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今日のテーマトークは、『殺し屋1』です。
はい、えーと、解説って何読んだんやねん。
一応、一応、映画ドットコム開いてましたけど、一応。
じゃあ、読んでいただいていいですか?
一応、じゃあ、映画ドットコムから、映画版の方の解説の方を読ませていただきます。
原作は山本秀夫による全10巻の人気長編コミック。
浅野忠信の柿原役が、原作と同じキャラを映画監督でもある塚本真也、サブ、松尾鈴木ら個性派キャストが演じて映画化。
監督は新作ラッシュが続く三池隆。
舞台は新宿歌舞伎町。
全身金髪、顔中傷だらけの暴力に魅せられたヤクザカキャラと、彼らの率いる組を壊滅しようとする謎の男ジジイ。
そしてジジイが操る鳴き虫の殺し屋、殺し屋1の熾烈な戦いが繰り広げられる。
はい。
どうしたんですか?
三池隆の新作ラッシュっていうところが、情報として…
いい時代だったんですね。
いい時代じゃん。
最近確か三池隆の映画触れてない気がするから、一時期めっちゃよく埋めた記憶があるんですけどね。
今年もありますからちゃんと。
今年もあるんですか?
怪物の木こりっていう。
あー、あれ三池隆なんですね。
あれ、はいはい。楽しみながら。
では、内容に触れる話を入っていきたいと思いますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら見てから聞いていただけたらと思うんですけども、
この試合中のネタバレを気にするってどういう時代やって感じですけどね。
本当に。
まあまあ、内容触れますんで、見てくださいに呼んでくださいって感じなんですけどね。
はい、じゃあ、サーリンの感想。
まゆさん、サーリンの感想を聞くっていうのが、ちょっと無礼と言ってもいいかもしれないですけどね。
そうですね。
どうですか?この本作に関して。
まず、原作の漫画に関しては、ちょっと自分にとって特別な作品すぎて、あんまり批評するっていう存在にないんですけど、
映画に関しては、原作からすごいエンタメ性の部分をすごくうまく抽出してるなと思っていて、
どうしても原作から実写化する時に、描ききれない部分ってあると思うんですよね。
で、そこをもうスパッと切って、映像にして、面白いところっていうのをちゃんと映像にしてるっていうのが大好きなところですね。
まあまあ、細かくは後に置いときましょうか。
マリオンさん、いかがでした?
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えっと、そうですね。映画版はもうだいぶ前にまゆさんに勧められて一回見て、
今回もう一回漫画を一回読んで、そっから映画を見直してみたいな感じでちょっとしてみようかなと思ってしてみたんですけど、
そうですね。漫画の方はまず、こんなわけわからんことを漫画にして欲しくてめっちゃおもろいなって思ったんですけど、
こんな蒸気を知った暴力、よう思いついて描けるなっていう感じだったですね。
いや、ちょっとすごかったですね。まあ本当でも、押村区はやっぱり電子書籍で読んじゃったので、もう至る所白ぼかしなので、そこだけは本当に非常に残念でしたけど、
まあそれを抜けにしたとしても全然いや面白い話やな、やっぱりってぶっ飛んでるなっていうか、
で、むしろ映画版はよく、いや結構真面目にやってるなって思いましたよ。
結構頑張ってますよね。
よくこんなわけのわからんことをよくやり切ったなとさえ思うんですけど。
で、なおかつやっぱり原作と向きが違うところは全然あるじゃないですか。
まあアサルトの風貌とか全然違うとか、あと双子の設定とかもガラリと変えてますけど、全然なんか面白くやってるし、
あとやっぱ結末がやっぱりなんか違うところがやっぱ面白いなというか、どっちもいい塩梅の終わり方をするというかテーマがちょっと違う感じがするなっていうふうに思いながら見てて、
なんか映画版の方がすごく切ないラブストーリーとしてめちゃくちゃ良くないっていうふうに映画版の方が思えたかなって感じでしたかね、個人的に。
いやもう制作者ぐらい嬉しい。
聞いてて。
そうですか。
ありがとうございます。
はい、大石さんいかがですか?
そうですね、僕も原作読んで今回映画を見たんですけど、
なんだろう、たぶんまず漫画の原作に関しては絶対普段の自分のチョイスなら選ばない作品なんですよ。
こんな機会がなかったら多分読まなかったなーって思う作品なんですけど、
まあなんだろう、すごいこう、バイオレンスって塩溜めなんだってことをちょっと改めて認識したというか、
痛いことというか痛そうなことがここまで振り切れると、もうなんか面白くなってくるんだなっていうのは、
まさにその主人公とあと柿原、1と柿原のSとMじゃないですけど、振り切れた時にもうなんか快楽になってくる感じはすごい原作読んでて、
あーなんだろう、わかるまではいかなくてもちょっと重ねるとこあるなって思いながら読めて、そこはすごい楽しかったです。
うんうん。
で、映画版に関しては、はっきり言って原作と比較すると切り口が全然違うなって思っていて、
そもそもその主役というかどっちの視点で物語を見るかが真逆だなって思ったんですよ。
その映画版の方はやっぱり柿原が実質的な主人公だなって思ったんですね、すごく。
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原作はどちらかというとやっぱり言うてたぶんジジイが主人公なんだろうなって感じがするんですよ。
で、なんかそこの脚色を最後のオチというかラスト含めてこうやって持ってったんだっていうものにすごい新鮮味を感じましたし、
あと勝手なアレですけど、ジジイ今回塚本真也さん監督が演じられてるじゃないですか、
もうなんていうか、安男を暴力の道に導くのはだいたい塚本真也なんだなって思って、
新仮面ライダーでもそうですし、
あともう一個思い浮かべたのがザンっていう、これ塚本真也監督本人が監督されてる作品ですけど、
これでもまさに池松くんを暴力の道に導く侍を演じてるんですよ。
だからなんていうか、無害な男を有害にして男性を演じさせたらもうさすがだなって思って、それはすごい印象残りましたね。
いやめっちゃ合ってますよね。
合ってます、そう。
背恰好といい存在感がジジイなんですよね。
わかります。
本当に最高ですね、塚本真也のジジイは。
一見無害そうに見えるんだけど、しっかり有害であるっていう、あのバランス感は塚本真也にしかできないですよね。
うん、そう、あとなんか話したくなる。いちいち話したくなる。
いいですか、私って。
なんか私、殺し合いちって私個人的には主人公が明確じゃない作品だなと思ってて、明確にはいないというか、明確な主人公が。
で、もちろんいちとか牧原とかジジイっていう主要なキャラクター、誰かが主人公って言えることもできるんですけど、
かといって、なんか読んでる途中に、その誰かの視点で自分たちが見てることってないじゃないですか。
で、そこがすごい良くて、明確な主人公がいないからこそ、主人公の物語のために動かされてるみたいなキャラクターがいないんですよ、殺し合いちって。
なんかね、ちゃんとキャラクターがね、それぞれの人間がたまたまこの場に合わせたみたいな、そういうリアルさがあって好きなんですよね。
なんかやっぱり映画版は柿原がメインに立って、全体の空気感も含めて作ってるところがあって、それが最初見たときはちょっと大人の事情を感じて嫌だったんですけど、
でも今というか、やっぱりかっこいいじゃないですか、那須野忠信。
そうですね。
那須野忠信史上一番かっこいいぐらいかっこいいから。
わかります、わかります。
それはそれでありがとうっていう感じですね。
発明ですよ。
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ビジュアル発明だなって。
だって漫画読んで柿原があんなかっこよくなるなんて想像できるじゃないですか。
うん、そう。
びっくりしました、だから。
本当に映画版はそんな感じです。
はい。
えーと、僕はですね、さっきまで映画版の殺し合い地位を鳥貴族で見てたんですよ。
鳥貴族?
鳥貴族で見てるな。
金麦のメガジョッキを3枚飲みながら見てて、もう割とぐでんぐでんに酔ってるんですよね、今僕。
ただ、鳥貴族で殺し合い地位を見るっていうのが、あまりに殺し合い地的な体験すぎて、僕今すごい豊かな気分なんですけど。
確かになんか、合うな。
合うな。
で、今回映画版を見てね、映画版は映画版でむちゃくちゃいいなと思いました。
そうなんですよ。
綺麗。漫画版の清潔感の無さがある程度浄化されて、映画版は映画版で非常に心地よい温度感で見れるなとは思って、ただ僕ね、温泉タバコとか食べてるときに精液とか出てきて、ちょっと結構むえってなりましたね。
それは。
で、今回見て、やっぱり漫画版と映画版で最終的な勝者が逆になってるっていう印象は以前と同じように覚えたっていうのと、その上でやっぱり僕は漫画版が好きかなと思って、やっぱり僕は漫画版の精神的な清潔感の無さが好きで、映画版はどんな汚い暴力に対しても清潔感があるなと思うんですよ。
エグい暴力っていうもののある程度記号的な感じがあって、漫画の方のちょっと記号性を超えた希釈のある精神性を帯びた暴力っていうものが、やっぱり僕って暴力の本質だなと思うので、その深さをダイレクトに喰らうっていうところが漫画版の魅力だなっていうところで、まあ各々の魅力はありつつ、僕はやっぱり漫画が好きだなとは思いました。
という感じですね。ではお便り3つ頂いているので紹介させて頂きたいと思います。まゆりさんお願いします。
はい、1つ目は西野さん、本屋バー店長。中学生の時に古本屋で立ち読みをした思いで、怖いながら辞められなかった漫画です。残酷ですが、作中人物は皆弱さと自己矛盾を変えていて魅力的だと思います。
ジジイは狂言回しだからの俗として、皆さんは誰の弱さに共感しましたか?
