「1人でも大丈夫」って、本当は少し寂しい
2026-05-19 22:34

「1人でも大丈夫」って、本当は少し寂しい

「1人でも大丈夫」と「誰もいらない」は、たぶん違う。


第4回は、「『1人でも大丈夫』って、本当は少し寂しい」をテーマに話しました。
1人でもごはんを食べる。生活を回す。明日を迎える。
それは、自分を支えるためにとても大事な力だと思います。
でも一方で、本当は寂しいのに、本当は誰かに気づいてほしいのに、「大丈夫です」と言ってしまうこともある。
1人でも大丈夫でいたい気持ちと、誰かが来てくれたらうれしい気持ちは、両方あっていいのかもしれない。そんな話をしています。


今回話したこと
・「大丈夫です」が、本音にフタをする言葉になること
・「1人でも大丈夫」と「誰もいらない」は違うという話
・自分を支える“大丈夫”と、寂しさを隠す“大丈夫”の違い
・自立と孤立は似ているようで違うということ
・「誰かが来てほしい」と思うことは、負けではないという話
・少数派として生きる中で、“1人でも大丈夫でいなきゃ”と思ってきたこと
・誰かがいない日にも、自分を見捨てないための練習について

この番組では、恋愛・家族・将来にまつわる、まだ答えの出ていない本音を募集しています。
まとまってなくて大丈夫。結論がなくても大丈夫。
愚痴でも、相談でも、ぼやきでも大丈夫です。
未定のままで、結構です。


【タイムスタンプ】 冒頭フック|「大丈夫です」に隠れている本音
オープニング|今回のテーマについて
第2話からの続きとしての第4回
「大丈夫」には2種類ある
自立と孤立は違う
誰かが来てほしい気持ちは、負けではない
ゲイとしての“1人でも大丈夫”
今日の仮の結論
リスナーの皆様への問いかけ
エンディング|次回「幸せなロールモデルが分からない」


