00:03
他己紹介したくなる人たちは、この方をぜひ誰かに知ってもらいたい、そんな風に感じさせてくれるゲストを毎回お招きして、お話を聞かせていただく企画です。
お話を楽しんでいただきつつ、話の内容から何かしら考えるきっかけにつながったら、とても嬉しいです。
同時に自分の周りにいる他己紹介したくなる人たちに気づく、そんなきっかけにもなったらいいなと思っています。
では、今日のゲストの方をお呼びしましょう。
はい、じゃあ今日はマスター・ゲストということで、どうぞよろしくお願いいたします。
はい、お願いします。
多分ね、マスター・配信者さんでもないので、マスターのこと知らない方の方が多いと思いますので、
まずはマスターの口から自己紹介を聞かせてもらえたらいいかなと思うんですけども、お願いしていいですか。
はい。マスターこと増田拓也と申します。
日本の神奈川県横浜市のほうでバック職人として仕事をしています。
昨年の秋ぐらいから小さいバックの工房なんですけど、
その中に施設の図書館、マイクロライブラリーとかいう言い方もしますけど、
本当に小さい施設の図書館を併設をして、今は運営をしているというところです。
あとはバックと図書館をしつつ、
アートのコミュニティというか、研究するっていうのかな、そんなところで、
アートのワークショップなんかを企画して、そういうことをやったりとかいうこともしたりしています。
はい。こんなところでしょうか。
ありがとうございます。
じゃあありがとうございます。自己紹介。
マスターとは本当にニックネームでやりとりしてるから、本名がたまに、
マスターも同じように私のOKしか知らないから本名がわかんないかもしれませんけど、
こういう本名だったんだなって確認しつつ聞いてましたけど。
そうですね。普通に名前で本名とか言わないからね。
そうだよね。本当ですよね。
私とマスターはつんどくぼんイベントというところでつながっている。
03:00
もともとは全然違う講座に出てて、そこに一緒に参加してたのがきっかけですけど、
マスターも一緒にやってくれていて、
つんどくぼんを語ろうというこのイベントって、
クリアじゃないというか、ぼやっとしてるイベントじゃないですか、どちらかというとね。
何ならやってる本人たちも探りつつやってるっていうところが、
私はなんとなくあるなと思うんですけれども、それが楽しいところでもある。
まずマスターはこのつんどくぼん語ろうはどんな感じで捉えてる?
どんな感じ?遊びですよね。遊びの感覚。
遊びって結局、一応やることは決まってるんだけど、
どういう結果に結びつくかとか、
こういう明確なゴールに向かってっていうわけではないと思うんですよね。
こういうルールというかプロセスみたいなものは決めるけど、
それがどういうふうに転んでいくかみたいなのはあらかじめ想定されてないみたいな。
そういうほんそびみたいな感覚で、
僕もやってるし、参加者の皆さんもそういう感覚になってもらったら嬉しいなっていう感じですね。
もしかしたらマスターは他のアートワークショップとかもたくさんやってるから、
慣れてたのかもしれないけど、そのゴールがないものに向かって歩いていくみたいな感覚で。
私は最初、そのことがすごく今までにない経験だったっていう感覚はあって、
いつもゴールがあるものに歩いていく感覚が非常に強かったから、
つんどく本を語ろうではマスターと一緒にやらせてもらって、
一番そこが今まで私が人生で経験したことないことをやってるなっていう感覚はすごく強いね。
そうなんですね。僕も仕事は職人っていうのって、
いわゆる効率的にきちんとゴールは決まってるんですよね。
だから真反対のことを実はやっているんですけど、
だからこそ、そういう真逆のことをやることでバランスみたいなものを取ってるのかなとは、
自分のことですけどね。自分なりにはそう思ってるんですけど。
だから僕もアートに出会うまでは、
06:02
そんなことは思っても見ない、考えても見ないっていうか、
そんな感じがあったので、その気持ちもよくわかるかなと思います。
マスター、途中でずっと美大に出てとか、そういう感覚でいいんですか。
