甘えるの概念
私と私のひとりごと。こんにちは、misaです。今回は、「甘えることは他者の大丈夫だよを信じることだったのか?」と気づいた話をしていきたいと思います。
このラジオでは願いを生きる過程や自己一致するためのヒントをお届けしております。 本日は10月8日水曜日です。よろしくお付き合いください。
でね、そう、私この甘えるのが苦手だなという認識はあったんですけど、いまいち甘えるって何なのかがわかんなかったんですよ。
そう、わかんなかったんですよ。こういう人結構いるんじゃないのと思ったから、ちょっとお話ししていきたいんですけど。
なんかさ、この甘えるって言うと、なんかこう物理的に手伝ってくださいを言うとか、なんでしょう。できるけど誰かにお願いするとか、仕事を振るとか、そういう感じかなって思っていたので。
で、これはできるんですよ、別に。なんですか。電球を誰かに変えてもらう。まあ私結構背高いので電球とかも変えられるんですけど、
あえてめんどくさいから誰かやってくれませんかって言ってやってもらう。ありがとうございますとかも全然できるし、
なんかお金を払ってもらうこととかも、あんまり抵抗なくご馳走してもらってありがとうございますも全然できるし、
あとなんかその仕事を分担していくこともそんなに、なんか物理的に自分の処理を楽にするために誰かに移情していくもできるんだけど、
なんかそういうことじゃないんだよなぁと思っていて、甘えているという認識はあんまりない。整理してるだけだし、なんかちょっと違うなぁと思ってて。
で、なんかじゃあ甘えるって何かなって思った時に、一番私がこう自制しているところは感情を爆発させないみたいなところだから、
なんかこう誰かに対してもう感情がめちゃくちゃのままぶちまけていくみたいなことが甘えるなのかな。
なんかこう私が一番甘えてるなこいつって思うのは、なんかこう全然整理してできてないのに、なんか一方的に喋り狂っちゃったりとか、なんか急に泣き出してみるとか、
なんかそれってご自身の問題ですよねみたいな図をその場でぶちまけていたりとかするのって甘えてるなぁっていいなぁとか思っていたけど、
なんかこれははしたないなぁって思ってるから、あんまかやりたくないんだよなぁって思ってて。
でもまあこれがそうできてないから甘えるっていうのはそういうことなのかなっていうのが、なんかこうやりたくないわけだから、そうなりたくないわけだからやらないので、
うーんなんかできないな、苦手なのかなぁ、うーんみたいな、こう何でしょう、何かにつけて誰かと誰と接してたとしても自分がこう混乱してる状態では
誰にも何か出さないんですね。まずは整理して、こうやってラジオで一人で喋ってるのもその一環なんですけど、まずは自分がこう内的に混乱してるときはまず整理する、
でその状態で相手に必要な形で、なんかこう伝わる形で出していくっていうのが、まあ私は正義かなと思っているんだけど、
これをいちいち甘えられないってことなのかなぁとか、ここもなんかちょっとでっかいハテナがついている状態で今まで生きてきたんですけど、
不安を軽減する瞬間
こないだこうじゃねえのかってことがわかったんですよ。結構衝撃なイベントでした、私的には。見た目はそんなに変わってないと思うけど。
っていうのも何があったかっていうと、そのトリガー自体はめちゃめちゃしょうもないんですけど、なんか今すでに卒業したんですが、前3人でラジオをずっとやっていて、また遊びに行くかもですが、一旦こうレギュラーメンバーとしては卒業することにしたんですが、
ゆるう人の森ラジオというのをやっておりまして、そこでキツネさんと呼ばれる、まあ私的にはお友達だと思ってるんですけど、と雑談してた時にラジオ収録とはまた別の枠でね、
話してた時に発生したんですよ、それは。本当に些細な一言だったんですけど。私はその時、引っ越し前だったのかな?直前で、もうすぐ引っ越しなんですよね。
で、ニオづくり頑張ってるけど、めっちゃなんかこう大変で、なんか不安なんですよみたいなことを何気なく喋ったんですよ。で、キツネさんはお話聞くのすごい上手で、ふーんって聞いてくれて、
なんかそこでね、なんかこう、えーと、そんな、何て言ってたかな?なんか具体的なことは忘れたけど、なんかご自身の引っ越しお手伝いエピソードみたいなのをちょっと話してくれて、
