1. みんラボ 〜みんなの才能研究所〜
  2. #015 前編|才能リテラシーを..
2021-10-22 37:32

#015 前編|才能リテラシーを高める意義とは?【みんなの才能研究所|みんラボ】

■今回の内容【毎週金曜日/朝5時放送】

才能リテラシーを高めるそもそもの意義とは何なのか? それは本当に世の中に必要なのか?クリティカルな視点で改めて考えていきます。
才能を研究し人生を模索する才能博士たかちん、株式会社COTEN深井龍之介、よっしーこと中村義之の3人がお送りします。  


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00:09
異色な3人が才能について語り合うラジオ 〜みんなの才能研究所 〜みんラボ 始まりました。よろしくお願いします。
パーソナリティの才能博士高千です。 同じくパーソナリティの古典の深井です。 パーソナリティのヨッシーでーす。
お願いします。 ということですね、今日の本題は、その才能リテラシーを世の中にもっともっと高める活動をしていきたいということは、
ミッションビジョンバリューのところで伝えているんだけど、そもそも才能リテラシーを高める意義って何なんだろうみたいなところを、
今日は3人で話していきたいなと思ってて。 いいねー。 そもそも論好きだよ。
世の中に本当に必要なの?っていう観点と、今この現在だから必要なのか、過去からもっともっと問題視されてきた問題だったのか、
そういったところを3人の全然違う視点から、ちょっと深掘っていきたいなと思って。 健全だね。
なんかさ、自己否定を内在できる人って健全だと思うんだよね。 人も組織も。
俺たちこれやってる意味ってあるんだっけみたいなことを問える人たちって、健全やと思う、めっちゃ。
たしかにね。もしかしたらさ、この才能研究が行き着く先には、才能って外だねってなるかもしれなくて。
そういう時代がかつてあったかもしれないよ、どっかの国のどっかの時代で。 もしかしたら。
才能っていう概念があんまりないよね、でもやっぱね、元々ね。
その概念がないよねっていうのはどういうところからそう感じるの?
ちょっと簡単に言おうとするとどうできるかちょっと想像すると、
我々は一人一人が能力を持った人間であるという前提で生きているじゃん。
そうじゃない時代がとても長かったので、
その究極言ってたら貴族じゃない奴って頭悪いよねとか思ってる時代があるわけだから、
超簡単に言うとね、本当そんなにシンプルじゃないんだけど、
この人貴族じゃないから頭悪いねとか、この人この地筋じゃないからこうだねみたいな、
なんかそういう時代じゃなくなってきたっていうのはまず一つ前提条件として必要だったと思うんだよね。
こうやって才能について議論するみたいな前提として、
自分の才能について考えるという前提として、
分からないと思ってるわけじゃん。我々は自分の才能が。
けどあるはずだと思ってるわけじゃん。と思ってなかったよね。
分かってるしないと思ってたりしてるわけだから。
そっかそっか、私たちは平民であるって言って、
凡人であるって思ったのか。
確かにね、自分たちなんかっていうセリフっていうか、
もはや諦めでもなく概念としてそういうものが存在してなかったんだよね。
あと諦めもあったと思う。今でもあると思う。
それは自分はあの人たちと違ってっていうのはあると思うんだけど、
そういう人たちの数が減ってきてるっていう。
昔はもう社会制度上そういうふうな思考に持っていかれてたんだけど、
03:01
今もそうなんだけど、だいぶそうじゃない感じになってきたよね。
ちょっと話すと長くなっちゃうよね、こういうのもね。
一つ一つが本当に長くなっちゃう。
いやでも才能リタラシーと関連してくるんじゃない?それは。
俺はすごいすると思う。
才能を発揮してもらわない方が統治しやすい時代があったんだと思うんだよね、たぶん。
あったね。
才能リタラシー、いや持ってくれるなみたいな。
教育施さん方が納めやすいわみたいな時代って絶対あったはずじゃん。
あと才能としてカウントされるものが限定的であるということもやっぱり今までの系譜というか、今まではそうだったよね。
例えば戦争に強いとかね。
なんかそういう、その社会で役に立つことが才能としてカウントされるけど、
その役に立たないことを才能としてはカウントされないっていうことが、
多分コミュニケーションが苦手だとかいうのも、本当は一つの特性だから才能じゃん。
そういうのが才能として認知されないという時代もとても長かったし、たぶん今でもそうだよね。
そういう意味でも俺はリタラシーってすごい大事だなと思う。
なんかいろいろ飛躍があるんだけど、今の話の中には。
いやでもあるよ、なんかさ俺も最近、今でもね、いろんなタイプの人たちとの付き合いを続けているんだけど、
どんな人でも面白いというかユニークだと思って結構楽しいから一緒にいて。
