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2025-01-25 23:19

愛とは何か?母に愛されていた事をやっと認めた話「私が不幸なのはママのせい」#59

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ずっと気付かないようにしていたけど、
気づけば簡単なことだったなぁ。

#愛着 #親子 #愛情 #母親 #呪い #マインドブロック #思い込み #許し #手放し
11月上旬 収録
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00:05
本当の私をアムラジオ。こんにちは、misaです。今回は母に愛されていたことをやっと認められた話をしていきたいと思います。
このラジオはジェダイマスターを目指すmisaのホロクローン作りの過程を記録するものです。よろしくお付き合いください。
えーとね、この間実家に帰ってきて、私まあこのラジオでもずっと撮ってますけど、すでにもう来年ぐらいまで予約するぐらいジャンジャカ撮ってんですけどね。
その中で
なんかずっと親との関わりと向き合ってきてて、多分それが結構親と向き合いたかったというか、自分のなんか呪いを解きたかっただけなんですけど、そうなるとやっぱ
一番メインというか根幹をのすベースみたいなのはやっぱ母親との関係で、その上に
父親だったり兄弟だったりがまあまずうっすら乗ってて、その上にみたいな感じでこう呪いってミルフィリューだから
そうそう、いろいろこうあっちゃこっちゃいろんな方面から解いていこうってすると、やっぱ母親とぶつかること多くて、まあこれが一番今やった方がいいやつというか、なんか壊れ
壊れやすそうというか、柔らかい場所かなこれと思ってどんどんそこ叩いてたんですけど
結構こうすっきりして、なんかねでもさあこの呪いって解いちゃうと忘れちゃうんだよね。なんかどんなの持ってたんだっけみたいなって
忘れちゃうから、だからラジオ撮ってるんですけど、ちょっと聞き直してないから忘れちゃってるんですけど、私はぜひ聞き直してほしいんですけど
この間なんかインタビューというかラジオ収録で、なんか愛とは何かみたいな話を結構深くした時があって、そこで自分の愛とはっていうところの変遷を思い出したんですね
それと、なんか母親の愛、母親に愛されてたかどうかみたいな問題をなんか哲学してるラジオを聞いてて、ああそういえば私もそうだなぁみたいに思ったので、ちょっと今急いで撮ろうかなと思ってるんですけど
結論はなんか多分ねずっとね、母親に愛されてたことね多分わかってたんじゃないかなって今思うね振り返ると
でもさずっとさ、私がうまくいかないのはママのせいってずっと思ってたんだよな、親のせいみたいな
それをなんかこう大学でも心理専攻してやっぱこう愛着だったり、その家庭っていうところがその人の心のすごいベースを作っちゃうからっていう理論もあったと思うけど
多分そんな心理とか知りませんって人も結構母親のせいにしている人多いと思うんだよな
なんかね、母親のせいにしてるって言うとなんか人のせいにしてる、いやまぁそうなんだけどなんつーかな、そうすることで自分を守るというかね
なんか私が悪いんじゃなくて、なんかこう環境要因でどうしても私は不幸だったみたいな、なんか生まれが貧乏だったから今は貧乏だから仕方ないみたいな、そういう感じで多分使うんだと思うね
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私は多分無自覚だったけど、なんかそうだったんじゃないかな
でもちょっとサクサク話していくと、えっとね、なんかそのまず
なんか実家に帰って、なんかいつもあんまり、あんまりこう親と話すことないんですけどね、なんでなんだろうな
なんでだったのかわかんないけど、あんまり話す期間、まぁ子供がちっちゃかったからかな、あんまり話す時間もなかったり、なんかあれこれしてて
なんか話してもなんかすごい表面的な話というか、なんか今とか予定についてとかご飯どうするとかそういう話はするけど
なんかあんま深い対話みたいなことって滅多にしないのが普通だったし
なんか別に私もこう見えて実はそんなに自分の話ししないので、あんまり何にも情報を出さずに終わったなってことが多いというか、もう気にもしないぐらい別に私は何も話さずに帰ってくるんですけど
子供の話はするけどそれぐらいみたいな、孫ちゃん情報を共有してアハハハみたいな感じで終わることがほぼだったけど