はい、ありがとうございます。ありがとうございます。
本作で弱い人物ってなったら一番初めに上がるのってカネコだと思うんですよ。
やっぱり彼の弱さって僕らにとって結構身近な弱さだと思うんですよ。
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正直イチの弱さであるとか、カキハラの弱さって共感するのはめちゃめちゃ難しいと思うんですよ。
確かにその弱さってあるけど、もうちょっと我々の領域を超えたものになっちゃってるんですけど、カネコの弱さってめちゃめちゃリアルで、
凡人扱いされるのに耐えられないから男になりたいっていうものに乗っかってるっていう感じって、
多分分かる人、共感できる人って多い弱さだと思うんですよね。
そこが彼のキャラクターとしての存在意義だし、
そこがある意味作中では凡庸すぎてつまんなく見えるところもあると思うんですけど、
ただある種現実との橋渡しをしているのも彼ではあるなとは思って、結構重要なキャラではあるかなとは思います。
弱い人物ってなったらやっぱり位置がまず人間の弱さを抱えたキャラとして上がると思うんですけど、
やっぱり位置の弱さってもう理屈を超えちゃってる感じがあるんですよね。
ああいう学生時代に暴力に虐げられた経験があって、それに対する反動で自分自身が暴力を体現するような存在になってしまってるって、
割とあるとは思うんですよ、フィクションの中では。
ただものすごいグロテスクな存在になってるっていうのが、彼に乗っかれない存在としての描かれ方をしてて、
なめてた相手が殺人マシンだったものってあるじゃないですか。
あのジャンルってなんで気持ちよく見れるかっていうと、
その殺人マシン側が性欲を持ってないっていうのがめちゃめちゃ重要だと思うんですよ、僕は。
なるほど。
もうちょっとちゃんと言うと、性的な清潔感があるっていうのがすごい重要だと思ってて、
要は自分が虐げられたからやり返すんだっていう思いの反動としての側面があるジャンルだとは思うんですけど、
それを包み隠さず出してくるじゃないですか。
自分はいじめられてたからいじめ返すんだみたいな、しかもその性的な劣等感が根っこにあるんだみたいなのを全部言ってるからイチって。
なんかそこに対してやったやり返しだったぜっていう気持ちよさがないんですよね、見てて。
しかもそのイチって、実は復讐シーンというよりも、
イチのエピソードで一番よく出てくる橘さんっていう、イチを助けたことによって犯されちゃう同級生の女の子みたいな、
橘さんに対して自分も犯したいと思ってるんですよね。
だからイチは、なんていうのかな、やられたからやり返すっていう次元じゃないところに彼の元々の暴力性っていうのが潜んでいて、
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それをいじめられてたみたいな記憶のトリガーで覆ってるだけで、彼の本質ってすごい暴力的なところにあるじゃないですか。
そこがね、なんていうのかな、一言では表現できないんですけど、
そこが弱さっていう言い方はやっぱちょっとなんかこう、イチ側には当てはまらないようなキャラクターですよね、イチは。
弱さっていう言葉って、イノセンスの裏返しっていう側面があるとは思ってて、要は罪を帯びてないっていうこと。
要は加害者ではなくて被害者の側であるから、いざとなった時に加害する側に回っていいんだっていうものを物語が保証するための理由付けとしての弱さっていうものがあると思うんです。
弱いから強くなっていいんだっていう理由付けとして働くと思うんですけど、
イチって偶然強いたげられる側にいただけで、本質的に暴力を加害する側っていうのがあって、
要は弱いからやり返す側に回っていいんだっていう、映画を見てる側、あるいは漫画を読んでる側の正当性を与えてくれないキャラクターだなと思うんですよね。
そういう暴力を加害する側に回ることの快楽を純粋に与えてくれない。
その快楽は暴力を振るう快楽でしかないっていうのを言及してくるキャラクターになってて、それがすごい気持ち悪いんですよ。
弱いやつが強いやつにやり返すのって気持ちいいんでしょっていうのが、結局強いやつが比較的弱かった側を加害することの気持ちよさでしかないでしょっていうのを言ってくるから、
むちゃくちゃ居心地悪いんですけどってなるんですよね。
そこが独特だなと思って、いじめられっ子の正義を与えてくれない物語になってるっていうところが、結構珍しいんじゃないかなとは思います。
私、好きなキャラクターって言い方もちょっとおかしいんですけど、石野さんからの質問に対する答えで言ったら、
三浮っているじゃないですか、龍の。龍を紐として。
あの子って、映画ではあんまりちょっと深く描かれてないんですけど、漫画版だとちょっと虚言役があるみたいな描かれ方をしてるんですよね。
でもあれって、例えば自分は帰国子女だとか、ナンパしてくるの大切だっていう言い方しちゃったりするんですけど、
なんか自分の中で理想の人生とか理想の自分みたいなものがあって、それを信じてるんだろうなっていうのがちょっと垣間見えるキャラクターで、
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そこに彼女の寂しさの本質みたいなのが見えるんですね。
だからその、
なるほどな、はいはいはいはい。
それが、すごい好きって言ったらちょっとおかしいんですけど、
共感するわけじゃないんですけど、その龍がずっと言ってた、女にはみんな寂しいとこがある女性もいて、
それを救ってやるのが自分たちみたいな人の役割だっていう話をずっとしてると思うんですけど、
それがね、ちゃんとね、ちゃんと三浮側にそれを描いてるところがすごい好きなんですよね。
あー、なるほどね。
なるほどね。
それがよくある風俗上とかね、よくあるというか、そういうデルタイプの表面的な誰でも想像できるみたいなことじゃなくて、ちゃんと三浮っていう人間がちょっと垣間見えるんですね。
この試合中って本当に一人一人のキャラクターにそういうような部分がちょっと垣間見えるのがすごい良いなと思ってて。
うんうん。
それは結構山本秀夫、原作者の山本秀夫が一貫して描こうとしてることだなっていうのは、
その筒木のホムンクルスでも全く同じような形で描いてる部分があると思うんで、
それは山本秀夫の作品の魅力の一つだなと思います。
確かに漫画を読んでて、やっぱりその龍と三浮のエピソードって映画にほぼないから、
漫画は結構ガッツリ描いてて、なんかこの二人のことめっちゃ人間味あるなって思って、めっちゃなんかあのシーンめっちゃ印象に残ってますよね。
悲劇的な最後を迎えちゃうけど、お前らなんかちゃんと生きてるなって感じがすごくしたし、
彼らなりの価値観で、ただその、まあそれどうなんて思われるかもしれないけど、
いやでもいいじゃん、俺たちこれやってんだし、みたいなのがちゃんとなんか生き様が出てて、
あのキャラクター二人の存在感確かにめっちゃ漫画版で印象めっちゃ残ります。
うんうん。
ただなんかほんと私、あのエピソードを映画に入れなかったのが正しいと思ってて、
うん、あれはほんとに辛すぎるし、
てかやっぱ双子を松尾鈴木にしたのが偉いと思うんですよ。
そうっすね。
やっぱあの双子はちょっときつすぎるというか、あれはね、実写化したらダメな存在だと思うんですよ。
なるほど。
だからね、松尾鈴木くらいちょっとポップにして、でリュウとノボルのキャラクターを一つにまとめたっていうのは、
私はすごい良い収写選択だなっていうのは。
そうっすね。
あれはね、ちょっときつすぎると思う。
きつすぎますよね。
確かに。
ほんとにあの双子が出てから、ちょっとね、暴力の何て言うんですかね、加減が突き抜ける感じがすごいして、
そうですね。
別にその前からもう暴力的ではあったんですけど、
あの二人がなんかほんとに何なんですか、あの化けみたいな奴らが出てくるみたいなカットじゃないですか、あれって。
もうあっこからほんとにちょっとひどいなというか、
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当てがわれた丈夫に対する仕打ちとか、
それやりすぎやし、そんな映画にするの無理やろみたいな感じやったしね、
ちょっとあの存在感をやっぱほんとに変えたのは、ほんとにそれは正しいなっていうふうには思いましたね。
なんか暴力の質がやっぱりちょっと違う気がしていて、
一律とっての暴力はある意味性的快楽に近いものじゃないですか。
で、それは反対のMである柿原もそうなわけですよね。
だからその二人の重度供給というか、なんかそこはまだ暴力がそういう表現として理解できるんですけど、
二郎三郎のあの双子に関しては、なんていうかな、単純に楽しいからやってるなんですよね。
快なんですよね。
そう、いやほんとにあの二人のこと考えただけで、
ほんとにもうしんどくなる、もう嫌すぎて。
いや、わかります。一番暴力を残酷に振るう奴らが多分あの双子だと思うんですよ。
で、その二人が、もともと三つ子っていう設定なんですけど、
三つ子である、双子であるっていうことで、
自分のアイデンティティというかオリジナリティが揺らいでるみたいな、
なんかそこもね、すごい好きで。
あー、なるほど。
そう、なんていうのかな、そうなんすよね。
で、なんか結構あっさり死んじゃったりするじゃないですか、三郎。
結構そうですね、びっくりするほどサクッと。
そう、この二人ともね。
そう、二人とも二人の存在感と裏腹に結構あっさり死んじゃって、
その辺りのこう皮肉な感じとかも。
うんうんうんうん。
あの二人はきつい、ほんと龍のエピソードはちょっともう読んだら、
もうその日はほんとになんか、夜寝つき悪いぞ、ほんとに。
ねえ、ほんと僕夜読みましたけどね、そのシーンね。
わー、もうと思いましたけど。
もうわかってるからさ、見たくないね。
わかる、もうページをめくりたくないもん、もうわかってるからさ。
知ってるからね。
いやでも改めて思いますけど、結構やっぱりその、
殺し屋一って結構やっぱり、
自分のなんかある種の内省的な哲学の話として、
やっぱすごく深い話してるんだなっていうのをやっぱ改めて思うというか、
まあそのアイデンティティの話もですし、
まあ一のその弱さの話とかも、
なんか僕結構なんかちょっと語弊があるかもしれないですけど、
漫画を読んでて一番なんかなんか結構自分、一を、
とこう、ああなんかこの感じちょっとわかるとこあるかも、
大丈夫かって思われるかもしれないですけど、
相当なやつなのかみたいに思われるかもしれないですけど、
誰しもなんかある種こう表に出せないような、
まあ例えば考え方だったりとか暴力性だったりとかってあると思うんですよ。
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でもそれを出さないことがまあそれは当然っていうふうに思ってるからしないけど、
けどなんかそういったのなんか欲望みたいなのが、
いつかなんか出てきちゃうんじゃないかみたいな感じ、
そこに怯えてる感じっていうのが僕すごい一からすごい感じてて、
なんかそこが僕結構、漫画版の方はやっぱりそこの感じが深く描かれているので、
