1. ミシマ社ラジオ
  2. 後藤正文×平尾剛  それでもパ..
2024-04-23 1:31:51

後藤正文×平尾剛  それでもパスをつづける理由 ー音楽、スポーツ、あらゆる世界で「3.0」になるために ¥1000

1 Mention spotify apple_podcasts

後藤正文×平尾剛  それでもパスをつづける理由
ー音楽、スポーツ、あらゆる世界で「3.0」になるために


<内容>
2024年1月31日(水)
「ミュージシャンは音楽だけやっていろ」
「アスリートはスポーツだけやっていろ」
こうした声にさらされる二人は、なぜ、それでも発言をつづけるのか?

ミュージシャンの後藤正文さんは、2023年10月、朝日新聞で6年以上連載するコラムをまとめた書籍『朝からロック』(朝日新聞出版)を上梓。ASIAN KUNG-FU GENERATIONやGotchとして音楽活動を展開しながら、政治や社会問題に向き合い発信しつづけています。
元ラグビー日本代表の教育学者・平尾剛さんは、元アスリートとして唯一、東京五輪反対を招致直後から表明し、スポーツが政治や商業主義に利用されることを厳しく批判してきました。最新刊『スポーツ3.0』では、スポーツに楽しさと健やかさを取り戻すため、「3.0」=根性論と科学の融合という新しい論を展開。

今の時代の問題に対し、自ら身を投じて闘い、言葉を発しつづけてきた同年代の二人。ついに初めて、リアルでの公開対談が実現します!

平尾さんは、「パスは投げ手ではなく、受け手こそが鍵になる」(『スポーツ3.0』)と述べていますが、次世代に言葉や文化をつなげ、受けとってもらうには、どうすればいいのでしょうか?
本イベントでは、スポーツ界、音楽界、それぞれの問題もふまえながら、よりよい社会に向かっていくための「次世代へのパス」について語り合います。
時代が一歩先に進むかもしれない一夜を、お見逃しなく!

 

<関連書籍>

『朝からロック』(朝日新聞出版) 後藤正文(著)

『スポーツ3.0』 平尾剛(著)

 

※AIによる文字起こしのため、一部文字表記に誤りが生じる場合があります

サマリー

後藤さんと平尾さんの対談が実現しています。テーマは「それでもパスをつづける理由」です。後藤さんはスポーツ部活の経験からスポーツについて考えており、平尾さんはラグビーの経験を通じて根性論について話しています。スポーツと文化の関連性、スポーツとクリエイティブな作品の影響力、根性と科学のバランスがスポーツ環境を形作っているという話を通じて、スポーツの3.0の時代の考え方を提案しています。クラブチームを指導している時に、子供たちが自主練習をすることについて聞いてきますが、自主練習をする際に何をすればいいか迷うことがあります。また、得意なプレイと苦手なプレイの練習をどちらにするかも悩むことがあります。後藤正文さんと平尾剛さんは、褒め方や受け手の立場について話し合い、受け手の主体性や自由さがパスの出し手のあり方を変えることができると気付いています。また、後藤さんが自身の言葉やアプローチを変えることでバンドのメンバーの能力を引き出すことができると語っています。パスを掘ることによって受け手の成長やスペースが作られることがあること、言葉の選び方や文脈の重要性について話しています。文章を書く時のルーティンや、筆が進まない時の対処法についても話しています。また、パスを出す方と受ける方の熱量のバランスについても経験を共有しました。人間の悩みや学生のモチベーションについて徹底的に掘り下げた話と、パスの比喩についての考察がされました。

