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2026-02-21 18:01

なぜ読書はマウント合戦になりやすいのか

「趣味は読書」と言いたいけどなかなか言えない…というモヤモヤを抱えていたので、その理由を深堀りしてみました
#読書 #マウント #趣味 #雑談
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こんにちは、midoriです。今日はですね、なぜ読書はマウント合戦になりやすいのか、ということについて話してみたいと思います。
そもそもね、マウント合戦になってないよって思う人もいるかもしれないですし、
趣味ってね、そもそもマウント取り合うものでもないし、他人にどう評価されようと関係ないじゃんっていうご意見もあると思いますし、その通りだなとは思うんですけれども、
私はですね、実は過去にマウントに巻き込まれたせいで、人前で読書は趣味と言わなくなったという経験があるので、今回はですね、それについて改めて掘ってみようと思います。
これを考えるきっかけとしてはですね、最近あの習慣的に読書をするようになってきて、状況的には趣味は読書ですって言えるんじゃないかなとも思うんですけれども、
ただ、まだ今の私にはですね、それを言う勇気がなくて、何でかっていうと、先ほども言いましたけれども、若い頃に読書が趣味ですって言ったことによって、マウントを取られてボコボコにされて嫌な思いをした経験が何回かあったので、あまり人前で言わなくなったんですね。
どういうことかというと、読書が趣味ですって言うとですね、その瞬間に何冊読んでるのとか、古典で呼ばれるものは読んでいるのかとか、
ビジネス章とか、あとSEなので技術章とか読んでるのかみたいなことを聞かれたりですとか。
あと、基本的に小説ばっかり読んでるので、小説が好きですみたいなことを言うと、どの作家のやつ読んでるの?みたいな。
で、あとどんな作品読んでるの?とかっていうふうに質問が始まりますし、あとは例えば、最近何読んだの?とか印象に残っている本なんだの?って聞かれたときに、
村上春樹のノルウェーの森が最近よかったですとか好きですとかって答えたとして、じゃあ村上春樹全部読んでんの?とか、
その絵を読んでどういう感想を持ったの?みたいな感想に対しての審査が入ったりとか、そういう質問が結構飛んでくることが多かったんですね。
で、それにあまり答えられなかったりとか、相手のお眼鏡にかなう回答が返せないと、
そんなので読書趣味って言えるの?みたいなこと言われたことがですね、まあまあありまして、ちょっとね、人前で読書趣味っていうのは危険だなというふうに思ったんですね。
映画も同じで、私は割と映画見るの好きな方だったんで、映画趣味ですみたいに言ってたりもしてたんですけど、やっぱりこれも年に何本見てるのかとか、
どの監督の作品を見てるのかとか、例えばクリストファー・ノーランが好きとかって言ったとして、じゃあクリストファー・ノーランの作品全部デビューから見てるのかとか言われたりとかね。
何ですかね、例えばSF作品が好きだと言ったとします。
で、そうなったらSF作品でいろんな人に影響を与えたと言われるスタンリー・キューブリックの2001年宇宙の旅は見てるのかとか、
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それを見てどんな感想を得たのかとか、そういうことを聞かれたりするわけですよ。
もうね、本当にめんどくさい。めんどくさかったんですよね。
もうこれしてて当然でしょうとか、これに対してはこういう見方して当然でしょうみたいなことを結構押し付けられることが多くてですね。
他にもね、その作品に関して監督の意図とか作家の意図だったりとか、裏話みたいなところだったりとか、すごい細かい知識を求められたりして、
そこまでじゃなかったので、そもそも本に関しても映画に関してもそんなに数こなす方でもないですし、そんなに細かい知識を得るタイプでもないので、
そういう審査にですね、ことごとく不合格を言い渡されて、いやあなたそれ趣味じゃないでしょって言われるっていうことがですね、結構な回数あったんですよ。
こうやって振り返るとですね、趣味って言った瞬間にどれどれ本当に趣味なのか確かめてやろうみたいな、そういう視覚審査が始まってですね。