でも全然その、なんか私のためにっていうか本当にこう雑談って感じなんですけど、なんか引っ越し大変だねみたいな。でも大丈夫だよって言われて、
キツネさんがお友達の引っ越しを手伝った時に、何にもその子はしてなかったんだけど、業者がうわーって片付けて、うわーって持っててくれたから、
最悪片付いてなくても業者がなんとかしてくれるんだと思う。だから大丈夫ですよ、ははははみたいな時に、って話があったのね。
で、そうかなーって言って、でもなんか何が不安なのかわかんないんだよねーみたいな話をしてて、
私はその荷物が片付かないかっていう心配っていうよりは、なんか荷物の梱包が怖いみたいなところだったから、何かわかんないんですよねーって言って、
別に解決はしてないけど、それで話は終わって、その日の夜寝る時に気づいたのよ。あれ?なんか私引っ越しへの不安なくなってるみたいなことに気づいたのよ。
で、あれ?どうした?と思ってここから始まったんですけどね。で、具体的に何が怖かったかっていうと、なんかキッチンのあたりを片付けるのがなんかその時超怖かったんですよ。
っていうのも、他のものはだいたい梱包したけど、まだ料理しなきゃいけないのが何日か残ってるから、また出さなきゃいけないかもしれないなーみたいなのが多分怖かったのね。
っていうのも、それまでに他のもの片付けてたけど、子供たちがなんか学校であれが必要になったとか、なんか習い事で必要な何々がないとか言い出して、
えっ?梱包しちゃってんじゃんみたいな。で、奥の方に入ってて、なんか重たい段ボールさ積んだのにまた崩して、で、もうわざわざガムテープ貼ってんのに破いて、
で、なんか探して、まだきっちり詰めてたものがぐちゃぐちゃになって、っていうのが何回か繰り返されてて、私的にはこれがなんかもうすごいヘキヘキしていて、
なんか詰めてまた出すんだったら、なんか詰めたくないなーみたいに多分思ってたんじゃないかなーと予想してるんですけど、でもここまで言語化しても、なんかスッキリしてなかったから、
またなんか不安あるのかなーって思って一旦置いといて、その状態で曽吉さんとちょっと喋ったんですけどね。
でもその夜に何も起きてないのに、私はまだキッチンの梱包何もしないのに、なんか不安だった気持ちがなくなっていたんですよ。おかしいじゃない?何が起きたんだろうって思った時に気づいたのね。
心の変化
その、私はあの時、そのキセンさんの大丈夫だよっていう言葉になんか安心したんだなと思って、それってすっごい不思議な体験だったんですよってこれを聞いているあなたが何を言っているの?ってなるかもしれないんですけど、
私おそらく今まで、他人の大丈夫って言葉を信じたことがなかったんだなってことに気づいたんですよ。
誰がどんな文脈で言っていても、あなたのその大丈夫は全然大丈夫じゃないじゃんって思ってたのね。
だって私が今危機を感じているわけだから、なんかなんとかなるよ大丈夫大丈夫とかって、なんともなるかそんなのわかんないじゃんみたいな、未来のことなんだからわかんないじゃんって思ってて、
その相手の大丈夫を全く信用したことがなかったんですよ。でも今回大丈夫だよって言われた時に気持ちが楽になったのは、なんかそれをなんかこう安心していいんだみたいな文脈で捉えたんですよ、私おそらく。
なんかこう、未来がどうなるかわかんないし、梱包がうまくいかないかわかんないし、実際業者が持って行ってくれるか持って行ってくれないかわかんないけど、
でも安心していいよって、そんなに不安に思う必要はない、安心しても大丈夫だよっていう文脈で受け取ったから、
あ、そっか、なんか安心してもいいんだってその言葉を多分信じて、それによって気持ち楽になったんだなって思って、
なんかそんな分解する人あんまりいないかもしれないけど、なんかすごいね、すげえ衝撃を受けたんですよね。
さっき冒頭で言ってた、あ、甘えるってこういうことかと思って、なんか不安な気持ちを、私は別にぶちまけたわけじゃなく、
ある程度今みたいに整理している状態で、ではあったんだけど、なんかわかんないんだよね、不安なんだよねっていうのをただ言っただけ、別に気持ちはぶちまけていない。