部活の経験
ミシマ
皆さん、こんばんは。今日、司会を務めますミシマ社の三島邦弘です。
よろしくお願いいたします。では、後藤さん、平尾さん、今日はよろしくお願いします。お願いします。
どうぞお座りください。はい、えっと、奥から平尾剛さん『スポーツ3.0』という本を
あのミシマ社から持ってますけど、これですね。出していただきました。はい、で、
後藤さんは朝日新聞出版社から『朝からロック』という本を出されたということで、今日はダブル刊行記念ということでお二人の対談が実現しております。
テーマはですね「それでもパスを続ける理由」という企画をちょっと私の方で考えたんですけれども、まあそれでもっていうところとパスっていうところを最後の方をしっかりお二人にお話しいただきたいなというふうに思うんですけれども、
お二人、えっと実はまああのこの後藤さんがずっとあの平尾さんに会いたい、まずそのスポーツの話を結構しっかり話したいんだっていうことを以前から僕も伺ってたんですけども、
あのそれはあのどういうところであの平尾さんと会いたいと思ってらっしゃったんですかね。
後藤
いやでもあのなんて言うんですかね。 僕はずっと野球部だったんです、高校3年生まで。
でもなんかあの社会の構造って割となんかその部活の習わしがずっと続くっていうか、部活のモデルがこう会社の中でも続いてたりとか、
なんか結構 スポーツっていうかまあ体育っていうか
あの感じ 本当にいいのかなみたいな、その出てみてですよ体育会系から。
まあその僕は文化系に出たわけじゃないですか。 でも大学のその軽音楽サークルでもなんかすごいショックだったのが
全然先輩厳しいんですよね。 なんか大声で学籍番号と
名前言ってからなんか コップになんか大五郎みたいな焼酎飲めみたいな感じになってて
何これみたいな。そういうのが嫌だから文化系とかに来てんのに ここでも体育会系のノリがあってみたいな
その回死ぬほど迷惑かけてあげましたけどね、そんなだから。 そういう良くなさもあるんですけどね、そのね文化系のね、なんかあの
それやめましょう、はい でもなんかそう
そういう結構スポーツの話しないといけないんじゃないかなとか思ったりとか あとその本当に
なんか自分でインタビューいろんな同世代と話してみようっていうのを自分のレベルでやった時に 有名なスポーツ選手とかと話すと
本当になんですかね、すごい 思考がまっすぐっていうか
スパンと切ってくれるんですけど 何だろう、頑張ったから成功するみたいなすごいシンプルな組み立てなんですよね
スポーツと根性論
後藤
それでなんかこう 脱線してなんぼみたいなとこあるじゃないですか、トークって
なんかこうなかったんですよ、その迂回る、なんかもうコースがちゃんと走ってくださるっていうか それでいいんですけど
そういうところもなんか ずっとスポーツって何だろうっていうか体育って何だろうみたいな
そういう話を 平尾さんってこう、ほら
レアな方じゃないですか、レアった人なんですけど ラグビーゴリゴリにやって本も書けるとかって
文武両道みたいな そういう方とちょっとちゃんとお話ししてみたいなと思ってミシマさんに時々ね
平尾
平尾さん会ってみたいですみたいな話してたんです ありがとうございます、スポーツねなんであんな上下関係厳しいんですかね
生きてきたんですけど、その中で生きては来たんですけど 僕体育の時間嫌いやったんですよ
なぜかというとだいたい体育の先生ってできない子を標的にするでしょ
で基本的には授業始まる前でみんなこう体育座りで待ってて先生入ってきました でできない子を
俺やっぱりできないだろお前みたいな感じで 怒る、怒ると周りがああやって怒られないようにしようということでみんなちゃんとする
みたいなあの窮屈さがすごい嫌で、僕は好きだし言ったら体育
球技はある程度できたんですけどなんでこんな空気凍りついてるとこでバスケやらなあかんにゃバレーやらなあかんにゃろっていうことで嫌いだったし
なんでラグビーずっとやったんですかね僕 でもラグビー自体は面白くて
あのずーっとやってきたんですけどあの後藤さんも申し上げましたけどレアというか変わりもんでした
あのよく指導者からごちゃごちゃ考えんとやれって言われました ごちゃごちゃ考えてこうじゃないですかって言ってもうとにかくそれはケースバイケース
やーって言われたりとかね なんかそういうことをしながらこう生きてきて31で引退してからはやっぱり今まで
もやもやとしてきたことが自分の中でも抱えきれなくなっておそらく本を読むとか 書くとか何かしらの時考えてきたことが
あこんな風に言葉になるんだと思って読み合わさったし書き合わさったみたいなところがあります だから本当変わりもんですね
後藤
なんかね 本読んでる
友達なんて野球部にいなかったけど
僕は本は嫌いじゃないけど僕も読まなかったですもんね あんまりあの読書感想文とかあったらダザいとか読んだりとかしたけど
なんかフォークとかカーブの握り方みたいな本とかすげー読んでましたね そういう風に言っちゃうっていうかね
あんまりこう文化の方に広がっていかないですよね 忙しすぎちゃって だって朝6時から
あれですよグランド整備やらされるんですよ なんだこれと思いますよね
平尾
でもいつから後藤さんそういうふうに本を読まはったんですか そしたら読むっていうことに面白いなーっていうか
後藤
でもね本はなんかね基本習慣だけはあったんです だから小学校のなんか図書館がなくてちっちゃい文庫コーナーの本とかで
『二十四の瞳』とか なんかあのそういう分厚いね『坊ちゃん』とかねそういうあの
シリーズあったんでそれを読んだりとか あとなんか戦争漫画とかいっぱいあったんでそれを読んだりとか
そういうのはなんかあったんですよね あとう
うちの家になんか赤川次郎の本がいっぱいあって あー
そういうのミステリーとか思いながら読んでたりとか 活字自体は好きだったんでね
野球やってる時はやっぱり野球の本ばっか読みましたね ルールの本とか
ルールばっか詳しいんですよできないのに あそうですか
サードコーチでね 高校3年生の時はね
静岡で一番右手回したんじゃないですか俺が そのせいで今四十肩になっちゃった
でもそうですあんまり暇がなかったですね 部活って厳しくて理不尽だけど理不尽っていうのもできないし
もちろん監督さんに何だろう口応えなんてできないし 先輩がパン買ってこういったら買いに行かなきゃいけないしみたいな
そうなんですよねなんかそういう これなんか理不尽に耐える訓練だったのかなっていう気もしますよね
今から思うと野球部の何がしなんて あんなんやったらもう社会人になったらもう完璧ななんていう後輩になれますよね絶対
平尾
そういう意味では社会のがもうある意味その ここまでの部活動には少々のしんどさに耐えられる
強靭というとあれですけどまあ言うなれば従順ですよね 多分そういうふうな人を育てる
メディアの影響
平尾
ものだったんじゃないかなというふうには思ったりしますね いや確かにあの野球は当時僕ら同じ年代ですけど厳しかったですよね
野球はね監督がそもそもユニフォーム着てて同じベンチにいるから ただねラグビーはその点良かったのはラグビーって試合始まったら監督基本的な
口出しできないんですよ スタンドから見てるってことですよね だから中学の時も高校の時も試合前にこうやって攻めろって言われるんやけどみんなで
そんなも試合になったら無視したろうみたいな感じのありました だから試合始まったら俺たちのものやみたいなことがあったのでそのラグビーの競技特性
っていうのもまあちょっと野球とは違うとかやったかもしれないです だから面従腹背ができるわけですよ
なるほどなるほど いや俺試合では蹴ったる 絶対蹴ったるって思ってて
後藤
なるほどね 確かに野球はね近いですからねコーチとか監督との距離がね
いやでも本当でも坊主だしねしか坊主だったっていうかねまだ坊主だしてるでしょ なんで坊主か意味わかんないですよね
平尾
わかりませんよね 去年の甲子園で慶応高校が優勝して髪の毛が少し長くてもっていう
あれはまあ注目されてますけどやっぱなくすべきですよね あの短くしたい人はしたらいいと思うんだけどそれを規則で決めてチーム一律で
やるみたいなことはやっぱりどんどんこう なくしていかないとあかんのちゃうかなとは思いますね
後藤
いや本当そうですよね 僕すごい変な奴だったからあのうちの野球部途中で長髪オッケーになったんですよね
あっそうなんですか そうなんですよ 結構リベラルな意見が通って監督さんがリベラルだったんでしょうねそういう意味では
だけど僕そっから坊主にしたんですよね
なんかちょっとかっこええなそれ 謎の野球部全員長髪になってなお坊主だったんですよね
はいそういう変な奴でしたね全然関係で脱線しちゃいましたけど いやでもあれまあその
軍隊なんじゃないですかあれ だから俺なんかねその野球部3年間やったのって自衛隊には入ってないけどその一歩手前の
なんかあった時に言うこと聞く訓練こう つまされたんかなみたいな気持ちがちょっとだけあって
平尾
なんか耐えられちゃうんですよいろんなことだからあの まあそうですよあの軍国主義の名残がまだまだ体育とかスポーツには残ってると
でそれとちょっと『スポーツ3.0』にも書いたんですけどいわば根性論ですよね あの言ったら何でもかんでも気合だと理不尽は耐えたら耐えて乗り越えた強くなる
みたいな その根性論っていつからかというとあのこの会場に集まった皆さんもの中にはあの
ご存知の方もいるかもしれませんが1964年の東京オリンピックのいわゆる女子バレーボール あの東洋の魔女とはい
監督の大松監督という方がですねまあ過酷な練習を選手に貸して性が低いにもかかわらず 金メダル取ったんですよね
でその後根性論がすごく流行ったというか 広まったんですけどこれあの実はその
大松監督も自身で本書かれてるんですけどね根性論否定してるんですよ 厳しさは必要であるとだから厳しい練習は貸したけれども実は選手の健康状態を
管理する医者をちゃんとつけてってチームに帯同してどこまでできるかということを 見極める戦術もこっちから一方的にこういう戦いだって敷いたわけではなく
チームでのミーティングを大事にして大松監督の口から創造性 クリエイティビティとかそういったこともちゃんとこう選手に教えないと勝てないって言ってたんですよね
だから当時のメンバーで誰も大松監督のことを悪く言わないし でもなんで広まったかというとマスメディアがどうやらその過酷な練習を切り取って
ほらこういう練習したから勝てたんだっていうようなことでいわゆるメディアが切り取って大々的に日本に広めた
それにさらに後押しするようにスポコン漫画が流行りましたよね
「明日のジョー」にしろ「エースを狙え」「巨人の星」 あれで強くなるためには理不尽であろうがとにかく厳しい練習が必要であるイコール根性論が広がったっていう研究があってですね
多分それがね今でも残ってるんですよ 当時はあのそのその研究者の方が言うにはですねやっぱり当時はそのいわゆる
心とか精神力心の力とか精神力心構え やっぱり何をするにも必要ですよね
