人生、いつから取り返そうとしてたんだろう
2026-06-09 21:03

人生、いつから取り返そうとしてたんだろう

人生って、取り返すものなんだろうか。
それとも、作り直すものなんだろうか。


第7回は、「人生、いつから取り返そうとしてたんだろう」をテーマに話しました。


失った時間を取り返す。
遅れを取り返す。
若い頃にできなかったことを取り返す。
あのとき頑張れなかった分を取り返す。

そう思ってしまうことがあります。


でも、人生って、そもそも誰に取られたんでしょうか。

誰かの幸せを見たとき。
同級生の近況を見たとき。
結婚、出産、マイホーム、転職、成功、安定。
そういうものが並んでいるのを見ると、ただ誰かの幸せを見ているだけのはずなのに、なぜか自分の不合格通知を読んでいるような気持ちになることがあります。


「自分は遅れている」
「自分は足りていない」
「いつか取り返さなきゃ」


でも、取り返したかったのは、幸せそのものではなく、
「自分は欠陥品じゃない」と証明することだったのかもしれません。


今回は、成人の日の三連休に過去を掘り返してしまった話をきっかけに、
人生を“取り返す”ことと、“作り直す”ことの違いについて、未定のまま考えています。


今回話したこと

・人生を「取り返さなきゃ」と感じてしまう瞬間
・「こうなりたい」が「こうなれていない」に変わる怖さ
・他人の幸せが、自分の不合格通知に見えてしまうこと
・成人の日に、過去を掘り返してしまった話
・取り返したかったのは幸せではなく、証明だったのかもしれないということ
・「見返したい」という気持ちに、人生のハンドルを握らせてしまうこと
・嫉妬や劣等感というサボテンに、もう水をやらなくていいのかもしれないこと
・取り返す人生と、作り直す人生の違い
・今の自分に居場所を作っていくことについて


この番組では、恋愛・家族・将来にまつわる、まだ答えの出ていない本音を募集しています。


まとまってなくて大丈夫。
結論がなくても大丈夫。
愚痴でも、相談でも、ぼやきでも大丈夫です。
未定のままで、結構です。


【タイムスタンプ】

冒頭フック|人生って、誰に取られたんだろう
オープニング|第6話からの続きとして
「こうなりたい」が「こうなれていない」に変わるとき
他人の幸せが、自分の不合格通知に見える日
取り返したかったのは、幸せではなく証明だった
「見返す」は、過去にハンドルを握らせること
嫉妬や劣等感というサボテンに、もう水をやらなくていい
取り返すんじゃなくて、作り直す
未定区民(リスナー)の皆様への問いかけ
エンディング|次回「あの頃の自分に会いたくない」


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サマリー

このエピソードでは、「人生を取り返す」という考え方について掘り下げています。失った時間や遅れを取り戻そうとするのではなく、そもそも人生は誰に奪われたのか、そして他人の幸せが自分の不合格通知のように感じてしまう心理を探ります。取り返したいのは幸せそのものではなく、「自分は欠陥品ではない」という証明だったのかもしれないと語り、過去に囚われず、今の自分に居場所を作りながら人生を「作り直す」ことの重要性を説いています。

