後編でございます。今回は、犬神家の一族、市川根監督の76年版の映画ということで、本編の内容について、このエピソードでは喋っていきたいなと思っております。
はい。 ということでですね、犬神家の一族の魅力というかを、改めて考えていきたいなと思うんですけれども、
やっぱり、モノマネやりたいよね。 モノマネ、まあ、シャークさんに似てましたけどね。そんな、モノマネやりたいなーとはあんまり思わなかったですけども。
ならんかった? え、どういうこと?スケキオのモノマネってことですか? そう、スケキオとかさ、ひとつ、犬神家の全財産並びに全事業の相続権を意味する犬神家の三種の家宝をのことを聞く。
覚えすぎやって、覚えすぎやって、怖いって。そこ、モノマネしようと思う人おらんから。 あれ、やりたいと思わんかった?
いや、やりたいとは思わんかったけど、なんかでも、衣装をみんなで呼んでるの聞くシーンみたいなのを、言ったら、みんな心の中にあるイメージで大元ネタってここなんや。
ここであったんやって。そう、知ったね。 あのー、ギギギの謎をね、寺田さん見ていただいたんだけど、ありましたよね。 全く同じありましたね。
そうそう、僕もめっちゃ嬉しくてさ、ついにこのモノマネがまたできる時期がやってきたんやなと思って。
ひとつ、犬神家の全財産並びに全事業の相続権を意味する犬神家の三種の家宝をのこと聞く。
おのこと聞く。まあまあまあ、ヒーポイントやけどな。 うん。
これね、ぜひやっていきたいなと。 やらんって誰も。
見たらやりたくなるんですけども、まあ、そういうなんていうかな、異常な空間?
やけど、やっぱかっこいいやんか。市川昆の映し方が。 そうですね。
だから、なんていうかな、例えば大洲康二郎の映画とかって、家族でいて気まずい時間みたいなのを味合わされる感じ。
あれ結構生々しいなと思うんやけど。 そうね。
これもさ、気まずい映画なはずなのに、なんかそういうさ、リアルな、ああ嫌やなっていう気持ちにはならんねんな。
映画の世界の中のもんだから、やっぱこう、この映画を見て、例えば松子夫人に感情移入したみたいな人とか、たぶんそんないないと思うね。
まあまあそうですね。まあそれこそ本当に俯瞰でね、進んでいくからこそね。
まあないと思うんだよな。たまよの気持ちになったとかいう人絶対いないと思うんだよな。
まあいないと思いますけどね。あんまり意外と近代地、もうそんなにさ、なんか途中全然出てこーへんなみたいな時間。
いや、そうそうそう。驚いてなんか、うわーとかなってるだけやから。
だからね、今ってやっぱその感情移入っていう言葉というか、そういうライドできるかどうかみたいな勝負になってるから、みんな好きか嫌いかみたいなことしか言わへんから。
うん。
で、この坂口亮子さんってね、娘さんもね、あのゲーム活動されてて、今ちょっと大変な感じではあるんですけど。
あ、そうなんですか?ちょっと僕知らないですけど。
あ、まじか。坂口安里さん。
あ、え?そうなの?あー、それはちょっと知らなかったです。
坂口安里さんのお母さんです。
えー、そうなん?
