食事をクリエイトする道草屋のかなと、
ひでがお送りする道草ラジオです。
先日したトークイベント、「空き家対策を解決する」みたいなイベント内容で、
近所の友達が主催してやったイベントに、うちの道草屋が呼ばれてやったよな。
あと、近所のベーグルとおむすび屋さんのお花むすびさんの旦那さんと3人で喋ったやつです。
僕とその旦那さんと友達がファシリテーターで3人で移住してきて、
空き家を活用してお店をやっているというテーマでお話ししてきました。
結構いっぱい人来てくれたよね。
うん、まあまあ来てたね。
それでは、お聞きください。どうぞ。
一瞬だけ僕の自己紹介をしますと、
一般社団法人キーラボの代表理事をやっております岩永と申します。
この9月まで東京大学の大学院に在籍してまして、
最近卒業したばかりでございまして、大学を卒業して、
学部時代からずっと5年前くらいからこの地区に関わってたんですけど、
空き家を譲り受けて移住をしております。よろしくお願いします。
最初に冒頭に三浜町について簡単に説明しようと思いますが、
和歌山県のちょうど真ん中ら辺にありまして、
これ12キロ平米なので3×4キロっていうめちゃくちゃ小さい町になってて、
人口がですね、これ2023年の時は6500人って言えてたんですが、
この11月には6344人ということで順調に100人ずつぐらい減っていっているというような状況になっております。
ただ一方でこの三世ですら、ドア中ドアであれば、
Googleマップであれば塩坂までちょうど2時間ぴったしぐらいという感じで、
意外とアクセスは悪くないんですが、そういう場所です。
そんな中でも三浜町の一番先端側のことを三好地区と言いまして、
先ほどちらっと申し上げましたが、この三好地区からカナダに
移民をたくさん反映したというのでアメリカ村と呼ばれております。
活動の前に今この地区にはNPO法人がありまして、
日野岬アメリカ村という団体があります。
僕とか今これから登壇する吉田さんとかが理事になってたりするんですけど、
もともとあったこのカナダ由来の建物やったりとか、
ゲストハウスやったりとか、あと使わなくなった公民館の2階とかをレストランにしたり、
宿にしたり、カフェ兼資料館にしたり、そういうのを運営したりとかしていて、
空き家を活用した活動などもやっていたり、あと次世代の教育をやったり、
やっぱりカナダ移民ってすごい独特なテーマなので、
結構大学の研究者の方が戦後からずっと調査のために来ていたんですね。
これは近年、ただ研究するだけじゃなくて、ゼミ生を呼んでゼミ合宿をしたりとか、
あと大学生と一緒に地域で何を、これから何をしたらいいのかみたいなアイデアさんをお伝えします。
ということで、そんな感じで結構地域すごく好みの地区、
全体の3分の2ぐらいが空き家って言われてるんですけど、
かつすごく減少してる人口の中で、結構空き家活用をしている、
安藤さんともそうですけど、先輩たちがたくさんいらっしゃって、
今日はその中でですね、今日1日ワークショップを一緒に行った道草屋さんと、
あとそして2年前に移住されたお花結さんで、
道草屋さんはもう12年以上前に移住されていますし、
移住のきっかけとかも2人それぞれ結構違うなと事前に聞いている中で、
今日はちょっと掘り下げていきたいなと思っています。
ではちょっと早速ですが、自己紹介の方をしていただきたいなと思うんですが、
どうしようかな、道草屋さん先に、ひねくん先に喋って、
さっきチラッと喋ってると思うんですけど、
先ほどから言ってくれている方ばかりですよね、道草屋です。
12年ぐらい前にメキシコから移住してきています。
当時はアキアバンクとかそういうのも全然なかったので、
僕は近畿圏の海沿いの集落を探していたので、
もう自分なしで和歌山県の海沿いの集落を一個ずつ訪ねては、
第一村人を発見して、家空いてますかっていう感じでずっと南に降りてきて、
今この場所でたまたま家が見つかったので着地したって感じですね。
それから10年以上経ちますけども、だいぶ時代が変わりましたね。
すっかりアキアバンクとかもできて。
もともとお生まれは大阪。 大阪です。
大阪でずっと育った。いつのタイミングでメキシコに?