ただ私は何が好きなの、何が趣味なのって聞かれて、読書です、映画ですって言っただけなのに、なんかボコボコにされるみたいなことがありまして、
ちょっとね、人前で言うのは控えよっていうふうに若い頃思いました。
ここまでは個人的な経験なんですけれども、以前ですね、Xでも読書が趣味だよっていう人が自分のおすすめ本を紹介したところですね、
その選んだ本が結構ビジネス本が中心で、しかも自己啓発系の本が多かったんですね。
そしたらそれに対して自称読書家の方たちから双叩きにあっている図を見かけまして、もうすんごい炎上してたんですよね。
別にその方なんか誰かを落とすような発言をしたわけでもないですし、ただただ本当に自己啓発系の本とかビジネス系の本を紹介しただけなのに、
なんかものすごい人格否定までされていたりして、恐ろしいなと思ったんですよ。
私はそれを見たとき、読書家の方ってもの静かとか資料深いみたいなイメージをなんとなく持っていたので、
その先頭民族ぶりというかなんというかにですね、すごくショックを受けて、言ってもXユーザーなので一部の過激派の発言だとは思うんですけれども、
そういうのを見て、映画と読書は人前で趣味っていうのをやめてました。
こんな経験がありまして、私はしばらくの間、人に堂々と言える趣味が他にないかなみたいに思ってたんですね。
そんな私がようやく手にした人に言える趣味がキャンプとアフタヌンティーだったんですね。
もちろん人に言うために始めたわけでは全然ないんですけど、ただこの2つが趣味として言えるようになったことですごい救われたんですよ。
なんでかっていうと、この2つの趣味はですね、私の経験上を趣味失格って言われることがなかったんですね。
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例えばキャンプが好きって言ったら、キャンプどういうところが楽しいですかって聞かれたりとか、
あとどういうところ行きましたかとか、うちも子供連れてくよとか、昔行ってたよみたいな、そういう体験の共有が会話の糸口としてあったりとか、
アフタヌンティーも結構似てて、アフタヌンティー素敵ですねって言ってもらったりとか、
どういうところでアフタヌンティーってできるんですかって聞かれたりして、自分の経験を共有したりとか、
ここのアフタヌンティーおいしかったよとか、アフタヌンティーじゃなくてここのケーキおいしいよみたいなお話をしてもらったりとかで、
すごい平和な会話がここから生まれるんですよね。
この2つに対して年に何回行ってんのとか、どこ制覇したんだとか、キャンプだったらどんなギアを持っているのかとか、
アフタヌンティーだったら1回おいくら前のところに行ったのかとか、本場のアフタヌンティー行ったのかみたいな、
そういう資格審査みたいな質問を少なくとも私は今まで受けたことがなくて、そういうマウントに遭遇したことがないので、
この2つはすごい私にとっては平和で、人に堂々と言える趣味なんですね。
この2つ、映画読書とキャンプ、アフタヌンティーっていう趣味を比較したときに、
なんでこういうことが起こるのかなと。
私は最初これって単純に競技人口って言ったら変ですけど、人口の違いなのかなと思ったんですよ。
読書とか映画って結構とっつきやすい趣味だと思うんですよね。
だからすごく人口が多いかなと思ってて。
一方でキャンプとアフタヌンティーって、キャンプはブームがありましたけれども、
私アフタヌンティーもヌンカツっていうぐらいなので、人数としては増えてきてると思うんですけれども、
まだまだそんなにたくさんいるなっていう感じではなくて、
お金の面とか時間のハードルとかもあって、そんなにいないのかなという印象があるんですよね。
だからそういう面でちょっとめんどくさい人に当たる確率が高いのかなみたいに思ったんですけれども、
それだけじゃないような気もして、これはどういう違いがあるんだろうということをチャッピーに壁打ちしてみました。
その結果チャッピーが結構面白い答えを出してくれたので、それについてシェアしたいと思います。
チャッピーに聞いてみたところ、このキャンプとアフタヌンティーと映画読書の違いは構造の違いであるということを教えてくれたんですね。
映画とか読書っていうのは年に何本とか何冊っていう数字であったりとか、必修作品っていうか古典だったりとか、