そうです。っていうところで、っていうとこ。
まあ、で、一作坊主さんってさ、もう髪これでさ、もうボッサボサやん。
そうね。
これもうパーマをさ、もう何回もかけまくってこれ、あれにしてるんやって。
あー、そうなん。役作りなんや。
うん。そうそうそうそう。で、この後に、えっと、83年にそれこそ和田納人さんが最後。
あの、いちかーこんのパートナーの脚本家さんね。
うん。
最後のシーンだけ描いたみたいな映画があるんだけど、傑作の。吉永沙織とか出てるんだけど。
それのときの一作坊主って、めっちゃもう都会的な男前なのよ。
うーん。
だから顔でわかるけど、髪型がピッシリしてるから。
うん。
うえっ?ってなる。
いねがい向けのときと違いすぎて。
そうそうそうそうそうそう。
あの、当時の人からしたらわかるけど、今の人から見たらこう、同じ人ってわからんかったっていう感じのことを言う人もいるかもしれんね。
まあ、声がちょっと特徴的やからね。一作坊主は。
そうね。
あれやけど。
うん。とかっとやっぱ玉代さんの島田陽子さんとかね、もうすごい綺麗ですよね。
そうねー。うーん。
顔のアップパンパンパンみたいなの多いやん。
はいはい。
この映画。
うん。
だからやっぱ基本やっぱ顔面力ある人は多いよね。みんなね。
顔面力。まあ確かに。
そうそうそう。
まあわかりますよ。言わんとしてることは。
うーん。昔の映画ってさ、
うん。
俺がよく落ちてた問題って何言ってるかわからんっていう問題があんねん。
あははは。なるほどね。
うん。でもイチカーコンの映画ってね、何言ってるかわからん問題って基本ないねん。
あー確かに。それはそうでしたね。
そうそうそう。だし、これも言ったら複雑やんか。どこがどういう関係やっけ。わからんかったりするやん。
そのスケキオとマツコ夫人っていうペアはわかるけど、ちょっとしたってどっちがどっちかちょっとわからんかったりせへん。初め聞いたら。
うーん。どこが親子やったっけみたいな。
そうそうそうそう。とか、なんかそういう感じとかもあると思うけど、なんかそれをもうその辺もテクニックでああいう関係図見せたりみたいなのもあるし、
うん。
石坂コウチがさ、近代史がこう出てくるシーンでいちいちこの状況の説明ちゃんとしてくれるんよね。
あー。
何々ということはこういうことでこうなったんですね。みたいな。
で、そこもさ、石坂コウチの声っていうか、石坂コウチってあのウルトラマンとかウルトラキューンの時とかナレーターやってる人だからすげー上手いのね、ナレーションが。
あー。なるほど。状況説明に適切な配役というか。
そうそうそう。だからなんかそういうとして多分石坂コウチキャッシングしてるってとこもあると思うんだけど、
うん。
その辺がね、すごい聞き取りやすいし、昔の映画見てよくわからん問題みたいなのが、頑張って映像に食らいついていけば、
まあ別にわからんところはちゃんと回収されるし、わかるようになっているっていうところも、今見る日本映画、昔の日本映画としてもすごい引いてってるとこかなと思いますね。
うーん、なるほどね。確かに。そこの遜色みたいなもの一切なかったです。
ないないない。そうそう。
あとあの警察庁の加藤たけしっていうところの人が、何々だな、よーし分かった、みたいな。
あの人も結構説明でやってくれるんだけど、分かりやすく、あ、こいつ間違えてるなんかが。
ああ、うん、わかるわかる。明らかに早とっちりしてるなっていうさ、誤解度をやってくれるよね、あの人が。
そういうから、こっちじゃないんだな、みたいな整理がちょっとずつつくようになってんだよ。だからこう、見ていくとちょうどいいところで、あの近大地が出てきて整理するか、この加藤たけしが違う推理をするみたいな。
うーん。
まあ湖南における小五郎みたいな。
なるほどね、そっか。
うん、あれでちゃんと整理される感があるんだよね。
必ず間違う人っていうのはすごい大事なんだよな、そこの人のストーリー上。
そうそう、ちなみにこのシリーズからこの加藤たけしが警察署の役として出てくるのよ、全部。で、毎回はじめましてなんよ。
あ、そうなの?はじめましてってその、ストーリー上ははじめましてでやってるってこと?