なんか漫画版はすごくなんか結構一のなんかそういうところに、
なんか自分ちょっとだけわかるな、
あのあんなああいうことしないけど、
なんかちょっと共感をちょっと覚えるとこあるぞみたいなふうにちょっと思ってて、
そうでやっぱラストもなんかあの普通のナンパ男になってみたいな感じでも、
なんかヤクザに絡まれて殴られるとこの顔で終わるじゃないですか、
殴られそうになると。
あそこでやっぱりまた封じ込めていたものが蘇るみたいな感じに捉えて、
それはやっぱり隠してもやっぱそれ本質的な部分でなんかあるもの、
なんか暴力性だったりとかっていうのって隠せない、隠せないというか絶対どっかにあるんじゃないって、
やっぱちょっとそういうふうにちょっと自戒を込めた意味でちょっとなんか見ちゃうみたいなとこがあったかなというふうに個人的には思いました。
答え次行きましょうか。
すいませんすいません。
じゃあ振り過ぎました。
お便り、ラジオネーム藤田さん。
こんにちはいつも楽しく拝聴しております。
東京オフ会で前田さんから漫画殺し屋市をお勧めしてもらって、
オフ会翌日に読み始めたら止まらなくなって3日間で一気に読んでしまいました。
映画ではなく以下は漫画の感想になります。
この漫画の面白かった点は出てくるどのキャラクターも変態であるという点です。
紛れもない変態が暴力で物事を解決するヤクザという立場になって、
存分にその変態性を拷問や殺人という暴力行為でいかんなく発揮するという点に何度も目を背けたくなってしまいましたが、
不思議とそのキャラクターの育成が気になってしまい、読み進める手が止まらなくなりました。
そして何より面白かったのは、追われるマゾヒストの柿原と、
大川のサディストのイチとのラブコメ展開となり、
それを目立てに眺めてホクソ園でいるジジイがいるというところです。
この種のシーンにもかかわらずコメディ的にコッケーに描かれており、
つい読者も笑ってしまうような、そしてそれすらもジジイのシナリオ通りに回収されていっているのではないかという点に恐ろしさを感じました。
私はバイオレンス物は苦手でしたが、この漫画で少しは耐性もできたので、
漫画を読んでからは、極蔵の妻達、イチ、古老の地と立て続けにヤクザ映画を見ることができました。
今後はバイオレンス映画も食わず嫌いせずにチェックしていきたいと思います。
断文長文失礼しました。
引き続き、映画の話ししたすぎるラジオの皆様の投稿を楽しみにしております。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます、岸田さん。
あのー、読んでいただいたんですね、結局。
読み切ったっていうことですしね。
しかもね、バイオレンス映画も見れるようになったっていうことで、これはすごくいいことだなというふうに思いました。
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そのチョイスがまた面白いですよね。
極蔵の妻達と古老の地っていうね。
変態っていう表現に関してなんですけど、
僕、本作に登場する人物に変態っていう言葉が適用されるとあんまり思ってないんですよね。
変態っていう言葉って結構使い方難しいなとは思ってて、
変態って言葉ってあんまり理解できないものを一旦カテゴライズするような大きい枠みたいな感じで僕は捉えてて、
例えば作中で柿原のことが変態っていう人は多分変態って言葉を正しく使ってると思うんですよ。
なぜなら柿原のことを理解できないからっていうのがあって、
僕らは多分柿原のこともイチのことも一旦は理解してると思うんですよ、ある程度は。
そこに変態性というか異常ではあると思うんですけど、
それが変態かって言われるとロジックは理解できてるとは思ってて、
そのロジックを単なる自分たちの枠外にある異端なものとしての変態っていう言葉に当てはめれるのかなっていうところで、
僕はあんまり変態って言葉が彼らに適応されないとは思ってて、うまく言えないんですけど、あるなと思うんですよ、自分たちの中にそれって。
で、そこを変態って言葉であんまり収めてしまえないというか、
変態って言葉を適応される漫画って多分殺し屋一じゃないんじゃないかなっていう気がしてるんですよ。
もっと誇張された分かりやすい変な人っていう使い方だと思ってて変態って。
で、殺し屋一ってやっぱりその変態性に対して内静的じゃないですか。
なぜ自分たちが異常なのかっていう、その異常性は何に由来しているのかっていうのに対する施策があるから、
それが変態って言葉じゃなくなっていくと思うんですよね、見てて、呼んでて。
で、そこで僕は彼らに対して変態じゃないなって思ってて、その異常ではあるけど、
なんかその異常さって変態って言葉で収めてしまってはいけないものだなって思ってて、
伝わるかなくらい伝わるかなくらい伝わると思うんですけど、僕はなんかうまく言いたいことすごくわかるというか。
やっぱりね、その変態って自分たちから遠いなって、その遠さを面白がる文脈だなって思うんですよ。
その言葉自体がね。でもやっぱりその殺し合い地ってそうじゃないとは思ってて、
その自分がイチになったりとか自分がカギハラになったりっていうその入っていく感じで、
でもやっぱりその入りきれないよなみたいな、その改めてその距離を感じるみたいなところに面白さがあるなと思うんですよ。
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そこでなんかその変態って言葉を使うと、僕の中では殺し合い地っていう作品を咀嚼するために使えない道具なんですよね。変態っていう言葉が。
なんだろうな、カギハラとかイチを理解したいんですよ。でもやっぱり理解できないっていうところに面白さがあるなと思って。
そのやっぱり変態っていうその初めから突き放した言葉ではないところに彼らの魅力があるとは僕は思ってて、っていう感じですか。
カギハラとイチの関係、本作のメインみたいになってしまいますけど、
私本当にこの漫画を読んで一番衝撃というか脳に稲妻っていう感じですか。
やられたいからこそやられたくないっていうセリフ。必然性ってやつですね。
カギハラの言ってる必然性とイチの言ってるやられたいからこそやられたくないって全く同じところに到達してるんですよね。
全く同じところに到達してるんですけど、カギハラとして本当にすごい面白いなって思ったセリフが、
カギハラってあんなに暴力的じゃないですか、いわゆる。散々そんな暴力を見せつけられて、こっちは。
最後の方も噛んで、カギハラが特にオスは知っていると。
人と、何て言ったかな。
あったあった。覚えてる覚えてる。
思いやることの大切さとかみたいな話をする。
暴力のムラさとかそんなこと言ってました。
お前が言うって思うじゃないですか。
カギハラにとっての暴力って、セリフで言ってるんですけど、相手が存在して初めてそこにあるものであると。
つまり彼にとっては一つのコミュニケーションなわけですよ。
コミュニケーションであり、それがあるからこそ相手との距離を測れるというか、
だからこそそこに思いやりがあったり憎しみがあったりするっていう風に言ってるんですけど、
一方でイチはそこに相手が存在してないんですよね、イチの暴力には。
そこにカギハラは絶望するわけなんですけど、
やられたいからこそやられたくないっていう、
それを言語化したことが私すごいなって思ったんですよ。
それが言語化されたことが。
ちょっと難しいんですけど、
自分がホラー映画とかを見るメンタリティーがそのものだなって感じたんです、その時に。
だからなんて言ったらいいんですかね、本当に私その嫌なものを見たくないんですよ、本当は。
見たくないし嫌なことが起こってほしくないんだけど、
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そこを求めてしまうというか、
でもそれを考えだすと本当にどっちがさっきか分かんなくなっちゃうんですけど、
自分がそれを求めてるから求めてないのかなみたいな、
このメンタリティー、これを言語化してくれたことがすごいなって思ったんですね、初めて。
なるほど。
めちゃくちゃ性癖歪められた気がします、この前。
歪められた。
僕はカギハラのセリフって、あんまりオスっていうものの本質を捉えてないと僕は思ってるんですよ、僕はね。
その暴力って虚しいものって思ってるって、そんなに思ってる人はいないんじゃないかなと思ってて、
むしろ僕暴力ってこの世で一番面白いと思ってる人結構いると思ってるんですよ、僕は。
でも彼は、カギハラはそれを虚しいと思ってるっていうのは、結局彼がロマンチストだからと思ってるんですよ。
あの作中で出てくる誰よりもロマンチストだからそう思ってるんだと思ってて。
究極に暴力っていうものをコミュニケーション、セックスだと思ってるカギハラと、暴力っていうものを一方的なマスターベーションと思ってしかいない
イチとの開口の話だと思ってて。
それって需要と供給が噛み合っているように見えて、どこまで行っても噛み合ってないと思ってて。
全くお互いの理解してないです。
イチはそもそも他人を理解するつもりないし、カギハラもイチっていうものを理解したつもりになってるだけであって、
カギハラにとってセックスでしかないものが、イチにとってマスターベーションでしかなくって。
で、カギハラは同時にそれがイチはこっちのことを何とも思ってないというか、噛み合ってないっていうものを薄々気づいてるというか、気づいてしまっているの絶望っていうものもあって。
で、その暴力って本当に一方的な快略が満ちてるものだと僕は思うんですよね。
で、それをカギハラって結構暴力に対する哲学が普遍性がなさすぎると思うんですよね。
彼の中だけで成立してるものだなとは思って、で、それが彼の異常さだし得意性だと思うんですけども、
なんというか、彼があまりに本作の中で暴力に対して哲学的すぎて、彼が言ってることが暴力の本質っぽく見えてるんですけど、
むしろ暴力っていうものから一番ずれてるのが彼だなと僕は思ってるんですよね。
暴力から最もずれた解釈をしてしまってる彼が暴力を享受していく話だなと思ってて、
それを何の哲学性も伴わない位置による暴力によって押しつぶされてしまうだけの話、そこに何の意味もなく死ぬだけの話だと思ってて、
僕は本作をラブコメっていう解釈ができないんですよね、僕は。
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本作をラブコメって解釈する見方って結構あると思うんですよ。それはジジイが言ってるからだと思うんですよね。
ジジイはロマンチックだなって言ってるけど、僕は何のロマンチックさもないと思ってて、
それはかけはらがロマンチックだと思いたかっただけでしかなくって、あとジジイがロマンチックなものと脚色したかっただけでしかなくって、
本質的には何の味もしない無味乾燥な暴力っていうものがあっただけだなっていうことにかけはらが気づかされるだけの話っていう。
ロマンチストがこの世界には何のロマンもなかったって気づかされる話って僕は解釈してるんですよね。
これって皆さんが好きなディスコミュニケーションの話じゃないんですか?
