1. 私と私のひとりごと。
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2025-07-05 18:03

ただ息してるだけで、価値があるってホント?#110

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📝 目次
価値の本質について

日常生活の例

人間関係と仕事の捉え方

契約と承認欲求

幸せな時間の追求


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#存在価値 #ただ在る価値
#貢献は作業だけじゃない
#見てるだけで起きてること #存在給
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サマリー

このエピソードでは、ただ息をしているだけで価値があるのかというテーマを掘り下げています。自己価値や人間関係、仕事の意義について考察し、何もしなくても存在することの重要性を強調しています。また、自己否定や劣等感に悩む人々が、承認欲求を他者に求めることの影響について考察されています。自己認識を深め、孤独感や不安に向き合うことの重要性が強調され、自分自身の幸せを見つける方法が提案されています。

価値の本質について
私と私のひとりごと。今回は、ただ息してるだけで、価値があるってホントっていうお話をしていきたいと思います。
このラジオでは、願いを生きる過程や、自己一致するためのヒントをお届けしております。
本日は5月の9日金曜日です。よろしくお付き合いください。
そもそも、ただ息しているだけで、価値があるにピンとくるのかどうかが、もはや分かんないけど、
なんか最近この辺の呪い持ってる人めっちゃいるじゃんと思って、見かけるから話題にあげてみようかなーって思います。
えっとね、みんなが何て言うかっていうと、そもそも何かしてないとダメじゃないですかっていう前提で喋ってきて、
え?ってなるんですよ。なんか、こないだ、私もう一つゆる人の森ラジオってやつをやってるんですけどね。
ちょっと多分忘れるけど、まあリンクが、リンクは多分貼らないと思うから、検索してほしいんですけど。
いつリリースだろう?先週、5月の7日とかかな。
そこで、なんかね、自己価値のお話をしてたんだよね。期待値コントロールの話かな?
で、そこで、そもそも、なんで期待値コントロールするんだろうってなるとさ、そもそも期待値コントロールするって発想がなかったから、
何でだろうって途中から私はそこに疑問を呈してるんだけど、期待値をコントロールするっていうのは、自分が何かできる前提?何かする前提じゃない?
訳は伝わります?自分が何かする。当然。だから、できなかった時にがっかりされるから期待値コントロールして期待値を下げるわけじゃない?
そもそも、何もしなくていいんですよっていう話をしたいわけですよ。
そうなの。なんか、価値ってそもそも何だい?ってなると思うけど、でも、なんか多分みんな思ってるんだと思うんだよな。
何かしなきゃって、なんかね、よく聞くんだよな。こう、できる、何かしなきゃは、例えばその仕事とかは当然しなきゃダメですよねって話でできてて、えーってなったし、
なんか母親だからこれしなきゃとか、その役割に対して何か貢献しなくてはならない。その貢献っていうのは作業とか行動とか、
何か言うとか、具体的なアクションを伴うべきだよねと。それができなかったら自分はダメだっていう前提で、
なんか生きてんじゃないのって思うけど、いや、そんなことはないですって話をしていきますね。 そう、そうですよ。てか、いや、それで終わりなんだけど。それで終わりだけど、
日常生活の例
なんとくできないかもしれないから、なんか具体例をあげると、まあでもこの具体例があんま意味ないことは知ってんですけど、一応理屈としてね、納得したい勢もいるかなと思うから言うけど、
その、まあよく言っているのは、ペットとか赤ちゃんとかって別に何をするわけでもないと。ペットなんか猫ちゃんとか、ただ寝てるだけ、食べるだけ、うんちして寝る。
