耳見えラジオのスタート
みなさん、おはみえ。耳見えラジオスタートしました。この番組は毎月第1・第3金曜日に配信をしています。
三重県の南部地域に焦点を当てて、人や場所や物を紹介して、皆さんと一緒に三重県を旅しているようにラジオをお送りしていきます。
今回のお相手をするのは、私パーソナリティの玉置ゆり子です。私は今三重県の三浜町に住んでおりまして、三浜町に住みながら、
名古屋のZIPFMというラジオ局で毎週レギュラー番組をやっているので、私は熊野古道が好きすぎて、この熊野地域に移住をしてきたんですが、
毎週4時間かけて通勤しながら二拠点生活をして、どちらの地域でもラジオをやっております。玉置ゆりとみんなからは呼ばれています。
ちなみにもう一人、ももちゃん。南伊勢町のももちゃんというパーソナリティもいまして、毎回交代で番組を担当しております。
今回は私玉よりがお届けする耳見えラジオというわけで、三重県の南部地域に焦点を当てております。
改めて三重県南部がどのあたりのことを指すのかと説明しておきますと、三重県の形でいえば、下の方、南側、いわゆる和歌山県寄りのエリアとなっています。
伊勢島エリアともう少し南の東木州エリア、この2つの地域を合わせて三重県南部と呼んでいます。
三重というと県外の方からすると伊勢辺りまでをどうしても想像してしまう方も多いのですが、
伊勢よりもっと南の方にこんなに素敵な場所があって楽しい人たちがたくさん住んでいるよというのをどんどん魅力をお伝えしていけたらなと思っております。
このプログラムはコバダーマンとあなたによるプログラムです。
カネシン商店の紹介
船がですね、私のもう堤防を挟んで向こう側に何層も何層も浮かんでおりまして、
さっき港の方も見てきたんですけど、とにかく船がたくさんある。
面白いのがあまり山に囲まれているので、一見海というより湖みたいに見える穏やかな海が広がっているのも特徴です。
まさにね、緑に囲まれた海がある、そんな引き元浦から今日はお届けしているわけなんですが、
私が今収録をしているのが工房の目の前なんですよね。
さっきからですね、なんかこうお魚をいぶすような何ともいい香りが漂ってきているわけですが、
今日はですね、カネシン商店さんというカツオの生節だったりひもの、あとはカツオ節、カツオの塩辛なんかの海産物の加工品を作られている
カネシン商店さんの工房にやってきております。
今日はこのカネシン商店の3代目である、2000年生まれ24歳の奥村カイトさんにお話を伺っていこうと思います。
奥村さんよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
カイト君とお呼びした方がいいかな。
はい。
よろしくお願いします。
さっき中も見学させてもらったんですけど、すごいですね。
そうですかね。
本当にコンパクトな建物の中にカツオをいぶす窯みたいなのもあったり、
はい。
茹でる機械もあったり、砂漠台とかもあったり。
そうですね、ぎゅうぎゅうにうちの工場は結構詰まってますので、なかなか多分こういう業者さんの中で一番小さいぐらいのサイズなんじゃないかなとか思いますけど。
いつもこの金振商店さんの3代目ですから、お父さんとかおじいちゃんが始められたんですよね。
そうですね、はい。
もともとおじいさんが他のカツオ節屋さんで仕事をしてきて、50歳ぐらいかなの時に独立をしたいなと思っていたところ、
親父の方が高校を出てきて、ちょうどそのタイミングと重なって一緒に商売をしようかということで始めた金振商店なんですけども。
そっか、じゃあお父さんとおじいちゃんが力を合わせて立ち上げたこの金振商店を今3代目として一緒に手伝っている。