人生は誰に奪われたのか?「取り返す」という感覚の根源
人生を取り返すって言うじゃないですか。失った時間を取り返す。 遅れを取り返す。
若い頃にできへんかったことを取り返す。 あの時、頑張れなかった分を取り返す。
でも、ふと思うんです。 人生って、そもそも誰に取られたんでしょうね。
窃盗事件ですか? 被害届け、どこに出せばいいんでしょうか。
見ていく警察ですか? でも、僕らは結構自然に思ってしまう。
みんなより遅れてる。 ほんまやったら、今頃もっとちゃんとしてるはずやった。
もっと稼いでいて、もっと愛されてて、 もっと落ち着いてて、もっと何者かになってるはずやった。
だから取り返さなきゃ。 仕事で、恋愛で、お金で、
誰かからの評価で、 普通の幸せで。
でも、それってほんまに人生を取り返してるんでしょうか。 それとも、過去の自分にずっと返済しているだけなんでしょうか。
今日は、人生いつから取り返そうとしてたんやろう、 という話をしてみたいと思います。
オープニングと番組紹介
ハオー! あなただけのゲイ友、豆腐手ウルフです。
この番組、未定で結構は、恋愛、家族、孤独、将来、 その他、生きていく中で、また答えの出ていないことや、
名前のないモヤモヤを少しずつ言葉にしていくポッドキャストです。 うまくまとまってなくて大丈夫。
結論が出てなくても大丈夫。 未定のままで結構です。
前回は、ちゃんとした大人になられへんかったという話をしました。 昔思っていたような大人にはなれなかった。
でも、ちゃんとしてないことと、ちゃんと生きてないことはちゃう。 そんな話でした。
そして今回はその続きです。 ちゃんとした大人になられへんかった僕らは、その後、何をしようとするのか。
遅れを取り戻そうとするのか。 誰かに追いつこうとするのか。
それとも失った時間を成果で埋めようとするのか。 それとも人生って、ほんまは取り返すものではないのか。
「こうなりたい」から「こうなれていない」への変化
今日はそのあたりを未定のまま考えてみたいと思います。 子供の頃や若い頃って未来はまだ願いやったと思うんですよ。
こんな仕事がしたい。 こんな人と暮らしたい。 こんな場所に住みたい。 こんなふうに笑っていたい。
それは多分、全部希望でした。 でも、年齢を重ねるにつれて、その希望が少しずつ形を変えていくことがあります。
こうなりたいが、こうなれていないに変わる。 いつかが、まだに変わる。
夢が、未達成項目になる。 急に人生がタスク管理アプリみたいになってくる。
恋人、未完了。貯金、未完了。 安定した仕事、未完了。 親を安心させる、未完了。 自分を好きになる、未完了。
タスクの通知が多すぎる。 しかも、スヌーズしてもまた出てくる。
最初は、ただ幸せになりたかっただけ。 安心したかっただけ。 自分の人生を好きになりたかっただけ。
誰かに、大丈夫だよって言われたかっただけ。 それやのに、いつの間にか、それが取り返さなきゃになってしまう。
多分、人生を取り返そうとし始めるのは、 夢が叶っていないっていうことより、 夢が叶っていない自分を責め始めた時なんやと思います。
他人の幸せが「不合格通知」に見える心理
これね、自分でも良くないなと思うことなんですけど、 他人の幸せを見て苦しくなることがあるんです。
結婚、出産、マイホーム、転職の成功、 海外移住、パートナーとの穏やかな暮らし。
それ自体は素敵です。 羨ましいほどに素敵。
でもね、それを見る側の心が弱っていると、 その幸せが別のものに見えてしまうことがある。
他人の幸せを眺めているだけやのに、 なぜか自分の不合格通知を読んでいるような気分になる。
あなたはまだここまで来ていません。 あなたはこのコースから外れています。
あなたは普通の幸せの取得条件を満たしていません。 誰もそんなこと一切言ってないのに、心が勝手に翻訳してしまう。
成人の日に過去を掘り返した話
それは僕にもありました。 今年の成人の日の三連休に、
Facebookで昔の同級生を検索してしまったことがあったんです。 新成人たちがこれから大人になりますと祝われている横で、
35歳の僕はFacebookで過去を掘ってました。
三連休の使い方は間違っています。 温泉でも行けばいいし、映画でも見ればいいし、
せめてそれの両方もやらないなら、部屋の掃除でもしていればよかったんです。 やのに、よりによってFacebook。
2026年にFacebookで同級生を探すって、 インターネットの地層を掘っているんですよ。ディグリすぎ。
出土品は昔の劣等感。 そこで見えたのは同級生たちの人生の節目でした。
結婚、持ち家、仕事、海外移住、出産。
もうね、いわゆる幸せ展示会ですよ。 僕はそれを見ながら、ほんまはその人たちの幸せを見ていたんじゃなくて、