で、猫もさ、可愛がりたくてさ、こっちおいでとか、撫でさせてって言ってたら、なんならニャーってなんか噛んできたりするわけじゃない。
触んじゃねーみたいな。それでも、あの、餌をもらって、寝るベッドがもらえて、雨風しのげて、大事にされるわけじゃない。
ってことは別に、猫寝てることって好きに生きるじゃないですか。究極的に。赤ちゃんも子供も、私子供育ててますけど、
なんか、一応ママを喜ばせたいって思いはあるけど、まあ基本的に彼らは自由なんですよね。
自分のやりたいこと、快不快で、まあベースは判断してるから、ちょっとまだまださ、原始能なのよね。自分が楽しいか不快じゃないかどうか。
で、その不快じゃない方に行きたいっていうので、全力で抗ってくるわけですよね。その、そうだよ、もう、あの風呂上がり服を着なさいを一体何回言わなきゃいけないんだい?って思うんだけど。
でも、彼らは私に最も愛され、最も大事にされてるわけじゃない。私そんなに大事にしないけど、ひのこと。なんか一番ね、唯一大事にしてる人類ですよ。
っていうぐらい、なんか彼らは生きてるだけで私にとっては価値があるんだよね。だってちょっと病気したりさ、ちょっと風邪ひくだけでもさ、なんでこんな悲しいことが起きるんだろうと思うもんね。
神様、なぜ彼にこんな試練を。って息子がさ、なんか、なんだっけな、胃腸炎でむちゃくちゃ吐いてる時とかにも、なんかこんな辛いことあるかなって思ったもんね。
ぐらい愛されてるんだから、別になんか何をするわけない。特に息子なんか私を喜ばせようなんてことあんまりしないからな。そんなはずあんまりない人だから。でも、可愛がられてる。別にそれでいいんですよね。
なんか、あとはね、なんかこう仕事してない人とか、なんなら税金収めてない人とかいるけど、その人も息してる時点で、なんかyoutube見たりゲーム買ったりとかして消費活動はしてるわけだから、経済に参加してるわけじゃないって思ったら、
人間関係と仕事の捉え方
いや、価値提供してんじゃんって思うし、それは大変だろうな、ご家族はと思うけど、経済には参加してるし。なんか、なんかしなきゃならないってことは多分なくて、それマジで思い込みなんだよな。
そう、なんかしないと、そうそう、問題は社会、なんかみんなさ、その社会の食図だと思ってるんだよ多分。この仕事なんだからやんなきゃいけないじゃんっていう前提で喋ってくるけど、
それはあなたが思っているだけで別にそんなことじゃないです。だって私仕事でやらなきゃいけないことやってないし、別に。そんなの、やらなきゃいけないから、クソやりたくないな、でも仕方がないとか言って、やったことないよ、だってやれないからね、そもそも。
で、そのやれないことに対して別に、ああ、だから私には価値がないんだとかはあんま思わない。ここに関してはなんか本当に、なんかやりたいことしかできないから、いかに自分をモチベートするかっていうところだけを頑張ってますね。
やりたくないことはやりたくないですって言っている。で、言ったら意外となんとかなる。え、そう?ってなって、みんな組織してくれるから、それで、なんか給料もらえてんだから価値あるわけじゃんって思うし、そんな、なんだろう、ないのよ。
で、本人が思ってるだけだから、そういう世界線で生きてるっていうだけ?マジで思い込みっていうか、そう、そうだと思う。これってでもこんなさ、言うだけで伝わんないっていうか、ああ、なるほど、そうだったんすねってなる人が一体どれほどいるか、多分いないんだと思うけど。でもなんか少なくとも自分で選んでやってんだって思えるといいかも。
そうそうそう、それが気がする。自分が仕事はしなきゃいけないんだとか、これをやんないと自分はここに居場所がなくなるんだとか、これしたいと給料もらえないんだって思ってるとか、これしないと家族の一員として認められないんだとか、これも悪くない?友達とか友人関係とかパートナーシップとかで、私はこうしないとこの人に認めてもらえないんだみたいなのって。
聞いたことある?ってなるんですよ。多分ね、ないよ。てか、そうじゃない?あ、いや、いるとは思うけど、なんかその、でもそれってあんま健全なパートナーシップじゃないというか、人間関係じゃないと思うんだよな。こうしてくれないとあなたとは付き合いませんみたいなの。あなたとは仲良くしませんみたいなの。
