幸せなロールモデルが分からない
2026-05-26 20:18

幸せなロールモデルが分からない

ロールモデルって、目標というより、許可なのかもしれない。


第5回は、「幸せなロールモデルが分からない」をテーマに話しました。

「ロールモデルがいない」とよく聞くけれど、
そもそも、誰かの人生を見本にするって何なんでしょうか。

仕事で成功している人。
家庭を持っている人。
パートナーと穏やかに暮らしている人。
自分のペースで、ちゃんと生きているように見える人。

素敵だなと思う一方で、
「でも、それはあの人だからでしょ」と、
自分とは違う世界の人として片付けてしまうことがあります。

ロールモデルは、誰かを丸ごと真似するための存在ではなく、
「自分にも、そういう未来があっていいのかもしれない」と、
閉じていた可能性を少しだけ開けてくれる存在なのかもしれない。

今回は、前回の配信を受けて届いたおたよりもご紹介しながら、
完成された幸せの見本ではなく、
まだ迷っている途中の声が、誰かの支えになることについても話しています。

・「ロールモデルがいない」と感じる前に、そもそもロールモデルとは何か
・幸せそうな人を見ても、「自分とは違う」と“例外フォルダ”に入れてしまうこと
・自分にも可能性があると信じることが、怖くなる理由
・誰かの人生は、丸ごと真似できるものではないという話
・ロールモデルは、目標ではなく「自分にもそんな未来があっていい」と思える許可なのかもしれないこと
・前回の配信に届いたおたよりと、「人に頼ってもいいのかしら」という途中の言葉
・完成された見本ではなく、迷っている途中の声も誰かの生存確認になること

この番組では、恋愛・家族・将来にまつわる、まだ答えの出ていない本音を募集しています。

まとまってなくて大丈夫。
結論がなくても大丈夫。
愚痴でも、相談でも、ぼやきでも大丈夫です。
未定のままで、結構です。


冒頭フック|そもそも、ロールモデルって何なんだろう
オープニング|今回のテーマについて
未定区だより|「人に頼ることをしてもいいのかしら」
ロールモデルって、完成見本なのか
幸せそうな人を“例外フォルダ”に入れてしまうこと
人の人生は、丸ごと真似できない
ロールモデルは、可能性を許してくれる人
途中の声も、誰かにとっては生存確認になる
リスナーの皆様への問いかけ
エンディング|また戻ってこられる場所として

おたよりはこちら
→⁠⁠https://forms.gle/bazXx3UHKwnY37fA8⁠⁠

感想・更新情報
→⁠⁠https://x.com/Wolf_Tofutei⁠⁠

東風亭ウルフのnote
→⁠⁠https://note.com/miteidekko⁠⁠

その他リンク集
→⁠⁠https://miteidekko.carrd.co/⁠

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、「幸せなロールモデルが分からない」というテーマについて掘り下げています。ロールモデルとは、誰かを丸ごと真似るための完成された見本ではなく、「自分にもそんな未来があっていいのかもしれない」と可能性を広げてくれる許可のような存在ではないかと考察します。また、リスナーからの便りを紹介し、完璧な幸せの見本ではなく、迷いながらも生きている途中の声が、誰かの支えや「生存確認」になることの重要性についても語られています。