でもそれを、そっか、不安なんだね、でも大丈夫だと思うよ、安心してもいいよって言われたことを信じて、そっか、安心してもいいんだってこれだけが、
あ、甘えるってこれかと思って、というのもちょっと前のエピソードで話していますが、私はあんまり世界に安心がないまま生きてきたんですね、割と最近まで。
この世界は戦いだと思っていて、負けたら終わるみたいに思っていたから、でもそれをおそらくいろいろ振り返ると、
親があんまり安心、あんまりというか全く安心をくれずに、常になんかこうヒリヒリした状態で生きてきたから、なんかとてもこう、
なんていうか、やばいかもしんないみたいな、常にやばいかもしんないなと思って、私的にはサバンナ状態で生きているわけですよね。
いつ敵に襲われるやもわからんなぁと思う世界観で生きてきたから、親も大丈夫大丈夫なんて言ってたかな、言ってたかもしんないけど、
あの人たちも中身スカスカだなと思ってるから、私全く信用できないし、なんか私のこの怖さっていうのは、
そういうところから来てたんだ、誰も信用できないとかっていうよりは、なんかこう、自分の不安を誰かに持ってもらうっていう発想がないし、
そんなことできるわけないっていう強固に信じている、これが一番の孤独だったんだなぁと思って、なんか結構世界ひっくり返る衝撃でした。
え、伝わるかな?わかんないけど。だって今までさ、大丈夫大丈夫って言われて、そっか、安心してもいいんだな、大丈夫なんだと思ったことないからね。
思ったこと一回もないよ、そんなの。そんなわけないじゃんって思ってたもんね。なんならすげー勢いで論破してたような気がしますね。
その大丈夫の根拠は何なんだよって、これこれこうでこうで全然安心できないでしょみたいなことを、なんなら言えそうな予感がするすごく。
だったけど、なんかこう、その精神的に甘えていくっていうのは、誰かに安心させてもらう、その大丈夫って言葉を受け取る、なんか信じるみたいなところ。
信じるって言うとちょっと、あの時の私に言うと何を言ってんだって言われる気がするんだけど、安心してもいいんだなーって思えるかどうか。
これって私が選んでるんですよね。その大丈夫を自分の中で受け取るか受け取らないか私が選んでいる。
大丈夫なわけないじゃんって言って断ることもできたし、あ、そっか、ちょっと気を楽にしてもいいのかもしれないなってちょっと緩めることも私の選択だったんだけど、
これが今までそういうスイッチなかったというか回路がなかったんだと思ってびっくり、びっくりすると同時に、なんか世界変わったなーと思ってなんか嬉しかったですね、これで。
わーすごいと思ってこれめっちゃ気楽じゃんと思って。これから私は非常にこう変化がありまして、まず人に大丈夫だよっていうことができるようになったよね。
今まではなんかその不安そうにしてたら論理で解決してあげようみたいな、その証明してあげなきゃと思って大丈夫を証明してたんですよ。
だって私だったら証明しろって言ってくるんだから、当然相手もああそうなんだ大丈夫大丈夫なんて言葉で安心するわけがないんだから、
あなたのおっしゃってることはここが不安だと思うけど、これはこういう理由でそうなる可能性は限りなく低いみたいな話を論理でしてたけど、これ全然気持ちに寄り添ってないから、
ハマんない人ハマんないんですよね。で、なんかあんま伝わってなかったらみたいになってて、まあそのズレはわかってんだけど、かといってその私には大丈夫コマンドないから、
なんかどうすればよかったのかなーとか言って、ちょっとちゃんとGPTとかで壁打ちして、そうかこういうふうに話せばよかったのかとか言ってなんかいまいち身についてないみたいなのがあったんですけど、
今回はそっか不安な気持ちわかるけど安心してもいいよって怖かったら怖いでいいしとかちょっと気持ちに寄り添うようなアプローチがちょっとねできるようになりましたね。
まだ今そんなに危険な状態じゃないから安心しても大丈夫、そんなに怖がらなくても大丈夫っていう声かけができるようになった。
当時の私にはこれは絶対ハマんないんだけど、だから私みたいな人にはハマんないんだけど、もしかしたらその世界に安心をちゃんと持ってる人たちには割とこう伝わるような回路が私の中にできたのかもねと思ってて、