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感想

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00:00
大丈夫ですって便利な言葉ですよね。 例えば、コンビニで、
袋ご利用ですか?って聞かれて、 あ、大丈夫です。
美容室で、お湯加減暑くないですか?って聞かれて、大丈夫です。
本間は若干暑かったりするのに、頭皮は若干の火災現場みたいになってんのに。 そういう時でも、社会性って勝つんですよね。
この、「大丈夫です。」って、たまに人生においても出現することがあると思うんです。
僕、1人でも大丈夫です。 もちろん、それは大事な、
ね、生きていく力なんだと思うんです。 1人でもご飯を食べる、1人でも生活を回す、
1人でも明日を迎える。 それは、ちゃんと自分を明日につなげる、支える力やと思います。
でも、一方で、本間は寂しいのに、 本間は誰かに気づいてほしいって思ってるのに、
大丈夫ですって言ってしまうこともある。 大丈夫ですって言いながら、心のシャッターをガラガラガラって降ろしてる。
本日の感情の受け付けは終了しました。 みたいなね。
いやいやいや、まだ早いよ。 平日の朝7時やっちゅうねん。
今日は、1人でも大丈夫と、誰もいらないは、似ているようで多分違う。 そんな話をしてみたいと思います。
ハオー!
あなただけのゲイ友、豆腐手ウルフです。 この番組は中途半端なままが苦手で、なんでも白黒つけては完璧を求めすぎて、自分を追い込んできた僕が、
恋愛、家族、孤独、将来などなど、生きていく中でまだ答えの出ていないこととか、名前のないモヤモヤを、
皆さんからのお便りや反応と一緒に考えたり、少しずつ言葉にしていくポッドキャスト。 未定で結構。
うまくまとまってなくて大丈夫。 結論が出てなくても大丈夫。
未定のままで結構です。 今日は、1人でも大丈夫って、
本間は少し寂しい。 そんなお話をしてみたいと思っています。
先に今日の仮の答えを申し上げますと、 1人でも大丈夫でいたいっていうのは、誰かを拒むための言葉ではなくて、
誰かがいない日にも自分を見捨てないための 何か?力?みたいなものであってほしい。そんなお話です。
第2話では、1人かもしれない未来を考えることは、悲観ではなく準備なのかもしれないというお話を僕はしました。
03:08
誰かと生きていくであろうみたいな、そういう未来に対する希望は持っていたい。
でも、誰かと生きるであろうっていう、希望だけに生活設計を全て任せてしまうのは少し怖い。
これは今でもそう思っております。 ただ、今回はさらにその先の話をします。
1人でも生きていける、大丈夫なように準備をしておく。 これはものすごく大事。
でも、1人でも大丈夫な状態を作っておかなきゃみたいなのが強くなりすぎると、
いつの間にか誰かを自分の心の中に招き入れるような余白までも潰してしまうことがある。
強くなろうとしていたはずやのに、気づいたらいつの間にか誰にも頼れない自分になっていた。
こういうこと皆さんないでしょうか。
1人でも大丈夫ですっていう、この言葉には多分2種類の意味があるんじゃないかなと僕は思ってるんですよ。
1つ目の意味というのは、自分を支えるため、自分を支えている。 大丈夫っていう言葉ですね。
例えば、1人でも健康的な食事をとる。 体調が悪いときには病院を調べる。
部屋が荒れてきたら完璧じゃないけど、ちょっとは片付ける。
誰からも連絡が来ない日も自分の価値をゼロにしない。 自分を必要以上に下げないみたいな。
こういう大丈夫っていう気持ちはかなり大事だと思うんです。
これは強がりとかじゃなくて、自分自身を明日につなげる。 明日も強く生きていくみたいな力だと思うんですね。
もう1つ大丈夫の意味があると思っていて、それはほんまは寂しいのに大丈夫です。
ほんまは助けてほしいのに大丈夫です。 ほんまは誰かに話を聞いてほしいのに、いや別に大丈夫です。
こっちの大丈夫はちょっと危ないんですよね。
大丈夫ですって言うけど、たまにこれって助けての類義語になってることがあるんですよ。
しかもだいぶ遠回しな助けてっていう表現なんですよね。
すごいすごーく遠回しに恐れ入りますが、私の心が限界に近づいておりますので助けてはいただけませんでしょうか。
くらい遠い感じのやつ。回りくどいやつ。
でももちろんそんな風に言うことはできへんから、とりあえず大丈夫ですって一言で言っちゃう。
我々大人なので、社会性もあるので。
あと急に本音を語り出すと自分でもちょっと思わぬことを言ったりとかしてびっくりすることもあるんで。
06:02
だから一人でも大丈夫でいたいっていう言葉を考えるとき、まず大事なのは今自分が発したその大丈夫という言葉は
ただ単に自分を支える、明日につなげていくためのおまじないみたいな大丈夫なのか
それとも助けてっていう本当は寂しいよとかっていう気持ちに蓋をするための大丈夫なのか
これのどっちなんやろっていうのを考える必要があるんじゃないかなって思ったりもするんです。
でそれを前提において次に考えたいのが、自立と孤立の違いなんです。
僕に言わせると自立っていうのは一人ぼっちになったとしても自分を見捨てずにいること、
自分だけは自分のそばにいてあげるみたいなこと。
そして孤立っていうのは自分から誰にも見つけてもらえない場所に自分を置いてしまうことみたいなふうに思ってるんですね。
自立している人っていうのはしんどいときに、
今日はちょっとしんどいから私の話聞いてもらっていいって言えるような人かもしれません。
でも孤立してしまっているとしんどいくせに、
