作品の導入と比較の背景
こんにちは、midoriです。今日は雑談ですが、カフカの変身と江戸川乱歩の芋虫の比較をしてみたいと思います。
きっかけとしては、1週間ぐらい前に白井さんが配信されていたカフカの変身の話と、
あともうちょっと前ですけれども、両太郎さんが前に批評の話をされていて、
三宅花穂さんの「話が面白い人は何をどう読んでいるのか?」の中で、読む技術として作品の比較の話をされていたと思います。
その時、両太郎さんはプロジェクトヘールメアリーと、あとバタの比較をされていて、全然違う話なのに、そういうところで共通性があるのかとか、
そういうふうに見るのかっていうところがすごく面白かったので、私もですね、過去に読んだ作品ではあるんですが、
この2つの作品がですね、なんとなく変身の話を聞いた時に思い浮かんだので、ちょっと比較をしてみたいなと思います。
このカフカの変身と江戸川乱法の芋虫って全く同じテーマではなくて、だいぶ違う感じの物語だと思うんですけれども、
共通している部分もあるなと思って、それで変身の話を聞いた時にこの芋虫を思い出したんですけれども、
その点について私が感じたことを話していきたいと思います。
変身と芋虫の内容
まず変身の内容については白井さんの配信を聞いていただければと思うんですけれども、簡単に言うと、朝起きたら主人公が巨大な毒虫になっていたというところから始まります。
それまでは必死に働いて家族を支えてきた主人公が虫になってしまったことで、家族からだんだん冷たい扱いをされて、最終的には悲しい結末を迎えるというような話なんですけれども、
一方で江戸川乱法の芋虫の主人公は、奥さんの目線から話が進んでいくんですけれども、
その夫がですね、戦地に行っていて、戦地から帰ってくるんですが、その姿がですね、両手両足を失って、聴覚も失って、喉も潰れてしまって、声がほとんど出せないという状態で帰ってきます。
残っているのは、わずかな触覚、触った感覚と、あと視覚だけっていう状態の夫が帰ってきて、
その当時ね、戦争なので、戦争で傷を負って生きながらえて帰ってきたみたいな、だから軍心だみたいな感じで英雄扱いされて帰ってくるんですよね。
で、その主人公の奥さんの方は、その英雄の妻として周りから賞賛の目と、そして哀れみの目を向けられるっていうところがスタートになるんですけれども、
そこからですね、奥さんは献身的に夫を支えなければいけないというか、献身的に夫を支えていくんですけれども、
二人きりでね、だんだんに周りからの支援も少なくなっていく中、もうたった二人だけ狭い部屋の中で生活していく中で、
夫もそうですし、奥さんの方もだんだんに狂っていくというような、ホラー味がかなり強い作品です。
ちょっとね、エログロテイストが強いので、読む人は選ぶかなとは思うんですけれども、
この二つについてですね、感じたことを話していきたいなと思います。
献身も芋虫もですね、両方とも家族を支えていた人間が機能を失ってしまうという点では共通しているかなと思います。
なんですけれども、大きな違いとして、献身の方では主人公自身が虫になってしまって、その主人公の内面描写を通じて世界が描かれるので、
読者としては主人公にすごく同情するところとか共感するところがあって、姿は虫なんですけれども、人間味を感じるんじゃないかなと思います。
一方で芋虫は一貫して奥さんの視点の方で描かれていくので、一方の旦那に関しては声も出せないし、内面描写もないですし、言葉による会話というのはほとんどないんですね。
唯一、目で訴えたりとか、音を出して、バンバンって音を出して、何か自分が要求をしているというのを示したりとか、あとは口で筆をとって、紙に何か文字を書いて意思疎通をするということができるんですけれども、
かなりコストが高いので、ほとんど意思疎通をするシーンがないんですね。
なので、夫の存在は芋虫の中では、人間なんだけれども、もう人間ではないものとして描かれているんですよね。
奥さんの描写として、夫は黄色い芋虫のような存在だ、みたいなことを言っていたりとか、
機能喪失と人間性の違い
