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自分の本音の見つけ方。こんにちは、misaです。今回は、愛とは何か、傷付くならば、それは愛ではない、についてお話をしていきたいと思います。
このラジオは、自分と仲良くなると人生は楽に楽しくなっていくをコンセプトに、自己一致する過程や気づき、その方法をお話ししております。よろしくお付き合いください。
本日は2024年12月27日金曜日です。本日3本目ですね。やっていこう。
でね、その傷付くならばそれは愛ではないっていうのは、書籍なんですよ実は。あの概要欄っていうんですか、貼っておきますね。
非常に分厚い。でもって、なんか1日1ページのなんかひめくりカレンダーみたいになってて、ぶっちゃけ読んでないんだけど、なんかね、メッセージは結局
かぶってんなーと思って。なんか365日分とかあったんじゃなかったっけ?ちょっと持ってんだけど、持ってこいよって感じだけど、ちょっとしまったまま今手元にないんですけれども。
でもさ、もうタイトルだけでさ、めっちゃめちゃ強力じゃない?なんかそれだけではぁーってなって、何年も前だけど購入したのよね。
そんな話をしていくね。そのさ、愛ってなんだ?みたいな。私はずっと、今はなんか私って何者なんだ?っていう問いがめちゃめちゃうるさいけど、その前は愛ってなんだ?
私の愛ってなんだ?みたいな。私の中に愛はあるのか?みたいな問いがガンガン鳴り響いてた時期があって、その時に手に取ったんですけれども。
傷つくならば、それが愛ではない。もう一言でわかると思ったけど、もしかしてピンとこないかも。だから説明するとですよ、
なんかしてあげるとするじゃない?誰かに。で、受け取ってもらえなかったり断られたりとか、なんか思ってたほどのリアクションじゃなかったなってなった時に、もしあなたが傷ついたならば、それは
与える行為ではないと。なんかその自分の与えるっていう行為による見返りを求めてるから、もうその時点でそれは愛じゃありませんよってことを多分言いたいんだったというふうに思ってるんですけど、少なくともそういう解釈ですけど、これすごい真理じゃんと思って。
なんかせっかくしてあげたのにとか、こんな身を切ってやったのにとか、なんかその
何でしょう、見返りを求めてる時点で、それは愛じゃないですよと。じゃあ愛って何ですかってなるんだけど、なんかこう私その愛が何なのかよくわかんないから、なんかまず外堀り絡めていくというか、定義、愛とはこうらしいみたいな定義いっぱい集めて、何でしょう、初めの方は輪郭を作っていってたんだけど。
今は何か今のところね、この2024年12月27日時点では、愛とは何か祈りなのかなってところにちょっと一応腰掛けております。祈りとは何でしょう、何かしてあげるとかいう領域じゃないのかなってなってきたのね。
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なんか誰か、例えばあなたに対して、私今誰が聞いてくれてるかわかんないけど、その聞いてくれてる人が1日幸せであればいいなーってマジで思ってるんですよ。別に1日だけじゃなくても、なんか1秒1秒が寒くなくてさ、温かくてさ、嫌な人がいなくて、誰かに否定されたり、自分でもね、自分を否定したりせずに、なんかここにいていいんだと、自分は生きているんだっていう、
なんていうか、自分で自分を許せていて、この安心安全な場所にいて、怖くなくて、なんかホッとできるような、そういう時間が1秒1秒続けばいいなと思っているんですよね。それ今、あなたの名前がわからないから、なんかうまく祈りとして起動してないと思うけど、
なんか、基本的に割と身近な人に対してシンプルによく思っていて、なんかうちの子たちとかもそうですよね。いってらっしゃーいって別れた瞬間、今日1日学校生活がこの子にとって楽しいものであればいいな、なんか少なくとも怖かったり不安だったり、なんかそのザラッとした気持ちにならない1日だといいなーって思ってなんとなく送り出すんですけど、
なんか愛ってこれなのかなと思い出して、あなたが幸せでありますようにっていうのを本当に心から祈れるときって、それってなんか愛なのかなって思ってるんですよって、これちょっと抽象的すぎてあんま伝わんない気がするけど、まあもう1個、愛の定義になってきたけど、愛とは多分なんか人間関係なんですよね。人との繋がりを言い換えた言葉なのかなと思ってて、まあそれはなんかタロットとかやってて思うんですけど、