でもねめちゃめちゃ体育会系だなとか、めちゃめちゃもうこれは絶対もう統治してる王様企業だなみたいなところの社長さんとかとこの前つい先日話したんだけど、
いやーなんかある意味やっぱすごいよね。
そうだよね。
なんかもう目つきがこんな感じなんだ。
大丈夫です、伝わんないから。
伝わんない。
もう眉をひそめて目はっきりしてて、私はこうである、世界はこうなるべきだ、みたいなもうすっごい確立してて。
で、なんかその組織に対しての問題とかなんかあるんですかって言ったら、いや全く問題ありません、こういう風にすれば絶対うまくいくんでみたいな。
だから自己否定が内在化されてない。
内在化されてない。でもそれもさ一つのさマネジメント手法でも成り立ってるじゃん実際。
そうだね。
逆になんか考える余地が逆にじゃあスタッフたちとか社員さんはないんだけど、逆にそれが気持ちいいっていうか楽っていう状態もあるじゃん実際。
もう言われた通りやってた方が楽っすとかっていう人もいる社会があるじゃん。
それもそれでなんか俺は別に悪じゃないかなと思ってて、あとは最終的にそれがなんか心理的負荷がめっちゃかかってるみたいな状態だとその人の才能殺してるから、やめた方がいいんじゃないとは思うんだけどね。
まだまだこの現代でもいろんなタイプの思想があるなって結構すごい一番考えてる時代なんじゃないかなと思うそれを。
そうだね。
迷ってんじゃないかなみんな。なんか俺はさ最近ちょっと思った、タカチンと話してって思ったことなのかなちょっと忘れたけど、思ったことがあって。
ちょっとあの前置きすると結構さ論理的なタイプだから、社会的に何が正しいかみたいなのってわかんないなと思ってたんだよねずっと。
つまりその今いいとされているものが100年後悪いってなってるかもしれないし、何でもそうだなと思ってて、正しいことなんてないなと思ってたよずっと。
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最近ちょっと思ってるのは個性を発揮してそれを社会の中で生かしていくということは実は絶対的善なんじゃないかなと思ってるんだよね。
要はどんな環境が変わって状況と前提条件とかを全部どうやったってそれは確実に良いことになるんじゃないかなっていう意味ね。
なんかそれを最近ちょっと考えてる。そこのさ思想に至った経緯とかちょっと俺に話してくれたけどさ、またもう1回ちょっと厳酷化すると、何とかの自由論ってやつ読んでる時に気づいたんだよねそれ。
だったっけ。記憶力がない。
そうだったんだ。
ちょっと質問していい?それについて。善とは。
そう、善とは何かっていうのがあるじゃん。今自分が定義したのは社会的善っていう定義の仕方をしたんだよね。
だからその当該社会にその時のその社会を前に進めると思う。善かどうかってさ、分かんないじゃん。もう究極。
究極ね、分かんない。
究極分からないよね。例えば貧困救おうとして貧困救ってるってすごくよく見えるんだけれども、その反作用として何が起こるかって分からないじゃんか。
だからそれが絶対的善かっていうのは結果論からしても実は分からないんじゃないかっていうのは元々歴史を勉強した自分が持ってた仮説だったんだけれども
その突き詰めていった時にその人間が今みたいなちょっと変なこと言うけどまたこのメンバーだからね、おってこと全部言うけど
そのそういうことを突き詰めて考えていった時に何が善で何が善ではないのかっていうことを突き詰めていって考えた時に
まず絶対にその我々の意思で変えれないものっていうのは僕たちのDNAなんだよねまず。
このように作られているっていうことは不可侵なわけ。だから例えば人の役に立ちたいと人間が思うように作られているとかですね
そういうのは基本設計として入ってるんだと。これがいいかどうか分からないんだけれども
人間がそのように作られている以上はそれに沿って生きるしかないよねとまず思ってるわけ。
二足歩行で生まれているのに四足歩行するわけにはいかないと思ってるわけよ。これはある意味善として捉えてもおかしくないよね。
そのようにそうしかないわけだから。そういうふうにした時に人間の社会の中の社会的善っていうのが何かって考えた時にね
どうなるか分からないんだけれどもその変遷をしていると人間の社会というのはどんどんどんどん
一応過去の系譜を踏まえているっていうのが僕が解釈している社会のその良くなっているかどうかは分からないように見えるんだけれども
過去を踏まえた新しい社会になってるんだよねやっぱり。過去がない限りこうなってないという社会になっていると。
であればこの社会が進むスピードを上げるということはおそらく絶対的善悩社会的には。そういう方向性しか存在しないからってことね。
09:07
それしかやることがないからつまり。そうするとその社会を何らかの形で前に進めるというのは絶対的善であろうと思うんだけれども