一応はそうなんですけど、
そこまでちゃんと勉強してた生徒でもなく、
なんとなくある程度のところまでは、
美大に行ってはいたけど、そこまでアートみたいなことに関して、
そんなに熱心に関わろうっていう感じではなく、
なんだかんだで、コロナのちょっと前ぐらいから、
本読み出したりとか、そもそも本とかはあんまり読まない人だったので。
それもちょっと意外な感じ。意外な感じって言ったら変なんですけどね。
実際、私、一緒に参加させてもらっていて、
マスター、たくさん本読む人だと思ったんだよね、最初。
ですよね。寸読するぐらいだしっていうのもあるし。
だけど実は違ったっていうのを聞いて、意外な感じが。
そうですね。だからやっぱり、なんだかんだ言ってコロナで変わっちゃった。
いいも悪いもちょっといろいろ変わっちゃったかなっていうのはあって、
ものづくりがコロナで全滅してしまって、やることないからっていうことで、
いろいろそれこそポッドキャストやってみようかとか仲間でやったりとか、
ちょうどコロナに入る前、直前ぐらいにそういうアートのコミュニティに
いろいろ考えるところがあって入ってみたりとかっていう、
いろんなことがコロナの前後で重なり、
そんなことで、さっきも言ったけど、
効率を追い求めるような仕事の外に出る、
そういう環境に偶然というか強制的になってしまったっていう、
そこからちょっと大きく変わっちゃったかなっていう感じですね。
負荷がかかったというか、世界全体的に負荷がかかってるわけなんだけど、
その中で本と出会うことも一つだし、みたいなところもあったって感じですね。
そうですね。コロナのちょっと前ぐらいから自分の仕事に対して、
違和感みたいなのが、今でこそ大量消費とか大量廃棄とか、
09:03
それだけじゃないんですけど、そういういろんな部分で、
この仕事の何ていうのかな、生きるためには仕事しなきゃいけないんだけど、
だけど何か違和感あるなみたいなことを自分なりに思っていたので、
その時にいろいろ本、今まであんまり読んでなかったけど、
本読んでみようかなと思って、
そんなことがちょこっとずつありつつ、コロナに突入し、
ますます本に出会うというか、出会うというか頼るというか、
そんなような環境になってしまって、
そこからどんどんどんどんやっぱり、
本当にこの3年とかぐらいで、結構な本を読んで、
読むというか出会うとか、つんどくも含めて。
ほぼつんどくではあるんですけど、
つんどくが読むっていうこととつながる感覚は何となくあったので、
だからつんどく本を語ろうっていうのも、
僕の中ではそんなに違和感はないことなんだけど、
そんな感じで。
知らない人のために言っておきますと、
つんどく本って聞くとネガティブな要素が非常に強いから思うんだけれども、
どちらかというとつんどく本を語ろうは、
まずつんどく本をポジティブに捉えるという部分と、
それも一つの読書みたいな、それが前回のテーマでもあったんだけど、
つんどく本を読書の一つの方法として捉えてはどうでしょうか、
みたいな提案の一つだった。
ちょっと不思議な感覚はあるかもしれませんけど、
そんな感じで本の世界に入り込んでいくというのが、
マスターにはあったのかもしれないけど、
その中で、今横浜エリアで施設図書館というのをやってるじゃないですか。
まず、私自身も全然馴染みがなかったんですよ。
施設図書館という言葉が知らなかったし、
もしかしたら知らない方もいるかなと思うので、
これどういうものなのかというのを教えてもらってもいいですか。
はい、そもそもは、
僕はなんとなく本屋さんやろうっていうのがまず最初に、
なんとなく、なんていうのかな、
降りてきてじゃないけど、やろうみたいな感じに、
なんとなくなった勢いで。
ただ、本を売るだけっていうのではなくて、
本の往復みたいなものが起こる場所がいいかなと思って、
12:05
貸本屋をやろうと思ったんですけど、
貸本屋は今の日本だと、
いろいろ法律やら、著作権やらっていうことで、
なかなか個人でやるのはほぼ不可能っていうのを知って、
じゃあもう図書館?
