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  2. #3 それでもこの声と生きるし..
2025-06-20 14:13

#3 それでもこの声と生きるしあわせ

250620
起こることは起こるけど
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サマリー

このエピソードでは、心画という歌う瞑想を通じて自分の声とのつながりを感じることの幸せについて話されています。また、対人関係や妊娠に関する考察を通して、日常生活の中での自動思考や心の変化についても触れられています。他者との関わりの中で自己の感情やマインドセットを見直すことの重要性が述べられています。さらに、自分の幸せを意識し、日々の小さな喜びを感じることが強調されています。

歌う瞑想と自己認識
みなさん、こんにちは、こんばんは、yuumichikaです。
さっき、初めて、ちょっと、あ、一回撮り直そうと思って、あの、消しました。
でも、なんかあれですね、ちょっと、とりあえず、勢いで、やってみようかなと思うので、
できるだけね、なんかこう、へに気負わずに、そして、ぐだっても、一発撮りで、なんか、いこうかなとは思ってます。
で、今日はですね、私は、あの、ま、一日家にいました。
途中、ちょっとね、オンラインの一発のお仕事とか、あったりしたんですけど、
基本、家にいて、で、今日とかすごく暑いので、なんか本当にこう、涼しいとこで過ごさせてもらって、
どう思う?っていう感じでした。
でもちょっと、もうちょっと、こう、自然を感じてもいいかなとは、思ってるとこです。
で、ちょっとそうですね、お仕事も一段落したので、さっきですね、あの、歌う瞑想の、心画というものがあるんですけども、
ちょっとそれをですね、5分ほど、やったりとか、
あとは、なんか、ちょっと思いついて、あの、私がもともとやってた、あの、気候系のボディワークがあるんですけど、
あの、すっごいしばらくぶりに、それを少しだけ、しかもすごい短い時間、5分、5分の10分ぐらいを、今やってみたところでした。
なんか実はちょっと心画も、あの、久しぶりってほどでもないんですけど、
ちょっと数日、あの、空いてたので、なんか改めてやると、こう、新鮮に、
あ、なんかこの、なんかこう、自分のこの声、その声を聞きながらやっていくんですけども、
なんかこの声と生きていけるの、いいなぁみたいな、なんかちょっと、
あえて言葉にするとしたら、なんかそういう感覚だったり、
しましたり、したり、あとは、なんだろう、
その気候系のボディワーク、ボディワークって言っても本当に健康体操みたいなことしかしないんですけど、
それやってる時も、なんとなく感覚がね、久しぶりということもあるんですけども、
なんかこう、それらがより深く、なんかこう、感じられるような、なんかこう、
より精密に味わえるような、なんかそんな感じがしました。
なので、なんかそう面白かったのが、心画という歌う瞑想、自分の声を聞きながら、
妊娠についての考え
あの、自分の声を見つめていく、そんな、あの、瞑想なんですけど、
なんかそれしてる時に、自分の声聞きながら、
自分の声聞きながら、なんか、いいや、この声と生きていくんだから、
なんか、そう、この声と生きていくのいいな、みたいなことを思う中で、
あとですね、ちょっと例えば、なんか今日午前中、
あの、めちゃめちゃちょっと具体的な話にはなるんですけども、
なんかあの、えっと、パートナーがいるんですけども、
友達からも、あの、なんか、さらっと、あの、もしも、ね、妊娠望むのであれば、
なんかクリニックとか行ってみたら、みたいなことを言ってもらって、
そうだね、なんてことを言ってたので、ちょっと、あの、二人で、
この日行けそうだから、行ってみようか、ということで電話をしてみたものの、
あの、まだちょっと席を入れてなかったりしたので、
あ、ちょっとあの、うちで見れるのは、席済みの方、もしくは、
あの、まあ、事実婚ということであっても、同居されている方ですってことを言われて、
あ、そうですか、ちょっとその両方とも、あの、条件満たさなかったので、
まあ、そういうことだったら、まあ、仕方ないなと思って、
あの、まあ、じゃあ、またそうなった時にはお願いしますって感じで、
あの、電話を終えてたんですけど、
