森への案内の理由
みなさん、こんにちは。
今日はですね、私が森に入る企画、
森にみなさんをご案内して一緒に入る企画っていうのを、
なぜしようと思ったかっていうのを、ちょっとお話ししようと思っています。
あともう一つ、ちょっと実験的な試みがあって、やろうと思っています。
何の実験だったかっていうのは、またちょっと最後にお話ししようかなと思っています。
最初に、なぜ森の企画をしたいと思ったかなんですけど、
もちろん私自身がすごく森が好き、山が好き、里山の景色が好きで、
本当に10代の、好きになったのは本当に、
本当たぶん小さい頃、小学生ぐらいなんですけど、
その後も10代だったりとか20代の時に、本当に心を支えられたなという気がしているので、
そういう自分自身の経験もあるし、
そうして自分が感じた価値っていうのを、他の方にも受け取ってもらえる方に渡ししていきたいなっていうのもあって、
やっている部分あります。
シンプルに言うと、私自身も今でも森に入って癒やされたいとか、里山の景色を見たり、
その中に身を置いてハーティしたいなっていうところもあります。
それともう一つには、森のためっていうとちょっと拒ましいというか、
ちょっと引っかかりが私自身もあるんですけども、
もう一つは森の価値を高めたい、あるいはまた新たな角度での森の価値に光を当てていきたいっていう思いがありました。
どういうことかというと、森の多く、森林ですね。
今、日本における森林っていうものの中には、いろんな使われ方、意味合いを持っている森がたくさんあると思うんですけども、
今、生きる我々の森との関わりの中で、多分一つ大きな接点があるとしたら、
多分林業だとか木材、材料を作って取り出すという意味合いがまず大きくあるのかなと思います。
ただそうすると、皆さんの身の回りにある建物を見ても、
おそらく本当に昔ほど木を使っている、分かりやすく木をたくさん使っているような木造の建物だったり、
あるいは木でできた道具だったりっていうのも少なくなっているんじゃないかなと思っていて、
そうするとやっぱり木を切って使うという機会はどんどん少なくなっているということでもあると思うんです。
そうしたときに森が林業というものだけで、もし価値を図ろうとすると、
森の価値の再認識
それはやっぱり最近使わない材料、すごくざっくり言うと価値が低くなった材料を生み出す場所という見られ方をされる側面もあるのかなと思っていて、
なんとなく個人的な感覚で言うと、山や森を木材という素材生産をする場所だけにしたくないという気持ちがありました。
もちろん私たちのおじいさんおばあさん、その上のおじいさんたちの世代、そしてもっと遡ったルーツを生きてきた人たちは、もっと多面的に森、里山とお付き合いをしてきていて、
彼らにとっての森、あるいは林というのは、そうした家を建てる建材としての木材を取る場所だけではなくて、本当に生活の場であったと思います。
もっとたくさんいろんな食べ物、食料を取ってくる場所でもあっただろうし、道具に使ういろんなものを取る場所でもあっただろうし、
もっとたくさんのあるときには子どもの遊び場、あるときには先祖を敬う祭る、弔う場所であったかもしれないし、
あとは家畜とか農業ともリンクするような、家畜の餌となる草を狩りに行ったりとか、畑や田んぼに使う肥料を作るための材料を取りに行ったりとか、そういった生活に身近に直結するような場所というお付き合いの仕方もしていたと思うんですけれども、
今を生きる私たちはどうしても森がそういう生活の場と呼べなくなって久しぶりかと思うと、森というものの価値を測る物差しというのが、やっぱりお金になるものを取り出すことができるか、
もちろん他にも水源だったりとか、地水ですね、一度に降った雨というのを山が補水して少しずつ出すということで水害を防ぐみたいなやり方もすることがあるんですけれども、
やっぱり分かりやすいところで言うと、お金になる木が育つかとか、やっぱり今のどうしても森林とか森を語るときというのには、すごく荒廃した山林、杉ヤヒノキというのを戦後たくさんよかれと思って植えたけれども、
結局その後価値がつかないから切られなくて、それが荒れているというのが問題だというふうな言われ方をする場面がよくあるなと思っていて、でもそれだけじゃないよって言いたかったんですよね。