要は貸し借りっていう往復を起こすような、
そういう場所を作るっていうことであると、
図書館しかないなって話で、
図書館っていうことであれば、
別に誰がやってもいいっていう。
大丈夫なんですよね。
そうなんだ。
そうそうそうなんですよ。
要は、最初に会員になってもらう手数料みたいなものは、
少しだけもらったりもするけれども、
基本的には本を貸すとか貸し借りっていう、
そこには利益とかそういうものが発生しなければ、
それは問題ないっていうことなんですよね。
あとはマイクロライブラリーっていう言い方もしますけど、
要は小さい個人でやる図書館。
本当に個人のお宅でもいいし、
カフェの一箇所でもいいし、何でもいいんですけど、
一棚からでも図書館みたいなことでやれるっていう、
そういう仕組みというか、
そういうものがあって、
聞いてる方もそうですし、
誰がどこでやってもいいよっていうことで、
それと、あとは増床、貸したり借りたりっていうのを、
システムがリブライズっていう便利な機能っていうか、
そういうものがありまして、
そこに登録して自分の増床を管理できるっていうことを貸したり、
誰に貸したとか、
そういうことが管理できるようになって、
それさえ使えれば簡単に図書館ができると。
マスターのところでもそれを使ってるんですか?
それ使ってます。
本当にパソコン一台あればできちゃうことなので、
へー、それは初めて知った。
あと、バーコード、
要は本の裏にあるバーコードを読み込んで管理するんですけど、
あとは、
フェイスブックとか、
ラインを持っていれば、
会員にすぐ慣れて、
それで、誰に貸したっていうことを、
本と会員の人のラインとかフェイスブックと紐を付けて、
管理していくっていう。
へー、すごいな。
それ日本のアプリかな?
そうそう、リブライズっていう、
日本のアプリを使って、
それはちょっとびっくりした。
マスターは今、図書館をやってるけれども、
他にもいらっしゃるってことですよね?
そうそう、結構、
15:01
結構いるんですよね。
全国的に。
いらっしゃったりもするので、
まだ、
アプリを使わないといけないんですけど、
そこで、
リブライズっていうアプリを使って、
いらっしゃったりもするので、
まだ、
施設図書館を運営されている方と、
まだ直接つながるっていうことは、
まだちょっとしてないんですけど、
でもそういう人たちは、
かなりいるっていう感じです。
考えたことなかったけど、
スタンダードFMの中にも、
いたりしないかなって、
今チラッとちょっと思いました。
いるかもしれないですね。
なんか、
マスターが特別と思っちゃってたから、
そう、なんかそういうイメージがあったので。
マスターの場所、
やっぱり建物が素晴らしいじゃないですか。
レトロな感じで、
横浜行ったら、
その建物見てもらいたいって思うぐらい、
なんかとっても素晴らしい。
どこを切り取っても、
写真として絵になるような、
感じだなと思って。
そうですね。
もう90年以上前、
もう経ってるんですけど、
要は、
建てたときは、
外国人のアパートメント、
っていう、
そういうくくりで、
建てられたみたいで、
デザイン的にも当時としては、
最先端みたいな、
ところなんですけど、
途中で、
戦後、
接収されて、
アメリカ軍に接収されて、
っていうのが10年ちょっとぐらいあったのかな。
そんなことであったりとか、
いろいろ経て、
今は横浜市の、
歴史的建造物っていうのに指定をされていて、
最近、横浜って、
結構そういう歴史的建造物、
いっぱいあるんですけど、
そういう趣のある古い建物とかを、
それを編集した本が最近出てて、
そこにも載ってて、
だから、そういう本とかを片手に、