大学を出て、1年働いて、そのまま旅に出て、
メキシコで宿を作って、帰ってきて、子供ができて、またその宿をやりに行って、
それから和歌山です。
和歌山。メキシコには何で行こうと思う?
メキシコは通りかかっただけです。
バックパッカーでアメリカ大陸からバックパッカーとして移動していて、
アメリカ合衆国に入って南下している途中で宿を作ろうぜって話になって、
宿を作ってしまって、たまたまそれだけです。
先ほど自己紹介、ワークショップ中にもお話があったと思うので、
ちょっと簡単に切り上げさせていただいて、
もう一人の今日の登壇者の方にご紹介をしたいと思います。
お花結びさんの吉田正彦さんです。
私の方は元々和歌山市出身で高校までいまして、
妻の方はずっと豊中市でいてて、
私の大学出て仕事は大阪でずっとサラリーマンを30年ほどずっとやってて、
主に品質管理とか製造業の方でやってたんで、
今やってるのとは畑全然違いなことをやってまして、
そこで妻と知り合って結婚しずっとやってたんですけども、
コロナあたりで高齢の両親、和歌山市に住んでるんですけども、
すぐにちょっと会えなかったりしたこともあって、
ちょうどそこで仕事も一回やめて、
やってたら和歌山の海のあたりでどっかいいとこないかなと探すようになってたんですけども、
いいのが全然見つからなくて、ネットで見てても気があかんし、
何気にここに三浜町に来たときに、
お茶するとこないかなと思いながら探してたら、
ちょうどゲストハウスをやってるダイヤモンドヘッドの大江さんと知り合いまして、
そこで話いろいろしてて、
こういうことやってるんや、
三浜町三尾の方でいろいろ盛り上げようとやってる人がいるっていうのが知り合って、
どっか海のあたりでカフェやりたいなと思ってたんで、
突然どっか田舎でポンとやっても周りの人からまたハレーションを切るかなと思って、
知ってる人おったほうが頼りになるし、
相談できる人おったほうがと思ってたんで、
いろいろやってたんですけども、なかなかいい物件も見つからないので、
思い切って三浜町のハイツを借りて、
二拠点生活するようになりました。
それが22年の4月ですね。
二拠点しながら、
23年に今の物件をやっと見つかって買うことができたんですけども、
そのときに先に住んでたんで、周りの何人か知り合いも増えたんで、
ここの家顔に当たって周りの人はどんな人いますかとか、
やっぱりカフェしたりするんで、
いろいろな人が来るんでガチャガチャに逃げ合って、
嫌がる人やったりしたら店できひんなと思ってたんで、
そこで周り知り合った人に聞いたりして、
ほぼやったらできそうやなとか思って、
今のところ購入して、
23年10月に本格的に工事をして、
そのときは和歌山県の補助金で、
厨房のところとかを補助金できれいにして、
客間とかは自分たちで友達に力借りたりして、
DIYして何とか客間とかを完成させて、
24年3月にお花結びという名前でオープンしました。
お花結びというのは何という名前かというと、
おにぎりとベーグルなんで、おにぎりは結ぶ、
ベーグルも丸く結ぶんで、
結構大江さんとか知り合ったっていう、
人との縁の結びつきとかもあったんで、
それで結びという名前をつけたいなと。
それで花結びというのしとか、
引き出物とかのしつける花結びというのがあったんで、
そういうのもあったんで、
めでたいときに使うんで、
そこに大をつけて、
花結びだけでありきたりなんで、
大をつけてお花結びという名前で、
今は3月にオープンしたんで、
1周年に向けてどうしようかなと思って準備中です。
以上です。
元々は大阪で製造業というか、
品質管理のお仕事をされている中で、
飲食店をやるってハードルが高いのかなと思ったんですけど。
そうですね、今思えばハードル高い。
全然畑違いなんで。
接客も全然いいんですし、
私の方は品質管理なんで、
クレームで謝りにいくことはできるんですけど。
元々の仕事がクレーム対応だったから。
メンタルの強さを軸にしながらということで。
今回お二人には、
なんで空き家をそもそも活用したのかってところと、
実際活用してみてどうだったのかみたいな話を、
これから1時間掘り下げていこうかなと思ってるんですけど。
いろいろな場所を探すようになったっていうところ。
コロナで両親会ない中で移住ということなんですけど、
その時には飲食店をやりたくて移住したいとか、
そういう気持ちがあったんですか?
