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2025-02-12 11:47

「誠実であらねば」という呪い#65

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#誠実 #再定義 #ルール #制約 #自己理解 #自己探求 #自分 #呪い #思い込み
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自分の本音の見つけ方。こんにちは、misaです。 今回は、「誠実であらねば」という呪いについてお話ししていきたいと思います。
このラジオは、自分と仲良くなると人生は楽に楽しくなっていこうコンセプトに自己一致する過程や気づき、その方法をお話ししております。よろしくお付き合いください。
でね、これは私の中で本当にこれは革命だったんですよ。今までこの誠実っていうワード、すっごいキーワードだったんですよね。自分の中で大事にしてたんですよ、すごく。
あの、誠実な人でありたいし、誠実な人が好きであると思ってたんですけど、ここを最近、再定義したら基準がめっちゃ変わったっていう話をさせてください。
いや、もうサクッといくけど、なんかね、今までもこれね、誠実であるっていうのは私にとって足枷だったんですよ。つまり呪いだったんですよね。でも気づいてないです、そんなの全然。
誠実っていう単語に自分が縛られてるなんて全然気づいてなかったんですけど、例えばね、すっごい嫌なことをされる。
例えばすごいクレームをもらってるとかするじゃないですか。一方的だし、すごいイチャモンやと。全然イチャモンであるけど、ここで発動してくるんですよ。誠実であらねば、自分の声化するわけですね。
そうしたらどういうふうにするかっていうと、自分に全く火がない状態にして、その真摯に向き合う。
そう、あの、は?ってなっても、はいはい、わかりました、もういいですよ、バチャン、みたいな感じじゃなくて、
ああ、そうなんですね、そうなんですねって聞いて申し訳ありません、みたいな気持ちに寄り添って、正しい対応をする、みたいなのをルールに課してたんですよ。
本当にこれは、いや、礼儀正しい人になれたかもしれないけど、特にこう、クレームとかもそうだし、なんか人間関係をバッサリいけない感じだったのよね、すごく。
もう、なんか分かり合えないなーって分かってるのに、なんか対話しなきゃ、みたいな。話せば分かるとは思ってないけど、なんかその話すことを諦めるっていうのは、
そう、不誠実だと思ってて、なんか一生懸命話すことが誠実だと思ってた節がね、あるんですけどこれないですか?結構いる気がすんねんな。
その夫婦関係とかでもそうだったんですけど、壊滅的にあってないのに、あってない箇所があって、それはなんか話せば分かるとか、
そういうことじゃないし、何でしょう?例えばその体力差とか、最近よく喋ってますけど、私は元々その、体力違うな、エネルギーの総量が多分足りなくて、普通の人よりすごい疲れやすいんですよね。
でもこれって、その普通に体力ある人からすると分からないと思うんですよ。ごく普通に1日のこんだけのタスクをこなしても、これぐらいの疲労度って自分の基準しか分からないから、
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私がその半分で疲れてたら、なんで?みたいな。まだこんだけしかしてないのになんで?みたいな。
まあこう、旦那、元旦那ね、こんな感じだったのね。なんでそんなにすぐ疲れるの?とか、すぐしんどいしんどい言うやんみたいな感じで、全然分かってもらえないんですけど、ここをなんか対話で解決とかじゃないというか、なんか
そもそも私がその体力がないか、あるかないかとかって、そもそも別に目に見えるものじゃないから分からないのよね。話し方工夫するとか、伝え方工夫するけど、
なんか伝わらないなとか、あいつには分からんなって諦めても別によかったんですけど、なんかそこに諦めるっていうコマンドを消し去るんですよ。この誠実であらねばっていう呪い。
誠実の呪いは、その私の中の諦めるコマンドをことごとく消していくから、なんかマジでネバーギブアップみたいな訳分からへん、なんかドMマインドみたいなのを構築していくんですよね。
いや、役に立つことはありましたよ。諦めないっていう、何においてもね、なんか物事に対してもそうですよ。私もプログラミング独学で習得してきて、仕事にできてるんですけど、
ここも、なんか諦められない。諦めちゃダメ。その私にいくらセンスがなくても、私がいくらアホだも、ちゃんと向き合ってきたのか、みたいな声が自分の中でするのね。私はちゃんと正当に努力してきたのか、みたいな。
これってなんか客観的な正しさみたいなジャッジでしかなかったんですよ。ありませんか?ない?悪くない?
よく、結構普通にみんななんか、このテンションちゃうん?って気がしたんですけど、もうどうにもこうにも結構苦しんできて、でね、やっとここ、ほんま半年ちゃうな、いや2ヶ月ぐらい?3ヶ月ぐらいかな?
