付き合うべき人の見極め
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、エンタメンでもファンタジーでもないリアルなスピリチュアルで人生を切り開いた
ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
今回のテーマは、付き合うべき人と離れるべき人の見極め。
ということで、今日もゆるっとつるっと話す回でございます。
最近ですね、多くの方がおそらく向かうべき方向とか見えてくる、なんとなくぼんやりわかってきて、
その方向に向かうためにいろんな整理をこれから始めていかれる、そんな時期なんじゃないかなと。
2つ前にもね、整っていくタイミングですよ、みたいな話しました。
最近言われるというか、お寄せいただく話の中で多いのが、なんかもう我慢できなくなってきたっていうね、ワード。
わかりやすく言うと。
多いんですよね。職場の方もいれば、恋人だったり。
なんかね、そういうのが多いですね。
家族っていう方もね、いらっしゃったけどね。
家族はね、やっぱり結構難しいっていうか、船深くなってくるけど、
職場とか友達、恋愛関係っていうのは、意外と離れようと思えば離れられるものなので。
こっちはね、なんていうのかな、自分次第です。
本当に自分次第。
でもその自分次第がよくわからない状態、混沌としたこの半年ちょっとだったのが、いよいよもう無理だなってわかったことで、
じゃあどうするのって、現実を動かせるタイミングに入ってきてる方がね、多いんじゃないかなと思いますよ。
この間インスタにそんな話が多いもんだから、ある呪文を3回唱えるといいよと。
どういう呪文かっていうと、
クズに自分の命の時間を使うのはもったいない。これ3回ぐらい唱えましょうと。
これはね、相手を非難する目的ではなくて、
自分に意識を向けるための呪文です。
もうね、相手のいいところを見ようとするのってすごく大事なんだけど、
そこに力を奪われすぎてしまったり、理不尽な相手にそこをかけすぎると自分がね、疲弊したり盲したりしてくるんですね。
なので、やっぱ最近ね、
最近ね、というか、まあそうなるの当然だよねっていう意味で言うんですけど、
やっぱりね、わがままになってきてますよ。
いい意味で、わがままに生きるのはいいんですよ。
わがままっていうのは、自分の主張を無理やり通すとか、
自分の主張に相手が合わせてくれなかった時に怒りを出すとか、
これが良くないわがままですよね。
良くないというか、建設的ではない。
コミュニケーションがうまくいかない。
人とうまく渡り合えないコミュニケーションになっていくわがままっていうことですね。
別にね、自分のままでいることに対して、
人は人、自分は自分っていう風に割り切ってるケースは、それはもうなんていうのかな、
ある種自分をきちんと大切にし、相手も大切にし、
わがままと成熟
その結果を自分がしっかり受け入れているという状態なので、成熟したわがままと言えばいいか。
分かりやすく言うと、成熟したわがままと幼稚なわがままとあるわけです。
幼稚なわがままっていうのは、自分がどこか理不尽だったり、
これは人に迷惑かけてるなってうすうす分かりつつもギャーギャー言うっていうことですね。
子供みたいに、なんか嫌だーって言ってギャーって泣くみたいな。
欲求むき出しってこと。
それは言い悪いではなく、それは幼児性があるという意味ですね。
子供の時はそれが当然ですよね。
そうやって摩擦を体験し、こうやっても人は動かないんだなというのを学び、
であればどうしたらお母さんお父さんに欲しいものを買ってもらえるのかっていうのを考えて、
これをやったらこれちょうだいって交渉術を身につけるとか、
これが結局大人になっていくというか成長のプロセスというかね。
そこに相手は相手、自分は自分っていうところで判断して柔軟に対応していく。
これが成熟さっていう意味ですね。
成熟したわがままと幼稚なわがままがあって、
これは年齢関係なく、年をとるほど幼稚なわがままが多くなってくるっていうのは、
これはね、老化というか判断力が鈍る本能、エゴが出てくる本能か、
本能的になっていく、退化していく、こういう表現があるかなと。
これは生理現象でもあり、今まで我慢していることが多かった人ほど、
そのギャップっていうのは多く、年をとると出るケースがあります。
なので付き合うべき人と離れるべき人の見極めっていうのが、