そうですね、はい。まだまだ就業中なんですけども。
じゃあもう結構この工場の中で過ごすこと多いですか、仕事中は。
そうですね、ずっとここの工場が多いですね。あと配達ぐらいですかね、外に。あと仕入れというか、魚を買いに行く時。
魚はどこから仕入れてくるとかあるんですか。
魚は基本的に引き元の市場と。
さっき通ってきた港のあたり。
そうですね、奥にもうちょっと行ってもらうと市場がありますので、その引き元市場か、しまかつの市場で買わせてもらっております。
本当車で5分ぐらいのところですよね、港まで。
そうですね。
そっか、じゃあそこから来たお魚を直にその同じ引き元裏で加工をして、商品にしているということなんですね。
かなり魚の数が減ってきているので、今はしまかつの方がちょっと量は多いですけども、できるだけ地元のものをさせてもらっています。
奥村海斗の挑戦と地域活性化
これ今ちょうど生節っていうのもあるんですけど、生節が地域の外の人は意外と知らない人が多くて、私もこっちに来てから愛知県出身なんで知ったんですけど、生節って何ですか。
生節はですね、かつおの生バージョンって言ったらいいんですかね。
かつお節のカチカチじゃなくて、もっと柔らかい感じの。
かつお節って7回ほど燻製をかけるんですけども、7回じゃなくてこれを1回にしたものがこのかつおの生節っていうもので、
香りもかつお節みたいないい香りもしながら、かつおの柔らかさをそのまま食べられる柔らかさに仕上げてあるのが特徴です。
なんかちょっとツナみたいな食感ですよね。
そうですね。
これを結構地元の人、カイット君とかも子供の頃から食べてました?
そうですね。子供の頃から食べてまして、うちの妹なんかだったらこれを離乳食で。
塩も何も使ってないので、裏見てもらったらわかるんですけど。
原材料名がかつお国産以上。塩とかもない。一切ない。
一切使ってなくて。
すごいですよね。めちゃめちゃシンプルな。
だから赤ちゃんでも食べられるくらい。
カイット君も妹さんもこれで育ったと言っても過言ではない。
そうですね。認めたくないけどそうですね。
認めたくないけど。
カイット君はここのお家で小中高とこっちでしたか?
そうですね。中学校は長南中学っていうところで通って、
高校は淡瀬高校の方へ通わせてもらいました。
その後は?
その後は立命館の方に行って、滋賀のキャンパスがあるので、
そこで食マネジメント学部って言いまして、食べ物と経営学の方を学びました。
食のマネジメントの学部っていうことは、
もともとお家を継ぐつもりで勉強しようかなっていうことだったというよりは?
そうですね。小学6年生ぐらいにちょっといろいろきっかけがあって、
この仕事を継ぐということを決めたんですよ。
小学6年生で?そのきっかけって聞いていいですか?
話すと長くなるんですけど。
そこを聞きたいね。
ここに工場見学することがありまして。
学校で?
引き元小学校に通ってたので、
小学校の子たちが毎年ここに勉強しに来てくれるっていうのが、
僕的には嬉しくて。
確かに。
町の人からしても、昔は活動がよくておりた町なんだよっていうのを、
教育としていろいろ聞いていて、
自分の親父がそういう仕事をしている、
自分の家がそういう仕事をしているっていうのはすごく誇らしかったんですよね。
そのときに、社会見学に行ったときに、
担任の先生が継いで欲しいかどうかっていうのをズバリ聞いてくださったんですね。
代わりに。
僕はてっきりやって欲しいんだろうなとは、
なんとなく普通そうかなと思ってたんですけど、
でも答えは実際違いまして、
継いで欲しくないというお話。
欲しくない?
はい。
どうしてそれは?