全然健全じゃないっていうか、支配じゃん、操作じゃんって思うから、それはやめた方がいい人間関係っていうだけで。本来は、究極的に言うと、その人がその人らしく生きてるだけで十分じゃない?それを近くで見ていられるなんてラッキーみたいな。なんて素敵なんだこの人はみたいな。楽しいみたいな。
だけど多分、本来の人間関係だと思うから、そう思われてない。もしくは自分がそう思ってないんだったら、その人間関係なんか、なんつーか、取引というか駆け引きというか、私はこんだけ我慢してこれ提供するから、あんたもこれをよこしなさいよねって謎の契約になってんじゃねーのって気がするんですよ。
仕事も多分同じかな。私我慢してこれするから給与はくださいよねっていうその我慢の対価だと思ってるんじゃないのと思うけど、いやいや全然そんなことはないと思う。好きなことやって、好きにやってればお金は別に入ってくるときは入ってくるし、なんか自分がそういうもんだって思ってるからそうなってるだけというか、でもそれはそうだよね。
それはそうじゃない?なんか、普通にさ、どっか出かけるときに、歩いて行くしかできないって思ったら歩きの速度しか出ないけど、チャリ乗ってもいいやって思ったらチャリで早く行けるみたいな。わざわざ乗ってないっていうだけで、すごい遠さん10分もかかれーとか言ってるけど、チャリ乗ったら15分で行けんだけどねみたいな。
いや、それだけなんだよな。違いはそれだけだと思うけど、自分が自転車なんか乗ったらダメだって思ってたり、なんかそれってずるいんじゃないかとか、なんかスカート履いてるからチャリ乗れないとかっていう、なんか自分で勝手に制約かけてるだけなんだよな。やめたらって言う。ただそれやりたいならいいけど、そんなことないよってめっちゃ思いますね。
で、仕事はなんか、仕事の方があれなのかな。人間関係はみんな薄々気づいてんじゃないのって気するんだけど、そんなことないのかな。えー、なんか具体例あるのかな。やりたくないことをね。
あ、そう、でもやりたくないことをやろうって思った時点でおかしいよってことを言っとけばいいんだ。そうだそうだ。やりたくないのになんかやろうとしている。その時点でもうなんか取引が始まるのよ。勝手にね。しかも自分で勝手に契約書作って反抗しちゃうんだよね。怖くない?
私この仕事したくないけど我慢してやるから絶対に認めてくださいよみたいな感じのさ、意味わかんない。全然フェアじゃない契約書作って勝手に反抗して帰ってこないとめちゃめちゃストレスためるから、全然やめた方がいい。不幸の始まりじゃんって思うしね。
そうなんだよな。それだけなんだけどね。やめればいいだけ。人間関係もほんとそう。なんか、あ、でもそれはあるんですよ。私昔気づいたのは、なんかこんなに我慢してこの人との関係やってるのに、こいつ全然私の欲しいもの返してくれないじゃんと思って腹立ってたことを思い出しています。これをたとえてるんですけど。
私の場合は、愛って関心だと思ってたんですね。当時。なんか親からあんまり関心を得られなかったというか、関心もそうだし、親がそもそもなんか人を認識する能力がなさすぎて、私が何者なのか天で知らないままずっとここまで生きてきたから、それがものすごい穴を開けてたんですよ。私の中で。
なんか、そこからもう全てのものがジャバジャバと出ていくから、これをなんとか埋めなくちゃと思って、誰かから関心を得なきゃってずっとなんか思ってたので、ただ私のなんかけなげなところは、だからみんなに関心を与えようって感じで、一生懸命関心を与えていくんだけど、与えても与えても別に返ってこないんだよね。それって、なんか勝手に契約書作ってるんですよ。
私、みんなに関心を与えるから、みんなも私に関心を返してくださいねっていう、勝手に契約書に自分に反抗して契約書作ったんだけど、そんなの誰も契約してないから当然帰ってこないんですよ。で、キーってなって、なんでなんだってなって、なんか借金の取り立て屋みたいな鬼の行走になってたんだけど、ふとここに関して私は、そっか親から欲しかったのかこれってことに気づいて、なんで他人で埋めようとしてるんだろうみたいなおかしな話だなってことに気づいたから、取り立てる先間違ってるし、