もちろん私も林業、面白いなというふうにも思うし、すごく尊い仕事、何十年も自分の死んだ後のことまで考える、すごく面白い仕事だなとも思うんですけど、
それだけじゃない価値というのを私自身すごく森に、そうなんですよ、私別に林業に従事してきているわけでもないし、そのこと以外での価値をもともと自分も感じていたところであって、
木って切らないとダメですか、森って。いい木を、お金になる木を生まないと森って存在してダメなのかなとか、極端なことを言うと。
気を抜いたらやっぱり削られるんですよね。気がついたら削られて、宅地になったり道路になったり、そのこと自体は別にいいことなんだと思うんですけど、開発とか悪ではないと思うんだけど、
なんかでも寂しい。ここにあった、すごいいい枝ぶりの木があったなとか、そこで暮らしてた生き物たちはどこに行ったんだろうなとか、
なんかこう、木々の中を吹き抜けて、すごい森の匂いのする風が吹いてたけど、あの匂いがしないなとか、風が吹いて、なんかこう木々の枝や葉っぱが擦れ合うと、聞こえなくなったなとかっていうのが、
なんかどうやったら、なんて言うんでしょうね、そういうのいいよねっていう気持ちになる人になる瞬間が、もうちょっとでも増えたらいいなって思ったのかなって思います。
なので、ちょっと話が戻すと、なぜ私がそうやって森にご案内する、森に来てもらう企画をしたいと思ったかっていうと、森そのままの価値を感じてもらうっていうこと、機会を作りたかったっていうことでもあります。
ちょっと漢字を使っていかとすると、森林の空間利用っていう言葉がありまして、それはもちろん林野町さんとかでも言われる言葉なんですけど、木材生産という価値だけではなくて、森の空間そのものに価値がある、その森林空間を活用するっていう事業も大事だよねってことは、うちの林野町さんも言ってらして、
そういうことの一つになるといいなって思ったっていうのもありました。
入るだけでもいいよねっていうような、森の匂いを嗅いだりとか、本当に圧倒的な、もう見えないけれどもいっぱいあるような命の気配だったりとかっていうのを感じて、世間だけじゃないのよね、世界ってみたいな。
普段接しているご人間関係とか、いろんな組織だったりとか、そういうところだけじゃなかったんだよね、そういえば私が属している世界って、みたいなことに気が付いて安心したりとか、そういうことを通じて森っていいなとか、森ってそのままでもやっぱり価値だなとか、
そのままっていうのは必ずしも木って木材にしなくてもという意味で、手入れとかもし全然しなくていいかっていうことではないんですけど、
そういうところで森の価値っていうのを、木材とか素材生産だけじゃない森の価値っていうものに触れてもらう人がひとりでも増えることが、この先の森を美しく、いろんな生き物が多様に暮らす命の住処である森っていうのが、
この先も楽しく続いていくっていうことのひとつのきっかけになるといいなっていうのも思って、やろうと思って始めました。
参加者の還元と体験
なので、結構数年前から実はそういった森林をご案内する民間の資格っていうのもあって、そういったものも面白そうだなと思って取得をして、年度更新しながら今も一応学びはしていまして、
なおプラスして、私が入らせてもらう森っていうのも、今のところなんとなく基準っていうのを決めていて、一つには入りやすさっていうところで、お手洗いがあるかなとか、アクセスが比較的いけるかなとか、よいかなっていうところを見たりもするんですけど、
もう一つのポイントとしては、入ることによって、我々や参加をしていただく皆さんと一緒に入ることによって、その森にお返し、何かしか良きものを還元できるような、そういったポイントがあるかっていうことも一つ大事にしたいなと思って見ています。
具体どういうことかというと、今のところで使わせてもらっている場所っていうのは大体が民地、個人の所有地をお願いして使わせてもらっていて、使わせてもらうにあたっては、いただいた参加費の中から会場代として少しお礼をお渡しするようにしています。
それの意図としては、やっぱりですね、田舎に住んでいると、皆さん聞くのは、やっぱりお金にならないけどずっと持っていて、整備したりとか、もちろん定産税とかもかかって、金かかるばっかりだわ、みたいなことをおっしゃる方っていうのもおられるんですけど、