今回はマジでめちゃめちゃ母親ともう対話めっちゃしたんですよ、なんかマジめっちゃしたなぁ
すごい、でもまぁ主に母親の話っていうかなんか父親の話をしてたんですけど、それまたちょっと別途撮りたいなと思うんですけど
なんかとにかくこう父親の話をなんかいっぱい、それもなんかさぁ愚痴を、初めは多分母親の愚痴だったけど私なんかあんまそういうところに持ち込まないから
なんでなんだろうねーみたいな、父親にもなんかあるんだろうねーなんだろうねーみたいな感じでこうちょっと2人とも引きで見て
そう、母親も結構そういうタイプだからなんでだろうとか言ってこう考えてこうかなーとかそれが結構面白かったり
なんか割と何日も、なんかお風呂とかずっと一緒に入ってずっと風呂でも喋るし
なんか髪乾かしながらもずっと喋るしみたいな感じでめちゃめちゃ話してて、だんだんだんだんその話も決着がついてくるから
そしたら次なんか母親の話とか母の兄弟の話とかいろいろしてって
あーそうで途中でなんかふと、なんか言えるかなと思って、一個ちょっとぶっこんでみたんですよね
あのー昔なんか、私がね、母に言うんですけど、ママに
私が小学校くらいの時かな、なんか1日のうちでどの時間が一番好きって聞いたら
寝る時って言われてすごいショックだったんだみたいな話をね、したら母親はめっちゃ笑ってて
えーみたいな、私はてっきり私とか妹と過ごしてる時間が一番好きだよって言ってくれることを超期待してたんだけど
ママは寝る時って言っててすごい疲れてるように見えたし
なんかこう、母を喜ばせられないとか、母の喜びになれない罪悪感中のね、作っちゃったと思うんだよね、みたいな
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それもなんかさ、もう今だから、なんかね、そんな子は母を責めるっていうか、まあ思い込んじゃったんだよね、母みたいな
本当になんか軽いテンションで話せたっていうのもあると思うけど、なんか母親も、あーそう、みたいな、そんなこと言ったみたいな
でもって別に、でもあなたたちのそのちっちゃい時にいっぱい手紙を書いてたらしいんですけど
その手紙も、ママ無理しないでねとか、ママ休んでとかそんなのばっかり書いてたから
私すごいそういう風に見えたのかもねって言われて、いや見えてたよみたいな、すっごいしんどそうだったよって
それは、えーそう?ってなりつつ、でもそうだったのかもねーみたいな
いやそうだよ、絶対しんどいでしょ、あの頃みたいな
今の私と多分同じぐらいだし、私はなんか結構悠々時的に仕事もゆるーってやらせてもらってるけど
母親は何か家業を手伝いに入ってるから、本当にしんどそうだったんですね、人間関係とかも
コミュニティもちっちゃいし、なんかその嫁の立場みたいなのもあってすごいしんどそうに見えてて
そう、そういうのが私からするとなんかママは辛そうみたいな、でも辛いママを救えない私は無力みたいな
無価値みたいになってくんですけど、そこまでは言ってないけどなんかこうその辺の話をふわっとして
なんかね、でもそこで何かこうすごいママが、何でしょう、神がかった一言とかで私がパーンみたいな
解放されるーみたいなのがあんのかなと思ったけどなかったですね、別に
アハハハで、別になんかしかも前も言ったような気がするしね、言ったことある気がする
別にそこに何かでかいインパクトはぶっちゃけなかったんだけど、なんかね、その後にもう実家、実家じゃないや、自分家帰ってきてから
えっとねー
あーえっとね、またそれもなんかラジオでね、これは知り合いの方なんですけど聞いてた時に
なんか幸せってなんだみたいな時に、幸せなタイミングっていうのはそのアドレナリン出てる時じゃなくて
なんかこう寝る瞬間とか、なんて言ったかなー
美味しいものを食べてる時とかに、あ幸せだなって私は思いますけどねって言ってたのを聞いて、え、この人の幸せって寝る瞬間なの?みたいに
なった時に、なんか母もそうだったのかな?みたいな、なんかその日々がしんどすぎて、もう寝る時ぐらいしか
マシな時間ないよって意味じゃなくて、単純にその幸せの定義が、なんか私となんかちょっとずれてただけというか
なんかほっこりみたいな、あーお布団気持ちいいみたいなのが私は好きだよみたいな、なんつーかな、ぐらいで
なんかその小学生にはちょっとわかんない感覚だったのかなってところで一個、なんかその考えが緩んだんですよね
もう一個、そうやっぱあの冒頭の話持ってくんですけど、愛の定義が私はどうやら移行してきたのよね