本当にこの7月8月めちゃくちゃあると思いますよ。
めちゃくちゃある。
その出来事によって自分自身を改めて見つめ直し、
今まで自分の自己表現ができてなかったなという人は、
この夏は自己表現をしようっていう働きかけが出てきてただろうし、
西洋先生術的に言ったら、しし座の太陽がしし座みたいなところなんですけど、
そういうふうに説明もできるけど、確かにその流れがあり、
私はこうしたいんだった、こうだ、私はこうだっていうのが、
摩擦によってやっぱり見えてくるっていうことがあるんですね。
ノホホンと生きてたら自分のことなんてわかんなくてもノホホンと生きれるからいいんですよ。
でも事件があると嫌だな、なんで嫌なのかな、私は本当はどうしたいのかな、
こういうふうに考えられるから自分を知る体験になるわけですね。
まあなのでね、選択はこの先自由です。
多くの方が例えば会社だったら辞めてしまったら収入がとか、
ご夫婦でも離婚してしまったら子どもがとか、
なんかね、そういう条件をあーじゃこうじゃ並べるんですが、
結局それって踏みとどまるエネルギーには乏しいんですよね。
迷うエネルギーにしかならないから、
本当はどうしたいかっていうのを自分の内側で真摯に見つめていくと、
このね、自分が付き合うべき人なのか、
あるいはそういう付き合うべき環境、場所なのか、離れるべき、
まああるいはもうちょっとライトに言えば離れてもいい人、離れてもいい場所なのか、
この見極めがすごく重要になっている、今。
視野の狭さと人間関係
まあどうせね、そこは別れていきますが、
スルッと楽になるためには自分自身が本当にね、
何だろうっていうところを見ていくと、
まあまあ楽に問題も問題として起きず、
本当にね、スルーンとスルーンと離れてきます。
そして出会うべき人はサクッと出会います。
恋愛もそうです。仕事もそうです。
自分で制限をかけて自分の知識、経験、想像の範囲内でことをうまく収めようとすると、
これ絶対うまくいかないんですよ。
だってすでにうまくいってないっていう人に向けて話してるから。
なのでね、ここからは性質によりますけど、
私なんかはね、やっぱり無意識的に頑張っちゃうタイプなんですよね。
気づいてても、もうちょっとこの人のこういういいとこもあるよねとか、やっぱり思っちゃいます。
で、癖でやっぱりいいところを見ようとする。
もうこれは職業病というか、もう資質っていうか、もう癖だよね。
自分でそれに意識的に上げていかないとやりすぎて、
大変というか、自分が大変になるんですよ。やりすぎて。
例えばモラハラ気味の人だと、もうロジックが通じない。
ロジック出そうもんなら逆切れされるんで。
本人が自覚してるか自覚してないかのジャンルによって変わってくるんですけど、
どっか心の奥で理解している場合は絶対的に避けるんですね。論議を。
感情で話をしようと、感情的な話に持ってこうとする。
逆にもう完全に無意識というか、そんな罪悪感1ミリもないみたいな感じは、
もうね、アースペルガーかもしれないと思った方がいいです。
ごめんねなんですけど、そう思ったらしょうがないってなれるから言ってるんですね。
別にアスペルの人が悪いとか問題だとかそういうことを言ってるんじゃなくて、
そういう資質であっても、そういう体質なんだなって。
例えば体重って変えられないみたいなのと一緒だから、
それね、こっちが文句言ったってしょうがないので、
それ用の対策を取るっていう手段が選べるようになるんですね。
専門知識を例えば得て、こういう資質の人にはこういう対応がいいんだなっていうのを、
ある程度の知識でまかないわけです。
知らないと心がどんどん疲弊していっちゃう。
なんでこの人おかしいなんで、疲弊していっちゃうんですけど、
この人こういう気質なんだな、気づけない人なんだなってわかったら、
気づけない人に言ったってしょうがないじゃんっていうところに入れない人もいるけど、
そう考えると若干楽になるからこういう表現してるんですね。
人によってはね、やっぱりお子さんが発達障害でとかね、
自閉のあれがあってとかね、それでお悩みの方もいらっしゃるから、
あまりそういうね、単語を出すのはちょっとどうかなっていうふうに感じることはあるのですが、
あんまりそこをセンシティブになりすぎてもおかしくなるし、
やっぱり捉え方っていうのを共有していただいてですね、
まあまあ話していくっていうことなのかなと。
ちょっとうまく言えなかったけど。
