感情の変化と気づき
みなさん、こんばんは。
今、7月4日、金曜日の夕方です。
なんか、今朝ですね、起きた時の感じがちょっと変わってて、
なんか、切り替わったって感じがしたんですね。
すごいなんか目覚めも良くて、パッと、もうアラームとか鳴る前にパッと目が覚めて、
で、目覚めた感じの時の体の感じも、何やら軽くて。
私、なんか先月半ばぐらいから、ちょっとこう、停滞気味というような、
あの、この放送でも何回かなんか、今朝からダウナーですみたいなことを言ってたりしたんですけど、
なんかそういった感覚が、ちょっと変わったなっていう感じが今朝したんですね。
で、あの、今回面白いなと思ったのが、なんか今までだったらその子ってすごい喜んだりとか、
なんか、ああやれやれみたいな感じだったと思うんですけど、
今回結構、ちょっと気分が上がらないわ、乗らないわ、みたいな時期の過ごし方として意識していたことがあって、
で、何かっていうと、なんか私今調子が悪いわとか、なんかダウナーだなとかって言うのって、
結構自分を客観視しようとする心の動きなのかなって思うんですね。
で、もちろんそういうふうに捉えてたりとか、口にしてたりっていうこともあったんですけど、
でもそれだけじゃなくて、そうではなくて意識したのは、
その時の私の感覚でしか感じられないことがあるなと。
なんていうか、その時の便宜上ダウナーな私でしか見れない景色、作れない、出せないもの、アウトプット。
その時の私でしかできないものがあるんじゃないかと思って。
で、ある種、そういう世界がワントーンちょっと落ち着いて見えるような色眼鏡を通して見ているような自分。
なんていうか、自分自身がちょっと薄青い色の入ったレンズになったような、
なんかそういう気分で、その薄青いワントーン落ち着いて世界が見えるレンズである私を通して
見た、感じたことっていうのをできるだけそのまま残してみようかなっていうことをちょっと意識してやってみてました。
まあ、とはいえそういう時に結構このスタイフの録音とかもあんまりしてなくって、
創作の時間
なんか気の向くものも向かないものもやっぱあるなっていうのはあったので、
今回は結構なんかこう文章で表せないかなと思って、
なんかこう詩のようなエッセイにしては短いなみたいな、
そういう文章を自分のメモの中に残したりとか、
あとそうですね、写真も撮ってみたりとかして過ごしてました。
そう、面白いんですよね。
私前にも結構この時期、そうやって割と自立神経が揺らぎやすい。
自立神経の揺らぎなのかちょっとわかんないんですけど、今回も。
でもそういうなんかもう、あーみたいなちょっと落ちてるとか上がんないとか、
なんかだるーみたいな、そういう時に限って撮る写真とかって後なんて見返してもやっぱその時期、
過去のそういう振動みたいに持った時期の写真ってやっぱ違うんですよね。
だからなんか面白い。
で、すごくなんかギラついた目で世界を見てるなみたいなギラついてっていうか、
でもとにかく普段とやっぱ違う目で世の中を捉えている、
なんか違うやっぱ感受性だなっていうのがわかる写真だなって自分でも見返して思うので、
やっぱりそのなんかこう不思議な時間というか、
本当に多分言葉にして、別に私も正確にはわからないんですけど、
自立神経がちょっとこうお疲れ気味とか失調気味みたいなことなのか、
なんか単純にこうなつばってなのか、
あるいは何かこう何がしかの調整、調律みたいな作用が自分の身に起きているのか、
そこのところはもう全くわからないんですけど、
でもわからないにせよやっぱりそういうちょっとこう自分の感じ方が
一番ワントーン低いみたいな時の自分の感じ方とか捉え方っていうのは、
やっぱその通常の時とは違うものがあるっていうのは確実に思うし、
それがまたやっぱり結構面白いなって思うんですよね。
なので、なんかそういうお疲れ気味の時の過ごし方として、
まあ結構ね体だるうとか、もうなんか気に乗らないみたいなことももちろんあるんで、
そういう意味でのやっぱこう体調、体を思うみたいなしんどさっていうのはあるんですけど、
で、私は今回お風呂入りながら持ち込んだタブレットでお風呂に半身浴している間に感じたことを打っておくとか、
なんかふとした時にポイスメモで残しておくみたいなことをしたんですけど、
でもなんかやっぱりほんとそういう時期、ざっくりと言うか、
落ちてる時期、停滞を感じる時期の過ごし方として、
やっぱその時にしか見れない景色、その時にしか感じれない世界っていうのを、