気持ち 気合って言うとちょっとあれだけど気持ちをしっかり持たないとどんなことでもできないし
確かにね気持ちの大切さをどういうふうに選手に身につけさせるんやっていうことは実は研究者
特に心理学者が集まってそのオリンピックの強化部門ではきちっと科学で捉えようとしてたっていう形跡が残ってる
にもかかわらずマスメディアがやれ回転レシーブだって俺はもうしんどそうにやってるのを切り取って映像でこうやっぱり流してしまったから今につながってるっていうのがあってね
その名残がまたまだ今残ってるから 確かあの大阪桜ノ宮高校の
キャプテンが 残念ながら実施してしまったあの指導者の暴力を持って10年経ってるんですよね
あれからね11年目かな今年にもかかわらず結構ニュース出ますよね だからまだまだ残ってるし現場の先生はいっ時はそういうニュースが出ると収まるんですけど
でもそれがしばらく経つとやっぱり強くするためには厳しくしなきゃいけない 根性だ
でついこう手が出るというか言葉が尖っても仕方がないっていうように今 飽きてるっていうことなんですよね
後藤
結構でも重要な指摘があると思っていて まあなんかこういうの考える時もスポーツが一方的にずっと悪いかと思ってたから
そうじゃなくて根性論をこうなんて言うんだろう 社会に広めたのはむしろ文化の川っていうか
スポーツと文化の関連性
後藤
ねそうなんでその今のスポーツがこうあるのは結構その そういうアニメとか漫画とかが果たして役割ってすごい大きいんだろって今
はっと思っちゃったから 全然なんかそのスポーツと文化って分けて考えちゃいけないし
いかにこうねそういう文学作品とかいろんなクリエイティブな作品が世の中に影響を与えるのか っていうのもちょっとハッとしちゃったっていうか
平尾
怖いですね怖いですね でそれとまあ合わせ鏡のようにスポーツ界もきちっとそういう問題に対して向き合ってこなかったん
じゃないですか たぶん強くなって金メダルを取れたからまあ
ええやないかとね大会で結果出したんやからまあ少々ちょっとこう殴ってもたけどまぁ えっかみたいなことでは来てるはずです
だからまああの双方のいわゆる社会のがというか文化のがと スポーツ会とのやっぱりこう
共犯って言うとちょっと言葉きついかもしれないけどもそれが今のそのスポーツ環境を 形作ってるんちゃうかなと思いますね
後藤
いやー すごいでも
まあね内側から変えない理由もよく想像をつくっていうか これで何か結構チームの関係
フラットになると なんて言うんですかね教える側もやりづらいとこあると思うんですよね
こうあのなんていう下から疑問が出ちゃったり反論が出ちゃったりそれいちいち 答えずにやこうだからこうなんだよいいからやれよって言った方が
まあなんて言うんですかねチームチームを何かを操ろうと思ったらそのが楽だよね っていうのがあって
だけど確かにそうやっているとクリエイティブなことが起きるかったら起きないですよ ねやっぱね体とかも怖がりますもんやりたくねーなーみたいな
平尾
ことをやらされた時そうですよね だからこう今回『スポーツ3.0』と言っていますね僕の話ばっかりやじいじいパトンタッチしますけども
いやいやえっと1.0ってだから根性論の時代なんですよねもうそれがあの根性論が正しい 2.0って何かというと
科学全盛というか科学に頼った時代でつまり水飲むなの時代から水飲める時代になるんですよ 来ましたね
確かにでしょね僕ら僕はギリギリ中学までは水飲むななので さっき控え室でも喋ってましたけどあの
トイレ行くふりしてトイレの蛇口ひねって水の 時代ありましてそれこそ周りに聞いたらもうトイレに行くのも生かしてくれへんから
雨の日は水溜りの水飲んでたとかいう ぐらいの時代が1.0
でねその後やっぱり根性論は良くないということで科学的な考え方が入ってくるんですよ ねそうすると定期的に水を飲むことによって体内の水分量を減らさなければいわゆる実
平尾
持続力というかスタミナが落ちない 試合の後あの終わりになったら足つるような人はちゃんと水分が足りてないからだから
飲めっていうことになるし 後は筋力トレーニングって考え方が出てきてとにかく重いものを持ってた体を切っ
体を聞くなったらパフォーマンス上がると 単にこういわゆるメソッドに任せてしまうみたいな時代があってでもこれ
両方必要だと思うんですよ要するに根性じゃなくてさっき言った気持ちの持ちを大事だし 当然科学の知見も大事だし何か間じゃなくてありふれてへんで
それを3.0って名付けてそれこそ今 後藤さんおっしゃったように
単にフラットにしちゃうとバラバラになるからある程度やっぱりここはこうせなあかん っていうね
そこは理屈じゃないからまずちょっと100回振ってみっていうことは必要と思いますがバットにしろ ボールでもとにかく100回蹴ってみってどうやったらいいですか
どうやったらいいんですかって言葉で説明できるんですよねわかりますとか買うとかね とにかく回数こなさなあかんかったりもするんだけどそれを100回と上がるって言うんじゃ
なくてとにかく感覚でつかまないけないから あのこの3日間1日例えば100回蹴ってみてその後話しようみたいな感じだと目標ができる
わけですよでもそれも理不尽なわけです本人から変もん蹴り方ってやるからそういう 加減が大事だと思うんですよね
心の 心の持ちを大事にした指導あるいは取り組み
であるいは科学的なそういう考え方もちゃんと取り入れてだからもう3.0って言うけど 割とその程度の問題をしっかり考えましょうっていうようなところであのまあ
こうすればいいって答えはないけども3.0を仮にそう作るとそこでみんな あれこれ試行錯誤できるんじゃないかとだから本にもこれからのスポーツ考える上での
下敷きにしてくださいっていうふうには書いたんですけど まあ程度を考えましょうよ心も科学も大事だしっていうようなことなんですよね
後藤
難しいですよね教えるのってね
スポーツの3.0の時代
後藤
だって技術って 何回もやらないと上がってこないですもんね
そうそうそうだけどなんていうのかな 多分100回振ってる奴って多分スイング滑らかなってくるはずなんですけど
この当たるかどうかはフィールの部分だったりするんでそこがまたなんかちょっと違う なんていうか布で言ったら違う方向の糸なんですよね
技術とはねそうですねそこをなんか教えるのは難しくて音楽とかでもそうなんです けどね
そうそう音楽ってもう本当にだって頑張ったっていい曲できないですからね と思いますよメロディーとかただ頑張らないと楽器うまくならないんでみたいな
なるほどそうそう思いついた時にもちろんその 楽器が弾けなかったらその音とかその楽器を使った音楽的なボキャブラリーがないんで
いくらイメージがあっても言語ができないみたいな 思いついてんだけど自分では表現できないんだよなみたいな
そういうなんかのもあったりとかして難しいんですよね すごいアイディアを持ってる奴がイチロー並みに体が動くとは限らないみたいな
イチローみたいにその楽器界のイチローだけど 音楽的なセンスが全くないって可能性もあるんですよだから
わかります手が動くことと音楽的なしなやかさは別の話なんでそこすごく難しくて だから布として良くないといけないみたいな
そのねこの難しさがあって僕はなんかね不器用なんでどんだけやってもこう 早く弾けたりしないんですよあのギターとかやっぱ無理だなみたいな
指も短いしみたいな そしたら別を生かすしかないっていうかあの僕はバンドを組んでるのはそういう理由っていう
か僕にできないことをメンバーと一緒に考えて考えてるっていうか 身体性を拡張してるみたいなようなもんなんですよバンドをすることによって
私一人だとできないけど4人だと ギターの彼は僕よりギターが弾けるとかビートに関してはドラマーが全然なんて言うんだろう
僕のこう すごいこうなんて言うんだろう
あの言語本当に日本語にするとこまでしかできないものを実際に身体化してくれるみたいな能力があるとか だからなんか
平尾
そういう違いはなんかスポーツ共通項となんか違うところがあるなって思うっていうか 今の話聞いてるとラグビーそのままやなと思うのは例えば立ちはば飛び3メートル
飛んだって捉えとれるかわかんないですよ あー確かにねそうスーパー身体性があってもあっても
例えばベンチプレス200あげますって言ったらみんなも投げ倒して突進するかって言って意外と足元 弱かったりとかするんです
でも逆に細身やなぁと思うけどラグビーこいつうまいなぁってやつもいてね 身のこなしでいわゆる体重差を補ってしまう
まあセンスって言うんですけどね センスあるなあいつっていうだからそれとなぞらえて今の話聞いてると一緒だしその
身体性の拡張っていう意味でもラグビーなんかもまさにそういうスポーツだから スクラム組むフォワード8
リーチマイケルとか堀江翔太とかの辺はもう100キロ超えてる でも松島幸太朗とかちょっと前で言うと福岡選手みたいに小さくてマシが早い選手が
いるだから自分ができないことをしてくれる人を信頼してそれをあの コラボレーションというか
マリアージをきちっとしたチームが一番強かったりもするので そうすると周りを観察するようにもなるしなんかそういうことと同じだなぁと
後藤
いやいやそうですよね スポーツの場合またでもあれですもんね一瞬でイメージ共有したりしますもんねなんかね
ここにパス来るって分かってるけど分かってない走ってるというかあの 考えないでいますよねそこにねでも来るってわかってるですよねなんかね
平尾
言語化しないでねそうですからねサッカー界でよく言われるのはメッシめちゃくちゃ試合中 歩いてるやんって指摘があるけれどもでもメッシ
いいとこにいるのはだから多分言うなれば 10秒後が確実に予測できる選手でしょうね
だからボールあっちにあるけど絶対ここ来るからって歩いて行ったらそこに来るみたいな そうすると今のサッカーって走行距離とか全部 GP
上でやるわけですよねそれと比例しないわけであってなんかそういうところが一番 面白いところなのにそれこそ2.0なんですよ全部数値で
確かに走行距離で GPSつけてますからねみんな最近背中にあんなつけられて嫌な思いますよ だってサボってたらあこいつ後半20分ぐらい歩いておるとかって思われるわけやからね
便利になったけどでも今の時代選手やったら俺絶対怒られてるやろって思ったりもするし
後藤
いやーねもうあれですよね内面とかが そのあらわにされる機械だけは発明してほしくないですよね
これ本当あの 中には僕のバンドのファンのいる方もいるかもしれないですけど俺謡いながら全然違うこと
考えたことがあって 本当本当いや本当に
ああやべえ焼き鳥のこと考えたな 一曲終わってたとかね
とか本当あるんですよ あって今これアウトロ、間奏かわかんない違うこと考えたとか
でもあのなんてそれはあのねなんて素振りと一緒でだから自動操縦になってるんですよ ずっと練習してるから体に入るように
そうそうそういう時がありますね分離しちゃってるっていうかね体と いやー恐ろしいことですよ本当それはもう同じですよ
平尾
僕だって試合中に 今日終わってからどこ行こうみたいなことを思いながら