いらしてくださったのもいたりするんですけど、
結構、
ちょっと入りづらいっていう、
ここ入ってるのかな、
みたいな感じではあるので、
ただ、中入ってもらうと、
皆さんやっぱり、
いいですねっていう感じで、
上がって、
僕の5階にあるんだけど、
上がってくる前に、
いっぱい写真撮っちゃいました、
みたいな、
そんな感じでは、
18:00
いらっしゃりますよね。
今日、配信のところに、
マスターの施設図書館の、
お知らせも書いてあるんですけど、
マスターの施設図書館の、
お知らせも書こうかなと思ってたので、
近くに行かれる方があったら、
ぜひ、ビューティングを見るだけでも、
すごくいいと思うし、
歴史が好きな人だったら、
より楽しみそうな感じもするし、
あと、
私も写真撮ったんですよ。
今、マスターが言ってくれたけど、
めちゃめちゃ写真撮ったから、
それを、
配信を上げるタイミングで、
SNSの方に上げたいなと思ってます。
うんうん。
施設図書館もやってるし、
ワークショップもやってるし、
でも、実は、
マスターはバック職人でしたよね。
そうですね。
それがメインのお仕事でしたよね。
そうそう。
で、なんだろうな、
さっきも言ってくれたけど、
バック職人って本当、
私も物作りする人だからわかるけど、
プロセスは非常に大切だし、
なんか、
突然途中が抜け落ちると、
何かがつかないとか、
いうことも起こるだろうし、
そういう世界だと思ってるんだけど、
片山アートワークショップもね、
つんどく本のイベントもやってくれてるけど、
アートワークショップも
マスターが携わってるじゃない。
うんうんうん。
これってどういう組み合わせなんですかね。
変な質問だけど。
いや、
まあまあ、
さっきもちょっと言いましたけど、
感覚的には
真逆のことをやっているんですよね。
うん。
職人はそういうふうに、
効率よく生産性を求めたら、
品質とかそういうものも維持して、
で、
短期間に上げていく、
品物を上げていく、
みたいな、
で、明確な、
これを作ってくださいってゴールが明確にあると。
そういう感じですよね。
うん。
で、一方でアートは、
プロセスをやるってことは同じなんだけど、
ただ、そのプロセスのゴールがないっていうか、
うん。
いわゆる創発みたいな言葉がありますけど、
そういうふうに何かをやって、
そのゴールが明確にある。
うん。
そういうふうに何かをやって、
思いかけない、
なんていうのかな、
ことが起こるとか、
何かが思いもしないものが立ち上がってくるみたいな、
そういう真逆のことをやっていて、
うん。
そうそうそう。
そもそもは、
物作りのそういう効率を求めたりとかっていう、
他にもいろいろあるんですけど、
そういう職人の、
そういう世界の、
ちょっとさっきも言いましたけど、
違和感みたいなのがあって、
うん。
21:00
それを自分なりに、
何ていうのかな、
いろいろ物作りって何だろうな、
みたいなことを考えたときに、
いわゆるマーケティングであるとか、
デザイン志向みたいなものとか、
うん。
そういうことをよく言われるんだけど、
でもそこじゃないなってところで、
うん。
アートっていうもの、
ちょっとアート志向みたいなものも
やってたこともあるんですけど、
うん。
そういうアートみたいなことと、
職人的な物作りっていうものを、
かけ合わしたときに何が起こるのかなっていう、
うん。
そこが最初の根本的な、
アートとの関わりの部分ではあるんですよね。
うん。
そうそうそうそう。
なんか最初に、
今でこそアートワークショップを何回もやってるから、
そこにその感覚があるのかなと思うんですけど、
最初やったときにはどうでした?