親からも結局、もらえないってことがまあわかったんですよ。さっき言ったように、彼らは人間を認識できてないっぽいから、そもそも土台無理なのよね。それ猿に計算させようとしてるみたいなもんだから、無理だと思って、じゃあ自分で自分のことをよく見てやって、私は自分を満たせばいいんじゃんと思って、私がちゃんと自分のことを見てあげて、
嫌なことはやらない、やりたいことだけをやる、それを許してやればいいじゃないと思ったら、めっちゃスッキリして、なんかこの借金取り立てモードはなくなったんですよね。誰かからなんか奪おうみたいな発想はなくなりました。役に立つかわかんないけど。って感じで、なんか人間訓言しても仕事にしても、なんか何でもそうなんだけど、なんかそうだって思ってる、なんか謎々な契約書に何て書いてるか自分で見たらいいんですよね。
契約と承認欲求
私はこれを我慢するから、みんなこれを絶対にくださいっていうのを、なんか契約書にきっと書いてるから、それをよくよく見たらいいと思う。ちょっと掘り下げるの大変かもしれないけど、そしたらその契約書おそらく破棄できるんですよ。だってなんか多分かなりトンチンカンな契約書になってるはずだから、あ、間違えてたみたいな、それここに求めるもんじゃなかったなみたいな。
例えばさ、なんか最近見かけたのは、仕事を頑張るから、成果を出すから、私のこと認めてよっていうやつとか、すごいねーとか、やってるねーとか、給与が欲しいとか、お金をくれよだったら、なんかまだもうちょっと健全な気がするんだけど、私を認めて、私の存在をもっと見てっていう承認欲求に溺れて苦しんでるっていう感じの人を見たときは、それはね、仕事でやることじゃないんだよな。別に自分でやることなんだよね。
自分のことを自分で見てないから、自分がどこにいるのかよくわかんなくて、何が寂しいのか、何が怖いのか、何が不安なのか自分でわかってないから、誰か何とかしてくださいって言って、仕事頑張りますってやってるんだけど、それもおかしな契約書だから、やめとけやめとけって思うんだよね。
結局自分で自分のことを認めてやらないといけなくて、多分自己否定が強力すぎるんだよね。劣等感とか欠乏感とかが強すぎて、自分で怖いんでしょうね、それ扱うのが。自分のその欠乏感とかさ、劣等感とかをさ向き合うのってすごい怖いよね。わかるんだけど、それを他人に求めても、私がさっきやってたのと一緒で、なんか借金取るみたいな顔してるけど、
誰も別にそんな承認しないし、なんかやってることもずれてるし、いや苦しそうだなと思ったので、でもね、これ自分でしか解除できないんだよな。だって自分で契約書作って自分で犯行しちゃってるから、その破棄するには自分で気づかなきゃいけなくて、まあでもやめよって思ったら終わるんですけど、私みたいに。
あ、なんか、そうか、なんか居場所を求めて仕事を我慢してたんだみたいな。我慢したらみんなに認めてもらえる、仲間にいてもらえるって思ってたんだみたいな。ずっと寂しかったんだなとか思ったら、多分ね、契約破棄できるんですよ。
そっかーってなったら、じゃあやるのは仕事を我慢することじゃなくて、その寂しさと向き合っていくこと。なんで寂しいんだろうってところだよね。
だいたいなんか、寂しさとかでちょっと話しとくけど、寂しさはだいたい自分の中の問題なんだよな。自分の中の接続が切れちゃってて寂しいんだと思うんですよね。なんか自分のことよくわかんなくて自己否定してるとかさ、
自分の中がなんか悪いじゃない?私はダメだ、私はできないとかずっと言ってたらさ、自分として存在してるのつらいじゃないですか。だって一緒にいる、自分っていうさ、人間の中に自分を否定してるやつコアにいたらめっちゃしんどいじゃないですか。生きてるだけで。