自分の遅れを数えていたんやと思います。 あいつはここまで行った。
僕はまだこんなとこに居る。 あいつは手に入れた。
でも僕は持ってない。 そうやって他人の人生を見ながら、自分の人生に無意識に赤ペンを入れてたんです。
でも他人の幸せは、僕への採点票とかそういう基準になるものではなかったはずなんです。
でもそこを忘れると、人生はいつの間にかあっという間に取り返すものという風に入れ替わってしまう。
取り返したかったのは「証明」だった
僕はね、ずっとこの同級生たちのことを羨ましいんやと思ってました。 結婚できることが羨ましい。
持ち家を持っているのが羨ましい。 安定した仕事が羨ましい。
誰かに誇れて自慢できるような人生が羨ましい。 もちろんそういう気持ちがありました。
でもね、 最近少し違う気もしてきたんです。
僕がほんまに欲しかったのは、彼らと同じ生活ではなかったのかもしれません。
僕が欲しかったのは、証明が欲しかったんです。 どんな証明かって言うたら、僕は欠陥品じゃない。
僕は自分の人生に失敗したわけじゃない。 あの時につまずいたまま、傷ついたまま終わった人間じゃない。
そんな証明。 結婚してない。
持ち家もない。 安定した職もない。貯金だって十分じゃない。
親を安心させられているとも言い切れない。 そういう自分を見たときに、僕はただ寂しかったんじゃなくって、
私は人として足りていないのかもしれない。 みたいなふうに思い込んでいたのかもしれません。
だから何かを取り返したかった。 成功すれば、お金を稼げば、誰かに認められれば、誰かを見返せれば、
普通の幸せを手に入れられれば。 そうすれば、ほら、僕は欠陥品じゃありませんでした。
って誰かに証明できる気がしてたんです。 でもね、それってすごく苦しいことだと思いませんか?
幸せになりたいはずやのに、いつの間にか幸せが証明書の役割を果たしている。
結婚証明、就職証明、マイホーム証明、
年収証明、人間合格証明。 人生って役所かなんかなんですか?窓口どこですか?生理研はありますか?
見ていく役所ですか? でも、
ほんまに僕はどこかで普通の幸せを手に入れられれば、 自分もちゃんとした人間やと、公的に証明できる、みたいな風な気がしてたんです。
「見返す」という感情と過去にハンドルを握られる危険性
誰かを見返したい。この気持ちというのは、ものすごい強い燃料になることがあります。
僕にもあったんです。 昔僕のことを傷つけた人。
自分よりうまくやっているように見える人。 こちらの苦しさなんて知らずに、普通に幸せそうにしている人。
そういう人を見ると、 心の中で思ってしまうんです。
いつか見返したる。 いつか分からせたる。
いつか僕は終わってなかったんやって証明したる。 これね、しんどいけどすっごく燃えるんですよ。
めちゃくちゃ燃料になるんですよ。 ただ、この燃料だけで走っていると、人生のハンドルを過去に握られてしまうんです。
その時の僕は前に進んでいるつもりだったんですよ。 でもね、実はね、後ろを向いたまま必死に走ってたのかもしれないです。
後ろ向きBダッシュ。 マジ危ないです。普通に転びます。 しかも本人はいたって真剣なんです。
僕はめっちゃ前に進んでます。未来に向かって走ってます。 って言いながら、目はずっと過去を見てるんです。
あの人はどうなった?同級生はどうなった? あの頃の僕はどうやった?
あの時、違う選択をしてたら? 過去に勝つために生きていると、
今の自分っていうのは脇役になっちゃうんです。 今、楽しいこと。
今、好きなこと。 今、救われていること。今、少しだけできるようになったこと。
そういうものが見えにくくなっていきます。 過去の採点を変えるために、今を使ってしまう。
でも今は、過去の答案用紙の訂正欄ではないと思うんです。 今は今で、新しいページのはずなんです。
嫉妬や劣等感というサボテンを手放す
嫉妬心とか、復讐心とか、 劣等感って、なくなればスッキリするものやと、僕ずっと思ってたんですよ。
でもね、実際にはね、長年育ててたサボテンを手放すような感覚に近かったんです。 トゲだらけ。
触ると痛い。手も傷だらけになる。 でも、ずーっとそこにあったんです。
僕は負けてない。まだ負けてない。 いつか見返したるねん。いつか取り返したんねん。
そう思うたびに、その心のサボテンに水をやっていたのかもしれません。 劣等感というサボテン。
嫉妬というサボテン。 復讐心というサボテン。
部屋の片隅において、たくさんの日光も浴びせてあげて、毎日ちゃんと水をやってた。
誰にも見せへんけど、 からさんようにこのサボテンのことをめっちゃ大事にしてた。
でもね、ある日ふとそのサボテンが言うんです。 もう水いらへんよ。
いやいやいやいやサボテンしゃべんなやとは思うんですけど、 でも感覚的にはそんな感じでした。
