無の探求
それではやって参ります。みきさっくのJust DAO it!元気盛りラジオ始まるぜ。
さあ、今日もいい天気で元気盛りでやっていくんだぜ。
今日のお話はさあ、最近読んだ本で、無、何にもないようの無、イコール最高の状態という本を読んだんだよね。
これさあ、この本を読む前にさあ、確か超小魅力という本を読んでたんだけれどもさあ、
それは田村敦史くんだよね。あの論文の田村敦史くんの本を読んでてさあ、そのついでじゃなかったんだけれども、
今日お話しする無イコール最高の状態っていう本を選んだんだよね。
この本はさあ、田村敦史くんにさあ、習ってじゃないんだけれどもさあ、一緒にKindle Limitedをしたもんだからさあ、
こちらもお笑い芸人の方の本だと思ってたんだよね。
鈴木拓くん、ドランクドラゴンのさあ、鈴木拓くんの無イコール最高の状態かっていう風に思ってたんだよ。
でもさあ、読んでたんだよ。読んでたらさあ、妙に難しい言葉使うなあ。
なんだ俺、能科学が出てきたりさあ、仏教が出てきたりさあ、難しいこと知ってんだなあ、鈴木拓くん、ドランクの鈴木拓くんはって思ってたんだよ。
そしたらさあ、蓋開けて読み終わったらさあ、著者、鈴木優、鈴木拓じゃなくて、鈴木優、優って書いてあったよ。
おいおいおい、これはこれは、ローガンズか、一体俺はローガンズの仲間入りか、足を踏み入れたのか、そんな風に思ったって話。
そんなことを言いたいわけじゃないんだぜ。
今日話したいのはさあ、この内容の部分なんだよね。
感情のメカニズム
無イコール最高の状態ってどういうことって思うよね。
この無って何もしねえってことだろ。
例えばチャレンジングだぜと思うことだったりさあ、これ危なっかしいけどやってみようかなあっていうことをやらないっていうことも無なんじゃねえか。
つまりはさあ、挑戦しなければさあ、感情の高まりもないし、感情の低まりというかさあ、ネガティブにもならないんじゃねえか。
ポジティブにもならない、ネガティブにもならない、それのどこがいいんだっていうことに思いがちなんだけれどもさあ、そんな浅いところじゃなかったんだぜ。
人っていうのはさあ、ポジティブな情報よりもネガティブな情報に反応しやすくなってるんだよね。
ネガティブな情報に感情を引っ張られがちということは、感情の動き、ストレスの原因となるのがさあ、ネガティブな思考によるものっていうのが多い傾向にあるんだよね。
これこそが人なんだよね。実際、実際なんだけれどもさあ、動物にもネガティブな感情は生まれるんだよ。
ネガティブな感情っていうのはさあ、人だけではない。動物にも起こり得る。
でもさあ、動物と人との決定的な違いっていうのがさあ、人はネガティブな情報をずっと引きずってしまうんだよね。
動物はさあ、悲しいことがありました。
例えば、親子のクジラだったりさあ、親子の動物、サルでもいいや。
サルでもっていうので、自分の子供が外敵から襲われて、もう嫌な結果になったとしてもさあ、その場ではめちゃくちゃ苦しむの。
めちゃくちゃ苦しむんだけれどもさあ、一日経ったらさあ、もうそのことはなかったことにできるのが動物なんだぜ。
というわけでさあ、人は引っ張るよね。
ああ、亡くなっちまったみたいな感情が生まれてさあ、あの時こうすればよかったんじゃねえか、あの時ああすればよかったんじゃねえか、
ということで、何度も何度もそのことについて考えてしまう。
これを心理学用語ではさあ、反数思考って言ったりするらしいんだけれどもさあ、何度も何度も嫌なことを考えて、その考えるたびにまた嫌な状態になってしまうということなんだよね。
でもさあ、これがこういったメガティブな感情が無駄としたらどうだっていう感じの本でさあ、
無、これを無にするための修行本みたいな感じだったんだぜ。
世界との関係
でもさあ、そんな僧侶じゃあるまいし、そんなことして面白いのかなんていう感情もあったんだよね。
だからさあ、その辺のああせいこうせいっていう手法については、はーん、はーん、はーんっていう感じで読み進めていたんだけれどもさあ、