それに重要な因子が個性の発揮じゃないかと思ってるよね。これから先の社会ね。社会が先に進むんじゃないかと思ってるわけ。個性を発揮すると。
それは10年後にとても僕たちは苦労しているかもしれないしみんなが嫌な思いをしているかもしれない。
ただ先にはその過去を踏まえた上で先に進んだ社会だからその後またもっといろんなことが解決された社会が来るかもしれないし来ないかもしれないんだけど。
でも系譜を踏まえているからある意味成長として捉えている。自分は。理屈っぽいんだからすごい。人の役に立ってるからいいよねとか思えないんだよね。
そうそうそう人の役に立っているからいいよねって思えないって言葉本当に俺もその通りだなと思って。一個その前にちょっと問いとして社会が進むっていうのはどういう感じなの。
進むっていうのはそのさっき言った過去を踏まえて違うステージに突入するという。
そのことを。
そうそれは人によっては退化しているという人もたくさんいるし変わってないという人もたくさんいるけど一応歴史を勉強している限りでは今ある社会制度とか社会の状況とか我々のこの心境というのは過去のあの現象が起こらない限りこうはならなかったなってやっぱり思うわけ。
ということはやっぱりそのある意味人生を経てるということだよね。社会は社会という人生を経て今の現時点にいると。
でこれが俺からするともう進んでいる方向性ってある程度決まってんだよねやっぱ。その社会が思考している方向性っていうのがあって。
それがいきなり改変したりみたいなことってよほどのことが起こらない限りならない。
しその方向にいろんな3歩進んで2歩下がる感じで進んでいってるわけやっぱり。
それはなんか進化論的イメージなのかな。マルクスのなんか社会の捉え方の。
いやあの進化論とは僕はちょっと違うと思って。あと進歩主義とも違うと思ったのよ。
進歩主義っていうのはやっぱりすごく啓蒙思想的だなと思ってて。
確立的だよね。
そう右肩上がり的な発想してるんだけどそうではなくて過去を踏まえてそれを包含した新しい自分になるという。
社会がそういう成長しているっていう意味なんだよね。
それは一つの尺度で良い悪いみたいなことを判断はできない。ただ包含している。
社会が一つの主体として経験の連続性を確認しながら都度都度意思決定をしていると。
そうだね。確認したりしなかったり。意識的に確認したり意識的には確認できてなかったりするんだけれども。
我々は2000年前の影響をちゃんと受けている。意識しなくても。
であるからやっぱり過去のもの蓄積というものは我々すべてに影響を与えているんだけれども。
ということはベクトルが存在するということでそのように社会が進んでいるということだよね。
連続性があるということね。
連続性があるということだよね。この連続性はやっぱりその方向性があるんだよね。やっぱりその社会。
12:03
時々によってそのベクトルの向いているその角度が違うんだけれども。
例えば今の社会とかっていうのも環境問題の話があったりだとか、その多様性とか個性を尊重するみたいな流れがあったりだとかっていう流れがあるじゃん。
大多数の。この流れに進もうとするみたいなやっぱりその社会社会にあるよね。
時代時代にといった方がわかりやすいね。時代時代にありますと。
これがどういう帰結をするかっていうのは最後終わるまでわかりません。
要は人間が死ぬまでこの経験がいい経験だったかどうかってのはわからないわけじゃん。
わからないんだけれども、経験をするってことはいいことだよねって言ってるってことになるね。
それをいろんな経験をするっていうことはいいことだよねって言ってる。
それが社会が進むのを早めるということはいいことだよねって言ってることと同じ意味になる。
もうどっちに向かおうとしてるかってことは言って決まってるわけだから。
何が起こるにしてもそういう方向性を加速させるっていうのは比較的いいことなんではないかと思ってるんだよね。
本当だね。
それは個性に、これから先の時代は個性につかさどられている感覚があって。
それってさ、なんか今聞いてて思ったんだけど、その才能を使うとなぜ社会が良くなるのかっていうのは才能論の視点から解説ができるのね。
本当?なんで?超聞きたい。
なぜかっていうと、その才能っていうのはPGCを回さなければ気づけないし、生かされないって思っていて。
で、よくその才能っていうのはさ、欲求の方向にやられるってずっと言ってるけどさ、
じゃあなんか怠惰な欲求とか中毒性の欲求の方向に才能って発揮されるのかって話をすると、ポイントでは発揮されるのね。
絶対悪いことしてやるぞとか思って、その過程で自分の才能を発揮するってことはポイントではできるんだけど、
才能を育てるとか才能をちゃんと自分の中で消化させていくってことには繋がらないっていう理論があって、
それは才能を生かすための9ステップっていうのをちょっと今考えているのね。
9ステップ?