いや大丈夫ですとか言うて誰にも知らせへんまま一人でベッドに沈んでいくんですよ。
自立している人っていうのは一人の時間、予感みたいな時間を一人で楽しむことができる。
でも孤立してしまっていると一人の時間しか選べなくなるんですね。
ほんまは誰かにそばにおってほしいのに入り口にずっと本日の営業は終了しましたみたいな張り紙をしてしまう。
ほんまに誰もそばに来てくれへん話も聞いてくれへんかったりとかすると身勝手なことに、
なんで誰も私のそばにおらへんねやろって思うんです。
いやね、そりゃそうなんですよ。
だって本日の受付は終了しましたって心に張ってんねんもん。
でも、でも本人の中では受付終了じゃなくって、
実はちょっとさしてほしい営業中みたいな感じだったりするんですよね。
それが本音やったりするんです。
難しいよね。
人間関係にさ、盾看板みたいなの欲しいと思えへん?
営業中、準備中、本日ちょっと話しかけてほしい。
でも深追いはしないでほしい。
できれば温かい飲み物を持ってきてほしいみたいな。
そんな看板が出せたらさ、すごい人間関係が円滑に進むっていうかさ、
楽になると思いませんか?
相手がどう思ってるのかっていうのも見えるし、
09:01
自分がどう思ってるのかっていうのも照れずに言葉に出さず相手に伝えることができるんやもん。
すごい楽になると思いません?
でもね、現実には僕らはだいたい無言で生きてるんですよ。
無言のままに大丈夫ですって言っちゃうんですよ。
だからね、一人でも大丈夫でいたいなって思うとき、
果たしてその気持ちが自立から来てるものなのか、孤立から来てるものなのか、
たまに確認したほうがいいんじゃないかなというふうに僕は思うんです。
でね、ここまで自立と孤立、今回の話においての自立と孤立についてお話してきたんですけど、
ここを大事にしたいのは、誰かにそばにいてほしいという思いを、
負けたとか、自分の弱みみたいに扱わないことが大切なんじゃないかと思うんです。
一人で大丈夫でいたい。でも、誰かがそばにいてくれたら嬉しい。
一人の時間が好き。でも、ずっと一人ぼっちは寂しい。
誰にも干渉してほしくない。
でも、誰からもほんまに気にしてもらわれへんかったら、それはそれで傷つく。
ね。人間ってめんどくさいですよね。矛盾してますよね。
ほっといてほしいって思うんです。
でも、完全にほっとかれるとちょっと傷つくんですよ。
一人の時間は欲しいんです。
でも、誰からも必要とされてないって感じるのは、すごく寂しいんです。
でね、そういうめんどくささ、みたいなものを丸ごとひっくるめて、
人間らしさっていうのかなって思うんです。
まず、誰かがそばにいてくれたら嬉しいっていう気持ちはさ、依存じゃないと思うの。
美味しいものを食べたとき、美味しいねって誰かに言いたくなる。
嫌なことがあったとき、それはムカつくなって言ってほしくなる。
何にもない変わり映えませんへん1日を終えたときに、
今日どうやった?って聞いてほしいと思う。
そういう気持ちって弱さだけではないと思うんです。
むしろそれは、誰かと自分の気持ちを分かち合いたいと思えるくらい、
自分の中にその自傷に対しての温度感がまだ残ってるっていうことでもあると思うんですよ。
だから、1人でも大丈夫でありたいと思うことと、
12:01
誰かそばにいてほしいって思うことは、全然両立していいんじゃないかと。
1人でも大丈夫っていうのは、営業受付終了しましたみたいなことではない。
どっちかというと、店主は店の奥で仕込み中ですくらいの感じ?
ご用の方はインターホンでお知らせくださいみたいな感じですかね。
もちろんね、たまに臨時休業はします。
人間関係棚下ろししてくなる日もあります。
でも、店を畳んだわけではないんですよ。
これがね、今日かなり大事なところなんじゃないかなと思うんです。
ここからは、僕個人の話としては、ゲイとしての話にもなるんですけれど、
マイノリティとして生きていると、どうしても1人でも生きていけるようにならなきゃという風に思わされる場面が結構ある気がするんですね。
というのは、家族に話してても全部は分かってもらわれへんかもしれへん。
あるいは、結婚とかそういう制度の中で、そういう制度が自分たちにはないから、
相手、パートナーと自分たちの関係っていうのは見えにくくなることもある。
将来のロールモデルっていうのが身近にほとんどいない。
そもそも自分の人生、生きてきた人生、道のりを説明する言葉を自分で探さないといけない。
そういう当たり前みたいになってしまっている事柄の中で、
まあ、1人でもなんとか生きていけるようにしておこうって考えるのは、ものすごく自然なことだと思うんですね。
それは弱さじゃなくて、僕にとっては必要な準備やったんかなと思うんです。
でも、同時にですよ。
その1人で生きていけるようにしておこうっていう姿勢が当たり前になりすぎると、
今度は誰かに頼ることまで下手くそになっていってしまうんですね。
これ怖いところですよ。
どうせわかってもらわれへん。
どうせ自分でやるしかない。
どうせ期待しても傷つくから、期待せんほうが楽。
そうやってね、僕を守ってきた言葉が、いつの間にか僕自身を閉じ込める要塞のようになってるんですよ。
自分を守るために着込んだはずの鎧が、気づいたらその鎧の脱ぎ方がわからなくなってるんです。
しかもね、その鎧ってね、大体デザインがあまり可愛くないんですよ。
可愛げのないデザインをしてるんです。
どうせ着るならもう少し僕に似合うやつがいい。
なんなら着心地もいいほうがいい。
でもね、僕がこれまで身につけてきた強さとか器用さみたいなものって、マイノリティとして、ゲイとして生きていくために必要やったから身についてった、身につけてきたんやと思います。