そうですよ。
お前らの好きな。
お前らの好きなって。
もうそうやぞっていう感じなんですけど。
僕結構すれ違いの話として、僕映画の方が結構そこは好きだったなっていうのがあるんですよね。
それはなんでかっていうと、ジジイも結構絶望的な終わり方をするからだと思ってるんですけど、映画版の方がね。
そこもね、話ね。
そう。漫画版のジジイの落ち物はなんかちょっと、え、こいつもちょっと?みたいな感じの終わり方してて、あれもちょっと怖いんではあるんですけど、
映画版の方はもう本当に身も蓋もないぐらい絶望して終わるなっていうふうに思っていて、
それはなんかある種の必然性の話っていうか、いろいろ必然性というか、自分の物語の話っていうのがあると思うんですけど、
自分にはそういう話があってみたいな、こういう考え方があってっていうのが全部打ちのめされていく話。
それが結局交わる機会があるんだけど、交わると思っていたんだけど交わらなくて、自分の描いた筋書き通りにもならなくて、みたいなことになって結局絶望するみたいな感じになって、
世界ってそういうもんだよねっていうハードボイルドさで終わるみたいな感じを僕はすごく映画版から感じたんですよね。
だから映画版の主役は僕個人的に新宿歌舞伎町って感じがすごくしたんですよ、個人的にすごく。
もう本当に身も蓋もないハードボイルドでロマンも何にもない街っていう世界が主人公だなって感じが出て、
そういうところも含めて、そういう世界の何とも言えない無情さとすれ違いの切なさみたいなのがすごい映画版の方がすごくめっちゃ感じたって感じですか。
漫画版はどうしても哲学的なところの方が目が行っちゃいがちなので、そういう人物の。
そうですね、精神性が。
とかっていう話をちゃんと細かい描写でやってくれるので、そういうところに目が行くんですけど。
映画版は世界そのものの残酷さドンって出る感じ、それが主人公として出てくるみたいな感じがすごく最後に現れるなって個人的に思っていて、そこが好きなところって感じですね。
映画版に関してもう一個言うと、映画版の柿原に対する脅し前の付け方ってすごく柿原のロマンチックをそのまま守ってあげた映画版だなって思ってるんですけど。
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そうなんですよ、そうなんですよ。
漫画版はだから彼がそのロマンを打ち砕かれるじゃないですか。
映画版も一瞬そうなりかけそうになるんだけど、でも彼の最後ロマンのまま終わるじゃないですか。
なんかそれがだから映画版はもしかしたらラブコメント言えるかもってちょっと思っちゃったんですよ。
ちゃんとロマンな部分を見せた上で最後はあったから、絶望度がより高いなって思ったんですけど個人的に。幻想だったねみたいな。
何もなかったね、そこの二人の関係性には何も生じなかったねっていうのが悲しいねっていう。
でも柿原の中ではそれはもう満たされたわけじゃないですか。
満たされて終わってますね。
やっぱあのジジイは自分以外の全員に不幸に終わってほしいっていう思いが多分あるとは思ってて。
暴力には何のロマンもないからお前たちはそれに押し潰されてくださいよっていう感じがあって。
やっぱり漫画版の柿原ってそこに押し潰されるだけにメルっちゃメルるんですよね。
本質的にはもしかしたら喜んでるかもしれないけどもうそこはもう描写上は読み取れない部分だからその
殺されたいから殺されたくないとかってそれを現実に読み解くともう分からないからそこは。
ただやっぱり劇場版の方は柿原が最終的に満たされて終わるっていう感じがあってそれはやっぱり
ジジイが求めてきたものを超えてしまうからこそジジイが敗北して終わるっていう感じがあって。
僕はそこは良くも悪くもだなと思ってて。
柿原がすげえやつなのか大したことないのかっていうところで解釈が多分分かれるんですよね。
やっぱり映画版は柿原がすげえって言いたい感じがあってそれに他の全員が負けるっていう感じがあるんですけど。
ただ漫画版の方の全員がマチに押し潰されて負けるっていう感じは僕は好きで。
そこで漫画版の方の解釈が難しいのがジジイだけが勝って終わるっていうのが
ジジイが言ってたことが正しかったっていう風に見える感じがあるんですよね漫画の方は。
僕はジジイは結局自分が見たい物語を見て自分が語りたい物語を語って終わっただけと思ってたんですけど。
ヤクザマンションの中で起こったことに関してはそうだったけど結局イチがその後言葉をあえて変態性と言いますけど
イチの持っていた変態性みたいなものが新宿という町の中にある欲望の前では歯が立たなかったみたいな感じじゃないですか。
イチが普通の人になってしまうっていう。
42:00
イチのニンっていう笑い方あれ絶対練習しません?
ちょっとわかります。
あの顔すごい特徴的でしかもちゃんと大盛りなおがちゃんとやってたなっていう。
やってましたね。
大盛りなおすごいぞって思ったっていう。
でもそれを最後イチが普通に爽やかに笑えるようになってるわけですよ。
だからいろんな解釈はあるとは思うんですけどそこでジジイはその後タケシを育ててるから。
だから映画版ってラストは皆さんの中ではジジイは自殺してるってことですよね。
そうですよ。
自殺したってことでいいんでしょうっていうふうに思ってたんですけど。
他の解釈があった。
あれってだからタケシの育成に失敗したから自殺したってことですよね。
映画?
映画。
映画はイチがタケシを殺してたでしょ。
違うね。
殺してはない。
違うね。
それは違う気がする。
違うの?