そう、9ステップちょっとあるかなと思っていて、1個目がなんかその自分の感情に真摯に向き合って素直になれるっていう状態をまず作ると。
そうすると自分の欲求に対して気づく力が養われるみたいな。
まあ身体感覚にちゃんと素直になれると欲求わかるよっていうのと一緒なんだけど、
そうだね、なるほどね。
その次にその欲求に対しての目的がわかるようになってくるのね。
なんで私はこんな欲求を抱えているのかなみたいな。
なんで私はこんな欲求を抱えているのかなっていうのに対して才能を使ってみるじゃん。
そうすると疲れたな疲れてないなちゃんとした才能かどうかがまずわかるんだよね。
そうしてくるうちにだんだんとやっていくうちに世の中からフィードバックが来るわけ。
この世の中からフィードバックが来るっていう6個目のステップの時に悪いことに対して才能が生かされているものって才能が続かないんだよね。
なるほど。
その人否定されていくし捕まるかずっと罪悪感を与えるか、もちろん今現状まだ詐欺師とか犯罪者とかいるんだけど、
でもどんどん淘汰されていくわけじゃん何かしらの規制とかでね。
そうだね、リソースが集まらないからねその活動に。
そうそう応援もされないしね。
15:01
そう応援がされないからね。
でいいフィードバックがもらえるとようやく自分はこれが才能なんだって自覚に入るのね。
で、やっぱりこれは違和感ないのとなった瞬間にまた次に自分の感情に素直になれるっていうループに戻るんだけど、
結果的に自分の感情に素直になれていくとどんどんどんどん身体感覚とかその自分の感覚が研ぎ澄まされていくから、
人徳っていう言葉が他の回とかでも出てきたと思うんだけど、その自分の中に人徳が養われてきてて、
リウノスカよく自我の拡張って言うけどさ、その自分のためにも社会のためにもなっている状態っていうのがなされてないと才能というのはPDCが回らないよっていうのが、
今現時点で俺が持っている理論なんだよね。だから社会って前進するんじゃないっていうのは一つとしてはある。
ちょっと社会のその進み方の前提は違うけど、社会が良くなるっていう考え方は結構才能に基づいてあるんじゃないかなと思った。
これ俺ばっか喋っちゃうけど。
喋ってよ。
ちょっとまた観点違う話しちゃうけど、才能を活かせる人の数が時代を経って増えてきてるんだよね。明確に。明確な現象なんだよね。
へえ、面白いねそれは。
絶対量が増えてる。絶対量というかパーセンテージが増えてる。
昔とかだと、どうしても貴族とか知識人で位置づけられた人とか、その一部の人たちしか才能を求められないし発揮できる環境にないっていう状態にあって、
その人たちは頑張って才能を発揮させようとしたりだとかするんだけれども、ごく一部だからそのムーブメントとしてはちっちゃいんだよねやっぱり。
で、現代ってやっぱりそれが同時多発的に多くの人たちが求める時代に本当にここ10年ぐらいでめちゃくちゃ加速してきてる感覚があって、
そこもすごい個性を生かすことが社会禅であるということに対して影響しているなと思ってる。そういう前提条件も揃ってきてる。
なるほどね。
これがやっぱり1500年前だとごく一部の人に対してしか機能しない。それもでも社会禅なんだけど、その人たちに機能したら社会が先に進むからね。
だけど今は本当に全体的にそうなってるから、だからミンラボみたいなのを作れるよなと思ってる。
まあそうだよね。今の時代だからだよね、本当に。
うん。
しかしなんか俺はもうこれ本当に2年前とか難しかったなって感覚もあるし、なおさらもっていうと。
そうなんだよね。だから本当に現在が才能とかもそうだけど個性とか才能にフォーカスし始めて、それを生かすことを良しとするということが大多数になってくるっていう時代になってきたなと思ってるので。
いや本当にそうなんだよ。だからなんか正直タレントマネジメントとかって言葉がさ結構先行してはいるんだけどさ、なんかあれって結構スキルマネジメントが多くて。
でもマネージメントじゃないんだよね、やっぱり。
そうだね、確かにマネージメントじゃないよね。
タレントマネジメントっていう考え方もすごく前時代的だと思うんだよね。やっぱりマネージメントっていう言葉がコントロールできると思ってるじゃん。
そうそうそう。
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コントロールできないんだよ、たぶん。我々の才能って。
できないできない。だからね、もう究極自分の理想像に当てはめて導こうとかしちゃいけなくて。
だと思う。
自然現象に任せるしかないんだよね。
生まれたようにあるものだから、それをどうするかって。だから実はベクトルって決められちゃってんだよね、最初にDNAに。
だから絶対前だと思ってるんだよね、それが。
確かに確かに。
逆らう意味がないというか、逆らうのが全部バッドになりうるじゃん、そうすると。だってそうやって作られたわけだから。
存在否定になっちゃうよね。
存在を肯定すると、おのずとやっぱり個性を肯定することになるんだよね、やっぱ。
間違いない間違いない。なんか子育てと似てるね。
似てるかもしれない。
どうだろう?俺ばっか喋ってるけど大丈夫かい?
