00:06
お疲れ様です。 薩摩訛りの耳毒ラジオ
この配信は、人検索の時代、地方の名もなきイラストレーター、私、みやけんの人となりを知ってもらうべく、日々の気づきやマインドを発信している雑談チャンネルです。
テキストよりも、 電話で問い合わせする派でお馴染みのみやけんです。よろしくお願いします。
昨日の配信にコメントをいただきまして、ありがとうございました。
結構色々意見がありまして、キャラデザインがなぜパクリに見えるのかというタイトルの配信でしたが、
コメント欄を見て、また色々思ったことを、今日は続きを話したいと思います。
その前に、今日は木曜日で美容デーとなっておりますので、美容のことについて
語っております。皆さん。 僕は美容については
あまり語ることがないので、お任せいたしますが、 木曜日が美容デーであるというキャンペーンは、僕も言わせていただきたいと思います。
化粧水堂永本さんが推進しております。 木曜日の美容デーで、皆さんも美容のことを考えましょう。
さて、キャラデザインのパクリの話でですね、ちょっとAIアートの方まで触れたいと思います。
どうしようかなぁ
パンさんがですね、コメントくれたのに、僕は返信した内容からいくんですが、
デザインを生み出すっていうのはですね、やっぱり僕は基本的に全て何かのパクリだと思っているという、極端な言い方をしているんですけれども、
もうちょっとちゃんとこれを説明するとですね、 01とかよく言いますけど、
01の1が、もう今まで誰も見たこともないようなすごいものだとしたとしてですね、 ただそれがすごいかどうかっていうのはあれなんですけど、
まあ誰も見たことがないものを生み出したとしたら、誰も見たことがないから何なのかそれが分からなくて、誰の共感も得られないんですよね。
デザインっていうのは必ず目的がありますので、
03:04
自分の表現を伝えたいとか、 広告デザインだったらこの商品の魅力を伝えたいとか、
こういう人に気に入ってもらいたいとか、それもキャラクターデザインでも広告でもそうですけど、
必ず人間の心に訴えるための目的、意図っていうのはあるわけです。
人間の心に訴えるということはその人の共感を得られないといけない。 という意味でさっき言ったような誰も見たことのない誰も知らないものを生み出しても共感は得られないわけですね。
猫って可愛いよねっていうのの共感があって猫のキャラクターが成立するというわけですし、
ヨーロッパとか欧米の方では、狐っていうのはズル賢いという性質があるよねとかいうのを利用して狐のキャラクターを
あれは狼のキャラクターを、狐のキャラクターが出てきたということはこいつはズル賢い奴だとか、
狼が出てきたということは暴れん坊だとかねいうのをミスリードしたりあるいは表現したり、
それはやっぱりそういう共通認識ですね、共感というか共通認識に当ててそういうモチーフを選んだりするわけですよね。
木の象とかネズミって話もしましたけど、だからその共通認識という部分をうまく使わないとこの伝えたいものというのを伝えられないということになります。
でその上でですね、
いろいろね、意見をいただいたんですが、キティちゃんとドラえもんっていうのをね、みんみんさんが例に挙げてみました。
モチーフは同じ猫だけども違うよねと、違うよねと言いながらも共通の部分があって、例えば二頭身だったりとかするのはもうこれは子供向け、子供に受けのいいかわいい
シルエットという糸で同じ二頭身になってたりするというところは共通します。ピカチュウとかも二頭身だったりするのはそういうのがあって、
でもキティちゃんはタッチとか顔の目が黒丸だったりとか、おちょぼ口だったりとか、女の子をターゲットにしているというね、
ことによってそのデザインになっていきます。 ちょっとエアコンのノイズがひどかったかもしれないので一旦消しました。
ピカチュウであれば、電気のポケモンということなので電気をイメージしやすい黄色という色を採用しているとかですね。
06:13
という構図によってデザインを決めていくと。もう一つはですね、イラストに関してはですね、
先ほどの01とちょっとごっちゃになりそうなんですけど、
描くものは全て、 デザイナーが全部デザインできるんですよね。
線から、シルエットから、その顔のパーツからというデザインは、
それこそゼロから全部デザインができるわけです。 写真とかだったらその場にあるものっていうのを聞いているんですけれども、
アニメの話とかでもよく言いますけど、その画面全部を全部作れるんですよね。
