1. みみもとスケッチ|聴くアートのワークショップ
  2. ○ 3.1 旅とアートの共通性(前..
2022-09-14 13:59

○ 3.1 旅とアートの共通性(前編)

アート好きは旅行好き?
作家活動と並行して観光業にも携わる藤野の持論からはじまる、旅とアートにまつわる雑談、前編です。

出演者 : 藤野真司, のぞみるき, 塩田素也
収録日 : 2022年8月12日

📮あなたからのお便りお待ちしています!
https://forms.gle/g41vMYqjT6RhumfJ6

Produced by かもすハウス

サマリー

旅行とアートの関連性について議論が展開されており、旅行への情熱やアートがもたらす想像力の拡張が考察されています。また、旅行の定義や行くことによって得られる解放感についても触れられています。

旅行の目的と背景
はい、じゃあ、私からのお題ということで、旅行についてちょっと何かお話ししたいなと思うんですけども、お二人は旅行は好きですか?
うーん、まあそうですね。
旅行ってします?ちょっと県外とか。
うん、そこそこする方かな。
そうですね。
年に何回かは出かけたくなるぐらいですね。
それってやっぱ、なんかあれなんですかね、気分転換とか、なんか目的がある旅行が多いんですか?
あー、なんか私は若い頃は、その本当にこう展覧会巡りで結構いろいろ行く方だったんですよ。
それで一人でよく旅をしていて、で、もてーさんと出会ってからは、その私、滋賀県にいるときに長野のもてーさんと出会ったんですけど、
もともとフットワーク軽かったので、あんまり移動も苦になく、ここが一緒に二人で旅をするようになりましたね、旅行をね、時々。
そうだね、うーん、まあそうですね、最初ね、その遠距離でだったときには、まあ会いに行くついでにね、出かけるみたいな感じでしてたりもした。
でも、なんかやっぱり基本的に僕もそうなんですけど、なんかその、一個目的があって、なんかあそこ前から行ってみたかったんだよな、みたいなのがあって、で、何かね、そのタイミングができたときに、行ってみようかなみたいな気分になって、
で、まあついでにその周辺で面白そうなとこ探して行くみたいな、なんかそういう感じの旅行の仕方が多いかな、完全にこうなんていうか、途中下車の旅みたいなね、なんか目的なく行くっていうのはしたことないかもしれない。
観光と平和の関係
そうですね。
みたいなところから、美大でいろんなことを学んで、まあアート、幅広くアートっていうものを学んだときに、その宿屋とか旅に関わるものにはそういう、自分が好きだったアート的な要素が溢れてるんじゃないかということに気がつきましたみたいな、そういった内容のことを書かせてもらったんですけど、
その後から、そういうホテルマンとか、そういうサービス業関係の方からめちゃくちゃフォローされまして、
すごいですね。
で、なんか皆さんめちゃくちゃポジティブなコメントとか感想とかを言ってくださって、嬉しいなと思ったんですけど、
アートとかそういうものが好きな方は、やっぱり旅好きであることが多かったりもするんですよね。
何を求めて旅に出てるのかなっていうのは結構いろんな人に聞きたいところで。
なるほど。
確かに確かに、そのなんか旅人のイメージとアーティストっていうのは結構重なるところありますね。
そうですか。
なんかあのさ、スナフキンとかさ、ムーミン。
アーティストなんですね。
なんかアーティストっぽいイメージじゃんね。
です。
スナフキンって。
めっちゃ。
なんかそういうのはあるんですね、やっぱね。
なんか僕個人としては、そのアートと旅の親和性ってすごくあるなって個人的に思っているのは、想像力を拡張してくれる性質があるからなんだと思うんですよね。
っていうのはなんか僕、うちの会社の人もよく口にする言葉なんですけど、松下幸之助さんかなって言ってた、観光は平和維持産業であるっていう言葉があって。
当たり前なんですけど、観光の旅行ってその行き来する国同士が戦争状態にないから成り立つんですよね。
それでその土地に行って、その土地の文化とか人とか食とか景色とかいろんなものを美しいとか美味しいとか面白いとかっていうことを感じると、そこに平和的な思想が生まれると。
だから観光を押し広げていくことは平和的な思想を広げていくことなんだみたいな、そういうことなんですけど。
僕はこれがすごく大好きで、だから毎日ベッドのシーツ替えたり、掃除したり、配膳したりとか、そういう地味な仕事が多いんですけど、平和維持産業だと思ってるんですよね。
旅行の定義と個人の経験
私ももう今からホテル入りたくなりました。
すごいリクルーティングの。
これ僕を説明会の窓口に立たせてくれたら、すごい人呼べるかもしれないですね。
そうですね、めっちゃいいと思います。
例えば人種差別とかヘイトとかっていうのって、その真逆のところから発生するもので、想像力と情報量がないところ、あるいは意図的にそれを遮断したところからヘイトが生まれるんですよね。
だから何々人は全員何とかだとかっていう人っていうのは、例えばその言ってる何々人の友達が一人でもできたら、想像力がそれを歯止めかけてくれるはずなんですけど、知らないっていうことがそういう偏った思想につながっていくみたいなところで。