オープニング:ロールモデルとは何か
ロールモデルがいないってよく聞くじゃないですか。 僕も思います。めっちゃ思います。幸せなロールモデルが分からない。
でも、ふと思ったんです。 そもそもロールモデルって何なんでしょう?
あの人みたいになりたいっていう憧れ? その人を真似すれば幸せになれる人?
人生の完成見本? だとしたら、それってちょっと重くないですか?
だってこっちはまだ洗濯物を畳むかどうかで自分の中に葛藤しているのに、いきなり人生の完成見本を探せとかって言われても、めっちゃ困る。
こちらが幸せな大人のセコーレイです。みたいに言われても、いやいやいや、うちはまず床に転がっている領収書を拾うとこから現実が始まるんですけど、みたいな感じになる。
でも、それでも幸せそうな人を見るとどこかで思うんですよ。
いいなぁ、あんな風に生きられたらいいなぁ。
でも、その次に心のどこかで別の自分が言うんです。
でも、それはあの人やからでしょ?
そうやって幸せそうな人を見つけても、すぐに自分とは別世界の棚にしまってしまう。
幸せなロールモデルがわからない。
そんな風に思ってましたけど、もしかすると、本間はロールモデルというものを僕らは少し立派に考えすぎているのかもしれません。
今日はそんな話をしてみたいと思います。
ハオー!あなただけのゲイとも、豆腐手ウルフです。
この番組は中途半端なままが苦手で、何でも白黒つけては完璧を求めすぎて自分を追い込んできた僕が、
恋愛、家族、孤独、将来、などなど生きていく中でまだ答えの出ていないこととか、名前のないモヤモヤを、
皆さんからのお便りや反応と一緒に考えたり、少しずつ言葉にしていくポッドキャスト。
未定で結構。
うまくまとまってなくて大丈夫。
結論が出てなくても大丈夫。
未定のままで結構です。
リスナーからの便り:人に頼ることへの一歩
これまで僕はポッドキャストの中で、自由の上に成り立つ不安、恋人がいない前提で将来を考えること、
カミングアウトした後にも残るもの、そして一人でも大丈夫と誰もいらないは違うというお話をしてきました。
その中で感想やお便りも少しずついただいております。
すぐに全部を番組で紹介できているというわけではないんですけれど、毎回毎回ほんまにめっちゃ読んでます。めちゃくちゃ読んでます。
ちょっとした言葉とかでも、あ、ここが届いたんやって思うこともあるし、逆に僕が言葉に仕切れなかったものを聞いてくださった方の感想とかお便りで気づかされるということもあります。
今回はそういう届いた声を直接紹介する回ではないんですけれども、でもそれらを読んで考えたことをもとに、
幸せなロールモデルってそもそも何なんでしょうという話をしてみたいと思っています。
というわけでね、本題に入る前に少しだけ、一通だけですね、見ていく便りを紹介させてください。
ラジオネームフカさんからのお便りです。
こんにちは。いつも楽しみに拝聴しております。
一人でも大丈夫、と誰もいらない、は多分違う。このテーマ染みました。
DVから離婚、やっと解放された、と思ったら一生付き合う病気となり、親族とも疎遠となりました。
正確的に人にも頼れず、まあ煩わしい人間関係がミニマムになるからいいか、と本当に仕事以外人と話さない生活を送っています。
一人でいいわ、と考えていましたが、今回のテーマを聞いて人を遠ざけていたのかもな、と感じています。
強がっている方が楽な時期は過ぎたのかもね、とも思いました。
良いとしながら気づきとなりました。寄り添ってくださり、勝手に感謝しております。
今回の配信を聞いて、亀の歩みより遅いかもしれませんが、人に頼ることをしてもいいのかしら、と感じています。
急に熱くなってきました。お体ご自愛くださいませ。
まずはフカさん、お便りありがとうございます。
このお便りを読んでですね、僕はですね、しばらくフリーズしてました。
パソコンの前でしばらくフリーズをしてました。
なんでかっていうと、良かったですね、で簡単に完結するお話ではないと思ったんですね。
前にも言いましたけど、人に頼れないのにはその人が頼れなかっただけの理由があるし、
一人でいいと思うようになったのは、そう思わないとやってこられなかった時間があるからなんですよ。
だから、人に頼りましょうなんて僕は外側から簡単には言われへんっていう話をしましたね。
でもですよ、このフカさんが人に頼ることをしてもいいのかしらと思えたこと、