カップっていうスーツがあるんですよね、タロットって4つのスーツがあって、スーツっていうのはなんだ、マークみたいなのがあるんですけど、えっとワンド、金棒ですね、木の棒。これは火を、火のエネルギーを象徴してるんですけど、もう1個はカップ、水ですね。
もう1個は風、ソード、それが空気、象徴してて、最後にペンタクル、なんかコインみたいな、ペンタクルは土を象徴してるんですけど、まあこの4つがあってね、そのうちの1つのカップを象徴する水っていうのは、愛情とか共感とか混ざり合う溶け合うエネルギーを象徴するんですけど、人間関係ってどうやら、あ、で待ってその感情とかを象徴してるんだけど、どうやらその感情で、
を象徴するんだって、なんか私はこの理論から入ってたんだけど、入ってなんだってなったら、なぜかタロット学ぶっていうね、そっから答えを取ろうとしていくんですけど、
なんか人間関係っていうのをカップは象徴してるっていうか、なんかそのキーワードとしてね、よく表現されてるんですけど、ってことは、みたいな感じで、人間関係っていうのは気持ちの交流なんだよね、どうやら。それが、なんか愛なんだって、どうやら、なんか理論的にはそうらしくて。
ってなると、その人との関わり方とか、なんかこの人のことが好きだなって思うとか、その人との心からつながれている感覚っていうのが、愛ってもんなのかねぇっていうところですね。
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そうなった時にさ、こんなにしてあげたのにっていうのは、まあなんか愛じゃないよね。なんか人間関係とそのギブとテイクのなんかバランスが悪いんでしょうね、多分。一方的にあげちゃってるとか、もらいすぎちゃってるとか、なんか執着してるとかね。
そうそう、そうなると、なんかその心の交流とか人とのつながりってなると、あんまり健全じゃないんでしょうね。健全じゃないって言うとあれだけど、なんか美しくないというか、なのかなっていう気がするよね。
なんだっけ。あ、そう。もしなんかこう、あなたがね、人間関係において、なんか愛、私みたいにその愛とは何なんだっていうところから人間関係見直してあんまりいないかもしれないけど、なんだろう、なんかしてあげたのにとか、その無条件で与えられない時は愛じゃないかもね。
ちょっとチェックするっていうか、それで別に自己否定する必要は全然ないんだけど、なんかそうなったら、あれじゃあ何をもらいたかったんだろうって私なら考えますね。なんかしてあげて、なんか思ったより喜んでくれなかった、あと何言ってたっけ。
いらないって言われたとか、そんな感じ。なんかしてあげたことが返ってくると思ってたけど返ってこなかったとか、なんかもらわれっぱなしで私あげっぱなしだなとか、私これが多かったかな。あげっぱなしじゃんみたいな。
じゃあ私は一体、私には一体誰がくれるんだってなるとかよくあったけど、その時って私は結構欲しいんだよね。ずっと。なんか人に与えてる、与えてばっかりだなって自分的には意識的には思ってたけど、欲しくて欲しくて仕方なくてってことじゃん。
なんかイライラするとか、その人間関係が無用な摩擦がある。だってなんか、くれると思ってやってるのになんでくれないんだよってなるわけだから、こっちとしては。おかしいんだけど、なんかお金払ったのに商品来ないんですけどぐらいの理不尽さ感じてるけど、実際はそういうシステムじゃないというか別にそんな約束とかあるわけじゃないし、罰される何かルールがあるわけでもないんだけど。
本当は私が欲しかったんだってところ見つめた、見つける?気づけたら、じゃあそれをどうやって集めようって考えればいいんじゃない?その時私が気づいたのはなんか、あ、そこ大礼を言うエヴァ方が。
私はね、なんか人間関係、その時は愛とは関心であると思ってたんですよ。ずっとずっと思ってたね。ほんと結構4年?いやもっとか。ここ3年ぐらい?ずっとそうだったかも。2年ぐらいかな。ここ2年ぐらいまでずっと愛は関心だって思ったの。