だから僕らの、仕事の話になっちゃいます。仕事の時によく言うのは、さっきの話で想像力っていうのは情報から来るっていうことなので、例えば眉間にシワが寄ってる人が低いトーンでこうおっしゃった、何々っておっしゃった。
けどもそれを表面だけ受け取られてしまうと、この人は何かに怒ってるとか、何かクレームを言いたいんじゃないかとか、何かこっちがミスしたんじゃないかとか、そういう想像になってしまうんですけど、よくよく観察してその人にいろんなアプローチ、違う言葉を投げてみたりしてみると、あ、眉間にシワ寄ってるのはこの人、もともとこういう顔の人なんだっていうことが分かったりとか。
チェックインの時は重たい荷物を持ってて、ちょっと疲れてたからああいう声のトーンだったのかなとか、なんかそういう違う情報と違う想像が展開できたりするんですよね。
っていうので割と想像力っていうのが接客力みたいなところにつながってるみたいなところなんですけど、そういった意味でも自分が旅に出ることってそれを広げて想像力を拡張していく行為なんだと思ってて、僕はアートに求めてるものも全く同じだなと思うんで、アートと観光業みたいな話をちょっと書いたっていう経緯があるんですけど、
旅先でそういう記憶に残ってる経験って何かあります?旅先どこがおすすめですか?
おすすめ、どうだろう。ちょっと違うところから話してもいいですか?さっき聞いてて思ったんですけど、コロナ禍で出かけづらくなったことが特に海外とかも実質行くことができないっていう、どれだけお金を積んでも行けそうにないみたいな状況に一時なってたりした時に、
自分はもともとこう割と内向的で一人でいられるし、家にあんまりアウトドア派でもないから、家にずっといてもそんなに苦にはならないんですけど、ただ何かが停滞していくというか感覚にすごくなって、
それが何なんだろうなと思って考えてた時に、やっぱり可能性が閉ざされてるっていう状態がすごく精神的につらいことなんだなみたいなのを思って、
単純に行けない、旅行に出かけられないからつまらないみたいなだけではなくて、そういう可能性がそもそも閉ざされているということが明確に示されてしまっているっていう状態が、結構じわじわと精神に来るなと思ったんですよね。
それが今言ってたような、想像力が落ちるということにもすごくつながっていくから、そういう焦りというかね、たぶんあるだろうし、そんなことを考えてましたね、結構。
確かに可能性が減るって想像する余地もなくなっていくってことですもんね。
なるほどな。これも職場の同僚と喋ってたんですけど、旅ってどっからが旅なんだろうねみたいな話。旅の境界線の話って結構面白くて、例えば自分家の庭を歩くことは旅行にならないじゃないですか。
旅行って呼ばないですよね。でも、この間伊豆に行って温泉入ってきたんだって、これは旅行っぽいイメージがあるじゃないですか。
このどっからが旅なんだろう、これは物理的な距離なのかとかっていう話になったんですけど、おそらく自分が無意識に引いている日常のラインみたいなものが意識上にあって、その線を跨いだ瞬間に旅になると。
で、さっきのどこにも行けないっていう感覚って、別に気分転換だったら物理的な移動は可能な限り近所のお店行ったりとかできるんだけど、それだけでは解消できない何かがあって、それは旅でしか、その線を跨ぐことでしか開放感を得られないっていうのがあるんだと思うんですよね。
だから、自分が日常と線引きしているエリアっていうのを、そこを出るっていうのが一つの定義なのかなっていうことを思ってて、僕乗り物でフェリーがめっちゃ好きなんですけど、機械があったらすぐフェリー乗っちゃうんですけど、関西に住んだ時に、当時学割のプランで、
サコネの一番ツーリストの席がすごい安かったんで、大阪港から出てペップ港に着くみたいな便に乗ってたんですよね。
その時に最初、関西来る時もフェリーだったんですけど、最初自分の地元から離れる時に出港の時に看板に出て遠ざかる街の明かりを見ながら泣くっていうのがイベントだったんですよね。
ちょっとエモい気分に浸りたくて、自分の街がどんどん小さくなっていくんですよ。すごい切なくて、あの気持ちが結構好きで、心細い状態で知らない関西っていう土地に向かうんだけども、数年関西に暮らしているうちに友達もそれなりにできて、自分の家も落ち着きが出てきて、
何かの時に里帰りするタイミングでまたフェリーに乗ったら、今度は離れていこう、大阪の街並み見て、今度また泣き出してみたいな。
で、地元に帰るじゃないですか。で、また地元から関西に帰ってきてまた泣いてみたいな。往復でどっちの道も泣けるようになっちゃったっていう。何かそれすごく思い出すんですけど。
いいですね。
だから日常と何かその他っていう線引きってやっぱあるなーって思いました。
そうですね。
なんかそれが脱皮的なイメージがあって、ずっと同じところに留まって同じことを繰り返してると苦しくなってくるんですよね。
なんか代謝が悪くて、ずっと同じ地で回してるみたいな。
でもこうその旅に出る、非日常に行くことで、その一枚が何だろうな、今までの日常の自分を破壊してまたちょっと新しい自分を取り入れるみたいな、なんかそういうイメージがあるなーって思いました。
13:59

コメント

スクロール