やっぱりですね、現実を見ると近年、活動がどんどん取れなくなっている。
活動だけじゃなくて魚自体が取れないっていうのと、
設けるには難しい産業っていうところ。
っていうところを考えると、
やらない方がいいんじゃないかっていう親からの。
親心というか。
そうですね。
お父さんからすると、継いで大変な思いをさせるよりは、
何か他の仕事を見つけてもらってもいいんじゃないかっていう気持ちだったわけですね。
そうですそうですそうです。
でもそれを聞いて逆にカイト君は、
何くそって思うわけですね。
はいはいはい。
その時。
献金が出たわけですね。
そんなまだやり方あるやろとか、いろいろ言われたのも悔しかったのもありますし、
いろんな感情がありましたけど。
あーそうか。
逆に確かに、できないやろうと言われたらやってみせたくなるみたいな。
そうそうそうそう。
いいですね。
でもやっぱり先代が2人で1代目2代目で立ち上げたお店だからこそ、
現代に生まれた自分ができることがあるんじゃないかみたいな。
そうですね。
ある意味最後になるんじゃないかなって感じですけど、当時思いましたね。
最後になる?
もう僕以外の後継者はいないんじゃないかなと。
自分がやろうと言わなければやる人が他にいないかも。
そう言われたら燃える。
そうですよね。
そうか。だから小学6年生の時にそういう気持ちが芽生えて、
じゃあもう結構そこからはそこに焦点を当ててというか、
そういう勉強したいなと思いながら学生生活を過ごしたって感じですか?
そうですね。中学生の時とか、別に何か選んだわけではないですけど、
地域産スクールとかそういう地域学習があって、
より現実をどんどん年を取るにつれて知っていくわけなんですけど、
地域についても何かできたらなっていう気持ちは当時からありましたね。
そうか。だから自分が家を継ぐこともそうだし、
それによって地域そのものが存続していってほしいなっていう気持ちも。
はい。
どうですか。結構、カイト君の同世代、2000年生まれあたりの子たちの同級生っていうのは、
いる子は少ないもんですか?
少ないですね。やっぱり蓋を開くとみんなやっぱり他所に行っちゃったりとか、
仕事を辞めてきたとかいう感じで、ちょっとあんまり上手いところで働かなかったから、
家業の継承と伝統
一旦休憩というかしてもう一回出ていくとか、
とりあえずバイトをしていますとかいう感じの人が多いので、
帰りたくて帰ってきました。ここで仕事をするんですっていう、
僕みたいな方はなかなか難しいですかね。
でもきっとカイト君の中では、いずれそれも覆したい思いがあったりするんですよね。
なんか自分が第一号になってじゃないけれど。
そのシガで学んだ4年間の後、もうすぐにこっちに持ってきたっていう感じなんですね。
ちょっと迷ったんですけどね。
就職するかどうか。
一旦就職して、いろいろ勉強してくるっていうのも手だなと思っていたんですけども、
さっき見ていただいたおじいさん、おんとし91歳です。
91歳!すごいおじいちゃん。
91歳で、おととしまでは現役でやってくれてたんですけど、
やっぱりこの1年でちょっと難しいっていう具合になってきたので。
力仕事の場面もありますもんね。
そうですね。
朝も確か3時半とかに起きて。
そうですね。体力がいる仕事になるので、
親父一人では成り立っていけない仕事なので、
帰ってきて早く仕事を覚えて、早く違うアプローチをする、
違う売り方をするみたいなところを早めにやる方がいいのかなと思って、
帰ってきたところですかね。
そうか。
じゃあ、あいとくんは戻ってきて何年になりますか?
去年が新卒になるので。
まだ1年目?
1年半。
1年半か。
2年目ですね。
おお!すごい。
じゃあ、そうか。さっき修行中のみっておっしゃってたのは。
そうですね。
eスポーツによる地域活性化
そうなんですね。
どうですか?おじいちゃんが100だとすると、
自分の評価ではちなみに今どのくらい学べたかなって感じですか?
結構なことは、大学時代ちょいちょいこっちに帰ってきていたので、
ある程度のことは分かっていて、あとは慣れの部分で、
やっと慣れてきたかなって思いますけど、やっぱり親父のスピードにはついていけないですね。
やっぱり早いので、倍の速度で魚を卸していくので、
そこはまだまだかなわないなとは思いますね。
そこにやっぱり楽しさもありますか?
そうですね。
上手くなっていく?