そしてなんでだろうってちょっとさ、落ち着いて振り返った時に、あの関心が欲しかったのね。ずっと。なんかお母さんとかお父さんとか仕事で忙しくて、なんか私のことなんて見てないなーってめちゃめちゃ思ってたから。妹も一生感情大報酬としてずっと喋ってるから自分の話をペラペラと。
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私の話を聞いてくれる人がいなくて、すごいずっと寂しかったんですよね。誰か私に、なんか今日どうだったって聞いて欲しかったのよ。あなたはどう感じてるのミサちゃんって聞いて欲しかったんですね。ずっと。なんか私また変な話ずっと、さあこのラジオでもそうだけどずっとこんなこと言ってるじゃないですか。これもちっちゃいとかこうな感じだったんですよ。
何言ってんのこの子みたいな感じでね。全然理解されなくて、私ってなんか変なんだなみたいな。いや考えすぎだよみたいなことをよく言われてきて、まあ確かに考えすぎなのにすごく考えちゃうんだよね。いろんなことを。それが楽しいんですけど私からすると。遊びなんだけど。
周りからすると大丈夫かみたいな。病んでるのかなって映ったりするのかな。わかんないけど。変な子だなみたいに思われてて。そこですっごい孤独感感じてて。なんかそういう欲求みたいなのをずっとずっと大人になってもずっと抱えてて。
そうそうだから私はなんか愛していれば関心を持つものだ。つまり私に関心を払わないみんな私のこと愛してないんだなみたいな図式が出来上がっちゃうね。それだとやっぱさすがに孤独なので、私はなるべくこう関心を振りまいていたんですよ当時はね。
なんかみんなの話を一生懸命聞いて、そうかそうかそうなんだねって。あなたはどう思うのどう思うのって。あなたはどう感じてるのって。やって欲しかったことをずっとしていくのね。それはなんか純粋な愛じゃなかったのね。傷つくならばそれは愛ではないわけよ。傷ついてたのよ。
こんなに関心を払ってこんなに話聞いてあげてるのに、あなたはどうして私の話を聞いてくれないのってなるのよね。私さ、まじでなんか命かけてその関心が欲しいから、幼少期からずっとでかい欠乏だから後で気づくんだけど、その無価値感抱えて生きてるね。
私なんて誰も関心抱いてくれないってなったら、私って存在していいのかなーってなるわけよね。私って存在してますかぐらいの不安定さなのよね。そうなると自分のこう存在、人生かけてその関心が欲しいわけよ。ものすごい欠乏感なんですよ。もうご飯一回も食べたことないみたいな感じよ。
っていう私のその体重乗りまくりのなんか関心を与える、私にとっての関心っていうのが本当にご飯みたいなもんだから、なんかなんとなくじゃないんですよね。そこにすげー熱い込めてるというか、とんでもない命かかってるから、その関心を与えるっていうこう話をめちゃめちゃ聞いてあげるっていうのは、実際なんかレベル高くなってるんだけど、私もそれがしてほしいわけだから。
でもそんな奴いないのよね。そこまで体重乗せて、なんかあなたの話を全力で聞いてあげますみたいな人って、その代わり私のも聞いてよねっていう勢いなんだけどね。全然その美しくないんだけど。そんな人ね、いないのよね。だからずっとずっと欠乏を感じてて、なんか私与えてばっかりだなみたいな、すごい消耗してる感じがずっとあって。
でなった時にさ、なんかそうずっと、なんかなんだろう、人間関係って関われば関わるほど、私がこんだけ関心を払うんだから、身近な人であればあるほど関心を与えるじゃないですか。時間的にもさ、制限があるから。遠くの人とか、昔の同級生とかには思わないけど、パートナーとか友達とか同僚とかにはもうめっちゃ関心払うから、なんか返してよってなってきて。
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で、そういうのが苦しいと。で、まあこの、この言葉がトリガーだったか、いやそうじゃなかった気がするけど、まあまあ多分その構成する一部ではあるんですけど、あれはおかしいなーってなるんだよね。私なんか関心を与えている、で帰ってこないとすごいがっかりするっていうか、なんか借金の取り立て屋みたいな感じあるよね。
はーみたいな、こんだけ与えたんだからお前も返せよみたいになって取り立てに行くんだけど、なんか変だなってなったときに、これは愛じゃないなってことに気づくのよね。何が欲しかったんだって、そう関心が欲しかったんだってなったときに、さっきその愛を与えて帰ってこない。それで傷つくってことは愛じゃないってそこに気づいたのね。