この一文がですね、僕にとってはすごく大きい気がしていて、
なんて言うんでしょうか、まだ頼れてなくてもいいんですよ。
急に誰かに自分の心を明け渡さなくたっていいんですよ。
明日から人間関係をめちゃくちゃ増やそうとかそういうこともしなくていいんですよ。
でも、もしかしたら頼ってもいいのかもしれないと少しだけ思えた。
この小さな変化って外から見える結果としては何にも変わってないからさ、
誰も気づけへんような変化なのかもしれへんけど、
でもこれ内側からフカさんから見るとすごく大きな変化なんじゃないかなというふうに僕は思うんです。
亀の歩みより遅いかもしれないというふうにフカさんは書いてくださってますが、
亀ちゃんと進んでますからね。その亀ちゃんと歩いてますから。だったらええやん。
しかも亀って意外と強いですからね。甲羅もあるし。
なんか急に動物豆知識みたいになってきてるけど。
でもほんまに早く変わることだけというのが変化というわけではないと思います。
誰かに頼ってもいいのかもしれない。
そう思えたこと自体がもうすでに一歩踏み出してる一つの動きと言ってもいいのかもしれない。
そんなふうに僕は思いました。お便り本当にありがとうございます。
ロールモデルを「例外フォルダ」に入れてしまう心理
で、他にもですね、番組内での紹介はNGとなっているので紹介は省くんですけれども、
ちょっとどうしても僕、皆さんに紹介NGのお便りの中で伝えたい言葉っていうのがあったので、
ようやくさせていただくと、僕より年上の方でも同じようにモヤモヤを抱えることはある。
でもそれを言語化していくことで見える景色が変わる。
その景色がとてもいいんだよって僕に教えてくださった方もいらっしゃったんでしょう。
ほんまにありがとうございます。
めっちゃこのお便り素敵やなと思って僕めちゃくちゃ大切にしてるんです。
でね、こういったお二方のお便りを読むと、改めてロールモデルってなんなんやろうって思うんです。
ロールモデルって言うと、なんか少し立派な人を思い浮かべちゃいません?
仕事で成功している人やったり、家庭を持っている人やったり、
パートナーと穏やかに暮らしている人やったり、
友達に囲まれている人やったり、
自分のペースでちゃんと生きているように見える人やったり、
まあいろんな人いますよね。
で、もちろんそういう人を見て、素敵やな憧れって思うことはあるんです。
でも同時に心の中で仕分けしてしまうこともあるんですよ。
あの人は例外。
あの人は条件が違う。
あの人は運がいい。
あの人はだってちゃんとしてるもん。
あの人はもともとそういう人やから。
そうやって気づいたら、幸せそうな人が全員、
自分にはなれない例外フォルダみたいなとこに入ってるんですよ。
パソコンの中にないですか、皆さん。
僕は結構やるんですけど、とりあえず仮置きするためにいらないものを放り込むためだけのフォルダ。
あとで整理するみたいな名前をつけたまま二度と開かへんフォルダ。
僕の心の中には多分それがあるんですよ。
仮置きして二度と開けへんフォルダ。
幸せそうな人を見つける。
でもすぐにこれは僕とは違うケース。
僕はあんな風にはなられへんという風に処理をしてしまう。
でもそれは僕にはなれないという諦めでそういうことをやっているわけじゃない気がしてるんです。
どっちかというとね、多分それはね、僕を守ってるんですよ。
また出た鎧。僕を守る鎧ですね。
自分にもチャンスがあると信じてしまうと、途端にそのチャンスが欲しくなるんですよ。
でもそれが実現しなかったりとか、欲しいものが手に入らなかった時にやっぱり傷つくんですよね。
だから先にあれは僕とは関係のない世界の人っていう風に思っちゃう。
そうするとちょっと楽ですもんね。
なんか心の中に幸せ査定師みたいなのがおるんですよ。
こちらの幸せ一見綺麗に見えますが裏側に生活疲れがある可能性がありますね。
なのであなた向きの幸せではありませんねみたいなことを言ってくるんですよ。
うるせーっていう話を。
こっちはただちょっといいな憧れるなって思いたかっただけやのに。
そもそも人の人生ってそんな風に簡単に真似できるものではないんですよね。
その人の家族、その人の仕事、その人の収入、その人の体力、その人の性格、その人が生きた時代、その人の運、その人が見せていない苦しさ。