もう育てなくていい。 もうその痛みを持ち続けなくていい。
もう棘を握りしめて自分の手を傷つけなくていい。 ただ手放した後にも手にはちゃんと傷跡が残ってます。
なかったことにはならへん。 傷ついた過去も、置いていかれたような感覚も、普通の幸せをもたれへん自分を責めていた時間も全部消えるわけではない。
でも、新しい傷を増やさなくていいっていうところまでは来られたのかもしれへん。 それだけでもね結構大きい。
人生を取り返すって、過去の傷を全部なかったことにすることではなくて、 もう同じ傷を自分で増やさへんことなんかもしれません。
「取り返す」から「作り直す」への転換
僕はずっと人生を取り返そうとしてきていたのかもしれません。
失った自信、置いていかれた感覚、普通の幸せに乗れられへんという悔しさ、 自分は欠陥品かもしれへんという痛み、
それらをどこかで取り返せば、ようやく自分が大丈夫やと証明できる気がしてました。
でも、過去は変えられへん。 あんとき傷ついた自分は確かに傷ついてた。
あんとき頑張られへんかった自分も確かにおった。 あんとき手にできへんかったものも確かにあった。
それら全部をなかったことにすることはできません。
でも、今ここから別の幸せを作ることならできるんかもしれません。
取り返すんじゃなくて作り直す。追いつくんじゃなくて育て直す。
誰かの人生の後ろを走るんじゃなくて、自分の足元に小さな幸せの種をまく。
例えば、こんな風に声にすること。
誰にも聞いてもらわれへんかったとしても、自分の心を整理すること。
朝ごはんを食べること。
部屋の一角だけ片付けること。
誰かと少しだけ本音を話すこと。
自分を責めそうになったときに、今はそこまで言わなくていいって止めてあげること。
そういうものは派手なマイルストーンではありません。
フェイスブックに投稿するような人生の節目でもないです。
本日、自己否定を5分短縮できました。
なんて、どこにも投稿しないじゃないですか。
いいねつくかどうかも怪しいし、そんな。
でもね、ほんまはそういう小さなことの方が、自分の人生を少しずつ作り直してくれるのかもしれません。
取り返す人生は、過去に証明し続ける人生。
作り直す人生は、今の自分に居場所を作ってあげる人生。
僕は、少しずつでいいから、後者に移っていきたいんやと思います。
リスナーへの問いかけと番組のテーマ
ここで、今回の未定で結構聞いてくださっているあなたにも聞いてみたいです。
あなたは、人生を取り返さなきゃと思ったことがありますか?
誰かの幸せを見て、自分が不合格になったような気持ちになったことはありますか?
ずっと手放されへんかった嫉妬や悔しさはありますか?
それは、ほんまにこれからもずっと水をやり続けなければいけないようなサボテンなんでしょうか?
それとも、もう少しだけ手を離してもいいものなんでしょうか?
綺麗にまとまってなくて大丈夫です。
これは感想なのか、愚痴なのか、ただのため息なのかわからなくても大丈夫です。
だって、この番組は未定で結構なので。
というわけで、今回は人生いつから取り返そうとしてたんやろうという話をしてみました。
人生を取り返そうとしていたのは、過去に戻りたかったからではなく、
自分が欠陥品じゃないと証明したかったからなのかなというふうに思ったりしました。
でもね、欠けていたのは人生じゃなくて、自分自身を許してあげる視点だったのかもしれません。
取り返す人生は、過去に欠陥品じゃないとか、こうじゃない、悪くないみたいなふうに証明をし続ける人生。
作り直す人生っていうのは、そういう過去も全部ひっくるめて受け入れて、今の自分に居場所を作っていく人生。
僕はこれから少しずつ人生を取り返すことより、今の人生を作り直すことに向かっていきたい。
エンディングと次回予告
そんなふうに今は思っていません。
そして次回は、あの頃の自分に会いたくないというテーマで話してみたいと思います。
過去の自分を思い返すと恥ずかしいし、痛いし、消したい。
でもその頃の自分がおったから今の自分がおる。
次回は黒歴史や後悔、そして過去の自分との付き合い方について未定のまま考えてみたいと思います。
ここまで聞いてくださりありがとうございます。
もし今回の話を聞いて、この番組また聞いてみたいかもと思ってくださった方は、ぜひ番組をフォローしておいてください。
フォローしておくと、ふとあの番組また聞きたいなと思い出した時に、またこの番組に戻ってきやすくなると思います。
それでは、また次回。今回のお相手は、あなただけの芸人も豆腐でウルフでした。
さようなら。
21:03

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