるからっていうことがあるからかなーっていうのともあるし、
ある種のまあお互いバランス妥協を見つけようとした結果ああなっただけなのかなーみたいな感じもするというか。
たぶんあの鹿の通り道にグランピングの建設予定地があるってことになりましたけど、
でも結局グランピングのところだったら別に鹿寄ってこないし、よくね?みたいな感じで、
これたぶんどこまで行っても平行線だなっていう風になった時に、じゃあもうこうするしかねえみたいな風なことになってもまあ通るかなとは思ったんですけど、
まあそれにしてもやっぱりあの男が、あの便利屋っていう彼の素性があんまりにもわかんなすぎるっていうのはやっぱあって、ずっと不思議っていうか。
結局なんかそこにまあそういうふうに僕は普通に捉えたかなーって感じでしたけど。
僕なりの捉え方で言っていいですか?
第三者に見られるとルールが固まっちゃうからかなって思ってて。
どういう意味ですか?
だからあの人間側の世界と自然側の世界がすっげえ曖昧な空間だなって思ったんですけど、
見られるとそれが固まっちゃう。だからその娘であるとか自然であるとか、あるいはそのお母さんですよね娘の。
そういうものが曖昧とあの世界には存在しているのが、人間側のルールで固まっちゃうような気がして。
人間側のルールで生きてる人がその世界を観測しちゃうと、それをさせまいとしたように僕は感じて、
あのこう見られるって近畿じゃないですか。
例えばこう鶴の恩返しとかって見られちゃいけなかったわけじゃないですか。
だからこう見えてない世界では、こう人間側のルールと人間の世界じゃない側のルールっていうものが曖昧に存在できてるけど、
人間が見ると、こういうことなんだっていうのが固まっちゃう気がするんですよね。事実が。
でもそうじゃなくて、娘は人間でもあるし、なんか自然的なものでもあるしっていう、
こういろんなものがよくわかんないまま存在しているものが、あ、こういうことだったんだねって固まっちゃう。
でもそれをしたら、多分彼の中でいろんなものがもう続かなくなるんじゃないかなって気がするんですよ。
だからその観測されなかったことにしたような、やっぱ観測というか、やっぱ見られるという行為の暴力的な何かというか、
そこで固まるっていうものを狭いとしたっていう。
なんかこう、悪は存在しないというか、なんか境界線も存在しないっていう感じにしたいように感じたんですよね。
なるほどなるほど。
なんかでも、それこそ2回目見る時に浜杏一龍介の監督のインタビューとか結構出てたので、読んだんですけど、
ちゃんと真摯に答えてらっしゃる方だなっていうのはいつも思ってたんですけど、
今回の、今回だけなのかな?わかんないですけど、絶妙にはぐらかしてんなって思ったんですよ。
これがこう言いたいんですか?みたいなことを、絶妙にはぐらかして、でもこうかもしれませんねっていう言い方をしたりとか、
なんかすごいこれがテーマなんですかって言ったら、僕自身はそういうつもりではないですみたいな。
なんかすごく曖昧なラインのものを描こうとしているなっていうことだと思うんですけど、それは。
なんかね、それがやっぱり、なんか本当さっき山口さんが言ったように、固めたくないっていうことが、本当になんか監督のインタビューからもすごくなんかわかるなっていうか、
気がすごくしましたね、それは。
だからこの映画の感想が固まらないのもそうあるべきなんですよ、きっと。
で、この映画はこういうものなんだっていう風に、これが正解だみたいな人を誰かが言い出したら、
たぶん、浜口監督はその人を殺しに来るんですよ。
【迫笑】
こわいこわいこわいこわい。
首絞めてね。
あ〜こわいなこわいな。
まぁでも、そうですよね。
でも確かにその浜口流介の今のその立ち位置も、じゃあなんかもうね世界三大映画祭でこう南下社長を関わってますみたいな人でも、
別にメインストリームに来ないじゃないですか。
うんうんうん。
なんかやっぱそこがもう完全に自分のなんか独自のこう、どこにもなんか溶け合わないというか、
固まらないみたいな立ち位置そのものを 監督自身が体現されているような方だなっていうふうには思うので
なんかそういうことをやりたかったのかな たまたまだのかなみたいな
そういうのと重なるなっていうふうに ちょっと思ったりはしましたね
確かにああいう小規模映画の界隈って 地方で地方移住する人の界隈とちょっと似てる属性ある気はするんですよね
アンチ都市的な商業の中心ではないところに 行こうとする思考としてちょっと共通している部分があるんじゃないかなと思って
別にお金儲けしないわけじゃないけど そういうメインストリームのルールに全乗っかりはしないですよっていう感じ
ちゃんとその生態系の流れとしてお金を流す必要はあるから ちゃんとお金はもらいますけど
ただ都会のど真ん中で商売はしないですよっていう ちょっと片隅の方で細々とやらせてもらいますよ私たちはっていうのは
なんか似てる気はせんでもないというか だからあの街の人たち自体が小規模な映画を作ってる人たちであるとか
小規模の映画館の人たちであるとかの人にも見えることがいいというか だいぶこじつけてますよ今
僕はちょっと監督のそういうスタンスの話とかはだいぶこじつけですけどね だしもうなんかまぁもしこの映画に登場する
当時人物全てに濱口隆之の何かしらが込められてるとかだったらなんかそういった部分がありそうですよねっていう
なんか都会人としての自分とかはやっぱ東京からの来たグランピングの説明をした説明会開いた二人に込められてるかもしれないし
なんかちょっとでもどこにも溶け込まないよみたいな感覚みたいなのかはまぁどっかしらこうやっぱりあの主人公
ベンリアに込められてもするかもしれないしっていう
何ならベンリアさん役者じゃないですからね 映画の裏方ですからね
びっくりしましたけどね
前田さんはちなみにどういう解釈やったんですか
え?
めっちゃ難しくて
いやむずいと思いますよ
僕もはぁってむずって思いましたよ見た時
なんかみんな分け知り顔で知ったような感じで感想書いてやがるなって思いましたもんなんかすげえなって
そうですよね
本当にみんなわかったのかみたいなというか
いいんだぞわかんなかったって言ってもいいんだぞって思ってましたけど
なんかいや正直見た時は全然わかんなくて意味が
もうなんだろう別にあの人が悪いとかでもないしみたいな
でなんかそういうことを短絡的に考えるような人間でもないし
お父さんがだから
なんかすごくラストの解釈は正直解釈っていうことにたどり着かなかったんですけど
ただただその主人公の人物像に違和感が残ったって感じなんですよね
なんか結構溶け込んでる中心みたいな雰囲気やったけど