できるだけそのままなんかこうカプセルに閉じ込めるみたいにして、
なんかこう表して残しておく、刻んでおく、アウトプットしておくっていうのは、
なんかいいのかなって思います。いいのかな、ふわってしてるんですけど。
心の状態を祝福する
なんというか、それってもちろん通り過ぎてから見返してすごく面白いとか素材として使えるとかわかんないですけど、
そういうことだけではなくて、
落ちてる私をなんとかしなきゃとかなんとか気分転換をしなきゃじゃなくて、
気分転換をしなくとも、今その落ちてる私だからこういう気持ちを持っているというか、
その落ちている私を何とかしなきゃとか、
何とか気分転換をしなきゃとか、
落ちてる私だからこそ見える世界を祝福するというか、
その世界を見ることのできるレンズである落ちてる自分を祝福するというか、肯定するというか、
なんかそういう意味合いもなんかあるんじゃないかなってすごく思っていて。
なんか今回改めてそう捉えられたの良かったなぁと思うし、
あのなのでなんか今日朝切り替わったなってふうに思って、
でやっぱり違うんですよね。
あのなんか夏との違いっていうか、
ちょっと冴え冴えとしてる感じがあって、
そういうところのギャップというか温度差を感じることができるのかなって思って、
でやっぱり夏との違いっていうか、
夏との温度差がちょっと縮まったというか、
あのこの前までは本当に周り夏だけど私の内側心持ちは結構冷えてますよみたいな、
温度差を感じるみたいな心持ちもどこかであったんですけど、
そのギャップがちょっと縮まったなというようなともいえる体感があって、
でそれはそれでいいんですけど、
ちょっと寂しさもどこかであるというか、
もうあの一枚青いグラスというか、
薄青の混じったレンズを通して見るような世界。
そうそうなんか例えるなら、
そういう時の心持ちの時の見え方って、世界の見え方って、
あのサングラスというかちょっと色の入ったメガネ。
サングラスというかちょっと色の入ったメガネをかけると、
こういうなんか夏のめちゃくちゃ眩しい時の景色が、
やっぱワントーン落ちることですごく見えやすくなる。
細かいところまでなんかこうくっきり見えるみたいなことあると思うんですけど、
なんかまさにそういう作用が心持ち的にもある気がしていて、
ただ暑いとかただ夏とかじゃなくて、
なんか結構しっとりじっとり世の中を感じているというか、
世の中であったり自分の心持ちっていうのを感じているみたいなのは、
やっぱすごくその時ならではだったと思うし、
なんか面白いなという風にも思うので。
そうですね。
でもってなぜ今朝になってパンとなんか気が合ったという風に感じたのかもわからないし、
なのであんまり私の中では特に理由なんてないのかもなと。
特にこう原因とかを探したり、
どうやったら自分が上向くんだろうそこを打って、
切り替わるんだろうとかっていう再現性のあるようなアクションとかっていうことも
特に特段探したりもせずいるのが私には合っているのかなと思って、
なんか今回もそういう風にして過ごしたかなっていう感じですね。
そう、なんかそんな感じで、
今日朝っていう、ある意味自宅の中でも結構不思議な体験になるのかなと思ったのでちょっと撮ってみました。
そうですね。なのでもしこの声を聞いている皆さんの中で、
なんか停滞しているとか、なんか、
なんか気が乗らないとか、気分が重い、あるいは具体的に結構体が重いみたいな心持ちのコンディションの方がおられたら、
もちろんね、よほどひどい場合にはお医者さんに見てもらうっていうことも大事選択肢としてあると思うんですけど、
でも本当その時だけ、その時のあなたにしか見えない状態で、
ぜひですね、それをカプセルに入れる、冷凍保存しておくみたいな心持ちで、
何かに表しておく、文章なり写真なり絵なり、
そういったことをね、お医者さんに見てもらうというのも大事選択肢としてあると思うんですけど、
でも本当その時だけ、その時のあなたにしか感じられない、
そういう心持ちで何かに表しておく、文章なり写真なり絵なりというのもいいのかなって思います。
そういう表現することってすごく尊いことだと思うし、
やっぱり人ができ得るとても素敵なことの行為の部類に入るなと思うので、
ぜひそういうことを楽しむ時間にしてみるのもどうかなと思っています。
といったところで、今回はこの辺にしておこうと思います。
ではまた次回お会いできたら嬉しく思います。
皆さんもどうぞ、良い夜を。
では。