ビデオポッドキャストの開始
今日はビデオポッドキャストをやっていこうと思います。多分ね短くなると思う。なぜなら、携帯で撮ってて編集が携帯だからね。動画編集ができるようなハイスペンの携帯じゃないからです。
そう、んー、えー旗、えー違うな。考える脳みそ。考える脳みその知恵さんとか、ママが自分を取り戻すラジオの杉部さんとかがビデオポッドキャストでさ、最近それもなんとなく見てて、
あー久しぶりにビデオポッドキャストでも撮ろうかなーなんて思って、ビデオポッドキャストを撮ろうと思ってます。ただ、えー、ね、携帯が低スペなので動画編集がとてもね、できないんですよ。だからね、たぶん10分ぐらいになると思うので、10分間付き合いください。
そう、今日はね大人とは何ぞやという話をさっくりしていこうと思うんだけど、大人って何ですか?もう立派な大人ですけど私も、うーん、
そう、大人って何だろうね。タバコが吸えることなんでしょうか?納税をしていることでしょうか?それとも働いていることでしょうか?いろいろあると思うんだけど、
そうでも、やっぱりね一つ心の中で思うのはさ、自分ができる幅がわかってしまうっていうのがやっぱり大人だと思って、この間。
子供の特権ってさ、自分がわからない、自分のできる範囲がわからないとかさ、うぬぼれだったり世の中が見えてない器の狭さだったり視野の狭さだったりっていうのが子供だと思うのよ。
そう、なんか盲目的に進むことも大事だし、それに向かって頑張ることで花開くこともあるけど、でもできることとできないことの可能性の大きいところを取っていくっていうのが大人かなーなんていうふうに思ってしまうんだよね。
よくさ、子供の頃とか思春期とかに、そう君たちは何でもできるとかさ、これから無限の可能性がとか言うじゃん。
それってなんか無責任な大人の発言だなーってさ、そう感じてたんだよ。やりたいことなんかないし、できることなんかねーよって思ってたしね、俺も。
もうこの年になって30を超えるとさ、若者たちについそういうふうな言葉を吐いてしまう瞬間がやっぱりあったりしてさ、期待をしてしまう。若者に期待をしてしまうっていうのはやっぱり一つ大人な証なんじゃないかなって思ってしまうんだよね。
もちろん自分でもやることをやるし頑張ることは頑張るんだけど、なんかもう無謀なことをしないわけでさ、でもその無謀なことをしても応援をしたくなってしまう可能性が低いことに対して根本と攻めれる情熱とか勢いとか盲目的な勢いがあると応援したくなってしまうものでさ、そういうのってね、やっぱり子供の証、特権だと思うのよ。
いつまでも心を若く保ちたいと俺は思っているし、なるべく若く保っているつもりではあるけど、けどやっぱり自分の天井、そうよく言われる表現だけど、昔あんなに高かった天井がふとね、見上げたらすごく近くにあるわけでも、天井はこのくらいの高さでこういう模様があって、自分の天井が見えてしまうわけですよ。
どんなに頑張っても総理大臣にはならない天井なわけで。そうなんですよね。だから自分のできる範囲、多分めちゃくちゃ頑張って何かが起こってもまあこの程度だろうというね、天井が見えてしまう予想がついてしまうっていうのが大人だよね。
そのいろんな要因やいろんな経験とか時間がもう重ねできているからだいたいわかるわけですよ。もうね35になってしまって、そこからね、まだ人生長いって言ったって、やっぱり20代30代っていうこの20年ぐらいでめちゃくちゃ頑張ってめちゃくちゃ花開いてポンポンポンと進んでいくからこそ進むできる開くものもあるわけである。
だってね、まあわかんないけどね人生何か起こるかわからないですけど、年取ってからねアンパンマンをかける人だっているわけですから。でもやっぱりねそういう無茶苦茶なことっていうのはなかなかしなくなると思うんですよ。
新しいことを始めてみるのも楽しいし好きだけど、新しいことをしてそれでプロになろうとかそれで食っていこうっていう風にはもう今は思わないわけでさ。どんなに楽しくてもどんなにそれにハマっていってもさ、世界一にはなれないなって思っちゃうのが先なわけじゃん。