こうやってこういう人にはこんな風に受け取られちゃうかなとか考えるじゃないですか。
今時代がなんだろう、やっぱりどんどん視野がどうしても狭くなるというか入り口が狭い。
本当にね、スマホのサイズからしか物が見られなくなるんじゃないだろうかと思う瞬間がありますよね。
なんか世界窓の外を見たら世界はえらい開けてて、もっと行ったら地球まるっと行ったらもう一生かけてもね、
行けない場所っていっぱいあるわけですよね。
そんな風に実世界は広がっているけど、ネット世界もまた知らない知識やいろんな考え方、文化、文明たくさんあって、
でもチャットGDPとかスマホっていうのはどんどんパーソナライズ化されていって、
つまり自分の趣味趣向、気に入らないやつは全部排除するっていうのが簡単にできるわけですよね。
ブロックとか、なんか目隠しするとか、自分でも子供かと思う瞬間があるんだけど、
今はいないけど昔住んでたお家はゴキさんとかが出てて、とにかくゴキさんを触れないんで、
とりあえず見えなくするって、死んだら子供かって、見えなくしたらちょっと安心みたいな、
いるの変わんないじゃって言われるんだけど、いるのはしょうがないけど取れないから取ってもらいに頼んだりするんですけど、
その後は自力でなんとか取れる手法を編み出して、なんとか頑張ることができるようになったんですけどね。
その話は置いといて、何が言いたいかって、
臭いものに蓋をする、見たくないものは見えなくする、そこに存在していても視界に入らなければやり過ごせる。
ゴキブリと一緒なんですね、私のエピソードで言うとね。
それがボタン一つでサックリできちゃうっていうことは、
意識的に自分の視野を広げようとしない限り、どんどんどんどん狭くなっていくっていうのはちょっと、
なんかね、全体がそれが応用しとしてしまった時に話が通じなくなるよねって思っちゃう。
もうね、チャット君と話す世界になっちゃうんだろうかと。
あるいはチャット君を通じて、それこそね、電話が苦手って。
私も何だろう、電話する、問い合わせとかで電話するのはちょっと億劫に感じるけど、話すのは全然電話大丈夫なんですけどね。
見極めの重要性
ただ仕事とかでやっぱり、昔職場にいた時に電話って集中を切らされちゃうっていうのがね、
制作物を扱ったり面談したり、結構頭を使ってたから、それを中断させられた時のリカバリーがものすごい、
パソコンの再起動以上にですね、パワーを使うわけですよ。
ちょいちょい例えが微妙だなと思うんだけど、まあいっか。
今はね、パソコンの再起動にパワーを使うなんて、そんなパソコンを使ってる人じゃないとわかんないよね。
パソコンじゃなくてみんなスマホだろうにね。
スマホも同じだと思うんですけどね、起動する時が一番エネルギーを。
今もそうなのかな、使うなんてね、言われていた時期があります。
ちょいちょい雑談気味で入れていくと、何の話だったかすぐ忘れちゃうね。
すぐ忘れちゃうね。
だから付き合うべき人と離れるべき人の見極め、簡単なところは自分がどうしたいかなんですね。
その自分がどうしたいかが、結局自分の視野が狭まってしまうと本能レベルになってきて、
本能レベルプラスコストをかけたくないっていうのが入るんですね。
考えたくない感じ、そこまで自分の感情を人に避けたくないとか、
そういうタイパー、コスパーみたいなところに入っていっちゃう怖さみたいなのもあるよね。
だからこそ、自分の感覚っていうのはより大事にした方がいいし、
今後は付き合うべき人というかね、付き合っていきたい人、そのレベルにいる人の側に行くこと、本当にこれ大事です。
もう合わないなーっていう人は切るんじゃなくて、程よい距離を取ればいいんですね。
人によっては程よい距離がもう合わないっていうケースもあるわけです。
それはそれでいいんですよ。それがわかれば。
中途半端ってね、1か0じゃなくて、その真ん中があっていいんですけど、
条件と感情のバランス
中途半端っていうのは自分の内側が中途半端だとどんどんブレてしまう。
自分の中でね、ここまでだなってわかっていれば、それ以上は踏み込まないというだけなので、非常に楽になります。
ここで職場とか家族とか恋人になると、深いところでつながっているっていう情がね、もうすでに映っているっていうのと、
ともに条件ですね、条件が変わる、生活とかが変わることに対する不安、これは当然出るけど、
そこのね、天秤にかけた時に何を優先するかを明確にした方がいいわけです。
