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2022-08-05 13:38

今日の10分de1テーマ「陰謀論を発生させてしまって申し訳ない件」

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。

[beats by P.J INLAND]

00:14
はい、というわけで始まりました。
また最近、思っているようなことを、つらつら話したいと思うんですけど、
えーっとですね、えーなんだっけ、あれか、そう、最近一つ思っていることがあって、
あの、自分のですね、担当している作品があってですね、
で、それがまあ、まあね、おかげさまで好調に推しているんですけど、
で、たくさんのですね、読んでいる人の感想などがですね、SNSとかで見られるんですよね。
で、それをですね、ふむふむって見て楽しんでいるんですが、
そうするとですね、あの、なんというか、その作品を読んで、こう、
いやこの作品にも書いてある通り、世界というのはこういう奴らに牛耳られているんだとかですね、
この作品にも書いてある通り、あの、こういう陰謀がみたいな感じのですね、
たまにこうすごい、漫画の内容をガチ陰謀論として捉えている、あの、
ですね、あのリアクションが結構見受けられてですね、
困ったなっていうところがありまして、
でですね、なんでこんなことになるのかなっていうのをちょっと思ってたんですけど、
えーとですね、あの、まあ、なんていうんですかね、すごい小さなお話だったら、
なんか、なんだろう、ある家族の、なんか、笹谷さんみたいな話とかね、
とかだったらですね、まあそんななんかこう、大したことは起こらないわけですけど、
まあある程度大きいスケールの話だとですね、まあ、
例えば世界的な危機みたいなことが起こったりとかしてですね、
で、主人公がその世界を救うために立ち上がるみたいな話だったりするわけじゃないですか、
すごいですね、その、なんていうか、あの、
その世界のですね、で起こっている大きな出来事と、
えー、主人公たち主要キャラクターがですね、
まあ、が直接まあ、まあもちろん解決とかなんかその直接関わっておくわけですよね、
それはね、なんかこう、あの、世界的にすごい危機が起こっててですね、
でも主人公たちはそれと全然関係ないところで頑張ってますみたいなのは、
なんだそりゃっていうかね、まあそういう作品はそういう作品で面白そうなとは思うんですけど、
まあちょっとあの、なんていうか、アリューですよね、
あの、基本的にはまあそういうすごいあの大きな危機っていうのは
主人公たちが立ち向かっていくみたいな話がまあ基本だと思うんですけど、
で、そうなるとですね、えっと、
えー、当然その起こっている出来事と、
03:00
えー、主人公たちっていうのがですね、密接に関わっていくんですよね、
まあなんかね、例えばですけど、まあすごいベタな展開で言うとですね、
あの、例えば、ね、魔王の正体は実は、あの、
主人公の父親だったみたいなことってあるわけじゃないですか、
まさか俺の父さんとは、みたいなこととかって、
まあスターウォーズとかもそうなわけですけど、
まあスターウォーズとかわかりやすいですよね、そのスターウォーズのですね、
まあその、えー、なんていうか、あの、
その宇宙の危機みたいなことがですね、
進行していて、その中心人物であるダース・フェイダーがですね、
主人公の、あのね、ルーク・スカイウォーカーの父親だった、
みたいな話で、まあ結局その父子の話なわけですよね。
言ってしまうとこの父と子の戦いっていうのにですね、
世界の命運がかかってたりとかするわけですよね。
でですね、えーと、そういうこう、まあ、どうしても物語っていうのにしていく中でですね、
あの、なんかあるすごい狭い人間関係とかですね、
少数の人間たちの濃密な関わりっていうのがですね、
世界の命運とものすごく直結しているっていうのがですね、
なんかこう大掛かりなストーリーの、えー、まあやっぱ構造的ななんかこう、
あの、どうしてもそうなっちゃう部分はあるんですよね。
主人公たちはですね、まあすっごいでかい危機、なんか戦争みたいな、宇宙戦争みたいなのが起こっててですね、
そのある地域で戦っててですね、
あの、一方でそれと全然関係ないところで全然死なないものすごい悪の帝王みたいなのがですね、
えー、もっと大きな局面に進めてるみたいな話って、
なんじゃそりゃって感じがするわけで、
そこ主人公関わらんのかい?みたいな感じになるわけですよね。
でですね、あの、まあだからもちろん関わっていくっていうのに、
物語っていうのはどうしてもそういう形になってくわけですけど、
えー、そうなるとですね、なんでまあ自分が担当している作品っていうのも、
そういう風にまあ作られてるわけですよね。
えー、世の中のですね、ある大きな危機みたいなことが起こっていて、
そこに主人公たちっていうのの過去だったりとか、
えー、出自だったりとか、
えー、のが濃密に関わってくるっていうまあ、ストーリーになってるわけですよね。
で、それを見るとですね、やはりこういうことだったのか、
こういう、こういうような感じで、
こういう風に、なんていうか、現実の社会もこういう風に、
えー、一部の人間によって操られてるんじゃないかみたいな風に捉える人が出てくると。
で、これもう一つ理由があってですね、
えー、これは例えばですけど、
ハリウッドで脚本を教えてる脚本教室とかみたいなとこ行くと、
そうやって教えてるらしいんですけど、
06:00
それは町山智博さんが脚本教室、
アメリカの脚本教室に通ったらそうやって教えられたって言ってたやつなんですけど、
あの、例えばホラー映画を作るっていう時に、
そのホラーの恐怖の対象とかモンスターですよね。
っていうのは、社会にある現実の恐怖ととか不安とを想起させたり、