よかったねって思ったのと、あとそれから起きたなんか怖いことというか不安だなーとかイライラするなーみたいな時に、あのちょっとしたことで安心できるようになった。
安心するっていうなんだろう、心の置きどころができたっていうのがマジでかい変化っていうかすげー楽じゃんこれ、生き方としてすげー楽じゃんと思ってびっくりしたねー。
なんかその物理的に、物理的というか論理的に安心を証明すれば一応大丈夫だろうみたいなステータスは持ってたんですけど、何も証明されてないけどでもきっと大丈夫っていうのをなんかこう精神的なところで持つっていうのはなんかなかったんですね。
成長の実感
思ってから気づくんですけど、よくここまで来たねーと思いましたよね。それないのにここまで来たんだ、そりゃ寒かっただろうねみたいな気持ちになりましたけど。
なんかさ、仕事とかでいろいろ転職してまだまだ1ヶ月半とかなのかな。1ヶ月半とかかな。
で、まだまだこう不慣れなところもありましょうし、やりづらいなみたいなところがいろいろあって、なんだかなーみたいなのがあったんですけど、全然関係ない人に話聞いてもらって、
あーなんかそういうのあるよねーとかで言われて、今までだったらなんか話しても仕方ないかと思って、そもそもあんま喋んなかったり、
なんかこう本当表面的なところ、事実ベースで困っているところとか、証明できる苦しみみたいなのだけ話して、気持ちを共有しようなんてあんまなかったんですけど、
なんか今回はただ愚痴りたいって愚痴ってみたり、で、あーあるよねそういうのっていうので、なんかわかってもらえたから何ってことはないんだけど、
なんか共有できたことにまず私は満足してるんですけど、なんかこの愚痴るっていうコマンドを打った自分みたいなところに成長を感じるって思ったり、
もう一個はなんか直接的な解決策じゃなくても、考え方変えてこういう風にやれば、なんか大丈夫だよと言われてないけど、
こういうルートあるよっていう提示をされた時に、今までだったら、でも今の問題解決しないじゃんとか、なんか結構そのパンって移行するの私的には難しかったんですけど、
めんどくさいやつで申し訳ないんですけど、なんか今回はその多分大丈夫みたいな安心みたいなところ引いたから、
あそっかじゃあ世界観こう移行して違うルート行けば、今の問題は別に解決しないけど、なんかこう未来開けそうだなーみたいな、
なんかそういう見方ができるようになったのはなんか自分的にめっちゃ成長を感じました。
これ今日の話だからまだ整理できてないんですけど、前の私だったら今の話こんな前向きに受け止めてないだろうなーと思って、
でもこういう問題あるじゃんとか、でも私の苦しみは苦しみじゃんみたいに思ってそうだけど、
あそっか、なんかこうみんな助けてくれるし、やり方はいろいろあるし、そんなにこう怖いと思ってたけど、
なんとかなるか、大丈夫かもみたいに思えたんでしょうね多分。なんかこの辺その論理じゃないから、なんか感覚的なものだから、
なかなかこう、こうだからこうって説明するのに若干時間かかるんですけど、なんか結構今日その話して、
おお、なんかこれ私っぽくない受け止め方してると思って衝撃を受けて、
おそらくこの大丈夫みたいな、安心みたいな、他者のその言葉をちょっと信頼するみたいなのができるようになった成果じゃないかなと思って、
なんかめっちゃ大きな成長を感じています。なんか生きやすくなった気がする。
他者とのコミュニケーション
しんどいなーって思った時に、なんか甘えるっていうのは、その物理的になんかしてくれとかでもなく、
感情ぶちまけて誰かにその依存的になんかするってわけでもなく、大丈夫だよって寄り添ってもらった時に、
そっか、大丈夫かってこう、他者の言葉で安心する?安心させてもらう?誰かにそう安心させてもらうっていうのが、
あ、甘えるってこういうことなのね?と思って、なんかめちゃめちゃ腑に落ちて、衝撃受けたという話です。
なんかこれ本当随所にあって、なんかまた具体例行くんだけど、なんか子育て領域でもあるわと思って、
なんかこう最近その仕事結構ハードになってきたなーってなって、もう疲れたーみたいな時に、
なんでしょう、母親業がなかなかこう推進できねえぞってなった時にさ、今までのその甘えましょうだと、その晩御飯なんかやめて外食しようとかあるじゃない?