あの、なんかね、そこまで別に、その時もショックだとか、
そういうこともなく、まあ、まあ、そう、そうだよねって感じで言ってたんですけど、
なんかそれがね、真がやってる時に、こう、自分の声を聞きながら、
はーって思ってる時に、こう、ふと思い返されて、
なんか、いっかクリニック行けなくても、この声で生きていくので、
みたいな、生きていけるし、なのか、なんか、生きていけるOKなのか、
ちょっとあの、言葉にすると、なんか、どれだっけって感じなんですけど、
受容して、なんか、この先も含めて、こう、人生を受容するせい、みたいな時に、
まあ、いっか、とりあえず今日はクリニック、予約できなくてもいいか、
みたいな感じで、こう、ふと思い返されて、なんか、それが面白いなと思ってました。
対人関係の思考
なのでね、なんか、さも、ちょっと昨日ね、試行錯誤が終わったかも、
なんてことを言ってはいますけど、
まあ、なんか、その瞬間ね、すべてもう、全部オールOKで、
なんか、もう、悩みも特になくても、アッパーでイケイケのウェウェです、
みたいなことはやっぱりもちもなくって、
あのー、特にそうですね、昨日とか実は、なんか、結構ね、対人関係のこととかで、
ちょっと、なんか、それってあんまりじゃないの?みたいなこととか感じて、
その後も、なんか、もしこうなったらあの人にこういうふうに言って、
私はこういうことを主張して、もう、正当性を言うんだ、みたいな、
私の方が正しいぞ、みたいなことを、あの、考えたりとか、
まあ、仕事のところで少しモヤっとして、
なんか、それはおかしいと思うんですよね、こう、こういう理由で、
だから、私はこういうふうにしますよ、みたいなことを、
なんか、こう、ふとね、こう、シミュレーションするような、あの、自分に気づいたり、
あの、思考に気づいたり、っていうことも全然ありましたし、
うん、まあ、なんか、そういうことも起こりはするなーとは思ってるんですけど、
でもですね、なんか、やっぱり、あの、私をそうやって、
あのー、思考がぐるぐるする、それは、まあ、主に対人の関係性の中において、
なんか、こう、自分の正しさとか、あのー、認めてもらおうとしたいとか、なんか、
そういう、ね、こう、誰かに何かを言う、言ってるところを想像して、
シミュレーションして、このようにして、勝ち取ってやるんだ、何かを、みたいなことを、
考え、まあ、ってはするんですけど、まあ、それがほんと、いわゆる、あの、
自動思考というものの、分かりやすい例の一つかなーとは思うんですけど、
まあ、そういったものが、あった束の間、こう、没頭してる瞬間っていうのは、
昨日もあったんですけど、まあ、でも、まあ、気づけて、
で、気づくのは、まあ、これまでも、あのー、気づこうと思っていて、
気づけるっていう瞬間も、もちろん、あったんですけども、
まあ、それに加えて、あのー、まあ、やめよう、気づいて、
もう、いったんやめましょう、っていうことを、
あの、自分に繰り返す感覚の方、感覚の方に行きましょう、っていうことをする、
っていうのも、別に、今までも取り組むというか、そうやろう、そうしようと思って、
あのー、来てるので、あのー、いるんですけど、でも、ほんと、
昨日は、なんか、それで、そして、忘れていくっていうまでのスパンが、
やっぱり早いのかなー、みたいな、あと、あ、そうですね、あとは、なんかこう、
そういう自分の自動思考、例えばこう、大人関係によってシミュレーションをして、
こうやって、みたいなことをしてる自分に気づいて、
あー、またこんなことやってる、みたいな、
あー、自動思考あるなー、みたいなところでの、
あー、またこんなこと、みたいな、がっかり感だったりとか、
うんざり感みたいなものも、少なかったのかなーって思います。
うんうん、なんか、今、思い返してみて。
思い返してみて。
自己のマインドセットの再考
なんか淡々と、あのー、
おっ、なんか、気づいて、
まあ、とはいえは、感覚にいましょう、みたいな感じだったりとか、
うーん、でもやっぱり、あとそうですね、いよいよ、
昨日思ってたのは、いよいよ、ほんとそういう大人関係、
他者が絡むことなので、
まあ、私には、ほんと、まあ、どうしようもないわーと思って、
ほんと、いよいよ、もうそれは私がこうどうこうしてどうなるものでもないよねっていうことを、
結構なんか昨日とかも思ってたなーと思って、