2ヶ月やわ。2ヶ月ぐらいで、私自分の感情に全然寄り添って生きてないやんってことに気づいたんですよ。
そんなことあるって感じやけど、そんなことあったんですよ。私なんか、自分の嬉しいとか嫌やなーとか、これ嫌いやなーとか、なんとなくこういうのは苦しい、
同じこと言ってる?寂しいとか、あと何があんの?不安だとか言う自分の感情ってものに全く寄り添ってなくて、さっきのその誠実の呪いとかをかぶせて、
なんか、その逃げであると、そのネガティブな気持ちとか。楽しくないなーとか、やりたくないなーとかは逃げである。
客観的に見て正しくないから、なんかそんなの許されないみたいな感じで努力しなさい。逃げるな、向き合え、みたいななんか超厳しいんです。ドMマインドですよ。
だったんですけど、ちょっとずつその自分の気持ちっていうものに気づいて、そんなことあるって感じやけど、やっと私自分の気持ち無視して、
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なんか抑え込んで、抑圧して生きてきてたんや、みたいな。自分の気持ちを感じることが怖くて、無きものにしてきた。
コントロールしようとしてたんですけど、私の感情コントロール間違ってて、抑圧だったんでしょ、ただの。コントロールでもなんでもなくて、不安だーってなったら、
本当は寄り添って慰めていけばよかったんですけど、不安じゃない、みたいな感じで。なんで不安なの?みたいな。だってこれこれこうでこうでこうじゃん、みたいな。全然不安なんかじゃない、みたいな。
黙ってやれ、みたいな感じの鬼教官みたいな自分がいたから、その感情を感じても無駄というかしんどいだけだから、感じないように感じないように自分のことを調教して生きてきたみたいだったんですよね。
でもやっぱり不具合が生じますからね、こういうことしてると。おかしいなおかしいなってなって、あ、私感情を無視してた、気づいて、寄り添っていく活動を、
はじめは結構、なんかすごい大行な作業でしたけど、最近はもうさすがにナチュラルに、あ、こんな風に思ってるなー、そっかー、ぐらいで、へー、嫌なんだー、みたいな。疲れたかー、ぐらいになってきたらさ、
だんだんさ、この誠実なあらねばっていうのが浮いてきたんですよ。そうそう、こんな風にね、なんか呪いっていうのはミルフィーユだから、1個解くと1個ね、ほころびが、その下にあるやつがほころびが生じてくるんですよね。
で、終わってなってきて、なんか、人間関係なかな、この人といてもあんまり楽しくないなーってことに気づいたときに、今までだと、でも、なんか、誠実であらねばってなって、なんかちゃんと分かり合うように私は努力したのか、みたいな、伝える努力をしたのかとか、相手がその変わらないだろうとか、私も変わらないだろうってアクセスは諦めずに、なんか、
いや、ちゃんとぶつかり合ったのかとか、わけわかんないですよね。迷惑すぎますよね、そのマインド。なんか、そんな感じだったことに気づいて、いや、
なんか、もっともっとシンプルに、単純にこの人、面白くないで良くないかってなったときに、誠実、
面白くないで良いんじゃない?っていう自分の声がある一方で、でもそれって誠実じゃなくない?っていう声に気づいたのね、自分の中に。
で、対立要素として出てきているから、そういうのってすごい良いのね、私に言わせると。自己一致するヒントというか、
思んないからもう関係終わらせた一方で、でも誠実でありたい。これがなんか、言葉だけで聞くとね、全然なんか対立しているように見えないけど、その中で対立してたから、
もうじゃあ誠実って何ですか?って掘り下げていくのよね。ってなったときに、誠実って何やろう?ってなった瞬間に、なんか、本当に無意識からなんですけど、
自分に素直であることって言葉が出てきたんですよ。 あっ、
そうなん?ってなって、その瞬間、なんか呪いがブワーッと溶けてきて、今まで誠実っていうのは客観的に正しい行いをしているかどうかっていう基準だったけど、
今言葉に出てきたのは、自分に嘘をつかないこと、自分の心に正直であることが真の誠実であると。だからNOなら、他人に対してNOであれば、
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NOっていうことが私にとっての、私への誠実であるし、相手にも誠実じゃないかって思って、その通りやがなと思って、終わりましたっていう話なんですけど。
いや、これ結構革命でございましたよ、私的には。どうですか?誠実って言葉、そもそも重要視しているかどうかにもよると思うんですけど、きっとこの、なんかすごいしょっちゅう出てくる単語みたいな、
なかなか引っ掛けにくいと思うんですけどね、なんか意思決定するときに大事にしている言葉、やたらと口にしている、頭の中でよく出てくる言葉、きっとね、あると思うんですよ。
いや気づけないと思うけど、まず気づいたらめっちゃチャンスだと思うんですけど、そしたらぜひ思い出して再定義してもらうのいいかも。それって何?どういう状態のことっていうのを、もしかしたら再定義してもいいかも。
私のこの誠実ってね、たぶん中学生ぐらいの時に作ったんですよ。なんか、その逃げたいお年頃じゃないですか。でもあの時期って戦わなきゃいけないのよね。
社会に自分を適応させていくじゃなくて、社会っての、なんかね、社会を理解する時期なんですよね。もうそれは発達段階として、そういう時期というか、
抑圧してグヌグヌっていう、このかがむ、ジャンプするためにちょっとしゃがむ時期というか、だから抑圧は仕方ない時期なんですけど、その時に作ったルールを、私はもう子供生まれ母親になってもまだ握りしめていたと。
合わないんですよね。服のサイズがちっちゃいだけというか。だからその度に、あれ私今身長何センチ?って言って服のサイズ、もうSサイズはちっちゃいか?って着替えたらいいだけの話だから、別にそんな何かおかしな話ではないんですけど、なんせその服だったらさ苦しいなとか、
苦しいも気づくし見た目にもおかしいからわかるけど、その単語の定義とか自分のルールの定義って目に見えないし、無意識で使う尺度だからなかなか気づけないんですけどね。
もし気づけたら、いちいち再定義してみると面白いかもしれません。一体このルールいつ作ったのかな?そのルールって今も使えてる?っていう、ちっちゃくなってない?っていうのを確認するっていうのがいいかもしれません。
でもってあなたにとっての誠実とは何でしょうか?私は自分の心に正直であることって再定義したんですけど、あなたはどうですか?採用できそうならもちろん採用してくれたら嬉しいですし、よかったら教えてください。
これからもこんな感じで自分の中で哲学していったり、気づきをシェアしたりしていきますので、よかったらフォローしてくれると嬉しいです。
ネタもお待ちしておりますので、ご相談ご質問ありましたらお送りください。最後までご視聴くださりありがとうございました。じゃあまたね。
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