殺してはならないでしょ。
カキハラは結局イチが途中で泣き出しちゃうじゃないですか。
泣き出しちゃってでも戦いにならなくなっちゃうじゃないですか。
で、そこでカキハラがこうやって自分の身に入れてあそこでそこからはもうカキハラの見てる夢なんですよ。
夢っていうか妄想みたいな。
そうですね。
だからカキハラとイチは戦ってないんですよ。
ほうほう。
そうですね。
だから最後ジジイがあの時の塚本真也がまたいい顔してるんですけど、
どういう表情なんこれっていう笑い方するんですよね。
下に落ちたカキハラの前髪を上げた時にここに傷が残ってないんですよ。
イチに蹴られたはずの。
はいはいはい。
それでジジイはあ、こいつイチにやられたんじゃなくて自分で落ちたんやって悟って、
どういう表情かわからん笑いをするんですけどそこで。
そこで一旦終わった後ですよ。
ジジイ首突ってるじゃないですか。
うん。
それはわかります。
うん。
その後ラスト一人立ってて振り返るじゃないですか。
うんうんうん。
あれが誰なのかって話なんですよ。
なるほどなるほど。
あれはやっぱりタケシ君じゃないのっていう感じは。
それは明らかに大きくなったタケシじゃないですか。
っていう解釈が進みますよね。
そうですねイチでもないしねっていう。
そう。
であったらジジイはタケシをその後に育成しようとしたんだけど、
だから私に二つの解釈が悩んでたんですよずっと。
一つはタケシを育成しようとしたんだけど失敗すると。
ジジイが首突ってるときにね下なんか幼稚園児が歩いてるんですよ。
うんうんあれね。
でそこにちょっとタケシがなんかいるように見えるはしないんですけど正直。
まあタケシがその保育士になってるのかな。
わからんけど。
まあなんせタケシがマットな人間になってもうてると。
45:00
なるほど。
それでタケシを育成できなかったのに対してジジイが自殺したっていう解釈と、
タケシが大きくなってタケシがジジイを殺したっていう。
二つの解釈でずっと悩んでたんですよ私は。
まあでもそっか日が経ってるんだもんね。
そうだったらタケシが明らかに大きいんですよあれがタケシだとしたら。
もう10年は経ってるんですよ。
確かに。
10年は経ってないかもしれないけどまあ7年ぐらいは経ってるんですよ。
そっか。
確かにその僕が言ったその自分の巣が広いある意味ならなかったことに対する絶望で自殺したみたいなのって結構それすぐ来るよなっていう。
そうなんですよ。それだったら直後じゃないですか。
10年経たなくても確かにいいよなっていう風には確かになるんだけど、
もうこれ勝手に自分の中で組み替えてそういう話をしてましたね勝手にそういう意味ではある。
そうなんですよ。最初そう思ってたんですけどあの振り返ったやつ誰やねんってずっと思ってて、
いやあれタケシしかおらんよなと思って、タケシやとしたら時間がすごい経ってるなっていうところで、
まあそういう意味ではねちょっと漫画版に近くなってはいるんですけどねそういう意味では。
その位置の育成に失敗してタケシを育てるっていうところまでは一緒で、そこからどうなるかっていう。
映画版にタケシをジジイが育成する要素って描かれてなくないですか?
描かれてないんですよ。だから悩んでたんですよ。その解釈も合ってんのかなって。
ただそれしか私の解釈の限界。
もうなんか結構本当に何も説明なく終わるからもう本当にある意味答えは多分作り手の中にはあるんだろうけど、
もうなんかどうとでも解釈して感はありますよね。あそこら辺の感じで。
えー僕位置がタケシ殺してたと思ってた。
一番ロマンチスなやついた。
だってそれが一番柿原にとって上がるでしょ。このモンスタイルぶち殺すやつとかも最高じゃん。イエーイってなるじゃないですか。
柿原が落ちて、ジジイが笑ってて、上見上げた時にタケシ君が位置を蹴ってるカットが一瞬入るので。
そうですね。
生きてるよなっていう。
やっぱりそれは、やっぱりタケシ君殺したっていうのは完全に柿原の妄想というか願望でしかないなっていうのはそこで思ってたんですけど。
そうだね。
一瞬入るので生きてるなっていうのはそこでわかる感じはしたんですけど。
えー。
けどやっぱりなんか僕は、タケシ君を育成したくだりが、僕はあんまそこ、育成すると多くはあんまどうでもいいなっていう感じがやっぱしちゃうので。
分かります。だからそうなったら最後の人誰なんてなるじゃないですか。
これはもう僕が自分の解釈を正当化するために言いますけど、彼もまた10年の時を経て同じようにまたさらに絶望を積み重ねてて結局自殺したんでしょみたいなってことになったっていう。
48:08
で、それでもタケシ君はまだ生きてるけどなみたいな風にしたかっただけじゃないみたいな。ダメかなっていう。
あー別軸で。
そうそうそう。もうもうもう。
あー。
あれはタケシやけど。
そうそうそう。
はいはい。
そういえばあんな奴おったなって。でも俺まだ生きてるけどなっていう。そういう感じというかそう。
世界のやっぱ残酷さに立ち向かうみたいなというか、まあそれでも俺は生きてるけどなみたいなことをちゃんとあそこで描いてくれてることっていうのがまあ、ハッピーというかハッピーエンドというかまたちょっと違いますけど。
うん。
だから超ハードボイルドな話として僕これ受け取ってるところがあるので、そのすれ違いとかも含めて映画版のここに関してはですけど。
なのでもうそういうハードボイルドな解釈しか僕はちょっと自分の中ではないかなっていう風になっちゃうっていう。
なるほど。そういうことか。なるほど。うんうんうんうん。確かにね。そうだわ。確かに映画版はロマンチックすぎるかもしれない。それでいいと。
うんうんうん。もうそうですね。
それはね。もう僕完全にロマン寄りの人だってわかってるので、ロマンチス寄りな人だなってわかってるので、まあその辺はすごくドンズバに刺さってるんだろうなっていう感じですかね。
そっか。で、そこもいいんで言うと僕はやっぱ漫画の方が好きで、柿原が現実に負けるっていうのは僕はすっごい好きなんですよね。
まあその本当に負けたかどうかもわかんないですよ。柿原にとって負けは価値の可能性があるから、それはもう解釈は届かないんですけど。
そうなんだよな。あのなんかもう解釈の問題やろみたいな感じがするんですよね基本。
なんかそのどっちがSでどっちがMかなんてもう解釈次第やんみたいなところが面白いなっていうかその解釈によってもうなんか全部白が黒に全部ひっくり返るみたいな感じをこう受けるみたいなので。
いや本当その、もう一回同じこと言ったんですけどやっぱそのやられたいからこそやられたくないっていうのはそのやられる、殺されるでもいいですし、やられるっていう言葉が持ってる意味っていうのはそれを望んでない状態だからこそ成立するわけですよ。
殺されるっていうのは。だからその必然性が、そこの矛盾がないと絶対成り立たないんですよ。やられたいっていうのは。やられたいっていう言葉はその矛盾があって初めて成立するわけじゃないですか。
だから私ね、あん気になんかこうSM語るのとか絶対やめようと思いましたもん。あれは。
それは思います。そうですね、確かに。ものすごい奥が深い話だなって思いましたもんなんか。自分はこの必然性を背負えるのかって思って。
気軽にSかMかとかで話できねえなっていうふうにはちょっと思いますけども。
そもそもかけはらのスタンスが正しいのかも僕微妙だと思うんですよ。必然性っていう言葉を自己言及できる時点でもう矛盾してると思うんですよ。
だから最後はね、もうその必然性の前にね、もう恐怖しか彼は最後なかったわけですね。
51:07
生きたいという本能しか。そうですね。
彼の言ってる必然性ってどういう意味での必然性か僕わかんなくって、それって偶然性の裏返しでしかないというか、
例えば彼が最終的に死ぬきっかけになるのって鳥の糞じゃないですか。はい。
それって究極の偶然でしかないと思うんですけど、ある意味彼の死として究極の必然でもあるわけですよね。
何の意味もないっていう意味では究極の必然なわけですよ。
それってもはや語ることそのものが意味を持たないですよね、その偶然か必然かどうかっていうことは。
彼はもうその必然性を自己言及している時点で、もはやSMとしては自分で自分のそのSMを成り立たなくさせてるんじゃないって思うんですよ。
これが必然かどうかっていうことを語る時点で、もはやなんというかもうシチュエーションプレイでしかないというか、
暴力は暴力でしかないっていう風に捉えられなくなっている時点で、もはやなんというかプレイなんですよね、やっぱり彼の持っているのって。
その意味でやっぱりめちゃめちゃロマンチストというか、もっと言うなら単なる性癖だと思うんですよ。
プレイに捉える性癖でしかないというか。
性癖だったんですよ。
だからその範疇でしかなくって、その範疇を超えた位置の前ではただ擦り潰されるだけでしかないっていうのが、それは彼にとって望んでいたのかそれともそれを超えてたのかっていうのさえもわかんないっていうのが。
わかんない。
やばい、あと5時間ぐらい喋る。
やかいなあ、ほんとにすごいんだよ。
話したいこといっぱいあったのに。
じゃあちょっと最後、映画版のいいところを言っていきます。
ロケーションが全部めっちゃいいんですよ。
めちゃくちゃいい。
あのね、シーンシーンで部屋の再現度がすごいんですよ。
SM部屋とか、あの鈴木が釣られるシーンとかね。
そうそうそうそう。
よくやってくれたな、こんな完璧な再現度あるって思いましたね、あれは。
そう、とか、実際にはどこで撮影したかはわからないんですけど、ちゃんとヤクザマンションの中になってるの。
ですよね。
階段があってちゃんと中、中がこう抜けてて。
あと市が通ってた風俗場のセイラちゃんでしたっけ?の家とかね。
あそこもめちゃくちゃね、別に比べたわけじゃないんですけど、何の違和感もないんですよね、こう作り込みに。
あの部屋の再現度がほんと素晴らしい作品だなと思う。
54:03
僕本作のすごい魅力だなと思ってるのは、やっぱり2000年ちょうどぐらいの歌舞伎町の雰囲気というか、