ね。
よし、なんか気づいたこととかある?なんか。
よし いやでもなんか、生きる目的なのかなって思うけどね。生まれてきた意味だったり、なんかこう、生まれてきたからにはみたいな。
うん。
よし そういう感じなことを言いたいのかなって思いながら聞いてたけど。
うんうんうんうん。
よし 自分の子供にもそうありたいしね。自分もそうありたいしね。
いやそうありたいよね。
そうだよね。
なんか究極の法輪主義ってそういう、なんか才能を信じてあげることなんじゃないかなって思ったりするけどね。
そうだよね。
うん。なんかこう、才能の話をするときに、やっぱその社会的に生きるか生きないかってのもあるじゃん。
うん。
要は社会にとって意味のない才能も確かにあると思うんだよね、俺。
うん。
なんかそれとかってどう考える?社会に意味がないことってほぼないなと思ってて。
ああ。
間接的に確実に何かの意味が出るって考えてるとか。
そう、まあもちろんお金が返ってこないから生きていけないとかそういうのももちろんあるんだけど、
でもさっき言った犯罪とかそういうのじゃない限りは、どんなことも良くなってるはず。
なるほどね。
でもそれをよく影響を与えやすいのは発動条件だよっていう考え方かな。
なるほどなるほど。
うん。全部意味ある。
まあ確かにでもそうかもね。
うん。なんか適切な場所とか適切なものに提供できてないっていうのもあるし、
あと自分の才能に自信を持ってないから、なんか私なんかとかって言ってやらないんだよね。
なんか龍之介さんに比べてとかっていう風に例えばなっちゃったりすると、
それってなんかその人の個性が発揮されないから。
才能っていうのは相対的じゃなくて絶対的だよって言い続けてるのはそれが理由なんだけど、
あなた自身の中で一番なんか才能だなって思うものを社会になんかこう出していくと、
それが発動条件が満たされているとめちゃめちゃ何かしらには役に立っているかなと思ってる。
龍之介が言うようにDNAに組み込まれているものだとしたら意味のないものはなさそうな気がするけどね。
DNAに組み込まれていて、社会的に良しとされている領域で機能しないものはあるよね。
けど社会に意味があるっていう話だったよね今のは。
まあそれも時代によって変わるものかもしれないし。
変わる変わる。もうだってね、俺らほら例えばだけど戦争に強くてもそんなに役立たないじゃん今、戦争してないから。
21:03
昔だったら戦争に強い人めちゃくちゃ持ってはやされるからね。中世とかね、古代とかだったら。
それで言うとさ、昔その個性が発揮されなかった理由ってさ、あれだと思うんだよね、単一的だったっていうのかな。
なんかあんま複雑じゃなかったと思ってない?社会構造自体が。
社会構造複雑じゃないし、やっぱ評価されるその領域がすごく単一的だった。
それが多様化しているし、我々の活動自体がとても多様化している資本主義のおかげで。
確かになんか個人で開業が簡単にできるような時代にもなってきてるしさ。
そうだね。
自分の領域を発揮しやすいし、職も辞めやすいし、自由だよね。
まだテクノロジーの発達もあると思うけどね。
そうだよね、それもあるよね。
いやこれもう人間が選んで永遠ってなった時に、じゃあ俺たち何するんだっけみたいな。
人間にしかできないことみたいな話が議論されてるのって本当にこの時代ぐらいなんだよね。
確かに。なんか本当にテクノロジーって言葉がまさしくだなと思って、テクノロジーがなかったら俺も自分の才能を発揮できてなかったな。
そうだよね。
なんか拡張してくれてるんだよね、テクノロジーって自分も。
そうだね。
特にグーグルなんかがなかったら、もう頭悪かったら負けるじゃん。
でもグーグル先生のおかげで頭悪くてもテレビ会議しながらグーグルで調べながら会話についていけちゃうわけじゃん。
そうだよね。
逆に言うと暗記が才能だった人は別の才能を探さなきゃいけなくなる。
そうだよね、あと計算が早い人とかね。だってExcelできる前とかさ、会社の計算全部マジで電卓とかでやってんだよ。
そうだよね。
電卓できる前って全部あれだよ、筆算というか手書きだよ。あとソロ版とかだよね、ソロ版だよ。
あとさ、スーパーの零時打ちバリバリ早い店員さん。あれも無人店舗とかになったらもうあんまり意味なくなるし。
そうだよね、別のところで発揮した方が良くなるよね。
あれに択えつけること自体はすげえことだと思うけど。