じゃあなんかできることは何でしょうと思ったら、
そうそう、あのー、まあそういうふうに自分、自動思考というか、
思考の中で、あのー、こうしてこうやって、こういうふうに、
くるめて、みたいなことを考える代わりに何か、
できること、何かをして、ある種自分を納得させれることがあるとしたら、
なんかね、私は昨日は意識的に胸の矢印を上げ直す、みたいなことをしてたかなーと思います。
それは、えーとですね、たぶんねどじゅんさんのおっしゃられていることなので、
どっか本にも書いてあるかなーと思うんですけども、
まあ胸、自分の胸に金色の矢印がついているとして、
それがやっぱりこう、現代の社会に暮らしていると、
いつの間にか下を向いている、なんかちょっとペコリンとしちゃっていることが、
あのー、まあ常であるので、常であるとして、
それを気づいたら、上向きに、斜め上、みたいな感じで上げるというイメージを、
持つ、まあそういうふうにこう、マインドセットするということなのかな、
っていうのをおっしゃってました。
で、なんかね、そういうのをしてたかなーと思います。
なんかすごいその非言語での、やっぱり意識の使い方っていうのが、
なんかちょうどいいなーって思って、
でまあ意識だったり、ビジュアライゼーションですかね、
まあ視覚を使うというところで、
多少その意思の力というか、
まあちょっと思考かどうかわかりませんけど、
まあ思考の力みたいな意思の力みたいなのを使うというところで、
あれこれ考えたい、あのー言いくるめたいという児童志向さんには、
まあちょっとこれで堪えてよ、みたいな感じで、
あのーまあご納得いただいてたのかな、ご納得いただけてたのかな、
っていうふうに思います。
まあそんな感じでね、あのー今日も。
もちろんなんか、あのーなんかそう、
昨日とかね、本当昨日もオフと思ってオーと思ったんですけど、
なんかこう夕日、西日がこうだんだん暮れなずんでいくときに、
その金色の西日を見ながら、自然と、
あー今日も楽しかったなってことを思えて、
でまたあのー夜寝る前には、
なんかこう明日も、なんかこう私という命をなんか、
生きるぞーみたいなふうに、なんかね、あえて言葉にすると、
明日も自分を生きるぞーみたいな感じで、こうふと思える、
なんかそう、ふとそういうなんかこう、思い出があって、
なんか楽しみじゃん、みたいな感じで眠りについたりとか、
なんか本当ふとしたそういった自分の心の、
かすかな動きっていうのに気づいては、
なんかへーっていう気がするんですけど、
でまあ、でまあ大事なのはそういう、
仮にマインドセットでいたとしても、
まあやっぱ起こることは起こるし、
なんか、はーちょっと、
やっぱりこう、
でもなんかねそれが、
うーん、そんなに気にならないっていうか、
なんかやっぱりその終わってまた、
さっきの自分の仕事の出来をぐるぐる考えるみたいなこともそこまでなかったり、
なんか次の仕事に備えて、
まああの人にメッセージを送るときの文面を、
なんかこう他のことしながらつい考えてるみたいなことも、
少なくとも、
なんかそういったことにね、
そういったことに思考を使ってるってことに気がついたら、
まあそれはそのとき考えてよみたいな感じで、
あのー放念することが、
結構できるようになったかなーっていうのは、
なんか良かったかなーって思います。
日常の幸せを感じる
はい。
といったところで、
はい。
はい。
といったところで、
なんでこの話し始めたんですかね、今日さっき。
なんだったっけ?
なんでこの話をしたのかちょっとわかんないですけど、
なんか後でもう一回聞き直してタイトル付けようかなと思います。
うん。
聞き直して、なんか言ってないじゃん、このこととか。
最初の話に戻ってないわってこと気づいたらまたちょっと、
ね、次また
聞いてみようかなと思います。
はい。といったところで、
今回は一旦終わっていこうと思います。
結構ここまで聞いてくださってありがとうございました。
聞いてくださった皆さんの、
今日や明日に、
自分の今この瞬間にある幸せだったりとか、
なんかそういったものに気づいて
味わう瞬間っていうのがたくさんありますように
祈っております。
ありがとうございました。
14:13

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