で、そっからですよね、まあ自分で選べるんだけど、私の場合はあれってなって、で今の、まあその無価値感とかまでは当時はねわかんなかったけど、ずっとお母さんから欲しかった愛情をいろんなところからかき集めようとしてるんだってことに気づいたときに、でも私子供じゃないし大人だから、なんだろう、お母さんから関心を得られなくてもその存在が怪しくならないじゃんってことに気づいたのね。
あ、別になんか自分で自分のことめちゃめちゃ興味持って、私が私を満たせばいいのかってなったら、この呪い解けたんですよ。あ、もう誰かの関心を取りに行く必要がないわってなったら、その私あなたに関心ありますよありますよみたいななんか、押し付けていく、その借金をさ、強引にさせていくみたいな行為をしなくてよくなってすっごい楽になったんですよね。
なんかこの人間関係での摩擦って全部こんな感じなのかもね。もしかしたら自分の中の欠乏みたいなのをうっすら誰かに、全方位に対して求めてるかもしれませんね。これちょっと抽象化した方が伝わるのかなーっていう気がするけど、私の場合は関心だったけど、他の人の場合はなんかね、承認とかよく見かける気がする。承認をね、求めまくる。
親に認めてほしかった。親に褒めてほしかった。なんかあなたはそうなんだねってちゃんと私を見てほしかったっていう欲求がもう溢れて、みんなに承認してほしいんだよね。でもそういう人は、なんか私はその与えるっていう方向でなんか自分の居場所を獲得しに行ってたのは多分その無価値観なのよね。
私には価値がないから、みんなに関心を与えること、つまり私が一番欲しいものをみんなに与えることで、自分がここにいていいっていう理由にしようみたいなところがあったからやってたけど、もしこれがないんだったらまあとにかく承認欲求モンスターになっちゃうかもね。
そんな時に、あの人たちが自覚があるかわかんないけど、もし気づけたら、なんか誰から認めて欲しかったのっていうのを自分に問いかけるといいよね。誰の関心が、あ、関心じゃないや。誰の承認が欲しかった。誰に褒めて欲しかったのか。誰に認めて欲しかったのかなっていうのを自分に問いかけた時に、じゃあでも多分ね、もうね、その人からの承認は得られないと思うんだよな。
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まあ生きてるか死んでるかとかそういうのもあるけど、なんでしょう。関係ないというか、ちっちゃい時の欠乏だから、今の大人になった自分で、大人になった、なんでしょう。大人になった自分で、ちっちゃい時の自分にアプローチかけてもいいし、大人になった自分で大人の私に対してアプローチかけてもいいんですけど。
でもこれちょっとなんか問題かもね。一人でやるのちょっと不安になっちゃうかもしれないから、もし不安だなぁとか、なんか掘りたいし、ちょっと惜しい音がするけど最後行ききれないみたいな時は手伝いますんで、公式LINEからお声掛けください。
もし何かヒントになれば幸いです。この辺がなんか、なんでしょうね、どっちかというとパートナーシップとかで苦しんでる人向けかなーって気はしてますけどね。旦那さんとか彼氏とか彼女とか、彼女はないか、だいたい女性なのかな。
なんかなんでなんだろうみたいな時、もしかしたらこの辺が使えるかもしれませんね。ちょっとそっちのパターンで喋ればよかったけど、もう時間が取っちゃったからこんなもんにしましょうかね。結構お勧めです。ただ本買うほど稼働家はね、個人的には別に読まなくていいのかなって気はする。
このタイトルがもう秀逸で、いろいろ書いてるけど、私はね、なんかまあ詳しくなっちゃったっていうのもあって、そんなに新しいものはなかったかなっていうか、少なくとも記憶にあんま残ってないって感じでございました。はい、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
よかったらあなたの愛とは何なのか、その傷つくならばそれは愛ではないって言葉がどう響いたか教えてくれると嬉しいです。レターでもコメントでもお待ちしております。じゃあこんなもんにしましょう。じゃあまたねー。