だからそれが何の才能からそれができるようになってるかっていうのも多分あるんだろうね。
それは絶対あるね。
超個別的才能ってあんまりないのかもね。
確かに、もっとコアになるものがあるよね絶対に。
そうだよね、あるある。それは結構共通項であって、その才能のものが経験として積み重なっていくと俺は強みってものになるんじゃないかなと思ってるんだけど。
うん、確かに。才能がコアで強みが減少で。
減少だよね。だから零時打ちができるという強みがある人は、もともと例えば何でも改善したいと思うっていう才能があったのかもしれないし、効率化したいっていう思いが強いっていう才能があったのかもしれないっていう意味だよね。
そうそうそう。しかも強みって他人がいるから成り立っているのかなと思ってて。なんか強いと強弱があるじゃん。比較してるからこれはなんか相対的なのかなと思ったりしてるんだけどね。
うんうん。
そのチームの中で強いよねって。でも訓練されなきゃそんなになんないからね。
あるね。
なんだろうね、零時打ちができるよう上手くなった人の才能とかね。
いや、インプットとアウトプットの連続性が早いとかね。
ああそうだよね。あと単純に手が器用とかっていう方の手もあるよね。
あるだろうね。
24:00
あと折角とかもあるかもしれないからね。
ああそっかそっか。
あと効率化したいっていう欲求がそもそもそれを生んでるよね。
ああもう絶対ある。
だからやっぱ欲求だね。その欲求っていうのが先にあってタカチンがよく言ってる。それが才能と表裏一体になってて。
あ、そうそうそうなんだよね。だから結局なんかうまく才能が輝いてない人ってその欲求に対して適切な自分の良さを活用できてないんだよね。
とかあと欲求を自覚的に理解してないとか塞いじゃってるっていう状態だよね。あ、そうそうそうそう。
あと今の話で思ったのは、今の話で井上之介の話って言ったことが繋がるわ俺。
うん。
その社会が前に進むっていうのは人間のあらゆる欲求を満たしていく方向性のことな気がする。
ああだからほんとそうだね。すげえわかりやすい説明。
あの人間の欲求に個々人が忠実になるとエネルギー総量が増えるので社会のベクトルが加速されるっていう話なんだこれ。
うん。
これは絶対前であるっていうのが俺がさっき定義した話だ。
ああ。
でもそれはもう絶対前だね。絶対前だよね。DNAを持って、自分がさ何の欲求を持って何で加速されるかって自分でコントロールできないじゃん。
うん。
まあ持って生まれたものだったりするからね。
そう持って生まれたものだったりするわけじゃん。
そうだね。
いやでもさ本当になんかいいよね。自分の欲求に素直になれちゃったらさ、爆発するもんみんな。
うん。
ワクワクしてならないじゃんもうなんか。もうこれやっていいんですか?みたいな。
うん。
この前のさ長人選手のさ会の時に、どういう時が一番喜びを感じるんですかみたいな時に、いやボールを受け止めた時とかさ。
ああ、すごかったよね。
あれってさ、そんな欲求昔満たせる時代はなかったわけじゃん。
確かにね。
って思うとやっぱああいうスポーツみたいな、楽と言ったらあれだけども、ああいう競技が、で飯食える人が増えてきてるってことも人間が豊かになった証拠だし。
うん。
どうなって初めてボールを受け止めることの欲求が満たされていくみたいな。
うん。じゃあやっぱその社会が向かう方向っていうのはさ、個々人の欲求を満たせるものをさ、用意してあげることが結構いいことかもね。
かつそれは人によってめちゃくちゃ多様だからね。
うん。そうだよね。だからテクノロジーでそういう個々人の欲求を満たせる媒体みたいなものを用意するっていうのもあるだろうし。
うん。
環境を整えるっていうベクトリティか、ハウもあるだろうし。
うん。
本人に自覚的になってもらうようにメタ認知してもらうっていうハウもあるだろうし。
うんうんうん。
いろいろあるだろうね。
あと生存のために活動しなければならない時間が最小化されるほどにその人が持っているそれ以外の欲求に対するリソースが増える。
そうだね。マズロー的にもそうだよね。
うん。
現代がまさにだからそうだよね。生存のために頑張らなくても昔よりはいい時代になってきてる。
うんうん。
そうだね。今でも頑張らないといけないけど昔に比べると。
うん。
まあ一方でね、同じ時代、同じ地球に生きてて生存のために生きなきゃいけない人も多くいるわけだから。
27:02
そうだね。
まあ僕らが生きてる社会が恵まれてるっていう部分もあると思うけど。