条件を大事にしなきゃいけない場合、お金が本当にいなくて、しのごの言ってられないという場合は期間を決めて、
その期間だけは猛烈に自分の感情よりも条件を大事にすると。
でもやれる期間を限定して取り組むっていうのが大事です。
ザラザラするといつまでも続いちゃうから、期限をね、これは区切った方がいいわけです。
すぐに帰られる人はね、仕事の場合はとはいえ周りに迷惑かけるとかある場合はね、最短で準備をすることにエネルギーを注いで、
とっとといなくなるために、とっとと寝回しをするっていうことをやるわけです。
こういうのは本当にブラック企業時代にめちゃくちゃやってたなっていうのを思い出しました、今。
めちゃくちゃやってたなっていうか、やらなかったら身につかないんですよ。
めちゃくちゃ大変なんですよ。本当マジで大変なんですよ、これって。
大変だけど、私はね、やっぱりそれがよくは感情とか感覚の方が優位だったので、当時ね、30代前半ですね。
その時は、30代前半って言ってもほんと成り立てぐらいの時ですよ。
29の時に40人の部下がいたっていう状態ですからね。
そっからね、何年か行って辞めた時にメニエル病になって、耳聞こえない、片耳聞こえないみたいになったんですけど、
そっからやっぱり打つ状態ですよね、体が。
心もしょんぼりしてるけど、やっぱり体が動かないっていうのが結構しんどかったし、
その間、貯めてたお金で暮らせていけたわけだけど、どんどんめべりしていくっていう恐れとかね、いろんなものがね、やっぱり起こってくるわけでしたよ。
なので何が痛かったかって、そこまで頑張っちゃうとその後のリバウンドというかリカバリーがね、やっぱり効きにくくなる。
体が壊れちゃうから。ここまで行っちゃうと本当に辛いんでね、まだ若かったからよかったけど、
今それはマジ辛いんで、早め早めに気づいてやった方がいいわけです。
そういうことに関してはこれまでもスタイフで話してるし、ポッドキャストでも話をしているので、こちらを参考にしていただくといいかなと思います。
あとはうちの今ね、自分軸プログラムも今募集は不定期なんですね。
年に1、2回募集というかオープンするんですけど、
常時申し込めない、今はね状態になっているので、まあまあ10月のその占いのワークショップにおいでいただくか、
一番いいのはやっぱり11月の制限開放に来てもらうと本当にね、いろいろ現実、前回、前々回か、話したように変わっていくんでね。
まあここにね参加していただければなと思います。
いやーこれからね楽しみにしてたらいいですよ。
自分で作っていけるっていうのは大変な部分も多いけど、やっぱり世の中が豊かじゃなかったらできないからね。
いろいろね文明が発展しすぎてね、いろんな問題起きてますけど、そこともやっぱりうまく付き合っていくしかないわけですよね。
ポンポン変えようと思っても一人の力ではやっぱり難しいから、いろんな問題ね世の中見ると、
まあ本当食の問題もそうだし環境の問題もそうだし、
あのこのやっぱね電気と時期のね影響とかは一番一番しんどいからね。
一番というかね見えないだけに本当マジしんどいからね。
そういうのとかに意識をやっぱ向けすぎてしまうと恐れの助長になってしまうので、
それはねうまく付き合っていく方法、いろいろな情報をね鵜呑みにせずに、いろいろ自分なりに調べながらできる範囲でやっていくっていうことがね、
健全であり成熟した態度なのではないかと私は思うわけでございます。
まあ本当ね幼稚な我がママの大人が増えていっているし、増えますよこれ。
当然増えるからね。
だからこそ成熟した、成熟した我がママに生きる。
これスミちゃんの我がママなんですけど、言葉を借りて知り合いのね経営者さんが我がママに生きるっていうねキャッチコピーで素敵だなぁと思ってねちょっと勝手に使わせてもらいました。
大人な我がママで生きたいよねということでですね、
今日のお話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら嬉しいです。
ポッドキャストのラジオ番組魂に目覚める魔法の知恵袋も合わせて聞いてみてください。
そしてねメルマが登録いただくといろんな情報をお送りします。
またちょっとしたねイベント10月開催するんで、ぜひその情報をゲットして直接お会いできたら嬉しいなぁなんて思っておりますのでぜひぜひおいてください。
というわけでまたお会いいたしましょう。それでは。