昔は愛は関心だと思って、私はこう他人に関心を寄せることで愛情表現していたし
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私も関心を、こんだけ配ってんだからあんたも寄越しなさいよって感じで、なんかこう関心が欲しかったんですよ、すっごく
それは多分、その母親とかまあ親になんか関心持たれてないなーってすごく思ってて、それがもうなんかこう
欠乏だったんですよね、自分の中で。他人に、親が関心を抱いてくれない私なんて、なんか生きる価値ないんじゃないかみたいな
だからもう外から取らなきゃいけないわけよね。自分が存在するために誰かに関心寄せといてもらわないと
なんか自分の存在がすごい不安になるみたいな。なんかずっとあって、でもそこもなんかこう
癒すというか、癒しでいいのかな。癒したっていう感覚はないけど、なんかはっ!みたいな気づく時があって
あー私なんか別に他人からその関心奪わなくても、自分でなんか自分に関心寄せることでなんか循環できんじゃねーみたいな
もうあのちっちゃい時の子供じゃないんだから、誰かに強力に光を当ててもらわなくても
自分でライト照らしてもいいんじゃないかみたいな、そんな感じかな。なんかそこ、あんまり覚えてないんです。そう、忘れちゃうんだよね。忘れちゃうからちょっと記録つかなきゃいけないんだけど
忘れちゃったんだけど、なんかそこしっくりきて、あ、じゃあ大丈夫じゃんみたいな。あ、じゃあもう誰かから奪わなくてもいいんだ。なんかその方が超しんどいんだなぁと思って
人からね、関心を奪うってすごいしんどかったから、もうやめようみたいな。自分で自分のことめちゃめちゃなんかチワホヤすればいいんだみたいな
私が私を楽しませていればいいんだみたいな感じになったのかな。で、その後またしばらくね
愛とは、次はね喜びかなってなってたんだよな。関心じゃなくなったんだよね。しばらくして。愛っていうのは
なんか喜びである。それは、なんかお金とかから絡んだ気がするね。なんかお金って結局喜びなんだなぁみたいな。嬉しいから助かったとかもそうだし
なんかいいものを買えて、わぁ嬉しいとかもそうだし、なんかその上がる、体感。体感っていうのは
感情か。その感情にお金払ってんじゃん結局ってところが腑に落ちた時に、それってなんか喜びなんだなぁみたいな
確かお金の方から言った気がするな。お金をもらえる人っていうのは多くの人を喜ばせてる人なんだみたいな。それって愛なんだなぁみたいな。その愛の総量がでかい人
はお金持ちになってんだーみたいな。なるほどなーってなって いっぱいの人を喜ばせたらいっぱいお金入ってくるからっていう理論ね
じゃあ愛は喜びなんだなみたいになってたんですけど、それはでも自分と生活にはあんまり
一致してなかったかな。なんかその喜びの提供方法がわかんないみたいな感じで迷走してたけど
あくまでなんか私は自分を楽しませるのに特化してきてるから、なんかあんまりわかんないなぁ 私の価値って何なんだろうみたいなとこちょっとボヤボヤするんですけど
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またちょっとこう なんだったっけなぁ、それもなんか外から情報、本読んだかなんかで愛とは祈りであるっていうのを見て
あーなんか そん時はしっくりこなかったけど、そうなのかもみたいな
なんかいろいろやっていくうちにまた多分ねなんか情報集めてきて なんかねわかるような気がする。子供のことを私は愛しているのかなみたいな自信ない時
あったんですけど なんかその愛っていろいろあるじゃない
なんか娘ちゃんはスキンシップとか可愛いねって言葉とか好きだけど息子は一緒に彼の 好きな遊びをする時間とかに価値を置いてるっぽくて
聞いてみたのね、2人に。どうしたら、私はあなたを喜ばせたいんだけど、私にできることは何かなって聞いたら
娘ちゃんはなんか膝で抱っことかしてくれて好きだよって言ってくれると嬉しいとかギュッてしてくれると
あのとっても嬉しいって言ってて、そんな感じするし私もそれすごいしやすいから なんか納得って感じだったけど息子は野球
野球ブームだからキャッチボールしてほしいって言って、それがなんか嬉しいのって言って
なんかそのスキンシップも嬉しそうだけど、それよりもその自分の好きな遊びにママが付き合ってくれるっていうのが良いんだって
ちょっとわかんないんだよね私にはそれ。でもそっかいろいろあるんだと思って
なんか愛ってなんかその提供の仕方がいろいろあるんだよね。なんか愛情表現というのを言うのかな