あとは映画でも巨匠と呼ばれるような監督の作品であったりとか、あとはこういうことについて知ってるかどうかみたいな作品に対しても、
その業界についてのセオリーみたいなことについても知ってる知らないみたいなところで、
数値化しやすかったりとか序列化がすごくしやすいものが要素としていろいろあるんだなと。
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一方でキャンプとかアフタヌンティーってさっきの会話の例でもそうですけども、体験の共有というところに目が向きやすいんですよね。
だから数字があんまり意味を持たないのかなと思ってて、だから趣味として共有したときに、
比較とか評価とかっていうところがあんまり表には出てこないのかなというふうに思いました。
この2種類の趣味を比較して大事なのって、序列が存在するかどうかっていうところだけじゃなくて、
趣味ですって言ったときにいきなり戦闘に入るかどうか、序列がそこで始まるかどうかっていうところだと思うんですよ。
やっぱり自分の経験としては、読書とか映画とかを趣味ですって言った瞬間に視覚審査が始まるなっていうのがすごい経験としては多かったんですね。
もちろんそんな人ばっかりじゃないですよ。そんな人ばっかりじゃないんですけど、そういうのに当たる確率がすごい高くて。
キャンプとアフタヌンティーに関しては、まず体験の共有から始まっていくっていうところが多いのかなというふうに感じます。
この入り口の違いがマウントの生まれやすさを結構左右しているのかなというふうに思いました。
ここまで考えてみてとか、チャッピーの壁打ちで語れてもらったことを踏まえて、若いときの私に対してもちょっと気づいたことが一つありました。
というのは、私は人前で無邪気に趣味ですっていうことによって、無意識に評価してくださいっていうふうに丸裸で突っ込んでたんだなというふうに思ったんですね。
どういうことかというと、趣味というからには、やっぱり人それぞれの指標はあると思うんですけども、一定の水準を超えていることを期待されるんじゃないかなと思うんですよね。
ただ、私は本当に若いとき、純粋というかアホというかで、それに気づいてなくて、安易に趣味ですって言って、丸裸で突っ込んでいってボロボロにされるっていうことを何回もやってたと。
それと同時に、ただただ好きだから言ってるのはもちろんあったんですけれども、ただ心のどこかで、ちゃんとやってる人だと思われたいとか浅いと思われたくないとか、
趣味というからには認められたり、それなりの自分でありたいみたいなところも持ってしまってたからこそ、評価されたくはないのに評価に突っ込んでいって、それで傷つけられた。
ボロボロにされて、お前はそんなもん趣味じゃないだろうみたいに言われてたんじゃないかなというふうに思います。
というところがあったので、若い時の自分は愚かだったなとは思うんですけれども、ただそれを踏まえて改めて、好きっていうのは誰かに評価されるものじゃないですし、そもそも評価したがる人っていうのは好きかどうかということじゃなくて、見てるのは序列のところしか見てなくて、
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どれだけ知ってるかとかどれだけ正しいかとか、どれだけ自分よりも上なのか下なのかみたいなところで、好きっていうものを使って自分の立ち位置を測っているだけ。
自分の不安を解消したいだけなんですよね。
だから今は本当にマウントを取られることはなくなりましたけれども、ただ今後またこういう趣味の話に例えばなったりしたり、趣味の話以外でも何か好きなものの話になったときに、こういう人の前で安易に好きを出さないようにしようと。
そもそも安易に人の前で大事にしたい好きは簡単に出すべきではないなということを改めて学びました。
でもそれは今はあまり思わないですけど、若い時だと人前で好きって言えないなら本当は好きじゃないんじゃないかとか、自分はただ浅いだけなんじゃないかとかって思ってしまってたんですけれども、
これは無駄な査定を受けないための戦略だなとチャッピーもそう言ってくれました。
無駄な査定を受けて、無駄に傷つけられて自分の好きを奪われないための戦略として人前で安易に出さない方がいいですよというふうに言ってくれました。