あの、
というのはさっき、
私が最初につんどく本に携わったときに、
どうしてもゴールを見ちゃうというか、
部分を、
そこに行き着こうとしようと思っているところがあって、
というのは今までそういう経験がなかったからというのもあるのかな。
うん。
で、それを分かっててやったのか、
それともアートワークショップを何回もやるうちに、
そこにこう気づくところに気づいたのか、
どっちなのかなと思って。
ああ、そうそう。
で、僕も、だからまあちょっと恐る恐るなんですよね。
B代って言ってたとはいえ、
そこまでアートっていうことに関わってこなかったんで、
で、もうね、そこから、
なんていうのか、
結構な、もう最近なんで、
何三年前とかぐらいに、
そういうコミュニティ入ったんですけど、
基本的にはそんなにもう、
むしろこう、
特に現代アートなんていうのは、
あんまりこう、
関係のないものとか、
分かんないものだよねみたいな、
まあそういう感じですよね。
いわゆるこう、
アートの壁、
いわゆる壁みたいのはあったんで、
まあそれをちょっとえいやっと乗り越えて、
とりあえずアートっていうものにこう、
まあもう一回こうチャレンジというか、
接してみようかなと思ってた段階だって、
そういうコミュニティに入ったんで、
やっぱり怖さはありましたよね、最初。
これやったからといってね、
ものづくりがどうこうなるわけじゃないか、
とは思いつつも入ってみて、
でもそうしたら、
最初のそこでのなんか、
ワークみたいな、
まあなんとなくこう、
ワイワイ話しながら研究するみたいな感じなんですけど、
その時やったのは、
24:01
最初にやったのは、
人のあるテーマに沿って、
なんでもいいから、
まあ抽象画でもなんでもいいんで、
簡単に絵を描くみたいな、その人なりに。
で、その絵を自分、
他人の絵を、
自分が描いたかのように、
説明をするっていうことをしたんです。
なんか、つながりを感じますか、
つんどく本に。
そうです、そうです。
そういう、やらないじゃないですか。
特に職人なんてそんなことやらない。
やらないよね。
なんかそれをやった時に、
なんか自分が描いてないの、
描いてない人の絵を、
自分がこう描きましたみたいな、
こういうことで、
この表現になりましたみたいなことを、
要はこじつけるっていうことなんですけど、
こじつけて説明するみたいなことをして、
で、意外にアーティストも、
その作品を先に作っちゃって、
後から、
そのコンセプトなり、
なんかテーマなりっていうのを、
後からこじつけるってことは、
よくあるよっていうような話もあって。
ああ、なるほどね。
そうそう、そうそう。
で、
そのメンバーの中に、
キュレーターの方、
アートのキュレーターの方とかもいたりもして、
そんな話を聞き、
だから、なんかそういう、
一見わけのわかんないことなんですけど、
そこで、
あ、こじつけちゃっていいんだ、みたいな。
そうそう。
それは衝撃的だな。
こじつけちゃうって、
ネガティブっていうか、
あんまり、
あんまり知らないんですけど、
こじつけることによって、
その、
本来は、
受け手であるはずの、
使徒の絵を見て、
それを受け手として捉えるはずの、
鑑賞者としての自分が、
いつの間にか、
要は語り手になっちゃう。
自分が作ってないのに、
語り手にいつの間にかなってしまうっていう、
なんかそういう感覚が、
とても新鮮で、
面白くて、
あ、なんかこれいいよなっていう、
感覚に、
まあ、
覚えたって感じですかね。
いや、なんかもう、
聞いてて、
私は、
つんどく本を語ろうの時の、
今の言葉を、
使わせていただくと、
こじつけましたね、皆さんね。
読んでないからね。
で、まさにそうだなと思いつつ、
聞いてたんだけれども、
そのワークショップの中で、
マスターが描いた絵を、
他の方が語るっていうことが、
あるということなんですよね。
そう、その時はそうですね。
他の人が語っていたって感じですね。
それはじゃあ、
マスターが思い描いてた、
こととは違うことを、