一致する視点にないといけないと言ってたんですよね。
そうじゃないと、いくら怖いものが出てきても、
それはただのモンスターに過ぎないから、映画では怖くないと。
つまり、僕らが道端歩いてて突然ヒグマが出てきて襲いかかってきたら死ぬほど怖いわけですけど、
突然ですね、主人公が歩いてたらヒグマがバーンって出てきて襲いかかってきてもですね、
映画として見る分には、なんじゃそりゃって話なわけですよね。
現実にはあり得るけど、映画にすると怖くない。
なぜかというと、主人公とかの持ってるテーマとかみたいなことと全く関係なく、
ヒグマがただ襲いかかってきてるだけだからなわけですよね。
そしてそれを鑑賞しているこっちにとっても、
全くそのヒグマっていうものに対して何のテーマも見出せない。
はびっくりしたとはなるけど怖くはないわけですよね。
という理由でですね、やはりフィクションの中で描かれていることっていうのは
現実のものと関係していないといけないのだっていうのが物語の一つ養成される部分はあるんですよね。
それはですね、自分が編集者としても意識している部分なので、
その作品に関してもですね、世の中のことを想起させるような描き方で描いてもらってるわけですよね。
そうなるとですね、世の中のものを想起させる。
まず読んだら世の中のものを想起させる。
さらにそれが少数の人間のですね、意外な真実などによって操られているという真実が、
陰謀が明らかになるみたいなストーリーなんで、
なんていうか、やはりコロナはこうだったんだとか、やはりアメリカはこうだったんだとかですね、
やはり云々観音は云々観音みたいな感じですね。
めちゃくちゃ陰謀論的感想が増えちゃうんですよね。
困ったなぁみたいな、そんなことを狙ってたわけじゃないんだけどなぁみたいなことを思っています。
でですね、実際ですね、物語はそういう風になんて言うんですかね、
さっきのね、クマにいきなり襲われるということは現実にあり得るし、
あったらものすごく恐ろしいことなんだけど、物語の中ではあっても怖くないし、
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逆に言うと物語の中でそんな構造の物語は存在しないわけですよね、
な感じなわけですけど、
つまりなんていうか、物語っていうのはこう、
秩序を付けられたというか、
精度付けられた現実みたいなものなんですよね。
で、その精度付けられた、秩序付けられた現実っていうのは、
まさに精度付けられて秩序付けられているわけですよね。
でも本当の現実っていうのは、全然精度付けられても秩序付けられてもないわけですよね。
すごいですね、もちろん偶発的ですし、
じゃあ誰かがですね、
誰かが何かの決定をしたから世の中はこうなっているんだ、
というようなことがあるんですけどもちろん、
ただその裏にはその人がそれを決定した構造的なものっていうのはあると、
歴史だったり文化だったりとか、
しかもその構造的なものっていうのはさらに偶発的なものに支えられているというか、
じゃあなんでそんな文化だったりとか歴史だったりしたんだっていうと、
意外とすごい偶然のくつみ重ねだったりするわけだし、
じゃあ重要な決定を暮らした人がその場にいるということも必然でもあるんだけど、
偶発的でもあるみたいなことがですね、歴史とかを紐解いていくとそんなことばっかりなわけですよね。
だからですね、誰か少数の意思で世界中をコントロールするみたいなことはですね、
到底不可能というか、
じゃあみんなでこっそり嘘ついて進めようぜって言ってですね、
陰謀を進めたとして、
絶対バレるわけですよね。
バレるし、それで全世界をコントロールするみたいなことはもちろん不可能なわけでですね。
なんだけど物語ってそういうふうにできてるんですよね。
誰かやっぱり少数の人間関係、濃密な人間関係っていうのが何か大きなですね、
こと、大きなテーマだったりとか、大きな世界の成り立ちみたいなことと関連付けられている。
っていうようなことが物語だったりすると。
そういうふうに秩序付けられている、制度付けられているのが物語なんだっていうのはあるわけですよね。
で、それを見てですね、それを見て、それを見た眼鏡をそのまま現実に当てはめて、
いやー、やはりこの漫画に書いてある通り、こういう陰謀があるんだみたいな、
っていう人がいるんだなーって思ってですね、
困ったなーみたいな。
僕はただ面白くしようと思っているだけなんですけど、
なかなかね、こういうのってどうやって防げばいいんだろうというふうに思いました。
12:09
まあそうですね、だから本当に何て言うんですかね、
いろんなキャッチコピーみたいなことを書くわけですけど、
キャッチコピーみたいなんでもですね、この間もキャッチコピーを書いていてですね、
思わぬ真実が明らかに、世界の真の姿が明らかになるみたいなキャッチコピーを一瞬書いたんですけど、
いや、こんなこと書いたらまたなんかそういうリアクションになるかもなと思って、
書き直してたりしましたね。
やっぱり何というかね、なんかこう、やっぱなんか人間の脳みそっていうのは、
どうしてもストーリーとして物事を受け取るようにできてるんだなというのはやっぱ思いましたね。
そういうふうにできてる脳みそに対して、その脳みそを喜ばせるために、
その脳みそにとって会意であるものを作るためにですね、
まあいろんな技術を駆使してですね、ストーリーをこちらとしては作っているわけですけど、
そのストーリーと同じ目がね、ストーリーを受け取る、その同じ受け取り方でですね、
その混沌としたね、世界っていうのをパッと見て、
ストーリーに成形し直すみたいなことが起こってしまうんだなと、
人間の差がみたいなものですよね。
というふうに思いました。
というわけで本日は以上です。ありがとうございました。
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