15:12
だから、僕の例で申し訳ないんですけど、同じように鎧を着込んで脱げなくなってしまった人たちが、もし見ていて結構聞いてくれていたら、僕はその人たちに、もっと人に頼りましょうって簡単には言えないんですよ。
だって頼られへんかった理由があるんやもん、そこに。
そこに至るまでに大丈夫なフリをせなあかんかった理由があるんやもん。
一人で立たなあかんって思わされた理由があるんやもん。
そんな人たちに軽々しく、もっとあなたは人に頼りましょうなんて言われへんよ。頑張ってきてんねん、もうその人たちは。
でもね、僕がそういう人たちに言ってあげられるのは、これから先もずっとその姿勢を貫く必要はないんじゃないですかね、っていうことぐらいは言えるかも。
一人でも大丈夫でいる力は持ちながら、誰かそばにいてほしいって思うちょっとかわいい自分の存在も少しだけ許してあげる。
そういう弱いって言ったらおかしいなあ。ちょっと甘えたい自分の席を用意してあげる。
でもいいんじゃないっていうふうに僕は思いますね。そのぐらいの変化はあってもいいんじゃないかなと思うんです。
なのでね、今日の仮の結論を言うと、一人でも大丈夫っていうのは、もう僕の人生誰もいらないです。一人で生きていけますみたいな宣言ではない。
誰もそばにいてくれへん日でも、自分を大切に扱うためのおまじないの言葉、合言葉みたいなものであってほしいっていうようなことなんです。
誰かがそばにいてくれたら嬉しい。それはもう当たり前にそうなんです。
僕も一人でも全然大丈夫って言うけど、いざいい人が目の前に現れたら、「いやおったんかーい!」みたいなことを言いながら多分めちゃくちゃ喜ぶと思います。
でもね、そんな人今はいないんですよ。だからね、そんな誰かが来てくれるまでは自分を雑に扱わない。
何か300円ぐらいのカップ焼きそばを3食食べましたみたいな生活はしないみたいなことですね。
誰かが僕を選んでくれるまで自分の価値を安く見積もったりもしない。
誰もそばにいてくれへんくってもちゃんと自分で作ったご飯を食べる。
しっかり睡眠をとる。部屋は少し片付けておく。
18:03
そして自分が大好きなものをちゃんと覚えておく。
ムカつくことがあったとしても自分の機嫌を少しだけ自分でとる。
そうやって自分をちょっと納得いかへんかったりとか嫌なことがあった今日という日から、
今日よりちょっとだけ幸せな明日に自分をつなげてあげる。
そういう力をつけておく。
それが一人でも大丈夫でいたいということなのかなというふうに今は思ったりもします。
そしてそれはその一人でも大丈夫でいたいということは決して誰も自分の人生に必要ないですということではない。
誰かがそばにいてくれたら嬉しい。
でも誰もおらんくっても自分を適当には扱わない。
強すぎず弱すぎずとじすぎずだけど開きっぱなしにもしない。
未来のことはもう未定のままなことばっかり。
でも自分の心の鍵だけはちゃんと自分で大切に保管しておく。
そのくらいが今の僕にはちょうどいいのかもしれません。
今未定で結構聞いてくれているあなたにも聞いてみたいです。
あなたにとって一人でも大丈夫でいたいという気持ちは自分を守る力になるんでしょうか。
それとも誰かを遠ざける言葉になってしまっていることがあるでしょうか。
僕はね割とね誰かを遠ざける言葉になっていることの方が多かった気がします。
誰かがそばにおったら嬉しい。
でも誰もおらんくっても自分を大切にする。
そのためにあなたがしている何か小さな心がけみたいなことはあるでしょうか。
例えばちゃんとご飯を食べる。
部屋を片付けておく。
散歩をする。
友達に連絡をする。
お詩を眺める。
日記を書く。
コンビニで売ってる一番高いアイスを買う。
そういうことでいいんやと思います。
そういうちょっとしたことで幸せになったりするんじゃないかなって思います。
人生ってね案外そういうほんまに小さいことでねなんか持ちこたえられることがありますからね。
本日の未定は終了いたしました。続きはまた次回で結構です。
というわけで今回は一人でも大丈夫ってほんまは少し寂しいみたいな話をしてみました。
今回の話をまとめるなら一人でも大丈夫っていうのは誰も必要ありませんっていう宣言ではない。
誰かがそばにいてくれへん日も自分を大切に扱うためのおまじない。
そんな感じ。
でも誰かそばにおってくれたらもちろん嬉しい。
21:03
一見相反するようなこの二つの気持ちをそれぞれ両方抱えながら前に進んでいっていいんやと僕は思います。
番組の感想はXでハッシュタグ未定で結構と入れてポストしていただけると東風邸からの熱いコメントをお返ししに伺います。
嬉しいです。とても嬉しいです。だからみんなポストしてください。お願いします。
お便り配信後期などの入り口は概要欄にまとめております。
もちろんこのポッドキャスト聞いていただけるだけでも本当に嬉しいんですけれど、配信後期とかも呼んでもらえたらちょっと嬉しいなという感じです。
次回は幸せなロールモデルがわからないという話をしてみたいと考えております。
幸せそうな大人ってどこにいるんでしょうね。
ショッピングモールのフードコートとかにおるんですかね。
丸亀製麺で柏天つけてる人ちょっと幸せそうですもんね。
あの人が人生の成果を知っているという可能性もあるかもしれません。
そんな感じでね、次回も未定のまま考えていきます。
今回も最後まで聞いてくださりありがとうございます。
それではまた次回。
今回のお相手はあなただけのゲートも豆腐でウルフでした。
さいちぇーん。
22:34

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