先進国においてはあったよね。
うん。
うん。もちろん生きなきゃいけないっていうところにも才能発揮されるんだけどね。
そうだよね。
その大前提だよね。
ハイパーボイルドグルメリポートっていうネットフリックスがあるんだけどさ。
なにそれ。
あの、俺も見たらえぐいんだよ。本当にえぐくて。
その先進国の状況とか、アフリカ兵の子供たちが将来大人になってどうなってるのかとかを、
その職を通してリポートしてくんだけど。
うーん。
これ補足ラジオでね、サポーター向けの補足ラジオでも話したんだけど、女性の女の子の兵隊が最終的に大人になって職を失って、
とりあえず自由にはなったけど、働く場所もなくてどうすればいいんだろうみたいな感じになって、
最終的に売春婦になるんだけど、彼女が売春婦になったのはやっぱり生きたいっていう欲求で、
自分の一番の才能がコミュニケーション能力と自分の美貌だったから、
うん。
そこでもう路上でナンパしてた。
そういう風に見てたんだね、あれをね。
才能観点で見てたんだね。
そうそう、俺毎回そういう才能観点で全ての物語。
もうね、墓地で寝てるんだよ、その子。
ああ、そうそうそうそう。
寝る場所、家がないから墓地で寝てて。
うん。
で、売春婦で得たお金が本当に一食分だけなんだよね。
そうだよね。
カレー一杯分みたいなのを、その一回の売春でそれしか稼げないみたいな。
でもそれも一応才能を活かしてたなと思って。
確かに。
本人結構幸せだって言ってたし、なんか。
そうだね。
うん。
ってかとても素敵な笑顔だったよね。
うん。
まあ俺たちの社会の尺度で測っちゃダメなものだよね。
そうだね。
うん。
まあそれをどう感じるか自体は個人の自由ではあるけれどもね。
ちなみに俺、そのハイパーボイルとグルメリポートを見た瞬間に欲求が必要なんだって理解した。
なるほどね。
そこで欲求というものを発見したんだけど。
ああ。
ハイパーハードボイルドグルメリポートだよ。
ああそっか間違えた。
ああでもなんかさ、俺今の話聞いて思ったんだけどさ、欲求の満たし方ってあるなって思った。
うん。
一つのやはり生存欲求って、それがベースになると他の欲求が満たされないものじゃん。
うん。
一つの欲求を満たすことで満たされることができない欲求があるっていうのは、やっぱり多くの人に体験してほしくないことだなって。
もう一回言ってもう一回言って。一つの?
この欲求を満たすことで、この欲求は捨てなきゃいけないっていうトレードオフなものはあると思うんだよね。
はいはい。
その手段の取り方によっては。
うん。
で、それは多くの人にとって体験してほしくないなって俺は思った。
うん。
でもう一つは、欲求と欲求がトレードオフになるケースもあるけど、欲求とその人の尊厳がトレードオフになるケースもあると思う。
そうだよね、だから今の話を聞いて思ったのは、その欲求ももう少し分類をして、輝ける欲求とそうでないものもある気がする、確かに。
欲求と呼ばれて一般的に解釈されるものの中で、そうではない欲求もある。例えば死ぬほどセックスしたい、誰とでもしたいって思ってたとするじゃん、欲求として。
30:09
じゃあそれは満たしたら輝くのかとか、社会は先に進むのかって話になってくるよね。
だからそういうものとそうじゃないものってどういうふうに分けて考えるといいんだろうっていうのも、結構ちゃんと考える必要があるなと思ってる。
そうだね、それがさっきのPDCAかなと思ってて、評価されてるかどうかなんだよね、結果的に社会として。評価って難しいけど、社会に応援されるかどうかってことね。
そうそうそう。
うん。
だから、あと中毒欲求って自分の体を害する可能性がやっぱり非常に高くて、ジャンクフードひたすら食いたいとかさ。
そうだよね。麻薬とかもそうだよね。だから麻薬、覚醒剤打って、また次も覚醒剤打ちたいっていうのも欲求なわけじゃん。
あ、そうそうそうそう。
それを満たすのが個性の発揮かって言ったらそうじゃないもんね。
そう、なんか実際セロトニンとかドーパミンが出るのって、最終的に行き着くのってドラッグとかになっちゃうから、幸せを求めすぎると最終的にそこに行き着いちゃうよみたいな究極論もあるんだけど、
そういうのも何ていうのかな、欲求の一部じゃん。じゃあそれが本当に社会的に応援されることなのかなみたいな。
ああ、なんかね、俺社会的評価も測り得る基準の一つとして分かりやすいからいいと思うけど、やっぱりね、なんか吉橋の判断?