言ってくれるかもしれないってことなんですね。
そうそう、やっぱりね、
27:01
どうしてもそこにはズレが、
起こってくる。
そうそう。
ただまあ、そういうズレを、
何かっていうか、
さっきも言ったんですけど、
何かが立ち上がってくるとか、
新しいことであったりとか、
なんかそういうのって、
例えばね、
企業っていうか商品でも、
なんか今すごい売れてるものも、
最初は失敗から、
出来上がって、
その失敗が製品になってくる、
っていうような、
ものっていっぱいあるんです。
そういう、だからなんか、
何ていうのかな、
要は誤読をする、
誤って読むっていう、
その誤読が起こるときに、
何か思いもかけないものが、
立ち上がってくるっていう、
そういうことってあるよね、
みたいな。
うん。
なんか、
それは本当にさっきの、
施設図書のとこと、
もしかしたら、
マスターつながるのかもしれないけど、
前にね、お話ししてくれたときに、
本の貸し借りをすると、
書き込みがある本が、
あるよ、
みたいな話をしてくれたと思うんですけど、
そこのときに、
もしかしたら、
自分が考えてたのとは違う、
考え方が出てきちゃう場合も、
あるわけじゃないですか。
そうそうそうですね。
メモってある、
その人の感想かもしれないけど、
その誤読みたいな、
どっちが誤読かわからないけど、
違った読み方みたいなね、
心とも結びつくのかな、
考え方として。
そうそうそうそうそう、
全くそうですね。
だから、一番大事なのは、
誤読をしていいんだよっていう、
前提であったりとか、
そこというか、
そこなんですよね。
誤読しちゃっていいんだよって、
そういう、
安心というか、
なんというか、
それがオッケーな場を
いかに作れるかっていう、
そこができることで、
いいものが作れるのかなと。
それはあるかもね、
絵の場合であれば、
誰かの絵だけでも、
自分の思いを、
本当に語っていいんだよっていう、
空間が必要だし、
つんどくもそうだけど、
嘘を、
自分の思いを、
語っていいんだよっていう、
空間が必要だし、
嘘っていうと、
すごい怒られちゃうかもしれないが、
読んでないからね、
空想の中でお話をするわけなんだけれども、
それがいいよっていう、
空間でないと、
なかなかちょっと怖くて、
見えなくなっちゃうからね。
それはあるね。
ものが世の中に、
もっともっと、
そういう場所があるといいよね、
っていう、
そんな感じですかね。
うん。
なるほどね。
30:01
ただ、
今、バック職人の部分と、
結びつけた時に、
今やってるアートバックショップみたいなことで、
気づいたこととか、
絵だもんって、
どんなふうに反映されてる感覚があるんですかね。
まだね、
そこまで、
直接的に反映は、
今はまだ、
形にはしてないんですけど、
ただ、
その、
バックに対しては、
そういうアート的な部分って、
何か、
こう、
なんていうのかな、
プラスできないかなっていうとは、
常に考えていて、
例えば、
ちょっとこれはやりたいなっていうのは、
バックを作るんですけど、
そのバックが、
買った人の、
それは誰に対してでもいいんですけど、
何かメッセージを、
なんていうのか、
そのカバンに入れたいんですよね。
ほうほう。
そう。
ただ、
そういうのって、
なんていうのかな、
表に名前を彫るとか、
はいはい、あるよね。
名前を彫るとか、
一言なんか入れるみたいなことを、
やるとは思うんですけど、
例えば、
そのメッセージを、
革に刻んで、
それを、
カバンの、
なんていうのかな、
見えないところ。
なるほど。
要は、
普段使っているときは、
どこにも見えない。
だけど、
そこには、
中にメッセージというか、
なんていうのかな、
要は、その人の気配を感じるみたいな、
そういうこと、
要は、壊されるまでは、
そのメッセージは誰にも見られないというか、
見ることはできない、
みたいなこと。
もしかしたら、
そのバッグは、
例えば、娘にあげたメッセージを、
が、
入れ込んだバッグなんだけど、
もしかしたら、