そうですね。
サラリーマンしてても頑張っても65か70で、
そこから年金でお金のないやろうし、
どうせまたどっかでアルバイトで食いつなぐんやったら、
自分でずっと一生働けるような仕事をやっていこうと思って。
だったら早いほうがいいかな。
当時でいくつぐらいだった?
この時で51とか50ちょっといったぐらいですね。
コロナもきっかけで考えるようになったってところで、
じゃあ今度次どこに移住しようかっていう話になってくると思うんですけど、
そこはどうやってまず探していったんですか?
いろんな場所を探すっていう。
両親が和歌山市なんで、
じゃあ和歌山市でいいやんってなると思うんですけど、
和歌山市は生活のパターンが似てるんで、
高校までおったし今もたまに帰ったりしてたら、
だいたいどこに何があるか分かるし、
それはちょっともう生活が見えてくるんで、
いいやと思って。
もっと田舎がよかった?
もっと田舎のほうがいいなと思って。
で、海のそばで。
海はなんかこだわりがあったんですか?
やっぱり潮水。
やっぱり海見てるほうがスカッとした気持ちになれるし、山より。
実家も住んでたところは後ろ山やったりしてたんで、
だからそれやったら海がいいなと思って。
海で探していくってなった時に、やっぱり調みつぶしに見ていくんですか?
和歌山市にすぐ行けるようにというのと、
大阪はまだ住んでたんで、そこからすぐ見に行けるようにと思ってたんで、
白浜から海南辺り、海南でもうちょっと南とか、
その辺りの海岸線をずっと。
どういう感じで探したんですか?
いやいや、物件探しは。
物件探しっていうか、まずは店もするんで、人の流れも見なあかんし、
ぽつんと一軒離れててもなんとかなるかもしれんけど、
やっぱりそれなりに人がどう動いてるか、
42号線から海どんだけ離れてて、
どういう集落になっているのかとかを見ながら、
ここっていうのがピンとは来なくて。
結局そのこっちに自分なしで行って、
見た感じで空き家を見つけるってことですか?
それか不動産を探すのか、空き家バンク的なものを探すのか?
空き家バンクも探したり、
とりあえずまず場所を絞ろうと。
ここだと何町とか、
そういうのをまず見て探していこうと。
だから全然何にも決まってなくて、
もうそれだけなんで、すごいぼんやりした状態ですね。
逆に言うと、理想の場所が見つからずっていうのは、
家が見つからないというよりかは、
地域が見つからない。
で、結局もう思い切って、
親さんと知り合ったことで、もうここや!
じゃあその親さんと知り合う前も、
美浜町は候補に上がってたけど、
結局人と出会って、やっぱりここか?
そうですね。
やっぱり人と出会う前に上がってくる候補っていうのは、
なんか違うなって思っちゃう。
なんかここはいいけど、ここはあれだなって。
なんかいまいちピンと来ない。
やっぱり条件の1個に人との出会いはあるんかも。
人との出会いが大きいですね。
それが、だから故にこうやって知り合って、
結構助けられたりしてるんで。
当時、ちなみに人に会う前に、
ここら辺なみたいなのは他にもあったんですか?
美浜町以外で。
美浜町以外で稲見とか、
みなべとか、
しもつのほうとか。
かもごうさんとかね。
そっちのほうね。
なんとなくその4つぐらいで。
あと、すさみも一応半分旅行がてら行ったんですよ。
そこで道の駅みたいなところで、
移住の相談みたいな、