上手くなっていく楽しさはありますね。
やっぱり魚を卸しているときが一番楽しいですね、この仕事では。
やっぱりそうなんですね。
だって自分の手でお魚だったものがこうやって一つの商品になっていくってすごいことですもんね。
そうですね。一つ一つ全部手作業になるので、いわばハンドメイドじゃないですか、よく言えば。
そう思うと愛着というか、他の工場でできた製品よりかはありますよね。
それはそうですよ。だって一つ一つ手で頭を落として、
3枚におろして、それをザルみたいなのに乗せて、
火を起こして、火を入れて、火の世話もずっとして。
火の世話もして、骨もちゃんと取って、一個一個こういう風に真空パックにする。
すごいなあ。そりゃもう愛情手間暇かかってますもんね。
それですごいなと思うのが、実はカイト君にはもう一つの一面がありまして、
eスポーツ、ゲームにおける、なんて説明したらいいのかな。
eスポーツって私もうまく説明できなくて、改めてどんなものか教えてもらいたくて。
eスポーツって一言で言うのは今の時代ちょっと難しいかもしれないんですけど、
ベースとしては、エレクトニックスポーツの略で、
電子ゲームを使ったものを競技的に捉えたものをeスポーツ。
だからそれはどんなゲームのジャンルとかは問わず、
指先を使ってコントローラーなんかを動かして競ったりとかすること全般を
eスポーツと呼んでいると。
カイト君の面白いのは、カネシン商店さんの3代目でありながら、
eスポーツを使って地域を盛り上げていこうという活動も同時にされているんですよね。
はい。
今のeスポーツに関わることでどんな活動をされているのかっていうのを教えてもらってもいいですか。
地域を盛り上げるっていうのは、例えば。
そうですね。今僕が立ち上げたEKゲーミングクラブっていうゲームクラブチームがありまして、
そちらの方では地域の交流をゲームで作っていきたいというところと、
子どもたちが遊べる場所、楽しく見れる場所という面と、
あと、eスポーツをこの東吉州に広げたいっていう意味を込めて活動をしているんですけど、
今はゲーム大会を年3回ぐらいですかね。
の大会をしたりだとか、2週に1回ゲームミーティングって言いまして、
この地域の子どもたちであったり、僕ら世代のちょっと20代前後の人たちは、
世代を問わず大人の40、50ぐらいの方も来てくださって、みんなでゲームをして、
オフラインなので中を深めながら、他世代の交流もありつつ、
普段一人ではできないゲームのやり方をその場ではやってみるのをやっています。
例えばパーティーゲームみたいなやつとか。
そうですね。パーティーゲームもありますけど、今よくやっているのはスマッシュブラザーズを団体戦でやっています。
楽しい。
感じをしたりとか。
だから小学生の子もいれば、40代50代の大人もいれば、大学生とか20くらいのお兄ちゃんお姉ちゃんもいれば、
ごちゃ混ぜで一つのチームになって、みんなでわーって言いながら応援し合ってスマブラをやるっていう。
めちゃめちゃ楽しいじゃないですか。
私もその話を聞いた時にすごい良いなって思って。
ゲームって体格とか関係ないから、例えばそれが野球とかドッジボールとかになっちゃうと、
どうしても体格差が生まれて大人は何かちょっと手加減をするとか、
子供はちょっと大人と戦うの怖いなとかあると思うんですけど、
ゲームの中だとそういう垣根がすごく低くなりますもんね。
そうですね。
そうか。
どうですか?やってて手応えというか、みんな楽しそうだなみたいなのって感じますか?