回り回って、
どこか全然知らないところの、
人の手に渡り、
あり得ますよね。
どんどん破れてきて、
そのメッセージが見えたときに、
本来の、
最初のメッセージを発信した、
人の思いとは、
全然違うところに、
行っちゃうわけじゃないですか。
だけど、
それはそれで、
誤読ってさっき言いましたけど、
誤配と言って、
誤って配る、
配られる、
配っていうのがあるんですよね、言葉が。
33:01
そういう誤配が起こるっていう、
なんかそういう、
それもアート的ではあるかなと思うんですけど、
それを、
なんていうのか、
要は海に投げられた、
このメッセージボトルっていうのかな、
そうそう、
誰かが投げた、
瓶の中に入った手紙が、
それって基本的には、
意図した人には渡らないはず。
はい、そうですよね。
たまたま、
どこかの海岸に打ち上げられた、
そのボトルに入った手紙を、
誰かが読み、
で、そこで、
どうなるかっていうのは、
わからないんですけど、
そういう誤配が生み出されるような、
そんな可能性みたいなものも、
生まれたそういうバックみたいな、
面白いね。
そういうことを、
そういう商品というか、
ものづくりにプラスされたら、
面白いなと。
わくわくはしますよね、
聞いててもね。
そうそう。
というか、
作っている本人も、
買ってあげる本人も、
わからない。
さっきのメッセージボトルと同じで、
そのわからない、
想像の世界でしかないじゃない。
そうそう。
最後は、
見ることはできないかもしれない。
誰かの手に渡ったところを。
そうそう。
その、
わくわく感は、
そこに本当に、
さっき言ってたみたいに、
真剣に、
楽しめるか、
感は、
必要かな、
そのことに対して。
そうそう。
だから、
こういうメッセージ送ってくれて、
ありがとうって、
言えないというか、
どんなメッセージかも、
わからないけど、
でも、
ここにメッセージがあるんだ、
ってことを思いながら、
例えば、プレゼントされたりした時に、
直接的に見えるよりも、
送ってくれた人のことを、
何となく常に、
気配を感じているような、
感じられるような、
バックになるとか、
そういう、
そういう営みみたいなものを、
プラスできたらいいかな、
みたいな、
感じですかね。
なるほどね。
いやー、面白いね。
毎回なんですけど、
そういう、
最後にちょっと聞いてみたいな、
というふうに思ってたのが、
マスター、
自己紹介のところから、
お話聞く中で、
いろんなことやってるじゃないですか。
はい、はい。
マークショップもそうだし、
もちろん、
本との関わりみたいなところもそうだし、
あとは、
もちろん、
メインのバック職人、
36:00
というような、
お仕事もあるわけだし、
これ、共通点とかって、
何かありますかね、
マスター的には。
あー、共通点。
うん。
共通点ね。
何だろうね。
えっと、
確実に言えるのは、
ゴールがある、
なし、
っていう部分の違いは、
あるにしても、
プロセスを繰り返すっていう、
プロセスっていうところは、
同じなんですよね。
うん、うん、うん、うん。
職人として物を作るときも、
例えばね、
20個、30個っていうふうに、
量産をするときは、
もちろん、
同じ動作を繰り返す。
はい、そうだよね。
で、アートの方も、
例えば、
なんか、
絵を描くとか、
例えば、
この前もやったのは、
要は、ある地域を散歩しながら、
気になったものをピックアップして、
斜面を撮ったりとかしながら、
その後に、
それを材料にして、
自分なりに表現をする。
紙を切ってコラージュ作ったりとか、
自分なりに、
自分なりに、
自分なりに表現をする。
紙を切ってコラージュ作ったりとか、
何でもいいんですけど、
絵を描く、
みたいなことをやったんですけど、
それもプロセスなんですよね。
うん、そうか。
そうそう。
そのプロセスを繰り返すみたいなことが、
同じなんですよ。
うん。
そこが重要かなっていうか、
うん。
プロセスを繰り返すってことだと思うんですね。
まあ、共通点。