全部違う。当たり前やけど僕とは全部違う。
だからあの人を見本にしたらいいって言われてもどこか思うんですよ。
いやその人と僕で初期設定違いすぎません?
ゲームで言うなら向こうはもう初期装備から強いんですよ。
もうこっちはヒノキの棒と布の服。
しかも説明書なし。
最初の村から出た瞬間になんか強めのモンスターがおる。
それであの勇者を目指しましょうって言われてもいやいやいやまず薬草をください。
ロールモデルという言葉がしんどいのはその人を丸ごと参考にしようとしてしまうからかもしれませんね。
でも本間は誰かの人生を丸ごと真似する必要なんてない。
というよりもできなくて当たり前なんですよ。
だって初期設定ちゃうのよ。
その人もその人の人生の途中を生きてるだけなんです。
ロールモデルは可能性を許してくれる存在
家庭がある人も途中。
仕事で成功してる人も途中。
パートナーがおる人も途中。
年上のゲイの人もまだ途中。
誰も完成品の人生なんて歩んでないんですよ。
幸せそうな人だって普通に生活してるんです。
僕らと同じように生活してる。
洗濯物だって出るし、粉縁だってできるし、排水溝だってぬめる。
幸せそうな人でもそういう地味な嫌なことからって逃げられてないはずなんですよ。
だからね、最近僕は少し思うんです。
ロールモデルってあの人みたいにならなきゃみたいな、そういうなんかこう、高尚な存在ではないのかもしれない。
むしろ自分にもそういう未来があっていいのかもしれへんと思わせてくれる存在なのかもしれないですよね。
その的な人と同じ人生を歩んでいく必要はないし、同じ幸せを手に入れる必要もない。
ただ、自分の中で閉じていた可能性を少しだけ開けてくれる人。
例えば、パートナーと穏やかに暮らしている人を見て、
僕も落ち着いて一緒に暮らせるような素敵なパートナーを見つけなきゃ、じゃなくて、
一人ぼっちでも小さな幸せの欠片を集めていく人生も楽しいかもよ、って思えること。
一人で楽しそうに暮らしている人を見て、
自分もあの人みたいにお一人様の人生を楽しまなくちゃ、じゃなくて、
一人の時間を楽しさだけで埋めなくてもいいのかも。
寂しさだって自分の一部として受け入れて一緒に過ごせる椅子を用意してあげてもいいのかも、っていうふうに思えること。
歳をとっても落ち着きがなく冗談を言ってる人を見て、
僕はああはならへんぞ、じゃなくて、
歳をとったからって世間や誰かが決めた年齢の肩に収まる必要はない。
自分が楽しいと思えることを最優先に考えてやってみたらええやん、って思えること。
それぐらいでいいんじゃないかなって思うんです。
だからなんていうのかな、ロールモデルって目標というよりは、
こういう生き方もしてもいいんじゃないかなっていう許可みたいなものなのかなっていうふうに思うんです。
あなたもそういう未来を考えてみてもいいですよ、って自分に許可を出してあげるための存在。
誰かが直接、あなただってこうしていいんだよ、こういう可能性持っていいんだよって言ってくれるわけじゃないけど、
その人がそこにいるだけで、あ、そういう生き方だってしてもいいんや、って思える。
それって結構大きなことなんやと思うんです。
完成された見本ではなく、途中の声の重要性
だから僕が見たいと思っているロールモデルって、
もしかすると完成された幸せの見本みたいなものじゃないのかなって思うんです。
私は幸せです。これが正解です。
こうすればうまくいきます、みたいな、そういう綺麗な結論よりも、もっと途中の声が聞きたいんです。
迷ってます。わからないです。でもとりあえず今日も生きてます。
そういう声が聞きたいんですよ。
今回の紹介させていただいたお便りっていうのも、そうでした。
完全に人に頼れるようになりました、っていう完成報告じゃない。
人を頼ることをしてもいいのかしら、という、まだその人の歩みの途中の言葉なんです。
でもその途中の言葉が、今見ていて結構聞いてくれている誰かにとっては、
あ、私だけじゃないんや。私も、もしかしたら人を頼ってみてもいいのかしら、っていう気づきになったりとか、
先人が同じ道を、先を歩いてくれてるっていう証になる。
もしかしたら見ていて結構そういう場所になれるのかもしれません。
豆腐手ウルフというパーソナリティーが立派な答えを持っていて、
皆さんにこれが正解ですっていう風に配る番組ではない。
そんな番組僕が一番怖いし結構嫌です。