だから本当自動化してるので余計なこと考えるとその自動化のなんていうのかな 動きが阻害されるというか変な意識いらないんですよね
だから何かしら今の状況相手が何人目の前で立ってる見方が何人いる みたいなことだけわかってたら
自動的に動かないと相手も騙せないし だからある意味頭だけは勝手に別言ってるけど体はその状況にジャストフィットしてるみたい
そうですよ本当 そういう時にハイパフォーマンスが
あれ? 揃いしてる?みたいなことになるというかね
後藤
一番いい時真っ白ですよ本当 本当にだからあれ
次の謡い出しなんだっけと思ったら出てこないですよずっと 何回かギターの喜多くんに聞きに行ったことありますよね
謡い出しなんだっけって 教えてくれるんですよ
本当に本当に だからね
そうなんですよねそこはなんかでもね面白いとこですよね人間のね体のね
根性がダメかったらそんなことなくて ある程度やっぱ
頑張って叩き込まなきゃいけない局面っていうのは 何にでもあるっていうか
やってると角が取れてくるっていうかなんか力まなくなってくるっていうか そうなんですよ
だからギターとかも慣れてる曲は力が入らないですよね
難しいポジションとかだとなんかもうやったことないからもうガチガチなんですよね
終わった後も手が痛いみたいな 上手な人そんなことないんですよ全然ね
平尾
そういうのがあるなぁ やっぱりコツとか勘って言葉にはならないですよね
けど面白いのがあの 長島監督と松井秀樹のエピソードがあって
松井秀樹がメジャーリーグに行って 部長にちょっと調子が落ちた時に国際電話かけて
長島さんちょっと調子悪いんですけどって言ったら 電話口でちょっとそこでバッと振ってみろとか言われて 電話ですよ
テレビ電話じゃないですよ電話で でビュッって言ったら あ そのビュッていう音が遅いからそれもうちょっと後で出るはずなんだよなって言ったら
あ わかりましたって言って回復した だからトップレベルのものすごい感覚持ってる人はそんなもんでちょっと伝わってしまう
けれどもそれを初心者にしてしまうのはここですよね そんなもんね シュッときた球はポーンと打ったら入るんだよって言われてもポカーンとなるわけで
あって その辺りが非常に難しくて やっぱそういう意味では手順であるとか目の付けどころで目つきはどこに
するとかスタンスは広めなのかっていう ヒントをやっぱり伝えた上で指導しなきゃいけないですけど
子供たちの自主練習の迷い
平尾
めんどくさいんですよねコースとか勘を指導する伝えるっていうのはね あとなんかやっぱ
後藤
もっと楽しくなってほしいなと思いますけどねスポーツとかがねでも体育が楽しく ないって本当にそうだったんで
何飛び箱とか思うじゃないですかだって 飛ばなきゃいけないのに飛び箱みたいなとかねあとね
やったら走るでしょみたいなそんな機会ないしみたいなないまあないですよね そのなんで回収6週も走らなきゃいけないんだとかさ
ああいうのでなんかだんだん嫌いになっていっちゃうのは まああるかもしれないし僕らの頃はなんかそのできないやつをこう
わーって叱るみたいなそんなになかったですけど でもあれやっぱりこうできない子なんか先生がどうこうってより仲間から笑われちゃったりとか
セレブ
の 地獄ですよね
いや小学校の足遅かったんですよ 恥ずかしいですよねなんかほらあの
なんていう200メートル走とかカーブあるからちょっとな最初ハンデあるじゃないですか あの
アウトコースの奴が先に走っていくでしょ なんときだから応援だ応援してる
なんかの低学年のことかの前走ってる時なんかさも足早いみたいに見えるんですよ でカーブ終わっ
ただりでビリになるわけですよね うん
なんかそんなギャップないみたいされるじゃないですかなんか 最初は早いと思ってたのに見て
よくないなぁ運動会 いやーよくないと思うんですよなんなんすか運動会って
とかでもだからそうみんなでやる全部良くないと思うんですよ 楽器の演奏会とかもなるほどリコーダーみんなで吹くとか
リコーダーも もう今まで生まれてこの方1回もリコーダー吹いてて楽しいと思ったことないですよね
これ最高の楽器だなって思ったこと1回もなくて マジでなんでこんな楽器やらなきゃいけないんだろうみたいな
後藤さんでも演奏会とか嫌でしょ 嫌ですよ僕音楽の成績ずっと悪かったですもん
なんなんでしょうねあれだからすごいこう みんなの前で弾かれちゃうから音楽もあれでやりたくないっていうか
堅くなり自分センスないって思っちゃう子いるんじゃないかなと思って人とかそういう人が みんなでやって音を合わせて
平尾
でずれたらみんなから誰みたいにねそうそうなんかそういうふうになるじゃないですか なんかそれとスポーツで言うとそうですねあのみんなの前でああやって順位付けする
順位付けはねもっと大人になってからでいいと思いますよ 自分で飲み込めるようになってから小学生の時って
ある時点からその友達と比べて自分は勉強ができるとか足が速いとか音あの歌が 上手だとかそういうふうに自我をこう
だんだんこう作っていくわけその時に誰の目にも分かるような順位付けをボンとこう 見せるっていうのは僕は良くないと思ってて
全国大会は中学ぐらいまでもいらなきゃかなと思ってるんです一番決めるっていうのは でまぁ
ここまでもいらんかなって言うとそれをするとなかなか反発も強いんでね最近 あれなんですけどでそれなんでそう思うかというと
スペインのサッカー界は 23歳まで育成年代なんですって育成年代
23までだっていつ伸びるかわからないでしょっていう 17ぐらいである程度固まってきたとしてもそれ以降から伸びる人もいるから23歳
までは いわゆる育成年代でそれまでは試合があっても必ずベンチ
いう含めて 等しい時間試合に出る出さなきゃいけないルールがきちっと境界で決めてて
だからベンチで3年間補欠でしたはないんですよ でそういうふうに経験させするから勝敗なんて別に
指導者と子供たちの違い
平尾
あのそこまで目くじら立ててやらないしそうすると23歳ぐらいで揃ってくる プロに行ける人もいるし
ここでやめようかなと言う人も出て要するに好きでいられるんですよね あの古いわけされていわゆる高校の時に3年間補欠でもうやめざるを得ないじゃなくて
ずーっと機会は与えられているけれども最後までやったでも23ぐらいになるとやっぱり そんなみんな平等ってわけにはいかないしやっぱ能力の向き不向きも出てくるわけ
だからちゃんと 諦められるような自分がの進むべき道が
わかるでかつずーっとやってきたサッカーが嫌いにならないようなことを念頭に置いた マレギュレーションなんですけど
そこを見習うべきだと思うんですよね 好きでいるって
なんか 幼い頃に好きなもの好きだったものがある時期から嫌いになるって非常に僕不幸なことだなと
思ってて 上手い下手じゃないでしょ好きだったらいいわけでそれすらも奪ってしまうのが今の
スポーツちゃうかなと思ってるからなんかねもうなんとかならんもんかなと思うし 音楽にももしかしたら今お話聞いてて繋がるものもあるのかなと
学校の音楽会発表会みたいなものが
後藤
なんかもっと 選択的に好きなことが学べて好きなことが伸ばせるようになった方がいいですよね
基礎体力みたいな感じで 走るみたいになって納得できるんですけどね
幅跳びの練習とか何だろうとかね まあそういうこと言っちゃうと聞いてないんですけど何なんでしょうねあれってね
だから スポーツの謎とか音楽の謎とかまあ合唱とかも
そんなこと言うと怒られるかもしれないけど合唱団って怖くないですかなんか 俺小学校のなんか
あの合唱チーム めっちゃ怖くて隣の学校のなんか全員こうやってなんか
一心不乱にっていうか歌うんですよね
なんなのあれみたいなも思ったしでなんか 合唱やだったなすっごいやだった俺
なんでこの曲歌わされるんだろうとか思ったりもしたしなんか あれでも良くないのか良いのかよくわかんないですけどねでもねなんか意図があるなら先に言ってほしかったみたいな
これは例えばみんなであの力を合わす訓練 訓練というかそういうのを育むための授業ですとか言ってくれたらわかるかもしれないけど
何なんでしょうねねあの妙な統一感というと言葉きれいそういうのかなぁなんかね でもなんか
いろんなところでそういうのがあるしあとなんか参加人数も多いし っていうのも一クラス40人とかだったりしたから
そういうのはすごい あれでしたねもう思うところがちょっとありましたね昔はね
ミシマ
あの今のお話すごい面白くて まあ後藤さんバーンとしてて平尾さんラグビーってチームスポーツやってらっしゃってて
その 複数でしかできないことをやっていらっしゃる一方でそういうこの全体主義的な
こう 動きっていうのはすごいやっぱこう
嫌だっていうだからみんなでやらなくていいんじゃないっていうずっとおっしゃっておられるけれども だからそれと
チームやバンドがすごい力を発揮するっていうのは全然そこをみんなつなげて考えてると思うん ですけどもお二人の中で全然違うってなんかすごいはっきり
なんか違うと思いながら話してらっしゃるなぁという感じがしてるんですけども そのあたりどうですか
平尾
全然違いますよね全体主義的にやると いわゆる指導者は気持ちいいと思います自分の号令一つでこっち向いて
でもそれはやっぱり究極の形は軍隊なので 軍隊はいわゆるその上官の指示が間違ってたら全滅するんですよね
ああ だから臨機応変に対応する特にラグビーなんか
しっ スタンドから見てる指導者がこうって言ったって現場で感じてることが違うから現場で判断し
なきゃいけない そのためにはやっぱり一人一人が持ち場で今の状況を見てて例えば自分の問い名あれちょっと
バテてるわっていう情報も交換したりするわけだからすごい個主体的に自主的に一人一人が取り組まないと
チームなんかチームじゃないので
だから大体そのラグビー界でも言われるのは強豪校 高校レベルの強豪校出身が大学行って力発揮できないっていうパターンも一つあって
それは強豪校だからもう戦い方も決まってるし厳しい指導者もいるからそれの下で やっていくとある意味一時乱れぬ
いわゆるその動きをすれば高校レベルで勝てるんですよね
大学になってきて大学になるっていうことは各高校のレベルの高い人が入ってくる また大学から社会人だったらエリスぐりのメンバーが集まってきたときに誰かの
号令で動くような選手っていうのは絶対に伸びないんですよ伸びないんでしまう だからそういう意味でもね
目標と自主練習の重要性
平尾
あの全然違うものだと思ってます だから例えば成立できない小学校の小学生でも別に成立しなくても徐々に
勝ちたいって思った時にどういうチームがいいかってだんだんだんだん年齢 重ねていくうちに勝手にチームってこういうもんやねって覚えてたらいいのに
指導者が余計なことしてビシッと並べさす並ばさせるというかね で指示を誰かの指示を受けてその指示指導者の指示を受けてちゃんとやるっていうのはある意味
子供にとってのある意味ねちょっとこう喜びではあるしちゃんと僕してるがちゃんと 私してる
しれっといわゆるオシムが言ったのかな指示待ち 指示待ちの姿勢ってもの究極の受け身ですからね
