00:05
こんにちは、みおです。このラジオは、自分を犠牲にしない暮らしや子育てを元に、
アダルトチルドレンの私が好きだと思える1日を積み重ねるための考え方や生き方をお話ししています。
今日は水曜日ですね。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今日は、好きでも嫌いでもない感情というテーマで話をしたいと思います。
先週の223回目、時間が解決することもある、の回で、
青木さやかさんの母というエッセイの感想をお話ししました。
そこで、ひろさんからいただいたコメントの中に、
両親と仲が悪いわけではないけれど、好きとか嫌いとか、そういった感情を持ったことがない、という言葉をいただきました。
このコメントを見て、私はすごく新しい発見をしたというか、
自分にはない、そういったフラットな捉え方に救われたような気持ちになりました。
なので、今日はそれについて少し掘り下げて話をしてみたいと思います。
私がそのエッセイを読んだ時に、青木さやかさんがいろいろあったけど、母を好きになれた、というふうに書かれていて、
なんとなく私も、もし時が経っていったら、親に対して好きという感情が湧くものなのかなって、ぼんやり思ったんですね。
それは子供の頃、やっぱり親に対して好きっていう感情が当たり前にあったから、
だからそこに戻るっていうようなイメージを私は持ってて、
関係がこれから良くなるとしたら、それは私からしたら、親を好きになることだ、
っていうゴールみたいなものを設定していたような気がします。
100%好きにならなかったとしても、
そうだな、例えば今が100%嫌いだったとしたら、
そこから好き40、嫌い60とか、そういった好きの割合が少しずつ増えていくようなイメージを持っていたんですよね。
03:07
ヒロさんは親子関係に悩んでいるだとか、ダルトチルドレンであるというわけじゃないと思うんですけど、
だからこそその言葉が私には響いたんだと思います。
好きとか嫌いとかに捕らわれていないっていうところに、目から鱗だったというか、
そういった考えを持っている人がいるんだっていうところは、すごく私の安心感みたいなのに繋がったんですね。
考えてみると、同僚とか友達にはこういう感情ってあるなって思います。
特に好きというわけではないけど、でも嫌いでもなくて、
ただ普通に淡々と付き合える人。 私にもそういう人っていたなぁと思って、
だから親だからっていうふうに特別に思っていたのかなって。
これも多分こうするべきっていう思い込みですよね。
別に好きとか嫌いで分けなくても、
どちらかの色で染めようとしなくても、 クリアなままでいいというか
例えばこれから親に対して嫌悪感とかが取れていって、
でももし好きな感情を持てなかったとしても、
それはそれで良くて、 そこで好きになれなかったというふうに自分を責めたりとか、
そういったことはしなくていいのかなとも思えました。
関係を修復するとか、自分がアザルト・チルドレンを克服するってなった時に、
その先にやっぱり親をちょっとでも好きになれるのかなっていうのを、 どうしても設定してしまうというか、考えてしまいがちだったので、
そうでなくてもいいっていうふうに思えるっていうのは、 私の中ではすごく大きなきっかけでした。
気持ちを楽に、 こういった自分の気持ちともこれから向き合っていけるんじゃないかなって思いました。
今回こういった考えるきっかけをくれたヒロさん、 本当にありがとうございます。
本当に経験とか過去とか価値観が違うだけで、こんなにも考えさせられたりとか、
06:04
気づきをもらったりとか、励まされたりとか、 なんかそういう
ことってすごくやっぱり大きくて、 私もそれに助けられている部分ってすごくいっぱいあるなぁと、
今回改めて思いました。 何か皆さんの中でも参考にしていただけたら嬉しいなと思います。
では今日はこれで終わりにします。 いつも聞いていただいてありがとうございます。
皆さんも今日もいい1日をお過ごしください。 またね!