やっぱりいつもさあやってよかったなってその瞬間やっぱり思えますね。
どうしても地域に人が少なくなっていく中で、
みんなが集まれるコミュニティというか、みんなの共通言語をたり得るものってなかなかないじゃないですか。
集まりたくても集まる口実がないとか、場所がないとかっていうのってすごいみんなが感じていることだと思うんですけど、
新しいつながりの創出
カイト君みたいにそういうゲームだったら自分でもできるかもなとか、
アクションゲーム苦手だけど団体戦だったら得意な人が教えてくれるだろうとか。
教え合いとかもうまい人が引っ張ってくれたりとか、そういうのもあるので面白いところですかね。
ちなみにというか、カイト君がeスポーツっていうのはもともと自分がゲーム好きだったりしたんですか?
ゲームは人並みに好きな程度だったんですけども、
大学の時に韓国人の友達と仲良くなることがありまして、今も仲良いんですけども、そこでeスポーツっていうものを教えてもらいまして。
eスポーツっていう文化があるんだよっていうのを知って。
やっぱり韓国はそのeスポーツが進んでまして。
そうなんですか。
世界を見ると、やっぱ日本が逆に遅れてる。浸透してないっていう点で。
っていうお話を聞いて、実際にどういうものか見て、自分もeスポーツに近いゲームとかをどんどんやっていくようになって、これを田舎でできたらいいんじゃないかなと。
しかもeスポーツって場所もどこだっていいじゃないですか。ネットと電気さえあればできるので、場所が関係ないっていうのと、
あとここにいながら名古屋の人と対戦するとか、ここが地元で名古屋のことをやるっていうこともできて、
僕も実際にもともと中学、高校って友達だったんですけど、あんまり高校に上がってしゃべる機会なくて。
ふとした時に大学時代に連絡を取ったら、一緒のゲームをやっていて。
そっからもう6年くらいですか、付き合いになって今もこのEKの手伝いをしてくれてます。
離れた場所に住んでるけど、いつも一緒にゲームをやってるみたいな。
そうですそうです。そういう地元、遠いんですけど、つながりを細くでも糸をつなげることができるのは、一つ面白いなと自分の経験から思ってます。
ほんとですね。リアルでは来れない距離でも、オンラインにみんなが集まれる場っていうのがあって、そこでみんなでゲームして盛り上がるっていうことができると。
たまに帰ってきた時に会ってみたいなのができたら、もうそれだけでもいいですし。
もし10年後生活というか、人生のプランが変わってこっちに帰ってこようかなっていう時に、同棲になるかもしれないなとか。
そうですね、多分どうしても高校とか大学進学を機に向こうで進学してそのまま就職しちゃった子たちって、たまにしか実家に帰ってこなかったりすると、
もう当時の友達とかと連絡取れなくなってたり、きっかけがなくて行けなかったり、誰も同窓会企画してくれないしとか。
そういうのがないと、結局帰ってきても会う友達もいないとかなると寂しいけれど、ずっとゲームを通じてつながってる同級生とかいれば、
あいつも地元で頑張ってたのは、なんか俺もこうやってみようかなってなりそうですもんね。
はいとくんは金振さんで家業を継いで頑張りながら、ゲームっていうeスポーツを通じて地域内外の人とつながりながら、生き方そのものを発信していってるような感じですね。
そうですかね。今僕にできること、これまでのなかなかない人生だと思いますので、僕の強みを生かして頑張れたらなと思っています。
地域をつなぐe-sportsの活用
最高です。素晴らしいですね本当に。なんかこう、ついつい私たちもこの地域に暮らして、こういう人口が減ってってるとか、後継ぎがいないとかいろんな話を聞くんだけれども、解決法ってこれっていうのはどうしてもやっぱりすぐには見つからなくて。
でもその中で、かいとくんはできることってしてった結果、オンラインっていうeスポーツっていうツールを使って、今一歩でも前に進もうとしてるわけじゃないですか。なんかそれすごい大事だなと思って、方法にとらわれずできることをやっていくっていうことの、なんか大事さをすごい教えてもらった感じがします。ありがとうございます。
そんな大事そうなこと言ったつもりではないですけど。
3代目。これからも頑張ってください。応援してます。
はい、頑張ります。ありがとうございます。
おかえり食堂。
かいとくん、毎回おかえり食堂っていう名目で、地元で昔から自分がこれと一緒に育ってきたなみたいな味とかお店みたいなのを聞いてるんですけど、ずばりどこですか?