あとは子供たちになんか手伝ってもらいましょうとかあるじゃない?もちろんこのコマンドは打つんだけど、なんか気持ち的には別に楽にならないのよね。
けどここになんか、その精神的な大丈夫みたいなところが一個選択肢増えてるというか、供給ポイントが増えてるから、なんかめっちゃ気楽になったんだよね。
なんだろう、子供に手伝ってもらうとか、外食に切り替えるってもちろんやるけど、なんだろうなー。
例えば、この間だと仕事で本当マジでめんどくさい人がいて、なんか子供に愚痴ってたんですよ。
今日ひどい目にあったよみたいな、やべえやつ見たわみたいな話を息子にしてて、息子は意外とそんなに会話するタイプじゃないけど結構聞いてくれて、
え、そんなやついるのやばいねみたいな、それやばいわとか言って、なんか適当だと思うけど聞いてくれて、なんかありがとねみたいな、なんか話聞いてもらえてすごいスッキリしたかもみたいな、ありがとうみたいな話してて、
いいよとか言って終わって、またなんか別の日に、また今日もやばいやついたわみたいなこと聞いてくれないって言った。これは結構冗談だったんだけど、また聞いてくれよみたいなことを言ったら、息子は、
えー聞く聞く、やばいねとか言ってくれて、なんかその言葉だけでなんかすごい嬉しくて、なんか辛いなって気持ちとか、なんかしんどいなみたいな気持ち、子供もちょっとなんか寄り添ってくれるんだみたいな、
持ってくれるんだみたいな、それってこう、いやでもちょっとさ危ねえなと思ってるのは、その子供にずっと愚痴気が捨ててるおかんやばいと思うから、ちょっとそれは避けたいんだけど、でもなんかしんどいことあるんだよね。
でも聞いてくれて楽になった、ありがとうって言う、なんかこう一瞬間はそんなに悪くないかなと思うから、たまにはちょっと持ってもらって、わー聞いてくれてすごい楽になった、まあまあ嬉しい、ありがとうねっていうのはたまにやってもいいかなと思ってるので、
そんなに頻発しないんですけど、この間聞く聞くって言って、結局話はしなかったんですけど、なんかそのいいよいいよって言ってくれたのなんか嬉しかったわーって言って、なんかそれだけですごい気持ち楽になりました。
ちょっと大丈夫って言われたわけじゃないんだけど、なんかその寄り添っていくこと、誰かに何か自分の気持ちとか不安とか恐怖とか持ってもらうことが自分の中に回路が生まれて、なんか多方面で結構変化があって、すごいっていう感動があります。
精神的なサポート
そしてやっぱこの感情ぶちまけなきゃいけないのかってそのダメなやつなんですけど、これは多分そもそも私の目指しているものじゃないから、ていうか、稚拙な甘え方だから依存だし、そのやりたくねーなーはあってたんだと思う多分。
それをその表現をしても多分私は楽にならないし、なんなら自分のことちょっと嫌になっちゃいそうだから、やっぱここはやらなくてよかったなっていうところで、進めないなーって甘えるって言うとわかんないなー、進めないと思ってたけど、やらなくてよかったし、合ってた合ってたと思ってちょっと落ち着きました。
というところが私的には結構な成長でした。きっとここからまたこれをトリガーに他でも変化あると思うから、また引き続き撮っていきたいなと思いますし、ちょっとでも甘えるってなんだ、他人を頼るってなんだ、みたいな。
他人を頼れないって、物理的な人多いのかなって思うけど、物理は頼れるけど、精神的に甘えるっていうのがちょっとわかんないなーっていう人に、なんか答えになるんじゃないの、これ私気づいたんだよってことをシェアしたかったので撮ってみたということでした。
最後まで聞いてくださってありがとうございます。よかったら自身の甘えべたエピソードでもいいですし、私は甘えるの結構上手だぜエピソードでもいいので、概要欄にフォームを貼っておりますのでお便りいただけると嬉しいです。
ではまた他のエピソードでもお会いしましょう。またねー。