うん、確かにそうね。
プロセス、そうだね。
うんうんうん。
そうそうそうそう。
いっぱいなところかな。
うん。
そうそう、そんなこと。
プロセスを繰り返すことで、
さっきも言ったけど、
想発的なこと、何かが起こる。
うん。
思いもしないことが起こる。
一方、アートはそういう感じ。
で、職人の方は、
プロセスを繰り返すことで、
同じものを効率よく、
個体に向かって、
手を動かしていくっていう、
そういうことの違い。
うん。
が生まれはするんですけど、
うん。
だからどちらもプロセスが大事、みたいな。
うん。
そっか、なるほどな。
うん。
そこはありますよね。
うんうんうん。
意外なのは、最終的にそこに行き着く、
共通点がプロセスだったっていうのが、
うん。
意外性があるというか、
もっと自由な方向の共通点かな、
と思ったので、
そうそうそう、
39:00
思っていたので、
意外だなと思って、
聞いてたんだけど。
まあ、いわゆる図書館の場合でも、
本のやり取りというプロセスがあるのかな、
うん。
と思ったから、
そういう捉え方もできるなと思って。
うん。
そうです、まさしく。
うん。
そう、意外だけど、
面白い部分だったりもするよね。
うん。
そうです、あんまりだから、
プロセスっていうところに、
うん。
確かに、なんていうのかな、
あのー、
想像性みたいなものを、
うん。
あんまり感じない部分。
普通、そう、何も感じないよね。
何も感じないって言って、
すごい悪い言い方だけど、
なんだろうな、
とにかくポチッとしたもの?
っていう感覚は、多分、
どちらかというとバック作ってる時は、
そういう感覚は多少あるんじゃないかなと思って。
うん、うん、うん。
うん。
でもまあ、絵を描くとか、
何をするにしても、
例えば、
まあね、アーティストで、
とにかくドット、点を打ち続けるか。
ああ、なるほどね。
あとは、
あのー、なんていうのか、
毎朝、
30秒だけ、
うん。
とにかく毎日何かを描き続けるみたいな。
30秒でできる範囲で、
毎日何かを作るみたいなことをしてる人とか。
なるほど。
そう。で、毎日毎日死ぬまで、
本当に死ぬ直前までやるみたいな、
うん。
そこには、その人自身も、
何が起こるかわからないけれども、
ただ、わからないっていうことが、
その人にとっては希望なんです、
みたいなことを聞いたこと。
ほうほう。
その、わからないけど、
プロセスをやり続けるっていうことも、
確実にそれは、
アートに結びつくことではある。
その、わからない、
今、自分でやってることを、
だけど、その、
結果がわからないけれども、
そこを楽しむっていう感覚は、
うん。
もう、僕は、今、
マスターが話してくれたこととも、
ちょっと繋がるのかなとは思ったかな。
今、ほら、
自分がやってるかわからないこともあるじゃない、
ワークショップで。
うんうん。
今、自分が目の前でやってることが、
わからない場合も多いと思うんですよ。
そうですね。
私たち2人がやってることも含めてね。
そうそう。
でも、それを楽しもうと思うか、
ちょっとこう、
3歩下がってやってしまうかっていう、
そこの感覚で、
楽しみ具合って変わってくるかもしれない、
っていうのはね、
ちょっと感じますかね。
うん。
面白いですね。
もう飽きないぐらい聞くことは、
いっぱいありますけれども。
42:00
でも、こうやって、
本当にマスターがやってる、
つんどく本以外のこと、
話すことってね、
そんなにいっぱいあるわけじゃないからね。
そうですね。
とても面白かったです。
はい。
今日はこんなところで、
まずクローズしたいと思っております。
先ほども言ったんですけどね、
マスターのやってることとかのお話は、
今日の配信の概要欄のところに貼りたいと思っているので、
興味ある方はぜひ覗いてもらいたいと思います。
今日はですね、
つんどく本を語るを一緒に開催してくれている
マスターがゲストでした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。