そうして私が使わせてもらうことで、少しでも収入につながるということを作っていくと、やがて、ちゃんと森林の空間、もちろん最低限の整備だったりとか入りやすいような、そんな手入れをしさえしていれば、切らなくてもお金になるかもしれないという、そういう事例を作っていきたいなと思って、あえてそういう場所を選んでいます。
プラスして、ちょっとこれはわかんないんですけど、やっぱり人が入るっていうことで、もちろんメリット・デメリット、森林にとってはあると思うんですけど、野生動物との境界ができるといいなと思っていて、野生動物と聞くと最近よく耳にするのはクマとかオオカナイ系なんですけども、
いるにはいるけども、それらというよりかは、やっぱりもう少しタヌキとかイノシシだったりとかアナグマとか、そういう小動物にも結構悩まされている部分がありまして、直接どこまで効果があるのかはわからないんですけど、
でもそうやって人がもちろん安全に留意しながら森に入っていくというところで、よくも悪くも痕跡を残していきます。ゴミとかを捨てなかったとしても、やはり人間の匂いだったりとか。
でもそういうことで、改めて人と野生動物とのバウンダリーを引き直す、持ち直すということが繋がらないかな、繋がるといいなということもちょっと頭の片隅に持ったりしながらやれたらなと思っています。
ちょっとクマに関しては、やっぱり難しい問題だなと思っていて、私も一応、万が一のためにクマ撃退スプレーというのは数本購入して持ってもらうようにというのはしているんですけども、
あとは基本的に活動時間と呼ばれている時間帯を避けているので、出会う確率というのは低いかなとは思うんですけども、そこは要人を取得にこうしたことはないかなと思うので、一応クマ撃退スプレーというのも購入して。
一応、ひぐまいないんですけども、ひぐまい本って書いてあって、ちょっともしかしたらオーバースペックで、もしもプシューってやったときには本当に痛い思いをしちゃうかもしれないんですけども、一応そういうものも用意しながらできたらなと思っています。
というところが、ちょっと今日お話ししてみたのが、こもりの企画っていうのをやっている理由についてでした。
コミュニケーションの実験
あともう一個、冒頭にちょっと実験的な試みもあってって言ったのが、うまく喋れるかなっていうのが今日不安で。
というのも、ちょっとすごく先週ぐらいから、感覚が安定していていい感じの、ざっくり言うといい感じの感覚、体調かなって言ったんですけども、
ちょっと昨日かな、今日あたりぐらいから、多分バイオリズム的な部分だと思うんですけども、私としてはイマイチだなみたいな体感でして、
本当だったら、大事な内容を話し、調子のいいときがいいなとか、なんかイマイチな感じするから、大事なことは今日したくないとか、調子が良くなってからしたいみたいなところもあったんですけど、
でもそう言ってるのって、それも勘違いじゃないみたいな気がして、調子悪いからどうのとかっていうのも、言ったら思考の声かなみたいな、思考というか人によってはエゴとか自我とか、
そういったような、ざっくり言うとまやかしではないかと思って、試しにいいじゃん、ボロボロでもグダグダでもと思いながら、ちょっとお話をしてみたところでした。
実験の結果、うまくしゃべれたかどうかっていうのはちょっとわかんないんですけど、思考や自我が言うように、やっぱり大したこと、うまくまとめれなかったじゃんみたいなこともあるかもわかんないんですけども、
でもちょっといい機会なんで、そもそものところっていうのをお話ししておこうかなと思って今日撮ってみました。
というところで、なかなか今年も夏が長くて、森に入ったり外に出るっていう、一番いいシーズンっていうのが、ちょっとつかみにくい、いつから始まるのかっていうのもわかりにくい部分あるんですけども、
それでもね、コーパー森に入るとかいう機会、ぜひ作ってもらえると嬉しいなと思っております。きっと皆さんの身近にもそういう場所だったりそういう機会っていうのも探されてみるとあると思うので、ぜひそういう機会あれば森に触れてもらえたらと思います。
というところで、本日は一旦以上です。またお会いできると嬉しいです。それでは。