好きなものっていうのはわざわざ共有が面倒くさい人に説明するものではなくて、ちゃんと信頼関係があって楽しめる人とだけ共有すればいいよっていうふうに言ってくれたので、今後はそういうふうにしようと思います。
というところまでがチャッピーとの壁打ちを踏まえた趣味におけるマウントの話なんですけれども、
最後もう一つ、最近スマホ時代の哲学を読んでたんですけれども、この本では趣味っていうのが結構キーワードとして出てくるんですね。
趣味を持つことによって自己対話の機会を得るみたいなことを大事だよっていうふうに言ってるんですけれども、
スマホ時代の哲学の中では趣味ってそもそも本来成果とか評価とかを目的としないものであって、
答えを急がずに意味づけを保留するネガティブケーパビリティを育てるものだよということが語られていました。
厳密に言うと、あの本の中で言われている趣味っていうのは結構絞られたもの。
何かを育てるとか何かを作るっていうことに限定されているので、ちょっとキャンプとかフタ抜きがそこに入るかっていうところはあるんですけれども、
趣味っていうのは確かにそもそも成果だったり評価だったりっていうのは目的じゃないし、何か目的がそもそもあるものじゃないよねっていうところは共通していると思うので、
この考えは大事だなと思うんですけれども、ただ今の時代って趣味もすぐに何をどれだけやったかとか、どこまで知っているかとか、どういう文脈を抑えているかとか、
そういう評価ゲームの中に回収されやすくなっちゃっているというのは、SNSとかの影響もあってすごく強くなっているんじゃないかなというふうに思います。
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それはそのままどんな自分かどんな私なのかみたいなのを証明する材料になってしまっている部分があると思うので、
そう考えると映画とか読書とか本当はすごい内静的なものだし、評価から自由な趣味であるはずなのに、
何かやっぱりSNSとかで特に趣味ですって出すことによって、どれだけ知っているやつなのかとか、どれだけのレベルのやつなんだっていうのを査定されてしまうような評価ゲームとすごい相性がいい形式を持ってしまっている、
そういう要素を持ってしまっているものなんだなというのも改めて考えました。
というところで、ここまで読書だったりとか映画が結構評価に巻き込まれやすくて、
承認要求のために消費されやすいみたいなことを話してきたんですけれども、
ただキャンプもアフターヌーティーも含めて、どういった界隈にもスキーを資格とか身分証にしてしまうという人は一定数いると思うんですよね。
だからキャンプもギア自慢とか、ギアをいかに軽量化してとか、いかに削って1グラムでも軽くするかみたいなウルトラライト論争というのが一部であったりしますし、
あとアフターヌーティーも本場志向なのかとか、どのぐらいのランクのホテルのアフターヌーティー行っているのかみたいなのはあったりします。
ただそれが人数的な問題もあるし、アフターヌーティーなんかだとお値段で競うってちょっとお下品なので、
優雅とかお上品というイメージからちょっとかけ離れるところもあって、ちょっと表面化しにくいみたいなところはあると思うんですよね。
なので、映画とか読書とかそのものが悪いわけではなくて、隙を使って優劣を図ろうとするような人が一部いて、そういう構造が存在してしまっているっていうのがあるだけだということが今回いろいろ考えてわかったことでした。
なので、結論として私が今考えたいのは、どういうふうに今後マウントに対抗するのかということではなくて、趣味を通じて自分を証明しようとしない。
そういう自分をちゃんと持つっていうこと。荒法で何言ってるんだろうって感じではあるんですけれども、もう改めてそういうことだなと思いましたので、それが一番大事なことなんだろうなと思います。
だから、評価されて自分を保つみたいなところではなくて、自分を自分たらしめるものは何かっていうことを、いい加減考えなきゃいけないのかなというふうにも思いました。
結論上とよくわかんなくなりましたけど、今日はこんなところです。聞いてくださった方ありがとうございました。
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