確かになんか物もらった方が嬉しい。息子とかはそんな感じです。なんかとにかく何でもいいから物買ってくれて嬉しそうなんだ
嬉しそうだけど、娘ちゃんは物って言うよりやっぱその
なんか好きだよとか可愛いねとかそういうのの方がやっぱ溜まってる感じがある。だから差はあるんだよね
でもなんか私が子供たちになんかこう愛を与えたいなって気持ちはマジで全然平等なんだけど
その表現の仕方。私娘ちゃんへの表現の方が得意だから自分もそれが欲しかったタイプなんですよね
だからやっぱそっちの方がストレートに伝わるだろう
でも息子のことで愛してないのかってそんなことじゃないんだけどな
なんかなーって思ってたんだけど、究極なんか愛は祈りなのかってところにたどり着くと
あーそれはなんか自信持って言えるわと思って
なんかこの子たちの未来が少しでも明るくて
なんかこう、なるべく苦しみから遠くなって自分が目指すね
いい場所にずっといてくれたらいいなぁ
ちょっとでも長い時間、なんかこう笑顔の時間が本当に1秒でも長く続けばいいなぁって思う
それはなんか祈りだなってなった時に
なんか自信持てたじゃないけど、ちゃんとなんか子供を愛せる気持ちは私の中にあるじゃんみたいなところでちょっとホッとしたんですけど
すごいどんどん遠くなってるけど
でね、母親はなんか私が思い出…そうそれさっき思い出したんだけど
高校受験の時に私すごい行きたい高校があったんですね
もう絶対ここはいいわと思ってたんだけど
別になんか成績とかも大丈夫だったんだろうけど
なんかやっぱ初めての経験で怖かったんですよね
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でなんかストレスすごくて
まぁ中3ってなんか人生でもかなりきつい時期だったんですけど
そこでなんか母親がずっと、その授業なんで紙棚とかがあるんですけど
そこに毎日毎日朝なんか私にとって娘にとって
一番いい選択肢を用意してやってくださいって神に祈ってたんだっていうのをなんか聞いたのを思い出して
あ、お母さん私の幸せを祈ってくれてるって思って
なんかあと手紙の交換を何年もなんか緩いペースで母と私二人でやってるんですけど
二人とも字を書くの好きだからなんか
中身別にないんだけど緩く手紙を
LINEとかより返ってくる手紙の方が
だから手紙の交換をしてるんですけど
なんかその客と普通に仲いい親子ですよね
まぁそうなんだけどね
ありがたいことにね
なんかその手紙の中になんか幸せを運ぶレターセットみたいなのがあって
そこにこう
何だったっけ、レターセットいっか
最後のメッセージに
えっとあなたの
あなたがずっと幸せでい続けますようにって書いてて
幸せになりますようにじゃなくて
い続けますようにみたいな
その今の幸せが継続するようにみたいなことを母が書いてて
それってなんか私が今不幸じゃない前提で
わざわざこう気遣って書いてくれたんだなっていうのが
気遣うっていうか意識して書いてくれたんだなっていうのが分かって
なんかあなたは今幸せであることを母として認めているし
これからもそれが続きますようにって祈りじゃんって
なった時に
あーお母さんずっとなんかこう愛してくれていたんだなーってところが
なんかやっと繋がったんだよね
やっとなんか繋がった
で繋がったなってさっき思ったと同時に
ずっと多分どっかで分かったって
高校の時の話なんてずっとじゃん
ずっと前からじゃんって気するし
ずっと分かってたのに
なんかその不器用な人だなみたいなのもあったし
あまりに環境が過酷すぎて
なんかその私の欲しい愛情表現する余裕が
なかっただけなんだろうってことも
なんか分かってたんですよね
だってさ
もうお腹めっちゃ痛い時に娘ちゃんに好きだよとか言えないもんね
うるさいトイレ行かせろってなると思うから
なんかそんな感じだったんだろうなってのはね
多分分かってたんだけど
なんかそこ受け取れなかったね
多分なんでなのかな
でもなんかそれが
その母親を侵略化しているよねみたいな
なんかYouTubeの方でも喋ってますけど
それなんだと思うな
その母の未完全
不完全さみたいなのを受け入れられなくて
多分それを受け入れると
なんか自分の存在が怪しいんでしょうね
なんか分かんない
それぐらいの勢いで
なんか絶対認めないみたいなのが
18:00
多分あったんだと思うな
母はただの人間で
そのお腹痛いと優しくできないっていうことも
完璧な愛情表現っていうパターンたくさんあるけど
どれもなんか全部提供できる神みたいな存在ではないんだけど
なんかそれを認めちゃったら