まあでも、ネガティブな感情をいち早く無にはできないんだけれどもさあ、忘れるじゃねえんだけれどもさあ、
なるべくいつもの状態に戻すことが素早くできたら、できたなら、それはいい状態だよねっていうことなんだよね。
でさあ、冒頭話したけどさあ、じゃあ無イコール最高の状態なんであればさあ、挑戦しなければいいじゃねえかなんていうふうにも思えるんだけれどもさあ、
いや、それは違うぜっていうことなんだよね。
必ず、物事っていうのはさあ、何らかしらの変化が起きているっていうことなんだよね。
その何らかしらの変化を受け入れるっていうことなんだよね。
時として、例えば今から急に野球選手になってくださいっていうことはさあ、もう絶対に無理なことなんだよね。
この絶対に無理なことを諦める、でもさあ中途半端にできそうでできないかもっていうことに対してはさあ、やりたくなっちゃうよね。
やりたいんだぜっていう感じでさあ、挑戦するとして、失敗したとしよう。
失敗したとしても、それはさあ、諦めればいいんだぜみたいなことを言ってたんだ。
ああ、諦めたらそこで試合終了じゃねえかなんていうふうにも思うんだけれどもさあ、
いや、その失敗したということを一段上の師匠からさあ、一段上の神の視点をもって、
いやいや、それもいいぜ。だってさあ、俺たちは自分のことだけを考えている。
その考えをやめなっていう感じでさあ、全ての人が交わって生きているっていうことなんだよね。
要するにさあ、俺たちはこの世界を作っている一部なんだぜっていうことで捉えるっていうことなんだよね。
例えばじゃあ、川があります。川があってさあ、何でもいいぜ。大きな大きな川があってさあ、
その川のコップ、その川っていうのはさあ、もう、なんだ、見てくれからしてさあ、もう川じゃねえか。
その川をさあ、じゃあコップを使って川の水を取るとしよう。
そしたら、そのコップの中にある川の水っていうのはさあ、その川っていうことが言えますかっていうことなんだよね。
言えないよね。言えないんだ。このコップの中に入っている水は、単なら外から持ってきた水になるんだよ。
その、例えばシナノ川、トネ川から持ってきたとしてもさあ、そのコップの中の水はシナノ川でもねえし、トネ川でもねえんだよね。
なんなんだよ。なんなんだよこれって。でもさあ、コップから戻して、その元あった場所に戻すとしたら、それは川になるんだよ。
どういうことっていう感じだよね。これはさあ、もう世界の一部なんだよっていう感じでさあ、この世界、
例えば、例えばじゃねえや、たとえ、たとえないんだけれどもさあ、川があって、コップの中の水、コップですくって、取ってみた水は川じゃなくなるっていうことなんだけれども、
その現象自体も世界なんだよね。だからさあ、川っていう小さな固定、小枠、この枠の中では川か川か川じゃねえかしかねえんだけれどもさあ、
いやいや川があるのが地球なんだよっていう、もう一段高めの資産を持つことなんだよね。
俺たちはイコールとして、人っていうのはイコールとして世界なんだよっていう感じなんだよね。
それを受け入れることができたら、何の変化、何の反応ですらも、これは世界の一部の現象なんだぞっていう感じで受け入れられるんだよね。
だから、人は人としての、個体としての視点を持つのではなくてさあ、人は世界なんだよという状態に持っていくことができたら、
ネガティブな感情も生まれにくい、ポジティブなものはポジティブとして捉えればいいということで、幸せ、生きやすい人生を歩めるぜって話。
よーし、いやーこれは深い話をしたよね。なんだか仏教に近いような話になったんだけれどもさあ、
いろんな脳の、この脳科学があって、脳がこういう反応をするからネガティブな感情も生まれるし、ポジティブな感情も生まれる。
でも、このネガティブな反応をなるべく起こさないようにできたのならば、ポジティブな人生に変わるんじゃねえか。
そうやって自分の人生を幸せにしよう。だって俺たちはもっと幸せに生きたいんだものという話。
よーし、お聴きいただけ、ありがとうよ。ミキサクのジェスタウィー元気森ラジオ、今日も元気でいってらっしゃい。