な受け身の姿勢をどっかであの受け身って大事なんだ でそういう受け身的に指示を待ってちゃんと行動しているちゃんとプレイしている自分を
後藤
肯定しちゃうとそこから離れるっていう結構難しい 褒められるためにやっちゃうのをよくわかるっていうか
なんかワークショップとかやるとそうなりがちであの詩でも音楽でもなんかみんな 褒められそうなものを作るんですよ作ろうとするんですよ
何だろう どっかで聞いたことあるみたいな
なんか普通詩とか書いたらその要は定型の言葉クリシェみたいの破ってこうっていうのが表現だと思うんですけど逆にこう
中学生高校生ぐらいとなんかそういう音楽のとかのワークショップやるとみんな それなんか僕からちょっとお気に入ってるような感じっていうかこうやっといたら怒られないし
なんか褒められそうな表現みたいな なんか歌詞で言うとみんな何かを守っちゃうみたいな君のことを守りたいみたいなことずっと歌ってるみたいな
イメージですよ 守ってもいいんですけど本当に守りたいと思ったら歌ってもいいんですけど
ただそれを 中高生ぐらいだったらそんな守りたい人とかいないのに歌っちゃうみたいな
なぜならそういうこと言ったことなんかちょっと良さそうな 無難な表現というかその褒められそうだからみたいな
でも大体そういう時一番面白い奴らってもうマジで俺の話最初から聞いてないような奴らが きたり面白いこと始めたりするんですよねなんか
そうそうなんかそう今ねあの平尾さんの話聞きながら確かにこう指導者に褒められたいみたいな気持ちって意外と良くないですよね
平尾
良くないですね
褒めるのって 他人の欲望に合わせに言ってるわけやからね そうですよね
じゃなくてえっこの人おもろいんちゃうっていうのがある意味クリエイティビティの発露でしょ プレイしてても
あっちょっとあのこんな走り方してみようとか ステップ回転してみたろうかなっていうところからちょっと試合で試してみよう
試すにはちょっと練習しておかなあかん 練習するためには友達誘わなあかんっていう結構めんどくさいこともね
減なきゃいけないんだけどでもそれを追い問わずできるって する習慣が子供の時にできてること
あの 今どういうことをしたらいいのか指導者に聞きに行こうっていう子は長い目で見るとちょっとした差だけども
すごい差になってしまって でもこれすっごい痛感したのは現役に対して
中学生高校生のクラブチームを指導している時に 全体練習1時間した後30本自主練習
で自分がとにかくやりたい練習 うまくなりたいプレイをやったらいいよって言った瞬間じゃあ今からって言った瞬間にある
子が来てね コーチ何しとけばいいですかって言うんですよ
うんと思って何しとけばいいや何をしてもいい時間なんやけどって思った時に ああそういう感覚なのか自主練って言っても自主練じゃないんだ
でそこから 自分今何どのプレイの練習したらいやわからないですってなるんですよねでもじゃあどのプレイ
が自分得意ってどのプレイが苦手って言って で得意なプレイを伸ばすのも一つやし苦手なプレイ
を克服するのも一つやからどっちするってで彼はタックルが苦手だって言う タックルの練習しようかって言ったらどんな練習がありますかそしたら
こういう練習しようと言いますよタックル練習したいです じゃあこんなメニューもこんなメニューもこんなメニューもあるけど君やったら今これぐらい
褒め方と受け手の主体性
平尾
しといてもいいんちゃうかなっていうのは指導なのに何しとけばいいですかっていうのはね 結構ずっと引っかかっててねでもそれは彼自身の問題じゃなくて恐らくそういう
後藤
環境の中で来たんですそうですよね構造でそうなっちゃうんですよね関係とかでね 何もか話聞いてれば褒め方もすごい大変ってことですよね
そうですねその褒められるパターンがこう なんて指導者の側がやりたいことに答えた奴を褒めていくと
その従順の奴だけ育っていくみたいな 突拍子もないことをした奴がする奴がいなくなってくるってことですよね
平尾
なんかねー 僕あんまりねだいたい褒めるか叱るかみたいな本いっぱいあるじゃないですか
そんな僕もね認めるっていいと思うんですよ だから例えば見てるよってあの例えば自主練習でもパッとアホあって残っていつも
練習してるなーっていうのを見てて遠目で見てて 昨日に比べたらちゃんとヒット数多いなぁとかって置いとくんですよね
でなんかあった時にいや上手くなってるんちゃうって あのなぜならあのいついつの練習といついつの練習やったらヒットしてる本数が違ったっていう
ふうに見えたけどなぁ チャレンジしようかみたいなすごいとかうまいとかって言うとそれって気持ちいいから
もっとちょうだいもっとちょうだいになるけど そういうふうに認めてあげるそこまで見なくてもいいけど
あのヒットまで見極められないのであれば あいつもあの終わってから練習してるやんなーって
だけでも僕これね褒めるというか認めることだと思うんですよね そういうふうにちょっとやっぱり指導者に見といてほしいじゃないですか
いやそれ絶対ねありますよ ほったらかしはね絶対ダメだけどもうなんかそういう加減がめちゃくちゃ大事なような気が
後藤
します今で褒めるのは難しいよねって言ったけど本当そう思います 本当でも指導者とかがそのこっちの少しのチェンジとかを見てた時は嬉しい
ですからねそれが結果とかじゃなくても なんかやってんだなってことが分かってくれているのはものすごい信頼関係になるっていう
のは 自分スポーツやってきては経験としては思いますねすごくねここ見てんだみたいなことなってやっぱ
平尾
聞きたくもなるしねどうしたらいいですかって困った時に でねやっぱりある意味やっぱりその権力勾配は絶対あるわけですよ指導者とその選手の間
にはその権力をどう使うかということでだから見てるよって 例えばそれがまといてたとするじゃないですかあの練習終わってからせよな
あのキックの練習してるっていうことは聞くには出ないよなぁ じゃあまあ練習書かっていうふうにしながら
的確にうまくなったポイントを見抜いた言葉をかけるでしょう それあんまりごちゃごちゃ言わなかった向こうはちゃんと分かってくれている見ててくれるっていう
ふうに向こうが思うと多分 直接的に何も言わなくてもたって別の人に教えていることはでもこの辺から聞いてきたり
するから その一点でいいと思うんですよねでも言葉で言うほど簡単じゃないですよねその信頼関係
後藤
っていうか見抜くっていうのはを面の超難しくて 俺らもこの前なんかミュージシャン誰かと話してて
褒め損ないってあるよねみたいな話ででこのインタビューしててめっちゃ最初から最後まで 褒められているけど
めちゃくちゃ褒め損なれてるねみたいな時あるってなんかうわぁそこじゃねーみたいな 全然嬉しくねーなぁ今の褒め言葉みたいなあるんですよ本当に
ありますねそうそうだからね褒め損なうってあるんですよねなんかこう 批評とかでもそうなんですけど作品とか褒めるとき
うわぁそこじゃねーみたいな 難しいやいやいやでしょなんかねこんなやつねいやいやですみんなそうなんですよ
ミュージシャンとか褒め損なれてるなと思う いい言葉発明したと思って褒め損なうみたいな
いやそんなのあるみたいなポジティブな言葉なのになんか語尾でネガティブにひっくり返すみたいな
褒め損ないって言い言葉ですねいや本当ね褒め損なってるぞみたいな そういうのね
平尾
あって良かれと思っても良くない言葉ってありますからねでもね その世界でも結局ねもう今あたり信頼関係築こうとしてね僕も言うわけですよ
あうまいって言った瞬間にえって顔するんですよ褒め損なった時って えっそこちゃうけどみたいな
例えばバスもあちょっとフォーム変えたよねって変えてないでみたいな迷兵するわけでね そうするともうマイナスになりますからね
後藤
あ分かってへんって思われるとマイナスから回復しなきゃいけないからすっごい難しいけど 意外と高度なテクニックですよ褒めるって批評としては
けなすほうが簡単ですよね良くないところなんていくらで見つかるから あら探せば
ミシマ
今お二人のお話を伺ってて思ったのはこの『スポーツ3.0』の中で
平尾さんはあの実はパスっていうのは出してじゃなくて受けての問題なんだっていうこと すごい書いていて
あのだから指導者の褒め方すごい 難しいねってお話ありましたけども
後藤さんが受け手としてそれ褒め損ないだよって言ってるように受け手の人が主体的であったら
パスの出し手と受け手の関係
ミシマ
褒めてパスの出し手のあり方すら変えられるっていうか なんか実は受け手の方がもっと自由で主体的でいるっていうことがすげー大事なんだ
後藤
なっていうことをなんか今そっちからも見れるなっていうふうに思って聞いてました でもなんかねそこに甘えてると危ないなと思いますよ
パスの出し方とか 僕だってもう10年前とかもうめちゃくちゃなパスしかメンバーに蹴ってなかったですもんね サッカーだったらね
もう全然もう走れ走れみたいな スペースにポンポン蹴って足取ってこいみたいな
なんで走れないかなみたいな どこどこのバンドの何々くんだったら取れるけどみたいなぐらいの
そういうことやってるとやっぱ機能しなくなるんですよねそういうことじゃないですよね ちゃんと彼らにもその得意なところとか
伸びるところとか そのどこに行ったら自分が発揮できるかっていう場所があるから
そこに向かってちゃんと言葉とかを出さないと取らなくなってくるんですよ だからもう
ミシマさんに話したことあるけど何ならもう僕は蹴るって思った瞬間に走るのやめるぐらいになりましたもん
あのアジカンの人たちが
なんかもう俺がなんか話そうとしたらスイッチ切ったなってわかる 特に喜多くんとかもほんと切ってて今でも時々やるんですよね
だからそれはあの俺が悪いと思ってて またこう嫌味を言うぞみたいな
ちょっとなんか 嫌味っぽい褒め方とかもあったんで自分の中でねそういうのをずっと続けると
メンバーのその身体性が変わってきちゃうんですよ 自分の言葉の反応が
だから震災ぐらいからの前ぐらいから気づいて そのパスの蹴り方変えたんですよ
ほんと小野伸二みたいなイメージで バックスピンかけて蹴るぐらいのイメージですよこれは
そういうふうにして話していかないと 彼らが走んなくなったりっていうかその
シーユーとしてですよ これは僕のパスがずっと悪かったからだって気づいたんですよ
だしその身体の拡張の話で言うとバンドっていうのは自分の体だって考えたら なんでできないんだって怒ってるんだもんなって自分に対して言ってるのと同じことで
でもそういうふうにして自分でやってて なんで俺はできないんだろうできないんだろうってやってできるようになることってあんまりなくて
楽しみながらできないから だからそこで僕話し方すごい変えて
この放送メンバーが見たらいやいやって言うかもしれないですよまだね だけど僕の中ではすごいやっぱり
話し方変えようと思って なんでそれができないのかじゃなくてなんか一緒にできることの中で
一番楽しいっていうか みんなの能力が発揮できることってなんだろうってバンドは考えた方が
クリエイティブなんじゃないかと思って ソロをやったのはそれが良かったんですよヘルシーだったのは