やっぱり90年代の雰囲気があると思うんですよね。
で、例えばその西風俗産業一つ撮っても、今のものとは多分空気感違うというか、
言葉としてテレクラとかボルセラとかそういう言葉が当てはまる時代やと思うんですよね、何というか雰囲気的に。
やっぱり90年代のいかがわしさが画面の中に漂ってるっていうのが、なんか当時の映画としてすごいいいなっていうのと、
僕、ああいうバス絵の不潔さっていうものの描写がいいなと思ってて。
あの、何ていうか、ジジイの一味が土屋みたいなところに泊まってる時に、階段下りた下に他の人も泊まってるんですよね。
あれって多分、もうすっごい安価な宿泊所なんで、他の人もいっぱい泊まってるようなとこだから、他の人も泊まってると思うんですけど、
その人がお尻をボリボリ描いてて、あれって要はダニがいるってことなんですよね。
なるほど。
ダニって不潔さの表現としてむちゃくちゃリアリティあるんですよ。
散らかってるとかじゃないんですよね。
もう建物の中に死んでついてる不潔さなんですよ、ああいうのって。
そこで、お尻描いてるところで、ダニが畳の中に住みついてて、ダニに噛まれたんだなっていう、
その清掃が表面上行けて届いてないとかそういうのじゃなくって、もっと根本的な部分での不潔さがあるっていう表現としてむちゃくちゃいいんですよ、あそこ。
ここ本当に汚いとこなんだなっていうのが、すっげえ見事に表現されてて、すごいいいですよ、あそこ。
唯一入れてほしかったなっていうシーンがあって、漫画から。
それが拷問に銃突っ込んで、あれは見たかった、あれはちょっと見たかった、あれは入れてほしかった、ちょっと。
あのシーンもね、結構きついっすね。
あれね、あそこね、相手のチンピラもね、描写むちゃくちゃ解像度高いと僕は思ってるんですよ。
あの、チビでマッチョなんですよ、あいつ。
で、その、暴力振る側としてのチビでマッチョってめちゃめちゃリアリティあるっていうのがあって、
その、なんていうかね、彼のこれまで人生が見えるんですよね、そこに。
なるほど、なるほど。
生きりなんですよ、要は。
生きることで生きてきたんですよ、彼は。
生きてきたと。
で、それが純粋な暴力の前にただ打ちのめされて、お尻の穴に銃弾を打ち込まれて死ぬっていうとこがね、あそこ無情すぎてむちゃくちゃいいんですよね。
そう、なんかあの、ああいうふうに生きてる人間の、なんかこう、急にこう不安になるみたいな、その気持ち悪さもあるじゃないですか、見てて。
57:07
プライド高い人のプライドがなんかなくなってしまう瞬間の気まずさみたいなのもあるし。
そう、あそこね、めっちゃよくって、みんな見てるかーみたいな感じがしたりとか、もうぶざますぎるんですよね、あそこ。
その、暴力の側の人間として、お前そんなこと言ったらもう、その時点で負けてるだろうよ。
ね、あそこすごい良いですよね、なんか。で、その柿原がまた純正の暴力に負けるっていうのがまた良くって。
そうなんですね。あの辺は本当に柿原のこう、暴力性のね、こう、まあもしかしたら一番見せられるシーンかもしれないですよね。
なんか双子が出てきてから、柿原若干まともにすら見えてきますもんね。
そう、確かに。
その辺でやめとけよとか言って。
そう、確かに。殺すなよ、みたいな。
そうそうそう。
聞くから情報引き出すから、殺すなよってまとも?みたいな。
あと、今作で一番可哀想なのが、やっぱ高山だと思うんですよ。
唯一なんかちょっとまともな人間じゃないですか。
よくある。
あいつが。
よくあるヤクザ相撲ね、っていう。
紛り込んでしまっただけでなぜか。一番可哀想やなって思って。
僕、映画版の高山大好きで。
いや、わかる。あってますよね、しかも。
あってるんですよ。
だからまあ、まさにその三池さんがもともとヤクザ映画から出身じゃないですか。
で、もう映画版の高山はマジでずっとどうやってる時に何言ってるかわかんないですよ。
そうそうそうそう。
ただもう、あれはもう威嚇であり吠え声であり、何が言ってるかは問題じゃないっていう。
あの辺がなんかヤクザだって感じがあってすごく良くて。
いや、あの映画版って基本的に全員ボソボソ喋って何言ってるかわかんないでしょ。
で、カレンに至ってはちょっと国籍不明みたいになってるじゃないですか。
名の変え方もめっちゃ好きなんですけど、意味不明で。
あれ本当意味不明でしたね。
で、市に喋ってる時も市わかってるんかなみたいな。
そうそうそうそう。
その、もうあの映画版は本当に多分言ってること全員わかってないけど成り立ってるみたいな不思議さがあって。
聞いてたこっちも正直聞こえへんからよくわからへんしみたいな。
うん。
字幕も出ませんしね、それに対して。
いや字幕、そうそうそうそう。
いやそう、だから多分ネットフリックスで配信された時は字幕あったんですよ確か。
あー。
何言ってるか初めて知ることになるやん。
だから僕初めてネットフリックスで見たんですけど確か。
うんうん。
その時はもうわかんねえって思って字幕つけましたもんね。
あー。
わかんないってなっちゃった。
なんか漫画読んでたから過労死でこう、あー今立場だなって言ってたみたいな。
うんうんうんうんうん。
ギリギリのラインで見ましたけど、なんかあれはもう本当ミイケさんのある種のギャグなのかどうなのかみたいな。
1:00:04
いやそうなんですよ、しかも以前もう立花さんじゃないってわかるやろどう見てもって思って。
何もかもちゃうやんって。
全然違うんやけどなって。
あとその漫画版だと立花さんだっていうのが電話口だから殺されないっていう学習を持ってるじゃないですか。
うんうん。
いやカレンチョコで言ったらそれはダメやってっていう。
そう。
でもそのカレンも一瞬こう自分が立花さんかもっていう記憶をちょっと入れられてるみたいな。
あーそうそう、そんな感じでしたね。
そう。
あーでもこうえ?ってこうワキリにされるときにえ?っていうとこがすごい好きで。
あの僕もデントダメなんですけど、ちょっと全然しゃべり足りなくて電車降りたら続き話してもいいですか?
いいですよお待ちしてます。
ちょっと一回離脱しますね。
そうですね。
あのもう一回後でまた現れます。
わかりました。
一旦外れます。
はい。
そうですねキャラクター結構ね基本的にみんな合ってるなって私は思ってて。
うんうんキャラクターのほうはい。
そう。高山とかもほんまに私あの映画版見て以降もう漫画読んだらもう高山の声再現されるでしょ。
あーあの声になりますね確かに。
あの声で。
うん。
あの声がついたあとさあとさ。
はいはい。
一人ずっと言ってっていい?もう。
もう言ってて。
もう全然いいですよ。
今言っててくださいどう?
いやまあヤクザのヤクザ側で言ったらあの漫画の中でチワワ飼ってた。
あー組長。
チワワ犬持ってた。
はいはいはい。
あの会長みたいな人。
うんうんうん。
あの人めっちゃよくないですか?映画版の。
あのチワワじゃなくてなぜか砂時計の持たされた人ねなぜか。
そうそうそう。
なんで砂時計だって思ってたけど。
なんでかわかんない。
なんでかわかんない砂時計にされて。
多分犬用意できひんかったやろなみたいな。
まあそうやろうなって。
やけって砂時計。
砂時計持たせとこうみたいな。
確かにな。
そうなんか独特でしたよねあれも。
いやめっちゃ合ってた。
なんか今回結構そのまんまやなっていう人あんまりないじゃないですか。
うんうんうん。
まあ高山とサブは結構似てるなって思うんですけど。
あーサブ。
サブのあのカネコ。
うんカネコは確かに。
ここは結構なんかこうサブ合ってるなって思うんですけど。
まあでもそのいわゆるビジュアルをそのまま寄せてる人っていないじゃないですかあんまり。
あんまりそうですね。
似てる人っていうのも。
ですね。
まあだからあと1ぐらいか。
うん。
でも1もさちょっとちゃうんやけど。
違うんですね。
でもなんかこの殺し合い1に関してはそのなんかこう置き換えが全部だからなんて言ったらいいのかな。
こっちはちょっと良くない例えかもしれないけどそれこそこうマルチバース的というか。
こっちの世界で言うとちゃんと成り立ってるんよ。
その全部さキャラクターを原作に寄せて作ってるんじゃなくて。
こっちの世界の映画の世界の殺し合い1っていうのはちゃんと全員があれで成り立ってる世界観全部あってて。
1:03:08
それがねなんか全員違和感ないなってこう最終的に思えるんですね。
そうですね。
私ね1だけ本当は唯一ずっと思ってるのはちょっと泣き方がもうちょっと子供っぽくしてほしいなっていうのはちょっと正直思ったんだけど。
確かに漫画版の泣き方ってもう泣きじゃくってますよね。
もう本当に子供のような泣き方って感じがこうなんですかね文字の感じもすごいじゃないですか。
上縁の文字の書き方からしてみてそれは確かにちょっとわかるかもしれないですね。
そこまでするのは難しかったと思うんですけど最初見た時は泣き方が1じゃないっていうのはずっと不満でした。
それが唯一不満だったかも。
だから一番1っぽい顔は泣きそうな直前の顔が1っぽいんですよ。
ずっとさ鼻の下がテカテカしてる。
本当に変な笑い方する時の大盛りの方がいいなっていうことは。
いいですね。ニンの時の顔、漫画のニンとは違うんだけどリアルなラインだとそうだよねって感じの。
でも私もし今1を誰かに合わせるとしたら仮面ライダー2号の。
エモンとタスク。
合いそうだな。
エモンとタスクって体型とかシュッとしてて結構1に近いフォルムが。
合いそうですね。
ニンっていう顔がまずめっちゃ上手そうだし。
ニンっていうのが上手そう。
顔立ちもどっちかっていうと角ばてでシュッとした感じがちょっとするので。
そうそう髪型とかも1の髪型に合いそうな。
確かにそうですね。
そのリメイク見てみたいなちょっと。
ありがたいなそれ。
1だけね。
1だけ。
1だけもし違うとやるとしたら誰かなって考える時に今やったらエモンとタスクかな。
なんかちょっと声もイメージちょっと高い声出せそうやから。
子供っぽい鳴き声がもうちょっとできるんじゃないかなって。
確かに。
逆になんか漫画版とか映画版でこのシーン好きみたいなあります?