なんか私って存在怪しいじゃんみたいな
そんな感じだったんじゃないかな
それがなんでこう
母は人間であるって感じで降りてきたのか
わからんな
まあ結構話したからかな
頭の中にいる母親と実際の母親ってさ違うじゃない
これって人間関係なんでもそうですけどね
頭の中のなんとかさんを言いまかすことってできないんだよね
絶対自分の中でさ
そのなんとかさんが強力にややこしい人だったらだけど
絶対にうまくいかないだろうなって
なんかイメージ作っちゃうけど
実際は全然そんなことなかったりする
それは多分なんか私の態度がなんかしてるっていうのも
非常にでかいとは思う
なんか前ってか妹もやってたし
私もやったけど
なんかちゃんと向き合ってよみたいな
アラートを2人ともあげたことがあったんだけど
どっちも無視だったんだよね確か
私の時も無視だったし
私は結婚の時だったかな
妹はもっともっと後になんか
なんか自分がなんか末っ子で
なんかこうバカにされてたから
自信を持って生きていけないんだみたいな
長文のラインで送ったけど無視だったみたいなのを聞いて
後から母親から聞いて妹がこんな送ってきたっていうのを
なんかひどくないみたいなニュアンスだった気がする
こんな風に受け取ってんだ親からはって
なんかその時あじゃあなんか向き合ってくれって
言っても無駄なんだなーって当時は思ったけど
なんか結構言い方は良くなかったよね
今振り返ればね
当時の私がその
なんか丸い言葉で言えたかなって言うと
言えないからもあれでいいんだけど
やっぱこう自分がどういうテンションでいくか
どういうスタンスで話しかけるか
同じような話しても
別にママを責めるつもりはないんだよね
ただただ私はこう感じたんだよね
みたいな感じで言えると
母もそうだったんだねって受け取りやすいけど
なんか私はあの時ああだった
なんでこうしてくれなかったんだ
みたいな責めるエネルギーで
ぶーっと喋るとやっぱパパって閉じちゃうんだよね
またこのさ私も正論ぶっ放すところあるから
本当に威力がえぐいと思うんだよな
ちょっと可哀想だったな
本当にこれすごいささやかで
なんか掴むの難しい感覚だったなぁ
なんか一応記録したいなと思って
日曜ってかなんか本当に
全然メソッドにもなってないなって感じがするので
21:00
本当にただの記録になっちゃうんだけど
多分私たちはみんな親を好きなんだよね
本当はだってそうじゃない
私はそうだったな
お母さんのことは大好きだったな
ずっと母の幸せを祈ってたな
なんか自分たちよりも
母の幸せを祈ってたね
これはめっちゃ信用できるんだよな
自分の体験だから
だから自分の子供たち見た時にも
それぐらいの全幅の信頼を私に寄せてくれてるんだろう
っていう前提があるから
なんか子供のことも信頼できるみたいなとこあるんだよな
ここでなんか自分が親を好きだったこと思い出せないと
多分結構苦しいんじゃないか
でも私これあんまり体験してないから
ごめんなんか手伝えることあんまないかもなんですけど
でもなんかそこを認めちゃうと
結構楽かもしんないね
お母さんのこと超好きだったけど
なんかこういう思い込みがあったり
なんかこんな理由で嫌いにならないと
自分の気持ちが守れなかったんだな
みたいに落とせると
なんかその好きだった自分のことも認めるし
嫌いになっちゃった自分も別に認められるし
別にどっちでもいいんですよ
そうどっちでもいいんだけどね
どっちもなんか知っておくっていうのが
多分自己一致感なのかなって気がしてますかね
あ、なんかあんまり結論出てないけど
とにかくなんかその母親のコンプレックスみたいなのは
多分これで解消したんじゃないかな
あんま今んとこなんか残り物は感じない
まあ出てくるんでしょうけどね
なんかこういうのってしょうがないと思うから
また出てくるんだろうけど
結構でかいしこりは
あ、なんか消せたなみたいな
次は父親かなって気がしますかね
父親の問題も超山積みだから
さあどうするんだろうって気はします
また撮りたいと思います
ちょっと長くなっちゃいましたが
聞いてくださってありがとうございました
なんかヒントになれば幸いですが
なんかこの家族関係リーディング
なんかね重要あるみたいで
もう1本撮って公開したから
よかったらYouTube見てくれると嬉しいです
多分ね家族で悩んでる方は
手伝えるんじゃないかなと思っております
じゃあまた別のエピソードでお会いしましょう
バイバイ
23:19

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