あとは、夫が自分の希望が通らなかったりすると、残った手足と頭を使って畳の上をぐるぐる回って、まるでコマのように回転するので、肉ゴマって表現してたりするんですけれども、
なので、姿形は一応人間なんですけれども、人間味をだいぶ失ったモンスターみたいな形の描かれ方をしています。
あとは、感覚のほとんどを失ってしまったことで、夫の狂気はだんだん増していって、食欲と性欲だけが異様に強調されていくんですね。
そういうところも、本当に得体の知れない、何を考えているかわからなくて、欲望だけを向けられる、醜いモンスターというようなところがすごく強く描かれているのかなというふうに思います。
なので、テーマは似ているんですけれども、機能を失った人間というものに対する見方がだいぶ違っているのかなというのが、その2つを思い浮かべたときに感じたことでした。
なので、見た目だけで言えば、巨大な毒虫の方が人間からだいぶ遠い存在だとは思うんですけれども、内面の描写がある分だけ、変身のグレゴールの方がより人間に近いような感覚になるんじゃないかなと思います。
どちらの作品の中でも、周囲の人間から見れば、そのグレゴールも、あとはその異聞子の方の夫の方も、一卒ができない巨大な肉体であったり、モンスターというような存在ではあるんですけれども、
変身の方は、読者だけはグレゴールの内面を知っているので、そういう面では、醜さとかおぞましさというよりは同情的な目線を向けやすいと思うんですけれども、
一方で芋虫の方は、他人の目線だけによって機能を失った人間を見ていくので、完全なモンスターというところが一貫していると思います。
変身の方では、最初は家族もグレゴールに対して献身的に世話をするし、今まで世話になったという恩もあるので、優しく接しているんですけれども、
元に戻る見込みもなくて、一卒もできないという中で、だんだんグレゴールは家族から冷たくされていって、最終的にはリンゴを投げつけられて衰弱して死んでしまうというような悲しいお話なんですけれども、
芋虫の方はですね、描かれ方がより悪意があって、奥さんはこの旦那さんを3年間献身的に支え続けるんですけれども、
途中からというか、どこからかというのは明確には描かれてないですけれども、だんだんにこの夫をいじめてやりたい、もう夫という認識でもあまりないんですよね。
巨大な肉塊とか黄色い芋虫をいじめてやりたい、みたいな歪んだ心が芽生えてきてしまって、
なので、旦那さんを愛する人間としてではなくて、自分がいなければ何もできない存在として見てしまって、いじめたい気持ちとか、
あとはその歪んだ愛おしさっていうのを考えてしまうっていうようなお話なんですよね。
芋虫の後半では奥さんはですね、旦那がもうほとんどモンスターとしてしか存在してないような中で、
唯一人間性を宿している目線がすごく気になってしまって、
目に対してすごくイライラして取り返しのつかない行動に出てしまうんですよね。
その結果、悲しい結末を迎えるんですけれども、
最初に芋虫を読んだ時は漫画版になっていたので漫画で読んだんですけれども、
その時はですね、結構ホラー作家が書いたっていうのもあって、
純粋なホラー作品として読んだんですけれども、
これを配信撮ろうと思った時に、ちゃんと原作でも読んでみようと思って、
読むというよりもオーディブルで芋虫を聞いてみたんですけれども、
結構切なくて悲しい物語だなというふうに思いました。
最後の方でですね、取り返しのつかない行動を奥さんがしてしまったことに対して、
ずっと許してくれって言うんですけれども、
ほとんど意思疎通も図れないし大変なことをしてしまって、
旦那さんの方も意思を示せないんですけれども、
最後の最後にですね、必死に許すっていう言葉だけを残して、
ラストを迎えるというところがですね、
人間性を全て失ってしまう前に、
振り絞って出した理性がその許すっていう三文字だったのかなというふうに感じました。
というところで芋虫はですね、こういったお話なんですけれども、
芋虫の恐怖と絶望
普通に読むとですね、日常から切り離されたもののすごく恐ろしい話、
非日常的な話っていうふうにも捉えられるかなと思うんですけれども、