どうだろうな。
まず漫画版ではさっきずっと話されてた柿原が絶望するシーンは僕は大好きで。
直前までトロンとしてるんですよね。
でもこれは本当に死ぬかもしれないって分かった人間の恐怖に落ちる様みたいなものがすごく味わい深くて。
自分もそれこそ知ってるつもりになることってあるなと思うんですよ。
何かを知識として知ってたりあるいは映画で見たからなんとなくこういうことだよなって思ってるみたいな。
1:06:01
で、いざ例えば何かの拍子にその現場に行くってなった時に知識を超えてくることがあると思うんですよ。
その体験を今彼はしてるんだなっていうのが分かって、その部分は自分は重ねられる部分があるぞって思ったのもそうだし、
なんか世界を知るってそういうことだなって思ったというか。
100分は一気にしかずじゃないですけどみたいな。
本当の感情というか、本当の感情を知った時の人っていう感じですよね。
そうなんですよ。
なんかその瞬間までそれほどトロンとしてて、ある意味現実感がなく、ある種キャラクター全としていた柿原に突然人間が宿る気がして。
そこはすごく僕は好きなシーンですね、漫画版だと。
で、映画だと何だろう?
そうだな、映画版だと結構その肉体破壊のシーンとかも割とその時代が出てすごく好きなんですけど。
CGの変な使い方もいいですよね。
そうそうそうそう。
分かります分かります。
新しいおもちゃだわーいって使ってる感って言ったら分かりますか?
分かります。
もうめっちゃ使いたかったやな。
なんか意味のないようなところでも使ってるような気がするけど、まあいいわみたいな感じ。
またツルツルでね、発展途上なところを含めてそこがいいなって味わい深いなって思います。
だから柿原の口が裂けるシーンとか、明らかに作り物だなって感じがまた味わい深くていいんですけど。
あと木下宝華ね。
ツルツルやぞ体みたいなね。しょうがないけどね。
いちの靴から出てる歯のさ、奥行きどんだけあんのよね。
確かに。
そうそうそうそう。
歯元そんな出てないっすよね。ちょっぴりしか出てないみたいな。
あそこだけ急にエイリアンやられたみたいな。
大玉じゃないと無理みたいなね。
あれいいんですよね。
わかります。そこの描写も結構好きではあったんですけど、なんだろうな。
でもやっぱり結構ラストのジジイの表情は味わい深かったし。
あれ良かったですね。
あれはめちゃくちゃ良かったです。セブンのブラピぐらい良かったです。
確かに確かに。
セブンのブラピ。
ランの表情が本当に、ランの表情が本当にわかんない表情で笑うんですよね。
どうとでも撮れる表情で笑うんですよ。
あれはすごい良いですよね。
なんか複雑で良いなって思います。あそこ本当に。
あとジジイ関連でもう一個言うと、ぬいだジジイの描写も割と好きなんですけど。
1:09:02
そう。あれさ、合成かな。
そう、絶対合成ですよね。
だから下の人がちゃんといるってことですよね。
そうそうそうそう。
本職のボディービルダーの人ってことですよね。
ちょこちょこ顔がずれるんですよ。
しょうがないねっていうね。
なんかその違和感というか、こんなことあるわけないじゃんって感じ。
多分それ高山が感じてた感情と全く同じだと思うんですけど。
な、アホなっていう。
そう、あの時漫画版の方ではジジイがこう、なんか俺本当はまだ30代前半だからとか言うじゃないですか。
言います言います。
もうあれが本当か嘘かも分からず、そこから何の掘り下げもなく、ジジイがずっと謎のまま終わるっていうのが。
あの不気味さは、あの気持ち悪さはいいですよね。
だからその漫画版での不詳細というか、こいつは何者なんだっていうわからなさを映像化するとああなるんだなと思って。
なるほどね。
まずボディービルダーを用意しますみたいな。
顔につかもとシーンを当てますみたいな。
ああいう再現でもってそれを出すっていうあたりの感じね。
結構やっぱその原作通りほぼ映画ほぼやってるっていうのに、僕びっくりしたって話ちょっと前振りの時にしたと思うんですけど。
なんか元からミイケタカシとの相性いい原作だったんだなっていう感じはすごいしました。
もうエログロナンセンスってもうそりゃそうやろうなっていう感じはすごいしたんですけど。
けどやっぱその中でやっぱちょっとミイケタカシっぽいアレンジ加えてるなって思うのがやっぱサブロの犬描写ですか。
ああ。
あれよくも感じオリジナルじゃないですか。
確かに。
あそこで変にポップなものを入れる感じってミイケタカシっぽいなって思ったんですよ。
初恋の時の爆弾がおもちゃの人形みたいな動くてこてこする人形だったみたいな感じの使い方にも似てるなと思って。
けどあのアレンジにして前回全然原作と違うじゃねえかって気持ちに全然ならなかったんですよ。
改めて原作を読んでみても。
元からやっぱもうミイケタカシの作品とあの作品とすごいもうマッチしてたんだなっていうことは本当に改めて思いましたけどね。
あと私が漫画版で好きな描写言っていいですか。
どうぞ。
ぜひぜひ教えてください。
めっちゃ細かいんですけどあの井上さんいるじゃないですか。
井上さんが殺されて、殺された時に秋原が藤原っていうやつだと思うんですけど部下にこう風呂場でやってこいっていう。
死感させますね。
死感するときにシルエットだけ写ってるんですけどシルエットでおえおえってゲロ吐いてるんですよ。
1:12:03
はい、吐いてました。
そこをめっちゃ好きなんですよなんか。
リアルに嫌じゃない?
全部嫌なんですけど地味に嫌というか。
嫌ですよね。
しかも自分がもしあの世界に入ってたとしたら多分あの古文のどれかな絶対ポジション的に。
それぐらいの存在感が来ます。
一番嫌やなって言われるのが。
絶対そんなの命じられる側やんみたいなところですよね。
それをちょっとリアルに想像しちゃうんですよね。
そうね。
いのえさんが映画版のいのえさんなんか可愛くないですか?
可愛かったですね。
テレビに入ってるシーン。
かけやがな兄貴とか言って。
覚えてないんすか?みたいな感じでチャレンジすることね。
しかもなぜか部屋はなんか白い羽根でまみれてるし。
あとね、テレビの入ったままの市街、いのえさんの市街がゴロってなってて、
街行く人は何しらんかっていうあたりの、
ああ、歌舞伎町こえーって思う。
そうなんよ。
あそこね。
そんなところにいてたんだよ。
かっこいい。
僕は新海誠が描く新宿に惚れてますけど、
確かに一発目あの新宿を見て惚れる人がいるのが分かるなって思ったんですよ。
新宿という場所にロマンを感じる人がいるのもおかしくないなって思って、
あそこで歌舞伎町怖いって思って。
私がどれだけ歌舞伎町が、東京でバー開催したときに歌舞伎町を泊まってて、
どれだけ本当に怖かったかというか、
本当にあのイメージだったから。
いのえの市街が転がってるような街だぞ。
でも実際の歌舞伎町も怖かった。
怖いわ、怖いでしょ。
そうっすねー。
怖かったですよね。
怖かったですね。
なかなか怖い。
いろんな人がいるなっていう感じがするんですよね。
いろんな人生がそこにあるっていうだけで怖いなって思ったというか。
なんかこう濃度が濃いんですよね、新宿ってなんとなく。
いろんなものが混ぜ込まれていて、その混ぜ込んだ状態ですごい濃度でこっちに押し寄せてくる感じがあるというか。
飲みきれないってみたいなそんな感じがするっていうか。
僕はあの日そのまま新宿駅があくまでフラフラしてるんですけど、あの辺も。
で、ちょうどその帰り際にバッティングセンター見てて。
で、原作読んだらまさに金子と二人で行くバッティングセンター、あれじゃんってなって。
そこちょっと嬉しかったです。
知ってる場所が出たっていう。
政治人類的なね、いいじゃないですか。
あと、新宿にあるかどうか知らないんですけど、ラーメン屋とかも行きたくないですか?
1:15:04
でもあそこのラーメン屋って。
あんなラーメン屋あるんですかね。
ありそうじゃないですか、でもあそこ。
ありそうですよね。
めちゃくちゃありそうじゃないですか。
めちゃくちゃありそうですし、新宿じゃなくてもありそうですけど。
大阪の方がありそうな気がするみたいな。
あるでしょうね。
でもなんか、あそこのロケ地とかってどのくらい新宿なんですかね、その映画版とか。
そうだな、確かにな。
映画版、クレジット読ませる気ないじゃないですか。
あれは読めない。
一日も情報が溜めるのですよ。
あのクレジットからは。
衝撃のクレジットですけど。
そう。
この斜位置は本当に作った人が全員が楽しんだんやろうなって思う。
マジで。
そうそう。
それもすごい良いんですよ。
だって普通、クレジットは読ませますよ。
普通。
正気じゃないんだよな、クレジット。
そこまでふざけるかい、三池さんっていう。
こんなクレジット見たことないので、クレジットだけでも見る価値ありますよ、本当に。
いや、本当に。
こんなの見たことないので。
そもそもタイトルの出方からして挑発的ですけどね、もうね。
うわ、お前そんなやり方みたいな。
あそこから出ますかっていう。
正気から文字出しますかみたいな。
どういう。
冬限定浮かび上がっとんねんって思いますけどね。
何が浮かび上がってんのかわかんねぇし。
あれ考えた三池さんなんですかね、わかんないですけど。
あれ考えただけであの映画勝ってんだって思いますけど。
唯一無理ですよね。
そう。
なんか勝手な解釈というか、映画版なんかより一のことが結構サイコキラーとして描かれてません?