善なるものかどうかの総量を測る上では、その欲求を満たすその手段を取ることがその人の他の欲求をできる限りトレードオフにさせてないかどうかな気がするね。
そのドラッグ売っちゃったら、その欲求は満たされるかもしれないけど、他の結構多くのものを捨てなきゃいけなかったりするじゃん。
そうだね。
それはジャンクフードもそうだし。
全く同じことを古代ギリシャ人が言ってるよ。
そうなんだ。
全く同じ考え方してる、古代ギリシャ人が。
だから満たされ続ける連続性があるのかっていうことが大事な気がするな。
これでもめっちゃむずいなと思ったのが、じゃあなんか例えばだけど、すぐには転職活動ができないと。
でもこの会社辞めたいみたいな。
戦ってるわけじゃん、その欲求を満たすと生活がすべて崩れて、でもそれもでもあれか、他の欲求がダメになっちゃうからダメっていうルールになるのか。
それはね、不安から来てるからだね。
不安から来てるからか。
不安から来てるから、自分のその欲望の総量を課題に満たされなきゃいけないものだというふうにしてしまう。
お金の不安があるから、そんなに必要なのにもっとお金お金ってなっちゃうみたいな。
だからやっぱり自我の拡張だと思うんだよな、俺は。全然意味わからんと思うけど。
いや、わかるよ。もっと大いなるものの中に自分は存在している、一部の循環の中のパースなんだっていうふうに理解してたら、
そんなにがっつかなくても生きていけるって信じられると思う。
なんとかなるって思えるはずなんだよね。
それを自分とより大きなものの同一視。
33:04
そうだよね。
自我の拡張と呼ぶとすればそういうことだと。
社会とか他社とかだよね。社会とか他社とかと自分というものが包含されていくって、また前回と同じ話してしまうんだけど、
っていう状況から、っていう前提から発する欲求は不安でもないし、
安心感があるからね、そこは。
そう、不安じゃないんだよね。これは自分のためにもなるし、人のためにもなることのはずない、その欲求は。
やっぱり俺が良くないなと思う欲求は、自分のことしか考えてないときってあるじゃん、ほんと。
そうだね。
シンプルに。人の目線で何も見れてないときってあると思うんだけど、
人の目線で何も見れてないときとかの欲求とかって、どんだけ育てていってもあんまりなんか状態改善されなかったり、人から応援されないっていうのはすごく感じるんだよね。
うん、そうだと思うよ。
なんかこう、結構その人の気持ちも感じてて、自分の気持ちも感じてて、っていう精神状態からこういうことやりたいなって思ったことって、やっぱ応援されるなっていう感じがあって、
そういう精神状態から出てくる欲求って何ともコンフリクトしない感覚があるんだよね。
なんかそれがまさにそのヨッシーの言ってる、そのバランスが取れてる欲求ってそういう状態なのかなっていうふうに個人的に定義してて。
いやーわかる。循環の流れを止めないことなんだと思う。
ああ、なるほどね。生物的にもそんな感じだもんね。物理的にもそんな感じだもんね、確かにね。
循環してるっていうことが大事な気がするね。
確かにね。でも確かにヨッシーの基準をもとに欲求を判断すると、ずっとそれだけで考えてれば、後ろのものが書いて何一つないね。
だから僕ね、タカチンがやってることの本当に素晴らしいなって思うのはさ、すごくペイフォワードな感じするんだよね。
そうだね。
俺だけが才能について理解し、俺だけが才能を発揮してみんなを出し抜いてやろうなって一味も感じないじゃん、タカチンから。
そうそうそう、ほんとそうだよね。
だから協力したいなって思うし。
そう、そうだと思う。だからここでもしタカチンが、俺才能わかっててすげえだろって空気出してたら、たぶんこんなに聞いてくんないし。
やっぱここはタカチンが、もうみんなの才能リテラシアが上がったらみんなの人生素敵になるよねって思ってるから、それが伝わるんだよね、やっぱね。
そうそう、伝わる伝わる。
そういう欲求はとてもいい欲求だよね。
確かに。
うん。しかも俺死ぬときは伝えきったなと思ったら死にたいから、伝えきるまで死にたくないもんね。
あとさ、最近さ、やっぱさ、もう私も30もうすぐ終盤でね、いつ死ぬんだろうとか思うわけよ。
早くない?早い早くない?まだ半分も言ってねえから。
でさ、コロナとかパンデミックはこれから起きるわけじゃない。で、寿命を全うできないことになるかもしれない、もしかしたら。
コロナじゃない病気が来たときにソウルインフルエンザの免疫を持ってる可能性なんてわかんないわけだから。
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そうすると人生100年時代であったとしても、もっと早く自分の寿命が来てしまうケースもあるかもしれないとか、まあいろいろ考えてるわけよな。
暇だとそういうこと考えるね。
そういうときにさ、自分は次に何を残せるんだろうってやっぱ考えるじゃんね、世の中に。
で、そう思ったときに、なんか死ぬこと自体が自分の贈り物である死に方っていいよなって思った。
それは、やっぱ死ぬことって、自分の、自分がさ、1980年代に生まれてね、その時代背景の中で培ってきた価値観って、
もうやっぱりどうしてもぬぐいされない。もう、絶対的にゼロにすることはできない。
どんなに時代が変わっていったとしても。
でも自分が死ねば、自分がこの1980年代生まれの自分が囚われていた価値観で囚われる、続ける人は減っていくじゃん。
次の時代の価値観で、ネイティブな人たちがどんどんどんどん死によって代謝されていくじゃん。
うん、そうだね。
それで社会が前に進んでいくとしたら、それはとってもいいことだなって思った。
そうだね。
なんで俺はこの話したんだっけ。なんか忘れたけどなんかそう思った。
究極の全体思考だよね、それね。
で、循環だからね、それもね。
そうだね。なんかさ、ここでさ、結構ぶった切ってしまう問題定義をしたいんだけどさ。
いや、してして。うん。
自己否定が内在されている素子が強い。
ありがとう。
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