食堂とかではないんですけども、さんぺ屋さんっていう駄菓子屋さんがありまして、小学校の近くに。そこにみんなでこぞって、寄ってお菓子を買って、握りしめて小学校で遊ぶっていうのが定番のプランだったので。
駄菓子だけじゃなくて、かき氷とか大判焼きとか、そういったサイドメニューって言ったじゃないですかね。
ホットスナックみたいな。
はい、ホットスナック。よく言うホットスナックですよね。そうなんですよ。気持ちのコンビニみたいなやつがあるので。
私も実はさっき先に言ってきたんですけど、学校のちょうど目の前の通りにさんぺ屋さんがあるんですよね。
そうです。
かいとくんは小学校出身?
はい、小学校出身なので。
小学校で学校終わったら、家にランドセルペッて置いて、お金握りしめて、みんなでさんぺ屋に行って、買って、小学校に戻って、いろいろ遊んで、また帰ってきて。
ほんと、思い出の場所ですね。
一番通ったお店じゃないですね。
育ててもらった。
そうですね。
じゃあ、今のかいとくんの体は、がねしんさんの生節と大阪焼きでできているということではない?
過言ではないかもですね。
奥村かいとの材料、この2つということで。
ちなみにおすすめ、これは食べてほしいな、みたいなメニューはやっぱり大阪焼き?かき氷?
そうですね。僕はあんまりかき氷は得意じゃなかったので、あんまり食べてないんですけど、大阪焼きとかは食べましたね。
大阪焼き、すごい味の種類がいくつかあって。
すごいんですよね。
カレー味とか、マヨ玉みたいなフード系もあるんですよね。
何味がおすすめですか?
本当にいろいろあって、でも僕はやっぱりプレーンに小豆のあんこのやつ。
あんこが一番?
はい、あんこがやっぱりまずはですかね。
わかりました。ちょっとまた食べに行きたいと思います。
はい。
じゃあ、今日はありがとうございました。
はい、ありがとうございます。
さあ、というわけで、私玉置ゆり子がお届けしてきた耳見えラジオ、今回は紀北町の引元浦からお届けしてきましたが、
いやー、すごい若者がいるもんですね。
なんか本当にね、すごく私たちももっと頑張ろうって、なんかすごい勇気をもらったというか、
頑張ってる人がいると、やっぱりそういう人たちのもとに人って集まってくるもんだなって思うので、
なんかきっとカイト君の思いっていうのはこれからいろんな人に伝わっていくんじゃないかなって、この引元浦からそんなふうに感じました。
ということで、次回もこんな感じでゲストをお呼びして耳見えラジオお届けしていきます。
次回はですね、南伊勢町のももちゃんがパーソナリティーとして担当してくれます。
今回収録をしたおすすめスポットだったり、それから三重県の面白情報、番組の裏側なんか、
公式のSNS、インスタグラムとTikTokがありますので、そちらを是非ともチェックしてみてください。
この番組耳見えラジオはSpotify、Apple Podcast、YouTube Musicなど主要な音声配信プラットフォームで、
毎月第1、第3金曜日に最新エピソードを配信しています。
リスナーのみんなからのお便りもどしどしお待ちしています。
番組の感想だったりとか、あなたにとってのおかえり食堂だったりとか、
あとはね、うちにしかない方言の話題とかもあったら是非とも送ってほしいです。
番組へのお便りや感想は番組の概要欄からジャンプすることができる番組のホームページに
メッセージフォームというのがあるので、そこから是非とも送ってください。
ではでは、ももちゃん次回はよろしくお願いします。
ちなみに私玉由里とは次の次でまたお会いできる予定なので楽しみにしていてください。
ということでここまでのお相手は耳見えラジオパーソナリティの玉置由里子でした。またねー!