そうそうそう、だからパラレルワールドになってるっていう意味の感じで。
あー、そういうことなんや。
そうそう、だからどんどんシリーズが続いていくから、もう解決しまくってる名探偵近大地っていう感じじゃないやんか、この近大地って。
そうだね。
そういう感じなのよ。原作だとこの絵の前に本人殺人事件っていう横溝精子の作品の解決したから来てるっていう役なんだけど、なんかそこが飛ばしてあんのね。
あー、なるほどね。
石坂康二のその言ったら、直接作品の言ったらスウィルでバンバンバンあなたですみたいな感じのタイプじゃないから、
どっちかというとふわふわ説明してくれるナレーターとしての天使みたいな人やから、そういう加藤たけしの警察署長との関係があるみたいな感じだとちょっと関係性ずれちゃうから、
毎回そこは初対面っていう感じでやっていくんだよね。
ちょっと名探偵感をできるだけなくしてるんですね。
そうそうそうそう。っていうのもね、今後のやつにもあったりとかしてて。
いやーなんか細かいテクが効いてますね、さっきから。
いやほんとそうなんですよ。
うーん。
そうそうとか、あと音楽もさ、大野雄二さんがこれ初の映画音楽やってるんですよ。
へー、そうなんや。結構あの印象的な音楽じゃないですか、テーマ曲みたいなやつ。
ベンベンベンベン。
そうそうそうそう。みんなも一応聞いたことあるけどね。
このタイトル出てくるとこめっちゃかっこいいねんなー。始まったーって感じですよね。
そうやな。なんかだから、結構ちゃんとこう想像通りのもん出てきたっていうテンションの上がり方でしたから。
うーん、そうそうそう。で、これがほんの初で、翌年にルパンサンスでやってるんですよね、大野さんって。
へー。
だから、もともと全然ジャズだった人を、これは門川春樹が、こいついいじゃんっつって引っ張ってきて、印象的な音楽をね、ちゃんと作ってくれてる。
はー、そう。
うーん、その辺もね、素晴らしいですよ。
門川春樹のその人を見るっていうか、人を選ぶ力みたいなのがね。
もうこの時期の門川春樹はやっぱやばいね、ほんとにすごい。
で、舞台が昭和23年とか、2年3年みたいな設定で、1947年、だから戦後すぐなんよね。
いや、おんのよこれ。英語音上で見るシーンってみんななんか、あの時のこの松子夫人から並びのやつらと、たまよとみたいな感じだと思うけど、この謎の犬神報告会ってやつ、おんのよ。
これめっちゃ短いシーンでピッってあって、始め映って、この犬神報告会に、みたいな。
の時にこいつがこうお辞儀するっていうこの2カットが映るんだけど、これね、初め見てたら正直見逃すかもしれんけど、2回目見たらビビるから。
えっ何こいつってなんねん。
そうか、全員登場人数把握してる状態に見ると、急に知らんやつ出てくるから。
えっ何こいつってなんねんだ。
で多分、この犬神報告会ってその犬神左兵がやってたこの闇の部分というか。
あーなるほど。
そういうのを多分やってるやつらやね。
うーん、そういうことか。
そうそうそうそう。だからこう、気づかへんけどなんか変な人映ったみたいな、そういうのがちょっとこう意識に当てられてるみたいな。そういうのがあるんですよ実は。
君は必ず戻ってこれる。
よくあのファイトクラブの最後にアヤンが映るみたいなあるやん。
まあありますね。
そうそうそういう感じよ。
はーなるほどね。そっか、それは見直さないとわからへんな。
そうそうとか、後半とかは松子夫人がこうちょっとやっちゃうシーンの時に、左兵のカットっていうのがちょいちょい入るよね。
あーはいはいはい。
あれとかと同じ感じよね。なんかこう、今回ってそのオカルティックな要素って切ってあるのよ。
切ってある。原作にはもうちょっとこう長城、超自然的な話があるんだ。
そうそうそうそう。もうちょっとあんのよ。だから犬神左兵の呪いみたいなのがちょっと書いてあるのよ。
あーそうなんよ。
でもそこを切ってんのよ。そういう感じにはしてないよね。だから、殺人を犯してしまう人がそういうなんか念みたいなのをくらってやっちゃうみたいな。そういうことじゃないんだよね。
そうですね。
ここは左兵のカットを入れることで、なんかこう狂わされちゃったみたいな感じにちょっと不穏なカットとして見えるようにしてあって、
この辺は結構すごい、もしかしたらそんなに意識してないからそれは意味ないんちゃうかなって思われるかもしれへんけど、
嫌な感じみたいなのがあるなーっていうのは何回も見てる私からすると思う。
あの辺のなんかサブリミナル的に入ってるとこがちょっとちゃうんちゃうんかなって俺は思ってて。