本日の正解はこちらですとかって僕が言い出したら相当疲れてると思ってください。
その時はもう誰か、ウルフさんそれは違うって止めてください。
そうではなくって、まだ分かっていない人が、まだ分からんまま話している。
それを聞いた誰かが、あ、自分だけじゃないかも、とか、
あ、私も揺れてていいんや、迷ってていいんや、って思える。
それぐらいでいいのかなって僕は思ったりもします。
完成された見本には僕はなれない気がするんです。
なりたかったなっていう地域もあったんですよ。
あったけど、なれないなっていう風に最近は思います。
でもそれは諦めじゃなくて、どっちかっていうと、
完成された見本にはなれなくても、途中のサンプルにはなれるかもって僕の中で思ったからですね。
迷ってる途中の声にもきっと意味があるっていう風に僕自身が見出せたからでしょうね。
リスナーへの問いかけと番組のスタンス
なので、ここでね、聞いてくださっている皆さんにも聞いてみたいです。
あなたにとってロールモデルって何ですか?
あの人みたいになりたいって思える人でしょうか?
それとも、自分にもそういう未来があっていいのかもって思わせてくれる人なんでしょうか?
幸せそうな人を見た時に、あの人は特別だから、みたいな感じで例外フォルダに入れてしまうことはありますか?
あるいは、完成された見本ではないけれど、自分が行こうとしている道をすでに歩いてくれている人や、そういった言葉はあるでしょうか?
綺麗にまとまってなくても大丈夫です。
これは感想なのか、疑問なのか、ただのモヤモヤなのかわからへん。
それでも大丈夫です。だってこの番組は未定で結構ですから。
ということで、今回は幸せなロールモデルがわからないという話をしてみました。
どうでした?幸せなロールモデルの結論は何にも出ませんでしたね。
こんなにふわっとして終わるとは思っていなかったので、今喋りながらね。
根本的にある僕の白黒をはっきりつけたいという性格がね、今すごいムズムズしてるんですけど。
わからん。もうふわっと終わりました。
ロールモデルがいない。そんな風に思っていましたけれどね。
やっぱりそもそもロールモデルってなんなんでしょうね。まだ僕も模索中です。
でも仮の結論として僕が思っているのは、誰かを丸ごと真似することではない。
誰かの人生を完成見本として飾ることでもない。
もしかするとロールモデルというのは、自分の中で閉じていた可能性を少しだけ開けてくれるような、
そのドアを開いてくれるような存在なのかもしれません。
あの人みたいにならなくちゃ。じゃなくて、自分にもそういう未来があってもいいのかもしれないねっていう可能性を信じられること。
そう思えること。それだけで少し息がしやすくなる日があります。
そして完成された見本じゃなくても、途中の声が誰かの生存確認になることがある。
この道を行く人にもちゃんと未来があるんやって信じさせてくれる力になることがある。
迷ってる、揺れてる、人生なんてわからんことだらけ、でもとりあえず今日も生きてる。
その声にきっと意味がある。そんな風に僕は思っています。
もし今回の話を聞いて、この番組また聞いてみたいかもと思ってくださった方は、ぜひ番組のフォローをしておいてください。
フォローしておくと最新回を簡単に追うことができますし、
ふとあの番組で何か言ってたの何やっけ、もう一回聞きたいな、あの番組また聞きたいなって思い出してくれた時に、
またこの場所にすぐ戻ってくれるというか、戻ってきやすくなると思います。
そして僕にとってもフォローをしていただけるということは、
未定で結構また聞きたいと思ってくれた人がおるんやっていうすごく大切な指標、モチベーションにもつながっております。
感想については未定のままの気持ちを話す番組なので、毎回すぐに感想を書けなくたって大丈夫です。
実際ね、あの4話、前回の回を聞いてくださった方は、思考の森を彷徨って書いては消して書いては消してを繰り返しているなんていうお声もいただいております。
なので、まずはフォローという形で、また聞くよ、また聞きたいと思ってるよという意思表示を置いていただけたら、僕はとても嬉しいです。
とりあえず最後まで聞いてくださって、今回もありがとうございました。
では今回のお相手は、あなただけの芸人も豆腐でウルフでした。
じゃあね、さいちーん。
20:18

コメント

スクロール