っていうのが寂しくて、あ、しんどいしんどいってなって、外に誰か褒めてくれないかな、誰か私のこと見てくれないかなってなってるから、内部の自己否定やめたらいいよって多分それだけなんですけど。って感じで、結構パターンはね、同じなんじゃないの。ちょっと言葉が多分違うと思うんですけど、私その欠乏とか劣等感とか自己否定とか言ってるけど、この言葉でヒットしないだけで概念としては多分一緒だと思うから、なんか自分の中のしっくりくる言葉を見つけて、あ、こんなこと思ってたんだみたいなことに気づいたら
やっと選べますよね。やめる?続ける?っていうのを、その外に求めてもいいんだけど、それってなんか、なんていうか、その痛み止めみたいなもので、それを追い求めることが逃げる効率になるんですよね。
なんか仕事頑張るとかってさ、美しいじゃない?なんかいい感じするじゃない?行動だけ見ると。でも内情は、自分の欠乏感埋めるためになんか仕事で結果出せば、この欠乏が埋まるんじゃないかと思ってるけど、実際そんなこと全くないっていうか、むしろ穴でかくなるから、こんなにやったのになんで埋まらないんだろうっていう絶望が始まるから、あの落ち着いてと、そこじゃないよと。
ここになんか、自分の欠乏感に気が付くのがそう怖いから、仕事頑張るっていう美しい何かにラップして、なんか、でも周りから見るとバレバレなんですけどね、痛々しい人だなーみたいな、痛々しいっていうのはその、中二だなーっていう痛々しさ、まあそれも私は感じるけど、それよりもなんか、なんかヒリヒリしてるというか、痛みを抱えて、なんか息止めてやってんだなーみたいなのってバレバレだから、なんか楽しそうじゃない?っていっか。楽しそうじゃないんだよね、絶対に。
幸せな時間の追求
それってなんか人生の無駄じゃない?って思うから、やめて、なんか本当は何がしたかったんだろう?みたいな、何が楽しいんだろう?1分1秒、無駄にせず、自分の幸せな時間を増やして、めっちゃおもろい、めっちゃ楽しい、みたいな時間を増やしていった方がどう考えてもいいと思うから、それをお勧めしたいなと思ってエピソードを撮っております。伝わりますでしょうか。
そうだよ、あの、結局やることは、やりたくないことやっちゃダメなのよ。やりたくないことをやめるってめっちゃ難しいと思うけど、まずは気づけばいいと思います。やりたくないな、これっていうのに。でも、え、でも、やんなきゃじゃんってみんな言うんだもん。いや、やんなきゃとかじゃなくて、やるべきとかも全部やりたくないことだから、なんか、あとだるいなとかも結構ヒントだよね。
だるいな、やりたくない、なんか、あ、めんどくさいな。めんどくさいとだるいな、もう多分やりたくないの、ごまかしワードだと思うから、はあ、めんどくさあ、みたいになったら、やりたくないのにやろうとしてて、それをごまかして、めんどくさいって言葉に押し込んでるなってことに気づいて、ってことはこれやりたくないんだなーってのをみんなに教えてあげる?自分に教えてあげる?
で、これしばらくやって、あ、私やりたくないことこんなにいっぱいやってんだ、みたいになってきたら、ちょっとずつそのやりたくないの輪郭がはっきりしてくると思うから、そうしたらいよいよ契約書なんだろうっていうのを考えていけばいいと思う。ちょっとよかったらやってみてほしいっていうか、かなりやってみてほしい。
でもそれも多分、気楽に言ってるけど、なんか怖さもあると思うんですよ。だって現実ひっくり返っちゃうかもしれないもんね。
え、24時間のうち12時間嫌なことやってたんだけどやばくね?みたいになったら、ちょっと絶望するじゃないですか。私の人生って何だったの?みたいな。私の1日って何なの?嫌なことしかやってないの?何のために生きてるんだろう?みたいになって、なんか自我の境界線が曖昧になるというか、自分の意識が曖昧になると思うから、それは結構怖いと思うので、
あんまいないと思うけど、普通にブレーキをかけてくると思うんですよ。自分が怖いな、自分が壊れちゃうかもって思うから。その時はゆっくりいきましょう。やれとは言うんだけど、やった方がいいよと思うけど、一個ずつ一個ずつ自分のペースでできる限り、怖くないレベルで少しずつ輪郭を見て、ちょっとずつそうなんだ、そうなのかな?
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