これはもっと直接的やけど、エクソシストとかでもあるじゃないですか。悪魔の顔がサブリミナル。
なんかああいうのと近いような感覚はあるね。
いやほんとそうそうそうそう。とかかな。
編集のとこで言うと本当にセリフが終わる瞬間次のシーン行くんやんな。
おー。
とか、静止画でさ、セリフだけバーって喋ってるみたいなやつあるやん。
あの急にスチール写真になる系あるやんか。冒頭の冒頭のところとかさ、急に見てたパソコンだったらパソコン壊れたかなみたいな感じになる。
そうね。
そうそうそう。急にスチールになるってとこあるんやけど。
ああいうのとかも多分、ほんとは飽きさせない工夫みたいなところがやっぱあるんかなとは思うのよ。
セリフを喋ってる時にガッと来るからあれとかって。
ほんま説明をずっと説明に聞かされるとだれるから、なんかそういう絵的な変化をつけてるんだなっていう風に僕は解釈してるんだけど。
なるほどねー。
あと急に白黒になるやつは、例えば展望台でタマヨが襲われるシーンとか。
まあほんまに回想っぽいシーンとか。
そうそうそうそう。あれとかもなんかすごい、映画見てきてちょうどだれるぐらいにくんねんな、あれって。
まあ確かに言われてみれば。
そうそうそう。なんかだからそういう多分、編集の感覚みたいな。
これは市川くんが持ってる店舗なんだけど、おさだ千鶴子さんっていう編集の人がずっと市川くんの作品あるんだけど、なんかその人が店舗感みたいなのと編集にはすごい関わってるところがあるんだろうなーっていうところがあるんですけどね。
なるほどねー。
そうそう。だから一沢康二さんのインタビューで、頭から同じシーン、もう何回も何回も撮ってるんだって、あれ。
だからもうテープとしてはもうめっちゃ撮ってると。最終的にあの絵になってるっていう。
なるほどねー。
その辺りも含めて結構、安の感も感じるな。もう何回もやりまくるっていうのが。
いやもう本当に秀明だし、たぶん一番秀明の作品で言うとシンゴジラの店舗感が一番近いかな。
そうですね。
そうそう。だからシンゴジラの時に結構みんな市川くん再発見みたいな感じで、市川くんの店舗だったねみたいな感じで結構語ってる人も多かったんだけど。
へー。
そうそうそうそうそう。っていうとこもあるかなー。
でまあこれも繰り返しになるんですけど、これって多分市川くんじゃなかったらめっちゃ土着的な感じになるよね。
で、他の例えばスペシャルドラマとかも、去年のNHKでやってたやつとかはさらにひねったこととかもしてあって。
あー何それは、ストーリー上で。
ストーリー上でちょっと言っちゃうとあれだけど、サイコみたいなオチにしてたりみたいなんで。
まあ名脚本家が描いてたんで、そこはその辺のあれなんだろうなと思ったんだけど。
やっぱね、市川くん版にあって他にないってやっぱそのスタイリッシュ感なのよ。
みんなどの人がやってもやっぱなんかこうやっぱ土着的な日本のものだなっていうもんにしてあるのよみんな。
なんであんなに市川くんが撮ったゆなみけだけ、あの日本家屋がめっちゃスタイリッシュに見えるのかなっていうのはね、思うねんか。
確かにね。
そう、かっこいいもんな家が。
うーん、そうやな、なんでなんやろうな。
なんやろ、日本家屋とかって入ったことあるじゃないですか、僕らも1回ぐらいはさ。
なんかそういったものとなんか全然違う感じがするねん、経験したものと。
そうそうそうそう。
そうですね、なんかこう全体としてやっぱ黒い感じがなんかある。
そうね、なんか黒がやっぱかっこいいよね。
そうですね、なんかこう日本家屋って言うとやっぱ木とか畳とかこう暖色っぽいイメージが通している感じがするんですけどもっとこう黒いようなイメージがあるんですよね。
そうだね、ちょっと冷たい感じになってるもんね、青いイメージだもんね色もね全体的にね。
そうですね。
なんかその辺があるんだろうな。
しかもでも社会がこの家族の中になっちゃってる人はそこに頼らないと生きていけられない人にさせられてるんだよねこの婦人たちはみんな。
うんそうですね。
だからあのこういうふうに殺し合うしかないっていうさ。
犬神家という大きいなんか檻の中にこう閉じ込められてる状態ですからね。
でもそれってなんかでも異常な環境で異常な人たちがやってることだというふうに見えるかもしれへんけども。
なんかすごくそれこそ男性性不性みたいなものとかにフォーカスして考えるとなんかそういうことって全然家族間では割とあることっつうか。
まあ家族間だけじゃなくてコミュニケーションの中とかでも結構あることっつうか。
なんかその感じっていうのがあるよね。