僕はソロをやる前は なんでこの人たち俺の言った通りにやってくれないんだろうっていうような気持ちの方が強かったけど
一回外出てやってみるとなんか考え方が変わったっていうか そのソロでいくらやっても一曲もヒットしないわけなんですよ簡単に言うと
本当に悲しいながら でもアジカンで帰ってきてね別にわかんないですよ同じことですよやってるのは
僕が作ったメロディーを曲にするだけ メンバーと一緒にやると
なんだろう この感じってこの4人だから出ちゃうよねみたいなのがあるんですよアジカンの奇名声みたいのがあって
身体性っていうか それをなんか目の当たりにしてハッとなったっていうか
俺はなんか今まで自分がすごいと言ってちょっとどっかで過信してたみたいなとこがあったけど全然なんかこれ4人でやるその
科学変化のことがファンの人たちもみんな好きでみたいな そこが響いててみたいな
てことはこの他の3人が楽しくなかったらいいものができるわけがないじゃんみたいな気持ちになったっていうか
そうなってからだんだんこう なんだろうねあのアジカンがみなさん見ての通り解散しなそうな雰囲気になってきてっていうか
パスの受け手の役割と関係性
後藤
いいバイブスになってきたんですよなんか最近はなんかその お互いできないことも認め合ってるっていうか
できるようになったらいいよねと思ってるけどそれってでもなんて言ったらいいのか 強制してまでやることじゃなくて
関係性の中で伸びてったらできるかもしれないけど
だからその代わりでもあれですけどねみんなが驚くような変化を 自分からもたらしたいと思ってますその
誰も一歩も動かなくても僕が良い曲持って行ったらそれだけでなんか みんなの歩みとか姿勢が変わったりするから
こんなアレンジするんだったらまだできるかもみたいな本当にその 仲間の顔色が変わる瞬間ってあるんですよそれって本当でもでも1曲だけでも
そこはでも諦めちゃうとダメなんでむしろなんか 自分に貸しているものの方が多くなったっていうか
私がいかにこの人たちの一歩目とか変えられるのかみたいなそれを出してのなんか 能力ってやっぱ大事みたいな
だでもこれ 相互の関係なんで
あのだからといってあの なんて言ったらいいのかな
そう受け手に頼りすぎてもダメなんだけど ただ反転すると僕も受け手なんですよバスのみんなでいたら
なんで彼らが何か変えてきた時にそれ良くないみたいな 喜多くんがギター考えてきた時にそれ面白くないとか
常にアンテナ張ってるっていうか未だに厳しいことも言いますけど もうまあ本当にそれ暇で弾いてるだろうみたいなことはね
言わなきゃいけない局面もあるんですよそれは そうしないとこの発売した後にみんな凹むから
そういうことはまあそことも言っちゃいけないんだなやっぱな でもちょっと反省したけどね暇だから弾いてるとかねシリーズあるんですよ
なんて言ったらいいかわかんないんだよね でもまぁ暇で聞いてるだろうって思っちゃうんですよなんかね
休んでいいんだぞ今このなんていうその休むのも演奏だよみたいなこととかね 全然Aメロ全然いなくても大丈夫だからみたいな
心配しないからみんなみたいな弾いてないとか言ってて音楽的な 全休符だったらそれは音符と同じなんで
とかまぁ 難しいですねでもそれなんかスポットに行ってるところはある気がしていて
そうそうただ そうですね
受け手としての話をするときはそのなんて言うんだろうな 私はパスの出し手であるっていう立場から受け手のことを語っちゃいけないんじゃ
ないかって気もするっていうか 私はパスの受け手であるっていうところから受け手の話をするのは
すごくいいことだと思う いい受け手になりたいみたいな だけど出し手の側からいい受け手であってくれってあるのは結構良くない
関係なんじゃないかと思うっていうか 受けを取るときは受け取る側であるときは
ただそれでしかないっていうか 私はパスの受け手であるってことを考えてどう受け取るかっていうのを
っていう立場からしか本当は考えられない気がするというか もっと上手に受けてよみたいなことってもうそういう関係性になった時点で
そのパスが通ってない気がするっていうか そうですね
どっかに届く折りがあるみたいな感じがしますけどね 音楽っていうかバンドの関係で言うとそういうことが僕は思い浮かびましたけどね
平尾
以前は例えばラグビーをしててもパスが前に投げて取れみたいな感じだったんですかね
パスを掘ることの重要性
平尾
でも基本的には横に投げてでも厳しいパスは時に掘らないとっていうか 受け手に期待しすぎていいパスを掘るんじゃなくて受け手側を信頼して要するに自分の
タイミングでこの状況を打開するためにはこのタイミングのパスを掘る それが必ずしも受け手のことを重んばかったものではなくて
要するにこの状況を突破するためっていうことであればパスは掘っていいんですよ ラグビーを
ただそれを取ってやれっていうね そういう意味でのパスは受け手にキーがあるっていうことなんですよね
逆に言うと僕の経験で言うと あのある先輩のパスが全部前に落ちてて先輩に
いやもうちょっと手前に掘ってくださいって言ったら あのお前あのスペース見えてへんのかって言われた
でそのパスを取るために必死になって スタート早くしたりとかタイミング見計らったりとして取った瞬間にスペースが目の前に開けたんですよ
パスを取ろうとしたことによって自分のレベルが上がったっていうことがあってね 受け手がパスを掘れよっていう態度では成長できないと
とにかく掘られたらとにかく取らないか 取ることをメインで考えていくうちに身体が組み替わっていくというか
なんかそういう文脈なんで書いたんですよね でもそういうのはわかりますね
だから当然だからといって受けて放り手 パスの出し手に何の責任もないわけではなく
当然それは双方のやり取りなんだけれども でも今現状スポーツの世界では8個投げてやれっていう指導がまあ主流なんですよね
だから放り手のコントロールが大事っていう それも大事だけども重きを置くのをいや取ってやれやでって取ってやれっていう人が周りに居てるから安心して掘れる
安心して掘れたら上手くなるっていう風にスパイラル 性のスパイラルになっていくっていうね
だからでも今後藤さんの話でハッとしたのは 出し手側から受け手のことを言うのはちゃいますね
で受け手側が受け手のことを言うっていう まあ多分それは非常に僕風に落ちましたね
後藤
でも多分ねそこでもちょっと構造が違うなと思ったのは 僕言ってるのはずっと関連的なパスの話だったんで
気持ちの問題とかだからスペースに行けちゃいけないだけであって でもなんだろうな音楽に例えると
五線譜上は分かってる奴が譜面でここにポンって音を置いたら そこであってみんな和音が違うとかコードが変わったって思うじゃないですか
っていうのを多分先輩はパスで出してた ここに置いたらハーモニーが良くなるここに音符置いてるでも聞いてないのってことと同じで
物理があるかないかっていうのは結構大きいのかなっていうか 多分そういうなんか
ラグビーにおけるパスって本当に伴奏に近いっていうかここに音符を置いたら そのメロディーを歌ってたら外れてるでしょっていうのは多分分かってる人が
ある種司令塔の役割をやるんじゃないですかね めっちゃ風に落ちました
そういう意味ではやりますそれは音楽の時も ここの音出すからとかみんなで言い合いますなんか
そんなとこ出したらここアボイドノートって当たってるでしょとかっていう言い合いを 気持ち悪いとかなんでそんなとこ当ててくんだみたいなとかを
言葉の選び方と文脈の重要性
後藤
楽器持ってる人たちは結構やるちゃんとっていうのがあるんで それがなんか実はスポーツの話と近いのかもしれないですね
ただでもあれですもんねグランドの外でたらねやっぱその言葉のパスはやっぱちゃんと 通れるとこに投げないといけなかったりとか
平尾
休符の話はね本ですいませんなんかずっとスポーツの話になってるけど 僕非常に印象に残ってるところでこう言いましてもらって休符
要するに何もしないのも含めて音楽だということから 例えば会話でも余白であるとかなんかそういう
ことを大切にしていくっていうのはおこがましいながら僕もちょっと気にしたの 思ってたことやから非常に共感して僕読ましていただきまして
で あとは全般に僕この『朝からロック』をちょっと時間かけて読ませていただいたんですけど非常に
共感する部分が多くてですねはいいきなり冒頭から恥ずかしいって書いてあるでしょ書くのが 全く恥ずかしいと思ってて
言葉にしていくとどんどんある程度自分を懐中していかなきゃいけなくって そうなった時に書き上げたものを見てこんなんだ誰がって思ったりもしたことあるなぁ
今もしてるなぁと思ったことから始まり これ上げていくと多分30分ぐらい話せるのでちょっとそれはちょっとアレなんですけどただ
全般通して 非常にあの僕の中で
言葉がすって入ってくるのはなぜかって思うとね 割と社会に対して批判的なことを書いてあったりとか
鋭く切り込んで貼るんですけど 最終的にベクトルが自分に戻ってくるというか
大きな話って例えばなんだろう
万博やめろとかねなんかそういう大きなことではなくてでも大きなことってやっぱり もっとこうしたほうがいいんじゃないかってやっぱり声を上げていかなきゃいけないっていうのが多分
あのスタンス僕もそうなんですけどでも言いっぱなしだと 文句っていうかこう尖ってしまうことがでも最終的にじゃあそのベクトルが自分に向いてきて
じゃあ自分に今できることは何かとか なんかすべてそういうふうに恋って戻ってベクトルを自分に向けてっていうところが非常にね
心地よくてクスッと入ってきたんですよ 今日はこれはちょっとお伝えしようと思ってして スポーツ話ばっかりになったから
だから
言葉が
後藤
なんかね 不思議とおる 複雑さを回避しないようにしてます 自分とかの
なんか割り切れないこと多いじゃないですか だからでもそういうものであって
なんかあいつブレてるみたいなことを言うの好きな人多いんですけど 人間ってブレ狂ってるじゃないですか
なんか全然 何だろう揺らいでいいと思うんですよ
だしなんか 先週こうだと思ってたことを今は全く違う考えで思っててもいいじゃないですか
それの何が悪いんだろうっていうのがわからなくて みんなそうやっていろいろ反省したりとか
なんかいろんなことを考えて生きていて
なんですかね なんかもう今全員聖人君子じゃなかったら死ぬみたいな仕掛けで
どうすんだみたいな でもなんかクヨクヨしたりとか ああもしかしてなんか
思い起こせば昔なんか誰かに嫌な思いさせちゃったことあんのかもなみたいな でも自分直接関わってなかったけど
でもなんかあそこでできたことあるよねとか 思うこともあると思うしじゃあ今だったら何できるかなとか
そういうなんか複雑な考えって放棄しちゃいけなくて いや政治よくないよねって言ってるけど選んでるの俺たちだよねとか
そういう責任は絶対にあるし なんかシンプルになっていくのが怖いなっていうのがあって
なんか詩を書く時もそうですけどね なんかシンプルにやってよみたいなのは全く詩を書くってことと反対の向きだと思っていて