ただこの芋虫の怖いところって、
誰にでも起こり得る話でもあると思うんですよね。
時代が違うので、戦争で負傷した消費軍人を迎えるってことは、
もちろんないと思うんですけれども、
ただある日突然自分の身近な人が全ての機能を失ってしまう、
で身近な自分がそのケアを一手に担うっていうことは、
誰にでもあり得ることだと思います。
なのでそのケアをしなければいけないっていうことの絶望であったりとか、
あとはその芋虫ではやっぱり分かりやすく、
軍神英雄である夫を支える妻っていうところで、
侵略化されたりとか、みんなからこう称賛されたりしていて、
なかなかその立場から降りられないっていうところも、
苦しみを増幅させているポイントなのかなと思うので、
そういう面はね、現代でも少なからずあるんじゃないかなと思っていて、
その医療的にケアが必要な子供であったりとか、
身近な人を支える奥さんとかお母さんとか、
もちろん旦那さんとかっていうのもあり得ますけども、
お父さんだったり旦那さんっていうのもあり得ますが、
そういう立場にいるとね、すごく尊い人みたいな扱いになって、
なんか強い人だねとか、選ばれた人っていうか、
そういう人に対して神は乗り越えられる試練しか与えないみたいなことを
言ってしまう人もいるんですけども、
そういうふうにね、周りからこう崇められたりとか、
尊敬というか称賛されたり、同情の目を向けられることによって、
余計に抜け出せなくなるっていうのはあるんじゃないかなというふうに思います。
だからケアを尊いものとして人に押し付けて、
その役割に縛り付けるっていうことの恐ろしさも同時に、
この芋虫という作品には含まれているんじゃないかなというふうに
改めて読んで感じました。
変身と弱さの描写
あと目の前の人がね、守るべき存在だったりとか、
尊敬する存在だったはずが、
だんだんにいじめたい存在になっていくっていうところは、
村田沙耶香さんの世界99とも通じる部分があるかなというふうに思いました。
主人公の空子は最初はか弱いというか、
若い女の子だったので、
しかもちょっとロリっぽいところがあったので、
ちょっと変態な男たちから欲望の目を向けられて、
いろいろひどいことされたりとかっていうふうな存在ではあったんですけれども、
その性の役割がだんだんピョコルンに移っていくことによって、
しかも自分よりも圧倒的に弱い存在のピョコルンという存在ができたことによって、
ピョコルンに対して加害性というか、攻撃心が生まれてきてしまうというところがあったと思うんですけれども、
そういうところにも通じるなと思いました。
だから芋虫もね、
夫がそうなる前にどういう関係性だったかというところは描かれてはいないものの、
やっぱり昭和初期の時代なので、
多分旦那が強くて、
家の中の中心的存在であって、
家の大黒柱だった夫が、
自分よりも圧倒的に弱い存在になってしまって、
自分がいなければ生きることもできないような存在になったことによって、
いじめたいっていう、見にくい気持ちが生まれてきてしまうっていうところも、
人間の残酷さであったりとか、人間の弱さみたいなところで、
世界99のピョコルに対して、
加害性が生まれてしまうところと似たような描写なのかなというふうに感じました。
なので、相手が人間っていうふうに思えなくなってしまった時に、
相手に対して愛情だったりとか、
尊敬とかそういう念がだんだん取り払われていって、
ただのモンスターとして扱われてしまうっていうところは、
変身でも芋虫でも共通している部分なのかなというふうに思います。
その人間の恐ろしさとか弱さみたいなところをどっちも描いている作品ではあると思います。
その一方で、機能を失った人間をどの目線で切り取るかによって、
本当に同情的に思えるのか、それともただのモンスターとして映るのかっていうのも違ってくるのかなというふうに、
この2つの作品を比較して思いました。
というところで、比較してみると作品への理解というか、
いろいろ考えが浮かぶなというふうに思ったので、
こういう試みもまたしてみたいなと思います。
聞いていただいた方はありがとうございました。