ということはこういう感じでパーツとか色とかを考えていった時に、
すべてのパーツや線とかに目的に応じた糸っていうのを込めることができるんですよね。
逆に言えば一流のデザインは線一本、線の長さ、すべてがそういう糸を元に決められているわけです。
ドラえもんの髭の長さこれぐらいが一番ベストとか、 目の大きさこれぐらいがベストとかですね。
そういうふうにして描かれるものすべてが人間の糸をもって描かれてデザインっていうのは作られているんですよね。
そこでですね、 出てくるのが
AIアートです。 だから僕はこういうデザインというのはそういうものだと思っているので、
AIアートは絶対にこれを超えられないと思っています。 AIアートは線一本一本に糸を込めることができないんですよね。
自分たちが手でイーハストを描くときは 髪型のこのとんがりの数一つ一つに
糸を込められるわけです。 これはまあ
ここはとんがり3つにしとこうとか感覚的な部分もありますけど このキャラについてはもっとギザギザを増やしておこうとか
なぜならばこうだからみたいなのがね。 でもAIアートっていうのは
いろんなネットの上の
いろんな描き方の描いてある現物の
平均値を形にしているっていう感じなので 1個1個に、パーツ1個1個とかに糸がないんですよね。
09:05
僕がAIアートかなこれ本物かなって見抜くときはやっぱりディティールに人の糸を感じるか 石を感じるかっていうところを見ます
そういう見方をするとやっぱり結構わかりますね 全体のパッド見たイラストの印象でこれこういうイラストだな
こういう好みをで表現してるなって一旦捉えた上で全てのパーツがその糸に沿ってるかな
っていうのを見ていった時に なんでこれがここに入ってんだろうとか言うなってきたりとかね
線の表現ここここあそこでこの表現使うのになんでここでこれが入ってくるんだろうとか AIくさいなっていうふうに見分けたりもしております
でそこにやっぱ超えられない壁が僕にはあると思ってます
っていう のの一つの結論なんですがもう一つさらに踏み込んだところがありまして
今僕が一緒にAIアート展をやろうとしている AIアーティストのユキミヤさんという方がいるんですが
この方の AIアートは
僕は 素晴らしい
クリエイト作品だなと思っています なぜかというとユキミヤさんのAIアートは
こだわりがあるんですしっかりと女の子の目の綺麗さと あと宝石とかの輝きっていうのが彼のテーマでしっかりあって
全部どのAIで出すイラストも女の子の目の色 輝きそこにこだわって作り込んでいるんですよね
しっかりと目的を持ってその目的に向かってそれこそ 道具としてAI
生成ジェネーザーを使っているんですよ だから
いろんな作品が出てくるたんびに今回はこれを表現したかったんだなぁとか あと本人に聞いてもそういうところ
この赤色のこれを足したいんですよねとか言ってるんだよ だから
僕はAIアートはイラストだとは認めてませんが アートとかクリエイティブだとはっていう部分は認めております
やっぱりものすごい苦労をしているし 人間の意図を持った選別っていうのがあるし
だけども手を使ってない以上イラストとは言えない 書いたとは言えないなと僕は思ってて
なのでAIアートは別ジャンルって思ってるんですが アートかどうかといえば十分アートがあると思っています
苦労という点でのクリエイティブもあると思っています ただ本当にアートと呼べるAIアートになっているのかどうかというのはさっきも言ったように
12:09
ただ いいなんとなくいい絵ができたっていうのでどんどん作っている人と
AIを使ってこれを出し表現したいなーって思っている人はまた別だと思っております
ということでですね ちょっと身内B機になったかもしれませんが
そのこだわりを持って狙ったこれっていうのを突き詰めるという点は本当にアーティストだと思っておりますので
また今後もですね皆さんもそういった点というのをデザインとかね AIアートにおいてもちょっと意識して見てみたらどうでしょうか
作品を通してねその人間性がわかるっていうのが
必ずありますので不思議なものでですねこれは音楽も一緒だと思うし イラストも一緒だと思うし料理とかでも一緒だと思うし
だからAIが人間のそういう部分を超えられるとは思いません AI単体がね
でも人間がAIを使うときにそういう使い方をしているっていうのは
そういう人が増えればまさにアートとして成り立つしアーティストとして尊敬できるなぁと思っております
ちょっと難しい話真面目な話になっちゃいましたが今日は終わりましょうさよならね またねバイバイ