いかにこの世の中とかが複雑なのか 言葉では書き表せないものが言葉の外に広がっているのかっていうのを書くために詩があるし言葉があると思ってるんで
そういうとこから逃れちゃうとね もうめちゃくちゃ簡単に書けますよそんなの誰かの批判みたいな
でも 私にその責任がないのかっていうのはやっぱりちょっと考えてみたいなっていうのはいつもあるし
そう新聞に書いてる時はなんかねそうやって一緒に考えてほしいと思ってるところがありますね だからって思ってるから僕も考えるみたいな
俺なんかできたことあるか それを読んだ人たちがもしかしたら私にも
あるのかしらみたいなふっと自分ごととして捉えてくれる瞬間があるんじゃないかっていう気もするし その辺は
難しいですけどね なんか本当にそのスパーンって書きたくないなみたいな
自信持って書いた言葉の方が危ないって思うんですよね あとから恥ずかしくなったりとか言い切った時の方が危うかったりとか
なんかそういうのはでもねもう どうするよXって感じでしょ
めちゃくちゃしんどいですよね尖りまくってますよね言葉がね いや本当なんかさっきそうそうなんか平尾さんが矢を射るようにみんな言ってるみたいなこと言って
確かにそうだなみたいな 私は一言一言にこうなんていうのあの
誰かが見た回数によってそのお金が発生するになっちゃうと もはやなんだろうこれは何なんだったんだろうみたいなただもうみんなのつぶやきではないような気もしていて
でさスレッズも気持ち悪いでしょ なんか 格言みたいにいっぱい並ぶんですよ
何これみたいな その本
空港のあの書店の平台で売ってる本片っ端から読まされてるみたいな あの分かるでしょなんかあの何か
なんかもう啓発されちゃう感じっていうか みんなこういうの好きなんだろうなとか思ったりとか
平尾
結局そういう言葉も文脈から切り離されてるから ある意味話した人の真意がちょっとずれてたりもするし
そうですよね 結局言葉の意味だけツラツラとなぞらえたとしてもその時グッときても結局ね忘れるんですよ
やっぱり文脈踏まえてグーって読んでなるほどってなるとなんかね 頭の奥の方にちゃんと沈殿するような気がしていてそこまでこう沈殿してると何か経験が
追いついた時にあっ って腑に落ちていく言葉ってもっと
シンプルなものを数少なく入れるんじゃなくていろんな言葉をこう言ったら 読んだ本すべて覚えてなくてもいいからでもいいなってこう感情を揺さぶって読んでいくと知らず知らず
言葉がどっかに引っかかってて で経験とかあるいは違う本で似たような話でできたらその時ポンッと思い出されたりもして
そうして何だろうなあの考え方が深まっていったりとかね 行動が変わってきたりとかね
後藤
読み込む時間大事だよね自分の中でね
言葉の不思議さと複雑さの求め方
平尾
だから僕すごい時間かかるんですけどなんかこう線引きながらとかこうやって付箋打ちながらこう読むんですよでもじゃあどこに付箋打ったか覚えてないし
面白い また読み返した時に思い出したりもするんだけどでも不思議と例えば僕言語を書いてる時に
あ これ書くんやったら『朝からロック』の多分最初の20ページのあの左側の近いところにあったなぁとかで覚えてるんですよ
そうなんですか 研究しててもいやこれどっかでこう
このことについて言ってた人おるなと思ってバーッと本棚見て多分これっていうのはだいたい当たるんですよね
後藤
うらやましい 僕らもうポンコツだからバンドはあの誰だっけあのバンド
あの顔と曲だけはもう出てる名前だけ出てこない そんなんばっかですよでもそれですよでもそれだから覚えて覚えてもっとすごい人は多分
平尾
あれだって言って書けるんですけどそれがないので あの本なんは確かいけどみたいな感じで覚えてるから多分同じやもん
でもだから言葉ってほんと不思議だし今 後藤さんおっしゃってシンプルな言葉ほど危うい
し実は身にならないというか複雑にいろんな言い回しが違ったりとか同じことを言ってても言い回しが違う
そういうものがいいこう なんかこうタイミング違えて入ってきてなんかこうどんどんどんどん沈殿していって
その沈殿した中から何か自分が書いたり話したりするときに知らず知らずのうちに選ん でいって自分の語彙が増えていくような僕そんなイメージがあって
なんかこうどんどんどんどん溜め込んでいくというかだからその時もやもやはしますよね 言葉が出てこないからなんか燃やるっていうのに
耐える
耐えなきゃいけないと思っててこのもやもやはあの鷲田清一さんという方がね 知的肺活量っていう言い方で言ってあったんですよ
潜水肺活量っていわゆるね潜水して頑張って頑張ってしんどい しんどいって
でここ頑張っていけばいくほど遠いところに出れるじゃないですか だからあの知的なそういう考えるってこともそうだよと知的廃核量がある人って
もやもやを耐えれるんだとだからこそ遠くに行ける だからもやっとした部分をある程度自分で抱え込めば
言葉は なんていうかなこう豊かになっていく使うことが豊かになっていくような気はしますね
シンプルさを求めるんじゃなくて複雑さを求めていく 複雑さを求めていくともやもやする
でもそこ頑張ってちょっと進歩してみるみたいなことが大事かなって勝手に僕は思ったりもしてます
後藤
すぐ言えたりかけたりしないのすごい大事かなって だからなんかもう
Xみたいなタイム感 違うなぁと思ってあの全部ブログに書いたんですよね
でも書ける量無限だと書けないから毎日毎日5行 ゴールド様の買った日は10行って決めてるんですよね
ルーティンと筆が進まない時の対処法
後藤
10行それも制限つけて書いてるんですけど なんかねやっぱねすぐ言うの良くないなぁと思って
すぐ言うってあのね すぐ言うってありますけど
ダイアンのねあれ良くない だからみんなやった方がいい すぐ言ったらすぐ言うって言った方がいい
すぐ言っちゃダメなんですよやっぱり だからちょっと揉むっていうか
そうですね揉むっていうですね 沈黙ってすごい大事で何なんだろうなみたいな
月曜に書いた日記が土曜に読んでなんか良くないなとかもやっぱりあるし 書き直しっていうかちょっとねそういう時間重要なんじゃないかなみたいな一晩とか
そうです その呼吸ってすごい大事で思った時にすぐ言わないっていうのは結構大事なんだなっていうのを
10年ぐらい燃えてみて分かりましたね
平尾
そうですね お互い燃えてますもんね
後藤
スレッズでこの前なんか一昨日ぐらい音楽のこと書いたけどやっぱ削除しようと思って やっぱやだなと思ってすぐ言ったなみたいな感じになる
やっぱ良くないですねやっぱねそのやっぱ馴染むまでに時間かかるという言葉が自分の思ったことでもですよ
自分の体に馴染むの時間かかる気がするし
ミシマ
いやなんかあの自然と今日のタイトルにそれをパスを続ける理由って話になっていったなというふうに思ってるんですけど
ちょっと実はあと15分になりまして会場の方々の質問も受け付けたいなと思ってもいますので
後藤
もしご質問したいという方は挙手ください
質問者さん
はい今日はお話ありがとうございました
ちょっとスポーツの方なんですけれどもちょっと科学のところで先ほど体の話だったと思うんですね
水を飲むとかっていうのはただやっぱりこうバスケットでも3ポイントが効率いいんだからどんどん3ポイント入れられるようにしようというところでちょっと科学によって競技性が変わってきたり
効率っていうところが非常に大きくなってきていると思うんですけれどもそれによってこうやっぱり楽しめなくなってしまうとかそういうリスクっていうのはどう乗り越えていくべきなのかなっていうところをちょっと疑問としてありまして
平尾
戦術面ということですかね
あの僕今のラグビーは全く昔に比べると個性がなくなってきてるなというふうに思ってて
昔はねラグビー好きな方いたらね例えばサントリーはモールしかやらんみたいな
東芝はペナルティではもうゴール3点狙わずにちゃんと蹴っていくとか結構際立ってたんですよ個性がでも今ね分析が進むし世界の流行りもネットですぐ入ってくる
どこもキックパスするんですよねなるほどだから情報が共有されてしまうことによってあの個性がなくなってきてる
でこれも代表クラスになってくるとやっぱり 強さを求めてしまう結果を求めてしまうからある程度は仕方がないかなーって思ったりもするんです
けどただ個性があまりなくなっているという中で今高校の全国大会で結構個性に残ってるんですよね
地方から出てきたりしたとこはもう果敢にバックスでここから攻めるかみたいな だからねあんまりこう
流行りの戦術にとらわれずに何かこう そのどんなラグビーしたいとか例えば忘けたどんなバスケットボールしたいって
で本人たちが例えば日本代表みたいに3ポイントいっぱい決めたいって言うんであればそれを やればいいし
でもそのうち勝つために気づくと思ううちでも3ポイントあのうまい人おらへんでみたいな どうするってそこから考えていくようにする
なんかこうメディアが何だろうあのこれが 効率的な勝利勝利をつかむための効率的な戦術だ
ねあかんキーワードは効率やと思ってるんですよ だからもうどんだけ迂回したりとかしながら
昔見たマイケルジョーダンみたいなプレイがしたいとかやったらそうしたらいいし そういうふうに
あの地べたからというかそこにいている人で何できるみたいなところから 部活動はやっていけばいいなぁとは思うし
その方がね結果的に見てて面白いと思います例えば負けてもあそこは果敢になぁ スタイル変えへんねんなでもあれが好きやねんとか
うーんなんかそういうふうにやっぱ科学効率
が必ずしもいいっていうわけじゃないから迂回しましょうよっていう 迂回してやりたいプレイやりましょうっていう
指導者が増えてほしいかなと思いますねそうすることで乗り越えていけるかなぁと 効率とか科学とかに騙されずにいやいや生身の体でやるもんだから
後藤
話を音楽やったら例えばこんな音がしたいとかなんかそういうことをまず音楽もね 芯に置くというか音楽だったらそのサブスクの配信の会社が持ってる
アルゴリズムにハマる楽曲とか目指してどうやったらバズるかとか それで音楽作ってるのかなに作ってるのかわかんなくなっちゃうみたいなところがあるんで
この先AIが例えばビートルズ風とか言ったらビートルズっぽい曲作ってくれる時代が もう来てるじゃないですか
そうなってくるとまあなんていう やりたい奴らをやりたい理由がないと音楽なんてやっててもしょうがなくなるっていうか
まあ そういうことなんですよ結局
じゃあヒット曲作りたいこれはもうAIに任せようみたいな ヒット曲って打ち込んでなんかすごい曲が出てきて
それを自分で歌って発表したらめちゃくちゃ売れましたみたいな それが幸せかったら全然そんなことなくて
それが科学だったらそれが科学だとしてもこれはなんて言うようがないなって思っちゃうから
スポーツにしろ何にしろそのやってる人たちが そこにやりがいがあって楽しみがあるかっていうのはすごく大事な時代になってくるんじゃないですか
なんかお前の代わりなんていくらでもいるっていう発想じゃないですか 例えばルールが3ポイント3ポイントなら入るって言ってみんな同じことさせられるんだな
