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夕焼けひとりきり、始まりました。
昭和二桁生まれのパーソナリティーに、ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ、今は懐かしい思い出、明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。
どこか懐かしく温かい、そんな昭和の情景、心の思うままお伝えできればと思っております。
どうぞお付き合いください。
今日は、昭和レトロのお話、昭和夕焼文化館、私の収蔵品が収めてある事務所になります。
こちらの中で、先日整理、整頓していた時に、多くの鉄道関連の収蔵品が見つけることができました。
実は、鉄道、この言葉を聞くと、小学校の初めての旅、友人と3人で静岡県の清水、富士山へ見に行こう、そんな懐かしい思い出を蘇ってきました。
遠くへ行きたい、そんな番組が当時、A6スケさんのナレーションだったか、いつも遠くへ行きたい、そんな心をいつの間にか芽生えさせて、幼いながらに、なんか列車の中で駅弁食べたいな、そんな友人との話がきっかけです。
慣れない時刻表を買って、そしたら時刻表を見るのが好きになってしまって、時刻表を指で辿っていくと、心の中で旅が始まるんですね。
いろんな駅があって、路線図があって、小さな駅から大きな駅、特急、そんな止まる駅にはお弁当のマークがあったり、赤帽のマークがあったり、いっぱいマークがついてる駅ってどんなんだろう、その駅は視線が分かれてどこへ行くんだろう、
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そんな高ぶる気持ちを抑えることができなくなりました。
そして、静岡県本面富士山への旅、ひたすらドンコ列車で友達とボックス席を占有して、当時は灰皿もあったかもしれません。
窓も手挟み状態で上下に可動式のもので、駅弁を食べました。
幕の内弁と決して高くはないものだったんだけれども、当時のお茶は乳白色のプラスチックのボトルに、ふたつきの、そして青い針金の吊り下げる持ち手がついてました。
そこで少しのおかずとご飯を交互に味わいながら食べて、やっとの思いで、静岡県の清水に着いて、富士山、日本の松原、とっても鮮やかな富士山、感動したのを覚えています。
そして、東海大学の関連の水族館だと思うんですけれども、深海を潜る潜水艦、そんなのを見て感動したのを覚えています。
ああ、富士山みたいな高いところから海の底の深いところ、標高差ずいぶんあるなあ、深海にはどんな光景が広がっているんだろう、後に知ったんですけれども、駿河湾は五枚崎と伊豆半島に囲まれているエリア、非常に深い湾だそうです。
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そのせいで、さまざまな魚が、おいしい魚が獲れる、そんなことを知りました。
そういえば、八重洲湖、有名ですよね。
そういう楽しい思い出を作って、何か当時、ガリバーになれるようなミンチワの街並み、そんな公園もあったと思うんですけれども、先日調べたんですけれども、今は不明です。
分かりませんでした。
また自分の研究課題として後押したいと思います。
話は戻ります。
潮場夕焼け文化館の鉄道関連、1984年当時の国鉄時代の時刻表、車掌さん、運転手さんのバッジ、そしてすり輪、メーター関連の器具、
そして、入場券や、100年開業駅、例えば、関原駅、100周年、そんな記念切符、そして青函連絡船の切符、見つけることができました。
知事の方が譲ってくれたものです。大事にとっています。
決して鉄道マニアではないのだけれども、私はブルートレイン、そして四捨四道車の乗ってみたい、そんな憧れは小さい時に持っていたんですけれども、
四捨四道車は新幹線の中学生頃だったか、経験することはできましたが、ブルートレインは現在に至るまで乗る夢は叶いませんでした。
今、交通手段は、多くの高速道路が日本列島を駆け巡って、飛行機もいっぱい飛んでいます。
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交通手段は迅速に、本当日本国内を移動するのに能力が、そしてお値段も当時よりも格安に移動できるようになりました。
一方、国鉄はJRに民営化されて、再三取れない路線は廃線となって、そして第三セクターに縋られている路線もたくさんございます。
私は当時の廃線の終着駅とか、そこに暮らしている人、どんな思いで開業からいろんな人の生活を支えただろう、そして今もそこに住む多くの人の心に残り続けていると思います。
その気持ちに、今回整理整頓して思い出すことができました。
なんとなく鉄道のことを皆さんにお伝えしたくて、今日は話題としました。
今日は昭和レトロ、鉄道の思い出、私の旅のエピソード、そして昭和夕焼け文化館の収蔵品の簡単なご紹介させていただきました。
本日は短くなりましたが、このあたりでお話し終わりたいと思います。
お付き合い下さいまして、本当にありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。