そうなんですかね。
なんかもう、今ちょっと新鮮な気持ちで見れないんで、どうなのかがわかんないですね。
原作読むと結構一画場の話もフィーチャーされるんですけど、
映画版って思ったよりも一の話って本当に出てこないじゃないですか、途中盤まで。
確かに確かに。
で、途中から突然現れるやつって感じになるので、
かつなんか新潟での空手道場の話とかもないじゃないですか、
あと工場での話とか、そういうのも全部除いて、ただただゲームしてるにぃとか殺すかみたいな、そういう立ち位置だから、
なんかめちゃくちゃシリアルキラーというか、なんならちょっとそれこそスプラット映画で言うジェイソンとかキラーっぽく描かれてるなと思って。
そうですね、映画版、イチは完全にそういう立ち位置だったなっていうのがすごい面白い脚色だなって思いました。
なんか最初にオープニングで、多分イチが自転車漕いでるのかな。
なんか目が映るんですけど、瞳の中に歌舞伎町の入り口が映るんですけど、
1:18:03
あれが鏡、反転してるんですよ。鏡に映ってる文字みたいな。
あの辺の演出を見てると、歌舞伎町なんだけど、現実にある歌舞伎町とは違う歌舞伎町っていう感じが聞かせるのかなっていうのがすごいあって。
ちょっとなんか、実際の歌舞伎町のことあんまりよく知らないんですけど、ちょっと東南アジアっぽい雰囲気で描いてるじゃないですか。
全体的な色合いとかも結構賛否あったりするんですけど、私は結構それがここじゃない歌舞伎町みたいなニュアンスで結構好きだなっていうのはあって。
それこそなんていうか、殺し屋イチ世界での歌舞伎町というか。
お疲れ様です。
おかえりなさい。
さっきイチの出自というか、映画版だと単なるキラーとして描かれてるっていうところの話してたと思うんですけど。
僕は漫画版の殺し屋イチのイチの描き方の部分で、格闘漫画としての殺し屋イチっていう切り口が結構好きというか。
やっぱり映画版のイチってただ殺すための装置でしかないと思うんですけど、漫画版ってやっぱりイチの格闘描写の描写が細かいというか、力強いと思ってて。
で、漫画のフィクション性というかファンタジーの折り混ぜ方もすごく結構面白く見れるようになってると思ってて。
例えば特訓シーンで岩を蹴り砕くとかっていうのができちゃうっていうのも、すごく面白いって言ったら語弊があるかもしれないんですけど、やっぱり純粋な強者としてのイチっていう面白さが漫画版にはあるんですよね。
おだしょー ありますね。わかりますわかります。 要は邪悪な暴力をぶちのめすための暴力装置としての強者っていうイチっていうのが漫画版の面白さにはあって、それは多分映画版の方にはない面白さなんですよね。
で、そこは漫画の方の魅力だし、説得力っていう部分でもやっぱり漫画の方があるとは思うんですよ。
なんというか、なぜイチが強いのかっていう部分で、劣等感を反動にしてめちゃめちゃ期待が高らですっていうところっていうのがあるから、そのイチに乗っかるっていう部分もあると思うんですよ。
なぜか強い映画版よりも、そこにドライブできる何かがあるっていうのはあるかなと思ってて。
で、僕漫画の方ですごい好きな描写で、映画版の方だと単なる喫茶店の店員になってましたけど、漫画の方と板金工場の職員みたいになってたじゃないですか。
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で、刃物が入った仕込み靴自分で作ってるんですよね。で、その刃物を自分で磨いて、刃物を鋭くして、仕込み靴がちゃんと刃物が出るようにしてるっていうのを確認したりする手順っていうのがあって、あそこってそういうアクション映画的な面白さがあると思うんですよね。
そういう力そのものを磨いている人間のある種の純粋さを面白いと思えるっていう文脈があって、そこはもう映画の方には全くないものだと思うんですよ。映画の方はなぜか強くて、なぜかゲームで遊んでる人って感じだと思うんですけど。
で、そこに何か位置っていうものに乗れる奥行きみたいなのは漫画の方があると思ってて、例えばそれってタクシードライバーで鏡に向かって銃をかがまえるトラビスに乗っかれるとかっていうのが、刃物を磨いている位置にはあると思うんですよ。
そこが漫画の方の魅力の一つでもあると思うんですけど、同時に漫画の方では位置があまりに許容しがたい暴力性を帯びているせいで乗っかれないっていう二面性もあるんですよね。そういう乗っかれない暴力性と乗っかれない暴力性っていうものを合わせ持ってる二面性を持ったキャラクターとしての位置っていうのは漫画の方にはあって、僕はそれは漫画の方だけが持ってる魅力かなとは思ってて。
やっぱりね、その漫画の方の位置の格闘描写ってかっこいいんですよ。蹴り一つ取ってもやっぱりフォルムが美しいし、映画の方でなぜか鍵を切断して部屋に侵入できるとかっていうのもなんとなくだけど、漫画の方の位置ってやっぱそれができてもいいかなって思える精進性とそれを成立させる説得力があると思うんですよね、漫画の方の位置には。
それはやっぱり漫画だけが持ってる魅力かなとは思って、実写では表現できない何かだと思うんですよね、そこって。それはやっぱり言及しておきたいとこかなとは思いましたけど。
確かにたぶん映画版ではおそらく意図的にそこをオミットしたんだろうなぁと思いますよね。おそらく表現することもできたんだろうけど、それをやってしまうと逆にその漫画の後追いにもなってしまうというか、映画版独特の味わいがなくなってしまうというか、実写にできるところを実写としてやるっていうのにすごく徹底した作りにしたんだろうなと思うと。
その判断は確かに間違いじゃなかったし、だからこそ両方別のものとして楽しめるっていうのは余地として残るのは全然ありだなって思いますね。
映画の方に格闘映画としての面白さっていうのは全くないですからね、そこは。
ないですからね。
あと映画版の、映画版のというか、英語のタイトルがイチザキラーなんですよ。めっちゃかっこよかった。
そうですね。
1:24:00
イチザキラーってかっこよすぎるやろと思って。
確かにかっこいい。
さすがに終わりますか。
終わりましょう。
まあまあ、じゃあそんな感じで。
漫画版の話が多かったから、リスナーさんは映画を見る人の方が多いと思うんで、見てるんかな。
まあまあ。
これだけにどっちも触れていただきたいな。
そうですね。両方とも面白いんで。
もう二度おいしいって感じです。一粒に二度おいしいみたいな感じなので。
ぜひえぐられてください、皆さん心。
はい、じゃあまあそんな感じでこれで試合中の話は終わっておこうかなと思います。
次回宮崎駿ベストいきますか?どうでしょう。
そうやそうや。
でもいいですし、パールもやるんだよな。
ああ、そうか。
Xやったじゃないですか。
パールね。
まあ別にやらなくてもいいですけど、パールもあるなっていう。
でもXよかったですからね。
さらにパールもあるしどうでしょうねみたいな。
宮崎駿ベストでも全然ありですね。
まあでも引きが強そうなら宮崎駿なんだよなっていう。
どうでしょう。
これはどちらでも、どちらでもというか。
まあ見なくてもやれるし宮崎駿ベストにしときましょうか。
それこそパールはまた別の機会というか、また別でやれますもんね。
やれますね。
多分全員見るような気がするんでここにいる人は。
じゃあまあ次回宮崎駿ベストでいきましょうか。
ベスト何番にします?ベスト何番だろう。
1でいいんじゃない?
1でしましょうか。1で話しましょうか。
そこから広げていく感じにしますかね。
そうですね。
ザクバラに喋るみたいな感じで。
あんまり固く考えないんで僕、前の人と被ったらずらすぐらいの感じで喋れます。
そうしましょう。
じゃあ次回宮崎駿ベスト1作でいきましょう。
はい。
えーと、しまった今スクリプト読めないや。
マリオさんスクリプトお願いしていいですか。
わかりました。じゃあ締めの文章というか読めばいいって感じですかね。
はいすいませんお願いします。
ではじゃあ僕が締めます。
お知らせになります。7月も映画の話ししたすぎるバーを開催する予定です。
場所は大阪の南森町にある日替わり弁当型カフェバー週刊曲がり。
日時は7月30日の日曜日。オープンが19時、クローズが23時となっております。
今月は日曜日開催なのでご注意ください。
またこの番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。
番組の感想、次回テーマ作品の感想などご自由にお送りいただけると幸いです。
1:27:03
今回は開催情報、ポッドキャスト次回テーマ作品の告知も行っておりますので、
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それでは映画の話ししたすぎるラジオ第124回でやってますかね。
第124回、殺し屋1の話を終わりたいなと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。