でもそれって結構なディストピアなんで ディストピアっていうかだから
結局まあなんかそれぞれの幸せというかねやりたいことに戻っていくような気がしますけどね だからプロスポーツがそうなるんだったらもうプロスポーツやんなくていいんじゃないですか
クソ野球でいいだろうみたいな っていうかなんかね
ほんとほんと 全然だからやるものになってくる方がいいかもしれないですねスポーツとか音楽ってね
効くものっていうが 本当はなんか皆さん楽器とかできたらいいよねと思ったりしますしね
そのハードルって全然低くて手拍子だって参加できるんです音楽って だからなんかそういうなんかプロと
アマチュアの垣根とかはどんどん壊れていった方が どんな業界でもいいんじゃないかみたい
まあでもあれですよ アマチュアの水道修理の人とか来たら怖いからそういうところはプロがいてほしいと思うけど
音楽とかスポーツはプロとアマとか別にね みんな楽しければいいんじゃないかっていうね そういうことはね戻っていく気がしますけどね
ミシマ
ありがとうございました 他にご質問ございますか じゃあどうぞ
質問者さん
すいませんあの今日はあの素敵なお話たくさん聞かせていただいてありがとうございます
質問なんですけれども私もエッセイとか詩を書くことがあって 詩を書いて同人誌なんですけど本とか出していて
お二人の文章を書く時にしていること 文章を書き始める前のルーティンとか
あと筆が進まない時はどうしているのかなっていうのは聞きたくて もし良かったら教えていただけると嬉しいです
後藤
ルーティンは
パスを出す方と受ける方の熱量のバランス
後藤
あんまりないですけど 午前中にやりますね
ご飯食べる前に もうなんか食べちゃうとやる気がなくなるっていうかなんかあの
考えられなくなっちゃうんでお腹減ってる時に書きます基本的に詩はね 詩も文章も
なんであの そうなんです音楽の現場で詩を書いたりしないです
ただえっと書いたものと歌ったものには差があるんで そうするとなんかこう書いた時は良かったけど歌ってみたらめちゃくちゃ体が嫌がってる
みたいな 手にオハ変えたいとかあるんですよなんか
任意で伸ばしたらめっちゃ嫌な口の感じで伸ばしてるみたいになったりとかしたら その場でこう
添削して変えたりするんで なんか
音楽の場合はその身体性が結構大事っていうかね 現場で家で考えるけど現場で変えるみたいな
ことはありますね まあ筆が進まない時はどうしてるんだろう
イライラしてるのと思う
散歩とか行ったりとか あとはなんかねあの
なんていうんですかねポエジーチョキみたいなんですよ自分の中で そうそうなんかずーっと制作してアルバム1枚できたらほとんどすっから感になるので
どうやってもなんも出てこんわみたいになるんですよ もう引退しようかなみたいな気持ちになるんですけど
そういう時は旅行行ったりとか全然関係ないこと友達と酒飲み行ったりとか そういうことを繰り返すうちになぜかこうなみなみにまた戻ってくるというか
音楽と関係ない時にこそこのなんか そういう史上とかポエジーの貯金があるというか創作へのエナジーの貯金があって
それは不思議だなと思うんですが関係ないことすると溜まってきますねかけないときはね
平尾
なんか共通する部分があって僕も原稿朝書きます起きてご飯も食べずにやります だいたい朝かなであとは1日一夜漬けというか1日では書かない
必ず書き上げたとしても日をまたぐ 寝るんですよね寝て起きて朝あら見つかる時が多いし
だからなるべくこうまあ締め切りに日に書き上げたとしても1日待ってもらって 明日の朝出しますとにかく1夜は最低限寝かすっていうことは大事にしているかな
で筆が進まないときは僕も超イライラしてて娘とかに当たったりも当たったりというか 娘と遊んでてもそのことばっかり考えてたりとか
うち5歳なんですけど娘がねなったりイライラしててそのイライラしてる自分にもまたイライラして みたいなことにもなったりとかしてはいるんですけど
僕多分ね体に刺激を入れようとするからあるいは体の姿勢とか だいたいに詰まっている時って骨盤倒れてこうなんかこう背もたれにこうなってるんですよ
だから基本的に自分の体の姿勢っていうのを客観的に見て骨盤を起こすようにする で胸張りすぎるとやたらとなんかこう前向きな文章になったりもするから
なんとなく傾向としてだから自分が一番リラックスするポイント探したり あるいは立ってあのバランスボードっていうのがあってねあの
ちょっとこうなんていうか曲芸師が乗るようななんかその円柱系のやつに板が乗った それの上に乗ってちょっと自分の体観察するとか
場合によって冬はあんまりないけどシャトルランするとか うわぁとにかくもう空っぽにしたいから走ってはぁはぁなってシャワー浴びて
あかんときゃあかんのですけどそう入れるとか あと僕はまあ大きな声で言えんけどタバコもするのでちょっと一服するとかとにかく
体を変えようとしますね 刺激を入れることによってもしかしたらかけるかなぁみたいな形で何とか
ミシマ
押し進めるっていう感じです 面白い面白いですねありがとうございました
質問者さん
お話の中でパスを出す方と受ける方っていうようなお話あったと思うんですけど
こう私自身がこう出す方もそれこそ受ける方もやるのでなんかこう出す方の時にこの出した時と
何ですか受けてもらう方の熱量であったりとかモチベーションがこの結構落差というか返りがあった時に何かこう出す方の方が高かったらうまく受け取っていただけないなっていうのがちょっと経験としてあるんですね
なんかそういう時に何かこうコツであったりとか気をつけていることがあればはい教えていただければと思います
言葉の意図伝達について
平尾
言葉っていうことですよね
後藤
難しいですねそれはね
どうしたらいいんですかねこればっかりはね僕も似たような悩みがありますよやっぱりね
いい曲できたなぁと思ってみんなに送ったけどなんか
スタンプにも見たないあのあるじゃないあのLINEのリアクションのあれ良くないあれ開発してほしくなかったなぁと思って
あの白い丸っこいのあいつが3つ並ぶのよ
俺それじゃねえんだよな求めてる
1,2パスが欲しいんだけどみたいなあのあそこのAメロ良かったねって欲しいなって思うんだけど
だいたい返してくれないよね
でも受け取ってないわけじゃなかったりもするんでこれは難しいところで
それ難しいですねでもね
鉄棒的な時もやっぱりあるでしょうしね例えば
僕がスタジオに張り紙してメンバー募集とか言って集めてスタジオ入ったら
こんなパフォーマンス出していいかわかんないと思うんですよ
昨日ギター買ってきましてみたいな人も来るかもしれないし
その質問すいませんなんか俺
人間の悩みと学生のモチベーション
後藤
わかんないですねそこに行ってみないとわかんないかもしれない
受け取ってる可能性もあるかもしれないし
難しいですね人間の話ってね
平尾
そうですね
後藤
昔に一般化できないっていうか人の悩み
悩み相談苦手で全然
平尾
なんかモチベーションの話ほんと難しくて
僕も大学で教えてるとねだいたいモチベーションの低い学生にはずっとイライラしてるんですよ
卒論の指導しててもまだ出さへんの
あれだけ言ったのにみたいな
それこそメール出しても了解しました
了解しましたってなんやみたいな
もあってでも教育の現場なので
基本そう長い時間かけて引き上げるっていう余裕がある
お仕事でされてるとそういう余裕がないから
タメになるかどうか参考になるかどうかわかんないですけど
でもそれも込みでやっぱり投げ続けて待つ
だから鼻からリアクション期待しないというか
あったらラッキーみたいな気持ちでは
学生のモチベーションを引き出そうと思うときにはそうですね
3年ゼミはもう僕が大学になってから始めても1年経っても
全然モチベーションが高まらへん学年でね
思い出してきたらなんでこんな僕がそうなってるみたいになってるけど
でもそれでも最後の授業のときに本当に1人は何言っても
いやそうやけどみたいなそうやけどこうじゃないですかみたいな感じで
バリア張ってる子がちょっと話し始めた顔をこっちに向けるようになって
だからもう1年かけなあかんなと思ってたりもするんですけど
だから辛いですよそういう授業で何でやろう何でやろう
この授業で何とかしてやろうって思ってることがしんどいから
もう鼻からリアクションっていうのを求めずに
パスの比喩とその考察
平尾
もう頑張って投げ続けよう投げるのが俺の仕事後は知らん
である程度もうそこで線引いてます
ただし変化は見逃さないように見ないふりして見てるような感じで
ひたすら待つっていう
ただこの話すると同級生でも同期で仕事してるやつとぶつかるんですよ
お前大学だから余裕あんねんけど仕事なんかそんな言ってられへんねん
今やる気だしそんなの困んねんとかって言い合いをするので
ちょっとすいません参考にはならないかもしれないし
後藤
一個閃いたんですけど
多分それは関係を今俺たちがパスの比喩を出したから
パスの比喩で当てはめてるから良くないのかもしれないですよ
違う比喩にしてみるみたいな
パスのように見えてやつは魚だと
だからルアーフィッシングみたいのほうが関係性として近いかもしれないじゃないですか
こっちとしてはいろんなルアーを付け替えている
ワームのほうが食うつくかもしれないしみたいな
どう相手を比喩たとえるかですけどね
本当にパスの受け手としてまで来てくれてるモチベーションがなかったら
魚だってもうしかないかもしれないし
一つの比喩に固執しないほうがいいんじゃないですかね
比喩がいっぱいあった方がいい
このパターンはパスじゃねえみたいな
それはバンドでもあると思いますよ
ここはパス出す局面じゃないのみたいな
受けるほどのモチベーションがなかったら
気づかない可能性もある
平尾
確かにめっちゃわかりやすいですね
まだ魚なんですね
後藤
かもしれないみたいな
平尾
かもしれないなっていう
後藤
まず釣り上げてからパスの受け手になってくれるかもしれないしね
パスで考えるならですけどね
あんまり比喩って人が使ったやつ引っ張られないほうがいいですよ
あいつうまいこと比喩したなって言っても
ちょっと言い換えたほうがいいかもしれない
私なりの現場に
ラグビーの話でバンド行けたりしないですもんね
だったら俺ずっとパントキックしてるやつみたいな
ボールどこ転がるかわからないけど蹴って拾えみたいになっちゃうから
ちょっといいんじゃないですか
と思いました
解決はしてないですけど
ミシマ
ありがとうございます
もっともっとお二人のお話聞いてたいんですけども
これでちょっと時間をオーバーしておりまして
今日本当にお二人の話から
待つとか寝かすとか揉むとかすぐ言うなとかですね
すごい
今日の本当にそれでもパスを続ける理由っていうのを
ベースになるようなお話いっぱい伺えたなというふうに思っています
すごい楽しかったですありがとうございました
改めて平尾剛さんこと後藤正文さんありがとうございました
平尾
ありがとうございました
01:31:51

このエピソードに言及しているエピソード

コメント

スクロール