そうですねいやこれさ犬神家の一族を見たタイミングでほんまに偶然聞いた話なんですけど。
僕その年末ってか年始に実家に帰っててで父親から初めて聞いたんですけど。
その父親方の方の祖母の家っていうのがまさにこういう遺産ではないですけど土地の争いがすごかったらしくて。
10人兄弟ぐらいいて何人かが戦死しちゃったので実際はたぶん7,8人ぐらいの兄弟だったらしいんですけど。
7,8人ぐらいの兄弟だとやっぱその一番上と下って都市が離れてるじゃないですか。
なので結構その都市がその上の長男上戦死しちゃってるんで実際は次男ぐらいだったらしいんですけど。
その人が早い段階から親にその土地俺が全部この下の兄弟に振り分けるからまとめて振り分けるからまず俺にこう全部くれみたいなこと言ったらしくて。
それをこうこのままホイホイと次男が全部土地をもらって結局振り分けることがなくてものすごいいがみ合いがあったらしくて。
もう全然会ってないらしいんですよもうそこの兄弟。
あーもうそれで断絶しちゃったみたいな。
そうなんですずっと恨みを抱えている状態みたいで。
っていう話をちょうど父親から聞いてうわもうそういう話ってほんまにあるんやと思って。
あーこれね俺のじいちゃんも全く同じような話あんの。
あーやっぱその上の世代ってあるんや。
俺らの世代でもそういうまあそういうじいちゃんの話とかであるみたいな感じだけどこの当時の人からすると割と生々しい話でもあったんかなという感覚でもあるような。
そうなってくると。
まあなかなか僕らぐらいの世代になってくるとそのまあ土地とかの話で出てこないケースが多いと思うんですけど。
ただまあこれがこうよりただミニマルな規模になっているだけで。
家族という中のものをコントロールしないがためにこうなんていうんだろうないがみ合ってしまうというかさ。
グロテスクな形になってしまっているものってたぶんたくさんあると思うんですよね。
いやーそうよね。
なんか本当になんかでもそれこそでもその中でもうちょっとミニマルな感情にフォーカスするとやっぱり自分の息子を愛しているとか守りたい。
だからこそそういうふうになってしまうみたいな解釈も俺はあってるとは思うねんか。
まあ層も取れるよねっていう。
だからそこに関してすごく考えたっていう人もいるのはたぶん間違いなくて。
とは思うんだけどなんか僕はやっぱりその不正というかね。
やっぱなんかそういう家族家みたいなもののシステムっていうもの自体が結構、
もうそもそも一つの人に集中させて成り立ってしまってるみたいなもの自体がもうグロテスクなんだよっていうもんではあるんだろうなっていうさ。
そうですね。
まあそういう描き方を僕もしてるとは。
だってそうじゃないと犬神作兵をあんなふうには描かないと思うんですよね。
最終的に愛情であったらまあその根源っていうその作兵の状態をもっとこう温かいものとして描くはずだと思うんですけど最終。
全然そんな感じじゃないやっぱり。
なんか言ったら根源、悪の根源的なさ。
まあそこまでロコじゃないかもしれんけど。
だからそこが、描かないっていうのはこの市川根演出のスタイリッシュさだよね。
そのフォーカスするのはあくまでもう下の人らの話だからそうじゃないし。
でもキーポイントとしても、例えばもっと左兵衛の話はもっとやる。
けどまあその左兵衛の気持ちがどうだったかとかいうことを映していく。
こういうことを言ってたとかいうのをやっていくっていうのもアリだと思うんだけど。
そうじゃなくてこのほんまにこう末端の最後まで描き切る。
そこにフォーカスしていってこう立ち上がらせてるところにここが愚かだよねって感じになってる映画だと僕は思っていて。
だからその下の人たちが本当に一番守りたい息子とかの愛情みたいなんとかを考えるのか。
それともその大きなシステムの大元である不正っていうものが存在してるからこそもこういうことまで。
極端な形だけどこういうところの間になってしまうみたいな感じの立ち上がり方っていうのがすごいいい映画だなと思うとこかな。
確かにね。
これ特にイヌカミケっていう家計の中ではないですけど、物語の終わり方としても結局みんなにこう挨拶して見送られて終わるみたいな終わり方じゃないじゃないですか。
そうそうそう。もうそういうの嫌やから。
ペッて帰っちゃうっていう。
そう。あれが愛を終わり方も含めて、こんなにその人と人との繋がりがいいっていうことを言ってる映画ではないような気がするんですよ。
そうね。そこのエゴイスティックな部分も描きつつそういう突き放した感じがあるから、いいんだろうなと思ってて。