でもいや俺は10年かけてめちゃくちゃやって世界一になるみたいないうふうに思うことが素敵な若さなんじゃないかなって思うんですよ。それがそういうふうなことを目指していたりそういうふうなことを言葉にしたりしている子を応援をしたくなってしまうこと。
それがもう大人だなって大人になってしまったなっていう寂しさをかみしめた。そう今日この頃なんですけど。
人生と若者への期待
半期決済で追われている大人はもうね大人だよ。
やっぱりね自分の小ささがわからなくてでも本当に無限の可能性があるからこそいろんなことができるわけでさ。
難しいけどね。なんか楽しく生きること。楽しく生きることか。
もうその楽しく生きることもさ、なんだろう、くじけたりマジでやってうまくいかなくなることっていうものがもうそんなこともないわけでさ。
本気で生活がカツカツになってしまってお金というものなんか気にしないで、それでも貧乏でもバイトしてでも俺はこの道で行くっていうものに打ち込める時間ではもうないわけでさ。
でもそういうことを打ち込んでいる人間たちが羨ましくも見えてくる瞬間もやっぱりあっていいなって思うんだよね。
それが勉強をし続けるっていうことなのかもしれないけど、世代というものはやっぱり移り変わっていくし時代も移り変わっていくわけで、そうでもいいよねって思うんだよね。
それがその一歩が見えてきたなって。優秀な若者たちや逆に全く優秀じゃない若者たちが足掻いて生きている様を見ているとどうせ10年経ったらこんな感じよって。
やっぱり8割から9割ぐらいはなんとなくのところに落ち着くと思うのよ。大人って。そう、生きていればね。本当に自分のやりたいことをやりたいようにやってお金を稼げて順風満帆に生きれているなんていう人間は本当に一握りいるかいないかでさ、その一握りの中でもまた新たな苦しみや葛藤というものが生まれるというところまでわかっているわけだ。
もうお金が全てなわけでもなく知名度が全てなわけでもないわけだから。
満足をする幸せっていうものがさ、理解できなかったよねあの時。貧乏でも仕事がうまくいかなくても本当に満足ができる幸せっていうのは人生、本当にいい人生だなっていう瞬間ってたくさんあるからそういう瞬間のために人生を生きていくことが楽しい幸せの人生だと思うよ。
なんてことを言ったってそんなみすぼらしいような人生を送りたくないと思ってたし、バチバチにね死ぬまで戦って抗いで戦っていきたいって思ってたけどもう体力がないそんな精神力もない。
でも大人ってつまんないなって思うと同時に若者に期待をしてしまうっていうね。これが若者の頃うざったがった大人の期待なんだろうなっていうのを胸に抱き始めてしまっているよね。
なんか応援をしたくなることっていうのはやっぱり自分のできなかったこととかできなかったじゃないね。もう今自分ができないことのエネルギーを向けるものに大人が期待をする。
もうお金を払うとか場所を用意するとか手助けをしてもっと伸びるようにもっと健やかになれるようにっていうふうなものの応援をしてしまう。その応援をすることが楽しいと思ってしまうっていうことが人生の楽しみになってきているから。
大人ってつまんないなって思う瞬間でさ。でもそれって確実に大人だなって思ったんですよ。まあきっとねいろんなことがこれからもあるから私自身もまだまだ子供の部分で戦っていく部分もあるし自分自身の人生でまだ見つめ直さない部分見つめ直さなきゃいけない部分もあるし膨らましたい部分もあるし
うんとはあるんだけどけどねうん 何だろう誰もが羨む人生っていうものにはならないと思うのよ自分自身が幸せだなぁと思う人生になると思う
今日はねそんなところで久しぶりのビデオポッドキャストでした ただ単にね髪の毛がねピンク色になったっていう
ポッドキャストを日記として個人ジャーナルなのでジャンルは残しておきたいなと思ったから撮った次第でございます大人の話あなたは大人の部分と子供の部分心の割合はどのくらいでしょうか大人とは何でしょうか
もしそういうのがあればお便りをお待ちしております
またねー